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能楽鑑賞日記

2006年5月27日 (土) 伊東温泉薪能
会場:伊東市観光会館(雨天のため) 18:20開演

子供仕舞「清経」「舟弁慶」「小袖曽我」
子供連吟「高砂」

狂言「仏師」すっぱ:野村萬斎、田舎者:高野和憲

能『隅田川』
 シテ:梅若万三郎
 子方:八田和弥
 ワキ:村瀬純
 ワキツレ:福王和幸
    笛:寺井宏明、小鼓:古賀裕己、大鼓:大倉三忠
    後見:加藤眞悟、梅若雅一
    地謡:伊藤嘉章、八田達弥、長谷川晴彦、古室知也、日根幹祐、青木健一

 本当は、松川水上特設能舞台で行われるところでしたが、あいにくの雨のため観光会館に変更になりました。
 始めは、地元の「伊東子供能」の教室の子供達による仕舞と連吟の披露があり、10人くらいの小・中学生が日頃の練習の成果を発表していました。仕舞の最後の「小袖曽我」で五郎、十郎兄弟を舞った二人などは、なかなか型が決まっていて上手でした。

 この後、休憩が入り、火入れ式がありました。火入れ式といっても、舞台上のかがり火は赤いセロハンで火をかたどった電気のもの。巫女姿の女性二人が松明(棒の先にやはりセロハンを巻いてある)を持って出てきて、火をつける仕草をするのですが、電気がすぐ点くわけではなくて、最初チカチカとまたたいてから点くという工夫はされていました。外だったら本当にかがり火の薪に火を点けるところなんですが、屋内ではそうもいきませんから、それらしい雰囲気だけでもということでしょうか。

狂言「仏師」
 持仏堂を建立した田舎の男が、仏像を作ってもらおうと都で仏師を探し、詐欺師に騙される話ですが、例によって詐欺師は自分が仏像になりすまして、田舎者が印相が気に入らないと言うたびに、直してやろうと言い、仏師と仏像の早変わりをするうちにバレてしまいます。
 すっぱ(詐欺師)が面をつけたり外したりして、忙しく仏師と仏像になり代わる場面、印相も手を合わせているのから、コブシを振り上げたり、「ちょうだい」のように手を前に出す形など、あたふたと行ったり来たりする様も面白く、萬斎・高野コンビもノッテいて、地元の家族連れも多い会場は子供達の楽しそうな笑い声が何度も起こっていました。

能『隅田川』
 プログラムには名前がありませんでしたが、ワキツレの旅人は福王和幸さんでした。
 能の『班女』と狂言「花子」、そして『隅田川』は同じ主人公花子の三部作とも言われていますが、『隅田川』では、子供を人攫いにさらわれた女が狂女となって、都から東国の隅田川まで子供の行方を尋ねてやってきます。渡守(ワキ)は旅人(ワキツレ)から、もうすぐ女物狂がやってくると言われ、待っていると、我が子を求めて狂女となった女(シテ)がやってきて舟に乗せて欲しいと言います。渡守はおもしろく狂ってみせよ、さもなくば乗せないと言いますが、女は『伊勢物語』九段の詞章をひいて渡守をやりこめ、古歌をひいて嘆きます。渡守はあわれになり、乗せてやりますが、渡守は旅人の問うままに川岸で行われている大念仏の話をはじめます。それは、1年前、人商人に連れられてきた子供が病気で置き去りにされたのを、この辺りの人々が介抱したが、その甲斐なく病死し、1周忌を弔っているという。その子は都北白河の吉田の何某の子と聞き、狂女はそれこそ我が子梅若丸と知り、泣き伏します。
 渡守は女を子供を埋葬した塚に案内し、母は、我が子の墓の前で悲しみにくれていると、人々に念仏を勧められ、一人夜念仏を唱えだします。やがて、塚の中から我が子の声が聞こえ、その姿がまぼろしのように現れたので、母は狂気し、すがろうとしますが、姿は現れては消え、現れては消えるうちに、夜明けと共にその姿は消え失せ、ただ春の草のみ茫々と生えた墓標があるだけでした。

 この曲には、子方が出るものと、子方を出さないものがありますが、今回は子方が出るものでした。舟の中で渡守の話を聞きながらじっと悲しみを内に秘めている女の姿や子供の幻にすがろうとして見失い、悄然と立ち尽くす母の姿が涙を誘い、ジンとくるものがありました。     
2006年5月25日 (木) 国立能楽堂特別企画公演【琵琶と能楽・蝋燭の灯りによる】
会場:国立能楽堂 18:30開演

平曲「横笛」 今井勉

狂言「越後聟」
 聟:野村小三郎、有徳人:松田高義、太郎冠者:野口隆行、勾当:野村又三郎
    笛:藤田六郎兵衛、小鼓:鵜澤洋太郎、大鼓:柿原崇志、太鼓:観世元伯
      地謡:深田博治、野村万作、野村萬斎、月崎晴夫

能『巴』
 女・巴の霊:友枝昭世
 旅僧:殿田謙吉
 従僧:大日方寛、御厨誠吾
 里人:野村萬斎
    笛:藤田六郎兵衛、小鼓:鵜澤洋太郎、大鼓:柿原崇志
   後見:中村邦生、友枝雄人
   地謡:内田成信、金子敬一郎、狩野了一、粟谷充雄
       粟谷明生、出雲康雅、香川靖嗣、大村定

 「蝋燭の灯りによる」ということで、舞台の周りの燭台の蝋燭に火が灯され、舞台はかなり暗い感じでしたが、客席の明かりを落とすと舞台がほの明るい感じになります。多少明かりも使ったのかもしれませんが、正面真中より後ろの方の席だったので確認はできませんでした。
 平曲では、橋掛かりを手をひかれながら琵琶奏者が出てきます。本当に盲目の人のようでした。舞台の中ほどに座布団が敷かれ、傍らの燭台の蝋燭に火が点けられています。席につくと、切り戸口から琵琶を持って出てきた女性が奏者の前に琵琶を置き、世話をして準備がすむと切り戸口から出て行きました。
 「横笛」という曲は建礼門院に仕えた雑仕女(雑用婦)・横笛と、瀧口(宮廷守護)の名門武士・斎藤時頼の悲恋を描く、『平家物語』巻第十の物語だそうです。 琵琶を弾きながらの盲目の琵琶法師の語りとは、こういうものであったのだろうと思わせる謡い、独特の声、謡い方に聴き入ってしまいます。が、途中から気持ちよいα波が出てるようでした。(^^;

「越後聟」
 能登の国に住む有徳人が、娘を越後の国に嫁がせ、今日は最上吉日の聟入りです。姉聟の勾当(盲人の官位)も呼んで、芸尽くしのめでたい酒宴が始まります。

 特にスジがあるわけでは無く、花婿の獅子の舞が見どころで楽しい酒宴を一緒に見物するような演目です。舅と勾当の謡い舞いの後、獅子舞を所望された聟が支度をしに中入りしている間、又三郎さんの勾当が琵琶を奏でて平家語りをします。琵琶らしい形の作り物を弾くようにして大真面目で語る平家語りは、やっぱりいつもの「一の谷の合戦」の話でした(笑)あの“向かう者はあごを切られ、逃げる者はかかとを切られ、忙しかったのであごにかかとを付け、かかとにあごを付けたら、あごにアカギレができ、かかとにムクリ、ムクリと髭が生えた」という例の平家語りです。なんで、狂言の平家語りっていつもこれなんでしょう(大笑)。
 支度をして出てきた聟さんは能『望月』の獅子舞の扮装に似ています。扇を帽子のつばのように頭に付けていますが、獅子の口を表現しているらしいです。赤い布で覆面をし、頭に紅白の牡丹を付けていたのがちょっと可愛かったです。(^^)
 ちょっと太めの小三郎さんですが、『石橋』などで観る獅子の舞のように頭を左右に振る仕草も切れがよく、橋掛かりの欄干に飛び乗ったり、側転に倒立前転など身軽です〜!獅子舞の時にはお囃子も入り、六郎兵衛さんの澄んだ優しい音色の笛にもうっとりで獅子の舞は見ものでした。

『巴』
 木曽の僧が都へ上る途中、琵琶湖畔・粟津の原で、義仲の霊を祀る社に参詣して、一人の女に出会います。どこからともなく現れた女は、祈りを捧げ涙ぐみ、晩鐘の響く中、自分もこの世になき人であると明かし、姿を消します。
 そこに、参詣に来た里の男から、義仲の最期のことや巴御前のことを聞いた僧が、跡を弔っていると、鎧に身を固め、長刀を肩にした巴御前の霊が現れます。巴は、敵勢に追われつつも義仲に付き添い、義仲の最期と、形見の太刀と小袖をもって、泣く泣く木曽に落ち延びた一部始終を語って、自らの執心を弔ってくれるよう僧に頼むのでした。

 「平家物語」では、義仲の最期に立ち会ったのは、今井四郎兼平ただ一人ですが、ここでは、巴御前が立会い、遺品を持ち帰ったことになっています。
 いつもながら友枝さんは、幕から橋掛かりにするすると現れた時から、美しき幽霊を感じます。
 今回の萬斎さんのアイもとても良く、義仲の最期と、立ち会った巴御前のことがはっきりとした口調で、むしろ淡々と語られていました。
 後シテの武装した巴御前の霊は、葛桶に座って戦語りを始めますが、重傷を負い自害する義仲に自分も共をというも、女なれば、この小袖を持って木曽に届けよ、背けば主従三世の契りも絶えると義仲に言われ、泣く泣く命令に従うことになった由を語り、涙ぐみます。やがて立ち上がり見れば、敵が大勢追ってきて、巴を逃すなとかかって来ます。そこで、巴はわざと長刀を引いて、少し恐れるそぶりをし、敵を近くに引き寄せて、四方八方に切り払ってしまいます。最後に義仲の遺体の元に戻り、遺体に別れを言い、涙の中に名残を惜しみつつ、烏帽子、鎧を脱ぎ捨てて、小袖を被き、太刀を衣に隠して涙ながらに立ち去っていくまでを語るのでした。
 男が、女であり、尚且つ男に負けない男装の女武者を演ずるという難しい役柄だと思うのですが、まさに女らしさと勇ましさを併せ持つ男装の麗人の巴御前が舞台上に現れていました。
 あまり長刀を振るう大立ち回りが多いわけではないのですが、長刀をサッと反す時のキレの良さ、さばき方は見事で、きりりとしていて勇ましく、それでいて男の勇壮さとは違う。
 最後に、命令とはいえ後を追うことを許されず、泣く泣く形見を持って、立ち去りがたく振り返る場面では、巴が可愛そうで涙が出そうになりました。
 橋掛かりで厚板を脱ぎ、白い小袖を着て白装束になった巴の霊が、しずしずと去っていく後姿は長く長く余韻を引くものでした。
2006年5月14日 (日) 第21回中央区能に親しむ会
会場:国立能楽堂 13:00開演

1、主催者ごあいさつ:能に親しむ会会長
1、祝辞:中央区長
1、解説:大東文化大学教授 三上紀史

連吟「杜若」キリ:中村健郎、若林泰敏、塩田清、村田道夫

能『熊野』村雨留、読次之伝
 シテ(熊野):梅若万三郎
 ツレ(朝顔):長谷川晴彦
 ワキ(平宗盛):殿田謙吉
 ワキツレ(従者):芳賀俊嗣
                 大鼓:亀井実、小鼓:幸信吾、笛:松田弘之
                 後見:梅若泰志、梅若万佐晴、加藤眞悟
                 地謡:若林泰敏、梅若久紀、古室知也、遠田修
                     八田達弥、伊藤嘉章、梅若紀長、青木一郎

仕舞
「羽衣」クセ 中村政裕
「老松」    青木一郎   
「葵上」    梅若久紀
「松虫」キリ 梅若万佐晴   地謡:村田道夫、遠田修、加藤眞悟、八田達弥、中村健郎

狂言「佐渡狐」
 佐渡の百姓:三宅右近、越後の百姓:三宅右矩、奏者:高澤祐介

能『恋重荷』
 シテ(荘司・亡霊):中村裕
 ツレ(女御):梅若泰志
 ワキ(臣下):村瀬純
 間(従者):三宅近成
              大鼓:柿原光博、小鼓:亀井俊一、太鼓:金春國和、笛:内潟慶三
              地謡:青木健一、塩田清、古室知也、長谷川晴彦
                  八田達弥、青木一郎、梅若万佐晴、加藤眞悟


 解説の大東文化大学教授三上紀史さんの話は解りやすく、聞いていると詞章の意味や登場人物の心持ちがよく解ります。今日の『熊野』は母の日ということで、親子の情、親孝行という話で選ばれたそうです。興味深かったのは、沈んだ想いのまま宗盛について花見に行く道行きの場面の話。牛車の中から熊野がのぞき観る風景は、危篤の母を想う熊野の心を反映して、六波羅の地蔵堂や六道の辻、鳥部山という風景ばかりなのです。そして、最後に国へ帰る熊野は観る人に子供の手から飛び立つ小鳥のような爽快感を与えるとおっしゃっていました。
 『恋重荷』は古名『綾の太鼓』を世阿弥が改作したものだそうで、宝生、金剛、喜多では『綾鼓』として古い作が残り、『恋重荷』は観世、金春で演じられているものです。内容の違いは能楽ハンドブックなどで確認してもらえればと思いますが、大分違うものとなっています。
 荘司がとても持てない重荷だと悟りながら、「恋の奴になり果てて。亡き世なりとも憂からじ」とは「恋の奴隷となって、死んでも悔いは無い」といって精も魂も尽き果てて死んでしまう。それを知った女御は出来ぬことを言って諦めさせようとしたのに、恨みを残して亡くなったことに深く悔悟するが、荘司の亡霊は恨みをぶつけ激しく責める。しかし、やがて女御の悔悟の思いを感じて、最後にはいつまでも女御を守り続けようと誓って消えていくのです。荘司の恨みと女御の悔悟という二人の心の葛藤に重点を置いており、その恋する想いの深さに、話を聞いているだけで切なくなってしまいました。

『熊野』
 またしても『熊野』を続けて観るようなかたちになってしまいましたが、前回の『熊野』の小書の違いも解って面白かったです。
 能楽観世座での「墨次之伝」という小書は、熊野が短冊に句を書く時、一度墨をつけて書き、途中でまた墨をつけて書きつぐ型のことを言うようです。小書の無い型では墨をつけるのは一回だけで、一気に書いてから、じっとその短冊を見ての溜めがあるように思いました。そこに熊野の思いを込めているという感じを受けました。短い期間に続けざまに観た『熊野(湯谷)』ですが、3人とも力のある演者で違う良さがあり、満足でした。
 観世座と今回とも笛は松田弘之さんで、舞の時の高い調子の笛がとても気持ち良くて良かったです。

「佐渡狐」
 はじめに、プログラムでは奏者は高澤祐介さんになっていましたが、実際の演者は前田晃一さんだったと思います。

 佐渡のお百姓と越後のお百姓が年貢を納めに行く途中、道連れになり、佐渡に狐がいるかいないかで賭けをすることになります。それで奏者に判定してもらうことにしますが、佐渡に狐はいないので、佐渡のお百姓は奏者に賄賂を渡して狐の特徴を教えてもらい、まんまと賭けに勝ちます。ところが納得しない越後のお百姓は、帰りに狐の鳴き声を聞き、答えに詰まった佐渡のお百姓がうぐいすの鳴き声をしたのでバレてしまい、賭けた刀を越後のお百姓に奪い返されてしまうという話です。

 真面目そうな越後のお百姓の右矩さんと、馬鹿にされないよう佐渡には何でもあると言ってしまったため、いない狐もいると言って、つい嘘をついてしまった佐渡のお百姓の右近さん。いかにもお硬そうな奏者の前田さんに賄賂を渡す時、そっぽを向いて袖で隠し、その袖にお金を忍ばせる仕草、まさに「袖の下」なわけです。とんでもないことと言いながら袖の下で受け取るやり取りとその表情がなんとも面白い。
 判定の時の三人のやりとりは毎度のドタバタで、また面白いところです。教えてもらった特徴をよく覚えてない佐渡の百姓のトンチンカンな答えに慌てる奏者。奏者の方を見てカンニングして答える佐渡の百姓。変だと感じて、教えようとする奏者と佐渡の百姓の間に立って袖を広げて奏者を隠そうとする越後の百姓。やっぱり、右近さんの表情の変化、柔らかさが良かったですね。
 しかし、役所の後援で「佐渡狐」とは、いい選曲というか・・・ですね(笑)。

『恋重荷』
 白河院につかえる臣下が、菊作りの老人の山科の荘司が、垣間見た女御に恋をしたと聞き、荘司を呼び出して、美しい布に包まれた荷を持って百度、千度と庭を巡れば女御が姿をみせようと伝えます。荘司は想いのたけをこめて持ち上げようとしますが、なんとしてもかなわず、精魂尽き果てた荘司は絶望して憤死してしまいます。
 実は荷は何人にも持ち上げられない重荷だったのです。従者から荘司の死を聞いた臣下は不憫に思い、荘司の死を女御に伝えると、憐れに思った女御は歌を手向けますが、そのまま大岩に押されたように動けなくなってしまいます。そこへ荘司の霊が現れ、恨みを述べて攻め立てますが、最後には女御を許し、いつまでも守護することを誓って消えていくのでした。

 恋をした男の一途な思いを、身分卑しい老人と女御(天皇の妃)という叶うはずのない恋として描いています。たとえ身分が違おうと老人だろうと、恋する人の想いの深さは変わらない。持ち上げることの不可能な重荷を持ち上げることで、自分の真剣な想いの深さを見せようとして死んでしまう荘司。軽げに見える荷なれど、恋の叶わぬゆえに持てないのだと諦めさせようとしたのに、結果、老人を弄んで死なせてしまうようなこととなったのを深く悔悟した女御。二人の心の葛藤が見どころです。
 荘司の遺体に「恋よ恋。わが中空になすな恋」の歌を詠み、荘司の死を憐れみ悔悟する女御。そこに現れる恨みの幽鬼となった荘司には、恨みと怒りの強さがあり、シテの動きもキレのいいものでした。しかし、最後には荘司を見上げる女御を見つめ恨みの杖を放して、恨みが消えたことをあらわし、跡を弔ってくれるなら、いつまでもあなたを守り続けようとの誓いをたてて去っていくのです。一瞬にして恨みが消える、互いの心が通じた瞬間。許しと、さらに深い想い。
 じんわりと目頭が熱くなるものがあり、初めて泣けた能でした。
2006年5月10日 (水) 能楽観世座第9回公演
会場:観世能楽堂 18:30開演

仕舞「玄象」観世三郎太
           地謡:観世芳伸、上田公威、坂口貴信、林宗一郎

一調「鐘之段」関根祥六  小鼓:北村治

能『熊野』読次之伝、村雨留、墨次之伝、膝行留
 シテ(熊野):観世清和
 ツレ(朝顔):関根知孝
 ワキ(平宗盛):森常好
 ワキツレ(太刀持):森常太郎
    笛:松田弘之、小鼓:北村治、大鼓:柿原崇志
    後見:関根祥六、武田尚浩
    地謡:角寛次朗、岡久廣、井上裕久、浅見重好
        浦田保浩、上田公威、藤波重彦、角幸二郎

 仕舞の観世三郎太くんは、観世清和宗家のご子息のようです。小学生(低学年)くらいでしょうか?一生懸命しっかり舞っていました。

 今回の『熊野(ゆや)』は後で気がついたのですが、小書がいっぱい付いています。観世宗家は、昔の演出や謡本を調べたり、かなり勉強家で、それを舞台作りに大胆に取り入れたりするようです。
 喜多流では『湯谷』と書きます。あらすじは先月の「友枝昭世の会」でも書いてありますが、平宗盛の愛人『熊野』の母親の病気が重く、故郷から使いの朝顔が母親の文を持って熊野の元にやってきます。熊野は母の危篤を知り、宗盛に手紙を読んで暇を請いますが、熊野と花見に行きたい宗盛は許さず、熊野は気の進まぬまま清水寺の花見に同道することとなります。酒宴が催され、熊野は宗盛の所望で舞いを舞いますが、にわかに村雨が降って花を散らします。このとき、熊野は短冊に「いかにせん都の春も惜しけれど、馴れし東の花や散るらん」と書き付けて宗盛に渡します。熊野の心中を知った宗盛は暇を許し、熊野は喜んで急ぎ故郷へ出立するのでした。
 膝行留という小書の演出だと思いますが、書き付けた短冊を宗盛に渡すとき、座った姿勢のまま、片膝づつ立ててにじり寄るように寄って行き、熊野の必死の思い、何としてもという決意のようなものを感じて、すごい!と思いました。
 観世宗家の舞は一つ一つの型がピタッピタッと決まるようで、そこが観ていてなんとも気持が良いと思います。 
2006年5月4日 (祝) 横浜能楽堂開館10周年記念特別公演第2日
会場:横浜能楽堂 14:00開演

狂言「弓矢太郎」
 太郎:野村万作
 当屋:野村萬斎
 太郎冠者:野村遼太
 立衆:石田幸雄、深田博治、高野和憲、月崎晴夫、竹山悠樹
   後見:野村良乍

能『頼政』
 シテ(老翁・源三位頼政):高橋章
 ワキ(旅僧):宝生閑
 アイ(里人):野村万之介
   大鼓:亀井広忠、小鼓:大倉源次郎、笛:一噌仙幸
   後見:塚田光太郎、小倉敏克
   地謡:和久荘太郎、小倉伸二郎、大友順、金森秀祥
       武田孝史、田崎隆三、大坪喜美雄、朝倉俊樹


「弓矢太郎」
 シテの太郎役は萬斎さんや石田さんで観たことがありますが、万作さんの太郎は今回が初めてです。
 臆病なのに強がって、いつも弓矢を携えている太郎を脅かしてやろうと、天神講に集まった連中が相談して待っていると、案の定、太郎が弓矢を携えてやってきて、自分の豪腕ぶりを自慢します。ところが、当屋がきつねを殺しては祟ると「玉藻の前」の話を恐ろしげに語ると太郎は怖がって震えだし、人々が天神の森に鬼が出たという話をすると、とうとう、目を回して倒れてしまいます。気がついた太郎に当屋が肝試しを提案し、真夜中に森へ行って扇を老松に残してくることになります。太郎は怖さのあまり鬼の扮装で出かけますが、そこで太郎を脅すために鬼の扮装で来た当屋と鉢合わせ、二人とも相手を本当の鬼と思って、目を回して倒れてしまいます。先に気がついた太郎は、後から様子を見に来た天神講の連中を見て状況を察し、再び面をつけて皆を脅して追っていきます。

 万作さんの太郎は出てくる時は意気揚々と武勇伝を自慢気に語り、恐ろしい話に怖がる様子など表情豊かに太郎の変化を演じていました。萬斎さんの「玉藻の前」の話も、きちっとした語りが返っていかにも恐ろしげに聞こえます。
 鬼の扮装をした二人が鉢合わせて目を回してしまう、二人の怖がりぶりは何度観ても笑えます。今回遼太くんは、倒れてる萬斎当屋の面をちゃんとはずして、前回のような首しめハプニングは起こりませんでした(笑)。
 気がついた当屋が鬼のことを話すたびに、橋掛かりの万作さんが「毛むくじゃらの腕」といえば腕を出してみたり、身振り手振りで応じて面白がっています。その万作さんの表情がいかにも楽しそうで、最後は鬼の面をかけて反対に脅かしてやろうと悪戯振りを発揮している感じでした。

『頼政』
 都の寺社を巡り終えた旅僧が宇治の里に着き、名所の案内を請おうと土地の者を待っていると、一人の老人が現れ、僧を平等院に案内します。僧が芝生に扇の形の跡を見つけその理由を尋ねると、昔、源三位頼政が合戦に敗れ、芝の上に扇を敷いて自害して果てた「扇の芝」であると語ります。文武両道の老武者頼政を偲ぶ僧に、老人は今日がその命日で自分こそ頼政の霊であると名乗って、姿を消します。
 そこに訪れた里人に僧が問うと、里人は頼政が謀反を起こした原因から戦いに敗れて平等院で自害するまでを語り、僧にあとを弔うよう勧めて去っていきます。
 その夜、扇の芝のそばで仮寝する僧の前に法体の身に甲冑姿の頼政の霊が現れ読経を請います。そして挙兵のすえ都を離れ、すぐさま追った平家の兵数万騎と宇治川を挟んで対陣し、敵が三百余騎の轡を並べて川を渡ってきた様や、防戦のすえ息子兄弟も討ち死にし、扇を敷いて辞世の句を詠んだ最期の有様を語って、再度弔いを願って消えていきます。

 すでに、頭を剃って入道の身となっていた頼政は、この時77歳の老武者だったそうです。そう考えると、かなり年配らしいこのシテと同じくらいなのかとは思うのですが、力強いお囃子の面々に対し、謡いが負けてしまっているようで、良く聞こえないし、老齢とはいえ、鵺退治などの武勇でならした文武両道に長けた頼政にしては舞に力強さが感じられません。
 以前、「ござる乃座」で「通円」をやった時、パロディーの元話である『頼政』を直面、袴姿の舞囃子で舞った喜多流の香川靖嗣さんの舞が素晴らしかったので、今回のシテは何かピンとこなかった感がします。
 ワキの宝生閑さんやお囃子はよかったんですが・・・。 
2006年5月3日 (祝) 万作・萬斎狂言の会
会場:練馬文化センター 13:00開演

三番叟のお話:野村萬斎

「三番叟」
 三番叟:野村万作、千歳:竹山悠樹
 大鼓:柿原弘和、小鼓頭取:幸正昭、脇鼓:後藤嘉津幸、森澤勇司、笛:一噌幸弘
                             後見:野村万之介、深田博治

「鬮罪人」
 太郎冠者:野村萬斎、主:石田幸雄
 立衆:野村万之介、深田博治、高野和憲、月崎晴夫、竹山悠樹
                             後見:野村良乍

 練馬へ行くのに違うところへ行ってしまいました。思い込みとは恐ろしい。引き返して練馬文化センターに着いた時は万作さんの「三番叟」鈴之段の初めの方だったので、ロビーのモニターで観てました。間違ったと気づいた時は思いきり凹んだけれど、夫君が後のは観れるんじゃない?と、励ましてくれたおかげでとにかく行ってみようということになり、途中からなんとか観られました。休憩時間に席に着いて「鬮罪人(くじざいにん)」は楽しかったです。夫君は、萬斎さんの話が聞けなかったのが残念だったみたいです。私は万作さんの「三番叟」をちゃんと観たかった(泣)。

「三番叟」
 モニターだと遠くからの映像だし、小さくなっちゃうんですけれど、でも、なんか万作さんの「鈴之段」を観てたらやっぱり親子だなって思いました。確かに受け継がれているものみたいなのを感じました。遠くからの映像だったから、かえって全体の印象から似ているものを感じ取ったのかもしれません。

「鬮罪人」
 萬斎さんの太郎冠者、石田さんの主人のコンビは以前「野村狂言座」で観たのと同じ配役です。この役の雰囲気は、なんか同じ配役での「止動方角」に似ているような気がします。
 綺麗なスカイブルーの肩衣で出てきた太郎冠者萬斎さんは、なんか息子の裕基くんを思わせて可愛らしい。これで40歳とは思えない。だんだん若返っていくのか〜(笑)
 祇園会の山鉾の出し物について、町衆と相談しているところに、主人に「しゃしゃり出るな」と言われているにもかかわらず、ついつい口を出しては怒られて逃げる太郎冠者がなんとも可愛い。
 出てくる時に勢い余って座ったままツーっと滑り、ホールの舞台上にしつらえた能舞台から前についた手がはみ出していたのはご愛嬌。こらこら能楽堂だったら舞台の正面から転げ落ちてたぞ(笑)。
 結局、太郎冠者の案を聞いてみようという町衆の声に、苦々しく思いながら従う主人ですが、地獄の鬼が罪人を責めるところを囃子ものにのってやろうという太郎冠者の案に皆が賛成してしまったので、めでたい祭りに鬼が罪人を責めるような不吉なものはどうかと言う主人も渋々応じることとなり、くじ引きで決まった配役がなんと、主人が罪人、太郎冠者が鬼。苦虫を噛み潰したような表情の主人に、初めは恐る恐る責めていた太郎冠者も、扮装をして稽古をするうち、日頃の鬱憤をはらすようにだんだん調子にのっていくのが面白い。最後にはとうとう怒った主人に追いかけられて逃げていくのですが。

 この演目を最初に観たのは萬さんの太郎冠者、与十郎(現・万蔵)さんの主人の配役でした。その後「野村狂言座」で、萬斎・石田コンビで観ました。
 萬さんの太郎冠者は、町衆が太郎冠者の意見を聞くのも納得するような説得力があり、しゃしゃり出てくるところも、あの〜ちょっと、ちょっとという感じで面白い。
 今だから正直言って、あの演技を観た後で萬斎太郎冠者を観たときはオーバー気味の表情や動きが鼻について、面白いけれど納得いくものではありませんでした。しかし、ちょっと考え方を変えてみたのです。今の萬斎さんは、まだ味で勝負をするのは無理というのを解っている。だから、「時分の花」を最大限に生かした、今の彼しかできない太郎冠者で見せているのです。これは、若いうちしかできない太郎冠者でしょう。きっと、歳をとったら、また違う「鬮罪人」の太郎冠者を見せてくれると思います。
 人それぞれ好みも違うでしょうが、今が最高でもないかもしれないけれど、今しか観れないものかもしれない。ふと、そんなことを考え、今回もう一度観てみようと思ったわけです。 おかげで、とっても楽しめました。