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能楽鑑賞日記

2014年1月31日 (金) 新春名作狂言の会
会場:新宿文化センター大ホール 19:00開演

トーク:茂山正邦、野村萬斎

「宗論」
 浄土僧:茂山七五三、法華僧:茂山正邦、宿屋:茂山茂   後見:井口竜也

「止動方角」
 太郎冠者:野村萬斎、主:石田幸雄、伯父:野村万作、馬:飯田豪
                             後見:内藤連、中村修一

 毎年、大蔵流茂山千五郎家と和泉流野村万作家の狂言が一度に観られて、トークも面白いし、お値段もリーズナブルとお得感いっぱいのこの会は、今は回数を絞ろうとホール公演はなるべくパスしてる私もなかなか外せません。
 いつものように、最初に茂山家から登場、今回は正邦さんのトークです。「今までは、爺さんの千作が来てましたが、去年死にまして。」と、あまりにサラっと何食わぬ顔で言うから、思わず笑ってしまう。千作さんは、76歳(?)くらいから来てたので、京都から来るのも大変で、あまり動かない短い演目が多く、第1回目からやり直してもあまり変わり映えがしないし、代替わりして千五郎がやることになったので、今までやっていない「宗論」をやることになったそうです。
 ところが、その千五郎さんが階段から落ちて足の骨にヒビが入る怪我をして、それで本日は七五三さんがピンチヒッターです。それより前に、茂さんが椎間板ヘルニアで休演していて、やっと復帰したその日に千五郎さんが階段から落ちたとか。正邦さん去年前厄だったそうで、「これが厄か」と思ったそうです(笑)。
 さて、「宗論」では、鎌倉時代の二大宗派で、日頃から対立している浄土僧と法華僧を柔と剛に対比させていること、いがみ合っていた二人が最後に謡い和解する謡について「過去、現在、未来と名は変わっても、仏は同じ一つのもの」と説明がありました。
 ここで、萬斎さんを呼び入れて二人のトーク。正邦さん、貫禄つき過ぎで(笑)、ただでさえ若く見える萬斎さんと並ぶと、どう見ても年上に見えちゃいます。今回は、「宗論」が50分「止動方角」が40分と長いので、トークは短めとのこと。
 萬斎さんが、「宗論」の見どころについて、大蔵流も同じか確認。有難くて涙を流す随喜の涙が、違う芋茎(ずいき)になったり、坊さんが食べ物の話ばかりしている(笑)(大蔵流も和泉流も「宗論」はほとんど変わりません)。
 演目の時間が長くてトークは短めでも、恒例の小舞ははずせないということで、すぐに小舞の競演に。
 今日の小舞は「柳の下」、万作家では、最初に謡として習う物だそう、千五郎家では必ずしも最初ではないけれど、茂さんのデビューはこれだったそうです。子供の謡にしては意味深。萬斎さん「ロリータ・ホモセクシャル」って、そこまで言っちゃうか、それも嬉しそうに(苦笑)。
 30分前にちょっと打ち合わせしただけで、それも謡だけ、それで舞はぶっつけ本番で合わせます。
 舞い比べてみれば、同じ謡でこんなに違うか、と思うくらい違いますが、それがまた面白い。萬斎さんも言ってましたが、万作家は初めての舞ということで、謡いに集中させるため、あまり動かないけれど、茂山家の方はよく動く。
 小舞の後、正邦さんが準備のために退場。準備が済むまで、萬斎さんが「止動方角」の大まかなあらすじと分かりにくい語句の解説。馬が出てきますが、歌舞伎の馬と比べるとかなりガッカリします。狂言では四つん這いになるだけ、馬も牛も同じ。賢徳という目が離れて外側を向いた面をかけます。馬も牛も目が横についているからだそうです。鬣(たてがみ)の代わりに黒頭という髪をつけ、その面と黒頭が馬を表す記号で、手綱や轡や鞍などはちゃんとつけていますが、見た目は全く馬には見えません。馬に乗るのも横から見ると、ただ人が後ろからついて行くだけ、でも正面から見ると人馬一体に見えるから不思議(笑)。終始歩き続けるので、体力がいる役ですが、今日の馬は頑丈そうだから大丈夫でしょうとのことでした(笑)。

「宗論」
 京都本国寺の僧(法華僧)が身延山からの帰り道、善光寺帰りの東山黒谷の僧(浄土僧)と道連れになりますが、互いに犬猿の仲の宗派と知って驚き、法華僧は口実を設けて別れようとしますが、浄土僧はいたぶってやろうと離れようとせず、宗祖伝来と自称する数珠をいただかせあって争いはじめます。法華僧が宿に逃げ込むと浄土僧も追って入り、今度は宗論を始めますが、法華僧が「五十展転随喜の功徳」を芋の芋茎と解釈して説くと、浄土僧も「一念弥陀仏即滅無量罪」を無量(たくさん)の菜と珍解釈して説き、互いにけなしあって勝負がつかず、二人とも寝てしまいます。翌朝、浄土僧が読経をしていると、法華僧も勤行を始め、互いにだんだんと声が大きくなって、ついに踊り念仏、踊り題目の張り合いになりますが、そのうちお互いの念仏と題目を取り違えてしまいます。そこで釈迦の教えに隔ての無いことを悟った二人は和解します。

 茂山家の「宗論」、文句なく面白かったですねえ。七五三さんの浄土僧は、意地悪そうで、のらりくらり、直情型でムキになる正邦法華僧をいたぶるのが楽しくてしかたなさそう。二人の張り合いがが最高に面白かったです。

「止動方角」
 主人は茶比べのため、茶のほか太刀や馬まで伯父から借りて来るように太郎冠者に命じます。伯父は快く貸してくれますが、この馬は咳をすると暴れ出す癖があるから、その時は「寂蓮童子六万菩薩(じゃくれんどうじろくまんぼさつ)鎮まりたまえ止動方角」と呪文を唱えて鎮めるように教えます。太郎冠者が帰路につくと、待ちかねた主人が「遅い」と叱りつけて馬に乗りますが、太郎冠者が咳払いをすると暴れ出して主人を落し、太郎冠者が呪文を唱えて乗ると静かになります。腰をしたたかに打った主人は、馬に乗りたくないと言うので、太郎冠者が馬に乗り、かねがね主人が立身した時に自分も人を使うようになるかもしれない、その時の稽古にと言い、主人も自分の立身(出世)を考えてと言う言葉に気を良くして、ちょうど人通りもないので、立場を代えてみることにします。すると、太郎冠者は自分がやられたように主人を叱って仕返しをするので、怒った主人が太郎冠者を突き落として馬に乗ると、また太郎冠者は咳払いをして主人を落馬させますが、馬と間違えて主人を乗り鎮めてしまい、怒った主人に追い込まれてしまいます。

 萬斎さん絶好調の太郎冠者、いつもホンワカ大らかな主人が上手い石田さんもこの主人は怖〜い主人。ケチで厳しい主人に仕える太郎冠者が苦労して伯父さんからお茶ばかりでなく馬や太刀まで借りてやっと帰ってきたのに、労うでもなく怒るばかりじゃ太郎冠者もむくれるわ。馬のクセを利用して、これ幸いと主人に仕返しする太郎冠者、うまく言いくるめて主従関係を入れ替え、それでも怖い主人の顔色を窺って顔を隠して縮こまったりしながらも、段々調子に乗ってくる。ビビったり、むくれたり、してやったりという萬斎太郎冠者の百面相も面白い(笑)。
 石田主人とは、全く違って万作伯父の大らかで人の良いこと。それにしても、太郎冠者を帰す時に、「今まで沢山貸しているが、返してもらったことがない。今度は必ず返してくれよ。」と言うのには思わず笑っちゃう。どこまで人が良いのやら、それならもう懲りてもいいはず。
 今回、飯田さんの馬役は初めて観ますが、四つん這いで歩き回ったり、留まっていても常に足踏みしているし、確かに体力がいって大変な役だわwやっぱり若くないと出来ないわね(笑)。
 今年の正月も楽しく大笑いで〆られました。
2014年1月16日 (木) 第65回野村狂言座
会場:宝生能楽堂 18:30開演

解説:石田幸雄

素囃子「神舞」
 大鼓:柿原光博、小鼓:鵜澤洋太郎、太鼓:小寺真佐人、笛:藤田貴寛

「餅酒」
 越前の百姓:野村萬斎、加賀の百姓:中村修一、奏者:月崎晴夫   後見:内藤連

「宝の槌」
 太郎冠者:野村万作、主:深田博治、すっぱ:内藤連    後見:飯田豪

「岡太夫」
 聟:高野和憲、舅:石田幸雄、太郎冠者:月崎晴夫、妻:竹山悠樹  後見:中村修一

 岡さんが、体調不良とのことで、「餅酒」の後見が内藤さんに、「岡太夫」の太郎冠者が月崎さんに代わりました。

 今回の解説は石田さん。まあ、慣れた解説なので、安心して聞いてられますが、マイクの入りが良くないのか、石田さんもマイクモードで話しているので、最初、ちょっと聞きとりにくかったです。
 今回は、正月らしくおめでたい曲を選んだそうです、能の『翁』と一緒に脇狂言としておめでたい「末広かり」が演じられることが多いですが、「餅酒」も脇狂言の一つだそうです。同じような脇狂言の「佐渡狐」は笑いも多くドラマティックな展開ですが、「餅酒」は笑いよりもめでたさが強調された曲とのこと。
 「宝の槌」は、太郎冠者がすっぱに、「何でも出て来る打出の小槌」を買わされますが、ただの太鼓の撥なので、何も出てきません。でも、信じ切っている太郎冠者は主人の前でなんとかしようと一生懸命になります。「月氏国にカッタリ、カッタリ」という呪文に出て来る「月氏国」は古代中国の名馬の産地らしいです。
 「岡太夫」は、めったにやらない曲で、何故やらないかというと、あまり面白くないからですって、身も蓋もないwww。この間、「善竹富太郎の会」でもやりましたけどね、そんな面白くない曲でもなかったですよ。

 素囃子「神舞」
 テンポのいい勢いのある曲です。鵜澤洋太郎さんの小鼓がお気に入り。

「餅酒」
 加賀の国のお百姓と越前の国のお百姓が、都へ年貢を納めに行く途中、道連れになります。二人は領主の館に、それぞれ菊の酒と鏡餅を納めた後、年貢の品に関連づけた和歌を詠むよう命じられ、見事に詠んで、褒美として万雑公事(まんぞうくじ・・・年貢以外の税金)を免除されることになりますが、喜びすぎて騒がしいと叱られてしまい、今度は、大きな歌を詠むよう命じられます。これも見事に詠んで褒められた二人は、盃まで頂戴し、喜びながら国へと帰るのでした。
 初見です。まさに正月らしい、おめでたい曲。本当は大晦日に年貢を納めるのが、大雪で行けなくなり年が明けてからになってしまったのも、年を越して時間が繋がってめでたいと最後に二人で連れ舞を舞います。出てきた時の雰囲気は、中村くんは、まだ硬さがあるせいか、垢抜けた感じで、あまりお百姓さんという雰囲気ではありませんが、萬斎さんの方がその点はやっぱり練れてるかな。でも、中村くんのお百姓は雰囲気どおり教養があって和歌のたしなみもありますが、萬斎お百姓は和歌を知らない。しかし、そこで失敗してドタバタするわけじゃなく、初トライで成功して謡い舞いで〆、ひたすらおめでたくて正月らしい。

「宝の槌」
 主人から、宝競べに出す宝物を買い求めてくるよう命じられた太郎冠者は、都ですっぱに騙され、ただの古い撥を、鎮西八郎為朝が鬼ヶ島から持ち帰った打出の小槌だと言って売りつけられます。太郎冠者は、さっそく主人の前で馬を出そうと、すっぱに教えられた「月氏国(がっしこく)にカッタリ、カッタリ」という呪文を唱えながら太鼓の撥を振りますが、もちろん馬など出てきません。窮した太郎冠者は、主人が出世して家を新築する音がカッタリ、カッタリと聞こえると、言ってめでたくとりなして機嫌を取り結びます。
 すっぱに簡単に騙されて、主人の前で一生懸命馬を出そうと撥を振る太郎冠者。ただの古い太鼓の撥を見ても不審に思わない主人も主人(笑)。いくら振っても出てこないので、先を覗き込んだり、叩いてみたりと、万作太郎冠者の悪戦苦闘ぶりが何とも可笑しくて可愛らしいです。

「岡太夫」
 最上吉日なので、花聟が聟入りの挨拶のために舅宅を訪れます。盃事が済んだ後、舅は聟に蕨餅を出し、蕨餅は岡太夫とも呼ばれ、朗詠の詩にも出て来るもので、娘も作り方を知っていると教えます。蕨餅がすっかり気に入った聟は、帰宅早々妻に作らせようとしますが、どうしても思い出せず、朗詠の詩にでてくることを思い出して、関係のありそうな詩を妻に挙げさせますが、なかなか目指す名前に辿り着かず、いらだった聟は妻に手をあげてしまいます。するとその時、妻が「紫塵のものうき蕨人手を挙る」と吟じたのでやっと思い出し、仲直りします。
 高野聟さんの物忘れの酷さと天然ぶりがなんとも可笑しい。蕨餅がえらく気に入って美味しそうにいくつも食べちゃったあげく、名前を聞いた端から忘れてまた聞き返す聟さんに、石田舅はイラつく感じも無く、なんとも大らか。
 しかし聟さん、家に帰るともう名前が思い出せない。おバカ聟さんに対して、竹山妻は難しい詩をスラスラと諳んじるくらい教養があるんですが、聟さんの物忘れの酷さにちょっと妻もキツイ口をきいちゃうし、なかなか出てこない名前にいらついて妻にあたる聟。最悪の結末と思いきや、夫の暴力に詩で返した妻の言葉にやっと名前を思い出してめでたし、めでたし。高野さんのおバカ聟ぶりはとっても面白かったですよ。
2014年1月5日 (日) 萬狂言冬公演
会場:国立能楽堂 14:30開演

連吟「雪山」
 野村萬、野村虎之介、野村拳之介、野村眞之介

解説:小笠原匡

「鍋八撥」 浅鍋売:野村万蔵、羯鼓売:野村太一郎、目代:野村万禄
      笛:藤田貴寛

「酢薑」 酢売:野村萬、薑売:小笠原匡

「蝸牛」 山伏:野村万禄、主人:吉住講、太郎冠者:野村万蔵

 連吟は、野村万蔵家で正月の謡初めに謡われるという祝言の曲「雪山」。萬さんと三人のお孫さんが謡いました。末っ子の眞之介くんは、まだ子供の声ですが、上の二人は低い大人の声で、長男の虎之介くんの謡の声が万蔵さんにそっくりになってきているのにビックリ、親子ですねえ。

 連吟の後に解説という珍しいパターン。連吟の四人が切戸口から退場すると、入れ違いに小笠原さんが切戸口から登場。慣れた様子で分かりやすい解説をしてくださいました。
 正月ということで、今日の演目はおめでたい曲だそうで、「鍋八撥」の浅鍋は、わさ鍋とも言い、大ぶりの平たい土器で、焙烙(ほうろく)割りと言って、浅鍋を割って厄除けとするという行事があり、おめでたいことなのだそうです。
 「酢薑」では、薑売りと酢売りがそれぞれの「カラい」「スっぱい」にかけて秀句(しゃれ)で勝負をし、最後は仲良く笑い留めとなる曲。薑(はじかみ)は現在では生姜のことですが、昔は山椒のことを言い、粒山椒のピリッと辛いことから薑は「カラい」にかけたわけです。
 「蝸牛」は、昔の人は、エスカルゴのようにニンニクバターで食べたわけではなく、薬として煎じて飲んだのだそうです。祖父の「寿命長遠のため」と言うめでたい理由。

「鍋八撥(なべやつばち)」
 所の目代が、新しい市をたてるのに際し、一の店についたものを市の代表者にし、免税するという高札を立てます。高札を見て一番乗りした羯鼓売りは、夜明けまで間があるので、一眠りして待つことにします。そこへ現れた浅鍋売りも一番乗りのふりをして羯鼓売りの前で寝ます。朝になり目覚めた二人は先着争いで口論をしていると、目代が仲裁に入って、各々の商売道具である羯鼓と浅鍋を使って勝負することになります。まず、羯鼓売りが棒を巧みに振ってみせたので、浅鍋売りも鍋を振りますが、落としそうになり、次に羯鼓売りが羯鼓を打ちながら舞うと、浅鍋売りも鍋を腹に括りつけて舞います。ところが、羯鼓売りから借りた撥で鍋を割りそうになったため、撥を杉の葉に持ち替えて、二人で相舞になります。羯鼓売りが体を水車のように回転させながら入っていくのを浅鍋売りも真似しますが上手くいかず、倒れて腹ばいになり鍋が割れてしまいます。しかし、浅鍋売りは割れた鍋を見て、数が多くなって目出度いと喜びます。
 太一郎くんが羯鼓売り、羯鼓を付けて舞う用意をする時にちょっと手間取っていたようで(脇正からだと後ろ向きになって見えない)、目代の万禄さんがアドリブで「ちと手伝ってまいろう」と手伝っていました(笑)。
 太一郎くんが水車で幕入りすると拍手、万蔵さんが割れた鍋を見て「数が多なって目出度い」と言うと拍手、和やかな笑いに包まれ、拍手も自然発生的に起こり、舞台のじゃまになることもなく、とても楽しい空気感でした。

「酢薑(すはじかみ)」
 津の国の薑売りが都に上り商売をしようとすると、和泉の堺の酢売りがやってきて、目の前で酢を売り始めます。薑売りは、自分に礼をつくさなければ商売させないと言い、薑の由緒正しさを語ります。酢売りも負けじと由緒を語るので決着がつかず、都までの道中、秀句を言い合って勝負することにします。しかし、両者とも巧みな秀句を言うので、とうとう決着はつかず、酢と薑は縁のある食物だから今後は仲良くすることにし、笑って別れます。
 薑の「カラい」と酢の「スっぱい」にかけ、薑売りは「カラ」、酢売りは「ス」を盛り込んで道々目に触れるものをあげては秀句を言い合います。後半はテンポの良い掛け合いとなって、競争というより互いの秀句を楽しんで笑いあったり、次第に和気藹々とした雰囲気になってくるので、観ている方もほっこりとした気分になります。
 萬さんの巧みな話術を小笠原さんもしっかり受けて、いい雰囲気を出していました。

「蝸牛(かぎゅう)」
 山伏が、長旅で疲れたので藪の中で休んでいると、そこへ主人から、祖父の寿命長遠の薬にするカタツムリを取ってくるよう命じられた太郎冠者がやってきます。カタツムリを見たことが無い冠者が、主人に教えられた、藪にいることと、その姿形の特徴をたよりに探していると、寝ている山伏を見つけます。さっそく起こして、もしやカタツムリではないかと尋ねてみると、面白がった山伏は、太郎冠者の言う特徴にことごとく合わせてみせます。喜んだ太郎冠者が一緒に来てほしいと頼むと、山伏は囃子物がないと動かないと言って太郎冠者に囃子物を謡わせます。二人が囃子物に浮かれていると、あまりに太郎冠者の帰りが遅いので迎えに来た主人に見つかります。主人は太郎冠者を叱りますが、囃子物に熱中している太郎冠者には、その声が耳に入りません。いったんは事情を理解してもすぐ囃子物に我を忘れてしまい、ついに主人までが巻き込まれ、三人とも浮かれ出してしまいます。
 今回は、目出度く楽しい浮かれ留め。万禄さんの山伏と万蔵さんの太郎冠者が浮かれる様子が楽しそう。万蔵さんのちょっとヌケた太郎冠者の雰囲気が良かったです。