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能楽鑑賞日記

2014年5月25日 (日) 第15回大藏流狂言吉次郎狂言会
会場:国立能楽堂 14:00開演

「宝の槌」
 太郎冠者:善竹忠一郎、主人:大藏千太郎、すっぱ:大藏基誠   後見:榎本元

「六地蔵」
 すっぱ:善竹十郎
 田舎者:大藏基誠
 すっぱ:善竹富太郎
 すっぱ:善竹大二郎
     後見:野島伸二

「靭猿」
 大名:大藏教義
 猿曳:大藏吉次郎
 太郎冠者:宮本昇
 小猿:大藏ゆき
    後見:大藏基誠、上田佳輔
       助吟:大藏千太郎、善竹富太郎、善竹大二郎、榎本元

「宝の槌」
 果報者の主人は宝比べのために、太郎冠者に宝を求めてくるよう命じます。太郎冠者は都へ上ると、すっぱが現れ、太鼓の撥を何でも打ち出す「打出の小槌」だと言い、太郎冠者が呪文を唱えて撥を振るうと小刀が出てきたように自分の小刀を後ろから投げ出して騙し、すっかり信じた太郎冠者は大金を出して買ってしまいます。帰宅後、早速、主人の前で馬を打ち出そうとしますが、いくら呪文を唱えて撥を振っても馬は出てきません。窮した太郎冠者は、呪文の「カッタリ、カッタリ」を、主人が出世して新築の家を建てる音がする、ととりなして機嫌を取り結びます。
 すっぱは、出演予定だった彌太郎さんの代わりに基誠さんが代役として出演しました。
 すっぱが打出の小槌だと偽って小刀が出てきたように見せかけるところや馬が出てきたと思って主人が太郎冠者にまたがってしまうところなどが笑ってしまいます。忠一郎さんは、おっとりした感じの太郎冠者なので、萬斎さんなどがやる太郎冠者とは大分雰囲気が違います。最後は、馬が出てこなくても目出度いと主人が満足してしまうなんて、まあ寛大な主人だこと。祝儀性の強い曲なので、めでたし、めでたし、大らかで良いです。

「六地蔵」
 田舎者が辻堂に安置する六体の地蔵を買おうと都にやってきます。しかし、仏師の居所を知らないため、仏像を買おうと声高に尋ねていると、それを見たすっぱが声をかけ、自分が正しい仏師の系統を継ぐものだと言って、明日までに六地蔵を作る約束をして別れます。すっぱは仲間二人を呼んで三人で六地蔵に化けて田舎者を騙すことにします。翌日、田舎者が受け取りに行くと、因幡堂の後堂と脇堂に3体づつ置いてあるとのこと、しかし、印相が気に入らないので、仏師に手直しを頼みますが、なかなか思うようにならなりません。何度も繰り返すうちに、とうとう偽地蔵であることがバレてしまいます。
 和泉流だと仲間が3人登場し、すっぱは地蔵には化けませんが、大藏流では、すっぱも地蔵に化けるので、さらに忙しい(笑)。すっぱの十郎さんが、だんだん疲れて、もうヘロヘロな感じになってくるのが余計可笑しくて大笑いでした。

「靭猿」
 太郎冠者を供に狩りに出た大名が猿曳に出会い、猿の皮をうつぼにするから猿を譲れと言います。猿曳が断ると、小猿もろとも射殺すと脅され、猿曳は泣く泣く小猿の急所を打つことにしますが、小猿は打杖を取って櫓をこぐ芸をします。そのいじらしさに猿曳が殺しかねて泣き伏すと、大名も哀れに思って命を助けることにします。猿曳は小猿の命を助けてくれた御礼に猿を舞わせると、大名は褒美に扇や小刀、衣服を与え、興にのって、一緒にめでたく舞い納めます。
 小猿ちゃんは教義さんの長女のゆきちゃん(5歳らしい)。親子3代の「靭猿」です。教義さんの大名は最初は結構迫力の怖さで迫りますが、後からはデレデレ。最後に孫をおんぶして立ち上がる吉次郎さんがちょっと大変そうでした。でも、やっぱり小猿ちゃんの可愛さにはかないません(^^)。
 和泉流と違って、猿歌の時に後ろに地謡が出てきて謡い、大名の装束も「替装束」で狩りの華やかな出で立ちとなって、めでたく賑やかで華やかでした。
2014年5月6日 (火・祝) 狂言解体SHOW!!
会場:紀伊国屋ホール 14:30開演

「濯ぎ川」
 男:茂山あきら、女:鈴木実、姑:茂山千三郎        後見:島田洋海

狂言解体SHOW!!
「呼声」
 太郎冠者:茂山逸平、主人:山下守之、次郎冠者:井口竜也   後見:鈴木実
解説者:網本尚子(東京富士大学教授)、土田英生(劇作家・演出家/MONO代表)
    茂山宗彦
司 会:茂山童司

「素襖落」
 太郎冠者:茂山千五郎、主人:茂山正邦、伯父:茂山七五三   後見:島田洋海

 紀伊国屋ホールに入ると、チケットのもぎりに逸平さんと正邦さんが立ち、プログラム配りに童司さん、グッズ売り場に茂さん、SOJA会員のスタンプ押しには宗彦さん、その隣に千五郎さんと七五三さんが控えて、茂山家メンバー総出でお出迎え。ロビーで出演者の写真を撮るのも自由、千五郎さん七五三さんもお客さんと一緒ににこやかに写真におさまっていました。お客さんも気軽に声をかけたり、気取らない雰囲気が茂山家ならではです。
 会場に入ると、逸平さんが放送。携帯電話などの注意事項の他、入口で渡したチラシに自分の公演が入ってなかったと、「逸青会」の宣伝を3回も繰り返したり、ライブ配信のため、会場にパソコンが置いてあるのを、「パソコンが放置してありますが、いじったり蓋を閉じたりしないように、放置しておいてください。」などと、面白い放送。

「濯ぎ川」
 毎日、嫁と姑にこき使われている養子の男は、この日も裏の川へ洗濯に行けと言いつけられ、洗濯をしていると、まだ時もたたぬうちに、嫁と姑が代わる代わるやってきては、次々と用事を言いつけます。あまり用事が多いので、忘れぬよう紙に書きつけてくれるように言うと、嫁と姑は、朝から晩までの用事を次々と文にしたため、聟に渡します。男は、紙に書いてないことはしなくて良いという約束を取り付けると、洗濯していた小袖を川に流し、それを取ろうとした妻が川に落ちてしまったので、姑は早く助けろと急かします。しかし、男はゆっくり紙を読み直し、書いてないことはしなくて良いはずと応じません。姑は今までのことを詫び、助けてくれと頼むので、男はこれからは自分を立てるように姑に約束させて妻を引き上げますが、助けられた妻は助けるのが遅いと怒って夫を追いかけ、残された姑は恨めし気に紙を破り捨てます。
 フランス中世のファルス「洗濯桶」をヒントに飯沢匡さん作で新劇用に書かれ、昭和28年に武智鉄二さん演出で新作狂言として茂山千五郎家が演じたものだそうです。以後、茂山家で度々上演されていますが、すっかり古典といってもいいほど馴染んでいて、何度観ても面白い曲です。
 今日はあきらさんが夫役、妻は鈴木実さんで、この配役は初めて観ます。姑役はやっぱり千三郎さんがハマリ役です。
 あきらさんの気弱だけど意外としたたかな夫と鈴木さんのわわしすぎる妻もなかなかハマった良いコンビで、あきらさんには、以前やった姑(他の演目の老女だったかも?)より、この夫役のほうが合っている感じでした。

「呼声」
 無断で旅に出ていた太郎冠者が、こっそり帰宅していると聞き、怒った主人は次郎冠者を伴って太郎冠者の家に行くと次郎冠者に呼び出させますが、主人の用と悟った太郎冠者は、居留守を使って出てこようとしません。今度は主人が声を代えて呼び出しますが出てきません。そこで、平家節や小歌節を使って代わる代わる呼び出すと、太郎冠者も同じ節回しで留守だと応えます。しだいに興にのって今度は踊り節。浮かれた調子になると、太郎冠者も我慢が出来ずに踊り出てきて、踊る二人に挟み打ちされ、居留守の嘘がバレてしまいます。
 今回のメインイベント狂言解体SHOW!!。童司さんが司会となって、能舞台の脇正面に当たる舞台上に解説者として土田英生さん、網本尚子さん、宗彦さんが緋毛氈を敷いた縁台に並んで座り、狂言を演じている横でストップをかけて解説したり、疑問を投げかけたり、その間、演者は中腰のままだったり、片足上げたままだったり、わざとやってるでしょって感じ(笑)。特に次郎冠者役の井口さんはキツイ態勢が多かった。
 後見はどういう役割なのかとか、太郎冠者が最初から橋掛かりに座っているのに見えているのに見えないお約束とか、網本さんが和泉流と大蔵流の違いを話したり、中には宗彦さんが散々もっともらしく解説してたのが、土田さんが「本当ですか」と感心したら「ウソです」なんて、オイオイ。網本さんも「メモしようかと思った」と、皆すっかり騙されて爆笑。片足上げて止まる態勢では、後見の鈴木さんが出てきて逸平さんの片足を下から支えたり、土田さん「後見が働いてる」(笑)。
 終わってから網本先生が違う向きから見たいとか、学生に教える時はビデオを巻き戻したりすると話すと、さっそく土田さんと宗彦さんが、今度は巻き戻しもやってみようと言いだす始末。次回またやるときはきっと巻き戻しも入って演者はもっとキツイでしょうね。
 舞台が終わった逸平さんを呼んで感想を聞くと「長い!!」と一言。普通は15分の曲が30分くらいかかってましたからね。ご苦労様でした。観てる方は、面白くて大笑いでしたが。こういう企画は茂山千五郎家でなきゃ思いつかないでしょう。

「素襖落」
 急に伊勢参宮を思い立った主人は、かねてより同行を約束していたので、一応伯父を誘っておこうと太郎冠者を使いにやることにします。そして、餞別をもらうと土産物が大変だから、伯父に聞かれても、まだ供は決まっていないと言うようにと命じます。太郎冠者が伯父の家に行くと、伯父は急なことなので断りますが、太郎冠者が主人の供をするであろうと察して、門出の酒をふるまいます。だんだん酔いの回ってきた太郎冠者は、伯父を誉めそやし、主人の悪口をさんざんまくし立てる始末。餞別に素襖までもらって上機嫌で帰路に着くと、迎えに出た主人と出会い、酔った太郎冠者は調子に乗って謡を謡い、動き回るうちに隠していた素襖を落としてしまいます。それを拾った主人は、あたりを探し回る太郎冠者をからかって、その目の前に素襖を突き付けます。あわてて主人から素襖を取り戻した太郎冠者は、叱られて逃げて行きます。
 これも千作さんがよく太郎冠者をやっていたのを思い出す、とても面白い曲です。今回は、台詞回しや間の取り方など、千五郎さんが千作さんにそっくりになってきたので驚きました。昔よりずいぶん柔らかい感じになって、酔っ払いぶりも堂に入った感じ(笑)。やっぱり親子ですね〜。なんか、歳を重ねて味が出てきたなあと思いました。七五三さんの伯父との掛け合いも正邦さんの主人ぶりも合っていて、やっぱり面白かった。
2014年5月3日 (土・祝) 能と狂言「人間国宝の競演―友枝昭世と山本東次郎の至芸―」
会場:川崎市麻生市民館ホール 14:00開演

演目解説:馬場あき子

「武悪」
 主:山本東次郎、太郎冠者:山本則俊、武悪:山本則重

『八島』弓流・語那須
 シテ(漁翁・源義経の霊):友枝昭世
 ツレ(若い漁夫):大島輝久
 ワキ(旅僧):宝生欣也
 ワキツレ(従僧):舘田善博
 ワキツレ(従僧):則久英志
 アイ(塩屋の主):山本東次郎
    笛:松田弘之、小鼓:森澤勇司、大鼓:大倉慶乃助
      後見:中村邦生、粟谷浩之
         地謡:香川靖嗣、長島茂、狩野了一、友枝雄人
             金子敬一郎、内田成信、友枝真也、塩津圭介

アフタートーク:馬場あき子、友枝昭世、山本東次郎

 最初に馬場あき子さんによる解説。先に能『八島』の解説から、歌人なので、能の謡の内容についての解説もあり、歴史的背景の話もあり、後で能を観る時の内容理解にとても役に立ちます。前場で漁翁が語る三保谷と景清の錣引の話と義経をかばって矢に当たった継信と平家の寵童菊王丸の最期を哀れんで互いに合い引きに兵を引いたことの話、後場最後の敵と思ったのは群れいるカモメ、鬨の声と思ったのは浦風ばかりであったという部分に、勝った者の胸中に去来する虚しさを感じること。
 「武悪」については、まず「武悪」の名について、武芸に秀でて、悪は強いという意味があること。武悪は自分の家を持ち妻子もいて通っている召使いで、太郎冠者は住み込みの召使い。中世の大名は江戸時代の大名とは違って、大地主で田をたくさん持っていて大きな屋敷に召使いを10人も15人も使っている人のこと。下剋上の時代なので、武悪が成上って田をとられるかもしれないという不安があったこと。また、「武悪」の主人は強面の部分と父親のことを思う人情味のある部分があることなどお話がありました。

「武悪」
 度重なる武悪の無奉公についに堪忍袋の緒を切った主人は、武悪を討てと太郎冠者に命じます。しかたなく出かけた太郎冠者でしたが、どうしても親友の武悪を切ることができず、主人の目の届かぬ所へ行けと武悪を逃がします。まんまと武悪を討ちましたとの報告に胸のつかえが下りた主人は、太郎冠者を供に東山へ遊山に、一方命拾いした武悪は清水の観世音へのお礼参りに出かけ、鳥辺野でばったり会ってしまいます。またまた太郎冠者の機転で、武悪は幽霊となって主人と対面します。そこで、武悪はあの世で主人の父親に会ったといい、その注文だと言って、太刀・小刀・扇を受け取り、さらに冥途に広い屋敷があるからお供をしようと、主人を脅して追って行きます。

 先日、和泉流の「武悪」を観たので、いくつか違いが分かって面白く観ました。
 前段の凄い緊張感、主人の東次郎さんの凄み、迫力が半端なかったです。太郎冠者の則俊さん、武悪の則重さんを何度も後ろから切ろうと仕掛ける緊張感もあり、また万作さんが仰っていた、大蔵流では武悪が肩衣を脱いで、太郎冠者の方に寄って来て太郎冠者がたじろぐような迫力があると言うのも感じました。また、和泉流では、武悪を討ったと聞いて主人は弔いに東山へ行くのですが、大蔵流では、胸のつかえが取れてホっとしたので遊山へ行こうと言うのです。主人冷たいなというか、そんなに武悪を恐れていたのかと思いました。
 鳥辺野で武悪を見咎めた主人が遮る太郎冠者の陰からつま先立ちで見ようとする場面はありました。先日、万作さんが千作さんが面白いからやりたがったという話をされていたので、大蔵流には元々は無かったのが取り入れられるようになったのか、家によって違うのか?
 幽霊に化けた武悪と主人が対面する場面で、東次郎さんが腰を抜かしたり、どもったり、主人の慌てっぷりが和泉流より大きくて意外、すごく面白かったです。前段の強面の迫力とのギャップがより大きく感じられました。

『八島』弓流・語那須
 春の夕暮れ、西国行脚の途中で讃岐の国(香川県)屋島の浦を訪れた都の僧が、一夜の宿を乞おうと無人の塩屋に立ち寄り、主の帰りを待っていると、漁翁と若い漁夫が釣りを終えて帰ってきます。僧一行が一夜の宿を乞うと、一度は粗末なのでと断りますが、都の者と聞いて懐かしがり、中へ招き入れます。そして漁翁は、僧の求めに応じて屋島での源平合戦の模様、義経の大将ぶり、景清と三保谷の錣引、佐藤継信と菊王丸の壮絶な最期などを物語ります。僧は、そのあまりにも詳しい物語に不審を抱き、名を尋ねると、漁翁は夜の明け方、修羅の時に名乗ろうと言い、義経の亡霊であることをほのめかして消え失せます。
 僧が茫然としていると、そこへ所の者がやってきて、そこにいる僧を咎めます。僧は、その者が本当の主だと知り、屋島合戦の物語を所望します。語り終えた塩屋の主は、僧の話から、先ほどの漁翁は義経の霊であろうと判断します。
 その夜、僧の夢の中に甲冑姿も凛々しい義経の霊が現れ、屋島の合戦で波に流された弓を敵に取られまいと、命を賭して取り戻した「弓流し」の有様を再現し、修羅道での絶え間のない闘争ぶりを見せたかと思うと、夜明けとともにその姿はなく、浦風が聞こえるばかりでした。

 前場の漁翁の語りも仕方語りで動きもあり、後場の義経の霊が太刀をとって戦う様も勇ましく、また間狂言に那須の語りと、見どころ満点で目が離せず、短く感じました。
 謡の意味が分かると、さらに感慨も深く、勇ましさだけでなく、昔は戦場にもあった人情、弔いの気持ちや勝者の虚しさ、哀愁があり、余韻の残る舞台でした。
 東次郎さんの那須語り、大蔵流では見慣れた和泉流とは違い、まず装束が長袴ではなく、普通の肩衣に半袴。型もずいぶん違いましたが、与一の時は目付柱近くまで離れるので、和泉流のように膝立ちではなく、立ち上がって中腰で移動していました。
 東次郎さんは、狂言でも重い「武悪」の主人の後に、『八島』の那須語りと、気力、迫力に満ちた演技が続き、とても喜寿を迎えるとは思えませんでした。

 アフタートークでは、『八島』の後、友枝さんは着替えで、先に馬場さんと東次郎さんが登場。東次郎さん、ちょっと恥ずかしそうで遠慮がちでしたが、まずは「武悪」の話から。東次郎さんは、3人兄弟で主人役をやることが多く、太郎冠者をやってみたかったとか、千作、千之丞さんとの共演で太郎冠者をやったこと。馬場さんは、東次郎さんの主人は貫禄が違うと仰ってました。東次郎さん、気、体幹、お腹に力を入れ、集中力が大事とのこと。また、東次郎さんが太刀を持つと重代の刀の重さを感じるとの話には、太刀は武器で凶器に見えてはいけないと教えられたこと、持ち方についてのお話もされました。
 友枝さんが入ってこられると、『八島』の話に、友枝さんが『八島』をされるのは、20歳ごろにやってから、ずっとやってなくて、5,6年前に宮島でやって、今日が3回目だそうです。若い頃は勇ましくやっていたけれど、今はそうじゃないんじゃないかと思うようになってきたこと。馬場さんが前場では出てきた時に格調が高い、只者ではないと思わせれば良いこと。家来の佐藤継信が義経の身替りに討たれ、平教経の寵童、菊王丸も討たれたのを悲しんで、合い引きに引いて弔った、哀愁がある前場がしっかりしていないといけない。ただの勝ち修羅ではない世阿弥の思想が込められていて、最後の敵と思ったのは群れいるカモメ、鬨の声と思ったのは海風と、戦の虚しさ、勝った者の虚しさが描かれているということなど友枝さんとお話されました。
 また、普段の喜多流とは違う演出について、弓流しの時は普通は右肩脱ぎのところ、弓を引くために左肩を脱ぐのだけれど、どうも形が悪いということで、袷合羽を肩上げにしたそうです。また喜多流ではツレが前場から後場まで残っているので、不思議な感じのところ、今回は前シテと一緒に入る形にしたことなどの話もされました。
 東次郎さんの那須語りについて、和泉流との違い、装束や立って動くことについて。東次郎さんは、与一はずっと下の位なので、義経からできるだけ離れるように教えられたとのことでした。

 30分ほどのトーク、最後も3人で譲り合って退場。見応えのある舞台に、思いがけないトークもついて5000円はお得な公演でした。