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能楽鑑賞日記

2015年7月26日 (日) 萬狂言 夏公演 〜祭三昧〜
会場:国立能楽堂 14:30開演

解説:野村万蔵

「千鳥」  太郎冠者:小笠原匡、主:能村祐丞、酒屋:能村晶人

「見物左衛門」深草祭  見物左衛門:野村万禄

小舞
「景清」  野村虎之介
「御田」  野村万蔵
        地謡:山下浩一郎、小笠原匡、野村萬、能村晶人、炭光太郎

素囃子「盤渉楽」 大鼓:佃良太郎、小鼓:住駒充彦、太鼓:観世元伯、笛:藤田貴寛

「煎物」
 煎じ物売り:野村萬
 主(当屋):野村万蔵
 太郎冠者:野村拳之介
 町内の人:能村晶人、野村虎之介、吉住講、泉愼也、河野佑紀

 最初に、万蔵さんが出てきて、今日の演目の解説。
 「見物左衛門」と「煎物」は珍しい演目であまり演じられないものとのこと。「煎物」は万蔵家では25年ぶりとか、あまり面白くないとか言ってましたが、万作家では何回か観てますね、面白くないということもなかったような。今日は、万蔵さんが側転(水車)をやるそうで、この歳でやるのはちょっと大変みたいなこと言ってましたが(笑)
 一人狂言の「見物左衛門」は深草祭と花見があって、春狂言での「花見」に続いて今回は「深草祭」です。これは和泉流三宅派だけに伝わる曲で、加賀前田家の命により作った曲の一つだそうです。

「千鳥」
 太郎冠者は神事の祭酒を買ってくるよう主人に命じられますが、毎度ツケで買っているため支払いが溜まっているので、酒屋は売ってくれようとしません。代金代わりの米は今向かっている最中なので売ってくれと太郎冠者は頼みますが、それなら、その米が届くまで帰すことはできないと止められます。そこで太郎冠者は一計を案じ、待っている間、津島祭を見物した話を始め、伊勢路で子供が千鳥を捕る様子を、酒樽を千鳥に見立てて真似、調子よく囃子ながら酒樽に近づいて持ち去ろうとするものの見咎められます。今度は、流鏑馬を再現することにし、馬に乗る真似をしながら走り回り、矢が当たったと言って酒屋を倒し、酒樽を持ち逃げしてしまいます。
 小笠原さんの太郎冠者に主人が能村祐丞さん、酒屋が能村晶人さん。そういえば能村親子、それぞれ野村祐丞、野村扇丞を名乗っていましたが、いつからか(今年からか?)親子とも元の本名に戻ったみたいです。
 主人の命令だからいやいやながらも何とか酒を持っていかなければならない太郎冠者の苦肉の策、取られまいとする酒屋とのやり取りがやはり面白いですね。小笠原さんの太郎冠者、いつも隙あらば酒をとってやろうという感じでした。

「見物左衛門」
 見物左衛門は深草祭に行くため知人の家に誘いに行きますが、すでに出かけたと聞いて、一人で見物に行くことにします。途中、九条の古御所を見物すると、ちょうど競馬が始まるので、乗りようや落馬の様子を見て笑い、続いて人だかりのできた節句の幟を眺めた後、子どもたちが騒いでいる元へ近寄ってみると、相撲がとられていました。はじめは見ているだけでしたが、他の客と話している最中に石礫が飛んできて痛い目にあいます。二人は喧嘩になり、一度は勝つものの二番目には打ち倒され、悔しい見物左衛門は「もう一番とろう」と追って行きます。
 一人狂言というと、ベテランの味で見せるという感じで、万禄さんという、まだ中堅の人がやるのは観たことがありません。今まで観たのでは、春狂言では萬さんでしたし、万作家では万作さんや万之介さんといったところ。大蔵流の一人狂言なら「とちはぐれ」は東次郎さん、「独り松茸」が千之丞さんといったところです。
 やっぱり、まだ若いから元気がある見物左衛門。落馬してけがをした人を大声で笑ったり、喧嘩になったり、ちょっと迷惑な人かな(笑)。

小舞「景清」「御田」
 「景清」を勇ましく舞う虎之介くん、もう18,9になるので、すっかり大人っぽくなっていい男になりましたね。これからが楽しみです(^^)
 「御田」はお父さんの万蔵さん。神主が田植えをする早乙女たちとの掛け合いの舞の部分を小舞にした五穀豊穣を願う祝言性の高い舞で、さすがに型がきれいでした。

「煎物」
 祇園会の頭に当たった人の元で町内の人々がかささぎの山の囃子物の稽古をしていると、煎じ物売りがやってきて煎じ物を売り始めます。しかし、囃子物の邪魔になるから売るなと言われた煎じ物売りは、それならばと囃子物の拍子にかかって売ろうと、囃子に合わせて謡い舞います。当主が鞨鼓を打ち始めると、その様子を見ていた煎じ物売りは、商売道具の焙烙を腹に括りつけ、松葉の撥で打ちながら真似をして舞いますが、当主が水車のように体を回転させながら退場するのを真似しようとして失敗し、焙烙を割ってしまいます。
 祭の囃子物を練習する町の人々の中に煎じ物を売りに入る煎じ物売りがいかにも邪魔者。後半の当主の鞨鼓を真似たり、水車を真似て商売道具の焙烙を割ってしまう展開は「鍋八撥」と同じです。後半の焙烙を腹に括りつけ、松葉を撥にして真似する様子はやっぱり面白いですね。万蔵さんが見事に水車で幕入りする場面では、「拍手はいりません」と仰っていましたが、見所からやっぱり思わず拍手が沸き起こっていました(笑)。割れた焙烙を見て「数が多なってめでたい」と、萬さんだからこそ、今回の「祭三昧」にふさわしく、祝儀性を感じる終わり方になっていました。
2015年7月19日 (日) 故善竹彌五郎没後五十年追悼記念公演「善竹狂言会」
会場:国立能楽堂 14:00開演

ご挨拶:善竹十郎

「二千石」
 主:善竹隆司、太郎冠者:大藏吉次郎      後見:善竹隆平、大藏教義

舞囃子「頼政」
 金春安明
   大鼓:高野彰、小鼓:坂田正博、笛:松田弘之
     地謡:山井綱雄、金春憲和、吉場廣明、本田光洋、辻井八郎

「通圓」古式
 通圓の霊:大藏彌太郎
 旅僧:善竹忠重、善竹徳一郎、善竹忠亮
 所の物:野島伸仁
   後見:大藏千太郎
      地謡:榎本元、大藏教義、大藏吉次郎、大藏基誠、宮本昇

「釣狐」
 白蔵主・老狐:善竹富太郎
 猟師:善竹長徳
    後見:善竹十郎、善竹隆司

「武悪」
 主:善竹忠一郎、武悪:善竹十郎、太郎冠者:善竹大二郎
    後見:大藏基誠、善竹隆平

追加

 最初に善竹十郎さんが登場して、ユルユルとした感じのお話。
 普段は内容が重なる演目は一緒にしないそうですが、今回は「二千石」と「武悪」で同じ太刀を使う演目が組まれてます。
 舞囃子の「頼政」とそのパロディーの「通圓」も続けてかかります。この『頼政』と「通圓」の詞章がプログラムに挟まれていたのも解りやすくて良いです。
 通円さんのご先祖は、頼政の家来だったのだそうで、頼政が討ち死にした平等院で、通円さんの先祖も亡くなったのだそうです。ただのパロディーではなく、実際に繋がりのある方だったんですね。初めて聞いた話で面白かったです。見所には宇治橋のたもとの茶屋の「通円」の現当主夫妻が、いらしていて紹介されました。休憩時間には、「通円」のお茶の販売もあり、一つ買って帰りましたが、美味しかったです。

 しかし、大曲が並んだ豪勢な番組で、やっぱり狂言師で最初の人間国宝だった故善竹彌五郎師の没後50年追悼番組ですね。見所は、ほぼ満席でした。

「二千石」 無断欠勤した太郎冠者を叱りに私宅へ着いた主人は、京内詣(都見物)をしたと聞いて、太郎冠者を許し、都で流行っていた謡を主人の為に習ってきたというので謡わせます。しかし、主人の機嫌は俄かに悪くなりその謡は自分の家に伝わる大事の謡だと言い、由来を語って、その謡を持ちだして流行らせたのはお前だろうと言い、太郎冠者を成敗しようとします。すると太郎冠者が、その姿が先代にそっくりだと言って泣き出すので、主人も自分の父親を思い出して共に泣きだします。そして主人は太郎冠者を許して、太刀、刀を与え、子が親に似るのはめでたいと言って共に笑います。

 「二千石」の由来を語るところが見せ場で、年配の人が、その味で語る感じがありますが、まだ若さのある隆司さんの主がしっかりした語りでした。後は、手討ちにするという深刻な場面から涙に転じ、最後はめでたく笑って終わると言うのも狂言らしい(笑)。

「通圓」古式
 旅の僧たちが宇治橋を通りかかり、茶屋に茶湯と花が手向けられているので、近くの人に尋ねると、通圓という茶屋坊主が宇治橋供養の時に、三百人もの客に茶を点てて、茶を点てすぎて死に、今日が命日だと語ります。
 僧たちが弔っていると、通圓の霊が現れ、弔ってくれた礼を述べ、最期の有様を謡い舞い、跡の供養を頼んで消えていきます。

 古式の小書が付くと、ワキツレが二人増え、ワキの謡が重厚になるとのこと。
 通圓が床几に腰かけて語る場面もコミカルな動きがあまりなく、より能に近い感じがしました。

「釣狐」
 仲間を猟師に釣り取られた老狐は、猟師の伯父の伯蔵主に化けて、猟師に狐を釣らぬように戒めて罠を捨てさせます。老狐は猟師の家を去り、古塚へ戻る途中、罠を見つけ、餌の誘惑に負けそうになりますが、仲間の仇討ちだと身軽になって食べに来ようと言って立ち去ります。
 一方、猟師は伯蔵主の言動に不審を抱き、捨てた罠を見に来ると、餌があさられていたので、本罠に仕掛けて藪に隠れ、老狐を待ち伏せていると、正体を現した狐が戻ってきます。狐はとうとう罠にかかってしまいますが、猟師と渡り合ううちに罠を外して逃げて行きます。

 重い大曲ですが、富太郎さんが狐を演じるということで、狸に見えないか(笑)などと思ってしまいましたが、いや〜、さすがにダイエットしたんでしょうか、お腹も引っ込んでたし、今までのイメージとは違い随分痩せた感じ。やっぱり、「釣狐」を演じるためにかなり絞ったのかなあと思いました。
 でも、富太郎さんの伯蔵主狐は、なんとなく愛嬌があって可愛らしい感じがあり、滑稽なところも感じられ、時々クスッと笑いも起こる。これも良いなぁ。

「武悪」
 主人は太朗冠者に不奉公者の武悪を討つよう命じます。太郎冠者は武悪のためにとりなしますが、聞き入れられず、やむなく武悪を討ちに行きます。しかし、手心得のある武悪を騙し討ちにしようとして気付かれてしまいます。武悪は覚悟を決めて、太郎冠者に討たれることにことにしましたが、逆に太郎冠者は討てなくなり、命を助けて、武悪には遠国に逃げるよう言って、主人には武悪を討ったと報告します。
 武悪が死んだと聞いた主人は気晴らしに東山に出かけますが、武悪は命を助かったお礼に清水の観世音にお礼参りに行こうとして、鳥辺野のあたりで主人と鉢合わせてしまいます。太郎冠者は、慌てて逃げる武悪を追おうとする主人を押しとどめ、自分が見て来ると言って、武悪のもとに行って叱りつけ、幽霊に化けてもう一度主人の前に出るよう言います。主人は帰路に武悪の幽霊に出遭って怯えますが、冥途の様子を聞くと、武悪は主人の父親に会ったと言い、その注文だと言って太刀、刀、扇を受け取り、さらに冥途に広い屋敷があるからお供をしようと、逃げ回る主人を脅して追って行きます。

 緊張感のある場面で始まり、後は滑稽で可笑しい終わり方。主人の忠一郎さんがいかにも几帳面そうで厳しい主人から、後場では幽霊に怯える気弱で情にもろいところを見せ、大二郎さんの真面目で友達思いの太郎冠者と、幽霊に化けた武悪の十郎さんのどこかトボケタ雰囲気が相まって、前場の緊張感と後場の滑稽さの対比がとても面白かったです。

最後に追加の謡で出てきた富太郎さんを見てビックリ!「釣狐」の時は被り物や着ぐるみで分からなかった頭がモヒカン!!(笑)。
2015年7月3日 (金) セルリアンタワー能楽堂定期能7月ー喜多流ー
会場:セルリアンタワー能楽堂 18:30開演

おはなし:馬場あき子

ろうそく能
『阿漕』
 シテ(老人・漁夫の霊):友枝昭世
 ワキ(旅僧):宝生欣也
 アイ(浦人):?澤祐介
    大鼓:亀井広忠、小鼓:観世新九郎、太鼓:観世元伯、笛:一噌仙幸
       後見:塩津哲生、佐々木多門
          地謡:佐藤陽、友枝雄人、金子敬一郎、友枝真也
              中村邦生、粟谷能夫、香川靖嗣、大村定

 最初に馬場先生のお話があり、いつも物語の背景や詞章の内容について話されるので、興味深いのですが、今回は前日の寝不足がたたって聞いてるつもりで意識が飛んでたようです(- -;)
 休憩時間にロビーで販売される隣の金田中のコーヒーを飲んだら少し眠気が覚めました。

『阿漕』
 九州日向国の僧が伊勢参宮に旅立ち伊勢の阿漕ヶ浦に至ります。そこへ一人の老人が現れ、僧がこの浦を詠んだ古歌を口ずさむと、老人も別の古歌を詠じます。僧がこの浦の名の謂れを聞くと、老人は、昔からこの浦は大神宮の御膳を整えるために網を入れる所なのに、阿漕という漁師が禁を犯して度々密漁をし、ついに露見して捕えられ、この浦に沈められたため、阿漕が浦になったと語り、彼が冥途でも呵責の責めに苦しんでいるので弔って欲しいと頼みます。やがて夕暮れになると、老人は船をこぎ出して網を引く様子を見せながら消え失せます。
 僧は不思議に思い、浦人に阿漕が浦の故事を聞き、先ほどの老人の話をすると、きっと阿漕の亡霊に違いないから回向してやるように勧めて去ります。
 僧が経を読誦していると、阿漕の亡霊が四手網を持って現れ、密漁の有様を見せますが、それがいつしか地獄の苦しみの体となり、救って欲しいと願い、また波間に消えて行くのでした。

 番組には載っていなかったけれど、ワキツレが二人出てきました。一人は大日方寛さんでしたが、もう一人の年配の方、見たことはあるような気がしますが、名前が分かりません。
 アイの高澤さんの語りは丁寧で、場に合った語り。
 シテの友枝さん、前場の釣竿を振る仕草、後場の網を手繰る仕草も手慣れた様子に見えます。悪いこととは知りながら禁を犯して密漁をし続けた老人。生活の為だったのかもしれないけれど、残酷な殺され方をして、深い絶望と悲しみ、死後も責められ続ける苦しみ。僧に救いを求めて消えていきますが、まだ成仏は出来なかったのじゃないかと思えました。