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能楽鑑賞日記

2016年11月27日 (日) 万作を観る会 第二日目
会場:国立能楽堂 13:00開演

「奈須与市語」 内藤連     後見:石田幸雄

「棒縛(ぼうしばり)」
 太郎冠者:野村萬斎、主:竹山悠樹、次郎冠者:野村僚太     後見:飯田豪

「楢山節考(ならやまぶしこう)」
原作:深沢七郎、脚色:岡本克巳、演出:野村万作
 おりん:野村万作
 辰平:深田博治
 けさ吉:高野和憲
 又やん:月崎晴夫
 又やんの倅/雨屋:中村修一
 村人:石田幸雄、岡聡史、内藤連、飯田豪
 子供:小林百合香、田中輝、越智哲也、志賀心美、茂木和基、植田凜
 烏:野村萬斎
    笛:松田弘之、太鼓:桜井均
      後見:竹山悠樹、破石澄元

「奈須与市語」
 2日間で3人の披きで、2日目は昼と夜の2回公演。夜は中村修一さんの披きですが、それは残念ながら見られず。
 昼の部は内藤連さんの披きでした。3人の中では、お弟子さんになって一番日が浅いと思うのですが、なかなか堂々として落ち着いた語りでした。

「棒縛(ぼうしばり)」
 太郎冠者と次郎冠者が自分の留守に酒を盗み飲みすることを知った主人は次郎冠者を呼びだして、太郎冠者を縛りつけるので手伝えと言います。次郎冠者は、理由も分からないまま、太郎冠者がこのごろ棒術を稽古しているので、その型をさせて縛ろうと知恵を出します。呼び出された太郎冠者が棒を使うと、示し合わせた2人が、太郎冠者が肩に担いだ棒に両手を縛り付けてしまいます。それを見て笑う次郎冠者を今度は主人が後ろ手に縛りあげ、これでひとまず安心と出かけて行きます。
 主人が留守となり、縛られてもなお酒が飲みたい二人は酒蔵に入り込み、協力すればなんとか酒が飲める。飲めば謡い舞いになり、愉快な酒宴となります。
 やがて帰宅した主人は驚き、怒りを抑えて静かに二人の後から盃を覗き込むと、盃に映った主人の姿を見て、酔っ払った二人は主人の執心が映ったと言いたい放題。ついに叱りつける主人に太郎冠者は縛りつけられた棒で応戦します。

 酒好きな太郎冠者と次郎冠者が、縛られてもまだ酒が飲みたいと、棒の先の盃の酒を飲もうとして酒を被っちゃったり、相手の手を使って飲むことに成功すると、酔っ払ってきて、謡い舞いで楽しく騒ぎたい。縛られたままで手が使えない分、顔や肩を大きく動かして舞う姿が何とも可笑しい。
 帰って来た主人の顔が盃の酒に映っても「主人の執心が映っている」とか、「しわい(ケチ)顔をしている」とか言って大笑い。
 萬斎さんは、いつもちょっと顔の表情が大げさな感じはするけど、僚太くんが、以前より硬さがとれて、明るく楽しそうなのが良かった。

「楢山節考」
 信濃の国のとある貧村で、恒常的な食糧不足の時代、この村では70歳になった老人を楢山に捨てるという暗黙の内規がありました。楢山まいりの日が近くなった老婆おりんは残していく家族に心を配り、出発の日の振る舞いにも怠りありません。そしてその日、息子に背負われて楢山に入ったおりんに、静かに雪が舞い始めます。

 深沢七郎さんの小説「楢山節考」を狂言の技法で舞台化したもの。昨年、58年ぶりに再演となったものの再・再演です。
 前回の時の冒頭の萬斎さんの朗読がカットされるなど、演出を少し変えたところがあったようですが、前回より削ぎ落とされ凝縮された感じがしました。
 面をかけ、終始無言の万作おりんが、その仕草の一つ一つですべての心の動きを表現する姿は、まさに至芸。おりんの息子辰平役の深田さんの母親に対する情感あふれる演技と万作おりんの抑制された演技、そして、コロスの村人たちの無機質な感じ、すべてが、因習の深さ、残酷さ、やるせない思いなどを際立たせます。
 おりんとは対照的に描かれる月崎又やん、楢山に行くことを最後まで嫌がって、倅に谷に落とされてしまいます。村人の「七谷で引き返しても良いんだぞ」という、言葉の本当の意味にゾッとします。
 おりんの孫のけさ吉は、間もなく子供が生まれる自分たちのことしか考えられず、年老いたおりんのことは邪魔者扱い。今は、いずれ自分にも巡ってくることだということが想像できないのでしょう。
 山についたおりんの回想の中に出て来る子供たち、楽しそうなその輪の中に座るおりんも面をかけているのに、楽しそうに笑っているように見えます。ひと時が過ぎると後に残る静けさ寂しさ、しんしんと降る雪。「雪が降ったら運が良い」というのは、眠ったまま苦しまずに凍死できるということなのですね。
 山の烏に扮する萬斎さん、その異形さ不気味さ、骨をついばむ嘴のカタカタした音、時々「コカー」と鳴くだけ。その烏に見つめられながら雪に埋もれていくおりん。貧しい村で口減らしのための姨捨の因習を静かに受け入れるおりんの静謐な美しさが、舞台にはない白い雪とともに目の裏に焼き付くようでした。
 おりんを見つめる烏は、屍になるのを待っているのでしょうか。哀しく、残酷でありながら、すべて未来に命を繋ぐため。

 万作さんがお元気なうちに、また是非再演して欲しいです。
2016年11月24日 (木) 万作を観る会 第一日目≪七回忌・野村万之介を偲んで≫
会場:国立能楽堂 18:30開演

「奈須与市語」 岡聡史    後見:野村萬斎

小舞「名取川」 三宅右近   地謡:内藤連、野村萬斎、中村修一、飯田豪

「無布施経」
 僧:野村万作、施主:石田幸雄   後見:飯田豪

仕舞「藤戸」  野村四郎   地謡:野村昌司、浅井文義、馬野正基

「武悪」
 主:野村萬斎、武悪:高野和憲、太郎冠者:深田博治    後見:中村修一

「奈須与市語(なすのよいちのかたり)」
 今回、万作の会第一日、第二日と若手のお弟子さん3人が「奈須与市語」を披く、その最初が岡さんです。万作家の中では硬質でワイルドな感じの岡さんですが、やはり緊張して硬い感じはあるものの、なかなか堂々としてカッコ良かったです。

小舞「名取川」
 狂言「名取川」の中で舞われる舞ですが、狂言では、自分につけてもらった僧名が覚えられなくて、袖に書き付けてもらったのを、川を渡ろうとして名前が流れて消えてしまうというトボケタ坊さんの情けない話なのですが、右近さんは、さらっと品よく舞われました。

「無布施経(ふせないきょう)」
 ある僧が檀家で読経をして帰る時、毎月のお布施が出ないので、催促も出来ず帰ろうとしますが、今後の例になっては困ると、引き返し、それとなく気付かせようと「フセ」の音を散りばめた説教をしますが、気付いてもらえません。やはり、諦めて帰ろうとしますが「布施無い経には袈裟を落とす(報酬の無い仕事は質を落とす)」という言葉もある。どうしても思い出してもらおうと、袈裟を懐に隠して再び引き返し、座敷に袈裟を忘れたらしいと言って、またも「フセ」の語に力を込めて、どんな袈裟であるかの説明をします。ようやく布施を渡し忘れたことに気付いた檀那は布施を渡そうとしますが、僧は気恥ずかしくて受け取れない。二人が布施をめぐってもみ合ううちに、檀那が僧の懐に布施を入れようとすると、懐から袈裟が出てきて、僧は面目を失って詫びます。

 なんとか、お布施を思い出してもらいたいけど、催促も出来ない。でもお布施は欲しい。これが例になって、毎回もらえないと困ると、帰ろうとしては、また戻る。なんだかいじましくて滑稽な僧を万作さんが品を保ちつつ、トボケタ雰囲気と可愛らしさで表現して、さすがの至芸。それを受け止める石田さんの檀那も、何度も戻ってくる挙動不審な僧に、お布施を忘れるほど多忙な中でも失礼が無いよう丁寧に対応する檀那。最後に布施を渡す、受け取れないで揉めた末、隠した袈裟が落ちた後の何とも言えない二人の間合いが絶妙でした(笑)。

仕舞「藤戸」
 源平合戦の藤戸合戦で先陣の功を挙げた源氏の武将・佐々木盛綱が、その時、馬で海を渡れる浅瀬を教えた漁師を秘密が漏れないよう殺したために、漁師の亡霊が現れ、自分の死に様を再現し、やがて盛綱の弔いによって成仏するまでの舞謡いです。この能は今年友枝さんの演能で観ることが出来ました。
 杖を太刀に見立てて、自分の胸に突き立てて殺される場面を再現したり、動きのある舞で見せますが、四郎さんの端正で美しい舞でした。四郎さんは時々手が震えることがあるのですが、今回はまったく気になりませんでした。
 四郎さんも人間国宝になり、萬さん、万作さん、そして能のシテ方四郎さんと兄弟3人が人間国宝になるというのも珍しいです。それにつけても一番下だった万之介さんにはもっと生きていて欲しかったなあと思います。

「武悪(ぶあく)」
 主人は召し使う武悪の不奉公を怒り、太郎冠者に成敗してくるよう命じます。太郎冠者は取りなしますが聞き入れられず、仕方なく武悪を討つことを引き受け、主人の太刀を借り受けて武悪の家を訪ねます。武芸に秀でた相手なので、武悪が生け簀の中で魚をとるところを、騙し討ちにしようとしますが、武悪が恨み嘆きながらも覚悟を決める様子を見て、どうしても討つことが出来ません。主人には討ったと偽って他国へ逃がすことにします。
 素直に討たれたと報告を受けた主人は、哀れに思い清水に武悪の霊を弔いに行くことにします。一方、武悪は出奔する前に清水の観世音にお礼参りに行こうとして、鳥辺野あたりで2人は出会ってしまいます。太郎冠者はあれは武悪の幽霊だと主人を言いくるめ、武悪には幽霊の姿で現れるよう指図します。幽霊の姿で主人の前に現れた武悪は、冥途で主人の父親に会ったと言い、太刀や小刀、扇に不自由していると言って主人から受け取り、さらに冥途に広い屋敷があるから連れて来るように言われたと、逃げる主人を追いかけます。

 最初から緊張感マックスの怖〜い萬斎主人。これが、後半の幽霊武悪に対面場面では、何ともトボケタ雰囲気で情けなくも滑稽な主人になって最高(笑)。
 主人と友の板挟みに苦悩する太郎冠者を深田さんがよく心情を表してて高野武悪とのやりとりも息が合ってます。
 最後は高野武悪が主人に仕返しで調子に乗りまくり、深田太郎冠者もそれを止めるでもなく、いつも怖い主人がビビりまくるのを二人で面白がってるのかな(笑)。
 ドラマチックで最後は大笑い。見応えもたっぷりです。
2016年11月6日 (日) 友枝会
会場:国立能楽堂 13:00開演

『野宮』
 シテ(女・六条御息所の亡霊):友枝昭世
 ワキ(旅僧):宝生欣也
 アイ(所の者):野村万蔵
    大鼓:柿原崇志、小鼓:曽和正博、笛:一噌隆之
       後見:中村邦生、佐々木多門
          地謡:佐藤寛泰、金子敬一郎、内田成信、大島輝久
              出雲康雅、粟谷能夫、香川靖嗣、長島茂

「鐘の音」
 太郎冠者:野村萬、主:能村晶人

『国栖』
 シテ(老翁・蔵王権現):友枝雄人
 シテツレ(姥):友枝真也
 シテツレ(天女):友枝雄太郎
 子方(浄見原天皇):内田利成
 ワキ(侍臣):工藤和哉
 ワキツレ(侍臣):則久英志
 ワキツレ(侍臣):御厨誠吾
 アイ(追手):野村虎之介
 アイ(追手):野村拳之介
    大鼓:大倉慶乃助、小鼓:観世新九郎、太鼓:観世元伯、笛:一噌隆之
       後見:内田安信、塩津哲生
          地謡:佐藤陽、粟谷充雄、粟谷浩之、塩津圭介
              谷大作、粟谷明生、大村定、狩野了一

『野宮(ののみや)』
 諸国一見の旅僧が、嵯峨野宮(さがのののみや)の旧跡を訪れ、一人の女と出会います。女は、光源氏が六条御息所をこの野宮に訪れたのは、今日9月7日であったと語り、僧の求めに応じて、御息所が源氏の訪問を受けたのち、伊勢へ下向して行ったことなどを語ります。さらに、僧に尋ねられて、女は自分こそ御息所であると告げて、鳥居の陰に消えます。
 僧が弔いをしていると、御息所の亡霊が車に乗って現れ、賀茂の祭りに葵上と車争いをして敗れたことを語り、迷いを晴らしてほしいと頼むのでした。そして、昔を思い起して舞を舞い、源氏の訪問のあった昔をなつかしみ、生死の道に迷う自分は神の意に添わぬであろうと述べつつ、再び車に乗って去って行きます。

 野宮の鳥居の作り物と鳥居の両脇の垣が正先に置かれます。
 友枝さんのハコビは、先日の『翁』とは明らかに違う。前シテでは、野宮を訪れるシテの心の葛藤を思わせるような重いハコビ。後シテでは、牛車に乗って現れる御息所を思わせる優美でスムーズなハコビ。後シテの装束は白地の長絹に紫の大口でした。
 シテとワキとの掛け合いで車争いの様子が再現され、昔に思いを馳せる美しい序の舞へ。そして、一気に思いがあふれ出るように鳥居に駆け寄る御息所ですが、鳥居の中に足を踏み入れることなく、狂おしい破の舞を舞い、やがて再び車に乗って、妄執の迷いの中に戻って行きます。
 美しく、気高く、それゆえに相反する想いに引き裂かれ苦悩する御息所の心の葛藤が胸に迫りました。

「鐘の音(かねのね)」
 主人は、息子が成人したお祝いに、刀を贈ろうと、太郎冠者に鎌倉に行って、「付け金(刀の一部)の値」を聞いてくるよう命じますが、太郎冠者は「撞き鐘の音」と聞き間違えて鎌倉に出かけ、寺々を廻って鐘の音を聞き比べて帰ってきます。太郎冠者が主人に各寺の鐘の音の特徴を得々と報告すると、主人は太郎冠者の聞き違えに怒り出し、太郎冠者を追い出してしまいます。太郎冠者は、主人の機嫌を直そうと、鐘の音を聞いて来た様子を謡い舞いますが、結局主人に叱られてしまいます。

 萬さんの太郎冠者による「鐘の音」は、初めて観たかも。鐘を打つ仕草や鐘の音の違いを声で表現するところが見どころですが、お歳とは思えない良いお声です。万作さんは、もっと軽やかで可愛らしい雰囲気があるのですが、萬さんは大らかな雰囲気があって、それぞれの持ち味の違いで、これもまた良いです。

『国栖(くず)』
 浄見原の天皇が追討の手を逃れて吉野山中国栖のある民家に入ります。そこへ釣竿を肩にした老夫婦が舟に乗って現れ、我が家の上に紫雲がたなびくのを見て、天子の臨幸を予見します。老夫婦は、焼鮎と芹を供し、都への還幸ができるかどうかを占うため、残りの鮎を吉野川の急流に放つと、鮎は見事に生き返って泳ぎ出します。
 侍臣が追手来襲を報ずると、老夫婦は、船の下に天皇を隠して、その前に座ります。鉾と弓矢を持った追手が現れ、天子を出せと迫ると、老翁が虚実を尽くして追い返します。追手が去ると、老夫婦は、天皇の徳を説き、琴を奏します。やがて天女が現れて舞い、ついで蔵王権現が豪快に舞いながら聖代を寿ぎます。

 前半は、現代能風ですが、後半は天皇の代を天女と神が寿ぐ夢幻能風な構成です。シテの雄人さんが前シテの老翁で鮎が生き返る「鮎の段」をキビキビと舞い、後シテの蔵王権現を豪快に力強く舞います。ツレの姥役の真也さんも品のある姥。そして、後ツレの天女役の雄太郎さんが、とても美しくて可愛らしい天女。もう20歳になるらしい、早いものだ。以前、喜多流自主公演能で、入場待ちで並んでた時に、まだ中学生くらいだったかな、詰襟学生服姿で入っていくのを見かけたことがあったけど、その前にも小学生くらいの時に舞いを観たことがあって、舞がうまい子だなあと思った。これからが益々楽しみです。
 追手役のアイは虎之介さんと拳之介さん兄弟、追手のくせに逃げ足速くて弱腰(笑)、なかなか好演でした。