戻る 

能楽鑑賞日記

2017年3月25日(土) 狂言ござる乃座55th
会場:国立能楽堂 14:00開演

「附子(ぶす)」
 太郎冠者:野村裕基、主:野村太一郎、次郎冠者:野村僚太    後見:深田博治

「清水座頭(きよみずざとう)」
 座頭:野村万作、瞽女:野村萬斎       後見:内藤連

「弓矢太郎(ゆみやたろう)」
 太郎:野村萬斎
 当屋:石田幸雄
 太郎冠者:月崎晴夫
 立衆:高野和憲、深田博治、内藤連、中村修一、野村太一郎、野村裕基、岡聡史
      後見:野村僚太、竹山悠樹

「附子」
 所用で出かける主人が太郎冠者と次郎冠者に留守番を言いつけると、附子の入った容器を持ち出し、ここから吹く風に当たるだけで滅却する(死ぬ)ような猛毒であると注意します。主人を見送った二人は附子に怯えますが、やがて太郎冠者が興味を抱き、次郎冠者を誘って、毒に当たらぬよう扇で扇ぎながら附子に近づいていきます。容器の紐を解き蓋を取り、中を覗くと、何やら美味しそうな黒い塊があるので、制止を振り切って太郎冠者が食べてみると砂糖だと分かり、二人で取り合ってみんな食べてしまいます。主人が帰ってきたらどう言い訳をするのかと次郎冠者が言うと、太郎冠者は秘蔵の掛け軸を破り、天目茶碗を壊せば言い訳になると、二人で壊し、主人が戻って来ると二人で泣きだします。
 主人がわけを尋ねると、二人で寝ないようにと思い相撲をとっているうちに誤って掛け軸と天目茶碗を壊してしまったので、附子を食べて死のうと思ったがまだ死ねないと言い訳し、逃げだします。

 若手3人によるフレッシュな舞台になりました。若い太郎冠者と次郎冠者のやりとりでは、年上の僚太さんは狂言師らしい安定感が出てきて、ちょっと硬い感じがした裕基くんも謡いも朗々と、だんだん二人で調子に乗ってきて、ハツラツとした勢いが出てきました。その中で一番年上の太一郎さんは、どっしりとした主人の貫禄が出ていて、最後にビシっと舞台が締まりましたね。

「清水座頭」
 瞽女(ごぜ)が清水寺に参詣して将来の幸いを祈ると、続いて現れた座頭も妻を授けて欲しいと願います。参詣人で賑わう堂内で座頭は瞽女にぶつかり口論となりますが、互いに目が見えないことが分かって誤解が解け、酒を酌み交わして、座頭は「平家」を語り、瞽女は小歌を謡います。やがて夜も更け仮寝をすると、霊夢をこうむり、それぞれ夢のお告げどおり西門に行きます。杖で探りあい、互いに引き合わされた相手と知った二人は、出会えたことを喜び、手に手を取って帰って行きます。

 ここで出て来る瞽女は3年前に病で失明した女で仕事も結婚もままならない、失明してから色々なことに傷つき、周りにガードを作っているような感じ。それに対して座頭は生まれながらの盲目らしく、それが彼の日常と受け入れている大らかさと逞しさがあります。
 そういう二人の違いがすごく自然に出ていて、さすがでしたね。
 堂内でぶつかった万作座頭に「私をからかっているのね」と怒り出す萬斎瞽女は、これまでもそういう目に何回もあって悔しい思いをしてたのでしょうね。誤解が解けて、一緒にお酒でも飲みましょうと余裕の万作座頭。
 お告げを受けて西門で再会する二人の杖が当たってカチリと音がする。運命に導かれた二人という感じが何ともロマンチック。
 最後は座頭が瞽女の手を引いて一つの杖をついて行く、これから二人で一つの人生を歩んでいく姿。万作座頭より背の高い萬斎瞽女が寄り添うように小さくなっていたのが可愛らしく、ちょっと胸が一杯になる素晴らしい舞台でした。

「弓矢太郎」
 天神講の当屋(当番)になった男の家に仲間が集まり、臆病者の太郎が空威張りから弓矢を携えていることなど悪口を言ううち脅かす相談がまとまります。すると太郎が現れ、田畑を荒らす鳥獣を退治するのに忙しいとうそぶき、当屋を訪ねます。太郎が狐を射ると聞いた当屋は、玉藻の前の伝説、宮中を悩ましたのちに殺生石となった妖狐の深く恐ろしい執心を語り、仲間の一人が、北野天神の森で鬼に出くわした話をします。あまりの恐怖に目を回す太郎に当屋が、天神の森に行けば鳥目百貫(ちょうもくひゃっかん)を出し譜代(家来)になろうと持ち掛けます。そして、鬼に変身して太郎を脅かす段取りを仲間と打ち合わせると、一方の太郎も妻に励まされ鬼の姿となって森に出かけていきます。天神の森で出くわした二人は、驚いてお互いに目を回してしまいますが、先に目を覚まして事情を察した太郎は、反対に様子を見に来た連中を脅して追って行きます。

 万作家一同、ずらりと登場の賑やかな演目。萬斎さんがその前の瞽女とは打って変わって、おちゃめで可愛い。本当は臆病なくせに空威張りな太郎をみんなで脅してやろうと悪巧みをする仲間たち。そうとは知らず、いつものように弓矢を携えてやってくる太郎。怖い話にすっかりビビッて目を回して倒れちゃう情けなさ。それでも、妻に後押しされて鬼の姿で天神の森に行く太郎。舞台には出てこないけれど、ここにも「千切木」のようなわわしい妻が陰にいるんだろうなということが想像されます。脅かすはずの当屋も鬼の姿の太郎と暗闇で鉢合わせて二人で目を回してバッタリ。
 ここから、先に目覚めた太郎の仕返しの始まり。やってきた仲間に、出くわした鬼の恐ろしさを話す石田当屋の様子を物陰でコッソリ聞いてる萬斎太郎が嬉しそうに鬼の真似をしているのが悪戯っ子のようでカワイイ(笑)。さあ、仕返しだ!脅かす方が、立場逆転。
 のびのび生き生きで大笑いでした。
2017年3月22日(水) 熊本復興支援 特別公演友枝昭世の會 三輪 神遊
会場:国立能楽堂 19:00開演

『三輪(みわ)』神遊
 シテ(里女・三輪の神):友枝昭世
 ワキ(玄賓僧都):森常好
 アイ(里人):山本東次郎
    大鼓:柿原崇志、小鼓:曽和正博、太鼓:小寺真佐人、笛:松田弘之
       後見:塩津哲夫、中村邦生、狩野了一
          地謡:大島輝久、友枝雄人、金子敬一郎、内田成信
              粟谷明生、粟谷能夫、香川靖嗣、長島茂

『三輪』神遊
 大和国の三輪山の山陰に庵を結ぶ玄賓僧都(げんぴんそうず)のもとへ毎日、シキミと閼伽(あか)の水を持ってくる女が、晩秋のある日、いつものように庵を訪ねてきますが、夜寒をしのぐ衣を僧都に所望します。僧都が快く衣を与え、住まいを問うと、女は「わが庵は三輪の山もと恋しくは、訪ひ来ませ杉立てる門」という古歌を詠じて消え失せます。里人から神木の杉の枝に衣がかかっていたと知らされた玄賓僧都が三輪山へ来てみると、杉の木陰から女姿の三輪の神が現れます。三輪のしるしの杉にまつわる昔語りをした三輪の神は、神代の昔の天岩戸の神遊びの様子を再現して見せ、伊勢と三輪の神が一体であることを語り、夜明けとともに消え去ります。

 プログラムの解説によると、小書「神遊」は、神話の荘厳さを強調した演出で、極めて重く扱われているとのこと。後シテは金風折烏帽子と白地の単狩衣に緋大口姿で現れ、神婚説話(人と神の結婚)の有様を舞い、続いて岩戸隠れ神話を再現して、アメノウズメの立場で「神楽」を扇で舞い、次に天照大神となって岩戸に見立てた作り物から岩戸を開いて出ると「破の舞」となり、橋掛かりへ行き左袖を被いて扇を面の前にあてる「翁の型」をして舞台に戻るという特別な演出になります。
 能一番だけで、国立能楽堂を満席にできるのは、やはり友枝昭世さんだけかもしれない。
 前場は金茶と青っぽいグレーの段替えに秋の草花の模様の唐織。面は詳しくは分からないけれど、落ち着いて品が良い。シキミと数珠を持って現れ、玄賓僧都の庵を訪ね、座ってシキミを置き合掌。座っているだけでも佇まいが美しい。
 後シテで作り物から現れた三輪の神は小面だろうか、前場より若い。白地の単狩衣に緋大口姿が神々しく、「神婚説話」を舞い、作り物につけられた杉の神木を愛おしげに見つめる姿が切ない。
 神楽舞から破ノ舞に、岩戸隠れの神話の再現でアメノウズメと天照大神を舞う扇の使い方が印象的。破の舞で橋掛かりで左袖を被いて扇で顔を隠す「翁の型」がまた何とも美しく、神としての神々しさと祈りの思いが込められた素晴らしい舞台でした。
2017年3月16日(木) ― 五世千作・十四世千五郎襲名記念 ― 千作千五郎の会第1回
会場:国立能楽堂 19:00開演

「花折(はなおり)」
 新発意:茂山千五郎
 住持:茂山七五三
 花見の衆:茂山童司、松本薫、島田洋海、井口竜也、茂山茂
    後見:山下守之

「柑子(こうじ)」
 太郎冠者:茂山宗彦、主人:茂山逸平    後見:山下守之

「武悪(ぶあく)」
 主人:茂山千作、武悪:茂山千五郎、太郎冠者:茂山茂
    後見:松本薫

 五世千作・十四世千五郎襲名記念ということで、千作・千五郎の会第1回目です。

「花折」
 花盛りの寺で、住持は庭を荒らされるので、新発意(しんぼち)に「花見禁制だから誰が来ても庭へ入れるな」と言いつけて出かけます。そこへ花見客たちがやってきますが、新発意に断られ、それならと垣根越しに花を眺めて酒宴を始めます。我慢できなくなった新発意が、一人だけなら入っても良いと言ってしまうと、ぞろぞろと皆入って来てしまい、新発意も加わっての舞えや謡えの酒宴になります。そのうえ酔った勢いで、帰る花見衆に桜の枝を折って与え、寝入ったところへ住持が戻ってきて、事の次第がばれて追い込まれます。

 花見の季節が近づいて、華やかで楽しい曲。真面目だけれど、お酒が飲みたい新発意とそれを知っててつけ込む花見衆。新発意は、酔っ払って謡い舞いのあげく、酔った勢いで調子に乗って、せっかくの桜の枝を折って花見衆にお土産に渡しちゃうから困ったもの。庭が荒らされるというのも、もしかして今までも新発意が一緒になってやってたのかも。
 新発意の千五郎さん、酔うほどに謡い舞いで楽しそう。いつも思うけど、千五郎家の人たちは、声が大きくて、能楽堂では狭いんじゃないかと思うほどです。

「柑子」
 主人から預かった貰い物の三つなりの柑子(ミカンの一種)を持って来るよう言い使った太郎冠者だが、すでに食べてしまって出せないので、言い訳を始めます。一つは落ちて門の外へ転がろうとしたので「好事(こうじ)門を出でず」と食べ、一つは懐に入れておいたら、潰れてしまったので食べ、残りの一つはと問われると、哀れな話があると言って、鬼界ヶ島に流された俊寛僧都の物語を語り始め、三人流されたのに一人だけ残された俊寛と三つあったのに一つ残った柑子の思いは同じだろうと言って、主人を一旦はしんみりさせますが、それも自分の「六波羅(腹)に納めた」と白状して、叱られてしまいます。

 宗彦、逸平の兄弟共演。まだ若手の二人なので、太郎冠者の一人語りの味はまだまだだけど、二人のやり取りが漫才のような間合いなのが面白かったです。

「武悪」
 召し使う武悪の不奉公に怒った主人は、太郎冠者を呼びつけて成敗を命じます。太郎冠者は武悪の家を訪ねると、まともに向かっては手強いので、魚を取って主人の機嫌を取るように勧め、水に入った武悪を斬ろうとします。しかし同輩のよしみ、情にほだされて武悪を逃し、主人には討ち果たしたと報告します。喜んだ主人は、気晴らしに太郎冠者をつれて東山に遊山に出かけますが、やがて墓所で名高い鳥辺野近くで清水の観世音にお礼参りに行こうとした武悪と出くわして、ビックリ仰天。太郎冠者は訝る主人に自分が見て来ると言って、武悪に幽霊になって出直すよう入れ知恵します。幽霊の姿を作って主人と対面した武悪は冥途で主人の父親に会ったと言い、父親が冥途で不自由していると言って、太刀、小刀、扇を受け取り、さらに冥途に広い屋敷があるからお供しようと、主人を脅して追っていきます。

 和泉流と違うところは、主人が武悪を討ちとったと聞いて、遊山に行くというところ。和泉流だと、最期が潔かったと聞いてちょっと不憫に思い、弔いに行くんですけどね。
 千作、千五郎、茂の親子三人の共演で、前半の緊張した場面と後半のコミカルさ、さすが千作さんは存在感があります。やはり足元に不安はあるけれど、声は朗々としてお元気そうで、まだまだ頑張っていただきたい。大柄で堂々とした武悪の千五郎さんと細身の茂さんの太郎冠者。主人と武悪との間に挟まれてアタフタしてる感じがちょっと面白い。幽霊に化けて、どんどん調子に乗っちゃう武悪の千五郎さんと、それぞれ三人三様の特徴を出していました。