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能楽鑑賞日記

2017年5月21日(日) 第十八回吉次郎狂言会
会場:国立能楽堂 14:00開演

「蚊相撲(かずもう)」
 大名:善竹十郎、太郎冠者:善竹大二郎、蚊の精:大藏基誠     後見:野島伸仁

「栗焼(くりやき)」
 太郎冠者:大藏彌右衛門、主人:大藏彌太郎            後見:大藏教義

素囃子「羯鼓(かっこ)」
 大鼓:佃良太郎、小鼓:田邊恭資、笛:藤田貴寛

「鈍太郎(どんたろう)」
 鈍太郎:大藏吉次郎、下京の妻:宮本昇、上京の妻:榎本元     後見:大藏基誠

「鶏聟(にわとりむこ)」古式
 聟:大藏教義、舅:善竹忠一郎、太郎冠者:上田圭輔、教え手:善竹富太郎
                                 後見:星廣介

「蚊相撲」
 最近あちこちで相撲の会が多いので、相撲取りを雇うことにした大名は、太郎冠者に命じて相撲取りを探しに行かせます。太郎冠者が上下の街道で適当な者が通りかかるのを待っているところに現れたのは、江州守山(ごうしゅうもりやま)に住む蚊の精。都で相撲取りになって思いのままに人間の血を吸いたいと考えていた蚊の精は、太郎冠者に声を掛けられ、喜んでついて行きます。大名は、自らが相手となって新参者の相撲の腕前を見ることにしますが、取り組むや否や蚊の精に血を吸われ、目を回してしまいます。大名と太郎冠者は新参者の正体を悟り、太郎冠者が扇で扇いで蚊の嫌いな風を送ることにし、そのすきにやっつけようとします。さすがの蚊の精もこれには参り、くちばしを抜かれ、投げ飛ばされてしまいます。

 大名が新しい使用人を雇おうとして騒動がおこる話の始まりはどれもほぼ同じパターンですが、大名が初めは3000人雇おうと言って、太郎冠者にたしなめられ300人(200人?)に減らし、結局一人に減らしたり、新参者が来ると、新参者にわざと聞こえるように大げさな話をしてみたり(笑)
 十郎さんの大名が大二郎さんの太郎冠者に「かんにんがなりません」と言われて「かんにん?」と首を傾げて「はぁ?」という言い方というか間が絶妙。ここで言う「かんにん」とは「はみもの(食べ物)」のことだと大名も気が付くんですが。ちょっとトボケタ雰囲気が十郎さんらしい。
 後半は、和泉流だと大団扇で扇ぐんですが、普通の扇だったり、和泉流では大名が一旦は勝つものの2度目に足を取られて倒され、腹立ちまぎれに太郎冠者を打ち倒して、蚊の精の真似をして退場するのですが、大蔵流では蚊の精が負けて逃げて行くというところが違います。
 万作家なんかだと、蚊の精が扇がれて飛ばされる様子が、いかにもふわりふわりとした感じですが、基誠さんの蚊の精は普通にパタパタとユラユラする感じ。大蔵流では、蚊の精の動きにそこまで凝っていない感じです。

「栗焼」
 見事な栗を40個もらった主人は、客に振舞うために栗を焼くよう太郎冠者に命じます。太郎冠者は台所で焼きはじめ、栗のめをかく(先を切り取る)のを忘れてはねさせたり、焦がしそうになったりと失敗もしますが、なんとか全部焼き終わり、熱いのを我慢して綺麗に皮を剥きます。ところがあまりにもおいしそうなので、つい手が出てしまい、もう一つもう一つと手を伸ばすうち、とうとう全部食べてしまいます。困った太郎冠者は、栗は竈(かまど)の神様夫婦と公達(きんだち)に進上してしまったと言い訳しますが、残った4つの栗をだせと主人に詰め寄られ、一つは虫食い、あとの三つは栗を焼く時の言葉に「逃げ栗、追い栗、灰紛れ」というとおりで、どこかへ行ってしまったと言って、主人に叱られます。

 太郎冠者が栗を焼きはじめてから、全部食べちゃうまでの独演が見どころです。彌右衛門さん、いつもは、言葉がハッキリしないように感じることもあるのだけれど、今回はそんなこともなく、栗焼きの栗が跳ねる様や焼き立ての熱い栗を火の中から拾い上げて、息を吹きかけ冷ましながら皮をむいて食べる仕草など、とってもリアルで、本当に焼き立ての栗を食べてるようでした。

「鈍太郎」
 訴訟のため3年前に西国に下った鈍太郎が、首尾よく解決して心晴れやかに都へ戻ってきます。さっそく下京の本妻と上京の愛人のもとに行きますが、二人とも、街の男たちの悪戯と思い、長い留守を待ちかねて別の男と結婚したと言って鈍太郎を負い返してしまいます。落胆した鈍太郎は、これを機に出家して修行の旅に出ようと言って、その場を立ち去ります。その頃二人の女は、勘違いして鈍太郎をおいかえしたことに気づき、鈍太郎の出家の噂を聞いて、心を合わせて思い止まらせようと相談し、後を追います。そこへ、鉦鼓を叩き念仏を唱えながら鈍太郎がやってきます。二人が鈍太郎の袂に取りついて、出家しないよう懇願すると、ようやく機嫌を直し、二人が自分を大事にしてくれることを条件に、出家を思い留まり、1か月の半分ずつそれぞれの家で過ごすことに決めて、二人の手車にのって、意気揚々と引き揚げていくのでした。

 最初は下京の本妻の元に行くものの、追い返されると、これ幸いと上京の愛人の元に飛んでいく鈍太郎。その愛人にも追い返されて、行き場をなくし、落胆して出家しようとするのですが、今度は間違いに気づいた二人の女に引き止められて、立場逆転。愛人を贔屓する鈍太郎の都合のいいように話を進めようとします。
 上京は公家や武家の住む地域で、下京は商業地ということで、下京の妻の方がきつい性格で、上京の女の方がやさしげという地域差による性格付けも表しているらしいです。
 1か月の前半を上京で、後半を下京でと、「小の月」では下京で過ごす日数が少なくなるよう設定したり、不満を言う下京の妻を説得すると、手車に乗る時には、明らかに鈍太郎の態度が上京に優しく、下京にキツイ(笑)。「鈍太郎さんの手車」と囃すのに、下京の妻の方が「鈍太郎“め”の手車」と言ってるところも面白い。これは大蔵流だけですよね(笑)。鈍太郎さん、それも咎めるんですが、手車に乗って退場するところでは、和泉流だと、鈍太郎さん、鉦鼓を叩きながら、愛人には撫でるような仕草、本妻には打つような仕草をしてるんですが、大蔵家では、意気揚々と鉦鼓を叩きながら乗っているだけで退場して行きました。

「鶏聟」古式
 今日は、最上吉日で、聟がやって来るのを、舅は楽しみに待っています。一方聟は、婿入りの作法を教わりに知人を訪ねますが、世間知らずの聟をからかってやろうと、男は、鶏の蹴り合う真似をするのが当世風の作法だと嘘を教えます。舅宅にやって来た聟は、門前で早速、鶏の真似を始めます。それを見た舅も太郎冠者もあっけにとられますが、きっと誰かに騙されたのだろうと察した舅は、聟に恥をかかせまいと、自分も同じように鶏の真似をします。

 やはり酉年なので、よく出る曲です。
 「古式」の小書は、烏帽子が違うのだそうで、烏帽子に赤い布を被せてその布を顎の所で蝶々結びにして垂らします。
 聟役の教義さんが、とても無邪気で可愛らしい感じでした(^^)
 舅の忠一郎さん、聟の鶏の真似に一瞬怯む感じ、「あのようにせねば、舅は物知らずと笑わせらりょう」と(笑)、忠一郎さんは、いつも品の良い雰囲気を持っている人ですが、無邪気な聟と一緒に品のいい舅が鶏の真似をする図もなかなか面白かったです。