戻る 

能楽鑑賞日記

2017年7月23日(日) 萬狂言 夏公演
会場:国立能楽堂 14:30開演

解説:野村万蔵

小舞「菊の舞」 野村眞之介
  「道明寺」 野村万之丞    地謡:能村晶人、野村万禄、小笠原匡、山下浩一郎

「昆布売(こぶうり)」
 大名:野村萬、昆布売:野村拳之介

新作「信長占い(のぶながうらない)」作:磯田道史、演出・台本:野村万蔵
 織田信長:野村万蔵
 徳川家康:能村晶人
 森蘭丸:河野佑紀
 貧者:野村万之丞

「悪太郎(あくたろう)」
 悪太郎:小笠原匡、伯父:野村万禄、僧:野村万蔵

 今回の公演では、新作狂言「信長占い」が初演されました。作者の磯田道史さんは、歴史学者で映画「武士の家計簿」や「殿、利息でござる!」の原作者だそうです。万蔵さんは歴史学者でありながらユーモアのある人だと思ったことから、「歌仙」の改作の時に台本協力を依頼したことが今回の新作につながったとのこと。
 今回の新作は万蔵さんが「実在の戦国武将が登場する狂言をやりたい」と言っていたことから、史実に基づく狂言を書くことにしたそうです。
 実際、「信長が自分と同じ生年月日の男を探して、それが極貧の男だった」というのは史実で、『朝野雑載』という古文書に載っていて、それに中国の明の太祖・朱元璋(しゅげんしょう)が自分と同じ生年月日同時刻に生れた人を見つけ出したという逸話や家康の手相がマスカケ(知能線と感情線が一本に繋がった手相「百握り」とも言う)であったことや舞が苦手だったという史実を組み合わせて脚色したということですが、オチは創作で笑って終わることを意識して書いたとのこと(一部プログラムより抜粋)

 最初の小舞「菊の舞」は和泉流のみにある曲で、9月9日重陽の節句に菊の酒を君主に献上し長寿を祈ることを謡う祝言の曲。「道明寺」は能『道明寺』の終曲部を小舞にしたもので、道明寺を訪れた僧の前に天神の使いが現れ舞楽を奏し、数珠にする木の実を振るい落として与える様を舞います。
 三男の眞之介くんは、中学生で、舞もずいぶんとしっかりしてきた感じ、万之丞さんは、一人前の狂言師として堂々としていました。

「昆布売」
 供を連れずに一人で北野の御手水(みたらし祭)に出かけた大名は、途中で太刀を持つ家来が欲しくなり、通りかかった若狭の小浜(おばま)の昆布売りに声をかけます。大名は断る昆布売りを脅して太刀を持たせると、その持ち方が悪いと口うるさく言い、腹を立てた昆布売りは、自分を本当の家来のように呼ばせて、大名を安心させた隙に太刀を抜いて逆に大名を脅し、腰の小刀をとりあげて、昆布を売ることを強要します。売り声も、小歌節や平家節、踊り節などさまざまに注文をつけ、大名は教えられたように懸命にやりますが、昆布売りは太刀も小刀も奪って逃げ去ります。

 弱い立場の昆布売りが太刀を抜くことで、立場が逆転する当時の下剋上の世相を反映した話ですが、大名がいろんな節をつけて売っているうちにだんだん興にのって楽しそうになってくるのが、狂言らしくて面白いです。
 萬さんと万蔵さんの次男拳之介さんとの祖父と孫の共演。萬さんは、ちょっと威張った大名から太刀で脅されて渋々従い、そのうちに様々な節を付けた売り声に興にのって楽しそうになってくる様子など、さすがです。高校生の拳之介くん、まだ若い初々しさのある昆布売りですが、お祖父さんを相手に堂々と演じてました。

「信長占い」
 武田勝頼退治の褒美を与えるため徳川家康を呼び出した織田信長は、家康の手が天下獲りのマスカケ相であることを知ります。しかし手相よりも、生年月日時刻で占う〈四柱推命〉の方が当たると聞いた信長は、森蘭丸に命じて自分と同じ年・月・日・同時刻に生れた者を探し出します。同じ運命をたどるならば、その男が天下獲りのライバルかと警戒する信長でしたが、連れてこられたのは極貧の男で・・・。

 信長役の万蔵さん、信長らしく付け髭をつけ、着物も派手に唐人役の時に着るような下は袴ではなくズボン型、上に真っ赤な袖なしの上衣を着て登場。お供は無く、自分で家康を呼び出します。
 晶人さんの家康がやってきますが、戦で功も無い光秀に腹を立てていた信長は、家康相手に光秀を打ち据える練習をするので、家康も大迷惑。やっと褒美の話になって、欲しい物を聞くと、なかなか恥ずかしがって言わない家康、だんだん詰め寄る信長がまた光秀と間違えて倒すので(笑)、やっと言った家康の望みは、美少年の森蘭丸に会いたいでした。それを聞いた信長が「家康殿にそういう好みがあるとは知らなかった」(笑)
 呼び出された森蘭丸の河野佑紀さん、万蔵家ではなかなかイケメンな方ですが、なんか白粉をつけたような白い顔、顔を見た家康は「大したことなかった」とちょっとガッカリ(笑)。気が利く蘭丸は、家康の手相を見て、天下獲りの相と聞いた家康はたちまち上機嫌。ところが今度は信長が不機嫌で、蘭丸に「日ノ本には珍しい南蛮人の相」と聞いても目出度くない。家康が天下を取ると聞いて斬ろうとしますが、家康は生まれ年月日の方が当たると言いだし、自分は舞が下手なので幸若舞(こうわかまい)の稽古をすると言って逃げ出します。
 蘭丸に命じて生れ年月日同時刻の者を探させた信長ですが、連れてきた男は極貧の男(万之丞)、同じ生年月日にしては、若すぎるけどね(笑)。信長さんもさすがにワシより若く見えるなんて言ってたけど(^^;)。とにかく、その男、明の太祖の謂れを語ったり、先のことが見えるといったり、「信長様は今日一日天下人、自分は今日一日貧者、明日のことは分からない」と言います。男が智者だと知って信長は面白がり、京に連れて行って馳走すると言いだします。蘭丸は主君に失礼なことを言う男を成敗すると言うし、二人に挟まれた男は信長について行くことにしますが、宿が本能寺だと聞いて逃げ出します。

 所々に笑いどころがあって、最後はそうきたかって感じ。結構面白く、よく出来た作品でした。
 万蔵さんも最近は、改作や新作などにも挑んでくるようになって、意欲的ですね。

「悪太郎」
 大酒飲みの悪太郎は、自分が酒を飲むことを伯父が陰で非難しているという噂を聞いて、陰口をやめさせようと伯父の家へ行きます。悪太郎が長刀を見せつけて脅すと、伯父に酒を振る舞われ、したたか飲んだあげく、酔って帰り道で寝てしまいます。心配して後を追ってきた伯父は道端で寝入る悪太郎を見つけると、こらしめのため悪太郎の髪の毛と大髭を剃り落とし、今後は南無阿弥陀仏と名付けると言い残して去って行きます。目を覚ました悪太郎は、自分の姿にビックリしますが、伯父の言葉を仏のお告げだと思い、仏道修行することを決心します。そこへ僧が念仏を唱えながらやってきて、悪太郎は自分のことかと思って返事をするので、いぶかしがられます。僧に南無阿弥陀仏の由来を聞かされ、悪太郎は、これからは一心に弥陀を頼もうと誓います。

 今回は主役の悪太郎役が小笠原さん、初めの乱暴者ぶり、万禄さんのちょっと気弱そうな伯父が面食らってお酒を飲ませちゃうと、案の定ベロベロに酔って道端で寝込んじゃう。
 この話は昔から悪人ほど発心しやすいという考え方に基づいたものだそうです。目が覚めたら僧形に変えられていたことで出家しようと思うなんて、今では考えられないことですけど、中世ではもっとお告げとか宗教が信じられていたってことでしょうか。
 万蔵さんの僧がやってきて、念仏を唱えるたびに悪太郎が返事をし、最後は一緒に踊り念仏のテンポにのってのやり取りになるのがやっぱり滑稽で大笑いしちゃいます。
2017年7月21日(金) 第40回納涼能
会場:国立能楽堂 14:00開演

ご挨拶:朝倉俊樹
ミニ講座:馬野正基

『枕慈童』
 シテ(慈童):友枝昭世
 ワキ(勅使):殿田謙吉
 ワキツレ(従臣):大日方寛
   大鼓:國川純、小鼓:曽和正博、太鼓:小寺真佐人、笛:松田弘之
     後見:香川靖嗣、中村邦生
       地謡:谷友矩、粟谷充雄、内田成信、粟谷浩之
           友枝雄人、粟谷明生、粟谷能夫、長島茂

「文荷」
 太郎冠者:野村万作、主:石田幸雄、次郎冠者:深田博治     後見:中村修一

 今回で40回になるという納涼能。東京のオフィス街で働く人にも見てもらいたいと日比谷公会堂で始め、平成10年から、能楽堂での鑑賞始めの一歩を踏み入れていただくよう都内の能楽堂(国立、宝生、喜多)で公演するようになったそうです。

『枕慈童』
 魏の文帝に仕える大臣が中国のてつ県山(てっけんざん、れっけんざんとも言う)の麓に薬水の水源があるので、その水上を見て参れとの勅命を受けて山へ入ります。すると山奥に一軒の庵があり、中から美しい慈童が現れます。勅使が「何者か」と問うと、慈童は「周の穆王(ぼくおう)に仕えていた」と名乗りますが、周は700年も前であることに勅使は妖怪変化かと怪しみます。慈童は皇帝から賜った枕を見せ、皇帝の枕をまたいでしまった罪でこの山に流されてしまったのだが、皇帝の恵で枕に法華経の妙文を記したものであり、菊の葉にうつして流れに浮かべると葉から滴るしずくが不老不死の薬となって、700年も生きていると話します。そして慈童は勅使の前で舞を舞い、菊水を勅使に捧げて、庵に戻って行きます。

 最初のミニ講座で馬野さんが、観世流では『菊慈童』と言い、小書で「れっけんざん(てっけんざん)」と言う前場のあるものがあるという話をされていましたが、調べてみると、元々二場だったものが後場だけの半能形式のみで上演されるようになっていたのを、平成16年に梅若会で前場を小書「れっけんざん(てっけんざん)」として復曲したそうです。

 庵から現れた慈童が本当に美しいなあと思いました。
 枕を恭しく掲げ額にそっと当てて一畳台に戻す、ほんの短い時間の仕草に慈童の帝に対する想い、その枕に帝を想いながら、長い年月を過ごしていたのだろうか・・・。
 すでに帝もこの世にいなくなっているのに、不老不死で孤独に生き続けるのは、本当に幸せなのかなあと思うけれど、枕に帝の面影を思い続けることができる慈童は、もしかしたらそれだけでも幸せなのかもしれない。
 一畳台の両端に色とりどりの菊の花束が木のように立てられていて、両方から一束づつ花束を取って両手に持って舞う慈童はただただ美しかった。

「文荷」
 主人は太郎冠者と次郎冠者を呼び出し、思いを寄せる千満殿という小人(少年)に宛てた文を届けるよう言いつけます。奥様に叱られると言っても主人は聞き入れないので、しぶしぶ出かけた二人は、文を互いに押し付け合い、そのうちに竹の棒に文を吊るして二人で担う方法を思いつきます。二人は能『恋重荷』の一節を謡いながら運んで行くうち、文があまりに重いので、何が書いてあるのか気になって中身を盗み読みしてしまいます。文には「恋しく、恋しく」などと綿々と綴ってあり、こう小石だくさんでは重いはずだと笑い、奪い合って読むうちに文を引き裂いてしまいます。困った二人は、風の便りということもあろうと、扇で文を扇ぎだします。そこに主人が心配になってやって来て、文で戯れる二人を見つけ叱りますが、慌てた二人は破れた文を畳んで「お返事です」と渡そうとするので、怒った主人に追われて逃げていきます。

 石田さんの主人に万作さんと深田さんの太郎冠者と次郎冠者。万作さんの太郎冠者が軽やかでちょっとトボケタ雰囲気もあり、可愛らしくて最高でした。深田さんもそんな万作さんに引かれて楽し気に、最後に自分の書いた文で戯れる二人を見て苦虫を噛み潰したような石田主人。鉄板安定トリオのドタバタ、最高でした。

 この後、休憩を挟んで、各流儀の宗家の仕舞と最後に観世宗家の能『安宅』があり、『安宅』は好きなので観たかったのですが、用事ができて、最後まで観ると時間が遅くなってしまうので、やむなく休憩時間に失礼しました。
2017年7月16日(日) 祝15周年納涼茂山狂言祭2017
会場:国立能楽堂 14:00開演

お話:茂山童司

「飛越(とびこえ)」
 新発意:茂山茂、某:茂山宗彦       後見:増田浩紀

「瓜盗人(うりぬすびと)」
 盗人:茂山七五三、畑主:茂山千三郎
   笛:松田弘之
     後見:茂山童司

「業平餅(なりひらもち)」
 業平:茂山逸平
 侍:茂山千五郎
 随身:増田浩紀、鈴木実
 傘持:茂山あきら
 茶屋の亭主:松本薫
 娘:茂山童司
       後見:茂山宗彦

 毎年、事前のリクエストで演目と配役が決まる納涼茂山狂言祭、この日のお話は童司さんが担当でしたが、茂山さんちは、誰が話しても面白いです。
 京都は、祇園祭だそうで、毎年祇園祭の話をしていて、昨日の会でも逸平さんが話をしたので、今日はしませんとのこと(笑)。今回は、演目の解説などしていましたが、最初の演目「飛越」については、「お坊さんが川にはまって残念」と、一言で済ます(大笑)。
 リクエストでプログラムの演者の★が付いているのは、その人でというリクエストだけれど、自分のやる「二人袴」(前日の演目)は題名に★が付いてるだけで、演者はだれでもいいということだそうで、ちょっとすねてました(笑)。
 それから、今、京都の劇場が減っているということで、京都の小さい劇場を作ろうというクラウドファンティングをやっているとのこと。宣伝したいのに企画したあきらさんが、何故かチラシを5枚しか持ってきてなかったとかで、売店の近くに掲示してあるので、よかったら写メで・・・って(笑)。今日も笑いどころ満載でした。

「飛越」
 茶の湯に招かれた男が、寺の新発意(しんぼち)と連れ立って出かけ、ほどなく橋のない小川にさしかかります。男は難なく飛び越えますが、臆病な新発意はなかなか飛び越えられず、何度試みても手前で止まってしまいます。そこで、男が戻って来て手を取り、一緒に飛びますが、新発意だけ川に落ちてずぶ濡れになってしまいます。男が笑うと新発意は腹を立て、門前の相撲で男が投げ飛ばされたことを持ち出して笑い返します。男は怒って相撲を挑み、新発意を打ち倒して帰ってしまい、新発意は男を追いかけます。

 まあ、男が長袴でもいとも簡単に飛び越えてしまうような川を渡れないヘタレ新発意、その上一緒に渡っても、一人川に落ちてずぶ濡れになる有様に男が大笑いしたことで、子供の喧嘩みたいになっちゃいます(笑)。
 なんとも、たわいのない話で、たしかに「お坊さんが川にはまって残念」です。
 「飛越」は上演回数が少ないとのことで、私も初見です。宗彦さんがよくやるらしいですが、今回は茂さんでというリクエストに応えての配役。ずぶ濡れになってからの子どもの喧嘩には茂さんキレ気味でした。

「瓜盗人」
 畑主が、自分の瓜畑が荒らされたのに立腹し、案山子を作り垣根を結っておきます。その夜、瓜盗人が瓜を盗みに来ますが、暗いので見つけられず、転がって瓜を取るうちに案山子にぶつかり、畑主と思い込んで驚いて平伏します。しかし、案山子と知って腹を立て、壊して逃げて行きます。翌日見回りに来た畑主は、今度は、自分が案山子になりすまして待っていると、今夜もやって来た瓜盗人は、畑主を案山子と思い込み、案山子を相手に村の祭りで罪人が鬼に責められる出し物の稽古を始めます。まず案山子を罪人に見立てて鬼の責めを、ついで自分が罪人になって案山子の竹杖を使って責められる稽古をしていると、ころあいをみた畑主が案山子の衣装を脱いで、盗人を追いかけます。

 最近、東京でやる千五郎家の狂言会ではあまり見ない千三郎さんを久しぶりに観られました。
 瓜盗人は、ちょっとした出来心で瓜を盗んでしまい、知り合いにあげた時、自分の畑で出来た物だと嘘をついてしまったことから、また食べたいと言われ、引くに引けなくなって再び盗みに来る羽目になります。そこで、畑主と盗人の駆け引き、最初は案山子だと気付いて逆ギレして壊してしまい、次は案山子だと思い込んで祭の稽古と、なんとも間の抜けた盗人に飄々としてしたたかな畑主。
 七五三さんの盗人は、身から出た錆とはいえ、引くに引けずに盗みを繰り返す、ちょっと哀れさもにじみ出てました。

「業平餅」
 美男で有名な在原業平が、供の者を引き連れて紀州の玉津島明神に参詣する途中で茶屋に入ります。亭主に業平と名乗り、食べ物を持って来させますが、実はお金を持ち合わせていません。かわりに和歌を詠もうと言いますが、亭主がお金を要求するので、業平は餅尽くしの謡を謡って、ため息をつきます。その様子を見て哀れに思った亭主は、餅代の代わりに、娘に都で行儀見習いをさせてほしいと頼みます。女好きな業平は喜んで承知し、娘を呼びに行っている間に餅をたいらげます。亭主が娘を業平にまかせて立ち去ると、娘を妻にしようと言い寄る業平ですが、被衣(かずき)を取るとあまりの醜女なので、びっくり。近くで寝ていたお供の傘持ちを起こし、押し付けようとしますが、傘持ちも逃げ出し、業平も慕い寄る娘を倒して逃げて行きます。

 何となく、お公家さん顔の逸平さんの業平。プログラムの中で逸平さんがこの役について「新作のお公家さんは得意なんですが、この曲の業平さんは案外難しいのです・・・プレイボーイだけじゃいけないし馬鹿でもいけない・・・古典はやっぱり奥深い・・・」ってコメントしてましたが、なるほど、光源氏役の新作の方が生き生きしてたかも。和歌を詠み教養があって女にモテる雅なお方も、浮世離れしててお金などという卑しいものは持たない。まあ、旅に出るのに、お供の者さえ、お金も食料も持ってないっていうのもどうかと思うけど、人並みにお腹は減るのです(笑)。そんな貴族をおちょくってるような展開が狂言らしい面白さ。
 和泉流とは、色々違うところがあるのは、前にも観てるので知ってますが、今回気が付いたのは、お金のことを「おあし」で足をだすけれど、亭主が料足「りょうそく」と言い直して両足を出すという場面は無かったみたい?
 娘の顔を見て驚くところも万作家みたいにフリーズしたりはしなくて、驚きの表情を見せてソロリソロリと逃げ出そうとするのは家によっても表現は違うみたいですが、これもまた面白い。
 傘持役のあきらさんのオトボケぶりも面白かった(笑)。娘役の童司さんは声が可愛いらしくて、万作家の高野さんみたいにコワ〜っていう感じはしなかったから、娘がいくら醜女だからって、ちょっと酷いじゃないって感じもしちゃいました。
2017年7月9日(日) 受け継がれる伝統 創造する伝統― 一噌幸政十三回忌追善会―
会場:国立能楽堂 13:30開演

トーク「受け継がれる伝統 創造する伝統」
 梅若玄祥、一噌幸弘、高桑いづみ

一部「受け継がれる伝統」

 一管 父に捧ぐ(幸弘さんの即興演奏) 笛:一噌幸弘

 連管「鷺乱」(親子でよく連管をした思い出の曲) 笛:一噌庸二、一噌幸弘

 素囃子「草之神楽」(幸政さんが毎朝練習していた曲)
           大鼓:亀井忠雄、小鼓:観世新九郎、太鼓:三島元太郎、
           笛:藤田六郎兵衛

 舞囃子「松風」(幸政さんが名曲と言っていた曲) 梅若玄祥
         大鼓:柿原崇志、小鼓:観世新九郎、笛:一噌庸二
            地謡:小早川泰輝、浅見慈一、北浪貴裕、小早川修

 連吟 狂言「鉢叩」 野村萬、野村万蔵、能村晶人、野村万之丞

 半能『融』舞返し・思立之出
   (幸弘さんが幸政さんの早舞舞返しを聴いて、感動した曲)
      シテ:観世銕之丞
      ワキ:森常太郎
         大鼓:柿原光博、小鼓:大倉源次郎、太鼓:吉谷潔、
         笛:一噌幸弘
           地謡:小早川泰輝、浅見慈一、北浪貴裕、小早川修

二部「創造する伝統」
 「下り端」一噌幸政・幸弘作曲
 (幸政さんが唯一作曲した譜と幸弘さんが作曲した譜のメドレー)
      笛:一噌幸弘

 一調一管「速流笛破」一噌幸弘作曲
      笛:一噌幸弘、太鼓:吉谷潔

 舞囃子「盤渉楽 対旋律付」 梅若玄祥、観世銕之丞
     大鼓:柿原光博、小鼓:大倉源次郎、太鼓:三島元太郎、笛:一噌幸弘
      尺八:辻元好美(特別出演)、ヴァイオリン:壷井彰久(特別出演)
      コントラバス:吉野弘志(特別出演)

 「十二拍子の三番叟」 野村万蔵
      大鼓:柿原光博、小鼓:大倉源次郎、笛:一噌幸弘、藤田六郎兵衛

 「変幻化」一噌幸弘作曲
      創造の神:梅若玄祥、音楽の神:観世銕之丞、からす天狗:野村万蔵
      大鼓:柿原光博、小鼓:田邊恭資、太鼓:吉谷潔
      笛:一噌幸弘、藤田六郎兵衛
      尺八:辻本好美、ヴァイオリン:壷井彰久、コントラバス:吉野弘志
      法螺貝:宮下覚栓

 トークでは、高桑いづみさんが聞き役で、玄祥さんが一噌幸政さんの笛の音に感じたこと、思い出など、幸弘さんが今回の選曲について、一部「受け継がれる伝統」で、お父様の幸政さんの好きだった曲、思い入れのある曲などについて。そして、二部「創造する伝統」では、新作囃子や洋楽器とのコラボなど、能の音楽の創造性や可能性を多くの人に知ってもらいたいという思いなど。いつもの親父ギャグはやはり、十三回忌追善会でもあり玄祥さんの前では言えないようで、真面目に話してました。

 連吟「鉢叩」は、狂言「鉢叩(はちたたき)」から、鉢叩の僧(瓢箪を叩いて托鉢し、茶筅も売り歩いた半僧半俗の者)が仲間と北野神社に参詣し、末社瓢(ふくべ)の神の神前で瓢箪や鉦を打ち念仏を始めると、瓢の神が現れて、皆の行く末を守ることを約束して謡い舞い納めるという話。
 その瓢箪や鉦を打ちながら念仏をする部分を中心に連吟として、幸政さんへの手向けに萬さんが選曲したものです。
 萬さんと万蔵さんが瓢箪を叩き、晶人さんと万之丞さんが鉦を打って、連吟という形でやるのは初めて見ました。

半能『融』
 小書の思立ちの出は、ワキの僧が「思い立つ・・・」と謡いながら登場するものです。ワキの常太郎さん、お父さんの常好さんに体格が似てきたみたいで、貫禄がでてきましたね(^^;)
 迫力ある急の舞、舞返しが聴きどころ、見どころで、銕之丞さんの舞も迫力あり、貴族の幽霊にしては力強い感じ。

舞囃子「盤渉楽 対旋律付」
 すべて単旋律の能の譜に幸弘さんが対旋律を作り、能管が古典の旋律を吹き、尺八、ヴァイオリン、コントラバスが対旋律を演奏します。舞は銕之丞さんが古典、玄祥さんが対旋律で舞います。
 なんか、違和感なく、面白かったですねぇ。舞は、能でも新作能や復曲、コラボなどに挑戦している玄祥さんならではです。

「十二拍子の三番叟」
 能の囃子は普通八拍子ですが、十二拍子というのは、フラメンコの影響で三拍子にも四拍子にもなる面白いリズムとのこと、途中で笛二管が八拍子と六拍子に分かれたクロスリズムになる場面があります。
 三番叟の鈴ノ段をアレンジした舞を万蔵さんが披露。面装束は着けずに紋付袴に鈴と扇を持って登場。普通の鈴ノ段とは違う独創的なアレンジの舞で、こちらもかなり面白く、カッコ良かったです。

「変幻化」
 四つの曲から成り立っていて、どれも個々に上演ができるもので、その一つは、デーモン閣下の最新アルバムに提供した曲もあるとのことです。
 一つの能仕立てになるようイメージし、儀礼的な音楽による表現を試みたとのことで、謡の詞章も作詞し、地謡をいれたのも初の試みとのことです。

 音楽の神(銕之丞さん)が現れ「あら、ありがたの楽の音やな」と謡い、音楽を讃えて七拍子の舞を舞います。音楽の神が去ると、その舞に誘われて現れたからす天狗(万蔵さん)が楽しそうに舞いますが、急に当たりの気配が一変したのに気づき、なにやらおそろしいもの、大いなる存在が現れる、おそろしいことだと言って去っていきます。創造の神(玄祥さん)が登場し、最後は、音楽の神が再登場して創造の神と相舞となります。
 思いがけず能の舞と狂言の舞との違いがはっきりと分かる舞になりました。能の神舞は力強くカッコ良く、狂言のからす天狗の舞は楽し気で軽やか、能はすべて謡いですが、狂言は台詞として言うので分かりやすい。創造の神の玄祥さんは、威厳と凄みがあって、リズムに合わせて杖で二度叩いて足拍子をしたり、洋楽の音にも合わせて動いたりできるのも流石です。

 幸弘ダジャレは出ませんでしたが、今回も楽しく、また幸弘さんのお父様に対する想いのこもった会でした。
2017年7月1日(土) セルリアンタワー能楽堂定期能七月―喜多流―
会場:東急セルリアンタワー能楽堂 14:00開演

おはなし:馬場あき子

『烏頭(うとう)』
 シテ(老人・猟師の霊):友枝昭世
 ツレ(猟師の妻):佐々木多門
 子方(千代童):大村稔生
 ワキ(旅僧):大日方寛
 アイ(浦人):高澤祐介
    大鼓:亀井広忠、小鼓:曽和正博、笛:一噌隆之
       後見:塩津哲生、中村邦生
          地謡:友枝真也、友枝雄人、金子敬一郎、内田成信
              狩野了一、大村定、香川靖嗣、長島茂

『烏頭』
 旅の僧が陸奥国外の浜に行く途中、越中国立山に立ち寄り、地獄さながらの景色(立山地獄)を見て恐ろしさにおののきつつ下山します。ふもとで一人の老人に出逢い、外の浜へ下ったら、去年の秋に死んだ猟師の家を尋ねるように言われます。その妻子を尋ね、家にある蓑笠を手向けてくれるようにと老人は頼み、自分の着ていた麻布の片袖を引きちぎって渡します。片袖を持って僧は外の浜につき、土地の者に猟師の家を尋ねます。教えられた家に行き、猟師の妻と子供に事の次第を語り片袖を渡すと、妻は夫の形見を取り出し、それに合わせるとぴったり合います。妻子は蓑笠を手向け、僧と共に回向していると猟師の霊が現れ供養を謝しつつ、生前多くの鳥獣を殺した重い罪科を仏の力で消してくれるように頼みます。妻子は猟師の姿を見て泣き、猟師が我が子の髪を撫でようとしますが、雲霧に妨げられて子供の姿が見えなくなります。猟師は生前の殺生を悔い、烏頭を捕える様子を物語りその報いで今は地獄に堕ちて責め苦を受けているとその様子を見せ、この苦しみを助けて欲しいと訴え消え失せます。

 プログラムではワキの旅僧が、森常好さんでしたが、大日方寛さんに代わりました。
 最初に馬場あき子さんのおはなしにありましたが、「烏頭」は観世流などの上掛りでは「善知鳥」と書き、「うとう」という鳥のことでもあり、「善知鳥中納言安方(烏頭中納言藤原安方)」という実在の人物がいたそうです。
 青森市安方の善知鳥神社の伝承によると、善知鳥(烏頭)中納言安方という貴族が流罪となって、この地の住み、やがて宗像三女神を祀る祠を建てたのが始まりとされ、善知鳥中納言が亡くなると、どこからともなく見慣れぬ鳥が飛んでくるようになって、その鳥は、親鳥が「ウトウ」と鳴くと、雛鳥の鳴き声が「ヤスカタ」と聞こえることから善知鳥中納言の魂が変化したものであり、“善知鳥(烏頭)”という名が付けられたそうです。

 前場は、わりと短く、サクサクと進む感じ。でも、老人が衣の片袖を引きちぎって渡す場面でプツっと本当に袖を引きちぎる(取れやすくしてあるのでしょうが)。
 生き物を殺して生業をたてることでしか、妻子を養い生きて行く術が無かった猟師としての悲哀。妻子への情愛と、死して後、殺生の罪で地獄の業苦に苦しまなければならない凄惨さ、友枝さんが凄みのある謡と緻密でキレのある舞で見せ、あとはひたすら引き込まれて観ていました。