戻る 

能楽鑑賞日記

2017年10月15日(日) 狂言ござる乃座56th
会場:国立能楽堂 13:00開演

「舟渡聟(ふなわたしむこ)」
 船頭・舅:野村万作、聟:野村萬斎、姑:石田幸雄   後見:岡聡史

素囃子「神楽」
 大鼓:原岡一之、小鼓:田邊恭資、笛:竹市学

新作狂言「なごりが原」
作:石牟礼道子、企画:笠井賢一、構成・演出:野村萬斎
 祇園の笛万呂・櫛稲田媛:野村萬斎
 影身の草比古:深田博治
 影身の虫比古:高野和憲
 精霊:中村修一、内藤連、飯田豪
    後見:月崎晴夫

「舟渡聟」
 矢橋(やばせ)の船頭が朝一番に大津松本まで船を渡し、戻りの船に乗る者を待っていると、都の傍らに住む聟が現れ、船頭の船に乗って聟入りのため矢橋の舅宅に向かいます。船頭は聟が土産に持つ酒樽に目を付け匂いを嗅ぐと、無性に酒が飲みたくなり、船を揺らすなどして聟を脅かして酒をせびります。聟は仕方なく船頭に酒を飲ませ、軽くなった酒樽を持って舅宅を訪ねます。姑が出迎え、舅を呼びに行きますが、舅は先ほどの船頭で、聟の顔を見て驚いて逃げだします。しかし、姑に髭を剃って顔を変えて会うよう言われた舅は、髭を剃り、顔を隠して対面しますが、酒を酌み交わすうち、無理やり顔を見られ、最前の船頭と分かってしまいます。聟は舅を責めず、互いに名残を惜しみながら別れます。

 萬斎さん、だいぶ前に聟役は卒業と言ってたはずですが、まだまだ50になっても聟さんやってますね(笑)。でも、全然違和感無いので、まだいけそうですよ。
 船頭と舅役の万作さん、困ったお方だけれど、何ともお茶目で可愛らしい。やっぱり会話の間が見事。船上では振り回されっぱなしの聟さん、船の揺れに合わせて大きく右左に跳ねる様は、まだまだ元気ですねぇ。親子の息もピッタリです。家ではわわしい妻に頭が上がらない万作舅ですが、ここでも石田姑とのコンビが一番しっくりするなあと思いました。最後は、親子での連れ舞の美しさ。またこの配役で観たい気がしますが、裕基聟と萬斎舅で観られるのはまだ先でしょうか。

「なごりが原」
 舞台は「大廻(うまわ)りの塘(とも=土手)」と呼ばれるススキ野原の土手。石牟礼さんの故郷・熊本県水俣市の水俣河口付近にかつて存在し、幼い頃に遊んでいたところだそうです。
 祇園祭の終わった夜に、櫛稲田媛(くしなだひめ)と夫の素戔嗚尊(すさのおのみこと)が上げ潮に乗って訪れ、休息するという弁天岩で、笛吹きの笛万呂が祇園の女神・櫛稲田媛から「笛の秘曲」を授けるというお告げを受け、まどろんでいると、人に化けた狐たちに起こされます。狐たちは笛万呂に、祇園祭の後の、神々や精霊の集まる祭で笛を吹いてほしいと頼み、やがて精霊たちが寄り来る中で笛万呂は笛を吹きます。すると、櫛稲田媛が現れ、笛の音に合わせて舞を舞い始めます。

 一畳台が目付柱とシテ柱の間、脇正面側に置かれ、ススキの穂を立てた垣のような作り物が正面後ろから脇柱側に4個ぐらい並べられてススキ野原の雰囲気が作られます。一畳台は弁天岩を表しているようです。
 萬斎さんの笛万呂は、白狩衣にベージュの括り袴、折烏帽子(?)。深田さんと高野さんの狐たちが化けきれなくて尻尾が出ているところが可愛らしくてユーモラスです。
 照明を落として精霊たちが現れる場面で、賢徳の面を掛けた精霊たちがそれぞれが灯明を持って茸歩きで登場します。精霊流しなのかな、茸歩きだと水の上を流れて来るようにも見えます。
 やがて、櫛稲田媛が笛の音に引かれて現れます。後場の萬斎さんは白地に金の模様の長絹に緋の大口、ススキの穂を飾った天冠、乙の面で、舞は、『三番叟』の「鈴ノ段」と同じだったようです。

 前半は、狐たちと笛万呂とのやり取りが和やかで楽しく。後半は精霊が現れる時の幻想的な雰囲気、祈りの舞としての「鈴ノ段」、たしか他の狂言でも「鈴ノ段」を神楽舞として舞うのがありましたが・・・『石神』だったかな。
 舞の場面では囃子方が入り、竹市学さんの笛の音がとても美しく響いていました。

 前半は狂言らしい明るさがあり、後半は能掛かりのようでもあるけれど、能のパロディーでもなく、どっちかというと能の中の替間(かえあい)に近いかも。能と狂言の両方を併せ持つ新しい表現の作品として作られたようです。
 プログラムの中の最初の萬斎さんの挨拶「萬斎でござる56」で作品のあらすじが少し書いてあったし、笠井賢一さんの寄稿文などを読めば「荒廃した自然と生きとし生ける者への再生の願いと祈り」という意味合いも理解できますが、何も予備知識なしに観ると難しいかも。
2017年10月13日(金) 五世茂山忠三郎襲名記念 忠三郎狂言会
会場:国立能楽堂 18:45開演

「末広かり(すえひろがり)」
 果報者:大藏彌右衛門、太郎冠者:茂山茂、すっぱ:茂山忠三郎
                        後見:石倉昭二

「魚説経(うおぜっきょう)」
 僧:善竹十郎、施主:善竹富太郎       後見:安藤愼平

「花子(はなご)」替装束
 吉田某:茂山忠三郎、女房:善竹忠重、太郎冠者:大藏彌太郎
                       後見:善竹大二郎、山口耕道

附祝言

 良暢さんが8月に五世茂山忠三郎を襲名後、初めて観る忠三郎狂言会です。四世忠三郎さんが亡くなってから名のみ残した「忠三郎狂言会」でしたが、名実ともに新生「忠三郎狂言会」となりました。

「末広かり」
 果報者が正月の宴の引出物に末広がりを贈ろうと太郎冠者を呼び出し、都で「地紙良う骨に磨きを当て要元(かなめもと)しっととして戯絵(ざれえ)ざっとした」末広がりを買って来るよう命じます。都へ上りついた太郎冠者は、自分が末広がりがどのような物か知らないことに気づき、「末広がり買おう」と呼びまわります。その様子を見たすっぱ(詐欺師)は、手元にある古傘を売りつけてやろうと、太郎冠者が言う末広がりの特徴を傘に当てはめ、言葉巧みに太郎冠者を騙します。おまけに主人の機嫌を良くする囃子物も教わった太郎冠者は意気揚々と帰宅しますが、主人は末広がりとは扇のことと言い、大金を払って古傘を買ってきた太郎冠者を叱りつけ、追い出してしまいます。困った太郎冠者は主人の機嫌を直すべく教わった囃子物を謡ってみると、それを聞いた主人は囃子物に浮かれて機嫌を直し、太郎冠者を家に招き入れ、傘をさしかけて舞い納めます。

 「忠三郎狂言会」では、大蔵流の各家との共演が観られるのですが、大藏彌右衛門さんと茂山千五郎家の茂さんとの共演は初めて観ました。田舎大名風の彌右衛門さんと見た目気が利く太郎冠者風なのにぬけてる茂さんの太郎冠者。忠三郎さんのすっぱの口車に乗せられてすっかり騙されてしまいます。
 芸風の違う家の共演で、まったりした感じの主に小気味よい太郎冠者、中間をいくすっぱで、意外と違和感なく楽しめました。

「魚説経」
 自ら建立した持仏堂に勤めてくれる出家を探している信心者の前に、漁師から一念発起した俄か者の出家が通りかかります。信心者はぜひ自分の持仏堂の住職になって欲しいと請い、出家も快諾します。持仏堂に案内した信心者は、早速説法を頼みますが、まだ経など学んだことも無く、説法など出来るはずもない俄か坊主は、よく知っている魚の名前を並べ立て説法らしく話すことにします。「いでいで鱈ば(然有らば)、説法を述べんとて、烏賊(如何)にも・・・」と始まった説法を訝しく思いながらも聞いていた信心者も、最後は堪忍袋の緒が切れて俄か坊主を追い出します。

 和泉流だと、住職が留守で新発意(仏門に入って間もない者)がお布施欲しさに堂に行き、子供の頃に浜辺に住んでいたので魚の名を並べて説法するという筋ですが、元漁師の俄か坊主というのが違うところです。
 息の合った十郎さんと富太郎さんの親子共演で、やっぱり十郎さんの魚尽くしの説法が面白いです。抑揚のある語りで魚の名が入るところをハッキリ言うので笑っちゃいますwww
 最後は「生だこ、生だこ(なんまいだ、なんまいだ)」(大笑)

「花子」替装束
 洛外に住む吉田某は、以前に美濃国の野上の宿で馴染みになった花子が都に上って来て、自分に会いたいと手紙をくれたので、何とかして会いに行きたいと考えます。妻がうるさいので一計を案じ、最近夢見が悪いので、諸国の寺々にお参りに出かけたいと申し出ますが、妻は夫と長い間離れるのは嫌だと言い張り、どうしても承知しません。それでも持仏堂に籠って一晩座禅することで何とか承知させ、修行の妨げになるので決して覗きに来るなと念を押します。吉田某は太郎冠者に座禅衾をかぶせ、身代わりにすると、花子のもとへ飛んでいきます。
 妻は止められていても気になって、夫の様子を見に来ますが、あまりに窮屈そうなので座禅衾を無理に取ってしまいます。現れた太郎冠者を見て事の真相を知り、激怒した妻は、今度は自分が太郎冠者の身代わりになって、夫の帰りを待ち受けます。そうとは知らず、花子との再会に夢うつつで帰って来た夫は、その夜の一部始終を、座っているのが太郎冠者だと思い込んで語って聞かせます。ところが座禅衾を取り除けてみると、妻が現れるので驚き、怒り狂う妻に追いかけられて逃げ惑います。

 「花子」は、本来結婚してからでないと披けない曲だそうですが、良暢さんは先代忠三郎さんが高齢だったこともあり、まだ独身の23歳の時に披き12年ぶりの上演になるそうです。
 替装束という小書がついて、前と後で装束が替わります。はじめは素襖の下に白大口、花子の元から帰って来る時は、片袖脱ぎの素襖長袴。
 極重習曲で花子のところから夢うつつに帰ってきて逢瀬の一部始終を謡う場面が長く続く見せ場です。謡いが大変ですが、身振り手振りも加え、太郎冠者が妻に代わっているのを知らずに情緒たっぷりに謡うのが、可笑しくもあり、凄いです。
 妻役の善竹忠重さんは、細くて背が高い、忠三郎さんよりだいぶ年上妻ですね。座禅衾を取られてからすぐ立ち上がって夫の方に向いたので、忠三郎さんがちょっと逃げるような形になり、そこで妻が地団駄を踏んで怒り、夫が振り返る。妻は戻って座禅衾を持って振りながら追いかける。これも家によって型が違うんでしょうね。
 今まで観たのでは、座禅衾をとってから、夫が前にまわって妻の顔を見て驚く(驚き方は家によって違いますが、フリーズしたり腰を抜かしたり)、というのだったので、ずいぶん違うんだなあと思いました。

 帰りに能楽堂の入口ロビーで忠三郎さんのご長男がお見送りに立ってて可愛かったです。プログラムに襲名披露公演で、親子そろってご挨拶している写真が載ってましたからすぐ分かりました。
2017年10月12日(木) 茂山千作・千五郎襲名一周年 東京茂山狂言会 第22回
会場:国立能楽堂 19:00開演

「八幡前(やわたのまえ)」
 聟:茂山童司、舅:茂山あきら、太郎冠者:鈴木実、教え手:茂山茂
                         後見:山下守之

「蟹山伏(かにやまぶし)」
 山伏:茂山宗彦、強力:茂山逸平、蟹の精:茂山千五郎   後見:山下守之

「縄綯(なわない)」
 太郎冠者:茂山千作、主人:茂山千三郎、何某:茂山七五三
                         後見:鈴木実

「八幡前」
 ある長者が、一芸を持つ者を聟にしたいと公募します。それを見た男が志願しようとしますが、肝心の一芸がありません。しかし、付け焼刃でも間に合うはずと、知人の所へ行き相談します。知人は男を弓の名手に仕立て上げ、ただし射ても当たらないだろうから、その時は「いかばかり神もうれしと思(おぼ)すらん八幡の前に鳥い立てたり」と歌を詠めば歌道の達人と感心されるはず、歌を覚えられなくても、陰からそっと教えてやろうと言います。喜んで長者の家へ出かけた男は早速近くの川で水鳥を射ることになりますが、もちろん当たりません。そこで用意した歌を詠もうとすると間違えてばかり、途中まで詠んだところで、知人はあきれて帰ってしまい、男は仕方なく出まかせに歌を詠んで、ますます恥をかいてしまいます。

 後半のやり取りは「萩大名」と同じです。「萩大名」の大名の場合は、ただおバカの大名というのではなく、田舎大名だから大名としての役目はちゃんと出来ているけれど、歌などには疎いという背景が感じられるけれど、この男はお調子者なだけでいい加減だなという感じに見えます。教え手もまったく弓を持ったこともない人を弓の名手に仕立て上げるって、絶対無理だから歌の名人でごまかすのかいwww。まあ、そういうハチャメチャなところも狂言だから許されるのだけれど、童司さんのアホぼんぶりが無邪気で可愛いいから良しとするかwww

「蟹山伏」
 山伏が強力を従えて旅をする途中、山深い沢辺で突然、異形の者が現れます。名乗りの謎かけを解いて蟹の精と分かり、強力が捕えようと棒で打ちかかりますが、大きなはさみで耳を挟まれてしまいます。山伏が祈りの力で放させようとしますが、蟹はますます強く挟みつけ、ついには山伏も挟まれて、二人とも投げ倒されてしまいます。

 宗彦さんと逸平さんの息の合ったやり取りが漫才みたいで楽しい。宗彦山伏が蟹の精に近づく時に右足をチョンと出してすぐ引っ込めるビビりぶりも笑っちゃいます。何といっても蟹の精の千五郎さんが不気味で、山伏がビビるのも分かるなあという感じです。
 蟹の精、子供がやると可愛さが勝ってしまいますが、山伏もビビる不気味さ、如何にも異形の者という感じが出ていて良かったです。一番面白かった。

「縄綯」
 博打で大負けした主人は、太郎冠者を借金のカタに何某にやることになります。何も知らされずに何某の家に来た太郎冠者は、事情を知ってへそを曲げ、仕事を命じられても徹底的に反抗して働かず、持て余した何某はいったん主人の所に戻して様子をみることにします。今度は主人が勝って取り戻されたと聞かされ、大喜びで帰宅した太郎冠者は、縄綯いを命じられると嬉々として縄を綯いながら、途中で主人と何某が入れ替わったことに気付かず、何某の家の悪口をしゃべり出します。それを聞いた何某は怒りだし、気が付いた太郎冠者は慌てて逃げて行きます。

 和泉流だと主人が太郎冠者を迎えに行くんですが、大蔵流では太郎冠者が喜んで帰って行くところが違います。
 先代の千作さんが亡くなってから、すごく似てきたと感じていたせいか、はたまた「縄綯」は四世千作さんのイメージが強いせいか、比べるつもりは無いけど、もう少しと思ってしまいました。縄を綯いながらの太郎冠者の落語のような語りとテンポが肝ですが。