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能楽鑑賞日記

2017年11月25日(土) 万作を観る会 牛盗人 第二日
会場:国立能楽堂 14:00開演

小舞「祐善(ゆうぜん)」
 野村万作          地謡:内藤連、高野和憲、中村修一、飯田豪

「水掛聟(みずかけむこ)」
 聟:野村遼太、舅:石田幸雄、妻:岡聡史       後見:飯田豪

「咲嘩(さっか)」
 太郎冠者:野村萬斎、主:野村太一郎、咲嘩:深田博治   後見:内藤連

「牛盗人(うしぬすびと)」
 藤吾三郎:野村万作
 奉行:野村萬斎
 太郎冠者:高野和憲
 次郎冠者:月崎晴夫
 子:松原悠太
    地謡:内藤連、深田博治、竹山悠樹、飯田豪
       後見:野村太一郎

 二日間で、「牛盗人」以外は演目が違いますが、今回は二日目のみ観てきました。

小舞「祐善」
 狂言「祐善」の終曲部を小舞仕立てにしたもの。
 能のパロディ形式の狂言「祐善」は、日本一下手な傘張り職人と言われた祐善が、誰からも相手にされずに憤死し、命日に通りかかった旅僧の前に亡霊として現れ、最期の有様を語り、これまで地獄の底に沈んでいたのが、僧の回向のお陰で極楽往生できたと舞い納める話。唐傘を持って傘づくしの詞章を舞います。
 日本一の傘張りの下手というのが、狂言らしいユーモアですが、万作さんの舞は美しくペーソス溢れる舞でした。

「水掛聟」
 聟が田を見回りに来ると、水が隣の舅の田に取られていることに気づき、畦を切って自分の田に水を導き入れて去って行くと、今度は舅が田を見回りに来ます。自分の田に水が無く、隣の聟の田になみなみとあるのを見た舅は、聟の田から水を引き返すと、番をしています。そこへ再び戻って来た聟と舅は水の所有権をめぐって口論となり、互いに畦を切って水を引こうと争っているうち、聟が舅の顔に泥水を掛けてしまい、互いに水をかけあったり、泥をなすり合ったりした挙句取っ組み合いのけんかになります。妻が駆けつけて仲裁しようとしますが、最後は夫の味方をして父親の足をとり、二人で打ち倒し、仲良く帰って行くのでした。

 舅と聟となると、もうちょっと遠慮して協力しあっても良さそうなものだけれど、ここではそうはならず、水を取り合うあげく、水をかけたり、泥をなすりつけたりと、まるで子供の喧嘩(笑)。取っ組み合いの喧嘩になると岡さんの妻が駆けつけてきて、夫に言われると父親の足を取り、父に言われると夫の足を取りと右往左往。結局、最後は夫の味方をして父親を投げ倒してしまい「のう、愛しい人、こちへござれ」と手に手を取って帰って行く二人。背の高い岡さん妻と遼太さん夫はちょっとノミの夫婦だけど、仲良い二人を見送って「次の祭りには呼ばんぞよ」と、石田さん舅はあんまりしんみりとせず、負け惜しみながらも人の良さが出ていて救われます。
 パンフレットに出ていた「我田引水」とか「水掛け論」とか、これらの言葉と狂言の先後関係は不詳とのことですが、まさにピッタリで関係有りそうですよね。

「咲嘩」
 都の伯父に連歌の宗匠を頼もうと主人は太郎冠者に呼びに行かせますが、伯父を知らない太郎冠者は、都で大声で呼びながら歩き、自分こそ伯父だという「見ごいの咲嘩」という詐欺師を連れて帰って来ます。驚いた主人は面倒なことにならないよう、適当にあしらって帰すことにしますが、太郎冠者が失言を繰り返すので、自分の真似をして振舞うよう命じます。すると、太郎冠者は主人の言う事やる事すべて真似て、主人が自分を叩くと咲嘩を叩き、最後に怒った主人が太郎冠者を突き倒して、咲嘩に恭しく挨拶して引っ込むと、太郎冠者も咲嘩を突き倒し、倒れている咲嘩に恭しく挨拶して引っ込みます。

 前半は「末広かり」、後半は「口真似」に似ています。咲嘩は有名な大盗人のはずだけれど、太郎冠者のすっとぼけた対応に振り回されてなんともお気の毒な感じ(笑)。実直そうな深田さんがやると、ますますそんな感じがしちゃいます。
 萬斎太郎冠者は確信犯的で、いつもは騙す側の詐欺師が訳の分からない対応に振り回されてやっつけられちゃうみたいな、それもまた面白いかも(笑)。
 主人役の太一郎さんも若いのに主人らしい貫禄がありますね。

「牛盗人」
 法皇の御車を引く牛が盗まれ、盗人を訴え出れば何なりとも褒美を与える高札を見た子供が隣在所の藤吾三郎が犯人だと訴え出てきます。さっそく捕縛に向かった太郎冠者・次郎冠者に召し取られ、奉行の前に引かれてきた藤吾三郎は、なお白を切りますが、訴え出た子供と対面させると、二人は実の親子でした。観念した三郎はようやく白状しますが、我が子に訴えられて悲しむ三郎を獄舎に引こうとすると、子供が褒美に父の助命を求めます。他人の訴えで父が処刑されぬように自分が訴えたという子供の真意を知った三郎は感激し、嬉し泣きすると、奉行ももらい泣きして三郎を許し三郎は喜びの舞を舞います。

 狂言には珍しい、歌舞伎の人情話のような話ですが、裕基くんがまだ小さかったころに演じて以来ということで久々です。万蔵家でも観ましたが、そんなにはやらない演目です。
 子供役の松原悠太くん、最近万作家の子方として時々でているようですが、健気な子供役として、とてもしっかりしていて聡明な感じでした。
 やっぱり、万作さんの語りが子供に裏切られた悲しさや悔しさ、親としての情けなさがいつもより、情感たっぷりに語られていて、引きつけられます。三郎の盗みも貧しさ故にやむなくやってしまったこと、子供の本心を知って今度は嬉し泣き、奉行までももらい泣き。萬斎奉行は、黒い大髭で偉そうにしていながら急に泣き出すところがちょっと滑稽でもあります。
 緊張感がありながら、最後はホッコリするところが、狂言の良い所です。
2017年11月24日(金) 大藏流狂言 第16回 吉左右会
会場:東急セルリアンタワー能楽堂 18:30開演

おはなし:大藏教義

「粟田口(あわたぐち)」
 大名:榎本元、太郎冠者:上田圭輔、すっぱ:大藏彌太郎

「節分(せつぶん)」
 鬼:宮本昇、妻:善竹大二郎

「棒縛(ぼうしばり)」
 次郎冠者:大藏教義、主人:大藏吉次郎、太郎冠者:大藏基誠

附祝言

 最初に教義さんが登場して、始めは笑いでということで、教義さんが見本を見せ、観客も全員で笑いの型で大笑い。さすがに狂言師、舞台モードになると声が大きい。
 今回は、宮本さんが芸歴30周年で、「節分」を再演するということで、会の副題が「〜実るか散るか鬼の恋〜」になっています。

「粟田口」
 大名が太郎冠者を呼び出し、道具比べに出すための「粟田口」を都で求めてくるよう言いつけます。大名も太郎冠者も「粟田口」が何なのか知らず、太郎冠者が街中を尋ね歩いていると、すっぱ(詐欺師)が近づいてきて「自分こそ粟田口だ」と名乗ります。言葉巧みなすっぱの言う事を信じ込んだ太郎冠者は喜んで大名のもとへ連れ帰ります。大名も粟田口が人であると知ってびっくりしますが、真贋を確かめるために書物に書かれた粟田口の条件とすっぱの話を比べてみることにしますが、すっぱが巧みに答えるので、すっかり満足します。大名はすっぱを供にして出かけ、名前を呼ぶと機敏に答える反応を面白がって、何度も繰り返しているうちに、すっぱは持たされていた太刀と小刀を持ち逃げしてしまいます。一人残った大名は、あちこち探し歩きますが、騙されたと気付いて慌てて追いかけて行くのでした。

 「粟田口」というのは、京都粟田口に住んだ刀鍛冶一派の家名で、彼らが作った刀を粟田口と称し、代々名工で権力者がコレクションにし、今でも国宝や重文に指定された刀が多く存在するそうです。
 刀の条件に合わせるのに「銘(めい)はあるか」と言われれば「姪(めい)がいる」と答えるなど、無理無理な言葉合わせにも笑っちゃいますが、すっかり騙された大名が名を呼ぶと右へ左へキビキビ動くすっぱを面白がって上機嫌。隙を見て太刀・小刀を持って逃げ出す彌太郎さんのすっぱの動きもキビキビ、ノリノリでした。いつの間にか姿が見えなくなったすっぱを探してしょんぼりする大名がちょっと可哀相。でも、ふと騙されたと気付くと慌てて追いかけて行く。榎本さんの大名も気が良くて鷹揚な感じが出ていました。

「節分」
 節分の夜に、蓬莱の国から日本にやってきた鬼。なんだかお腹が空いたところ、一軒の家を見つけ、食べ物を頂戴しようと考えます。家には夫が出雲大社へ年ごもりに出かけたため一人で留守番している女がいました。鬼はその妻に一目惚れし、近所の者だと言って戸を開けてもらいますが、最初は隠れ蓑に隠れ笠のせいで見えず、蓑と笠を取ると鬼の姿に驚いた妻は恐ろしがって、鬼を追い出そうとします。鬼はなぜ自分が恐ろしいのか理由が理解できません。お腹が空いたので食べ物を求めると、荒麦をもらいますが、そのまま食べることが出来ないと知ると捨ててしまいます。妻を怒らせてしまった鬼は、小唄を歌って口説き落とそうとしますが、叶わぬ恋と知って大泣きしてしまいます。それを見た妻は「鬼さん、まことに私のことを想うのなら、宝を私にくださいませ」と謡まじりに要望します。鬼は易いことだと、隠れ蓑、隠れ笠、打出の小槌を差し出し、恋が叶ったと喜んで、くつろいでいると、妻から、今日は節分なので「そろそろ豆を囃す時間」だと豆を投げつけられ、泣く泣く退散するのでした。

 大二郎さんの妻は、ぽっちゃり、気が強くて押し出しのいいおばちゃん風に見えるので、美しいと一目惚れする鬼に思わず・・プププ。小野小町か楊貴妃かと小唄で必死に口説く宮本さんの鬼さん。蓬莱の宝を渡して、やっと思いが伝わったと思ったとたん豆を投げつけられて、何とも切ない。
 鬼が怖いのか、はたまた人間の方がもっと怖いのか(笑)。

「棒縛」
 主人が外出するたびに、毎回酒を盗み飲みする太郎冠者と次郎冠者に困った主人は、今日は二人を縛って出かけることにします。太郎冠者を呼び出し、次郎冠者を縛ることを相談すると、次郎冠者に棒術の技である「夜の棒」を披露させ、隙をついて縛り付けることにし、その姿を見て面白がる太郎冠者を、主人が後ろから縛りあげて、出かけてしまいました。
 縛られたまま留守番をすることになった二人は、この窮屈な姿だからこそ、なお酒が飲みたいものだと、策を弄して酒蔵の戸を開け、まんまと酒にありつくことができ、次第に縛られたまま謡い舞い、大盛り上がりの酒宴となります。そこに主人が帰って来ますが、そうとは気づかずに酒を飲もうと盃を見ると、そこには主人の顔が映っています。酔っている二人は「きっと主人が、また私たちが酒を盗んで飲んでいないかと心配する執心が、この盃に映ったのだ」と言い、その顔が「渋くて憎たらしい顔だ」などと悪口を言いだし、怒った主人は二人を打ちます。太郎冠者は一目散に逃げますが、次郎冠者は棒術で対抗して逃げ惑う主人を追いかけて行くのでした。

 最もオーソドックスな演目の一つですが、和泉流と大蔵流の大きな違いは、太郎冠者と次郎冠者の役が反対なところ。だから大蔵流では次郎冠者がシテになります。他に違ったところでは、酒蔵を開ける時に「ピーン」とかカギを開ける仕草が入らずにいきなりガラガラと戸を開けていたことだとか、あとは、最後に冠者が棒術で対抗するのはありますが、結局逃げて、主人が追いかけるという印象があったので、これも違うところなのか、あるいは私の思い違いか?
 縛られたままの舞は、和泉流(万作家)ほど、顔を動かしたりして強調はしてなかったようですが、教義さんと基誠さんの二人の酒盛りは楽しそうで、盃に映った主人の顔を見て悪口を言い合うところなんかも大笑いしちゃいます。結局翻弄されちゃう吉次郎さんの主人が一番気の毒。
2017年11月5日(日) 友枝会
会場:国立能楽堂 13:00開演

『松風(まつかぜ)』
 シテ(松風):友枝昭世
 シテツレ(村雨):狩野了一
 ワキ(旅僧):宝生欣也
 アイ(里人):野村万蔵
   大鼓:國川純、小鼓:曽和正博、笛:杉市和
     後見:内田安信、中村邦生
       地謡:谷友矩、大島輝久、内田成信、佐藤陽
           粟谷明生、粟谷能夫、香川靖嗣、出雲康雅

「茶壺(ちゃつぼ)」
 すっぱ:野村萬、男:野村万之丞、目代:野村万蔵

『野守(のもり)』
 シテ(老翁・鬼神):友枝真也
 ワキ(山伏):則久英志
 アイ(里人):能村晶人
   大鼓:柿原光博、小鼓:森澤勇司、太鼓:小寺真佐人、笛:一噌隆之
     後見:塩津哲生、佐々木多門
       地謡:佐藤寛康、粟谷充雄、粟谷浩之、塩津圭介
           友枝雄人、長島茂、大村定、金子敬一郎

『松風』
 西国行脚を志す僧が須磨の浦で、由ありげな松の木を見とめて、里人に尋ねると、在原行平の寵愛を受けた松風・村雨という二人の海女の旧蹟であると知ります。あわれに思った僧は、二人の菩提を弔い、日が暮れたので、とある塩屋に泊まることにします。
 月夜の浜辺に潮汲み車を引いた海女が二人現れ、うち興じつつ潮を汲み、桶に移った月影を乗せて運んで来ます。塩屋に一夜の宿を許された僧は喜びのあまり、行平の歌を口ずさみ、松風・村雨の旧蹟を弔ったことを話すと、二人はさめざめと嘆き悲しみ、自分たちこそその幽霊であると打ち明けます。二人は都に帰ってしまった行平との生活を懐かしみ、松風は、行平の形見の烏帽子・狩衣を身につけると、妄執にとらわれ、松を行平とみて、狂乱の舞を舞います。やがて姉妹の亡霊は僧に回向を頼んで消え去ります。

 死してなお、愛した男を思い続ける『井筒』でも『松風』でも思うのだけれど、ただ美しいばかりではない、想いが伝わってくる。友枝さんは絶品。形見の衣を抱きしめ、身につけるとハッとしたように声をあげ、松を見て立ち上がる。懐かしく、切なく、狂おしく、哀しく、そして愛しい。そんな思いが次々と現れ、最後は昇華されたように、透明に澄んだ存在となって消えていくように見えた。

「茶壺」
 したたか酒に酔って道に眠り込んでしまった男を通りかかったすっぱ(詐欺師)が見つけ、男が背負っている茶壺を盗もうとしますが、右の肩ひもに手を通しているので盗めません。そこで、すっぱも左の肩ひもに手を通して寝、男が目を覚ますと、これは自分の物だと主張します。仲裁に入った目代(代官)に男が事情を話すと、すっぱもコッソリ聞いて同じ説明をします。困った目代は、茶を詰めた記録を二人同時に舞い語らせますが、それでも判断がつけられないとなると、「昔より奪い合う物は中から取るという」と言って茶壺を持ち去ってしまい、驚いた二人は目代を追いかけます。

 万之丞さんが、イイ男になったなあと思うこのごろ。酔っ払いの姿はまだどことなくぎこちなさを感じるんですが(笑)、多分目が酔ってないから?
 萬さんのすっぱが真似をして舞う二人が微妙にずれて舞う場面で、所々ピッタリ合わせる技が何とも可笑しくてニンマリ笑ってしまう。最後は、目代の万蔵さんがちゃっかり茶壺を持ってっちゃうオトボケ。また大人になった万之丞さんとの親子三代共演が観られるのも楽しい。

『野守』
 奈良の春日野を訪れた山伏は、野守の老人から池が野守の鏡だと聞きます。老人は、昔、帝の鷹狩りの時、見失った鷹の姿を、野守が水鏡に写して探し当てたことを語ります。山伏は本当の野守の鏡を見たいものだと言いますが、老人は鬼の持つ鏡は恐ろしいものなので、この水鏡を見るようにと言って姿を消します。山伏が祈っていると、夜になって塚の中から鬼神が現れ、天上界から地獄の底まで、全てを映し出す不思議な野守の鏡を山伏に与えると、大地を踏み破って消え去ります。

 ここに出て来る鬼は、人間の執心が怨霊となったものではなく、人間に害を与えるものでもない。人知を超えた宇宙の摂理ともいうべき大きな存在とのこと。その鏡は世界をくまなく映し出すだけでなく、人の心の内までも映し出す。
 後シテの真也さんの鬼神の力強くキレの良い舞。そして怖ろしさと影も感じる。
 しかし、鬼神はそんな鏡をなぜ山伏に渡したのだろう。