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能楽鑑賞日記

2017年12月23日(土) 国立能楽堂特別企画公演
会場:国立能楽堂 18:30開演

小舞「鵜飼(うかい)」
 野村萬斎       地謡:月崎晴夫、内藤連、高野和憲、中村修一、飯田豪

「宗八(そうはち)」
 宗八:野村万作、有徳人:岡聡史、出家:竹山悠樹

一調一管
「瀧流延年之舞(たきながしえんねんのまい)」
 笛:藤田六郎兵衛、小鼓:大倉源次郎

新作狂言「鮎(あゆ)」
作:池澤夏樹、演出・補綴:野村萬斎、国立能楽堂委嘱作品・初演
 小吉:野村萬斎
 才助:石田幸雄
 大鮎:深田博治
 小鮎:月崎晴夫、高野和憲、内藤連、中村修一、飯田豪
    笛:藤田六郎兵衛、小鼓:大倉源次郎

小舞「鵜飼」
 能「鵜飼」の「鵜ノ段」を小舞にしたものです。鵜使いの亡霊が鵜を使う様を再現して見せ、やがて月が出て闇路に帰って行きます。
 能よりも狂言らしい写実的で軽妙な動きがあるのが狂言の小舞ですが、萬斎さんらしいキレの良い舞で、最後は一転して静かに闇の中に消え入るようでした。

「宗八」
 有徳人(お金持ち)が、出家と料理人を雇おうと高札を掲げます。そこに料理人の生活が空しくなって出家した僧と、出家が嫌になって料理人になった宗八がやって来て、二人とも雇われることになります。主人は出家には経を読むように言い置き、宗八には鮒と鱠(なます)と鯛の背切りを作るように言いつけて出かけます。経を読めない出家と魚を切ったことが無い宗八は、前身を明かして仕事を取り替えることにします。出家が魚を捌き、宗八が経を読んでいると、主人が帰ってきたので、二人は慌てて元の仕事に戻ろうとしますが、出家は魚を持って読経し、宗八は経を包丁で捌こうとするので、怒った主人に追い込まれます。

 精進料理ならば出来るから何とかなるだろうという宗八と、経が読めなくても仏壇の掃除くらいなら出来るという俄か坊主。そうは簡単にいかなかった(笑)。ここで2人の困りようがまた面白い。
 竹山僧は、経を見て「これは四角い字ばかりで一字も読めることではない」(笑)。万作宗八は魚の捌き方が分からず四苦八苦で困り顔のうえ、いきなり魚の頭を叩き切ろうとして出家に止められ、教えられることで、互いに元の仕事が反対なことが分かって、じゃあ、取り替えればいいじゃないかという事になるわけです(笑)。
 精進を守るべき僧が生臭い魚を料理し、殺生を業とする料理人が経を読むという立場の逆転と皮肉。やっぱり、最後に出家が魚を持って経を読んだり、宗八が経を包丁で切りそうになったりする慌てぶりが大笑いです。

「鮎」
 清流手取川のほとりに住む才助は今日も川へ出て鮎を釣ります。この才助、不思議な力を持っていて、人の顔を見るとその者の人柄や将来を見通せると言います。さて、次々に鮎を釣り上げる才助の前に、どこから来たのか泥まみれ血まみれの男がやってきます。喧嘩をして山向こうから逃げてきたという男を、才助は小屋に連れ帰り、釣れたばかりの鮎と飯を振る舞い、この地で暮らすことを勧めます。しかし、小吉と名乗るこの男、町へ出て一旗揚げるつもりだと才助の言を聞きません。
 小吉は才助の紹介で金沢の大きな宿屋に職を得ます。最初は風呂焚き、次には下足番、時を経て番頭へと出世、ついには入り婿となって宿屋の主人へと上り詰めます。そんな噂を田舎で聞いていた才助は、甥の徴兵のことで、子供の頃から生臭ものも食べないほど殺生が嫌いなので、後方へ配置されるよう、口利きをしてもらえまいかと頼みに行きます。それを小吉が断ると、才助は質素なもので良いのでなにか食べさせてもらえまいかと言います。それを聞いて無性に腹が立った小吉は「私のところは人さまをお泊めして、食事を召し上がっていただくことを商売にしている。タダで差し上げるものは飯一粒ない」と断ります。すると才助が「それでは、わしは村へ帰って、九頭竜川の鮎を焼いて食べることにしよう。ご一緒にいかがかな、小吉どの」と言ったとたん、小吉は才助の小屋の囲炉裏の前に座っていて、鮎が焼けていました。小吉も才助も30年前に戻っていたのでした。才助は「この村にいた方がずっと真っ正直でいい人間になれる。悪いことはいわんから、このままこの村で暮らしなさい」
と、言うところで、原作は終わっています(プログラムに原作の短編小説が全文載っていました)が、能『邯鄲』の盧生のように栄耀栄華も一炊の夢と悟って故郷で暮らすかと思いきや、狂言の小吉は「町へ出たい」「夢が見たい」「銭が欲しい」と叫んで終わります。

 まず、原作にはない鮎たちが大活躍です。才助が釣りをすると、次々に釣れる鮎たち、頭の被り物は横に丸い目のような物がついていて魚の顔を表してます。そして、横泳ぎのような型でサササーと動くのが魚が泳いでいるように見えます。その鮎たちが、釣られて食われても、また鮎に生まれて来世で一緒に泳ごうと、全然悲壮感がない。串に刺されて(棒を後ろ手に持って身体を少し逸らせ、爪先立ちになると、串に刺されているような感じに見える)囲炉裏で焼かれると、焼ける音も段々変わっていくところがリアルで美味しそうww
 その後も、小吉が出世していく場面では、鮎が語り部のようになったり、場面ごとに何役もこなして大活躍。小吉は出世すると、上に重ねる装束が変わり、時間が元に戻ると装束も元に戻る。最初は囲炉裏として置かれていた真ん中が四角く開いた台も場面によって蓋をしたりして様々な物に見立てて使われ、最後は囲炉裏で焼かれる鮎たち共々元に戻り、古典の技やこれまで萬斎さんが様々な舞台で培ってきた彼らしい演出。
 最後は、諭されて終わるのかと思いきや、突然叫ぶ小吉。人間の欲を素直に表現するところが狂言らしい。説教くさくならず、清流に住む無私無欲な鮎と出世欲と共に心が澱んでいく小吉との対比も含んでいて余韻があり、かつ面白い作品になっていました。
 これはまた、是非再演を重ねて欲しいですね。
2017年12月14日(木) 第80回野村狂言座
会場:宝生能楽堂 18:45開演

解説:高野和憲(18:30〜)

「舟ふな(ふねふな)」
 主:井上松次郎、太郎冠者:井上蒼大    後見:高野和憲

「宗論(しゅうろん)」
 浄土僧:野村万作、法華僧:野村萬斎、宿屋:竹山悠樹    野村裕基

「千切木(ちぎりき)」
 太郎:石田幸雄
 当屋:高野和憲
 太郎冠者:岡聡史
 立衆:野村太一郎、内藤連、中村修一、飯田豪
 妻:深田博治
    後見:月崎晴夫

「舟ふな」
 西宮へ遊山に出かけることにした主人と太郎冠者は、神崎の渡しまでやって来ます。太郎冠者が向こうにいる船人に「ふなやーい」と呼ぶので、主人が「“ふな”ではなく“ふね”だ」と注意しますが、太郎冠者は「ふな」が正しいと言い張り、「ふな出して跡はいつしか遠ざかる・・・」「ふな競う堀江の川の水際に・・・」などと古歌を次々と挙げるので、主人も「ほのぼのと明石の浦の朝霧に嶋がくれゆくふねをしぞ思ふ」と古歌を挙げて対抗します。しかし、太郎冠者が次々と古歌を引いても主人は同じ歌を繰り返すだけで窮してしまいます。そこで謡の一節を思いつき「山田矢橋の渡しぶねの夜は通ふ人なくとも、月の誘わばおのづからふねもこがれいづらん」と謡いますが、次の「ふ」で詰まってしまいます。太郎冠者が続きを「ふな人もこがれいづらん」と謡って、主人に叱りつけられます。

 正しい主人が間違っている太郎冠者にやりこめられて最後に怒っちゃう話。
 狂言共同社の井上松次郎さんと息子さんの井上蒼大(そうだい)くん(中学1年生)の親子共演です。松次郎さんの息子さんは初めて見ました。お父さんに似ず(笑)痩せててちょっとイケメン。まだ変声してない感じの声でした。
 間違っているのに、主人をやり込める太郎冠者ですが、子供だと小生意気だけれど、あまり憎たらしく見えないからかえって良いのかもww

「宗論」
 身延山帰りの都・本国寺の法華僧と、善光寺帰りの都・黒谷の浄土僧が道連れとなります。ところが相手の宗旨が分かった途端に言い争いが始まり、宗旨替えをするよう、お互い自分の数珠を相手の頭上に振りかざして迫ります。浄土僧のしつこさに辟易した法華僧は宿へ逃げ込みますが、浄土僧が後を追ってきたので、同じ部屋に泊まるはめになり、二人は、お互いの宗旨替えをかけて宗論をします。法華僧が「五十展転随喜(ごじってんでんずいき)の功徳」を芋茎(ずいき)ととり違えて説くと、浄土僧は「一念弥陀仏即滅無量罪(いちねんみだぶつそくめつむりょうざい)」を無量の菜と珍解釈して説き、互いにけなしあいますが勝負がつかず、二人とも寝てしまいます。朝の勤行の時間となり、お互いに大声で念仏と題目を唱えるうち、拍子にのって夢中で踊り念仏・踊り題目の張り合いになります。そのうち、念仏と題目を取り違えてしまい、釈迦の教えに隔てはないと悟って和解します。

 浄土僧が万作さん、法華僧が萬斎さん。親子共演になると大体配役はこうなりますね。浄土僧の方がのらりくらりとしながらしつこい感じで、法華僧はすぐカッとして張り合う感じ。どっちもどっちなので、この曲本来の雰囲気が出ていると思いました。
 それにしても、大事の法門を説くのに、どちらも食べ物と取り違えての珍解釈ww
 後見に裕基くんが座って、親子三代が揃いました。最初に僧が出てきて次第を謡うと裕基くんが地取りをして、低い声を出すとお父さんに似てる。

「千切木」
 連歌の会の頭(当番)に当たった男が、太郎冠者に会の仲間たちを呼びに行かせますが、太郎の家にだけは誘いに行かないよう命じます。集まった人々が、さっそく句を作り始めたところへ現れたのが仲間外れにされた太郎。なぜ自分を誘ってくれなかったのかと文句を言ったり、掛け物の掛け方や花の生け方などにいちいち難癖をつけたりと言いたい放題。怒った人々は太郎を踏みつけて放り出してしまいます。太郎の災難を聞いて駆けつけた妻は、しぶる太郎にむりやり棒を持たせて、仕返しに行かせようとします。頼りなげな太郎に、妻も付き添い、二人で仕返しに出かけますが、どの家でも「留守」との返事。すると、太郎は急に元気になり、棒を振り回して気勢を上げます。それを見た妻は惚れ惚れとして、「のう、愛しい人、こちへござれ」と仲良く帰って行くのでした。

 題名は「争い(いさかい)果てての千切木」、時機に遅れて役立たずという意味の諺から取られたもの。
 いつもは、萬斎太郎に高野妻の配役が多いですが、石田太郎に深田妻、それに高野当屋という配役は珍しいです。初めて見たかもしれない。物腰柔らかな感じの石田さんが仲間外れにされた腹いせに当屋の座敷に勝手にずかずかと上がり込み、文句を言った上にずけずけと飾り物にケチをつけて、皆が句を思案している邪魔をするんじゃ嫌われるよねww
 さすがに怒った皆に踏まれて伸びちゃうところは、ちょっと可哀相だったけれど。飛んできた深田妻も、なかなか「わわしい女」感でてました。妻に押されてしぶしぶ仕返しに行くと、一々「留守」って返事するところが、いつ見ても笑っちゃいます。
 留守と分かると、いきなり威勢が良くなる太郎にも笑っちゃいますが、そんな太郎を惚れ惚れ見て「愛しい人」という妻、愛情深くて最後はホンワカ。夫婦仲良くやっていくんだろうなっていうのが、感じられてホノボノしますが、連歌の会の仲間たちには、これからも迷惑かけちゃうんでしょうか?少しは凝りてね。
2017年12月13日(水) 萬斎インセルリアンタワー17
会場:東急セルリアンタワー能楽堂 19:00開演

解説:野村萬斎

「蚊相撲(かずもう)」
 大名:野村太一郎、太郎冠者:内藤連、蚊の精:中村修一   後見:高野和憲

「瓜盗人(うりぬすびと)」
 盗人:野村萬斎、畑主:飯田豪    笛:藤田貴寛     後見:中村修一

 解説は、萬斎さんが登場して今回は「瓜盗人」で笛を吹く笛方の藤田貴寛さんに出ていただいて笛のお話を聞いたり、その後はいつものように、今日の演目の解説と萬斎さん自身の今年1年の出来事を振り返ってのお話、そして幾つか質問に答えるという流れでした。

 藤田さんとの能管の話では、萬斎さんが竹を裏返して作るということがよくわからないようで、どういうことなのか質問してましたが、竹を分割して表と裏をひっくり返して組み立てるのだそうです。音の質には関係なくて、技術の見せ所なんだそうですが。
 西洋音楽のような音階や三拍子、四拍子という概念が無いことなどの話もありました。
 藤田さんが退場して演目の解説の後、今年1年を振り返ってですが、1月は裕基くんと内藤さんの三番叟披きと2日、3日はメディアアーティストの真鍋大渡さんと東京国際フォーラムで「FORM」というイベントで、8KのCGビジョンの前で「三番叟」を舞い、最近テクノロジーと古典のコラボを行った。
 2、3月は、今やっている映画の続編を撮っていて、一度お蔵入りしそうになったそうですが、一部撮り直して放送されるらしく、そのために年末から年跨ぎで働くことになりそうとのこと。噂によると、2年前に三谷幸喜さん脚本の「オリエント急行殺人事件」の続編らしいです。「今やってる映画」というのがどういう事なのかと思ったら、公開中のケネス・ブラナー監督の「オリエント急行殺人事件」のことを言ってるみたいでした。「オリエント急行殺人事件」はあれで一話完結ですから、続編というのも変な感じですが、ポアロ物をまたやるということかしら?それとも後日談みたいなのを創作したの?
 4月は世田谷パブリックシアター20周年記念企画で「MANSAIボレロ」、ラヴェルの「ボレロ」の曲に合わせて三番叟を舞うというもので、西洋の古典と東洋の古典のコラボ。
 5月、6月は映画「花戦さ」のキャンペーンで走り回り、7月は「子午線の祀り」の舞台。その後は古典にいそしんでいましたが、2020年の東京オリンピックに関わる仕事も始まっているとのことでした。
 秋は地方のお能の会に頻繁に駆り出されて、地方の会はなかなか厳しい状況なので、毎日新幹線に乗っていたような気がするとのこと。
 正月には、別バージョンの「FORM ?」も予定しています。

 質問タイム
Q1 佐々木蔵之介さんの「リチャード三世」を観に行ったそうですが、他の劇場での作品を観る時の目的はなんでしょうか。
A1 勉強になったり、よい刺激を受けられるかどうかが大事。
 「リチャード三世」を観に行ったのは、ルーマニアのシビウ演劇祭の芸術監督が演出しているというのが大きな理由で、自分も「マクベス」をシビウ演劇祭に持って行ったことがあるから。ある意味ルーマニアらしい演出で、イメージに訴えるもの。僕はあまり好きじゃなかった。

Q2 狂言師は能の演目も習得するのでしょうか?他の古典芸能の世界との交流はありますか?
A2 お能の人が出来ないことをやります。能の中でやるのは間狂言(あいきょうげん)と言って、お能の人たちがやらない日常的な場面やコミックリリーフ的な役割を受け持ちます。
 「花戦さ」の時は歌舞伎の市川猿之助さんと共演しましたが、私が演じる専好の生けた大砂物の枝が折れるシーンで、猿之助さん演じる秀吉が拍手するんです。「あの時代に拍手はあったのでしょうか」と聞いた時には「称賛の意味ではしなかったのでは」と仰ってましたが、してましたね。それはそれで良いかと思いましたけど。
 朋友の亀井広忠君(大鼓方)の兄弟が歌舞伎のほう(囃子方)なので、色々話は入ってきます。誰の時はお客が入るとか入らないとか、あの人は人望があるとか無いとか。歌舞伎にはバックに松竹がついていますが、能楽は零細企業の集まりみたいな感じで、自分は映像にも出させていただいているけれど、そういうステップがないと発信していくのは難しい。お客さんのSNSでの発信もこれからは大事だと思っています。
 今日の「蚊相撲」は、若手で固めてみたので、フレッシュに見えるかも。僕が初めて「蚊相撲」を演じた時は、今の萬(野村萬)が主で、親父(野村万作)が蚊の精でした。一期一会ですから今日の組み合わせを楽しんでいただけたらと思います。

Q3 八戸で根城薪能を拝見しましたが、薪能の時は普段と違う思いのようなものがありますか?
A3 星が出ていれば、役者より空を見上げるものですよね、自然に対抗して演じようとは思いません。野外の解放感に身を任せて観ていただければ良いと思います。

Q4 新作を定着させる難しさはありますか?
A4 今年は新作を結構やりました。9月には「なごりが原」をやりましたが、賛否両論で、作品が指向性やポエティックな部分を出すと難しくなるのかもしれません。それがハマる人にはハマるのが「なごりが原」で、「楢山節考」は台詞劇、「彦市ばなし」は嘘をつき続けて最後にボロボロになるところが「リチャード三世」的ですね。
 「彦市ばなし」は、2,30年やっているので、立派にレパートリーになってます。「鮎」は観てのお楽しみですが、多分再演すると思います。

 質問コーナーが終わったら予定時間を10分オーバーしてたようですww

「蚊相撲」
 大名が新しい召使いを抱えようと、太郎冠者に探しに行かせます。太郎冠者が上下の街道で待っていると、都で相撲取りになって人間の血を吸おうと考えている江州守山(ごうしゅうもりやま)の蚊の精が通りかかります。正体に気付かない太郎冠者は早速声をかけて連れ帰ります。相撲が得意と聞いて喜んだ大名は取らせて見たいと思いますが、相手がいないので、自分が相手になります。勝負が始まるやいなや、蚊の精が大名を刺したので、大名は目を回して倒れてしまいますが、正体に気付いた大名は大団扇を隠し持ち、近づく蚊の精を扇いで一旦は勝ちます。しかし、隙を見た蚊の精に足を取られて倒され、大名は腹立ちまぎれに太郎冠者を打ち倒して、蚊の精の真似をしながら退場します。

 太一郎さん、少し太った?なんか、20代とは思えない堂々として貫禄たっぷりな大名。中村さんの蚊の精はキレのある動きで蚊っぽく見えてました。堅実な感じの太郎冠者の内藤さんと、若くてフレッシュなメンバーではありますが、太一郎大名の大らかさが包み込むような明るい舞台になっていました。

 「瓜盗人」
 畑主は鳥獣に瓜畑を荒らされるので、畑に案山子を作っておきます。その夜、盗みに入った盗人は、それを人と思い込んで驚いて平伏しますが、案山子と気付いて腹を立て、壊して逃げてしまいます。翌日、見回りに来た畑主は、壊れた案山子を見て、今度は自分が案山子に成りすまして盗人を待ちます。再びやってきた盗人は畑主を案山子と思い込み、案山子を相手に祭りの出し物の稽古を始めます。まず案山子を罪人に見立てて鬼の責めをし、ついで自分が罪人になって案山子の竹杖を使って責められる稽古をします。畑主は頃合いを見て案山子の衣装を脱ぎすて、驚いて逃げる盗人を追いかけます。

 真っ暗な夜の畑で瓜を探すのに、ゴロンゴロンと転がって探す萬斎盗人。身体に瓜が当たって見つけると、泥をはらってまとめて置いといてはまたゴロンゴロン。瓜でもミカンでも栗でも、無い物が本当にあるように見せるのが狂言の見せ所。
 二度目は、畑主が化けているとも知らず案山子と思い込んで、案山子相手に祭りの稽古をする盗人ですが、思い込みでやってしまうととんでもないことになるということですね。でも、盗みをしている最中に呑気な盗人ですwww
 しかし、祭りの稽古で、鬼になって罪人を責めたり、反対に罪人になって鬼に責められたりするところの謡い舞いは見どころ聞きどころでもあります。畑主が案山子に化けてあまり動かないので、盗人の一人芝居が多いですが、案山子に化けた畑主が盗人が竹杖に付いた紐を引くと杖が倒れてコツンと盗人に当たるところなんか、いつ見ても笑えます。

 「蚊相撲」でも「瓜盗人」でも、裕基くんが働き(後見のお手伝い)として出ていました。イギリスの学校はもう休みに入っているんでしょうか、日本に帰って来ているようですね。
2017年12月8日(金) 新宿狂言Vol.18 うそッ!
会場:全労済ホール/スペース・ゼロ 19:00開演

解説:野村萬斎
「千鳥(ちどり)」
 太郎冠者:深田博治、主:岡聡史、酒場:内藤連    後見:中村修一

狂言による「彦市ばなし(ひこいちばなし)」
原作:木下順二、演出:野村万作・野村萬斎
 彦市:野村萬斎、天狗の子:月崎晴夫、殿様:石田幸雄
   笛:松田弘之、太鼓:桜井均
     後見:飯田豪、野村太一郎

 新宿狂言も1994年から始まったということで、途中5年ほどお休みで18回目だそうです。しばらく無かったと思ったら5年も休みだったんですね。パンフレットには昨年の舞台の写真と「彦市ばなし」の2003年の写真が載ってました。「彦市ばなし」も2003年以来なのか・・・。「彦市ばなし」は、木下順二さんの作品で、肥後の国、今の熊本県の民話がベースになっていて、狂言バージョンではSEやCG、ライティングを駆使して、もう23年前から繰り返しやっているとのこと。当時としてはかなり実験的な試みだったそうです。
 「彦市ばなし」は、肥後の国(熊本県)八代市の民話なので、八代弁を使います。とは言ってもエセ方言ですって(笑)。
 今日は14年前に札幌テレビが作ってくれたCGを使うので(札幌メディアパーク・スピアで上演したもの)、札幌の時計台から景色がって北から南へ飛んでいって、最後は熊本に到着します。
 演じるにあたって、巨大なものを小さく提示したり(クジラのことですね)、物を持たずにエアーの仕草で見せたりとか、狂言の手法で、どんな表現をしても狂言の本質的なところは崩れないことが証明されていて面白いのではないかとのこと。

 サブタイトルの「うそッ!」は、演劇そのものが嘘ということもありますが、「千鳥」も「彦市ばなし」も主人公の嘘が話のキモ。

 「千鳥」
 明日の神事に必要な酒を、支払いの滞っている酒屋から、どうにかして取ってくるよう命じられた太郎冠者は、酒屋に代金の米がすぐにも届くはずと嘘をつき、まんまと酒樽に酒を詰めさせます。早速持って帰ろうとしますが、米が届かぬうちは渡せないと酒屋に止められてしまいます。米を待つ間、話をするよう頼まれた太郎冠者は、津島祭の話を始めます。伊勢路で子供が千鳥を捕る様子を、酒樽を千鳥に見立てて真似、調子よく囃子ながら酒樽に近づき持ち去ろうとするのを咎められます。今度は、流鏑馬を再現することにし、馬に乗る真似をしながら走り回り、矢が当たったと言って酒屋を倒し、酒樽を持って逃げてしまいます。酒屋は怒って追って行きます。

 「千鳥」は通常の舞台で、バックは老松の鏡板(松が迷彩色っぽいですけど)で、能舞台風。
 ツケの溜まっている酒屋から酒を取ってこいと無理な命令を受けて、それでも主人には逆らえない太郎冠者が嘘をついて酒屋からお酒を持って帰ろうと四苦八苦(笑)。何としても米を受け取るまでは渡さないと言う酒屋と隙を見て持ち去ろうとする太郎冠者との駆け引きが面白いです。
 真面目で素朴な感じがする深田さんが演じる太郎冠者が、いつもとは違って悪戯っ子風な感じが出ていたのが楽しかった。「ちりちり〜や、ちーりちり」という調子のよい囃子物の歌はやっぱり耳に残りますね。

「彦市ばなし」
 嘘つきの名人彦市は釣竿を覗く真似をして遠くが見えると言って、天狗の子から隠れ蓑を騙し取り、殿様からは河童を釣ると言って、天狗の面とクジラの肉をせしめます。これで天狗の親の仕返しと殿様のお手討ちをのがれるつもりが、面も肉も子天狗に取られ、隠れ蓑も女房が知らずに燃やしてしまいます。しかし、彦市は灰に神通力が残っているので身体に塗り、酒を盗み飲んで川端で寝てしまいます。そこへ現れた子天狗に驚き、川に飛び込んで姿を現した彦市と子天狗が取っ組んでいると、殿様がやってきて、河童と格闘していると思い込んで応援します。

 プログラムに載っている2003年の写真をみると、舞台装置はほぼ同じ。最初の札幌時計台から熊本に飛んでくる映像は、前回もあったのかな?無かったのか、ずいぶん経つのでそういうことは忘れてしまいました。最初のCG以外でも最後の方に川で天狗の子と追いかけまわったり、河童が見ていたりするCGなどが、切り絵のような素朴な絵なので物語の雰囲気に合っていて良いです。
 彦市が酒を盗み飲む場面のスクリーンの裏側に行って影の遠近で表現するのは、前回もやってましたね。最初は小さい盃からどんどん大きくなり、最後は酒樽からそのまま飲んで彦市自身もどんどん大きくなる。飲んで気が大きくなるのを身体が大きくなることで表しているのかな。
 何といっても、殿様が引いてくる小さなクジラの形をしたクジラ肉の作り物がまだ健在なのが嬉しくて楽しい。
 配役は以前と変わらずのベストメンバーですが、みんな歳をとったのに、全然それを感じさせないのには驚きですね。
 萬斎さんは、調子のいい彦市が今でもピッタリだし、面をかけた子天狗役の月崎さんも子供らしい可愛さがそのまま(^^)。石田さんは、ゆるゆるとして大らかな殿様。
 最後に彦市が河童と格闘していると思って殿様も手助けに川に飛び込み、水の無い舞台上で泳ぐ真似をしたり、3人がシンクロナイズドスイミングで退場する場面なども以前のままですが、古さを感じることなく、やっぱり「彦市ばなし」は面白い。

 次回、やる時はどうなんでしょうね、間がだいぶ開くのであれば、世代交代もそろそろあるのかな、以前、茂山家が能楽堂でやってたのを観たことがありますが、それも面白かったし、劇場でのCGや舞台装置を使っての萬斎式の演出も楽しい。これからも、少しづつ変えることはあっても残していって欲しいです。
2017年12月7日(木) 第3回よみうり大手町狂言座
会場:よみうり大手町ホール 19:00開演

お話:池澤夏樹

「萩大名(はぎだいみょう)」
 大名:野村万作、太郎冠者:内藤連、亭主:石田幸雄   後見:中村修一

「小傘(こがらかさ)」
 僧:野村萬斎
 田舎者:深田博治
 新発意:高野和憲
 参詣人:竹山悠樹、野村太一郎、中村修一、岡聡史
 尼:月崎晴夫
     後見:飯田豪

 最初のお話をされる池澤夏樹さんとはどういう関係の人なのかなと思ってましたが。今度、萬斎さんが新作狂言として演じる「鮎」の原作者でした。
 詩人で作家、若い時に六世野村万蔵さんの舞台を多く観て、追っかけをしていたそうですが、その後仕事が忙しくなって、海外で暮らしていた時期などもあり、離れてしまったとのこと。それが、最近また観る機会ができ、国立能楽堂の公演パンフレットに何か書いてほしいと頼まれたことから、六世万蔵さんのことを書いたところ、萬斎さんから新作狂言を書いてほしいとお話があったとのことです。それが、今度国立能楽堂で演じられる「鮎」。
 「鮎」は池澤さんが短編小説として書いたものだそうです。
 その後も、いくつかの狂言をあげて狂言の面白さについて語っておられました。

「萩大名」
 近々都から帰国することになった田舎大名が、太郎冠者の案内で、とある庭園に萩の花見に出かけます。風流者の亭主が、来客に必ず一首所望することを知っている太郎冠者は、「七重八重 九重都こそ思ひしに 十重咲いづる 萩の花かな」という聞き覚えの歌を大名に教え、覚えの悪い大名に物に例えて合図を送ることにします。大名は庭に着くと梅の古木や庭石をみて、失言を重ねたうえ、いよいよ歌を詠むことになると、太郎冠者のせっかくの合図もなかなか通じず、あきれた太郎冠者は途中で姿を隠してしまいます。あわてた大名に、亭主が末句を催促しますがどうしても出ず、太郎冠者の脛はぎに例えていたのを「太郎冠者の向う脛」と付けて亭主に叱られ、面目を失ってしまいます。

 若手の内藤太郎冠者は、あきれ果てたというか、怒って主人を置いて帰っちゃう感じですが、大名として領地を治める力はあるものの、風流には欠ける田舎大名の万作さんがトンチンカンだけれど、無邪気で可愛らしくてなんか憎めないところが良いですね。

「小傘」
 田舎者が村に草堂を建立し、堂守がいないので街道に出て探していると、僧と新発意(しんぼち)(出家して間もない修行中の僧)がやって来たので、すぐに連れて帰ります。ところがこの二人は、実は博奕で食い詰めた主従で、法事が始まると、僧は賭場で聞き覚えた傘の小歌をお経のように唱えて参詣人たちを誤魔化し、皆が法悦に浸っているうちに新発意に施物を盗ませて逃げ去ってしまいます。気付いた村人たちは怒って後を追い、一人残った老尼は嘆き、憤ります。

 僧が萬斎さん、田舎者が深田さん、新発意が高野さん、尼が月崎さんと鉄板な配役。食い詰めた博奕打ちが偽坊主になって施物を盗もうなんて、仁王に化けて施物を取る「仁王」と設定は似てますが、小歌をお経のように唱えるところや段々踊り念仏になって乗ってくるところが楽しい。
 そして、何と言っても90度に腰を曲げた月崎さんの小さい尼のばあちゃん。供物台に寄って拝み始めるので、偽坊主が施物を取る邪魔になるため、何度も叱られるのにそれでも寄って行く(笑)。最後は「孫にもやらない小袖を取られた」と悔しがる。それだけ大事にしてた物を施物にしたくらい信心深いのか、それともホントは欲深いのか(笑)。