2018年3月25日(木) |
狂言ござる乃座57th |
会場:国立能楽堂 14:00開演
「佐渡狐(さどぎつね)」 奏者:野村万作、越後の百姓:野村裕基、佐渡の百姓:野村萬斎 後見:野村太一郎
「苞山伏(つとやまぶし)」 使いの者:深田博治、山人:岡聡史、山伏:内藤連 後見:飯田豪
「富士松(ふじまつ)」 太郎冠者:野村萬斎、主:石田幸雄 後見:月崎晴夫
小舞「海老救川(えびすくいがわ)」
野村太一郎 小舞「芦刈(あしかり)」 野村万作 地謡:飯田豪、中村修一、高野和憲、月崎晴夫、岡聡史
試演「狂言獅子/双之舞」 白獅子:野村萬斎、赤獅子:野村裕基 大鼓:亀井広忠、小鼓:幸正昭、太鼓:小寺真佐人、笛:藤田六郎兵衛 後見:深田博治、内藤連
「佐渡狐」 越後の百姓と佐渡の百姓が、年貢を納めに都に行く途中に出逢い、同道することになります。離れ島の佐渡には狐がいないだろうと越後の百姓が言うので、佐渡の百姓は思わず「いる」と答えてしまいます。そこで、小刀を賭けて奏者(取次役人)に判断を仰ぐことにします。領主の館に着くと、佐渡の百姓は先に年貢を納め、奏者に賄賂を贈って狐の有無の判定を頼むとその姿形を教えてもらいます。続いて越後の百姓が年貢を納め、賭けの判定になると、佐渡に狐はいると判定されます。納得のいかない越後の百姓は、狐の姿形について佐渡の百姓を問い詰めます。佐渡の百姓は、奏者の身振りなどに助けられて答えることが出来、小刀を得ることができます。帰途、佐渡の百姓が奏者とぐるであることに気付いた越後の百姓は、狐の鳴き声を尋ねると、佐渡の百姓は苦し紛れに鶏の鳴き声を答えたので、越後の百姓は刀を奪い返して去って行きます。
親子三代での「佐渡狐」、裕くんも大学進学が決まったそうで、これからは、日本にいるみたいですから、舞台の出演も多くなるんでしょうか。 パンフレットの解説によると、越後のお百姓役は楷書の芸で、佐渡のお百姓や奏者の草書の芸に進む過程の芸ということで、様式的な部分をしっかり身につけるということですね。万作家の美しい所作を受けついでいて、狂言師として成長していくことでしょう。 きっちり丁寧に演じる裕くんの越後のお百姓に対して、萬斎さんの佐渡のお百姓は子供っぽいくらいに意地を張って佐渡に「狐はいる」と言い張る感じ(笑)。 佐渡のお百姓が奏者に袖の下(賄賂)を渡す時に万作奏者がそっぽを向きながらも袖を扇で隠しながら後ろ手に受け取る様子や、その後に態度と表情がコロっと変わるところが何度見ても面白いです。 狐の姿形を問う場面での奏者の身振り手振りをカンニングしようとする佐渡のお百姓とそれを阻止しようと二人の間に入る越後のお百姓との三つ巴のドタバタには大笑いです。楽しかった。
「苞山伏」 夜明け前、薪を取りに山に入った山人が睡魔に襲われ、仮眠を取っていると、そこに山伏が現れ、長旅の疲れから、やはりうたた寝をします。さらにもう一人、男が通りかかり、山人の苞の中の昼食を盗み食いしてしまいます。男は山人が目覚めそうになると、慌ててカラの苞を山伏の方に投げて狸寝入りをします。山人が目覚め苞が無いことに気が付くと、男を起こして行方を尋ねます。男は山伏に罪を着せようとしますが、山伏が犯人を特定するため数珠を揉み呪文を唱えると、男の身体が痺れて動けなくなってしまいます。男が白状し助けを求めるので、再び山伏は祈りなおそうとします。しかし、山人は怒りが収まらず、棒で男を追いかけます。
これは、あまり観てない演目かな。和泉流だけにある演目だそうですが、1回くらいは観たことがあるような気がします。 狂言の山伏は、法力が効かないのが多いですが、これは山伏の法力が珍しく良く効く話。法力が効きすぎる演目では「腰祈」なんかがありますが(笑)。 若手二人に深田さんという組み合わせ。岡さんの山人、うん、なんか背が高くてスマートで都会的な山人(笑)。苞(つと)というのは、納豆の藁筒みたいなので、食べ物(おそらくおにぎり)を包んだお弁当。 山人も山伏も道の途中で寝てしまうわけですが、狂言ではよく道の途中で寝ちゃう人が出てきて、これもそう。後から来た使いを頼まれた人が、お腹が空いたからと寝てる山人のお弁当を盗み食べしちゃうわけです。すぐ逃げちゃえば良いところですが、山人が起きだしたので、慌てて山伏のほうに苞を放り投げて寝たふりするところが笑えます。悪知恵働かせてとっさに山伏に罪を着せようとしたわけですが、山伏の法力が本物だったから、そうは問屋が卸さず、バレちゃいます。 真面目そうなイメージのある深田さんが小悪党な感じで面白かったです。内藤さんの山伏も結構堂に入ってて法力ありそう。
「富士松」 無断で旅に出た太郎冠者が戻って来たのを聞きつけた主人は、私宅に出向いて厳しく叱責するものの、富士権現の威光を恐れて許すことにしますが、太郎冠者が持ち帰った富士松(から松)を見て非常に欲しくなります。しかし、太郎冠者は承知せず、主人の機嫌を損ねそうになったので、富士の神酒だと言って酒を振る舞います。主人は「手に持てる土器(かわらけ)色の古袷(ふるあわせ)」(この酒は古い袷の着物を売って得た酒であろう)と皮肉たっぷりに連歌を詠みかけ、付けることが出来なかったら富士松を譲れと迫ります。すると太郎冠者が「酒(裂け)ごとにある注ぎ(継ぎ)目なりけり」と、酒を注ぐ行為に「古い着物は裂けて継ぎ目ばかり」を響かせる機知に富んだ句を付けます。やがて縁日の山王権現に出かける事にした主人は道中でも連歌を詠み、応じられなければ富士松を渡せと重ねて言います。次々と詠む句を太郎冠者が見事に付けるうちに山王権現に着いて、おもしろくない主人は「あっという声にも己れ怖じよかし」と詠みかけると、太郎冠者が、この場の二人の関係を風刺して「けら腹立てばつぐみ喜ぶ」と付けるので、主人に叱られます。
おそらく初見です。無断で旅に出た太郎冠者が帰って来たのを聞きつけた主人が叱りに行くものの、話を聞いて許し、行った所の様子を聞く話は他にもありますが、これは、富士松欲しさに当時流行りの連歌の応酬となるわけです。連歌の詞章は、パンフレットに全文載っているのが有難い。とは言え、内容を理解するのは難しいですね。それでも丁々発止のやり取りで、機転の利く太郎冠者が主人の句にすぐ後を付けるので、主人は面白くなく苦々しく思っているという様子は分かります。
「狂言獅子/双之舞」 本日の締めくくり。和泉流のみにある「越後聟」にある獅子舞で、婿入りの儀式において、舅の所望に応じて越後の聟が舞う獅子舞を、親子獅子として親獅子(白獅子)と子獅子(赤獅子)で双之舞として舞う形にし、今回試演することにしたそうです。
能では、獅子そのものが舞う『石橋(しゃっきょう)』と、それを人間が模倣して舞う『望月』がありますが、「越後聟」は後者の系統。頭には牡丹の花をてっぺんに付けた赤頭の下に金の扇を乗せ、目の下に赤い布を垂らして顔を隠し、目だけ見えるようにしています。 白獅子と赤獅子の親子獅子が出て来るのは、『石橋』でしかやりませんが、人間がやる獅子舞を親子獅子でやるという形です。
能の『石橋』にある紅白の親子獅子のように子獅子(赤)は溌溂として動きが多く機敏に、それに対し親獅子(赤)は、少し抑えた親としての威厳のある動き。親獅子が1回足拍子を踏むところ子獅子が2回足拍子を踏んだり、親獅子がくるりと回る時は子獅子は飛び返りをするなど、親子での獅子の動きの違いは『石橋』によく似ています。その中にも水車(側転)や三点倒立、親獅子が蹴る仕草をすると、子獅子が欄干越えをするなど、能とは違う狂言の「越後聟」の身軽でアクロバティックな要素も加わって面白かったです。
萬斎さん、三点倒立の時は、バランスがなかなかとりづらそうで、足を上げる時、1回やり直ししてました。やっぱり50歳過ぎると難しくなるんでしょうが、それでもできちゃうからたいしたもの。裕くんは若いから身軽です。最後は二人揃ってピタリと決めました。 それから白獅子の被り物が、動いているうちに前に下がってきてしまうようで、一度後見の深田さんが直していましたが、しばらくするとまた傾いてきて、ちょっとやりにくそうでした。 ちょっとしたアクシデントはありましたが、親子での獅子の舞は見応えがあって、充分楽しめました。
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