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能楽鑑賞日記

2018年4月19日(木) 第82回野村狂言座
会場:宝生能楽堂 18:30開演

解説:野村万作

小舞「海道下り(かいどうくだり)」 破石晋照
小舞「海女(あま)」  野村裕基
   地謡:野村太一郎、中村修一、内藤連

「魚説法(うおぜっぽう)」
 新発意:飯田豪、施主:竹山悠樹        後見:中村修一

「竹の子(たけのこ)」
 藪主:月崎晴夫、畑主:内藤連、仲裁人:石田幸雄   後見:破石晋照

「入間川(いるまがわ)」
 大名:野村萬斎、太郎冠者:野村裕基、入間の何某:野村万作
                           後見:月崎晴夫

「釣針(つりばり)」
 太郎冠者:高野和憲
 主:野村太一郎
 妻:竹山悠樹
 腰元:内藤連、中村修一、飯田豪、野村裕基、岡聡史
 乙:深田博治
    後見:石田幸雄

 「野村狂言座」で万作さんの解説というのは、初めて聞きます。いつも「よこはま万作・萬斎の会」での芸話でしか直接お話を聞く機会が無いので、とっても得した気分です。
 解説というのではなく、それぞれの曲について自分が思う事を話したいということでした。
 小舞について、「海道下り」は、歌に節が付いて、振りがついたものに対して「海人」は能の『海人』の「玉之段」を小舞にしたもの。能では、能の役として舞いますが、狂言の小舞は、「寝音曲」のように、太郎冠者として舞うものが多いとのこと。「海人」では、「女の姿がどこかになければならない」と仰っていました。
 「魚説法」は言葉の訓練曲で、魚の名前をハッキリ言わなければならない。万作さんは4、5歳でやったそうです。最近の若い人は「何かといううちに」が「何かというーちに」のように、母音が並ぶものが一つになってしまったり、ラ行が巻き舌になってしまうのが気になると仰っていました。
 「竹の子」は、万作さんが若い時によくなさったそうで、足の悪い人が出てきて、悪を強調した曲だと思っていたそうです。
 「入間川」は、親子孫と三人でやります。最近はそういうことが多いですと。「入間川」では、様々なレベルでものを言う。何某に対する最初の横柄な言い方、次に言い方を変えた丁寧な対応など、言葉が単純なので、書いてないこと+αを演者がやっていくことが大切とのこと。
 「釣針」では、流儀や各家での違い、茂山家は賑やかと仰っていました。

 石田幸雄さんの息子の淡朗くんが狂言にカムバックするとの話もありました。20日の会には「釣針」の後見に名前が載っています。これから狂言の舞台に出演する機会が多くなるのでしょうか、楽しみです。イギリスに留学して演劇の勉強をし、コリン・ファース主演の映画「レイルウェイ 運命の旅路」で、真田広之の若い頃の日本兵役で出演した時は久しぶりに成長した淡朗くんを映像で観ましたが、その後もイギリスを中心に演劇活動をしているとのことだったので、狂言に復帰しないのかなと思っていました。帰って来てくれたのは、やっぱり嬉しいです。

小舞「海道下り」「海人」
 破石さんは、お寺の住職でもあるとのこと、お忙しいのか久々ですが、まずお声の良さに引き付けられます。裕基くん、劇的な展開になる時のキビキビした所作に若さと美しさが感じられます。

「魚説法」
 新しく持仏堂を建てた男が、お寺に堂供養の説法を頼みにやってきます。お布施欲しさに外出中の住職の代わりに新発意が行くことになりますが、まだ経も読めず、もちろん説法などできません。そこで、浜辺育ちで魚の名をよく知っているのを幸いに、魚の名を並べてごまかそうと考えます。途中でおかしいと気付いた男が咎めると、新発意がなおも魚の名で応答するので、男は怒って追っていきます。

 飯田さんの新発意に竹山さんの施主。どっしりと構えて無表情な印象のお二人(笑)。子方が一生懸命やっていると可愛らしさでOKですが、やっぱり硬さが感じられたかな。もう少し柔らかさが出て来ると面白い曲ですが。

「竹の子」
 ある男の畑に竹の子が生えて来るので、喜んだ男がそれを引き抜いていると、足の悪い藪主が現れて、竹の子は自分の物だと主張して争いになります。止めに入った仲裁人に向かって藪主は、以前に畑主の牛が自分の馬屋に迷い込んで子牛を産んだのを返してやったが、竹の子をやるかわりに、その子牛をこちらに返せと訴えます。二人は勝負をすることにし、まずは和歌の詠み比べ、畑主が「わが畑へ隣の藪が根をさいて思いもよらぬ竹の子を取る」と詠むと、藪主は「わが馬屋へ隣の牛が子を産みて思わず知らず牛の子を取る」と詠み、勝負がつきません。次に相撲をとると、藪主は棒で打ちかかり「勝った」と言い、もう一番とると畑主がまず棒を奪って藪主を打ち倒し「勝ったぞ勝ったぞ」と去っていくのを、藪主が自分の片足を返せと追っていきます。

 あまり見たことがない曲です。足の悪い人が悪人として出てきて、今では差別的と言われる言葉が出て来るせいでしょうか。私はこの曲、だいぶ前にどこかで一回くらいは観たような気がします。
 杖をついて現れる足の悪い藪主は黒ひげを生やし「悪太郎」のような出で立ち。畑主の所に生えてきた竹の子を取るなら、以前自分の馬屋に迷い込んできた畑主の牛が生んだ子牛を寄こせというのも無茶な話ですが、歌比べの後は相撲で勝負というのも何か狂言らしい(笑)。
 ハンデキャップがあっても、たくましく生きる狂言の登場人物。ただの相撲じゃなくて、藪主は杖を振り回すし、畑主はお返しに藪主の杖を奪って打ち倒すし、ルール無視のはちゃめちゃ相撲(笑)。
 月崎さんがそんな藪主をカラッと演じていて、暗さがなく、面白かったです。

「入間川」
 訴訟も無事済み、やっと都から帰郷できることになった大名と太郎冠者は、帰る途中で入間川に行き当たります。対岸にいた入間の何某に、このあたりは深いから渡れないと教えられたにもかかわらず、大名は男の言葉が「入間様(いるまよう)」という、意味が逆になる逆言葉だと思い込み、そのまま川に入って濡れ鼠になってしまいます。怒った大名は「成敗しよう」と何某に詰め寄りますが、何某は、入間様では「成敗しない」という意味になるから、命が助かって安心した、と答えます。大名は面白がってもっと入間様を聞こうとし、逆言葉のやり取りを楽しんで、扇や太刀などを与えますが、最後はうまく入間言葉を利用して品物を取り返して逃げていきます。

 すっかり大人っぽくなった裕基くんとの三代共演。万作何某と萬斎大名は言葉遊びに夢中になって、アホっぽく何でもあげちゃう大名に、内心シメシメと思っているであろう何某のやり取りとそれを見つめる落ち着いた雰囲気の裕基くんの存在感がよいバランス。
 アホっぽいかと思った大名がまさかのどんでん返しで、なかなかの曲者です。

「釣針」
 よい妻を得るために、主人は太郎冠者とともに西宮の夷に参詣し、西門に置かれた釣針で妻を釣れ、との霊夢を得ます。恥ずかしがる主人の代わりに太郎冠者が釣針を投げると、奥方が釣れ、さらに大勢の腰元たちを釣った太郎冠者は、この機会に自分も妻を得たいと言い出し、主人の許しを受けて張り切って妻を釣ります。主人が奥方と腰元を連れて引き上げると、太郎冠者は自分の妻と対面しますが、あまりの醜女だったので、妻を振り切って逃げていきます。

 太一郎さんは主人らしい落ち着きがあって、高野太郎冠者はカラッと明るい雰囲気でこれもなかなか良い感じでした。顔を隠して見せない腰元たちの中でも裕基くんの背の高さは目立ちます。岡さんより高いかも。
 いつも見慣れた萬斎太郎冠者だと自分の妻を釣る前のパフォーマンスが大きく飛んだりしてテンション大いに高め(笑)ですが、高野太郎冠者はそこまで飛び跳ねたりはしないものの、舞が大きく、かなり張り切ってる感じは出てました。一番違いを感じたのは、奥方が奥に引き上げる前に太郎冠者の方を覗き見る時。萬斎太郎冠者の時は「えー、えー」と、奥方の顔を覗き込んで首をかしげるような感じなので、「私は美人を釣ったはずなのに・・・」と思っているように見えたんですが、高野太郎冠者は、「えー、えー」と耳を傾け、「恥ずかしゅうは、ごもっともでござるが」と、奥方の声が小さいので聞き返しているように見えました。こちらの方が基本に忠実で、そういうことだったのか、と合点がいったというのが正直な感じです。いろんな人の太郎冠者も観てみたくなりました。
2018年4月15日(日) 春狂言2018「東京公演」
会場:国立能楽堂 17:00開演

お話:茂山童司

異流共演「萩大名(はぎだいみょう)」
 大名:野村万作、太郎冠者:高野和憲、庭の亭主:茂山七五三  後見:内藤連

「船渡聟(ふなわたしむこ)」
 聟:茂山逸平
 舅:丸石やすし
 太郎冠者:茂山童司
 船頭:茂山あきら
    後見:鈴木実

「磁石(じしゃく)」
 男:茂山千三郎、田舎者:茂山宗彦、宿の亭主:網谷正美   後見:増田浩紀

 童司さんが最初に出てきてお話。茂山さんちのお話は、みんな達者でいつも面白いです。
 まず、出て来ると「お前じゃない感が漂ってますが・・・早く人間国宝を出せと」(笑)。
 お話というのは、落語の枕と同じとのことで、演目とはあまり関係ない話ですと。
 4月2日に35歳になったそうで、だいたい40になりました。と、まあ、四捨五入すればそうですけどね。北海道に行って来て、酔っ払って雪にダイブしたとか、東京は日帰りで来月は石垣島だとか。
 東京での「春狂言」は4年ぶりだそうです。そういえば、「春狂言」てしばらく見てない気がしました。演目の解説は、「萩大名」と「船渡聟」は分かりやすいので特になし、「磁石」についても二言三言でおしまい(笑)。「春狂言」も10年以上やっているので、春にちなんだ曲がもうないと、今回は春にあまり関係ない曲ですが、人が可笑しいことをするのは時期に関係ない、いつの世にもおかしな人はいるということで、後は、これからの公演のチケットの宣伝などでした。

「萩大名」
 永らく都に滞在している遠国の大名は、気晴らしに太郎冠者の案内で萩が見頃の庭園へ見学に出かけます。聞けばその庭の亭主は風流人で、歌を所望するとのこと。けれど大名には和歌を詠む才がありません。そこで太郎冠者は聞き覚えの「七重八重九重とこそ思ひしに十重咲きいずる萩の花かな」という萩を詠み込んだ和歌を教えますが、大名には覚えられません。そこで太郎冠者は大名が歌を思い出すよう、扇の骨の数で「七重八重」、萩は脚の脛のことを「すねはぎ」と言うのによそえて合図を教えておきます。大名は庭に着くと梅の古木や庭石などを見て失言を重ね、歌を詠むことになると、太郎冠者のせっかくの合図もなかなか通じません。あきれた太郎冠者は途中で姿を隠してしまい、慌てた大名に亭主が末句を催促するもどうしても出ず「太郎冠者の向う脛」と付けて、亭主に叱られ、面目を失ってしまいます。

 この大名、決して愚か者ではなくて、自分の国ではちゃんと治めているのだろうけれど、田舎大名なので、風雅には縁がない。それに引き換え太郎冠者の方がそういうことにも通じているというのが皮肉。最後に太郎冠者に見捨てられてしまって、大慌ての上に恥をかいちゃう大名が滑稽でもあり、ちょっと可哀そうでもあります。
 万作さんがシテの大名役なので、和泉流の台本による上演。万作さんの大名が何ともキュートです。太郎冠者が若手だと最後は冷たいくらいに突き放す感じになっちゃうんだけれど、中堅の高野太郎冠者は、ほどよい柔らかさがあって、そんなに冷たい感じはしません。風流人の亭主の七五三さんとのやり取りも流儀が違っても息があってて、楽しい一番でした。

「船渡聟」
 聟入りの聟が、舅宅へ向かう途中、渡し船に乗ります。酒好きの船頭は聟の持つ酒樽に目をつけて、酒を振る舞うよう迫ります。飲ませなければ船を止めると言われ、しかたなく飲ませた聟でしたが、自分も飲みたくなってしまい、共に謡い舞って岸に着くまでに酒樽を空にしてしまいます。聟は、どうせ樽は開けないだろうと空樽を持って舅宅へ向かいますが、盃事に酒を使うことになって、空なのがバレてしまい、「面目ない」と逃げ出します。

 同じ曲でも和泉流の「船渡聟」とは大分違います。和泉流だと船頭と舅は同じ人物で、船頭がお酒を飲んで、聟は飲まずに軽くなった酒樽を持って訪ねると、舅は酒を無理やり振る舞わせた客が聟だったと気付き、髭を剃って顔を隠しながら対面するもののバレてしまいます。聟は舅へ飲ませるためのお酒だからと責めず、二人で楽しく飲んで謡い舞い、名残を惜しみながら別れるという、可笑しさもあるけれど目出度さが強い曲で、面目ないのは舅の方で、聟さんは良い聟さんです。
 大蔵流では、聟さんが船頭と一緒にお酒を飲んじゃって舅宅に空樽を持って行ってバレちゃうわけです。
 逸平聟さんは、あきら船頭と船上での酒盛りで、酔っ払ってちょっとふらつきながら舅宅を訪れ、盃事の時、童司太郎冠者が、酒樽が空であることに気付いて「これこのとおりでござる」と葛桶の酒樽を転がすところも面白いです。それを見て聟が「面目ない」と言って逃げ出すのを、舅と太郎冠者が追いかけて行きます。それは、聟を責めるのではなく、せっかく婿入りに来た聟さんが帰ってしまうのを止めるためですね。
 お酒の誘惑に負けちゃう聟さんが、狂言に良く出て来るタイプで、こちらも面白く、最後は、きっと聟さんを連れ戻して盃事をやり直すんでしょう。

「磁石」
 遠江(とうとうみ)(静岡県西部)の田舎者が都見物をしようと近江(滋賀県)のあたりを通りかかります。すると見知らぬ男が声をかけてきて、縁のある者だと言って宿を案内します。疑いながらもついて行くと、そこは眠っている間に売り飛ばされてしまう人買いの宿でした。男と宿の亭主の話を盗み聞いた田舎者は裏をかいて逃げ出しますが、気付いた男が追ってくると、田舎者は「自分は実は磁石の精だ」と言って、大きく口を開いて男の太刀を飲み込もうとします。驚いた男が太刀を鞘に納めれば、田舎者は力を失い死んでしまいます。男が太刀を備えて呪文で生き返らせようとすると、死んだと見えたのは偽りで、田舎者は起き出して太刀を奪い、男を追っていきます。

 見知らぬ男が、縁のある者だと近づいてくるのを疑わしいと思って、嘘をついて正体を見破ろうとする田舎者と、上手く辻褄を合わせて誤魔化す男との駆け引きと大逆転の面白さ。
 今では有り得ない「磁石の精」なんていうぶっ飛んだ発想が中世には有り得たのかなあと、笑っちゃいます。見つかった田舎者が逃げ出すかと思いきや、大口を開けて太刀を飲み込もうとするのに驚いて、太刀をしまうと今度は死んだふり。振り回される男の滑稽さ、千三郎さんと宗彦さんの丁々発止のやり取りが面白かった。
 「磁石の精」と名乗る時の「唐と日本の間の磁石船に住む磁石の精」「唐で、かねを飲み尽くし日本に渡って来た」、「200文で売ろうとしたので、その金を飲んだら、喉につかえたので、その刀を飲んで喉のつまりを直そうと思った」などと言う。和泉流と台詞が違うような気がするけど、どうだったかな。それもまた面白い。