戻る 

能楽鑑賞日記

2018年6月30日(土) 狂言劇場特別版Aプログラム
会場:世田谷パブリックシアター 14:00開演

「呼声(よびごえ)」
 太郎冠者:野村萬斎、主:野村太一郎、次郎冠者:中村修一
   後見:飯田豪

「楢山節考(ならやまぶしこう)」
 おりん:野村万作
 辰平:深田博治
 けさ吉:高野和憲
 又やん:月崎晴夫
 又やんの倅/雨屋:中村修一
 村人:石田幸雄、岡聡史、内藤連、飯田豪
 烏:野村萬斎
 子供:今市真菜歩、竹内彰良、青柳茉子、吉浦洋、小野梓、田中李奈
 笛:栗林祐輔、太鼓:桜井均
 後見:竹山悠樹

「呼声」
無断で旅に出た太郎冠者が、こっそり帰宅していると知って、怒った主人は次郎冠者を伴って太郎冠者の家に向かいます。家に着いた主人は次郎冠者に太郎冠者を呼びださせますが、主人の用と悟った太郎冠者は居留守を使って出てこようとしません。主人が声を変えて読んでも同じこと。平家節や小歌節を使って代わる代わるに呼び出せば、太郎冠者も同じ節回しで留守だと応えます。しだいに興に乗って踊り節。浮かれた調子であれば、太郎冠者もがまんが出来ず躍り出て、同じく踊る二人に挟み打ちされ、ついに居留守の嘘がバレてしまいます。

 舞台は、橋掛かりが両側に付いている以外は、老松の描かれた板が後ろにあって、能楽堂と同じ舞台です。
 踊り節で、浮かれて出て来るお調子者の太郎冠者は、やっぱり萬斎さんがピッタリです。三人が並んで踊ってる場面なんか、何で気付かない(笑)
 いつ見ても、理屈抜きに笑える一番です。

「楢山節考」
 おりんの村には、70歳になると供の者に背負われて深い山奥の「楢山さん」へ行き、二度と戻らない「楢山まいり」の風習がありました。69歳のおりんは、一日も早く楢山まいりに行こうとします。孝行息子の辰平はまだ1年あるのにと思いとどまるよう言いますが、おりんの意思は変わりません。一方、辰平の息子けさ吉は、自分の子供が生まれるのが近いこともあり、食べ物が足らなくなると、おりんに早く楢山まいりに行けと言います。村の又やんは、70歳になってもなかなか楢山へ行こうとせず、それでは困ると、息子に途中の七谷へ突き落されてしまいました。
 意思の硬いおりんは、辰平に背負われて楢山まいりに行き、涙ながらにおりんを置いていく辰平。やがて雪が降り、楢山まいりに雪が降るのは楽に死ねるから幸運だという。おりんは昔の幻影を見ながらやがて雪に埋もれていきます。その様子を一羽の烏がじっと見つめていました。

 前回は能楽堂で観たけれど、パブリックシアターならではの演出になっていました。最初が萬斎さんの朗読ではなく、暗幕に投射された「楢山まいり」の説明をなまりのあるナレーションで読む形(たぶん石田さんの声)。老松の板は外されていて、左右の橋掛かりの他、舞台の奥行きを生かして、辰平がおりんを背負って楢山まいりに行く道行に舞台奥に横切る道を一部見せ、山奥の遠近感、道のりの長さが感じられました。
 何といっても言葉を一言も発せず、面を掛けた万作さんのおりんのちょっとした動き、特に手の動きがその意思を雄弁に語っていました。やはり、何度観ても見事です。
 背負う時は、深田さんが小さく屈んで、万作さんが負ぶわれているように両手を肩に掛け実際はくっついて歩きますが、背負っているように見えます。
 山には屍をついばむ烏がいて、おりんの後をついて行き、雪に埋もれるおりんを表す白い衣を掛けます。烏役の萬斎さんも、鳴き声の他は一言も発しません。
 おりんの回想では村の子供たちやけさ吉、又やん親子が出てきます。最後は、白装束を被いてうずくまるおりんが、後に舞台奥に繋がる暗い道が現れ、おりんが、その道を静かに上って行き暗闇に消えると、烏が「コカァ」と鳴いて終わります。

 貧しい村の掟は、残酷でもあるけれど、少ない食料で村人が生きて行くための厳しさ。烏も生きて行くために人が死ぬのを待っている。

 台詞のない二人の存在感が印象的でした。
2018年6月23日(土) 狂言劇場特別版Bプログラム
会場:世田谷パブリックシアター 18:00開演

舞囃子「三番叟(さんばそう)」
 野村裕基
  笛:竹市学
  小鼓頭取:鵜澤洋太郎、脇鼓:古賀裕己、清水和音
  大鼓:亀井広忠

『鷹姫(たかひめ)』原作:W・B・イェイツ、作:横道萬里雄、演出:野村萬斎
 老人:大槻文藏
 鷹姫:大槻裕一
 空賦麟:野村萬斎
 後見:武居康之、齋藤信輔
 地詩:観世喜正、鈴木啓吾、坂真太郎、坂口貴信
     深田博治、高野和憲、中村修一、内藤連、飯田豪、野村太一郎
 笛:竹市学、小鼓:鵜澤洋太郎、大鼓:亀井広忠、太鼓:小寺真佐人

舞囃子「三番叟」
 裕基くんの「三番叟」は、披き以来でしょうか。今回は、舞囃子という形で紋付袴姿、「鈴ノ段」でも面は掛けません。装束より身体の線がはっきり出ます。
 裕基くん、ふと見ると袴が濡れるほど、顔から汗が滴り落ちていました。まだ、足を交差させて横に移動するところとか、運びにぎこちなさがありますが、キレの良さはやっぱり万作家の血を受け継いでいて、これからが楽しみです。

『鷹姫』
 絶海の孤島に木立と岩に囲まれた枯れた泉があります。泉の周りには岩が転がっており、守り役の鷹姫がいます。その泉に湧き出る水を飲むと永遠の命を得ることができるといい、泉の水は不思議な「魔の時間」にだけ湧いてきます。
 何十年もの間、命の水を求めて水が湧くのを待ち続ける老人は「魔の時間」が訪れると決まって意識を失い、目が覚めると再び泉は枯れてしまっています。
 そこに海のかなたの王国から若き王子・空賦麟(クーフリン)が現れます。彼は夜の宴に泉の噂を聞いて、帆船を出して遥々やってきたと言います。泉を巡って言い争う老人と空賦麟。その時、鷹姫が鳴き声をあげて羽ばたき水の湧く予兆が起こります。
 空賦麟は鷹姫と見つめ合い、老人は魅入られるな、魅入られると二度と島を出られないと忠告します。老人もかつて空賦麟のようにこの島にやってきた若者でした。
 鷹姫が舞い、老人は力尽き、空賦麟は意識を失ってしまいます。その刹那、泉の水が湧き出で、鷹姫は水を飲み尽くして飛び去ってしまいます。
 再び泉は枯れ、幽鬼となって彷徨う老人は、泉の水を求め続け、その苦悩を嘆き謡い、やがて岩の一つとなってしまいます。

 100年以上前、ノーベル文学賞を受賞したアイルランドの詩人ウィリアム・バトラー・イェイツが能の世界に影響を受けて、劇作品「鷹の井戸」を執筆しました。その後この作品が日本に渡り、新作能『鷹姫』(1967年)として生まれ変わり、今日まで様々な上演を繰り返してきたもので、今回は萬斎版の新たな演出になるとのことです。

 今回は、最前列がF列とG列で、正面右よりの最前列でした。開演前に消灯して真っ暗な中、舞台正面で何かゴトゴトと音がしていましたが、明かりがつくと、舞台正面の一部に台が飛び出していて、岩の作り物が置かれています。岩の作り物は、舞台の両脇にも台の上に置かれていて、舞台上には真ん中の台に座る鷹姫と周りを取り囲む鼻から上の半面をつけた地謡の岩たち。良く見ると舞台の回りに置かれた岩の作り物にも半面と同じような顔がついていて、泉の水を待ち続けた人間たちが岩になってしまった姿なのだと思いました。鷹姫の座る台にも半面の顔が模様のように描かれていました。橋掛かりは両脇と後ろにもあるようでした。
 老人役は、大槻文藏さん、今までは梅若実(元・梅若玄祥)さんの老人役しか観たことがないので、ずいぶんと痩せた老人に見えてしまいました。でも声を出すとなかなか迫力があります。
 地謡の岩のコロスは、シテ方が4人、狂言方が6人。シテ方は鷹姫の周りからほとんど動きませんが、狂言方の方は、『道成寺』の鐘の落ちた音と振動に驚いたアイの能力のようにゴロゴロと転がったりして動きがあります。半面を掛けていても、台詞の声で、それぞれが誰だかわかりました。
 老人と空賦麟とのやり取りの間も鷹姫はピクリとも動きません。突然サッと顔の向きを変えた時、笛がピーと鳴り、鷹姫が鳴き声を上げたことを表します。前の岩の台から煙が出てきて、鷹姫が台から降りてくると、空賦麟は刀を振るいますが、ちょっとここは、殺陣のように鷹姫が空賦麟の刀の上を飛んで避けたりしてました。空賦麟はやがて気を失い、前の岩の中から水を表す白い布が出てきて岩のコロスが舞台上に引き出して湧き出て波打つ水を表し、その上で鷹姫が急ノ舞を舞い、舞台後方に伸びる急な坂の橋掛かりを上って姿を消してしまいます。
 泉の水は(白い布は前の岩の台に回収され)再び枯れ果て、再び現れた老人は、泉の水を求め続けた苦悩を嘆きながら、泉を取り囲む岩の一つになってしまいます。

 ポストトークで萬斎さんが言っていましたが、『鷹姫』の初演では、観世寿夫さんが老人、観世静夫(先代の観世銕之丞)さんが鷹姫、万作さんが空賦麟をやったそうです。
 私が以前観た『鷹姫』は、梅若実(玄祥改め)さんの老人、友枝昭世さんの鷹姫、萬斎さんの空賦麟でした。能楽堂だったので、友枝さんの鷹姫が橋掛かりから出て来るところから美しくて目が釘付けになったものです。
 今回は、世田谷パブリックシアターらしい演出で、暗転してから明るくなると、鷹姫と岩のコロスが舞台上の定位置についていました。
 顔のある岩や台などの小道具は、名古屋で公演した時の物を使ったとか。岩のコロスがじっとしているのではなく、転がったりするのは、今回採り入れたもの。
 水が湧き出て来るところは、白い布を使っているので、その上で急ノ舞を舞うのは、シテ方もやったことが無く難しいことだそうで、その上、最後に駆け上がる後ろの橋は30度近い急勾配。それに空賦麟と殺陣のようなバトルもあったし、今回の鷹姫役は若い人でないと出来ないわと納得しました。大槻裕一さんの鷹姫もなかなか美しかったです。