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能楽鑑賞日記

2018年10月26日(金) 第十三回山井綱雄之會 山井綱雄芸道四十周年記念
会場:国立能楽堂 18:00開演

今までの四十年、これからの四十年
アナウンサー/古典芸の意解説者:葛西聖司
山井綱雄

「成上り(なりあがり)」
 太郎冠者:野村萬斎、主:高野和憲、すっぱ:月崎晴夫     後見:岡聡史

仕舞「淡路」 高橋忍
  「敦盛/キリ」 櫻間右陣
   地謡:中村昌弘、井上貴覚、本田芳樹、伊藤眞也

仕舞「歌占/キリ」 櫻間金記
  「鵜ノ段」 本田光洋
  「小塩/キリ」 金春安明
  「小鍛冶」 金春憲和
   地謡:政木哲司、辻井八郎、山中一馬、中村昌弘

『蝉丸(せみまる)』
 シテ(逆髪):山井綱雄
 ツレ(蝉丸):梅若紀彰
 ワキ(清貫):森常好
 ワキツレ(輿舁):則久英志、野口能弘
 アイ(博雅の三位):野村萬斎
    笛:一噌隆之、小鼓:鵜澤洋太郎、大鼓:安福光雄
      後見:金春憲和、櫻間金記、山中が晶、横山紳一
        地謡:本田芳樹、辻井八郎、井上貴覚、本田布由樹
            吉場廣明、本田光洋、金春安明、高橋忍

 最初に葛西聖司さんと山井綱雄さんの対談ですが、葛西さんが山井さんにインタビューする形で進められました。
 山井さんのお祖父様の梅村平四朗氏が能楽師だったと言う話は聞いたことがありますが、お祖父様は弟子からプロの能楽師になるのに大変苦労なさったそうで、そのために息子さんたちに後を継がせることはなかったそうです。山井さんは娘さんの子供ということで、5歳の時に子方として出たのが初舞台だそうですが、12歳の時、能『経正』で初シテを演じてから能の道に進もうと決心したそうです。中学、高校と音楽に夢中になり特にデーモン閣下に憧れたりしても、能をやめようと思ったことは無く、どちらも両立してたらしいです。
 今では、他ジャンルの方とのコラボでも活躍されてますが、ご本人はそれまで全然その気はなかったそうで、デーモン閣下から今の時代は、そういうことも必要なんじゃないかと、言われたことから、今の活動が始まったようで、家元の理解もあったと仰ってました。
 また、3年前の「山井綱雄之會」で『道成寺』のシテで足の甲の骨を折る怪我をされた時のことも話されて、たしか、私はその公演を観てましたが、鐘から出てきた後の動きもまったく、そのようなことを感じさせない動きだったと思います。
 また、是非リベンジしたいと思っているそうです。

「成上り」
 主人と太郎冠者は、鞍馬に参詣に出かけて通夜(おこもり)をしますが、すっぱが太郎冠者の抱えた主人の太刀を青竹にすり替えて逃げ去ります。目を覚ました太郎冠者は太刀が青竹に成上ったと主人に報告し、失態を誤魔化そうとしますが、叱られてしまいます。その後二人は、すっぱを待ち伏せして捕えようとしますが、主人がすっぱを羽交い絞めにし、太郎冠者に縄をかけるよう言うと、太郎冠者は縄をおもむろに綯い始めます。最後は、間違えて主人を縛ってしまい、すっぱに逃げられてしまいます。

 大蔵流だと、太刀が青竹に成上ったと言う言い訳で、叱られて終わりとなりますが、和泉流では、その後「太刀奪(たちばい)」や「真奪(しんばい)」などの曲と同じに「泥棒をみて縄を綯う」のことわざの「泥縄」を演じてドタバタの面白さになります。
 すっぱの月崎さんが寝ている萬斎太郎冠者の太刀を盗もうとしますが、太刀にちゃんと手をかけていて、抜けないので、思案したすっぱが青竹を太刀の代わりに握らせて太刀を奪います。
 太郎冠者が主人に起こされて二人で帰る途中で、太刀が青竹に変わっていることに気付いた萬斎さんの驚きようがなんか面白いですね。その後、出世する時には物が成上ると、山の芋が鰻に、嫁が姑に成上るなどと言い、「熊野の別当のくちなわ太刀」の話をして、別当の太刀は他人には蛇に見えたが、いざと言う時には太刀になると言う話。あなたも出世する印に太刀が青竹に成上りました。と、青竹を見せて叱られてしまいます。
 その後は、すっぱを捕まえるために二人で待ち伏せして、主人がすっぱを羽交い絞めしたのに、縄で縛れと言われれば、のんびり縄を綯い始める太郎冠者。綯っている間にすっぱに蹴られてゴロンゴロン(笑)綯い終われば、輪っかにした縄に足を入れろとすっぱに言うし、後から縛れと言われれば、主人を縛りあげてしまうという、すっとぼけた大失態のドタバタがやっぱり可笑しいです。

『蝉丸』
 清貫(きよつら)は帝の命を受けて蝉丸を逢坂山に捨てるために蝉丸の伴をして逢坂山に行きます。延喜帝第四皇子、蝉丸の宮は生来の盲目でした。蝉丸は嘆く清貫に、これは前世の罪業を償い、後生を助けよとの親の慈悲であると諭します。髪を剃り、出家の有り様で一人残された蝉丸は琵琶を抱え泣き伏せます。やがて、博雅の三位が訪れ、痛々しい姿の蝉丸をなぐさめ、雨露をしのげる藁屋をしつらえます。
 一方、蝉丸の姉宮逆髪(さかがみ)は髪が逆さまに生え、狂乱の身で辺境をさまよい、逢坂山にたどりつきます。ふと、気付くと藁屋から琵琶の音が聞こえ、近づくと中から蝉丸が声をかけてきました。再会を喜ぶ二人はわびしい互いの境遇を語り合い、やがて、逆髪は、いつまでも名残は尽きないと、涙ながらに去って行き、蝉丸も遠ざかる声の聞こえなくなるまで送り、涙の別れとなるのでした。

 今回、山井さんが観世流の梅若紀彰さんとの共演をしたいと思ったことについて、以前、紀彰さんと並んで写真を撮る機会があり、その時感じたオーラが凄くて是非共演したいと思ったとのことです。

 プログラムに詞章が書いてあるので分かりやすいです。
 帝の子供の内二人が、盲目と狂人で捨てられるという、不憫な二人が偶然逢坂山で再会し、また別れていく。
 清貫と輿に乗った蝉丸が現れます。盲目の面の蝉丸は弱々しそうだけれど、高貴な雰囲気が漂っています。蝉丸を不憫に思って嘆く清貫に、これも父帝の慈悲と、自らの運命を静かに受け止める蝉丸は悲しくも美しく。物着で僧の角烏帽子を被って剃髪した僧形になり、清貫と2人の輿舁が去った後、琵琶を抱えながら思わず泣き伏す蝉丸。博雅の三位が現れます。萬斎さんの博雅の三位は、大名烏帽子に水衣、括り袴姿で、蝉丸を藁屋へ案内する仕草に蝉丸に対する敬意といたわりが感じられます。蝉丸が藁屋へ入り、博雅が去ると、逆髪の登場です。
 逆髪といっても、ぼうぼうの黒頭ではなくて、長い髪を後ろで束ね、右側だけ、一束長く垂らしています。髪の乱れを表しているのでしょうか。
 橋掛かりで、はやしたてる子供らに向かい「いかにあれなる童どもは何を笑うぞ。なにわが髪の逆さまなるがおかしいとや。」と、「さてわが髪よりもなお。汝らが身にて我をわらうこそ逆さまなれ。」「それ花の種は地に埋もって千林の梢にのぼり、月の影は天にかかって万水の底に沈む。これらをばいずれをか順と見、逆なりといわん。」「われは皇子なれども庶人にくだり、髪は身上より生いのぼって、星露を戴く。これみな順逆の二つなり、おもしろや。」と、何が順で何が逆なのか、狂っているにしては理路整然。能・狂言に出て来る物狂いは、恋狂いや子を探す母などの狂ったような姿で、逆髪も思い通りにいかない髪に時々狂気してしまうと言っているので、今私たちが考えるような狂人ではないように思います。理不尽な世の中に抗しているような逆髪には凛とした強さが感じられます。
 再会した二人はお互いの身のわびしさに涙し、別れを惜しみながらも逆髪は、また放浪の旅に出ていきます。
 運命を受け入れる弟と、理不尽な世の中に抗していく姉と対極にある二人のひと時の再会と別れ。その美しさ、哀しさ、残酷さが心に残ります。
2018年10月24日(水) 狂言ござる乃座58th
会場:国立能楽堂 19:00開演

「悪太郎(あくたろう)」
 悪太郎:野村萬斎、伯父:石田幸雄、僧:野村万作     後見:月崎晴夫

「柑子(こうじ)」
 太郎冠者:野村萬斎、主:深田博治     後見:高野和憲

「三人片輪(さんにんかたわ)」
 博奕打:野村太一郎
 博奕打:中村修一
 博奕打:内藤連
 有徳人:野村裕基
                      後見:飯田豪

「悪太郎」
 伯父が自分の陰口を言っている噂を聞いた悪太郎は、伯父宅に押しかけ長刀を扱って脅かします。伯父が怖がりつつも酒を振る舞うので、したたかに飲んだ悪太郎は、帰宅する途中、道で寝入ってしまいます。心配して後をつけてきた伯父は、法衣を置き悪太郎の頭と髭を剃って、今後は南無阿弥陀仏と名付けると言い残して帰ります。目覚めた悪太郎は、伯父の言葉を仏のお告げだと思い、仏道修行することを決心します。そこへ出家が「南無阿弥陀仏」を唱えながらやってきたので、悪太郎は自分を呼んだのかと思い返事をします。出家は不審がりますが、出家から南無阿弥陀仏の由来を聞いた悪太郎は、これからは一心に弥陀を頼もうと誓います。

 前半では、有り余るエネルギーを持て余しているような悪太郎が、後半では仏道との縁を結び、新しい人生を歩き出す話ですが、前半の酔って長刀を振り回す、乱暴者で困った萬斎悪太郎に、困り果てる石田伯父とのやりとり、後半の万作僧と萬斎悪太郎のすっとぼけたやり取り、万作さんの間の取り方が絶妙で、大笑い。万作さん、萬斎さん、石田さんのコンビはやっぱり磐石です。

「柑子」
 宴席で三つ成(一本の枝に三つ実が成っている)の柑子(みかんの一種)を貰った主人は、珍しいので太郎冠者に持ち帰らせます。翌日、太郎冠者に渡すよう言うと、太郎冠者はその行方について語りはじめるのでした。一つ目は槍の塩首本(柄の部分)に枝を結いつけておいたところ、蔕(へた)から落ちて転がって行ったので、好事門(こうじもん)をいでずというから止まれと呼びかけ、止まったのを食べてしまったと言い、二つ目は、懐に入れたところ刀の角鍔(かくつば)に押しつぶされ、これも食べたと言います。残りの一つについては哀れな物語があると言って、俊寛僧都の島流しの話を語りはじめます。三人で流されたのに一人だけあとに残された俊寛と、三つあったのに一つ残った柑子の思いは同じだろうと言って、主人を一旦はしんみりさせますが、それも自分の「六波羅(腹)」に納めた」と白状して、叱られてしまいます。

 萬斎太郎冠者の言い訳の語りが面白いところです。柑子を食べる時に皮だけでなく、白い筋まで丁寧に取っている仕草など、細かいところがリアリティある。あとは、もっともらしい言い訳に最後は洒落で納める。万作さんだとクスッと笑えて名人芸みたいな感じだけれど、萬斎さんだと、もっとトボケタ感じになります。

「三人片輪」
 障害者を大勢雇おうと思った有徳人(裕福な者)が高札を掲げて周知します。すると食い詰めた博奕打が三人現れ、それぞれ座頭(目の不自由な者)、いざり(足の不自由な者)、唖(おし)と偽り、召し抱えられます。有徳人は各人に軽物蔵(絹布の蔵)・酒蔵・銭蔵の番を言いつけて出かけます。留守をよいことに、三人はいつもの姿に戻って屋敷の中を探索していて顔を合わせます。賭博仲間の三人は、さっそく酒蔵を開いて酒宴を始めます。謡い舞いの酒盛りを楽しんでいると、そこへ主人が帰ってきます。あわてた三人は障害者の姿に戻ろうとしますが、酔いが回って自分が何であったか忘れてしまい、間違えて有徳人に見破られ、三人とも追い出されてしまいます。

 若手で揃えた布陣。差別的な呼称が含まれるため現在では上演機会が少なくなっているとのことですが、和泉流でも大蔵流でも結構観てます。弱者を痛めつけたりバカにするのではなく、食い詰めた博奕打ちが悪知恵を絞って悪戦苦闘するけれど、すぐ化けの皮がはげちゃう話です。若手メンバーがあっけらかんとして暗さが無く、元気いっぱいの逞しさを見せて大成功。酒宴の謡い舞いもしっかり見せてくれました。裕基くんの有徳人も最後に怒るところが結構怖かったですよ。
2018年10月14日(日) 萬狂言秋公演〜主三昧〜
会場:国立能楽堂 14:30開演

解説:野村万禄

「止動方角(しどうほうがく)」
 太郎冠者:野村万蔵、主:小笠原匡、伯父:能村晶人、馬:上杉啓太

「文蔵(ぶんぞう)」
 主:野村萬、太郎冠者:野村拳之介

「武悪(ぶあく)」
 武悪:野村万禄、主:野村万蔵、太郎冠者:野村万之丞

 珍しく解説が野村万禄さんでした。今回は「主三昧」、パワハラ主人と対抗する召使いの構図だとか。それぞれの演目の主人について「止動方角」の主人は見栄っ張りで我が儘。「文蔵」の主人は太郎冠者が無断欠勤していたので、最初から不機嫌。「武悪」では、さらに怒って殺気立って登場。名乗りもしない。と仰ってました。

「止動方角」
 主人は茶比べのため、極上の茶を一袋と太刀や馬まで伯父から借りてくるよう太郎冠者に命じます。伯父はそれらを快く貸してくれましたが、借りた馬には後で咳をすると暴れるクセがあり、暴れた時に鎮める呪文も教えてもらいます。太郎冠者が戻ると、迎えに出た主人に帰りが遅いと叱られてしまいます。茶比べに向かう途中も叱り続ける主人に腹を立てた太郎冠者は咳をして主人を落馬させ、再び騎乗した主人がまた叱り続けるので、また落馬させます。そこで今度は太郎冠者が馬に乗り、人を使う時の稽古だと言って、自分がやられたとおりに主人を叱ります。怒った主人が太郎冠者を突き落として馬に乗ると、また太郎冠者は咳をして落馬させますが、馬と間違えて主人を乗り鎮めてしまいます。

 万蔵さんの太郎冠者に小笠原さんの主人。主人に色々借りてくるよう頼まれた太郎冠者に伯父さん(晶人さん)は、快く貸してくれますが、気を使ってやっと借りてきた太郎冠者に主人は労うことも無く、帰りが遅いと叱ってばかり、太郎冠者だって仕返ししたいよね。小笠原さんの我が儘主人と、してやったりで調子に乗りすぎる万蔵さんの太郎冠者のドタバタ、やっぱり何回観ても面白い。

「文蔵」
 無断で旅に出た太郎冠者が帰ってきたと聞きつけ、叱るために私宅に向かった主人は、太郎冠者が京都見物に行って伯父のところへ立ち寄ったというので許します。太郎冠者は珍しい食べ物を振る舞われたと言いますが、その名前を思い出せません。しかし、日頃主人が読む本の中に出て来るものだと言うので、主人は「源平盛衰記」の石橋山の合戦物語を語りはじめます。「真田の与一が乳人親(めのとおや)に文藏と答ふる」と言うところで、太郎冠者はやっと思い出し、その文藏を食べたと言うので、主人は釈迦が師走八日の御山出でに食べた温糟粥(うんぞうがゆ)のことだろうと言い、主人に骨を折らせたと叱ります。

 萬さんの主人に孫の拳之介くんの太郎冠者。やっぱり、萬さんの仕方語りが見どころで、迫力あります。途中で食べ物の名前が出て来ると、太郎冠者に聞くところがちょっと気が抜けて面白いです。拳之介くんも裕基くんと同じ歳くらいかな、お祖父さんの相手をしっかり勤め、いつの間にかずいぶん立派になりましたね。

「武悪」
 召し使う武悪の不奉公に腹を立てた主人は、太郎冠者を呼び出し、武悪を成敗するよう言いつけます。日頃から親しい関係の武悪を討つことを避けたい太郎冠者は様々取りなしますが、主人の厳命にやむなく承知し、武悪のもとを訪ねます。武芸に秀でた相手なので、主人へ魚を進上するようすすめ、武悪が生け簀の中で魚をとるところを、騙し討ちにしようとすると、気付いた武悪が恨み悲しみながらも覚悟を決めて討たれようとする様子を見て、どうしても討つことができません。遠国へ出奔するよう武悪を逃がし、主人には成敗したと嘘をつきます。武悪の最期を聞いた主人は不憫に思い、弔いのために太郎冠者を連れて東山の清水へ出かけます。一方、武悪も、命が助かったのは清水の観世音のおかげだと、お礼参りに向かい、鳥辺野あたりで、主人に出くわしてしまいます。武悪は慌てて逃げ、疑惑をもつ主人に太郎冠者は様子を見にいくと言って武悪に幽霊に化けて出直してくるよう入れ知恵します。幽霊姿になって主人の前に現れた武悪は、冥途で主人の父親に会ったと言い、その注文だと言って太刀・小刀・扇などを受け取り、さらに冥途に広い屋敷があるからお供をしようと、主人を脅して追って行きます。

 最初から名乗りもせずに、殺気立った主人の登場。太郎冠者を呼びだして成敗するようにと、緊張感のあるやり取りが繰り広げられます。
 召使いの不奉公にここまで怒り心頭の主人は他の演目には出てきません。曲中では詳しくは述べられていませんが、大藏流の初期の虎明本には、武悪は、「新開(しがひ)」(勝手に新しく土地を開いたり、私的に蓄財すること)をしたことが理由であると書かれているそうです。後半は打って変わって笑っちゃう展開ですが、万禄さんの武悪に万蔵さんの主人、万之丞さんの太郎冠者。特に主人(万蔵さん)の前半と後半のギャップには大笑いですが、幽霊に化けた武悪(万禄さん)が調子に乗って主人を脅す可笑しさ、武悪を騙し討ちにしようとして、討てない太郎冠者(万之丞さん)と武悪とのやりとりなども見どころですが、万之丞さんも若いなりにお父さんや伯父さん相手にしっかり演じてました。
2018年10月12日(金) 忠三郎狂言会 茂山良倫初舞台公演
会場:国立能楽堂 18:45開演

「子盗人(こぬすびと)」
  博奕打:善竹隆司、亭主:山本泰太郎、乳母:大藏教義  後見:石角隆行

「以呂波(いろは)」
 息子:茂山良倫、親:茂山忠三郎      後見:山口耕道、安藤愼平

「縄綯(なわない)」
 太郎冠者:茂山忠三郎、主人:大藏彌右衛門、何某:大藏吉次郎
                      後見:石倉昭二、肥沼潤一

「子盗人」
 博奕で負けて一文無しになった博奕打ちが金持ちの家に盗みに入ります。忍び込んだ家では、先ほど乳母が寝入った赤子を奥座敷に寝かせ、お勝手で茶を飲もうと離れたところでした。博奕打ちは、座敷の中を物色していると、結構な小袖が目に留まります。女房にやろうと手に取ると、くるまった赤子に気付きます。赤子が笑いかけるので、気の言い男は盗みを忘れてあやすうち夢中になり、抱き上げたり、肩車したり、くすぐったりしていると、物音に気付いた乳母が驚いて主人を呼びます。駆け付けた主人は太刀を抜いて盗人に迫るので、盗人は赤子を盾にして切先をかわし、赤子を置いて逃げて行きます。安堵した乳母は赤子を抱き上げ、危ない目に遭わせられた、命拾いしたので御寿命も永かろうと祝して終わります。

 小袖に赤ん坊の人形をくるんで抱いた乳母の教義さんが現れ、寝付いた赤子を舞台の地謡前に置いて戻って行くと、すっからかんになった博奕打ちの隆司さんがやってきて、座敷の中の高価そうな品々を見ているうちに赤子をくるんだ小袖を見つけます。小袖を女房にやろうとか、赤ん坊を見つけると思わず夢中になってあやしたり、ホントは人が良くってちょっと抜けてる泥棒さん(笑)。家には妻子がいるから思わず子供をあやしちゃったんでしょうね。乳母の知らせで血相を変えてとんできたという感じの泰太郎さん。逃げる泥棒を主人が追って行くと、乳母の教義さんが赤子を抱き上げて命拾いしたから長生きするだろうと言っておめでたく終わるっていうのも狂言らしい。

「以呂波」
 最上吉日に、親が幼い息子に手習いを始めます。まず、いろは四十八文字を教えようと、一息に「いろは歌」を吟ずると、息子は一息ではなく一字ずつ教えてほしいと言います。そこで「い」を言うと、子は「灯心」と答え、藺草(いぐさ)の髄を引けば灯心が出ると説明し、「ろ」と言うと「櫂(かい)」と答え、舟には櫓櫂が必要だと言います。親はそんな走り知恵(見当はずれで先走った知恵)は役に立たないと戒め、自分の言う通り言えと厳命します。子は親の口真似をすればいいと受け取り、親が「・・・ゑひもせす京と読め」と教えると、子は「と読め」まで真似します。親が叱ると、その言葉どおり反復して叱り返し、何を言っても同じように口真似するので、親は怒って子を引き回して突き倒すと、子も親を引き回し突き倒して立ち去ります。

 忠三郎さんの長男良倫くんの初舞台です。4歳になったそうですが、大藏流では初舞台は「以呂波」。プログラムの「ご挨拶」に忠三郎さんが書いていましたが、稽古も嫌がらず、むしろ喜んで稽古にはげんでいたとのこと。舞台から出て来る時もなんかにこやかな感じで忠三郎さんの後から登場。台詞もしっかりと、子供らしく可愛らしく、これから色々大変なこともあるでしょうが、お父さんと共に、しっかり受け継いでいって欲しいなと見守っていきたい伯母さんのような気持ちになりました。
 休憩時間に子供を抱いた人を見かけ、忠三郎さんの上のお姉さんでした。下のお姉さんも見かけましたが、元宝塚と言うだけあって背が高くスラっとした美人でした。

「縄綯」
 博奕好きな主人が大負けしたことから、召使いの太郎冠者まで借金のかたにとられることになります。主人は太郎冠者にはそのことを伏せ、大事な用があるからと文を持たせて何某の方へ行かせます。文を読んだ何某が主人との勝負に勝って汝を質に取ったと告げると、初めて真相を知った太郎冠者はつむじを曲げ、使いに行け、縄を綯え、水汲みに行けなどと命じられても、変な理屈を言って働こうとしません。怒った何某は主人に借金を清算せよと迫ると、困った主人は、自分が働かせてみせるから一度帰してくれと言います。
 戻った何某から、今度は主人が勝って取り戻されたと聞かされた太郎冠者は、大喜びで帰宅し、主人から縄綯いを命じられると、喜んで縄を綯い始めます。その間に、縄の端を持っていた主人が何某と入れ替わりますが、太郎冠者は気付かず、何某の家族の悪口を長々と述べ立て、ふと振り向くと、主人が何某に入れ替わっていました。驚いて逃げる太郎冠者を何某が追って行きます。

 以前に先代の忠三郎さんの太郎冠者と先代の千作さんの何某で「縄綯」を観たことがあり、それが非常に面白くて、とても印象に残っています。もちろん、今の忠三郎さんはまだ若いし、大藏宗家の彌右衛門さんとその弟の吉次郎さんというベテランの胸を借りての「縄綯」。
 若い太郎冠者のちょっとすねた感じ、主人の元に大喜びで帰って、縄を綯いながら調子に乗って何某の家の悪口を言うところなど、またベテランの味とは違う面白さで観ました。