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能楽鑑賞日記

2018年12月16日(日) 第15回善竹富太郎の狂言会SORORI
会場:国立能楽堂 14:00開演

おはなし:善竹十郎

「柑子(こうじ)」
 太郎冠者:善竹徳一郎、主人:善竹大二郎

素囃子「男舞(おとこまい)」
 大鼓:柿原孝則、小鼓:田邊恭資、笛:杉信太朗

「釣狐(つりぎつね)」
 白蔵主・老狐:善竹富太郎、猟師:善竹十郎    後見:大藏基誠、山本則孝

「千切木(ちぎりき)」
 太郎:大藏基誠
 主人:山本泰太郎
 太郎冠者:善竹大二郎
 立頭:山本則孝
 立衆:野島伸仁
 立衆:吉田信海
 立衆:川野誠一
 立衆:善竹徳一郎
 女:善竹富太郎

 会場は9割がた入ってて、他の狂言会と比べて若い男性率高い。
 最初に善竹十郎さんのお話。
 富太郎さんが「SORORI」を作ったことについて、十郎さんは、なんの相談もされなかったとのこと。勝手に作った(笑)。「SORORI」の名前から、秀吉に仕えた御伽衆(秀吉に世間の話をする人)の曽呂利新左衛門の逸話の話を一つ。当日引換券のお客様の行列ができているので、席につけるまでの時間稼ぎです(笑)とのこと。
 その後、演目の解説で、「釣狐」について、陽の息と陰の息というのがあって、獣は陰の息でやるので、言葉がはっきりしない、ということを仰ってました。富太郎さんが「釣狐」のために、130kgから30kg減量したと、これについては、終演後に富太郎さんが挨拶に出てこられて訂正してました。本当は120kgから85kgだそうです。また、大藏流では180曲のうち、1から180まで順番がついていて、1が「以呂波」で180番目が「釣狐」と仰ってました。

「柑子」
 昨晩の宴会でお土産にもらった三つ成りの柑子を太郎冠者に渡したと思いだした主人は太郎冠者に返すよう命じます。自分にくれたものだと勘違いした太郎冠者は全部食べてしまったので、落として転がったので食べたとか刀の鍔で潰れたので食べたとか、最後は俊寛の昔物語を引き出して、三人で流されたのに一人だけ残された俊寛と、一つ残った柑子の思いは同じだろうと言って、それも自分の六波羅(腹)に納めたと言って叱られてしまいます。

 十郎さんが、「太郎冠者が貰ったと勘違いした」と仰ってましたが、太郎冠者が美味しそうなのでちゃっかり食べちゃって言い訳しているのかと今まで思ってました。そうだったのかと、なんか納得。
 関西の善竹徳一郎さんの太郎冠者と富太郎さんの弟の大二郎さんの主人という配役。柑子のすじを取るところは、万作家ほど細かくは無く、あっさりと取ってました。

「釣狐」
 仲間たちを釣られてしまい一人になってしまった老狐は猟師の伯父の伯蔵主に化けて、釣る事をやめるよう意見します。仕方なく狩りをやめ、罠までも捨てた猟師でしたが、伯蔵主の様子が変だったので、捨て罠にして捨てておいたところ、住処である古塚に帰る途中でその罠を見つけた老狐によってつつかれた状態になっていたので、今度は本罠にして藪に隠れて待ち構えることにします。そこに古塚で伯蔵主の衣装をぬいで身軽になった老狐が戻ってきます。老狐はとうとう罠にかかってしまいますが、猟師と渡り合ううちに罠をはずして逃げて行きます。

 富太郎さん、さすがにお腹もスッキリとへこんでダイエット成功。そのおかげで、身のこなしも軽いです。富太郎さんの伯蔵主狐は、なんとなく愛嬌があって、滑稽なところなど、クスッと笑えますが、十郎さんの猟師がピシっと締めてます。

「千切木」
 連歌の会の集まりに嫌われ者の太郎だけが呼ばれなかったので、後から来た太郎は生花や掛け軸にケチをつけます。穏便に済まそうとしていた一同でしたが、太郎の態度があまりにひどいので全員で滅多打ちにして太郎は気を失ってしまいます。そこへ太郎の妻がやってきて、仕返しに行くようけしかけます。しぶしぶ出かけた太郎ですが、どの家でも「留守」との返事。すると、太郎は急に元気になり、棒を振り回して気勢を上げます。その姿を妻はほれぼれと眺め「いとしの人」と仲良く帰って行きます。

 まず連歌の衆が当番の主人に挨拶する時、和泉流だと来た順にそれぞれ挨拶するのに、大藏流では、全員中に入って揃ってから、みんなで「お当、めでとうござる」と言ってました。
 最初は、太郎がみんなに連歌を教えていたのが、いつも嫌味を言うので、みんなに嫌われるようになったと十郎さんが話していました。だから、太郎には自分がいなければ始まらないという気持ちがあり、仲間外れにされたことに腹が立ってよけいケチをつけたと言うところでしょうか。基誠さんが、横柄な感じの太郎を演じ、これじゃ嫌われるよなという雰囲気。そして、みんなに袋叩きにされてからは、一転ビビリな太郎。富太郎妻は、スッキリ痩せたので、ドーンという押し出しは薄れますが(笑)、気が強くて、夫の尻を叩きながらも愛情たっぷりな妻。相手が留守と分かると、急に強気になっていきがる太郎とそんな太郎に惚れ惚れとする妻、最後は仲良く帰る夫婦のいいコンビでした。


 終演後、富太郎さんが出てきてご挨拶。「釣狐」は今回で3回目だそうです。39歳で、30代最後の「釣狐」。十郎さんが130kgから30kg減と言ってましたが、100kgから30kg減では100kgで、100kgでは狐はできません。クマですね、クマでは猟師を倒せます(笑)。本当は120kgから85kgになったとのこと。来年また「釣狐」をやるそうで、さらにもうひと搾り。
2018年12月6日(木) 第84回野村狂言座
会場:宝生能楽堂 18:30解説、18:45開演

解説:野村萬斎

「棒縛(ぼうしばり)」
 次郎冠者:善竹隆司、主:善竹彌五郎、太郎冠者:善竹隆平
                        後見:大藏基誠

素囃子「急ノ舞」
 大鼓:佃良太郎、小鼓:鳥山直也、笛:藤田貴寛

「楽阿弥(らくあみ)」
 楽阿弥の霊:野村万作、旅の僧:野村萬斎、所の者:野村裕基
           地謡:石田淡朗、野村太一郎、中村修一、内藤連、飯田豪
                        後見:月崎晴夫

「鈍太郎(どんたろう)」
 鈍太郎:石田幸雄、下京の妻:深田博治、上京の女:高野和憲
                        後見:竹山悠樹

 今回は、萬斎さんの解説。
 「棒縛」では、大藏流と和泉流の違いを見てもらいたいとのことで、大きな違いは和泉流とは太郎冠者と次郎冠者が逆で、和泉流では、次郎冠者が先に呼ばれて、太郎冠者が後ですが、大藏流では、太郎冠者→次郎冠者の順です。
 「楽阿弥」では、能のパロディーで「舞狂言」と呼ばれるものです。
 楽阿弥は尺八の吹き死にをした人ということです。謡を聞くと尺八を沢山挿しているらしいですが、沢山笛を挿してると言うと、一噌流の人にもいますね。と、それ幸弘さんのことでしょ、思わず笑ってしまいました。他にも笑い声が・・・。萬斎さん、「今、笑った方は感がいいですね(笑)」、「最近は歳をとって、少し静かになりましたが・・・私より年上なので。」など、幸弘さんの話が出ました。
 尺八を吹く人で、虚無僧の話からパリの地下鉄で、ヴァイオリンを弾いている人がいて、それが下手で、見かねた人がチューニングをしてやってました(笑)なんて話まで。
 「鈍太郎」では、歴の月の大小が今とは違って、太陰暦で、大の月が30日、小の月がそれ以下になるので、これを頭に入れてご覧になってくださいとのこと。萬斎さんのお母様はこの曲が大嫌いだということですが、今は女性の立場が強くなったので、バカな男の願望だと思って広い心で観てくださいとのことでした。

「棒縛」
 主人が太郎冠者に、次郎冠者を縛りつけるので手伝えと言います。理由も分からず太郎冠者は、彼はこのごろ棒術を稽古しているので、「夜の棒」という両腕を広げた型をしたところで、棒に縛ろうと知恵をだします。呼び出されて次郎冠者が棒を使うと、示し合わせた二人は次郎冠者を棒に縛り付けてしまいます。それを見て案山子のような姿に笑っていた太郎冠者も、主人に後ろ手に縛られてしまいます。主人は、二人がいつも自分の留守に酒を盗み飲むので、今日は縛っておいたと言って、外出してしまいます。しかし、こんなことで酒を飲むのを諦める二人ではありません。なんとか酒蔵の扉を開け、中に入って酒の臭いをかぐうちに、二人は我慢しきれなくなり、酒を飲もうと四苦八苦。上手く飲む方法を見つけた二人は、にぎやかな酒盛りになりますが、そこに帰ってきた主人は驚き、二人を打ちつけようとしますが、次郎冠者は逆に棒を使って主人を追い回します。

 主人が先ごろ彌五郎を襲名された元・忠一郎さんに、隆司さん、隆平さんの兄弟で親子共演です。
 太郎冠者と次郎冠者が反対な他は、話の流れはほぼ和泉流と変わりありません。蔵を開ける時に萬斎さんなどは、カギをピーンと上げてはずす仕草がありますが、そういうのはなくて、ガラガラと開けているとか、後ろ手に縛られてる太郎冠者が、その手に盃を持てるという事に自分で気づくところとか、細かい違いはいくつかありました。お互いに縛られたままで舞を舞う表現は、見慣れている万作家より、おとなしめな感じでしたね。最後に棒に縛られた次郎冠者が主人を棒で脅して主人が逃げ、次郎冠者が主人を追いかけて行くのも和泉流だと主人に棒で応戦してから逃げて行き、主人が追って行くという形だったと思います。
 でも、主人が帰ってきたのに気づかず、盃の酒に主人の執心が映っているなどと、やっぱりオーソドックスで笑える場面満載の「棒縛」は面白いです。

「楽阿弥」
 伊勢神宮への参詣を思い立った旅の僧が、伊勢国別保の松原までやってきます。一本の松の木にたくさんの尺八が掛けられているのが目に入り、不思議に思った僧が、土地の者に尋ねると、昔ここで尺八の吹き死にをした楽阿弥という尺八吹きの跡を弔うためだと言います。供養を勧められた僧が尺八を吹き始めると、楽阿弥の亡霊が現れ、僧と共に尺八を吹き、自分の最期の有り様を語り終えると、回向を願いつつ、姿を消してしまうのでした。

 舞台の正先に尺八に模した竹筒がいくつも吊るされた松の木が置かれます。能のパロディーなので、ワキ僧が出てきて、松の木の謂れをアイ(所の者)に聞き、跡を弔っていると亡霊が現れ、最期の有り様を謡い舞って、回向を願って消えて行くという、夢幻能の様式に添って進められますが、シテの楽阿弥が尺八の吹き死にをしたと言うのが、狂言らしいユーモアで、最期の有り様を尺八の作られる過程になぞらえて物語る動きがユーモラスでもあります。
 楽阿弥の亡霊と旅僧の萬斎さんが、一緒に尺八を吹く場面、本物の尺八ではなく、竹筒で音色を口で言うのも面白いのですが、それがなかなか美しいハーモニーなのでした。

「鈍太郎」
 三年ぶりに西国から戻った鈍太郎は、早速下京の本妻の元へ戻りますが、音信不通だった夫の帰りを待ちかねて既に再婚したと言われ、荒っぽく追い返されてしまいます。今度は上京の愛人の元に向かうと、ここでも夫を持ったと追い返されてしまいます。落胆した鈍太郎は、出家して修行の旅にでることにします。一方、先ほど現れたのが本物だったことに気付いた本妻と愛人は、二人で心を合わせて出家の志を留まらせようと相談し、鈍太郎が通るのを待ち伏せます。鈍太郎は、袂に取りついて懇願する二人に、自分を大事にしてくれれば思いとどまろうと言います。一か月の半分ずつをそれぞれの家で過ごすことに決め、二人の手車に乗って意気揚々と引き揚げていきます。

 昔は男が3年も手紙も寄こさず、女が一人で暮らしていると、近所の男たちが帰って来たとからかったりしたんでしょう。散々騙されたので、今回も偽物だと思って二人とも追い返しちゃうわけですが、それにしても最後の展開はなんだかなぁではあります。でも、石田さんの鈍太郎が、まったく嫌味が無くて憎めないですね。「ホント、しょうもないやっちゃ」と笑っちゃいます。