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能楽鑑賞日記

2019年1月17日(木) 第85回野村狂言座
会場:宝生能楽堂 18:30解説開始 18:45開演

解説:野村萬斎

小舞「雪山(ゆきやま)」 野村裕基
  「八島(やしま)」前 野村太一郎
             地謡:竹山悠樹、野村萬斎、岡聡史、石田淡朗

素囃子「神舞(かみまい)」
 大鼓:亀井洋佑、小鼓:飯冨孔明、太鼓:梶谷英樹、笛:八反田智子

「松囃子(まつばやし)」
 万歳太郎:中村修一、弟:飯田豪、兄:深田博治
                        後見:竹山悠樹

「歌争(うたあらそい)」
 何某:石田幸雄、何某:石田淡朗        後見:岡聡史

「ぬけから(ぬけがら)」
 太郎冠者:野村萬斎、主:野村万作       後見:野村裕基

「石神(いしがみ)」
 夫:高野和憲、妻:内藤連、仲裁人:月崎晴夫  後見:野村太一郎

 前回に続いて今回の解説も萬斎さん。万作家も人が多くなって、若手に役を経験してもらうため、演目も多くなったとのこと。
 小舞の「雪山」は正月のおめでたい謡で、「八島」は八島の合戦での三保谷と景清の錣引きの逸話や佐藤継信の最期の様を小舞にした勇壮な舞。
 「松囃子」では、今でいう出張ストリートパフォーマンス。昔は正月に家々を回って祝福芸をする人がいたそうですが、予約金のお米が来ない。それでもやってきてほのめかすものの気付かないとおざなりに済ませ、もらえることになると、ちゃんと舞う。げんきんなやつです。
 「歌争」では、淡朗さんが今月から本格的に(狂言の舞台に)出ると言ってました。
 和泉流では「歌争」と言いますが、土筆(つくし)を見て歌を詠むので、大藏流では「土筆(つくづくし)」、山本家では「土筆(どひつ)」とも言います。
 歌の誤りを指摘して泥仕合になっていき、最後には相撲の話になっちゃう。
 「ぬけから」は「ぬけがら」と読みますが、「末広かり」と書いて「すえひろがり」と言うように昔は濁点のつかない書き方をしたようです。
 前半は「痺(しびり)」のような感じで怠惰な太郎冠者と言ってました。酒を飲んで酔っ払って道に寝ちゃう。それで、昔の狂言師には狂言を地で行くような人がいた、との話に。これは、「言っていいかどうか」と前置きして、山本則直(のりただ)さんって名前いっちゃいましたね。門前で寝てたという豪快な方だったそうです。
 「石神」では、夫が石神に化け、妻がその前で神楽を舞うのですが、石神の面が「男梅」CMのような顔って言ってて、気になっちゃいました(笑)

小舞「雪山」「八島/前」
 裕基くん、声が良いですね。お父さんに益々似てきた感じ。太一郎さん、勇壮でキレの良い舞でした。

「松囃子」
 毎年正月にお祝いの舞を舞いに来る松囃子の万歳太郎が、今年はなかなか来ないので、兄弟は今か今かと待っています。そこへ太郎が、兄弟からいつも年末に届けられる米一石が、今年はまだ届けられないのを不審に思いながらやって来ます。太郎はさりげなく米のことをほのめかしますが、二人が一向に思い出さないので、舞をあっさりと済ませてしまいます。いつもの舞と違うと文句を言う兄に向って太郎が、何か忘れていないかと促すと、やっと気が付いた兄は後で届けようと約束するので、太郎は舞い直します。弟の方も同様であったことを気付かせ、そちらもめでたく羯鼓をつけて舞い納めます。

 万歳太郎の舞い謡いが、兄弟が気が付いてない時は「あなたの門(かど)もいざ知らず、こなたの門もいざ知らず、この太郎の門もいざ知らず」と謡い、兄だけ気付くと「栄えた栄えた、あなたの門も栄えた、こなたの門もいざ知らず、太郎の門も少し栄えた」と、やっと二人とも気付いて米を届けることを約束すると、やっと「めでたやな、めでたやな・・・」と、羯鼓を鳴らしてめでたく舞い、最後に「三段の舞」を舞い納めます。毎年それを当てにしているとはいえホントにげんきんなやつで笑っちゃいます。若手の中村さんと飯田さんに中堅の深田さんが〆て、正月らしいおめでたい曲でした。

「歌争」
 ある男が友人の邸へ、野遊びの誘いに行きます。友人は、新しく作った庭を披露しますが、芽を出した芍薬を見た男が「難波津に咲くやこの花冬ごもり今を春べと芍薬の花」という王仁の歌があると主張するので、それは「芍薬の花」ではなく「咲くやこの花」の誤りだと大笑いします。
 気を取り直して野遊びに出かけた二人ですが、土筆(つくし)が生えているのを見て友人の男は、「春の野に土筆(つくつくし)しほれてぐんなり」という歌を詠みます。慈鎮和尚の歌に「わが恋は松を時雨の染めかねて真葛が原に風さわぐんなり」とあると言い張りますが、それは「さわぐなり」の誤りだと笑われてしまいます。すっかりつむじを曲げた友人は相撲を挑みますが、逆に投げ倒されてしまい、「勝ったぞ勝ったぞ」と帰る男を追って行きます。

 久しぶりの石田親子の共演です。演技の勉強のためにイギリスに留学し、その後映画に出演したり、イギリスを中心に演劇活動をしていた淡朗さんですが、帰国して、今月から狂言の舞台に本格復帰するとのこと。それでも子供のころからやっているせいか、型も声の出し方もブランクを全く感じさせない淡朗さんでした。
 それにしても、「ぐんなり」とは、笑っちゃいますね。
 役名がどちらも何某で、名前がないから分かりにくいですが、友人を誘いに行くのがアドの淡朗さん、友人の方がシテの幸雄さんです。お父さんも楽しそうでした。

「ぬけから」
 和泉の堺へ使いに行くように言いつけられた太郎冠者でしたが、いつも出掛ける前に飲ませてくれるお酒を主人が忘れているので、引き返して思い出させようとします。やっと察した主人から大盃でお酒をふるまわれ、酔ってふらつきながら出かけますが、途中で酔いつぶれて寝てしまいます。様子を見に来た主人は、懲らしめのために、太郎冠者に鬼の面をかぶせて帰ります。さて、目を覚ました太郎冠者は、清水に映る自分の姿を見て、鬼になってしまったと思い込み、嘆きながら主人の元に戻りますが、中へ入れてもらえません。前途を悲観した太郎冠者は、清水へ身を投げようと飛び込み、その拍子に面がはずれます。急いで主人を呼びに戻った太郎冠者は、鬼の抜殻だと言って主人に面を指し示し、叱られてしまいます。

 いつもお酒を飲ませないと使いに行かない太郎冠者というのも困ったものですが、大盃でベロベロに酔っぱらうまで飲ませるのもどういうものかと(笑)。狂言の太郎冠者がベロベロに酔っぱらって失敗する話はよくありますが、酔っ払いぶりが、可笑しくも憎めなくて、なんか可愛い。萬斎太郎冠者も困ったもんだけれど、可愛いです(笑)。道端で寝ていると主人に鬼(武悪)の面をかけられて、すっかり自分が鬼になったと思いこんじゃう単純さ。主人のところへ帰ると鬼だと追い出され、落胆して前途を悲観して死のうとすると、ここまでくると主人のお灸が効きすぎた感はありますが、喜んだり悲しんだり、コロコロ変わる太郎冠者の気持ちの表現や最後は面が取れて鬼の抜殻だと、すっとぼけた言い訳で終わるところなど、やっぱり愛すべき太郎冠者です。

「石神」
 大酒飲みの夫が、妻に愛想をつかされ離縁されそうだと言って、仲人に仲裁を頼みに行きます。仲人は暇乞いにやってきた妻に、出雲路へ行って夜叉神のお告げを聞くようにと勧め、夫には、夜叉神になりすまして妻を思いとどまらせろと知恵を授けます。さて、忠告通りに出かけた夫は、離縁を思い留まらせることに成功しますが、妻の奉納する神楽に浮かれてしまい、正体がバレてしまいます。

 以前は妻役で高野さんが出ていたのは観たことがあり、女役は高野さんのイメージがありますが、最近は男役も多くなりました。「石神」の夫役も初めて観ます。萬斎さんが、石神の面が「男梅」に似てると言うので、ついついそっちが気になっちゃいましたが(笑)、確かに似てる!
 妻の神楽舞は「三番叟」の「鈴ノ段」。高野さんが妻役をやった時は、「三番叟」を披く前の練習曲って感じでしたが、中村さんは、もう披いてますね。
 まあ、神様が偽物だったとバレちゃって、この後夫婦はどうなるんでしょう。けっこう元の鞘に収まっちゃうのか、妻がますます怒って出ていくのか、ね〜
2019年1月15日(火) 新春名作狂言の会 新宿文化センター開館40周年記念特別公演【異流共演の夕べ】
会場:国立能楽堂 19:00開演

トーク
茂山千五郎、野村萬斎

「福の神(ふくのかみ)」
 福の神:茂山千作、参詣人甲:茂山茂、参詣人乙:茂山千五郎
     後見:山下守之
      地謡:飯田豪、中村修一、深田博治、高野和憲、内藤連

「舟渡聟(ふなわたしむこ)」
 船頭:野村万作、聟:野村裕基、女:石田幸雄      後見:中村修一

「蝸牛(かぎゅう)」
 山伏:茂山千五郎、太郎冠者:野村萬斎、主:野村太一郎
                     後見:山下守之、石田淡朗

 毎年恒例の和泉流の野村万作家と大蔵流の茂山千五郎家による狂言会ですが、今回は新宿文化センター開館40周年記念の特別企画で『異流共演』がテーマだそうです。
 いつものように初めは、千五郎さんと萬斎さんのトーク。
 最初の「福の神」では、千五郎家の狂言に万作家の若手が地謡を付ける異流共演。千五郎家では、シテの福の神を直面(ひためん=面を掛けない)でやりますが、曽お祖父さん(三世千作さん)が目が悪かったので、それから直面でやるようになったそうです。先代の四世千作さんが直面でやったのは観たことがありますが、本当に福々しいお目出度い雰囲気でした。千五郎さん、五世千作さんには、もう少し福々しくなってもらいたいそうな。地謡が和泉流とは、詞章の順番や語句が違うそうで、すり合わせが大変だったようです。
 「蝸牛」では、両ジテでの異流共演、かつて四世千作さんと万作さんの共演もあったようですが、山本東次郎さんと万作さん、萬斎さんでの共演もあったそうで、「蝸牛」の中の囃子物で和泉流では「でざかま打ち割ろう」と謡うところ大蔵流では「でなかま打ち割ろう」と謡うということで、千五郎さんに聞いてました。千五郎さん「関西弁です」と言ってましたがホントかな?千五郎家では、舞も少ないそうで、それについて、千五郎さんが、正虎の後を継いだ正重は、放蕩息子だったが、兄二人が早死にし、父親が死んで急に後を継ぐことになり、弟子たちに持ち上げられて、弟子たちに習って後を継いだそうで、それから、千五郎家は大蔵流の中でも他と違うところがあるそうです。
 千五郎さんが準備で先に退場してから、萬斎さんが「舟渡聟」ついて、これは、大藏流と和泉流では、役柄も人数も違い、後半は全く違う展開になるので、異流共演ができない曲。でも、この曲は、和泉流の方が面白いと言ってました。

「福の神」
 大晦日の神社で、毎年福の神の社前で年籠りする参詣人たちが豆をまいていると、明るい大きな笑い声と共に福の神が現れます。福の神は神酒を所望すると、早起き、来客を喜び、夫婦仲良くなど富貴も道を説き、自分への供物もたっぷりせよと謡い舞い、やがて、大笑いして立ち去って行きます。

 千作さんの福の神、人間臭い(笑)。それに両手をパタパタする仕草が何とも可愛らしい。千五郎家の台詞回しや絶妙な間が笑いを誘います。

「舟渡聟」
 渡し船の船頭が客待ちをしてると、聟入りの道中の聟が乗り込んできます。聟が持つ土産の酒樽に目を付けた船頭が、船を揺らして強引に無心するので、やむを得ずふるまううちに、とうとう飲み尽くされて、聟は空の酒樽を持って舅の家に着きます。聟が来たと聞いて帰宅した舅は聟の顔を覗き見てびっくり、舅は先ほどの船頭で、驚いて逃げますが、妻に髭を剃られ、顔を隠して対面することになります。しかし、聟にむりやり顔を見られ、最前の船頭と分かってしまいます。聟は舅に飲ませるためのお酒だったからと、舅を責めず、互いに名残を惜しみながら別れます。

 お祖父ちゃんと孫の共演ですが、裕基くんも初々しい聟さん役がとっても似合ってます。万作さんの船頭は、酒が飲みたくて聟と知らずに困らせる様子がユーモラスでとっても楽しそう。

「蝸牛」
 大峰・葛城の修行を終えた羽黒山の山伏が帰国の途中、藪の中で寝ている処を、主人に長寿の薬になる蝸牛を取ってこいと命じられ、藪には必ずいるものだと言われてやってきた太郎冠者が見つけて、さては蝸牛だと思って揺り起こします。山伏はびっくりしますが、愚か者をなぶってやろうと蝸牛になりすまし、太郎冠者が主人から聞いた特徴に合わせるので、すっかり信じ込んだ太郎冠者は、一緒に来て欲しいと頼み込みます。山伏は囃子物がないと動かないといって太郎冠者に囃子物を謡わせ、二人が囃子物で浮かれていると、太郎冠者の帰りが遅いので主人が迎えに来ます。みると山伏と太郎冠者が囃子物でたわむれているので、主人は太郎冠者を叱りますが、囃子物に熱中している太郎冠者にはその声が耳に入りません。いったんは事情を理解しても、すぐ囃子物に我を忘れてしまいます。ついには主人もまきこまれ、三人で浮かれ続けてしまいます。

 三人で浮かれながら退場するのは、元々は大蔵流の演出ですが、最近は和泉流もこの終わり方が多いです。 囃子物のリズムや舞も万作家とは少し違う感じで、千五郎家のは舞が少ない(はしょってる)というのも確認。
 ちょっととぼけた萬斎太郎冠者に主人の貫禄が出てる太一郎主人。でも千五郎山伏が何と言っても存在感ありあり。声が大きいのも際立っているけれど、もうこれは完全に山伏の呪力が強くて二人が操られてるという感じでした(笑)。
2019年1月6日(日) 萬狂言冬公演
会場:国立能楽堂 14:30開演

解説:野村万蔵

素囃子「養老(ようろう)」水波之伝
 大鼓:柿原孝則、小鼓:森澤勇司、太鼓:金春國直、笛:栗林祐輔

「三本柱(さんぼんのはしら)」
 果報者:小笠原匡
 太郎冠者:野村拳之介、次郎冠者:小笠原弘晃、三郎冠者:野村眞之介

「節分(せつぶん)」
 鬼:野村万之丞、女:能村晶人

「縄綯(なわない)」
 太郎冠者:野村萬、主:野村万蔵、何某:野村万禄

 最初に、万蔵さんが登場すると、解説の前に小舞「若松」を披露。正月のお目出度い舞です。萬さんが今年、数えで90歳とのこと、来春に卒寿記念公演があります。
 小舞の後は、演目の解説ですが、「節分」について、万之丞さんが萬さんの卒寿記念公演で「釣狐」を披くので、「釣狐」の前哨戦として、面をかけ重い装束でやる「節分」をやるとのことでした。
 また、「縄綯」は、万蔵さんがお父さんの萬さんの「縄綯」を今まで観たことが無いので、観たいということで、お願いしたそうです。萬さんは質実剛健なので、「縄綯」の太郎冠者のような軟派な役が嫌いなんだそうです。台詞が長いのですが、90歳にして、長い台詞も一度も間違えず完璧とのこと、流石すごいです。この演目では何某の奥さんの悪口を言うので、いつもなら本人の名で万禄というところ、万禄さんの奥さんが福岡から来ているので、忖度して、今日は名を言わず、太郎殿と言う特別演出とのことでした(笑)。

「三本柱」
 作事(家屋を作ること、普請)が成就した果報者が家来の太郎冠者、次郎冠者、三郎冠者を呼び出し、金蔵の柱にするために上の山に切らせておいた吉祥の木の柱を持って来るよう命じます。さっそく三人は山へ行き、柱を持ち帰りますが。途中休憩をとっていると、太郎冠者は主人から言われた「三本の柱を三人それぞれ二本ずつ持って来るように」という謎かけを思い出します。三人が解決策を考えていたところ、太郎冠者が三角形に置かれた柱を見て、それぞれが端の二本ずつを持てば良いことに気づきます。三人が三本の柱を二本ずつ持って、賑やかに囃子ながら帰宅すると、家で待っていた主人は、三人が謡う囃子物を聞いて彼らが謎を解いたことを知り、急ぎ家に招き入れます。

 家来に太郎冠者、次郎冠者、三郎冠者まで出て来るのはこの曲だけだそうです。四郎、五郎はありません。それ以上は沢山になりますと、万蔵さんが仰ってました。
 家の新築と言うめでたい狂言で祝儀性のある曲です。小笠原さんの果報者に、三人の家来は万蔵さんの次男、三男と小笠原さんの長男という10代の若手で揃え、柱を重そうに扱うところなど、三人ともしっかりした演技でした。最後は三本の柱を三人で協力して持ち、囃子物で賑やかに帰ってくると、主人の小笠原さんが三角形の真ん中に入って片足ぴょんぴょんで浮かれて終わり、「末広かり」と同じようなめでたさ一杯でした。

「節分」
 節分の夜、夫が出雲大社に年ごもりへ出かけ、一人留守を預かる女のもとを、蓬莱の島から豆を拾って食べるために日本へ渡って来た鬼が訪れます。最初は隠れ蓑のせいで姿が見えませんが、蓑を脱いであらわれた鬼の姿に女は怖がります。一方で鬼は女に一目惚れしてしまい、小歌を謡うなどして、必死に女の気を惹こうとしますが、突き放されて泣き出してしまいます。そんな鬼の様子を見た女はなびいたふりをして、隠れ蓑、隠れ笠、打ち出の小槌といった宝物をとりあげ、鬼が家に入って休んでいると、豆まきを始めます。豆をぶつけられた鬼はあわてて逃げて行きます。

 節分は旧暦の正月の行事。プログラムには、鬼には邪悪な疫鬼と、祝福を与えに来る異境の神との二種類があり、蓬莱の島の鬼は、後者の祝福の神としての性格を持っていると書いてありました。さてこの鬼さん、鬼を見て逃げる女に驚いて一緒に逃げたり、女に一目ぼれして小歌で口説いたり、邪険にされて泣き出したりと、とっても人間臭くて可愛らしく、鬼や閻魔が出て来る狂言では、たいてい鬼のほうが人間にしてやられるパターンの通り人間の方がしたたかで恐い(笑)。だけど、プログラムに書かれていた通りに、祝福の神だとしたら、豆をぶつけて追い出しちゃって大丈夫なのかと、ちょっと心配です。
 万之丞さんの鬼、声も良く出ていて、来年の萬さんの卒寿記念公演での「釣狐」の披きが今から楽しみです。

「縄綯」
 博打に負けて、借金のかたに奉公人の太郎冠者までも何某に取られることになった主人は、その事実を太郎冠者に伝えられないため、書状を届けるようにと嘘をつき、太郎冠者を何某の元へ行かせます。何某の家で、自分が借金のかたとして売られたことを知った太郎冠者は、何某の命に反抗して、働こうとしません。怒った何某は主人に文句を言いに行き、金銭で清算するよう言いますが、それならば太郎冠者の働きぶりを見せるので、一旦戻してほしいと主人に頼まれます。何某は、今度は博打で主人が勝って太郎冠者もとり戻されたと言って、太郎冠者を帰します。喜んで帰宅した太郎冠者は、主人に縄を綯えと命じられ、さっそく縄を綯いながら、何某の家での様子を主人に語り始めます。その間に縄の端を持っていた主人が何某に入れ替わったのにも気づかず、喜々として何某の家の悪口をしゃべる太郎冠者。それを聞いた何某は怒りだし、気が付いた太郎冠者は慌てて逃げて行きます。

 太郎冠者は、自分が借金のかたとして売られたことよりも、主人がそのことを言ってくれなかったことに腹を立てています。そして、いつか奥様までも打ち込んでしまうのではないかと心配したり、以後は博打をやめるよう意見するなど、主人思いです。
 この太郎冠者を萬さんがやったのは、万蔵さんが今まで観たことが無い、ビデオでも観たこと無いと言うくらい、ほとんどやってないのにもかかわらず、稽古の時から長台詞も完璧だったとのこと。
 万禄さんの奥さんが福岡から観に来ていることに気を使って、普通だと名前の無い役は本人の名で言うところを太郎どのって言ってましたね。何某の奥さんの悪口、いっぱい出てきますもんね(笑)。
 萬さんの太郎冠者の一人語りはやっぱり流石です。ご本人は嫌いな役らしいんですが、主人思いで戻れた嬉しさから、ついつい調子に乗って太郎殿の家の悪口言っちゃう様子や主人と思ってたのが太郎殿と気付いた時の驚きと気まずさには笑っちゃいます。後ろで聞いてる万禄さんの苦々しい様子も可笑しい。