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能楽鑑賞日記

2019年2月24日(日) 狂言大藏会 狂言創始 玄恵法印生誕七五〇年記念
会場:国立能楽堂 14:00開演

「福の神(ふくのかみ)」
 福の神:山本東次郎、参詣人:大藏康誠、参詣人:大藏章照
     後見:若松隆、大藏彌太郎
        地謡:山本凛太郎、山本泰太郎、山本則孝

「墨塗(すみぬり)」
 大名:茂山千五郎、太郎冠者:大藏教義、女:茂山茂   後見:大藏基誠

「腹不立(はらたてず)」
 出家:茂山忠三郎、何某:善竹十郎、何某:大藏吉次郎  後見:大藏彌太郎

「梟(ふくろう)」
 山伏:善竹彌五郎、兄:善竹隆司、弟:善竹隆平     後見:大藏教義

素囃子「神舞」
 大鼓:安福光雄、小鼓:幸正昭、太鼓:桜井均、笛:寺井宏明(女性が代理)

「鬮罪人(くじざいにん)」
 太郎冠者:大藏彌太郎
 主人:大藏彌右衛門
 町人:大藏基誠
 町人:善竹富太郎
 町人:善竹大二郎
 町人:宮本昇
 町人:吉田信海
 町人:善竹隆平
 町人:善竹隆司
    後見:大藏教義
附祝言
 茂山忠三郎、善竹十郎、大藏吉次郎

 「福の神」
 出雲大社へ年籠りの参詣をする二人連れが、社前で豆まきの行事をしていると、福の神が現れます。熱心に参詣する二人を幸せにしてやろうと思いあらわれたと言います。福の神は二人に酒を振る舞えと言い、その酒を他の神にも供えます。そして二人に幸せになる秘訣を、勤勉で優しく、来客を喜び、夫婦仲良く、なお福の神に酒を供えることだと舞い語ったあと、大笑いして立ち去って行きます。

 正月やおめでたい時によくやる狂言ですが、二人の参詣人が子供というのは初めて観ました。後見の彌太郎さんのお子さんでしょうか?型も発声もしっかりしていて、小さな狂言師さん、楽しみです。
 福の神の東次郎さん、出て来る時にあまり手をパタパタする感じではなくて、下の方でひらひらさせる感じで控えめ。東次郎さんらしい品の良さでした。

「墨塗」
 訴訟事のため永らく都に滞在していた大名が、訴訟を無事に済ませ、近々帰郷することとなり、太郎冠者を伴って、在京中に親しくなった女の元に挨拶に立ち寄ります。別れを惜しんで泣き始める女ですが、挙動に不審を感じた太郎冠者が見ると、女は茶碗の水で目のまわりを濡らしていました。大名に知らせても信じないので、太郎冠者はこっそり水と墨を取り替えます。女の顔が真っ黒になったので、大名も女の本心を知り、恥をかかせようと、形見だと言って鏡を渡します。墨のついた自分の顔を見て怒った女は、大名や太郎冠者にも墨を塗りつけます。

 千五郎さんの大名と茂さんの女は見慣れたコンビですが、けっこうハマったのは、太郎冠者の教義さんが、女に鏡を渡す時のいたずらっぽい笑顔でした(笑)。

「腹不立」
 二人の施主が旅の僧を呼び止めて、在所のお堂の住持になるよう頼みます。施主たちの問いにとぼけて答えていた僧ですが、名を問われ、俄か坊主なので「腹立てずの正直坊」と口から出まかせに名乗ります。施主たちは正直者はあるが、腹を立てない者があるものかと話し合い、怒らせてみようと、でたらめな名を言ってからかうと、僧はこらえきれずに腹を立ててしまいます。

 十郎さん、吉次郎さんのじっちゃんコンビにからかわれて、だんだんイライラしてくるのをこらえる忠三郎さんの俄か坊主(笑)。
 最後に俄か坊主が言うオチの言葉の意味がイマイチよくわからなかったので、「ん?」って感じ。これが分かったらもっと面白かったのかな?
 演目の「腹不立(はらたてず)」という題名は、だいぶ前に見たような気もするのですが、内容は覚えてないし、初見かもしれません。今はあまりやらない曲なのかも。

「梟」
 弟の様子がおかしいので、兄が山伏に加持祈祷を頼みます。弟は山に入った時に梟の巣を下したというので、山伏は梟が憑りついたのだと断定し、一心に祈りますが、弟は鳴き続け、そればかりか今度は兄にも憑りついて鳴きだします。最後には山伏までも梟に憑りつかれてしまいます。

 和泉流の「梟山伏」と同じですが、山伏の彌五郎さん(忠一郎さんが襲名)は、括り袴ではなく、白の大口で、能の山伏のような出で立ちで位が高い感じです。梟に憑りつかれ、祈りに反応して鳴きだす時の仕草も頭を掻く仕草はしないで、手がブルブル震えだす感じで段々身体も震えだし、手を挙げて「ホー」と鳴きだします。内容の面白さは変わりませんが、型の違いなんかが分かってそれも面白かったです。

「鬮罪人」
 京都の祇園祭の当番にあたった主人の使いで、太郎冠者は町内の人たちを呼び集めます。一同は祭りの山鉾の相談を始め、いろいろな山の趣向が提案され決まりそうになるのですが、そのたびに太郎冠者が口を出し、別の町から毎年出ているとか、ふさわしくない趣向などと言って反対します。その度に主人に出しゃばるなと叱られますが、町人たちは、太郎冠者の案を聞いてみようということになります。太郎冠者は、地獄の風景をつくって鬼が罪人を責めるところを出してはどうかと提案します。主人は反対しますが、他の者たちが賛成したので、この案が採用され、鬮引きで役を決めることになり、主人が罪人、太郎冠者が鬼に決まります。さっそく稽古をはじめますが、太郎冠者が杖で罪人役の主人を責めるのに、強く打ったため、怒った主人に追いかけられます。町の者になだめられ、稽古を続けることになりますが、主人に睨まれるのが怖いので、今度は鬼の面を着けてやることにします。太郎冠者は再び主人を責め、また杖で打ったので、怒った主人に追いかけられ逃げて行きます。

 彌太郎さんの太郎冠者、祭りを楽しみにしていて、相談に参加したくてしかたがない様子が出てます。ついつい黙ってられなくて、出しゃばってしまうたびに怖い主人に叱られる。結局自分の案が通って、鬼役にあたって大喜び。はじめは恐る恐る責めていた太郎冠者が、だんだん日頃の鬱憤を晴らすかのように調子に乗ってくる様子が可笑しいです。彌右衛門さんの主人に苦虫を噛み潰したような顔で睨まれたらそりゃあ怖い(笑)。

 最後に附祝言がつき、普段ではあまり見られない大藏流5家共演の賑やかで見ごたえある会でした。
2019年2月9日(土) 第五回喜多流特別公演
会場:十四世喜多六平太記念能楽堂 13:30開演

連吟「経正」
 高林昌司、友枝雄太郎、谷友矩、佐藤陽、狩野祐一、金子龍晟
 佐藤寛泰、友枝真也、佐々木多門、大島輝久、塩津圭介

仕舞
「誓願寺」 佐々木宗生
「藤戸」 香川靖嗣
「谷行」 塩津哲生
          地謡:佐々木多門、友枝雄人、中村邦生、粟谷充雄

連吟「小鍛冶」
 粟谷浩之、金子敬一郎、粟谷充雄、内田成信、狩野了一、友枝雄人

仕舞
「隅田川」 大島政充
「天鼓」 内田安信
          地謡:友枝真也、金子敬一郎、粟谷明生、大島輝久

連吟「鶴」
 高林呻二、粟谷明生、中村邦生、長島茂、渡辺康喜
 佐藤章雄、大村定、出雲康雄、谷大作、松井彬

仕舞
「三井寺」 長田驍
「高野物狂」 高林牛口二
「蝉丸」 粟谷辰三
          地謡:粟谷浩之、狩野了一、長島茂、内田成信

一調「柏崎」
   粟谷能夫    小鼓:曽和正博

「布施内経(ふせないきょう)」
 住持:山本東次郎、施主:山本則俊

『融(とおる)』
 シテ(老翁・源融の霊):友枝昭世
 ワキ(旅僧):森常好
 アイ(所の者):山本東次郎
   大鼓:柿原崇志、小鼓:鵜澤洋太郎、太鼓:林雄一郎、笛:一噌隆之
      後見:香川靖嗣、中村邦生
         地謡:金子敬一郎、友枝雄人、狩野了一、内田成信
          長島茂、出雲康雅、粟谷能夫、粟谷明生

 今回の特別公演は、十四世喜多六平太能心・十五世喜多実・十六世喜多六平太・喜多節世追悼ということで、ロビーに四人の写真と花が飾られていました。

「布施無経」
 住職が、檀家で毎月の勤めの経をあげますが、お布施が出ません。一度くらい貰わなくてもいいかと、いったん帰りかけますが、これが例となっては困ると思い戻ります。かねがね望まれていた説経を聞かせると言い、言葉の端々に「ふせ」の音を聞かせ遠回しに催促しますが、檀家は気付きません。僧は帰りかけますが、諦めきれず、今度は袈裟を懐に隠して戻り、袈裟を落としたと探し回ります。そして主人に、自分の袈裟はお布施が通るほどの穴をふせ縫いにしてあるのが目印だと言います。ようやく気付いた檀家が布施を出すと、住職は遠慮するので、檀家が懐に布施を押し込もうとすると、落としたはずの袈裟が出てきたので、僧は面目を失い、主人に詫びます。

 「布施無経」の住職は経をあげている途中で、奥さんから菊の花を貰ったお礼を言ったり、周りをキョロキョロ見たりで落ち着かない感じ。施主がお布施を忘れているのを思い出させようと、引き返して説経をする時は、ちゃんと教化している感じで、一語一語噛み砕いて話していますが、「臥せり過ごして」とか「不晴不晴(ふせいぶせい)の時」とか、東次郎さんは「ふせ」の音を大きく言ったりはしませんが、「やるべきものは、さっぱりとやるべきでござる」「思い出されたら、さっぱりとやられたが良い」と、思い出させようとする必死さが、そこはかとなく出ていて面白い。
 帰ろうとしても諦めきれない僧は「布施無い経には袈裟を落とす(布施をくれない時には袈裟を着けず略式で済ます)」の諺になぞらえて、袈裟を懐に入れ、落としたと言って引き返しますが、「ふせ縫い」のくだりで気が付いた施主に布施を貰いに引き返したと思われては体裁が悪いと遠慮して揉めるうちに懐から無くしたはずの袈裟が出てきて、かえって面目丸つぶれ。大げさではない何とも言えない表情が東次郎さんらしいです。

『融』
 東国から都へ上って来た旅僧が、六条河原院の廃墟で休んでいると、田子を担った一人の老人が現れます。この辺りの人かと問うと、この所の汐汲みだと答えます。僧は、海辺でもない土地で、汐汲みとはおかしいのではと言うと、老人は、ここは昔、源融が広大な邸宅を造り、庭に陸奥の塩釜の致景を移した所だと答えます。そして、融公は毎日難波の浦から海水を運ばせ、塩を焼かせるという豪奢な風流を楽しんだが、その後は相続する人もなく荒れ果てている事を物語り、つづいて、僧の問いに答え、ここから見渡せる遠近の名所を教えます。やがて汀に立ち寄って汐を汲むかと思うと消え失せます。
 僧は、丁度来合わせた六条あたりの者から融大臣の事や当時の塩焼きの様子を聞きます。先刻の老人の話をすると、それは融公の化身であろうから、弔いをするよう勧められます。その夜、僧はそこで再び奇特を見たいものだと旅寝をします。すると融の大臣が貴人の姿で現れ、昔を偲んで名月の下で舞を舞い、夜明けとともに消えていきます。

 ワキの旅僧の森さんは、揚幕から謡いながら登場します。小書は書いてありませんが、これはワキの「思い立之出」という特殊演出だと思います。
 旅僧がワキ座に腰を下ろすと、前シテの老翁が登場。旅僧との問答の後、桶を目付柱とキザハシの間に下ろして汐汲みをする型をして、桶を舞台に置いたまま中入りし、後見が桶を片付けます。
 アイの所の者の東次郎さんは、長袴で格調高く、都人らしい雰囲気です。
 後シテは、融の大臣の霊で、白狩衣(アイボリーに金の雲)に紫地に丸紋の指貫、垂纓冠の貴人の姿で、橋掛かりをスススっと滑るように登場。橋掛かりで謡いだし、昔を偲んで舞を舞います。なんて優雅な舞。そこには、月明りに白く透き通るような貴公子の姿がありました。友枝さんの舞台には『伯母捨』でも『清経』でも『融』でも澄んだ月が見えるようです。
2019年2月5日(火) 万作の会狂言の世界
会場:有楽町朝日ホール 14:00開演

解説:野村萬斎

素囃子「中之舞」
    大鼓:亀井洋佑、小鼓:観世新九郎、笛:松田弘之

「金岡(かなおか)」
 金岡:野村万作、妻:深田博治
    地謡:岡聡史、野村太一郎、内藤連、飯田豪
       後見:中村修一

「悪太郎(あくたろう)」
 悪太郎:野村萬斎、伯父:石田幸雄、僧:高野和憲   後見:石田淡朗

 最初に萬斎さんの解説。あまり脱線せず、分かりやすい演目の解説でしたが、最後に映画館も近いということで、映画の宣伝もしっかりしていました。

「金岡」
 絵師の金岡が洛外をさ迷い歩いていると聞いた妻が夫を探しに行くと、金岡が乱心の態で謡いながらやってきます。理由を聞く妻に金岡は、絵を描きに宮中へ上った折に出会った美しい上臈(女中)の面影が忘れられないと言います。妻は呆れながらも、自分の顔に得意の技で彩色し、かの上臈に似せてみては、と勧めます。早速絵筆をとる金岡ですが、元が悪い妻の顔が思い人に似るはずがなく、とうとう金岡はあきらめ、絵筆を放り出して妻を突き倒し、怒った妻に追いかけられます。

 まあ、しょうもない男の話ですが、萬斎さんが解説で言っていましたが、「ゲスにならないようにする」が大切な演目で、やはりこれは万作さん。叙情的な小歌を謡いながら、品よく、可愛らしく。でも白と赤の絵の具で深田妻の顔に実際に塗っちゃうのが笑っちゃいます。でも、今回はわりと控えめに塗ってた感じでした。

「悪太郎」
 乱暴者の悪太郎は、酒を飲むことを陰で非難する伯父を脅してやろうと、長刀を携えて出かけていきます。そこでもさんざん酒を飲み、よい機嫌になると、帰る道すがら寝込んでしまいます。後を付けてきた伯父は、道端に寝ている悪太郎を見つけて僧形にし、「今後は南無阿弥陀仏と名付ける」と言い渡して去ります。目を覚ました悪太郎は伯父の言葉を仏のお告げだと思い、仏道修行することを決心します。そこへ出家が「南無阿弥陀仏」と唱えながらやってきて、悪太郎は自分のことかと思って返事をします。出家に南無阿弥陀仏の由来を聞かされ、悪太郎は、これからは一心に弥陀を頼もうと誓います。

 萬斎さんは、昨年の「狂言ござる乃座」の「悪太郎」で芸術祭優秀賞を受賞しましたが、やっぱり、萬斎さんの悪太郎は適役です。名前に「悪」がつくのは、今と違い「悪七兵衛景清」などのように、強いという意味があるそうですが、長刀を持って行って脅すなんてホントに強いのかな?と、萬斎さん解説で疑問を投げかけてました。どちらかというと、ただの強がりの乱暴者。伯父役は今回もやっぱり安定の石田さんでしたが、僧役は高野さん。僧が念仏を唱えるたびに返事をする悪太郎のなんだかトボケタ感じの萬斎さんと訝る高野さんとのやりとりも可笑しくて笑っちゃいます。