| 2006年10月29日 (日) |
山本会別会 |
会場:国立能楽堂 12:30開演
『翁』 翁:狩野了一 三番三:山本東次郎 千歳:若松隆 大鼓:國川純 小鼓:曽和正博、住駒充彦、森貴史 笛:一噌隆之 地謡:粟谷浩之、金子敬一郎、谷大作、粟谷充雄 大村定、内田安信、香川靖嗣、狩野?鵬 後見:塩津哲生、友枝雄人
「釣狐」 伯蔵主・狐:山本則秀 猟師:山本則重 大鼓:筧鉱一、小鼓:曽和正博、笛:竹市学 後見:山本東次郎、山本則俊
「呼声」 太郎冠者:山本東次郎、主:山本則直、次郎冠者:山本則俊 後見:平田悦生
素囃子「盤渉楽」 大鼓:筧鉱一、小鼓:曽和正博、太鼓:桜井均、笛:竹市学
「髭櫓」 夫:山本則孝 妻:山本泰太郎 告げ手:山本凛太郎 女衆:山本則重、山本則秀、遠藤博義、若松隆、加藤孝典、鍋田和宣 大鼓:筧鉱一、小鼓:曽和正博、太鼓:桜井均、笛:竹市学 地謡:山本修三郎、山本則俊、平田悦生 後見:山本東次郎
大曲を若手に、軽い曲をベテランが、というような選曲でした。本来は、三番三もお弟子さんの遠藤博義さんが披く予定でした。しかし、当日配られた「お詫び」によれば、「体調不良の為、役を勤めることができなくなりました。」ということでしたが、体の不調で通院していた遠藤さんは、白血病との診断を受け、激しい運動は厳禁というドクターストップが掛かってしまったという衝撃的なお話でした。ただ慢性のため、無理をしなければ急激に悪化することはなく、治療を受けながらこれまで通りの生活を続けることは可能だそうです。この日は、「髭櫓」の立衆として出演されていました。本人もどんなに口惜しかったことでしょう。三番三は急遽、東次郎さんが代演されることとなりました。三番三後見は東次郎さんと則俊さんの予定でしたが、東次郎さんの代わりが何方だったかは、気をつけていなかったので、気がつきませんでした。
『翁』 今回は、翁の狩野了一さん、千歳の若松隆さんとも披きだったそうで、どうりで、お二人とも大変緊張した面もちでした。喜多流では、千歳が面箱を兼ねて狂言方が受け持ちます。火打ち石の音がして、幕が上がると、千歳の若松さんが面箱を掲げて、非常にゆっくりとした歩調で出てきます。緊張のあまりか、面箱を持つ手が震えていました。その後を出てきた翁太夫の狩野さん、やはり緊張した顔でしたが、翁の装束でゆっくりと歩を進める姿がなんか惚れ惚れするほど美しいと思ってしまいました。それから、三番三の東次郎さん、お囃子、地謡の面々と続きます。翁が正面先に座って深々と頭を下げ、位置につくと、全員がそれぞれの位置につきます。非常に厳かな雰囲気です。 露払いの千歳の舞いを若松さんが舞いました。とても気合いが入っていて、力強く勢いのよい舞いでした。狩野さんの翁は端正で美しい♪よく見る観世流の翁とは、やはり流儀の違いにより型が違うようでした。 思いがけず、東次郎さんの三番三を観ることとなりました。和泉流とは立ち位置から掛け声、型もだいぶ違うところがありますが、東次郎さんの三番三も気合が入っていて、迫力があり、キレがいい!美しい!大地を踏みしめる足拍子の力強さ、腰の強さを感じさせる安定感。でも、泥臭さは感じません。う〜む、東次郎さんの三番三も好きかも。
「釣狐」 則秀さんの披きで、猟師は前回「釣狐」を披いた則重さんとの兄弟共演でした。 和泉流の「釣狐」とは型がだいぶ違い、茂山千五郎家の「釣狐」とも違うようでした。 猟師の伯父の白蔵主に化けた老狐は、和泉流では家の中に入って床机に座って語りますが、大蔵流では家の中に入らず、入り口に立ったまま話をします。則重さんの猟師は、初めから疑っているようで、少しも気を許したようには見えません。「罠を捨てよ」と言われ持ってくると、わざと白蔵主の目の前に差し出したり、脅すように大きな声を出したり、そのたびに白蔵主はビクビクしているという感じで、緊張したやり取りが続きました。帰り道に罠を見つけた白蔵主狐が「きゃつは畜生には劣った執心の深い恐ろしいやつでござる」と言うところなど面白いですね。罠の若鼠の油揚げを係累の敵じゃ、と杖で叩いてその杖についた匂いに惹かれて悶えたり、重い着物を脱いでから来るぞと橋掛かりを戻って行く時に、我慢できず、もう「コ〜ン」「コ〜ン」と鳴いていったりします。罠の餌を突いた跡に気付いた猟師は、やっぱり狐だったかと、罠の置き場所を探し、やはりこの通り道が良いだろうと、罠を張って身を潜めます。罠から繋がる紐に丁寧に土か落ち葉を掛けてカムフラージュする動作も入ります。 狐の出は、一度揚幕の下から顔を出し「コ〜ン」と鳴いて一度引っ込み、次に揚幕の下から這い出して駆けてきます。出の時、揚幕は上がりません。 罠の餌にちょっかいを出しているうちに罠に掛かってしまい猟師との引っ張り合いになる時、笛が入ります。猟師が罠を仕掛けて身を潜める時、笛方が後に出てきて控えたのはこのためだったようです。 則重さんの時も、今回の則秀さんも、後の狐で出てきた時から息が上がっていたようで、やはりかなりハードな演目だというのが解ります。渾身の「釣狐」の披きだったのではないでしょうか。
「呼声」 東次郎さん、則直さん、則俊さんのベテラン3兄弟による「呼声」です。 これがとても面白かったですよ〜♪ちょっと怖そうな則直さんの主に、真面目そうな則俊さんの次郎冠者が、太郎冠者を呼び出そうと平家節や小唄節、踊り節で呼ぶところ、大真面目にほとんど表情も変えずにやっているところが返って面白い。太郎冠者の東次郎さんがこれはこちらも節にのって答えねばと、やっているうちにだんだん乗ってくる。小唄を歌う時の則直さんの声がすごく良くて歌もうまくて、ちょっと聞き惚れてしまいました。 和泉流だと踊り節で乗っているうちに一直線にならんじゃうし、千五郎家だと三人が丸くなって回る形になるんですが、山本家では一人一人それぞれがぐるぐる回っているうちに近づいて、主と太郎冠者がばったり鉢合わせるというものでした。主人に「太郎冠者ではないか」と怒られても「留守でござる」と、まだ踊り節で返す東次郎さんの太郎冠者が可愛くて面白かったです。
素囃子「盤渉楽」 これは、盤渉調の高い笛の音が綺麗で良かったです。
「髭櫓」 端正で誠実そうなイメージの則孝さんの夫は、大髭のおかげで大役を仰せつかったので意気揚々、妻も当然喜んでくれると信じている様子。だから、妻が毎日のやりくりにも大変なのに、そんな髭は剃ってしまえと怒る気持ちが理解できないというように見えます。怒った妻が近所の女達と長物を持って攻めてくると知らせる凛太郎くんは、ちゃんと長袴を着た出で立ちで、凛々しくて、子供向けに出来た小さい裃が可愛かったです。 髭を囲む櫓を肩から掛けて大刀で応戦する夫に、一人ずつでは、ことごとく歯が立たない女衆は、一斉に櫓に長物の刃を掛け、男を倒して櫓をはずし、最後に大毛抜きで妻が大髭を抜いてしまいます。山本家の櫓は紐で吊っているのではなく、細い竹の柄で首に掛けているので、そのまま引き落とすのではなく、倒れた男の周りを女達が取り囲み、客席から直に見えないようにして櫓を取り、この時、後見が大毛抜きを渡して、毛抜きに髭を挟んで掲げるという形です。夫はそのまますぐに切り戸口から出て行き、女達は「えいえいお〜」と、ときの声を上げて意気揚々と去っていきます。 今まで我慢して尽くしてきたことをちっとも解っていない夫に対する憤懣を爆発させた妻。それを当然のことのように思っていたのに、突然の反抗にびっくりした夫の必死の応戦。普段同じような不満を抱えている妻たちが結束して勝利する爽快さ。でも、普段言えないことを言ってしまったことによって、この夫婦はこの後、きっとお互いの気持ちをもっと考えて、仲良くやっていったのじゃないかと思えるのです。
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| 2006年10月28日 (土) |
萬狂言 八世野村万蔵三回忌追善 秋公演 |
会場:国立能楽堂 14:30開演
「宗論」 浄土僧:野村万禄、法華僧:小笠原匡、宿屋:佐藤友彦
「魚説法」 新発意:野村太一郎、施主:野村萬
小舞 「宇治の晒」 野村拳之介、「貝つくし」野村虎之介 地謡:野村萬 「祐善」 井上菊次郎 地謡:井上靖浩、佐藤友彦、佐藤融
素囃子「盤渉早舞」 大鼓:大倉正之助、小鼓:北村治、太鼓:金春國和、笛:一噌仙幸
「歌仙」夢中ノ出 僧正遍照:野村万蔵 柿本人丸:野村万禄 在原業平:小笠原匡 小野小町:野村扇丞 猿丸太夫:吉住講 清原元輔:山下浩一郎 参詣人:野村祐丞、炭哲男 地謡:井上靖浩、井上菊次郎、佐藤友彦、佐藤融
今回は、万蔵家一門と狂言共同社の井上親子、佐藤親子の共演でした。 「宗論」の万禄さんの浄土僧に小笠原さんの法華僧は、いかにもからかうのが楽しそうな万禄さんと生真面目に苦虫を噛みつぶしたような顔で怒る小笠原さんの配役がなかなかいいコンビで大笑いで楽しめました。春公演の「子ほめ」でもそうでしたが、万禄さんは顔立ちのせいか、軽い感じの役がとっても似合います。しかし、「宗論」というのに、どちらの僧もろくに自宗の教えも解っていないのじゃ宗論にもならないでしょう(笑)。当時の一般大衆のちょっとおちょくった批判精神が痛快です。
「魚説法」 新発意を八世万蔵(万之丞)さんの長男太一郎くんが演じました。口を大きく開けての基本の発声、魚の名づくしの語呂合わせで説法のように聞かせる面白さ、聞いているうちに、ちょっと変だぞと不審そうな萬さんの表情の変化も面白いです。親の追善に生臭い話しなどしおって!と、怒った施主に、懲りずに魚の名づくしで答える新発意は、もう、駄洒落が止まらないという感じで、誰かさんみたいだな〜(笑)。
小舞「宇治の晒」は万蔵さんの次男拳之介くんが、「貝つくし」は長男虎之介くんが舞いました。拳之介くんは裕基くんと同じくらいらしいですが、きちっきちっと、そして大きく元気良く舞っていました。ちょっと大きい虎之介くんは10歳くらいですが、もう型もきれいに様になっていて凛々しくて、なかなかの舞いでした。二人の小舞の地謡はおじいちゃんの萬さんが一人で謡いましたが、さすがに良いお声でした。 「祐善」は日本一の傘作りの“下手”と言われ、傘が売れなくて死んでしまったという祐善の霊が傘を持って舞う、能の様式をパロディーにした狂言の小舞です。狂言共同社の井上菊次郎さんの舞いは丁寧で美しい舞いでした。
素囃子「盤渉早舞」 これは、こういう曲なんでしょうか?はじめ、テンポがゆっくりの時、仙幸さんの笛の音が不安定な気がしてしまいました。素手で打つ正之助さんの大鼓の音も普通の大鼓の音より鈍い感じがしました。テンポが早くなってからはリズムが合って気持ちよく聞けました。
「歌仙」夢中ノ出 玉津島にやってきた二人の男は、したたか酔っ払って岩に登り、歌人6人を描いた絵馬を見て、これは誰の絵か、などと話した後、絵馬の前で寝てしまいます。すると、絵馬の中の歌人たちが男が寝たのを見て動き出します。人丸は自分の名前が出なかったと不服を言い、猿丸は猿顔だと言われて憤慨し、清原元輔は娘の方が有名だとは情けないと嘆きます。そして、絵馬から抜け出た歌人たちは、くじで取った題によって歌を詠んで遊ぶことになります。酒の盃を小町から回すことになり、誰に回すか期待して待っていると、小町が遍照僧正に差し出したので、僧正は大喜び、あとの4人は面白くありません。下戸の小町に酒を飲むか、題の歌を詠むか迫り、小町が「色見えてうつろふ物は世の中の人の心の花にぞありける」と詠むと人丸は非難し、小町をかばう遍照と言い争いになり、遍照は4人に打ち据えられてしまいます。「ただで済むと思うなよ〜」と小町と二人で席を立った遍照は、今度は、二人で武器を持って攻めてきます。長棒を振り回して暴れる遍照、小町も長刀で立ち向かいます。しかし、小町に弓矢を向けた業平に小町が腰を向けると業平はたちまち、弓を落としてへなへなへな〜っと小町の腰に抱きつく始末。最後は遍照、小町組と人丸たち4人が組んで引き合いになり、大騒動をしているうちに夜が明けてきます。慌てて元の絵馬に戻る6人。目覚めた二人の男は、なにやら、6歌人が絵馬から出てきて大騒ぎをする夢を見たと言って、家へ帰って行きます。 一度見たかった演目です。夜中に遊びだすオモチャたちみたいですが、取り澄ました歌人たちが風流な歌詠みどころか、小町をめぐって色恋沙汰の大喧嘩の有様には大笑いでした。 |
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| 2006年10月27日 (金) |
三響会特別公演 ―伝説と伝承― |
1、囃子競演
「一番太鼓」田中傳左衛門
「宴」林英哲
「めじは」林英哲、一噌幸弘、田中傳次郎
「魔界転生」(曲:島原の乱・肌矢立・天草四郎・死・柳生十兵衛) 囃子:田中傳次郎、田中傳八郎 尺八:藤原道山 筝:市川慎 笛:福原友裕 三味線:今藤長龍郎、今藤政十郎、今藤龍市郎、杵屋勝国毅、豊澤長一郎
「獅子」亀井広忠、田中傳左衛門、田中傳次郎、一噌幸弘、林英哲
旬な若手邦楽家揃い、すご〜い豪華メンバー競演で聴き応えありました。 一番太鼓は傳左衛門さんの歌舞伎の大太鼓、長い撥で打つ歌舞伎独特の大太鼓の打ち方での一番太鼓。それを皮切りに林英哲さんの大太鼓に続きます。力強い和太鼓の響き、いいですねえ。暗い舞台の袖から誰か出てきて座ったと思ったら幸弘さんで、英哲さんとの幸弘さんとの競演となります。以前、幸弘さんのコンサートで英哲さんとのコラボを聴いたことがあって、それが、素晴らしかったんですが、久々に聴くことができました。幸弘さん、指の動きも滑らかで、やっぱりこういうコラボは自由に吹けるので、乗ってましたね。終わりのほうで、傳次郎さんの太鼓も加わりました。 「魔界転生」は、歌舞伎、長唄のお囃子に尺八、筝が加わったという感じのメンバーでしたが、道山さんは、三本くらいの尺八を曲によって替えていたようです。「獅子」のメンバーは能の「獅子」の囃子に、英哲さんの大太鼓が加わるというものでしたが、うまくマッチしていました。それから、全員での合奏。歌舞伎の「獅子」の曲なのでしょうか、三味線が加わると「歌舞伎」という感じになります。歌舞伎の笛方の福原さんと幸弘さんが同時に一緒に吹くというのも初めて見ました。最後の曲にふさわしい盛り上がりかたでした。
2、藤娘
藤の精:中村七之助 三味線:今藤長龍郎、杵屋勝正雄、今藤龍市郎、杵屋勝国毅、今藤政十郎 唄:杵屋利光、杵屋巳津也、杵屋巳之助、今藤龍之右、松永忠次郎 笛:福原寛、小鼓:田中傳九郎、小鼓:田中傳左衛門、 大鼓:田中傳八郎、太鼓:田中傳次郎 陰囃子:田中長十郎、田中佐英
舞台の藤が鮮やかでした。太い幹の松ノ木の前に大きな藤の花が下がっているのがなんとも鮮やか。肩に担いだ藤の枝の花よりずっと巨大な花でしたが、舞台が明るくなったときにぱーっと目に飛び込んできたのがなんとも綺麗でした。七之助さんの藤娘は綺麗でしたね、木の幹の陰に入る度に着物を脱いで変えてくるのが、何枚も重ね着しているらしく、同じ藤の柄でも薄紫の地から赤い地色になったり、あでやかで美しかったです。
3、歌舞伎『安達原』 老女岩手・安達原の鬼女:市原亀治郎 東光坊祐慶:中村梅枝 強力太郎吾:市川段四郎(特別出演) 後見:市川段之、市川段一郎 三味線:今藤長龍郎、杵屋勝正雄、今藤龍市郎、杵屋勝国毅、今藤政十郎 唄:杵屋利光、杵屋巳津也、杵屋巳之助、今藤龍之右、松永忠次郎 笛:福原寛、小鼓:田中傳左衛門、大鼓:田中傳八郎、太鼓:田中傳次郎 陰囃子:田中長十郎、田中佐英
4、能『安達原』 シテ(老女・鬼女):片山清司 ワキ(東光坊祐慶):殿田謙吉 ワキツレ(山伏):御厨誠吾 アイ(能力):野村萬斎 後見:味方玄、清水寛二 大鼓:亀井広忠、小鼓:成田達志、太鼓:大川典良、笛:一噌幸弘 地謡:梅若慎太朗、坂真太郎、古川充、角当直隆、梅若晋也、観世喜正
『安達原』は、能も歌舞伎も初めて観ました。 歌舞伎では、祐慶と強力の二人が連れ立って出てきます。祐慶は能の旅僧の姿と同じですが、能の『安達原』の方は、ワキの祐慶とワキツレは山伏姿です。梅枝さんの旅僧は美しき僧で、特別出演の段四郎さんの強力は能のアイにあたりますが、ちょっとコミカルでいい味を出していました。亀治郎さんの老婆は怪しげな雰囲気です。 あらすじは、旅僧一行が安達原につき、日も暮れてきたので、野中の一軒家に一夜の宿を頼みます。家の老婆は糸繰り車に目をとめた祐慶に頼まれて、糸を繰りながら老いの身を嘆き、糸づくしの歌を謡い、やがて、長き命のつれなさを泣いて、糸車を繰るのをやめます。夜がふけて、冷え込んできたので、山へ行って薪をとってくるという老婆は、出掛けに決して閨(ねや)を覗くなと念を押して出て行きます。そのようなことはしないという僧が寝込むと、好奇心旺盛な強力がこっそり閨を覗いて、山と積まれた死骸に腰を抜かしてびっくり。僧を起こして、これは安達原の黒塚だ、と二人は驚いて家から逃げていきます。途中、鬼女と変じた女が現れ、襲い掛かりますが、ついに祈り伏せられて、去っていきます。 あらすじは、細かいところの違いはありますが、能とほぼ同じです。 後場のすすきの原で黒い塚を割って鬼女が現れたり、僧と強力に祈り伏せられた鬼女が、前にバタンと倒れたり、最後は塚の穴の中に飛び込んで姿を消す派手な見せ場があります。見所も演者の出の時や、見得を切る時、見せ場では声が掛り、拍手が起こるところがいかにも歌舞伎らしい雰囲気です。僧と強力の二人で祈り伏せる時、強力が数珠を揉むところが、なんか可笑しくて笑ってしまいます。 能では、ワキ方は左の袖から出てきましたが、シテは花道を使い、能力も逃げていくとき花道を使っていました。花道は長いのでちょっとシテは大変だったのではないでしょうか。でも、うまく使われていました。能の時の舞台バックは歌舞伎の最後のすすきの原がそのまま使われました。 しかし、後の能を観てしまうと、やはり能のほうが凄いなと思ってしまいました。江戸時代の現代劇としての演目の場合は、演劇性の強い歌舞伎は面白いのですが、能の演目を元にしたものは、やはり、能のほうが良く練られて完成度が高いと感じました。今回の場合は、むしろ能のほうが展開がはやくて飽きさせないという感じをうけました。前場の老婆が山へいくまでの家でのやりとりも糸車を引きながら、長唄と科白のゆったりとしたやりとりにちょっと眠くなってしまい、二人が逃げてから次の場面に変わるまで、唄とお囃子で聞かせるのですが、すすきの原の黒い塚に鬼女となった女が入っているという舞台の転換までに時間が掛かって、なんか間伸びしてしまったような感じがしました。 能の場合、山伏二人(ワキとワキツレ)と能力一人(アイ)が出てきて、老女は山伏二人には閨を見ないように念を押して出て行きますが、隅に控えている能力には気がつかないようです。能力は自分には言っていかなかったと言い、「見ろと言われると見たくないが、見るなと言われるとどうしても見たい」という天邪鬼ぶり、見てはいけないという山伏に制されるものの、山伏たちが、寝たとみるや、そろり、そろりと起き出す始末。ところが、山伏が気付いて起きるたびに驚いて倒れ、ごまかす能力。2回ほど繰り返してから、山伏が寝たのを確かめて、とうとう覗いてしまいます。この間、能力の言い草や、言い訳、山伏祐慶とのやりとりがなんとも愉快で大いに笑わせます。ちょっとドリフのコントを思い出しました(笑)。歌舞伎では、ここまでが意外とあっさり進んでしまいます。 閨を覗いた能力はびっくり腰を抜かし、死体の山の様子、手は手、足は足で積んであるなどど言い、祐慶たちに見せると「恐ろしや、恐ろしや」と先に逃げて行ってしまいます。後シテが面、装束を替えて出てくるまでの饒舌なアイの語りと演技が舞台への興味を引いて重要です。 歌舞伎では、前場の家の場面からすすきの原の場面に舞台も変わりますが、能の場合は場面は変わらず、山伏二人が逃げようとすると山から薪を背負った鬼女が怒りをなして襲い掛かってきます。面をかけているせいか、歌舞伎の鬼女よりも恐ろしく、まさに鬼気迫るという感じです。祈り伏せようとする山伏との攻めつ押されつは緊張感が漲り、祈り伏せられる鬼女は、2回飛び返りの型が入りました。最後に約束を破って閨を見られた恨みと、恥ずかしさで「恥ずかしや」と去っていくところも印象的でした。 もう一つ、前後しますが、前場で糸車をまわしながら謡う時も、地謡とシテの謡いが交互に入ること、長唄と科白よりも力強いせいか、眠くなりませんでした。急に糸車をぐるぐると早く回し、糸車から手を離して、両手で泣き崩れる型をするところも印象的でした。それと、山へ行きかけて振り返り「決して覗くな」と念を押すところには、すでに鬼の気配が漂っていました。能は最後に、老女の寂しさ、鬼女の哀しさが心に残りました。
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| 2006年10月22日 (日) |
万作を観る会 |
会場:国立能楽堂 14:00開演
小舞「住吉」野村万作 地謡:竹山悠樹、野村萬斎、深田博治、高野和憲
「萩大名」 大名:石田幸雄、太郎冠者:月崎晴夫、亭主:深田博治 後見:岡聡史
「柑子」 太郎冠者:野村万作、主:野村萬斎 後見:野村良乍
語「奈須与市語」 野村万作
「二人袴」 親:野村萬斎、舅:石田幸雄、太郎冠者:高野和憲、聟:野村遼太 後見:竹山悠樹
まさに「万作を観る会」でした。小舞、狂言、語りと万作さんの素晴らしい芸を堪能できた会でした。
万作さんの小舞「住吉」本当に美しかったですねえ。立ち姿にもスッと真っ直ぐ一本線が通っている感じ。運びも扇を持つ手の動きも・・・、能のシテ方には負けないと万作さんが自負するとおり、並みのシテ方よりずっと素晴らしい舞でした。地謡は、萬斎さんの声は相変わらず良かったですが、はじめ、若干ずれてる人がいた感じです。鼻で息を吸うときの息継ぎの音もちょっと気になりましたね。いつも、そんなことはないんですが。
「萩大名」 本当は、万之介さんの大名が楽しみだったんですが、体調不良とのことで、石田さんの大名、深田さんの亭主に代わりました。 石田さんの大名は、ほんわかとした気のいい田舎大名という感じがしました。この大名はやっぱり、決してバカ大名ではないんですよ。ちゃんと目の付け所は合っているし、良いものを見分ける目もあるけれど、田舎者で風流な和歌などのたしなみが無くて覚えられない。歳をとると初めてのことはなかなか覚えられないんですよ(苦笑)。それに、思ったことをすぐ口にだしてしまうのも、正直さ、人の良さの表れともいえます。 先日、千作さんの「萩大名」を観たばっかりなので、大蔵流と和泉流の違いもよく解って面白かったです。大蔵流だと、失言をした後に、いちいち「火打石にしたいなどど言われても、決してすることではないぞ」などとごまかし、亭主も「決してそのようなことは、いたすものではありません」などと答えています。また、太郎冠者が、「十重咲きいずる」を教えた後、和泉流だと「このような人には恥を与えたほうが良い」と、すぐ去ってしまいますが、大蔵流では、「十重咲きいずる」を教える時に、ちゃんと脛(すねはぎ)を叩いて鼻を指差す「萩の花かな」の合図までしてから、「愚鈍な人じゃ」とあきれて去っていきます。和泉流の太郎冠者の方がちょっと冷たい感じがしました。
「柑子」 主人よりも、年季の入った奉公人の太郎冠者。万作さんの軽みと自然さ、手の中に本当にみかんがあるような描写力がいいですね。万作太郎冠者の語りに思わず引き込まれて泣いてしまう主人。萬斎さんの、泣きだす前の表情の変化も実感があって良かったです。 「奈須与市語」 万作さんの奈須の語りは初めて聞きました。万作さんの語りの技術はやはり素晴らしいです。語りの強弱、間、息、そして、動きの迫力、キレ、萬斎さんとはまた違う、語りの名人芸を観る思いでした。
「二人袴」 遼太くんの聟に萬斎さんの親という初めての組み合わせでした。萬斎さんも聟の親をやる歳になったんですね(笑)、親らしく見えましたよ。大蔵流だと、親ではなくて兄の場合もあるんですが。 高校生の遼太くん、昔なら本当にこのくらいの歳で聟入りだったんでしょう。この演目の幼い聟さんにはちょうど良い年頃かもしれません。初々しい聟さんでしたが、まだこれからといったところですね。謡いの声は素晴らしくてびっくりしました。将来が楽しみです。 |
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| 2006年10月20日 (金) |
国立能楽堂定例公演 |
会場:国立能楽堂 18:30開演
「栗焼」太郎冠者:石田幸雄、主:野村万作
『船弁慶』重前後之替・早装束 シテ(静御前・平知盛の霊):武田宗和 子方(源義経):小早川康充 ワキ(武蔵坊弁慶):殿田謙吉 ワキツレ(従者)梅村昌功、御厨誠吾 アイ(船頭):野村萬斎 笛:一噌隆之、小鼓:大倉源次郎、大鼓:白坂保行、太鼓:助川治 後見:武田志房、武田尚浩、武田友志 地謡:武田宗典、武田文志、松木千俊、小早川修 小川博久、関根祥人、岡久広、浅見重好
「栗焼」 丹波の伯父から主人に送られてきた40個の栗を焼くよう太郎冠者は言いつけられます。太郎冠者は切れ目を入れるのを忘れてはねさせたり、焦がしそうになったりしながら全部焼き上げ、皮をむきますが、あまりにみごとな栗なので、つい一つ口に入れてしまいます。しかし、あまりの美味しさに止まらなくなり、とうとう全部食べてしまいます、 困った冠者は、主人に、竈(かまど)の神夫婦と公達34人が現れ、栗を所望されたので、進上してしまったと言い訳しますが、残りの4つを出せと詰め寄られ、ひとつは虫食い、あとの三つは栗を焼くときの言葉に「逃げ栗、追い栗、灰紛れ」というとおりで、どこかへいってしまったとごまかすので、叱られてしまいます。
万之介さんが病気とのことで、石田さんに変わりました。先日の万之介狂言会では元気な姿を見せていたのに、早く元気になってほしいものです。なんとなく、万之介さんだったらどんな感じになっただろうと想像してしまいました。 栗を焼くときの独演が見どころですが、栗がはねたり、焦げた栗をあわてて火中から拾い上げたり、フーフー息を吹きかけながら皮をむいたり、虫食いを食べてペッペッと吐き出したり、リアルな演技で、楽しそうです。万之介さんだと、まったりと、とぼけた感じになったんでしょう。 珍妙な言い訳に、主人も太郎冠者が食べてしまったのだろうと解っていたのでしょうが、竈の神と言われるとすぐには怒れない。縁起をかつぐ昔の人らしい大らかさです。
『船弁慶』重前後之替・早装束 頼朝に追われる身となった義経一行は攝津の国大物の浦につき、義経は静御前に都に帰るよう別れを告げて、静は涙ながらに別れの舞を舞います。 義経一行が船出すると、にわかに海が荒れだし、海上に平家一門の霊が現れます。知盛の怨霊が襲い掛かるのを義経は太刀で戦いますが、弁慶が祈り伏せ、やがて怨霊は波間に遠ざかっていきます。
疲れピークにあたり、前場では壇ノ浦沈没状態になってしまいました。よって、前場の小書の違いは途切れ途切れしか見てないのでよくわかりませんでした。ただ、「中ノ舞」が「盤渉序ノ舞」になるということで、確かに笛は盤渉調の高い調子の笛でした。 初め、大物の浦についた一行は、ワキの弁慶がアイの船頭に船を頼み、宿を借ります。静と義経の別れの舞が終わり、シテが中入りすると、アイの船頭が船の用意ができたと告げて、急いで幕入りし、あっという間に装束を替えて、船をもって走り出てきます。その間、ほんとに10秒ほど、これが「早装束」ですね(驚)。 アイの船頭は船を漕ぎながら、若手の舵手を揃えたことを自慢したり、将来、自分がこの海上の舵取の独占を出来るよう取り立てて欲しい旨交渉したりと、なかなかしたたかです。 にわかに荒れ狂う海を船頭は「波よ波よ波よ」とせわしなく漕いで「シー」っと荒波を鎮めるように櫓でなでたり、お囃子は激しく急調で荒れ狂い、ワキの弁慶がにわかに立ち上がり、海のかなたを険しい表情で望んだり、空を覆う黒い雲や雨風、船をゆらす荒波が見えるようで、何かが出てくるというぞくぞくとするものを感じました。ここから怨霊が波間に現れるところが一番好きです。なんか、ドキドキします。 揚幕の内に知盛の怨霊が現れ、揚幕の中で謡い出し、強い調子の笛で登場します。勇壮で荒々しい長刀さばき、子方もなかなか凛々しい義経でした。 |
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| 2006年10月18日 (水) |
狂言鑑賞会 |
会場:国立能楽堂 18:30開演
ミニ講座「狂言の世界」 ―狂言にみるニートたち― 善竹十郎
「今参り」大名:大蔵吉次郎、太郎冠者:善竹大二郎、新参者:大蔵教義
「塗師」平六:善竹十郎、師匠:善竹忠一郎、妻:善竹富太郎
善竹十郎さんは、早稲田大学エクステンションセンターで「狂言の世界」の講座をやってらしたようで、その講座を受講した有志で作った「狂言愛好社」の主催です。 ミニ講座は「狂言にみるニートたち」という副題ですが、狂言に出てくる昔の就職について「今参り」にちなんだ演目の解説のような話で、ユーモアも交えて話されていました。
「今参り」 大名が新しい召使いを抱えようと、太郎冠者を上下の街道へつかわし、太郎冠者は、まんまと奉公志願の者を見つけて連れ帰ります。太郎冠者は途中、新参者に、秀句(洒落)好きの大名に気に入られるよう、あらかじめ秀句を教え込んでおきます。新参者にあった大名は、男が自分の目の動き通りに機敏に動くのですっかり気に入り、当分は今参りと呼ぶことにして雇いますが、今参りは教わっていた秀句を間違えてしまい、きつく叱られます。しかし、拍子にかかってなら答えられると言うので、大名も拍子に乗って巧みに秀句のやりとりをするうち、すっかり機嫌を直し、大いに喜びます。
大名が新しい召使いを抱えようという時の太郎冠者とのいつものやりとり、2千人が2百人になり結局一人を召抱えようということになる。大名の大口たたきのパターンですが、それでも笑ってしまいます。 大名の目の動きに合わせて新参者が動いてみせる場面も、首を傾けて左右に動けば一緒に動き、目を回すと、新参者もぐるりと回ったりと、動きがあっていて面白いです。最後には身体に関するなぞかけの秀句を拍子に乗ってテンポよく謡いながら二人で興にのっていくところが楽しい曲でした。 大蔵家は言葉の一語一語をしっかり口を開いて張って言うような感じで、またこれも独特な台詞回しです。「塗師」の地謡でもその台詞回しと同じような謡い方が目立っていて、聞きなれていないとちょっと違和感感じますが。
「塗師」 都の塗師は、今は古い技法がはやらず、仕事がなくなったので、子供の時から仕込んだ弟子の平六を頼って越前に下ります。応対に出た妻は、師匠が来たのでは夫の仕事が減ると思い、師匠を追い返すために、、平六は3年前に死んだと嘘をついて泣き崩れます。そこへ仕事場から出てきた平六が現れ、嘘をついた妻を叱りますが、一計を案じた妻に言い含められ、平六は幽霊の姿で対面することになります。
どこかで1回観たことがある演目だと思ったら、7月の横浜能楽堂10周年記念公演で山本家がやっていたのを観ています。前半は普通の狂言ですが、後半が能掛りに変わるという珍しい曲です。 大きい富太郎さんの妻は、細くて小さい忠一郎さんや十郎さんとの対称で、妻の存在の大きさや立場の強さを表わしているようでした(笑)。 忠一郎さんの師匠は淡々とした演技で、東次郎さんの感情のこもった演技とはかなり違う印象でした。がっかりしながらも、淡々と平六の妻の話を受け入れているという感じです。 十郎さんは、「女ども、女ども」と大声を上げながら仕事場から出てくる時から笑ってしまいます。妻の富太郎さんとのやりとりも、どうしても師匠には会いたいが、平六は死んだと言った妻は、嘘がばれては立場がないから死ぬという。さあ、困ったという表情、本当に困ったという感じです。 妻に、幽霊になって会えばよいと言われて、「未だ幽霊になったことがない」というおとぼけも自然で面白いです。 白装束に黒頭、面をかけて杖をつき、そろそろと幽霊らしく出てくるところも、なんとなく、くすくすと笑いが起こります。 修羅道の様を塗物の手順になぞらえて謡い舞うのは、能掛りの舞いで決まっていますが、最後に風呂場の陰に隠れて居留守「塗籠他行(ぬりごめたぎょう)」を使ったと謡いの中で、ばらしてしまうわけです。しかし、最後まで能掛りで、3人とも、しずしずと引き上げていきます。 |
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| 2006年10月14日 (土) |
第4回塩津哲生の會 |
会場:14世喜多六平太記念能楽堂 14:00開演
仕舞「女郎花」塩津圭介 地謡:佐々木多門、内田成信、金子敬一郎、大島輝久
狂言「寝音曲」太郎冠者:野村万作、主:石田幸雄
仕舞「野宮」近藤乾之助 地謡:野月聡、武田孝史、金井雄資、小倉伸二郎
能『石橋』三ツ臺 シテ(童子・獅子):塩津哲生 ワキ(寂昭法師):宝生閑 間(仙人):野村萬斎 大鼓:柿原崇志、小鼓:横山晴明、太鼓:金春惣右衛門、笛:一噌庸二 後見:高林白牛口二、佐々木宗生、中村邦生 地謡:友枝雄人、狩野了一、長島茂、金子敬一郎 内田安信、香川靖嗣、友枝昭世、大村定
「寝音曲」 万作さんの「寝音曲」の太郎冠者を観たのは、久しぶりか、初めてかもしれません。今回は謡が常の「海人」の玉ノ段ではなく、玉ノ段よりむずかしい「咸陽宮」の琴ノ段を謡うという珍しい替ノ型でした。 主人に謡っているところを聞かれて、主人の前で謡うよう言われた太郎冠者は、今後たびたび謡わされては困ると思い、酒を飲まねば謡えないとか、妻の膝枕でなければ声が出ないと嘘をつきます。それなら自分の膝を貸してやると主人に言われ、しかたなく謡い始める太郎冠者ですが、寝ているときは謡えるのに起きると声が出なくなるようなふりをしなければなりなせん。そのうち調子が乗ってきて、とりちがえ、あべこべになったうえ、謡いながら舞いだしてすっかり嘘がばれてしまいます。 万作さんの太郎冠者は、ちゃんと謡うときは無理なく丁寧な謡いで気持ちよく、舞いも飛び返り、飛び安座と決めて、かっこよく、さすがでした。大笑いするというのでなく、くすくす笑えて面白いのも万作さんの持ち味によるものでしょう。石田さんの主との息もぴったりでした。今回は、この替ノ型を観られたのがとっても得した気分でした。
『石橋』三ツ臺(みつだい) 「石橋」の小書は、各流儀でたくさんあり、私も今年はいろいろな『石橋』を観てきましたが、喜多流では一人獅子、連獅子の他は三ツ臺だけだそうです。一人獅子の時は喜多流だけの巻毛の赤頭をつけることになっていて、一度、友枝昭世さんの一人獅子を観たときも巻毛の赤頭で、ちょっとベルバラ風な巻毛でした。三ツ臺というのは、その名のとおり、三つの台を出すわけですが、脇柱寄りに白花の牡丹の台、目付柱寄りに赤花の牡丹の台を正面に向かって横一列に真ん中を空けて並べ、花の付いていない一畳台を真ん中に両側の台に橋を架けるように乗せます。古い型付では、牡丹の花数にも白花が15個、赤花が13個で、大輪や蕾の数まで決まっているそうです。今回の花は他流儀のより背が低く、花の付き方や枝ぶりも本物の牡丹のように作ってあって、とても綺麗でした。 前シテは常は老人だそうですが、今回は童子で装束も品が良くて美しいものでした。寂昭法師に人間の渡れる橋ではないと、石橋について語る童子は深山の渓谷の深さを見つめたりする他、あまり動きはありませんが、深々たる山、底が見えないほど深い谷の様子が見えるようでした。中入りは送笛ではなく、来序という太鼓が流儀の建前ということで、今回は来序の囃子での中入りをされました。 仙人として出てきた萬斎さんは、面をかけ、石橋の由来を語り、やがて獅子の姿が見られるから山の全ての生類も見に来るようにとふれて去っていきます。重厚な語りで、聖なる獅子の出を告げるにふさわしい語りだったと思います。
いよいよ、後シテの出。巻毛の赤獅子の塩津さん、一つ一つの動きが本当に力強くてキレが良い。舞台で舞い、台に乗って花ににじり寄ったり両手を広げて後ろへ反らせたり。他流のように花に足を掛けて戯れたりすることはありません。型も流儀によって大分違いますね。しかし、後のほうで、後から台の真ん中に近づいた時、まさか、二段重ねになった真ん中の台に飛び乗るのか!と思ったら、見事に飛び乗って安座しました。思わずすごい!と思ってしまいました。脇正面で見ていると小柄な塩津さんの体と台の高さがすごくよく解るのです。間近まで寄って、両足そろえて飛び乗るのが綺麗に決まったのは本当に見事でした。その後も下の段からぎりぎり後まで下がって後ろ向きのまま飛び降りるなど、面をかけて、足元がまったく見えない状態で、本当に見事と言うほかありません。狭い一畳台の上でも大きく舞い、大勢で舞う賑やかさはなくとも、一人で充分見所を惹きつける獅子の舞いでした。 今年観た数々の『石橋』の中でも、私にとって、今回のは最高の部類に入ります。本当に観に来た甲斐があったと思える舞台でした。 |
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| 2006年10月13日 (金) |
忠三郎狂言会 |
会場:国立能楽堂 18:45開演
「萩大名」大名:茂山千作、太郎冠者:茂山千之丞、庭の亭主:茂山忠三郎
「清水」太郎冠者:茂山良暢、主:大蔵千太郎
「千切木」 太郎:茂山忠三郎 女房:茂山良暢 頭屋:善竹十郎 太郎冠者:善竹大二郎 若衆:大蔵吉次郎、大蔵基誠、大蔵教義、石倉昭二、善竹富太郎
附祝言
毎年10、11月にかけて福岡、東京、大阪、京都で行なわれる「忠三郎狂言会」。各地で、山本家以外の大蔵流狂言師総動員といえるくらい、大蔵流の各家から共演者が出ています。千作、千之丞さんとの共演の1番が必ずある他、東京公演では東京在住の大蔵家と善竹十郎家が出演します。
「萩大名」 もうこれは、千作さんの大名が最高です。決してバカではないのでしょうが、朴とつで田舎者の大名に、千之丞さんの抜け目なく、気の利く太郎冠者。おっとりした風流人の忠三郎さんの庭の亭主。それぞれの持ち味が出た配役でした。千之丞さんの言葉と言葉の間を置かない速い台詞回しに対し、忠三郎さんのたっぷり間を置く台詞回しは、まったりとした感じで、千五郎家のテンポのいい台詞回しに慣れている人には、ずいぶんのんびりした感じに聞こえるかもしれません。 この曲で、他の人ではあまり感じたことが無いのですが、千作大名と千之丞太郎冠者が庭を見渡して「あれは、なんじゃ」と話をするとき、二人が見つめる視線の先に、本当に庭の奥にある梅の見事な枝ぶりや、岩が見えるようでした。特に千之丞さんの庭を見る時のちょっとした仕草、顔の動かし方、視線の向け方がとってもリアルだなあと感心しました。 太郎冠者があきれて姿を消したあとの大名の慌てぶり、亭主をほったらかして太郎冠者に頼りきっている様。何が何でも、後の句が聞きたい亭主とのやりとりも秀逸です。いつも思うのですが、千作さんの表情と独特な間は本当にほのぼのと楽しくさせます。力が拮抗した3人の共演は本当に楽しいものでした。
「清水」 若手の二人の共演です。特に忠三郎さんのご子息良暢さんは、まだ24歳の若さですが、成長著しい、うまくなったと感じます。変な癖がなく、基本をしっかりしたうえで、愛嬌やおとぼけ、強さが表わせるようになったと感じるのです。 この演目では、鬼に扮してからがとっても良かったですね。鬼の面をかけて主人を脅すときの迫力や、太郎冠者に蚊帳を吊ってやれだの、酒を飲ませろだのと主人に要求するおとぼけぶり、楽しかったです。
「千切木」 善竹十郎さんの頭屋は、忠三郎さんと同じくらい、まったりとした台詞回しでした。忠三郎さんの太郎は、ちゃかちゃかとしてうるさいという感じではなく、自分は連歌の宗匠だと威張っていて、何かと人のすることに文句をつけ、自分の考えを通そうとする。この「千切木」の太郎という人物は本来そういう人物なのではないだろうかと思われました。 連歌に集った衆に袋叩きにされたところへ、わわしい妻登場!威勢のいい妻にけしかけられて、渋々仕返しに行く太郎ですが、相手が留守と知ると、急に元気になって勢いづく、またそれを見て、さすが我が夫と喜ぶ妻。気が強いが、可愛い妻の良暢さん、ここでも光っていました。 |
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| 2006年10月12日 (木) |
第18回万之介狂言の会 |
会場:国立能楽堂 19:00開演
「筑紫奥」奏者:野村万作、丹波の百姓:深田博治、筑紫の百姓:月崎晴夫
「咲嘩」太郎冠者:野村万之介、主:高野和憲、咲嘩:深田博治
「蝸牛」山伏:野村萬斎、主:野村万之介、太郎冠者:石田幸雄
「筑紫奥」 筑紫の奥の百姓と丹波の百姓が、年貢を納めに行く途中、道連れになる。二人が領主の館に年貢を納めると、奏者から、それぞれ年貢の品目を述べよと命ぜられる。筑紫の百姓は持参した唐物を、丹波の百姓は柑類(柑橘類)を拍子にかかって述べると、褒美に万雑公事(諸雑税)を免除され、喜び合う二人は今度は田一反につき一笑いせよといいつかる。筑紫の奥は二笑いするが、丹波は一笑い半で、二度目を短く笑う。最後には奏者も無理に引き込んで3人揃って大笑いする。
年貢が納められるということは、作物が良く取れて景気がいいということで、めでたい雰囲気の狂言です。領主からの仰せを奏者が伝え、それを見事にこなすと万雑公事が免除されるというのも鷹揚な。品目をリズミカルに拍子に乗って述べたり、一反半で、一笑いと短く半分で留めたりする面白さもありますが、最後は三人での笑い留めという終始めでたい、ほのぼのとした曲でした。
「咲嘩」 何回か観た曲ですが、連歌の師匠に都から伯父を呼んでこいと言い付かった太郎冠者が、主人の伯父の住所も風貌も知らず、「咲嘩」という盗人に騙されて伯父と思い連れ帰ってしまう。咲嘩の素性を知る主人は、ことを荒立てずに馳走して返そうとするが、冠者に相手をさせれば、なんとも間抜けな応対である。あきれた主人がすべて自分の真似をしろといえば、主人が自分にしたことまで真似をして、とうとう咲嘩を引き倒して、恭しく礼をして去っていく。
万之介さんのとぼけた味わいが最高に似合う作品で大笑いです。おとぼけぶり全開の万之介さん。主人に咲嘩の相手をするよう言われて咲嘩と話している時も、ついつい余計なことを話して主人に呼ばれ、主人に言われたことは、とんでもない勘違いで話したり。でも、何から何まで主人の真似をしての対応は、いじわるな見方をすれば、半分承知のうえの主人に対するあてつけかな、とも思えます。しかし、この曲は何回みても笑えます。石田さんの咲嘩も最後の迷惑そうな憮然とした表情がよく、ちょっと気の毒になってしまいます。
「蝸牛」 この山伏役は、萬斎さんのお得意な役のような気がします。ちょっと悪戯っぽくて、囃子物にのって、本当に楽しそうな山伏。山伏の動きも決まるところがピタッと決まっていて実に美しい。見ていて気持ちよく、こちらもウキウキしてきます。石田さんの太郎冠者も、ついつい拍子をとるのが楽しくてという感じで、最後には万之介主人も面白そうだとのってしまう。最近は三人で浮かれて幕入りばかりですが、やはりそれが一番この曲に合っていて楽しい終わり方です。荒唐無稽でナンセンスな話ですが、そこが面白い曲でもあります。 |
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| 2006年10月11日 (水) |
能を知る会【東京公演】 |
会場:国立能楽堂 18:00開演
解説「物狂と風流」:馬場あき子
「茶子味梅」 唐人:野村萬斎、女:高野和憲、所の者:野村万之介 後見:月崎晴夫
『百萬』法楽之舞 シテ(百萬):中森寛太 子方(百萬ノ子):中川優奈 ワキ(里人):殿田謙吉 間(門前ノ者):石田幸雄 大鼓:安福光雄、小鼓:観世新九朗、太鼓:観世元伯、笛:一噌隆之 後見:奥川恒治、観世喜正 地謡:坂真太郎、小島英明、佐久間二郎、古川充 鈴木啓吾、駒瀬直也、五木田三郎、遠藤喜久
今回も寝不足につき、絶対眠くなりそうだと思ったとおり、解説では、ほとんど沈没状態でした。解説はいつも聞いてると勉強になるし、面白いんですが、今回は全くと言っていいほど覚えておりません(^^;。
「茶子味梅」 唐人の夫が、最近「日本人無心我唐妻恋」「ちゃさんばい」「きさんばい」と言って泣くので、妻は物知りに尋ねて「故国の妻が恋しい」「茶が飲みたい」「酒が飲みたい」という意味だと知って心外に思うが、物知りのいうとおり、我慢して、夫に酒を飲ませて慰める。上機嫌になった夫は「楽」を舞ううちに、また、思い出して同じことを言って泣き出すので、妻が腹を立てるという話です。 日本に来て、日本人の妻と連れ添って10年にもなるという夫ですが、故国にも妻がいるという。故国が恋しくなって、国の言葉で懐かしんで泣くわけですが、妻と酒を酌み交わす場面でも唐音を使い、唐音の面白さが笑いを誘います。楽を舞いながら、ふと顔が曇って、再び思い出して泣き出す夫。せっかく酒を飲ませて機嫌をとって慰めているのにと怒った妻に追い込まれるのですが、国が恋しい夫の気持ちも、怒る妻の気持ちも分かる、ちょっと切ない話でもあります。 万作さんで見たときより、萬斎さんの明るさで、唐音の会話の面白さが強調されていた感じがします。万作さんと石田さんのコンビだともっとしっとりした切なさが出てたような気がしました。 「楽」を舞ううちに、ふと懐かしくなって顔が曇る様を大髭をつけている顔で眼で表現する。その変わりようは、はっきりと感じ取れました。
『百萬』法楽之舞 吉野の男が南都西大寺の辺りで拾った少年を連れて嵯峨野の大念仏にやってくる。そして、門前の者に、何か面白いものを見せて欲しいと頼むと、門前の者は、百萬という女物狂がよいだろうと言い、念仏の音頭をとる。すると、女物狂の百萬が出てきて、門前の者を下手だと退け、自ら念仏の音頭を取り、やがて、子を思う気持ちを述べ、物狂いの状態で舞い狂い、仏前に手を合わせて我が子との再会を祈る。子供は母と気付くが、男は声を掛け信心を勧め、女は物狂いになった次第を語って、法楽の舞いを舞う。哀れに思った男は子供を引き合わせ、百萬は喜びの涙にむせび、親子つれだって故郷奈良に帰っていく。
子供と生き別れになった母親が物狂いとなって子供を捜し、再会する話で、吉野の男は僧侶です。アイが「南無釈迦しゃかしゃか」と唱えながら踊りだすと、百萬がでてきて、「すっこんでなさい」というように、そのアイの門前の者を押しのけるのが面白く、ちょっと変わっています。石田さんも「南無釈迦しゃかしゃか」とちょっと楽しそうでした。 中森寛太さんの女はとっても女性らしい可愛さと雰囲気があります。そして子を思う母の再会の涙もしっとりとした風情がありました。 |
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| 2006年10月7日 (土) |
第4回三輪清浄 金剛流『綾鼓』 |
会場:国立能楽堂 13:30開演
解説:小野芳朗
「柑子」 太郎冠者:野村萬斎、主:高野和憲 後見:時田光洋
『綾鼓』 シテ(老人・老人の怨霊):宇?通成 ツレ(女御):工藤寛 ワキ(帝臣):森常好 間(従者):石田幸雄 大鼓:安福建雄、小鼓:曽和正博、太鼓:金春國和、笛:一噌仙幸 後見:豊嶋幸洋、豊嶋訓三、熊谷伸一 地謡:漆垣謙次、大草史雄、元吉正巳、小野芳朗 片山峯秀、豊嶋晃嗣、松野恭憲、宇?竜成
小野芳朗氏の解説が結構面白かったです。 国立能楽堂の話から始まり、昔は江戸城内に能楽堂があったとのこと。門を入って、広い白州に能舞台があり、正面真ん中の線が一番偉い人の席で、舞台に向かって右側は御簾がかかった女御たちの席。左側が男たち(武士)の席。脇正面側には江戸の町人が入って、多いときは2千人ほども入ったとのこと。町人たちは賑やかで、好奇心旺盛。将軍様が出てくると「親方!」とか「日本一!」とか声がかかったり、騒がしいので、そのうち町人たちを入れるときに門でお菓子を配ったそうです。当時、砂糖は貴重品だったので、時間をかけて、ゆっくり味わって食べたため、皆、静かにさせることができたとか。記録に残っていると言う、当時の庶民の生き生きした姿が何だか面白い。 『綾鼓』についての解説では、老人の叶わぬ恋とそれを聞いた女御のいたずら心なのか。老人は邪淫の罪で地獄へ堕ち、女御は欺瞞の罪で地獄に堕ちる。どちらも救いのない能だとのこと。しかし、ここに出てくる鼓というのが、桂の木に掛けられた時の鼓(時間をつげる太鼓)であるとのことから、別の意味も含んでいるのではないかと・・・。時間の檻、老いということ、精神的には歳をとっても変わらないのに、肉体的には思い通りにならなくなってくる。精神と肉体のアンバランス、それゆえ強くなる現世に対する執着。どうしようもないものとして、中世には、時間の檻の他に身分の檻があったとのこと。 たしかに、歳をとっても精神的には若いときと変わらない。人間には枯れてくるなんてことは、本当は無いのかもしれない。その人の人生経験による違いによる変化はあろうが、生(性)への執着は死ぬまであるものなのかもしれない。
「柑子」 オーソドックスな、よく演じられる狂言ですが、観るのは久しぶりかもしれない。 主人から預かった三つ成りのみかんを持ってくるよう催促された太郎冠者は、すでに食べてしまったので言い訳を始める。一つは枝から落ち、二つ目は懐中に入れていたら潰れたので食べてしまったという。残りの一つはと言われ、それについては、哀れな話があると言って、島流しにあった俊寛の物語を語り、三人で流されたのに一人残された俊寛と残された柑子の思いは同じと主人をほろりとさせるが、最後に自分の「六波羅(腹)に納めた」と白状して叱られてしまう。
主人に問い詰められての言い訳が、すらすらと良く出てくる調子良さ。みかんを美味しそうに食べる仕草も面白い。しかし、最後に俊寛の物語まで語って、叱られてしまい、引き上げるときの萬斎太郎冠者の悪戯っぽい目つき、表情が会場にくすくすと笑いを引き起こした。叱られても懲りない太郎冠者。また、きっと、何かやらかすんだろうなあと思わせました。
『綾鼓』 筑前国、木の丸御所に桂の池という名高い池があって、いつも管弦の御遊が催されます。ここの庭掃きの老人が、その御遊の宴に出られた女御の美しさに恋心を抱き、その事が噂になって、やがて女御の耳に入ります。女御は、池のほとりの桂の木の枝に鼓を掛けておくから、それを打ってその音が御所の内まで聞こえたら、もう一度姿を見せようとのお考えであると、帝臣が述べ、従者に老人を呼び出させます。それを聞いた老人は、喜んで桂の木の鼓を力一杯打ちますが、綾絹を張った鼓は鳴るはずもなく、老人は絶望して、池に身を投げて死んでしまいます。 従者が老人の入水を帝臣に報告すると、帝臣は女御に老人の執心を慰めるよう、池の辺りに出ることを勧めます。池の側に来ると女御は正気を失い、池の水の波打つ音が鼓の音に似ているなどと口走り、ほどなく池の中から老人の怨霊が現れ、女御を激しく責めつけます。 そして、恨みの言葉を残して再び恋の淵に身を沈めてゆきます。
初めは、ワキの帝臣とアイの従者が出てきて、帝臣が老人と女御の話をし、従者に老人を呼び出させて、桂の木の鼓の話を伝えます。鼓の掛かった桂の木の置物が出ていて、老人がそれを打つのですが、どうしても鳴らないので、絶望して池に身を投げてしまいます。女御はその話を聞いて、池の辺に行くときに初めて揚幕から現れます。池に姿を現した老人の怨霊は、女御の襟をつかんで引き寄せ、鳴らない鼓を打ってみよと言って、鞭を振って激しく責め立てます。『恋重荷』と違って、その恨みの凄まじさは驚くほど直接的表現で表わされます。池は紅蓮の炎に焼かれ、その熱さに飛び上がった鯉が蛇と化す、凄まじい情景が謡われ、激しい怨霊の恨み、執着は消えることなく、また池の淵に沈んでいくのです。 激しい恋心が、激しい憎しみに変わる、綺麗ごとでない人の愛の姿の凄まじさの一面、救われることの無い地獄の業を表わした能でした。 世阿弥はこれを元に改作して『恋重荷』で救いのある能にするのですが、どちらも愛の深さゆえ、人の心に宿る二面性というのでしょうか。 激しい、能でした。
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