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能楽鑑賞日記

2019年4月18日(木) 第86回野村狂言座
会場:宝生能楽堂 18:30解説 18:45開演

解説:高野和憲

「仏師(ぶっし)」
 すっぱ:飯田豪、田舎者:石田幸雄   後見:石田淡朗

「樋の酒(ひのさけ)」
 太郎冠者:竹山悠樹、主:深田博治、次郎冠者:高野和憲   後見:中村修一

「内沙汰(うちざた)」
 右近:野村万作、妻:野村萬斎     後見:月崎晴夫

素囃子「早舞」
 大鼓:佃良太郎、小鼓:清水和音、太鼓:林雄一郎、笛:藤田貴寛

「田植(たうえ)」
 神主:野村太一郎
 早乙女:内藤連、石田淡朗、中村修一、野村裕基、岡聡史
                    後見:深田博治

「仏師」
 持仏堂を建立した田舎の男が、中に納める仏を買い求めに、都へとやって来ます。大声で「仏買おう」と叫びながら歩いていると、すっぱ(詐欺師)が近づいてきて、自分こそが安阿弥(あんなみ)の流れを汲む仏師だと名乗り、吉祥天女像を明日までに作ってやろうと請け合います。翌日、面を掛け仏像に化けたすっぱが、約束の受け渡し場所で待っていると、田舎者がやって来て、印相が気に入らないから直してほしいと言いだします。すっぱはすぐに印相を変えますが、これも気に入らないと言われます。直しては見せ直しては見せを何度も繰り返すうちに面がズレてバレてしまいます。

 いかにも素朴で人の良さそうな感じの石田さんの田舎者に、どことなく胡散臭さ漂う飯田さんのすっぱが結構合ってました(笑)。内容は「六地蔵」に似てるけど、「六地蔵」のようにすっぱ仲間がいないので、一人で面を掛けたり外したりで、舞台を前後に行ったり来たり(笑)。印相もアドリブで変えられるそうですが、まだ、わりとおとなしめな感じ、最後だけフラダンスみたいな手つきで、どっと笑いが起こりました。二人の掛け合いもテンポよく面白かったです。

「樋の酒」
 外出することになった主人は、太郎冠者には米蔵を、次郎冠者には酒蔵を預けて出かけます。太郎冠者が窓からのぞくと、次郎冠者が早速酒を飲んでいるのが目に入ります。自分も酒蔵に行きたいが、さすがに米蔵を空けるわけにはいきません。すると次郎冠者が、蔵の窓から窓へ樋を渡し、酒を注いで太郎冠者に飲ませることを思いつきます。酒を飲んで調子に乗った太郎冠者は、ついに米蔵を出て酒蔵で二人は謡い舞いの賑やかな酒盛りになります。そこに戻った主人は二人を叱り、追いかけます。

 いつもヌーボー(失礼)とした感じの竹山さんが、このシテの太郎冠者というのが、かなり意外な配役。とぼけててお茶目な感じのする萬斎太郎冠者とは違って、これも意外と面白かったです。主人の留守に太郎冠者と次郎冠者が酒蔵の酒を飲んで酒宴になるのも狂言ではよくある話ですが(笑)、互いに番を受け持った蔵と蔵の窓を樋(雨どい)でつないで酒を飲むというのが特徴。「棒縛」では、縛られても酒蔵を開けて飲んじゃうんだから、どれだけ酒好きなんだか(笑)と思っちゃいますが、酒を飲むためなら一生懸命知恵を絞る太郎冠者と次郎冠者に笑っちゃいます。
 酒宴の最後の謡が能『邯鄲』の一節「汲めども尽きぬ仙家の菊水」の謡で、主人に見つかった時、太郎冠者が「裕福な主人の酒は、いくら盗み飲みしても減らない」と言い訳する様子が、トボケタというより人を喰った感じの竹山キャラ、深田主人もキレるわwww

「内沙汰」
 右近は、一緒に伊勢講が成就したので、一緒に伊勢参りに行こうと妻を誘います。だが妻は、同行者たちが乗り物で行くのに、自分たちだけ徒歩で行くのは嫌だと言って渋ります。そこで右近は、左近の牛が自分の田の作物を勝手に食べたので、弁償としてその牛をもらうことになっているから、それに乗って行こうと言いだします。右近が地頭に訴えても牛を取ってやると言うので、妻は、訴える時はまず稽古をするものだと助言し、妻が地頭役になって予行演習をすることになります。初めは左近の立場になって稽古し、上手に言い分が言えますが、自分の言い分の稽古ではしどろもどろになり、妻に厳しく責め立てられて緊張のあまり気を失ってしまいます。正気に戻った右近は妻と左近の仲があやしいとなじりますが、怒った妻に打ち倒されてしまいます。右近は去った妻の方に向かって「左近とおのれは夫婦じゃわいや〜い」と叫んだあと、すごすごと引き上げて行きます。

 大蔵流では「右近左近(おこさこ)」という曲で、大藏流では何回か観たことがありますが、和泉流では久しぶりかな。プログラムの解説に「『右近』と言う名が『痴(おこ)』つまり愚か者に通じていることを思わせる」と書かれている通り、大藏流では「右近」を「おこ」と発音していたように思いますが、「内沙汰」では、万作さんは、はっきり「うこ」と発音してました。
 大蔵流との大きな違いは、大蔵流では、稽古の際に左近の分はやらず、自分の稽古だけします。右近は自分の妻が左近と浮気していると疑っていますが、大藏流の方が、その疑いが本当らしいのが妻の態度で分かること。最後は右近の泣き笑いで終わります。和泉流の方は、妻は責められても慌てる風もなく、そんなことを言うのはあなたの恥じだと開き直ります。利発で気の強い妻にやり込められてしまう夫の悲哀。最後に妻に投げ飛ばされて、去って行く妻に「左近とおのれは夫婦じゃわいや〜い」と言ってトボトボと帰って行く右近の姿には切ない哀愁が漂い、見所もシンとした余韻に包まれます。高野さんが解説で「コキュ(フランス語で寝とられ男)の悲哀」と言ってましたから、妻の浮気は本当なのでしょう。
 稽古の場面では、左近の真似をしている時は、スラスラできるのに、自分の番になると、途端にオドオドしてしまう右近には笑ってしまうけれど、最後は以前萬斎さんが右近役でやった時より、万作さんの方が、やっぱり侘しさを感じますね。

「田植」
 加茂神社に仕える神主が、神の御田の田植えをさせるため、早乙女たちを呼び出します。謡いながら出てきた早乙女たちは、神主が祝詞を上げる間に身支度をして、早速田植えを始めます。早乙女は柄振を持って舞う神主と掛け合いで謡い、やがて去っていきます。

 能『賀茂』の替間(かえあい)で、「御田(おんだ)」の名で演じられるものですが、本狂言として扱う時は「田植」という名で演じられます。歌舞中心の明るくのどかな光景が若手を揃えた早乙女5人と太一郎さんの明るい神主の掛け合いで繰り広げられ、最後はあっけらかんと明るくおめでたい雰囲気で終わることが出来ました。余計なことですが、最近の万作家の若手狂言師は皆背が高いなと改めて思いました。

 解説の時、高野さんが「今日の帰りは嵐です」と言ってたので、天気の事かと思って、え〜!?と思いましたが、どうやら東京ドームで「嵐」のコンサートがあるようでした。水道橋駅を下りた時に駅で、帰りは混雑が予想されるので、帰りの切符を買っておくようにと言う放送があったので、またドームでイベントがあるのかなあと思ってましたが、「嵐」のコンサートだったようです。でも、こちらの方が、早く終わったみたいで、混雑に巻き込まれる前に帰れました。
2019年4月14日(日) 萬狂言 春公演
会場:国立能楽堂 14:30開演

解説:能村晶人

「棒縛(ぼうしばり)」
 太郎冠者:野村拳之介、主:野村万蔵、次郎冠者:野村眞之介

「八句連歌(はちくれんが)」
 貧者:野村萬、貸し子:野村万蔵

素囃子「早舞」
 笛:小野寺竜一、小鼓:曽和伊喜夫、大鼓:柿原光博、太鼓:澤田晃良

「朝比奈(あさひな)」
 朝比奈:野村万之丞、閻魔:小笠原匡
           地謡:河野佑紀、野村万禄、能村晶人、上杉啓太

「棒縛」
 主人は、自分の留守に太郎冠者と次郎冠者が酒を盗み飲みするので、まず次郎冠者を呼びだして太郎冠者を縛りつけるので手伝えと言います。次郎冠者は理由も分からないまま、太郎冠者はこのごろ棒術を稽古しているので、棒を使わせてそのすきに縛ろうと知恵を出します。呼び出された太郎冠者が棒を使うと、示し合わせた二人は太郎冠者の両手首を棒に縛り付けてしまいます。案山子のような姿になった太郎冠者を笑っていた次郎冠者も、主人に後ろ手に縛られ、主人は安心して出かけます。しかし残された二人は落ち込むどころか、酒を飲むために知恵を絞り、協力して酒を飲み、縛られたままで謡い舞いの酒宴になります。そこに帰って来た主人は驚き、二人を打ちつけようとしますが、太郎冠者は棒を使って反撃し、笑いながら逃げて行きます。

 拳之介くん(20歳)と眞之介くん(15歳)の若い兄弟による太郎冠者と次郎冠者。眞之介くんは、まだお酒は飲めないよねぇ、なんて思いながらも(笑)、まだ酒飲みの雰囲気を出すのは難しいけれど、二人で知恵を出し合って酒を飲んだり謡い舞いの酒宴になる楽しそうな雰囲気が出ていました。拳之介さんもなかなかいい男になりましたね。

「八句連歌」
 連歌の仲間から借金をしている貧者の男が、長い間返済ができていないことの断りをしようと貸し手の家に向かいます。貸し手は男がまた無心に来たと思い居留守をつかいますが、男が庭に真っ盛りの桜を見て詠んだ句、「花盛り御免なれかし松の風」を伝えて欲しいと告げるので、貸し手は男を呼び戻し二人で連歌の付け合いを始めます。詠まれる連歌の内容は借金の弁解と催促を詠み込んだものですが、最後に感じ入った貸し手が「あまり慕えば文を取らする」と付けて、借状を返すのでした。

 プログラムに詠まれる句とその内容が書かれていたのが分かりやすくてより楽しめました。二人が元々連歌の仲間ということから、借金返済の弁解をする男の萬さんと催促をする貸し手の万蔵さんが相手の句に詠み込まれた言葉にコメントしながらやり取りするのが面白く、恋の歌にことよせているのが、最後に「そんなに愛しいと言ってくれるなら、文をあげましょう。」と借用書を返してくれる歌に繋がって、洒落た趣と可笑しみがあり、しみじみとした味もありました。
 来年には90歳(卒寿)の萬さんが、声も張りがあって、足腰もしっかりしていて、お元気な様子に感心しました。

「朝比奈」
 地獄の閻魔は、近頃人間が賢くなり色々な宗旨に帰依して極楽へ行くので、地獄が飢饉になったと、自ら六道の辻に出て罪人を待ちます。そこへ亡者となった朝比奈三郎義秀がやって来たので、閻魔は懸命に地獄へ責め落とそうとしますが、まったく敵いません。諦めた閻魔は、朝比奈が父和田義盛と共に北条義時を討とうとして敗れた「和田軍(いくさ)」のことを問うと、朝比奈は自分の戦いの様子を語って聞かせ、ついには閻魔を道案内に立てて極楽へと向って行くのでした。

 鎌倉時代前期に実在した剛勇として知られる武将の朝比奈三郎義秀が主役ですが、白装束に白鉢巻、七つ道具を背負い、大竹を杖にして堂々と現れる朝比奈に対し、細い竹杖に眷属も従えず一人でやって来る閻魔は威厳もなく立場が逆転の可笑しさ。小笠原さんの閻魔が懸命に責め立ててもビクともしない朝比奈は「和田軍」の仕方語りもカッコよく、最後には閻魔を極楽の道案内にしてしまう豪傑ぶり。万之丞さんの朝比奈がカッコよくて、小笠原さんのちょっと情けなくて可哀そうな閻魔との対比が面白かった。