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能楽鑑賞日記

2019年7月14日(日) 令和元年度 新元号記念 善竹狂言会
会場:国立能楽堂 14:00開演

素囃子「神舞」
 大鼓:高野彰、小鼓:森澤勇司、太鼓:梶谷英樹、笛:松田弘之

「末広かり(すえひろがり)」
 果報者:善竹彌五郎、太郎冠者:大藏教義、すっぱ:大藏基誠 後見:善竹忠亮

「船渡聟(ふなわたしむこ)」
 聟:善竹大二郎、舅:善竹長徳、太郎冠者:善竹徳一郎、船頭:善竹十郎
                        後見:善竹富太郎

「惣八(そうはち)」
 惣八:善竹富太郎、主人:善竹忠重、僧:善竹忠亮   後見:野島伸仁

「髭櫓(ひげやぐら)」
 夫:善竹十郎
 妻:大藏吉次郎
 女:大藏基誠、大藏教義、宮本昇、榎本元、善竹隆司
 注進:野島伸仁
    後見:善竹忠重、川野誠一
       地謡:善竹大二郎、善竹徳一郎、善竹富太郎、善竹忠亮

附祝言

「末広かり」
 果報者の主人を持つ太郎冠者は、主人の使いで「末広がり(扇)」を買いに都へやってきます。そこで声をかけたのは都のすっぱ(詐欺師)で、末広がりを知らない太郎冠者は、まんまと古傘を買わされ、騙されたとも知らず主人に報告します。主人はあきれ怒って太郎冠者を追い出します。追い出された太郎冠者は、主人の機嫌を直そうとすっぱから教わった囃子物を謡います。すると主人は次第に浮かれだし、太郎冠者を許すのでした。

 品のいい善竹彌五郎さんの主人に、大藏さんの若手、教義さんと基誠さんの従妹コンビ。
 末広がりが扇だと知らない太郎冠者は都のすっぱにまんまと言いくるめられて古傘を売りつけられますが、都に出てきて浮かれちゃってたんでしょうね。後で主人の前で得意げにすっぱに言われた通りに説明しますが、主人に怒られて古傘は台所にたくさんあるのにと自分の浅はかさに反省。でも、すっぱも主人の機嫌を直す囃子物を教えておくなんて、少し可哀そうだと思ったんでしょうか、田舎者の素朴さとお調子者の感じを持った教義さんの太郎冠者の囃子物に主人の彌五郎さんが囃子物で浮かれだす様子も何となく彌五郎さんらしい品の良さを保ってて面白い。

「船渡聟」
 聟が妻の父親(舅)のところへ初めて挨拶に行く(中世では聟入りという)ため、舅に贈る酒樽を持って川にさしかかり渡し船に乗ります。ところが寒さに凍えた船頭は聟の持つ酒樽に目を付け、酒をせびります。断ると漕ぐのを止めてしまうので、仕方なく飲ませますが、自分も飲みたくなり、酒盛りとなって謡ったり舞ったりするうちに樽は空になってしまいます。聟はどうせ樽は開けないだろうと考え、空の樽を持って舅宅に向かいますが、舅宅で盃事に酒を使うことになって、空なのがばれてしまい、面目ないと聟は逃げ出し、舅と太郎冠者は聟を呼び戻そうと後を追いかけます。

 「船渡聟」は、大藏流と和泉流ではストーリーが違います。和泉流では船頭と舅が同一人ですが、大藏流では別人。和泉流で出て来る姑は出てこず、代わりに太郎冠者が出てきます。
 船頭が大きく揺らして脅す場面はなくて、船を漕ぐと、けっこう聟さん揺れてます。和泉流の聟さんは真面目で、船頭に酒を飲まれても自分は飲みませんが、大藏流の聟さんは、ホントは酒好きで船頭と一緒になって飲めや謡えの酒盛りになってしまううえ、空の酒樽をどうせ開けないだろうなんて、そのまま持って行くところとか、酔っ払ってるせいか、お調子者っていう感じ。和泉流では、舅と船頭が同じなので、舅の方が面目ないという感じで、でも最後は二人で相舞で祝言性の強い目出度い終わり方になってますが、大藏流では、聟さんが面目ないと逃げ出すのを舅と太郎冠者が追って行きます。もちろん、酒を飲んじゃったのを責めるわけじゃなく、呼び戻そうとして追いかけるわけで、そんなところは「二人袴」の終わり方に似てます。
 船頭と聟が十郎さんと大二郎さん親子で、舅と太郎冠者が長徳さんと徳一郎さん親子の共演。やっぱり十郎さんのトボケタ船頭いいなあ(笑)。

「惣八」
 ある家の主人が、僧侶と料理人を雇おうと高札を掲げます。そこに現れたのは元料理人の僧侶と、元僧侶の惣八と名乗る料理人です。二人とも雇われますが、主人は僧には法華経の読経を、惣八には鯛と鯉を料理するよう言いつけます。俄か坊主の僧侶と精進料理しか作ったことがない惣八は困惑しますが、主人がいなくなると、両人は役を取りかえて、今日を取り繕うことにします。料理人姿の惣八が経を読み、元料理人が僧の姿で料理していると、主人が戻ってきます。二人は本来の仕事に戻ろうとしますが、慌てて惣八は鯛を持って読経し、僧は包丁で経巻をたたくので、怒った主人に追い込まれます。

 惣八の富太郎さんに、善竹忠重さん、忠亮さんの親子の共演。当時の料理法で魚を捌く様子を見せるのも見どころ。元僧侶の惣八が「うにゃらうにゃら」と経を唱えたり、主人が戻ってからの慌てぶりのドタバタがやっぱり愉快ww

「髭櫓」
 見事な大髭を持つ男は、大嘗会において犀の鉾を持つ役に選ばれ、妻にその喜びを伝えます。ところが妻は衣装その他は全て自前で持ち出しと聞いて収まりません。むさ苦しい髭があるからとんだ物入りになると腹を立て、髭を剃り落としてしまえと食ってかかります。男は怒り、妻を叩き追い出してしまいます。すると妻は近所の女房たちと共に長刀、熊手などの長道具を押しかけてきます。男は髭に櫓をかけて防戦しますが、大きな毛抜きで髭を抜かれてしまいます。

 今回は令和元年にちなみ、改元の年に宮中で執り行われる大嘗祭を扱った狂言ということで「髭櫓」を選んだそうです。
 立派な髭をはやした男が大嘗会で犀の鉾を持つ役に選ばれるということで、とても名誉なことなのですが、そのための衣装などを新しく揃えなければならないとなると、妻は日々の生活もままならないのにとんでもないと怒り出し、そんな大髭があるからいけない、剃ってしまえと言いだします。かっこをつけて名誉が大事の夫と現実的な生活が大事な妻とのギャップが夫婦喧嘩の元となり、妻を叩き出しちゃう夫ですが、だまって引き下がらない妻の反撃が凄い(笑)。
 十郎さんと吉次郎さんの老年カップルですが、長道具を持って近所の女房たちを集めて立ち向かう妻に夫は髭の周りに櫓を立てて刀で応戦します。櫓にはちゃんと旗が立っていて、いざ対戦の時には櫓の門を開くのが笑っちゃいます。
 そして最後には、あの特大毛抜きの登場(笑)。女たちに押さえつけられて髭を抜かれちゃう夫に特大毛抜きに大髭を高く掲げて意気揚々と引き揚げていく女たち。髭を抜かれて一人残されて夫がちょっと可哀相だけど、わわしい女は逞しいww
2019年7月7日(日) 第五回大藏流五家狂言会
会場:国立能楽堂 15:00開演

「業平餅(なりひらもち)」
 在原業平:善竹大二郎
   従侍:大藏教義
   稚児:大藏ゆき
   白丁:茂山千之丞
   白丁:大藏基誠
   白丁・傘持:善竹隆司
   茶屋の亭主:茂山逸平
   茶屋の娘:善竹忠亮
        後見:大藏彌太郎

「止動方角(しどうほうがく)」
 主人:善竹富太郎、太郎冠者:茂山千五郎、伯父:山本則孝、馬:茂山茂
        後見:島田洋海

「唐相撲(とうずもう)」
 帝王:大藏彌太郎
 日本人:山本泰太郎
 通辞:茂山忠三郎
 唐子:大藏章照、大藏康誠、大藏ゆき、大藏さき、茂山良倫
 唐人:茂山千五郎、山本則孝、善竹隆司、茂山宗彦、茂山茂、大藏基誠
     茂山逸平、善竹富太郎、善竹忠亮、大藏教義、善竹大二郎
     茂山千之丞、山本凛太郎、石倉昭二、植田圭輔、江口史明、小川一幸
     小梶直人、片桐伸直、川野誠一、肥沼潤一、鈴木実、高木謙成
     寺本雅一、冨田昌美、中村隆志、野島伸仁、肘岡拓朗、宮田蒼一
     宮本昇、吉田信海
 大鼓:亀井広忠、小鼓:田邊恭資、太鼓:大川典良、笛:杉信太朗
         後見:山口耕道、島田洋海、井口竜也、山本善之

 大藏流五家狂言会ということで、五家共演という珍しい狂言会ですが、5回目だそうで、私は今回初めて観ました。「唐相撲」や「業平餅」など人数の多い演目で、五家の中堅から若手がほとんど出演する豪華共演。会場の国立能楽堂も満席でとても楽しい会でした。
 入る時、もぎりの奥でプログラムを渡したり、お出迎えか、千五郎さんや彌太郎さん、富太郎さんなどが並んでいたのでビックリ。普段はあまりないことです。

「業平餅」
 在原業平一行が住吉の玉津島明神に参詣の途中、茶屋で休息をします。亭主に業平と名乗り、食べ物を望むと餅が三方にのせて出され、代金を請求されますが、お金を持っていな業平は、代わりに和歌を詠もうと言いますが、亭主はあくまでも金銭を要求するので、業平は餅尽くしの謡を謡い、ため息をつきます。亭主は、餅を振る舞う代わりに、自分の娘を京女臈(京の貴婦人)に仕立てて欲しいと頼みます。承知した業平は、亭主が娘を連れに行っている間にガツガツと餅を食べます。亭主が娘を連れてきて業平にまかせて立ち去ると、業平は娘の被きを取り、あまりの醜女なのでビックリして、傘持ちに押し付けようとしますが、傘持ちも娘の顔を見て逃げてしまいます。残された業平も慕い寄る娘を倒して逃げて行きます。

 プログラムでは、傘持ちは、善竹隆平さんで、隆司さんは後見になっていましたが、隆平さんは欠席、急病でしょうか?「唐相撲」の唐人にも名前が載っていましたが、出ていませんでした。
 先日観た和泉流とは、色々と違います。代金のことを「おあし」「りょうそく」と言うくだりはないので、業平が足を出したりするところはないです。三方にのせられたお餅も和泉流では、何も乗っていないのをあるように食べる型をするのですが、大藏流では白い大き丸い物が乗っていて、綿なのか、スポンジみたいな物なのか、食べる型をしながら手の中で握って段々小さくし、袖の中に隠して食べ終わり(笑)。餅尽くしの謡を謡って、ため息をつく様子や餅を慌てて食べる様子など、和泉流のように喉に詰まらせることはないけれど、食べっぷりが見事で、やっぱり可笑しい(笑)。
 和泉流だと娘を連れに行ってる間に盗み食いだけど、大藏流だと、「お餅を振舞う代わりに娘を京都に連れて行って行儀作法を仕込んでください。」という話になるので、承知してくれれば、餅を食べてもいいよってことで話がつきます。
 娘の顔を見てビックリするところ、万作家は、フリーズするけれど、これも驚き方が家によって違うからまた面白い。
 大蔵流でも、主な役もそれぞれ違う家の人たちがやって、いつもはおっとりした雰囲気の大二郎さんが業平に、ちょっとトボケタ感じの逸平さんの茶屋の亭主、真面目な雰囲気の善竹隆司さんが傘持ちでお茶目な感じだったり、忠亮さんがホラーな娘役だったりと、いつもと違う役柄だったりするのも五家共演ならではで、やっぱり面白かった。

「止動方角」
 主人は茶比べのため、茶の他太刀や馬まで伯父から借りてくるよう太郎冠者に命じます。伯父は快く貸してくれ、この馬は後ろで咳をすると暴れ出すから「寂蓮童子六万菩薩(じゃくれんどうじろくまんぼさつ)しずまり給え止動方角」と唱えて鎮めるよう教えます。太郎冠者が帰路に着くと主人が迎えに出ており、遅いと叱るので、太郎冠者は咳をして主人を落馬させます。再び騎乗した主人が太郎冠者を叱り続けるので、また落馬させます。そこで今度は太郎冠者が馬に乗り、人を使うようになった時の稽古だと言って、自分がやられたとおりに主人を叱ります。怒った主人が太郎冠者を突き落として馬に乗ると、太郎冠者は咳をして落馬させますが、逃げた馬と間違えて主人を乗り鎮めてしまいます。

 主人が富太郎さんで、太郎冠者が千五郎さん。大柄なお二人ですが、やっぱり富太郎さんの方が大きかった(笑)。二人のやり合いは重量級のぶつかり合いだから迫力もの、乗られる馬が茂さんじゃちょっと可哀相かも(笑)。

「唐相撲」
 中国に滞在中の日本の相撲取りが、皇帝に帰国を願い出ると、皇帝は名残にもう一度相撲が見たいと所望します。通辞乗られる行司で、唐人たちが次々に日本の相撲取りにかかってきますが、全員なぎ倒されてしまいます。最後は皇帝みずから相手をすることになり、唐人たちの歌と「楽」の囃子にあわせて身ごしらえをします。いざ取り組もうとして、玉体(ぎょくたい)に直接触れさせるのは汚らわしいと、また「楽」を舞いながら荒菰(あらこも)を体にまきつけて取り組みます。相撲取りが皇帝を打ち負かすと、唐人たちは相撲取りを追い込み、皇帝を抱き上げ手車に乗せ、傘をさしかけて退場します。

 今回メインの「唐相撲」、出て来るわ出て来るわ、本舞台から橋掛かりの端までずらりと並ぶ唐人。子供たちも五人も出て、可愛いこと(^^)。
 はじめは普通に相撲を取って、段々アクロバティックに華やかになっていくのが楽しくて見どころ。側転、欄干越え、車輪、百足、組体操のピラミッド(てっぺんに子供をちょこんと乗せたのが可愛かった)等々。嫌がって逃げる役は千之丞(童司)さん、目付柱の上まで登っちゃったのにはビックリ(笑)。
 相撲取りと話す時以外はインチキ中国語で話すのが可笑しくて笑っちゃいます。
 富太郎さん、大二郎さん、千五郎さんの三人を通辞の忠三郎さんが「ビッグスリー」と呼んだり、皇帝の彌太郎さんの前に呼び出された基誠さんが「おにいちゃん」と言ったりしてたのにも笑った。
 全員、唐音で大合唱するのはピッタリ合っていて、聴き応えあり、壮観でした。

 大藏流五家の代表がこれだけ集まっての狂言会なんてなかなか見られません。帰りは唐人の装束のまま、ロビーでお見送りに並んでくださいました。楽しい会で、是非また観に行きたいです。
2019年7月6日(土) セルリアンタワー能楽堂定期能七月 喜多流
会場:東急セルリアンタワー能楽堂 16:00開演

おはなし:大谷節子

『景清(かげきよ)』
 シテ(景清):友枝昭世
 ツレ(人丸):佐々木多門
 ワキ(里人):宝生欣也
 ワキツレ(人丸の従者):大日方寛
    大鼓:國川純、小鼓:森澤勇司、笛:松田弘之
       後見:中村邦生、友枝雄人
          地謡:佐藤陽、大島輝久、内田成信、友枝真也
              金子敬一郎、長島茂、香川靖嗣、狩野了一

 今回のお話は、いつもの馬場あき子さんではなく、成城大学教授の大谷節子さんでした。

『景清』
 平家の勇将悪七兵衛景清は、源平の戦乱後に日向国宮崎に流され、源氏の栄える世を見る事を厭い、盲目の琵琶法師となって乞食同然の生活を送っています。噂を聞いた娘の人丸が遠く鎌倉からやって来て、父とも知らず藁屋の盲目の乞食に景清の行方を尋ねます。景清はわざと他人のように対応し、我が子の行く末を思い親子の名乗りをせず、他を探すようにと促します。しかし、里人から真実を聞いた人丸が再び訪れると、かたくなな心を和らげて対面し、しみじみと言葉を交わします。景清は娘の頼みに応じて、屋島の合戦で敵方の三保谷四郎と力比べの錣引をした武勇談をして聞かせ、やがて自身に亡き跡の回向を頼んで涙ながらに別れを告げるのでした。

 大谷さんの話では『景清』の演能記録で最も古いのは1466年で足利義政の時代だそうです。最近の研究では平家物語はまず読み本が作られ、その後内容を取捨選択して語り物ができたと考えられているそうですが、読み本には盲目の記述は無く、壇ノ浦を生き延びた後、何回か謀反を企てるが結局つかまり、最後は法師となって、東大寺の大仏供養の7日前から断食して死んだということです。

 紺の引き回しのかかった藁屋が大小前に置かれます。
 人丸と従者がやってきて、鎌倉から宮崎まで父親に会いに来たという。この辺りで尋ねようと従者が言うと、藁屋の中から声(謡い)が聞こえてきて、人丸が気付きます。
 藁屋の引き回しが降ろされ、葛桶に腰かけた景清が姿を現します。金の角帽子に髭のある盲目の老人の面で、「景清」では専用の面を使うそうです。装束は紺の水衣に白大口。
 従者に問われて、娘が訪ねて来たことを知った景清は、名乗りもせず、「他で尋ねよ」と言いますが、突然現れた我が子に動揺しています。
 景清の述懐に「1年間いた尾張の国熱田の遊女との間に一人の子を持つが、鎌倉亀が江が谷の長に預け置いた」という話が出てきて、それで、ずっと会うことも無く、娘も父親だと気が付かなかったのだという事が分かります。
 里人はアイがやることが多いですが、この能ではワキ方が里人として出てきます。人丸と従者に尋ねられて景清が先ほどの盲目の乞食だと教えると、親子を対面させるために一緒に藁屋へ向かいます。

 里人に「景清」と昔の名で呼ばれて腹を立てる景清。過去のことを封印して乞食となった身を昔の名で呼ぶとは・・・と、腹を立てた景清ですが、すぐ普段世話になっている里人に些細なことで腹を立てたことを悔いて両手をついて謝ります。
 里人の取り次ぎで娘との対面を果たす景清ですが、娘は最初に対面を避けたことを嘆き、景清は美しく育ったであろう娘に対し、現在の自分の姿を恥じてのことだったと語ります。
 里人に促されて、娘に屋島の錣引きの仕方語りをする景清、語り終わったら故郷へ帰るようにと言って語り出します。
 語り終えると、別れがたい娘の背中を押し、自分の亡き跡を弔って欲しいと頼み、親子のひと時の出会いと悲しい別れになります。

 勇壮さで知られた景清が盲目の乞食となり、過去を封印して隠れ住む藁屋に思いもかけず訪ねて来た娘を前にした心の動揺。頼みに応じて過去の武勇伝を仕方語りで見せるものの、老いて盲目の身、幽霊が昔のままの姿で勇壮な舞を舞うのとは違い、どこかぎこちない。娘との別れを惜しみながらも背中を押し、ずっと見送る姿。一つ一つに心情がにじみ出て心に残ります。