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能楽鑑賞日記

2019年10月27日(日) 萬狂言 秋公演
会場:国立能楽堂 14:30開演

解説:野村万蔵

「栗焼(くりやき)」
 太郎冠者:野村萬、野村万禄

新作狂言「二人黄門(ふたりこうもん)」作:磯田道史、台本・演出:野村万蔵
 百姓:野村万蔵、黄門:野村万禄、佐々助三郎:河野佑紀

「宗論(しゅうろん)」
 浄土僧:小笠原匡、法華僧:野村万之丞、宿屋:山下浩一郎

 最初に万蔵さんの解説。演目はいつも最後の方から逆の順番で、分かりやすい解説でした。
 11月9日の天皇陛下即位の民間の祝典に嵐が出る前に万蔵さんも出るとのこと。万蔵さんが奏上文を読んでから両陛下がお出ましになるので、テレビはそこから映されるらしいので、テレビには映らないと思いますと仰ってました。先代の万之丞(8世万蔵)さんと天皇陛下が学習院で同級生、万蔵さんと秋篠宮殿下が同級生だそうです。

「栗焼(くりやき)」
 丹波に住む伯父から栗を贈られた主人は、栗の数が五十なり百でもよさそうなのに、四十個であることに不審に思います。その意味を太郎冠者に推測させようと呼ぶと、太郎冠者は伯父と主人の二人が始終(しじゅう)末代まで仲良くということだろうと、言うので主人は喜び、一族に栗を振舞うため太郎冠者に栗を焼くよう命じます。台所の炭火で栗を焼き上げた太郎冠者でしたが、あまりに美味しそうなので、つい手が出てしまい、とうとう全部食べてしまいます。主人に聞かれて困った太郎冠者は、36人の竈(かまど)の神親子に栗を進上してしまったと言い訳し、残った4つを出せと詰め寄られると、一つは虫食い、あとの3つは栗を焼く時の言葉に「逃げ栗、追い栗、灰紛れ」と言う通りで、どこかへ行ってしまったとごまかすので、主人に叱られてしまいます。

 萬さんの太郎冠者が栗を焼くところから、全部食べてしまうまでの細かい仕草と話術の一人芝居が見どころで、お見事。本当に焼ける栗が見えるよう、香ばしく甘い香りも漂ってきそうでした。

新作狂言「二人黄門」
 水戸黄門様は諸国行脚などせず、ほとんど江戸にいたという史実から始まり、城にこもってばかりで、気晴らしに外に出たいと、身分を隠して自分の領地を歩き、自らの評判を聞きます。酔っぱらった百姓がやって来て、寺社仏閣を整理した名君と言われて気分が良くなった黄門様ですが、そこへやってきた山伏が、寺社を壊す狼藉者と悪口を言います。無礼者としてとらえられ、役所に突き出すと言われると、山伏は自分が黄門だと言いだします。二人とも黄門だと名乗ると、それなら吟味しなければならないと黄門様も縛られてしまいます。
 百姓は謎かけをしますが、二人とも同時に答えるのでラチがあかず、今度は、お侍は我慢強いはずと言ってくすぐります。かわるがわるくすぐりますが、同じに笑うので、どちらも役所に突き出すと言いだします。
 そこへ助さんがやってきて、黄門様を見つけ、百姓にくすぐられていると言われて、黄門様にそのような趣味があるのかと聞きます(笑)。
 本物の黄門様だとわかった百姓と山伏は驚いて逃げ出し、助さんが後を追うと、黄門様が縄を解いてくれと言って追いかけます。

 織田信長の新作同様、歴史学者の磯田道史さんの作で、ところどころに史実エピソードが散りばめられています。
 狂言によくある仲裁人が入るパターンに似ていますが、テンポも良くとても楽しい作品になっていました。

「宗論」
 身延山に参詣した本国寺の法華僧と、善光寺に参詣した東山黒谷の浄土僧が、帰り道に同道することになります。良い連れができたとお互いに喜びますが、それぞれの宗旨を聞くと犬猿の仲だと気付きます。法華僧は口実をつくって別れようとしますが、浄土僧は、なぶってやろうとしつこく付きまといます。終始伝来と自称する数珠をいただかせあって争い始めますが、法華僧が宿屋へ入ると、浄土僧も追って入り、そこで宗論をして負けた方が相手の宗旨に変えることとして宗論をはじめます。法華僧は「五十展転随喜の功徳」の随喜(ずいき)を芋茎(ずいき)として説くと、浄土僧は「一念弥陀仏即滅無量罪」の無量罪を無量の菜と説き、互いに珍解釈で、けなしあいますが勝負がつかず、二人とも寝てしまいます。翌朝、浄土僧が経を読み始めると、法華僧も負けじと勤行を始めます。互いにだんだん声が大きくなり、やがて踊り念仏、踊り題目の張り合いになりますが、そのうち念仏と題目を取り違えてしまい、釈迦の教えに隔てはないと悟って、和解します。

 法華僧は一本気で強情な直情型、浄土僧は陰性で理屈っぽい分別型として描かれていますが、万蔵さんが解説で、この演目は、対比を際立たせるために、アド(法華僧)がしっかりやらないとダメと仰ってました。
 万之丞さん、一本気で強直な感じがよく出てて、小笠原さんは、ちょっとのらりくらりの意地悪そうな感じで、対比が際立っていて良かったと思います。
 それにしても、どちらも宗論でトンチンカンな食べ物の話になっちゃったり、競い合って念仏と題目を取り違えたりする滑稽さには笑っちゃいますが、本来の目的を忘れた愚かさを冷めた目で見る狂言らしい風刺が効いてます。
2019年10月26日(土) ござる乃座60th
会場:国立能楽堂 18:00開演

「鍋八撥(なべやつばち)」
 鍋売り:野村万作、羯鼓売り:野村裕基、目代:石田幸雄   後見:月崎晴夫

「樋の酒(ひのさけ)」
 太郎冠者:野村萬斎、主:内藤連、次郎冠者:中村修一    後見:岡聡史

素囃子「高砂(たかさご)」八段之舞
 大鼓:亀井洋佑、小鼓:田邊恭資、太鼓:林雄一郎、笛:一噌幸弘

「髭櫓(ひげやぐら)」カケリ入
 夫:野村萬斎
 妻:野村太一郎
 立衆:月崎晴夫、高野和憲、竹山悠樹、石田幸雄、石田淡朗、飯田豪
 注進の者:野村僚太
   地謡:岡聡史、内藤連、野村万作、中村修一、野村裕基
      後見:石田幸雄、深田博治

「鍋八撥」
 所の目代が、市を立てるのに、一番目に店についたものを市の代表者にし、免税にすると高札を掲げました。これを見て夜も明けぬうちに一番乗りした羯鼓売りは、一眠りすることにします。次に現れた鍋売りは、これを見て口惜しがり、自分が先に着いたかのように割り込んで眠ります。やがて目覚めた二人が先着を争っていると、目代がやってきて、仲裁に入ります。双方とも自分が先に着いたと言い、古詩や古歌まで引いて、互いの商売ものの箔付けをして、自分の方が一の店に相応しいと主張しますが、いい分だけではラチがあかないので、目代は技を競わせることにします。まず羯鼓売りが棒をふってみせたので、鍋売りも鍋をふりますが、落としそうになり、羯鼓売りが羯鼓を打ちながら舞うと、鍋売りも鍋を腹に括りつけて舞います。ところが、貸してもらった撥で鍋を割りそうになったので、杉の葉に持ち替えて二人で相舞にします。羯鼓売りが水車のように回転しながら幕入りするのを、鍋売りが真似しようとしますが上手く行かず、倒れて腹ばいになり鍋が割れてしまいます。しかし、割れた鍋を見た鍋売りは数が多くなって目出度いと言って去って行きます。

 最後に裕基くんが連続側転で退場する場面、手足が長くてとても綺麗な側転でした。石田さんの目代は、なんかトボケタ感じで可愛い。万作さんの鍋売りは羯鼓の代わりに鍋で真似するからぎこちないのだけれど、実際の身のこなしは軽やかで美しいし、真似する万作さんの仕草や表情が可愛らしい。
 最後に鍋が割れて、「数が増えて目出度い」と言うのは、負け惜しみのようにも聞こえ、観てる方は「あ〜ぁ」と言う感じになるけれど、次の台詞で笑ってしまいます。しかし、元々鍋を割るのは、民俗信仰にもつながるおめでたい行為なのだそうで、祝言性の高い曲とのこと、鍋が割れなかった場合は丈夫な鍋だから家で大事にしよう、という趣旨の台詞になるそうです。でも、今までに割れなかった場面は観ていません。

「樋の酒」
 主人は、太郎冠者に米蔵を、次郎冠者に酒蔵の番をするよう言いおいて、出かけます。すると、次郎冠者が酒壺を開けて飲み始めるので、太郎冠者は羨ましくてなりません。そこで、次郎冠者は太郎冠者にも飲ませたいと、蔵のそばにあった樋を酒蔵の窓から米蔵の窓へ差し渡して酒を注ぎ、太郎冠者に飲ませます。しかし酔いがまわるにつれ、太郎冠者も酒蔵に入って謡い舞いの酒盛りになります。そこに戻った主人は二人を叱り、追いかけます。

 酒を飲むためならあの手この手の太郎冠者と次郎冠者。お互いの蔵の窓から樋を渡して酒を飲もうと考えつく発想がすごいけれど、最初は米蔵の番をしなければと思ってた太郎冠者もお酒を飲み出したら、そんなことどうでもよくなっちゃって、自分も酒蔵に入って二人で酒盛り。萬斎太郎冠者と中村次郎冠者の楽しそうな酒宴が盛り上がったところで主人が帰ってくるといういつものパターンながら、しょうもない呑兵衛の性にいつも笑っちゃう。いつも美味しそうにお酒を飲む萬斎さんと若手二人の取り合わせもまた新鮮。

「髭櫓」
 下京に住む大髭の男が、その髭ゆえに大嘗会の行列に鉾を持つ役を仰せつかり、得意満面です。妻を呼び出し、衣装を用意するよう言いますが、妻は日々の暮らし向きさえ苦しいのに、自前で衣装の調達などできない、だいたいそんな髭は剃ってしまえと言いつのります。それを聞いた男は腹を立て、妻を打ち据えて、追い出してしまいます。妻は捨てぜりふを残して去りますが、やがて注進が来て、妻が近所の女房たちを加勢に頼み、髭を抜きにやってくると言うので、男は髭に櫓をつけて防御し、太刀を持って待ち受けます。そこに大毛抜きを持った妻を先頭に、長道具(長刀、槍、熊手など)を持った女房たちが押し寄せてきます。防戦する男ですが、ついに大毛抜きで髭を抜かれてしまいます。

 今年は天皇陛下御即位の時に一度だけ行う大嘗祭が行われることもあり、それにちなんだ曲。今回の「ござる乃座」は、天皇陛下御即位のお祝いを込めた選曲のようです。
 後半はカケリ入で謡いに囃子と地謡を伴い、能がかりの演出ですが、女房たちとの戦いぶりが面白いです。髭の周りを小さな櫓で囲って、櫓にはちゃんと旗が立っているし、いざ出陣で、櫓の門を開けるところもいつも笑っちゃいます。小さな櫓に対して特大の毛抜きの対象も狂言ならでは。月崎さんの持った熊手が欄干に引っかかったのを見て、萬斎さんが髭でくすぐったり(笑)、最初は一人一人かかってくるのを余裕でやっつけてる萬斎夫ですが、最後には全員に取り押さえられてあえなく太一郎妻の大毛抜きで髭を抜かれちゃう。意気揚々と抜いた髭を掲げて去って行く女房たちに、髭を抜かれてぼーぜんの萬斎夫、「くっさめ」とくしゃみをしてトボトボと去って行く姿が何とも情けない。
2019年10月20日(日) 忠三郎狂言会
会場:国立能楽堂 14:00開演

「無布施経(ふせないきょう)」
 出家:大藏彌太郎、檀家:茂山忠三郎    後見:石角隆行

「靭猿(うつぼざる)」替装束
 大名:茂山忠三郎
 太郎冠者:岡村宏懇
 猿曳:大藏吉次郎
 猿:茂山良倫
    後見:山口耕道、肥沼潤一
    助吟:大藏教義、石倉昭二、安藤愼平、吉田信海

「無布施経」
 出家が檀家のもとでいつもの月参りをし、勤めが終わって帰る段になりますが、いつものお布施が貰えません。出家は仏に仕える身、はじめはたまたま忙しくて忘れたのだろうと考え一旦は諦めて帰ろうとします。しかし、これが常習化してはたまらないと思い直して引き返し、説法に見せかけて「ふせ」と繰り返すことで暗に督促する出家ですが、施主は一向にお布施を思い出しません。やはり諦めて帰りかけますが「布施無い経には袈裟を落とす」という言葉もあると、袈裟を落としたふりをして懐に隠し、再び施主の家に引き返し、袈裟を落としたと告げて、その袈裟は「鼠が銭10疋も通る穴を開けたので伏せ(ふせ)縫いにしている」と言います。ここでようやく布施を忘れていたのを思い出した施主はいつものお布施を用意して渡そうとしますが、今度は僧がきまりが悪くて受け取れない。二人が布施をめぐってもみ合ううち僧の懐から袈裟がでてきて、僧は面目を失い施主に詫びます。

 流儀や家によって経の唱え方が違うのか、彌太郎さんは「うにゃらうにゃら」じゃなくて「にゃむにゃむにゃむ」。忠三郎施主にそれとなく布施を忘れていることを気付かせようとしますが、全然気づかずに別れを告げて奥に入ってしまうのを「あぁ〜あ」と言うところなどいかにも残念そう。諦めて帰ろうか、戻って催促しようか逡巡する僧。結局、これが例になっては困ると教化にことよせて「ふせ」を強調するところなど、説経の内容もはっきり聞き取れ、結構もっともらしいことを言っているんだと思ったりしました。布施を渡そうとする施主と、受け取れない僧がもみ合ううちに、施主が懐に布施を押し込もうとして懐の袈裟がでてきちゃう。「えっ」という感じの施主と気まずい僧と顔を見合わす場面が何とも言えない。

「靭猿」
 狩りへ行く道中の大名が、猿曳が連れた毛並みの良い猿に目を留め、靭(矢を入れて腰に着けるケース)の毛皮にしたいので、猿を貸すように命じます。大切な猿を殺させまいと断る猿曳ですが、大名に弓矢で脅され泣く泣く承諾します。猿は自分に向かって振り下ろされる杖を、そうとは知らずに取って船を漕ぐ芸を見せます。その無邪気でいじらしい猿の姿に、猿曳は自分が殺されたとしても猿を打つことはできないと泣き出します。それを見た大名もまた貰い泣きし、猿の命を助けます。猿曳は猿に芸を披露させ、喜んだ大名は褒美を与えて、自らも猿の真似をしてはしゃぎます。

 忠三郎さんの長男・良倫くん、5歳だそうです。大蔵流では「以呂波」が子供の初演なので、「靭猿」は和泉流よりちょっと後になります。
 やっぱり、小猿役は可愛い。春に万作家でやった三藤なつ葉ちゃんの小猿は結構度胸が据わってるのか、こういうのは女の子の方が、おしゃまでちゃんとできるんですよね。良倫くんは、でんぐり返しがまだできないようで、横に転がってましたが、完璧にできなくてもそんなことは関係ないなと思いました。それもまた子供らしくてとても可愛らしい。
 吉次郎さんの猿曳は年齢からいってもお祖父ちゃんみたいですが、忠三郎さんの大名も最初の緊張感から転じて後半は小猿と戯れる大らかさがあります。他の地域の公演では猿曳役もやるようですが、行けないので、また機会があったら忠三郎さんの猿曳役も観てみたいです。