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能楽鑑賞日記

2019年11月24日(日) 野村万作米寿記念狂言の会
会場:国立能楽堂 15:00開演

「入間川(いるまがわ)」
 大名:野村太一郎、太郎冠者:内藤連、入間の何某:深田博治 後見:野村僚太

語「奈須与市語(なすのよいちのかたり)」
 飯田豪     後見:石田幸雄

「木六駄(きろくだ)」
 太郎冠者:野村万作、主:野村僚太、茶屋:高野和憲、伯父:石田幸雄
                           後見:石田淡朗

「金津地蔵(かなづじぞう)」
 親:野村萬斎
 金津の者:竹山悠樹
 子:三藤なつ葉
 立衆:内藤連、飯田豪、石田淡朗、野村太一郎
    後見:野村万作、月崎晴夫

「入間川」
 京都に訴訟のため滞在していた遠国の大名が訴訟に勝ち、太郎冠者を連れて帰国することになります。途中大きな川に出たので、対岸の男に川の名と男の名前を問い、渡り瀬を聞くと、男は川の名は入間川、名は入間の何某と答え、渡り瀬は上の方だと教えます。大名は男の止めるのも聞かず、目の前の川を渡り始め、深みにはまってずぶぬれになってしまいます。そして、昔から入間様(いるまよう)と言って、逆言葉を使うはずだと怒り、成敗しようとします。すると男は「あら心安や」と入間様で喜ぶので、大名も面白がり、逆言葉のやりとりを楽しんで、扇や太刀などを与えますが、最後はうまく入間様を利用して、男から品物を取り返して逃げて行きます。

 大名と太郎冠者との道行場面、よく聞いていたら、大名が太郎冠者に「不奉公によって、手討ちにした者や駆け落ちした者もあったが、おまえは良く仕えたによって、馬に乗るまで取り立ててやろう」と、結構シビアな話をしている(笑)。大きな川に着いた時は、向こう岸の相手に尋ねるのに、自分の領地にいる時みたいに大柄な言い方をしたので、相手が怒り、大名も返事が悪いと怒りだすが、太郎冠者にたしなめられて、今度は言葉を直して丁寧に聞き直すと、相手も言葉を直して答えようとなる。
 太一郎さんもシテとして出るようになり、すっかり万作家の一員として即戦力で出演する機会が増えてきましたね。逆言葉の入間様を楽しむ様子など、一見大らかな感じの大名ですが、一旦渡した物を騙してしっかり取り返すところなど、ずるいというか、せこい(笑)。振り回された入間の何某が一番お気の毒。

語「奈須与市語」
 能『屋島』の替間(間狂言の特殊演出)として演じる「奈須与市語」の仕方語。飯田さんの披き(重要な曲の初演)です。
 とても落ち着いていて声も良く、迫力のある堂々とした仕方語りで、素晴らしかったです。

「木六駄」
 奥丹波に棲む男が、太郎冠者に都の伯父への歳暮の使いを命じます。木六駄と炭六駄を十二頭の牛に荷わせて行けと言います。雪の降る山道を一人で酒樽も担って牛を追って行く太郎冠者。ようやく峠の茶屋に行きつきますが、今日は酒をきらしていると言われ、落胆していると、茶屋は太郎冠者に持参の酒を飲めばよいと勧め、やがて二人で酒盛りになって酒樽を空にしてしまいます。気が大きくなった太郎冠者は、木六駄を茶屋にやってしまい、残りの炭六駄を乗せた牛を引いて伯父の元に行きます。伯父は主人からの送り状に記載のある木六駄が来ないことを太郎冠者に尋ねると、太郎冠者は、木六駄とは自分の名前のことだと言い訳します。しかし、酒樽を飲み干したこともバレて伯父に追われ逃げていきます。

 12頭の牛を追って酒樽を持って行けとはご無体な。米寿の人には無理だよと思ってしまう(笑)。けれど、太郎冠者は、主人に「綿入れや足袋を与えようと思ったが、それもいらぬか」と言われて引き受けちゃう。
 「ちょー、ちょーちょーちょー」と、牛を追う万作さん、息が荒いのがかえって雪の中で牛を追う大変さを感じさせます。いう事をきかぬ牛に手を焼きながらも、牛にも草履をはかせている人のやさしさなど、細かい動きや牛にかける言葉に当時の下人と牛の関係性も感じられます。12頭の牛が見えるような、と言いますが、本当に橋掛かりからワキ柱まで並ぶ牛たちが見えるようでした。
 伯父に木六駄はどこだと問われて、自分の名前だと誤魔化す苦しい言い訳も可笑しいけれど、お酒を飲んじゃったのは言い訳できず、「牛が飲めーと申した」「この私が飲もーと申して飲みました。」と言って逃げ出す様子はやっぱり可笑しくて、しょうもないなあと思いながらも憎めない。

「金津地蔵」
 越前の国金津の男が、在所でお堂を建立したので、地蔵菩薩を買いに都へ上ります。都に着いたものの仏師の家を知らないので、「仏買おう」と呼びながら歩いていると、仏師と名乗る男が近づいてきて、地蔵のできたのがあるので売ろうと言います。ところが仏師というのは嘘で、自分の子供に地蔵の扮装をさせ、後で迎えに行くと言い聞かせて、金津の男に渡します。
 金津のお堂にまつられた偽地蔵は、お供えには饅頭が食いたいと声を発し、皆は生き仏だと喜び、囃子物を謡うと地蔵は立ち上がって踊り出します。参詣人たちも浮かれて踊り出すうち、迎えに来た都の男が、ひそかに子供を連れだして逃げていきます。

 これはもう、なつ葉ちゃんの愛らしさに目がいっちゃいます。
 この都の男は、すっぱ(詐欺師)で、田舎者を騙してお金をまきあげようというとんでもない人ですが、子供は「孝行のため、いずれへも売られましょう」と、健気なことを言い、親も「後で、堂に忍び入って連れ帰るほどに、そう心えよ」と言いきかせ、後で村人が浮かれている隙に連れ出すので、お金に困っても子供を手放す気はないよう。
 なつ葉ちゃん、台詞のある役で、はっきりした大きな声。面をかけたらかすれた声になったのは、もっと大きな声を出そうとしたせいなのか、でも可愛くて、度胸がすわってるのには、本当に感心します。
2019年11月3日(日) 友枝会
会場:国立能楽堂 13:00開演

『翁(おきな)』
翁:友枝真也
千歳:野村拳之介
三番叟:野村万蔵
大鼓:大倉慶乃助、小鼓頭取:曽和正博、脇鼓:住駒充彦、森貴史、笛:一噌幸弘
   後見:中村邦生、友枝雄人
     地謡:佐藤陽、塩津圭介、粟谷浩之、佐藤寛泰
         粟谷充雄、長島茂、大村定、金子敬一郎
   狂言後見:能村晶人、河野佑紀

「酢薑(すはじかみ)」
 シテ(酢売り):野村萬、アド(薑売り):野村万之丞

『井筒(いづつ)』
 シテ(里女・紀有常の娘の霊):友枝昭世
 ワキ(旅僧):宝生欣也
 アイ(所の者):野村万蔵
   大鼓:國川純、小鼓:成田達志、笛:一噌隆之
     後見:内田安信、塩津哲生
       地謡:大島輝久、内田成信、狩野了一、谷友矩
           粟谷明生、粟谷能夫、香川靖嗣、出雲康雅

『翁』
 『翁』は、祈りによる祝言という儀式的要素が強いので、厳粛な空気に包まれます。真也さんの翁は堂々として威厳のある感じでした。千歳の拳之介さんは溌溂として勢いがあり、万蔵さんの三番叟は、万作家とは雰囲気が違い、良い意味で土臭さを感じます。

「酢薑」
 都へ商売に行く途中の薑(現在では生姜をさしますが、昔は山椒のこと)売りと酢売りが出会います。薑売りは自分に礼をつくさなければ商売させないと言い、薑の由緒正しさを語ります。酢売りも負けじと由緒を語るので決着がつきません。そこで都までの道中、「カラ」と「ス」の音をおりこんだ秀句(洒落)を言い合って勝負をつけることとします。両者とも巧みに秀句を言うので、とうとう決着がつかず、酢と薑は縁のある食物だからと今後は仲良くすることにし、笑って別れます。

 商売もので競い合う演目はよくありますが、これは、洒落を言い合うというもの。最後は仲直りして別れるという何ということも無い話ですが、他愛のない言葉遊びがテンポの良い掛け合いとなるのが楽しい。以前に見た萬さんと万作さんの「酢薑」はとても完成度の高いものでしたが、萬さんの枯れた佇まいや語りはさすがです。若い万之丞さんは、硬さはあるけれど、軽妙な萬さんの語りを受けてしっかりと演じ切りました。

『井筒』
 諸国一見の僧が在原業平と紀有常の娘の夫婦の旧蹟を前に弔っていると、そこに里女が現れ、僧の問いに答えて、業平と紀有常の娘との昔話を物語ります。昔、業平はこの里に夫婦仲良く住んでいたが、やがて高安の愛人のもとに通うようになります。ところが、妻は業平を恨むどころか、夜道を通う夫の身を案じ「風吹けば沖つ白波龍田山夜半にや君一人ゆくらん」という歌を詠み、その心が業平に通じて、業平は高安へ通わなくなりました。女の回想はさらに過去へと遡り、隣同士の幼い男女が井筒のまわりで心を通わせるうち、いつしか成人し、男は恋文に「筒井筒 井筒にかけしまろが丈 生いにけらしな妹見ざるまに」の歌を添えて女に贈り、女も「比べ来し 振り分け髪も肩過ぎぬ 君ならずして誰か上ぐべき」と返歌して恋が実り夫婦となりました。そう語った女は、紀有常の娘の亡霊だとほのめかして姿を消します。僧の夢に女の霊は業平の形見の初冠と直衣を身に着けて現れ、思いを込めて舞を舞います。思わず覗き込んだ井筒の水鏡に映った姿は、業平の面影そのまま。懐かしさに我を忘れながらも追慕するうち、いつのまにか夜明けとともに亡霊の姿は消えてしまいます。

 久しぶりに観る友枝さんの「井筒」、今日はこれが観たかった。
 正先にススキのついた井筒(井戸)の台が置かれ、後場で井戸を覗き込み業平の面影を見つける瞬間がクライマックス。能面が本当に顔のように見え、喜びも哀しみも懐かしさも雄弁に語っていて、胸が締め付けられる思いになります。そしてとても美しい。友枝さんの透明感のある舞台はいつまでも余韻を残して終わりました。