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能楽鑑賞日記

2019年12月13日(金) 新宿狂言vol.19 憑かれし者たち令和元年!
会場:スペース・ゼロ 19:00開演

解説:野村萬斎

「梟山伏(ふくろやまぶし)」
 山伏:野村太一郎、兄:石田淡朗、弟:飯田豪    後見:月崎晴夫

素囃子「獅子(しし)」
 笛:小野寺竜一、小鼓:飯冨孔明、大鼓:原岡一之、太鼓:梶谷英樹

「博奕十王(ばくちじゅうおう)」
 博奕打:野村萬斎
 閻魔大王:深田博治
 前鬼:中村修一
 後鬼:内藤連
 鬼:野村裕基、岡聡史
 鉄杖鬼:高野和憲
     後見:宇貫貴雄、破石澄元

 20年前にこの会場で、いろいろな試みをさせていただいたことがベースになっていなければ、オリパラの総合統括は務まらなかった、と仰っていて、当時、ここを皮切りに「世紀末狂言会」ということで、大阪サンケイホールなど1000人くらいのキャパのホールを一杯にしようと思ったことなど話して、今回はその20年前の映像を使って再現するとのことでした。
 「梟山伏」では、梟が憑りつくことを、もののけが憑く、エクソシスト、感染力の強いウイルスなどと表現していました。

「梟山伏」
 山から戻って以来、様子がおかしい弟を心配した兄は、山伏に祈祷を頼みに行きます。山伏が弟の様子を見て祈りはじめると、弟はうつろな目つきで鳴き声をあげます。聞けば弟は山で梟の巣にイタズラをしたことが分かり、梟が憑りついたものであろうと、山伏は懸命に祈りますが、症状はますますひどくなるばかり。今度は兄にも梟がとりついて鳴き出し、ついには山伏にも憑りついてしまいます。

 太一郎さんの山伏は堂に入ってます。梟に憑りつかれた弟役の飯田さんのちょっと不気味さとおかしさ、兄の淡朗さんにも伝染して、兄と弟が交互に「ほー、ほー」鳴くのに振り回される太一郎山伏にもとうとう伝染してしまいます。ホントに伝染力が強い。海外や学校などの公演だと、帰りに皆「ほー、ほー、」言っているというのも頷けます(笑)。

「博奕十王」
 閻魔大王が獄卒を引き連れて六道の辻まで出張してきます。近頃、極楽往生を約束する宗教の流行で、地獄は閑散とした有様でした。業を煮やした閻魔大王自らが亡者を地獄へ責め落とそうという訳です。そこへやってきたのが博奕打ち。閻魔の前に引き出され、浄玻璃の鏡に映すと、生前の悪行が現れます。さっそく地獄へ責め落とそうとすると、あの世まで賽を持参するほどの筋金入りの博奕打ちは、言葉巧みに博奕のおもしろさを説き、賽を振って見せます。初めて目にする博奕に、地獄の閻魔大王と鬼たちもついつい引き込まれ、賽の目をあてようとしますが、一の目ばかりに張り続けてことごとく負け、ついには身ぐるみ剥がれ、極楽に案内することまで賭けて負け、博奕打ちを極楽へと連れて行くはめになります。

 映像で映し出される生前の博奕打ちは、フリルのブラウスの派手派手スタイル。20年前だから、さすがに若いですね〜(笑)。でも、今の萬斎さんが舞台に出ててもあまり違和感がない。
 袋の中のサイコロを見せる時は1の目が出ているのですが、これが引っかけ。実際に振る時は1の目はないので、絶対に1の目は出ません。それでも夢中になってる閻魔大王は、もう1の目が出るころだろうと、賭け続けて大負け。ハッキリ言ってイカサマですね。
 狂言に出て来る閻魔様はいつも亡者に負けてばかりでお気の毒。そこが哀愁があって、可愛い。深田閻魔も可愛らしくてチャーミングに見えてきました。「今度は5」などと、しゃしゃり出てくる高野鬼の言葉はすぐ却下されちゃいます(笑)。

 上演前に、全部の賽の目を予想して投票し、当たりが多かった人に当選商品が出るというのもあり。当たらなかったけど、楽しかったです。
2019年12月11日(水) 萬斎 イン セルリアンタワー 19
会場:セルリアンタワー能楽堂 19:00開演

解説:野村萬斎

「茶壺(ちゃつぼ)」
 すっぱ:石田幸雄、中国の者:石田淡朗、目代:深田博治  後見:岡聡史

「川上(かわかみ)」
 盲目の夫:野村萬斎、妻:野村太一郎    後見:月崎晴夫

 恒例の一年を振り返っての話では、最初は「七つの会議」のプロモーションで、取材が多くて何が何だか分からなくなる。人間が腐っていくような感じと仰っていました。番宣で出たメンタリストDaiGoとの対決での裏話なんかもありました。
 芸歴50周年の感想として、皆さんのおかげ、生きがいをかんじること。批評性を持ちながら生きていることを実感できる舞台があることが幸せ、と仰っていました。
 今年は「三番叟」を11回もやったとのこと。G20で大阪でもやったし、大阪城公園の一角でやったとのこと。また、三響会で海老蔵さんと三番叟をやり、皇位継承晩餐会でも狂言、歌舞伎、文楽で「三番叟」の共演をしたこと。面をかけると視野が狭くなって、内に向くので、神懸ってくると・・・。白塗りや人形は目を引くけれど、白塗りしても人間、人形も擬く(もどく)文化と仰ってました。確かに「三響会」で観た時も、狂言の「三番叟」は神懸ってくる感じがあるけれど、歌舞伎は人が踊る踊りの要素が強いなと感じました。
 日本では昔の文化が生きていること、狂言の「この辺りの者」の中に多種多様な人々が助け合い、自然と共に共生していく精神。多様性やグローバリズムに通じるものがあるとのこと。
 最後は質問に答えて、来年の予定については、やっぱり東京2020オリンピック・パラリンピック。でも、再来年は、また何かやるような含みをもたせた言い方でした。

「茶壺」
 栂尾(とがのお)で茶を買い求めた男が、知人の家で酒を振る舞われ、すっかり酔っ払って茶壺を背負ったまま街道で寝込んでしまいます。そこへ通りかかったすっぱ(詐欺師)が茶壺を盗もうとしますが、右の肩紐に手を通しているので盗めない。そこで一計を案じ、左の肩紐に手を通して、さも自分が茶壺を背負っていたかのように背中合わせに横たわります。目が覚めた男とすっぱが、それぞれに茶壺は自分の物だと言い争うところへ、目代(代官)が通りかかり、二人の言い分を聞きますが、すっぱも男の話を盗み聞きしては同じ説明をするので、判断がつきません。困った目代は、茶を詰めた記録を二人同時に舞い語らせますが、それでも判断がつきません。すると目代は「昔より奪い合う物は中から取るという」と茶壺を持ち去ってしまい、驚いた二人は目代を追いかけます。

 中国の者(中国地方の者)を擬く、すっぱは擬いて見せている。「・・・もどき」とはここからきているんですね。石田親子の共演で、最後に二人で舞う場面はすっぱが男の後を微妙にずらして舞い、最後だけうまく合わせるところが面白い。親子で息が合ってました。

「川上」
 吉野の里に住む盲目の男が、霊験あらたかな川上の地蔵に参詣し、目が開くように願って、通夜(おこもり)をします。男は御霊夢を賜り、目が見えるようになったと喜んで帰り、迎えに出ていた妻と出会います。しかし地蔵のお告げには「連れ添う妻が悪縁ゆえ離別せよ」という条件があり、それを聞いた妻は腹を立てて、地蔵をののしり、絶対に別れないと言い張ります。夫もあきらめて、妻と連れ添う決心をすると、再び目が見えなくなってしまいます。二人は泣き悲しみますが、これも宿縁とあきらめ、手を取り合って帰っていきます。

 万作さんだと、最後は二人が手を取り合って行く姿にこれで良かったのだと、ほっこりしみじみするのですが、萬斎さんはそれを承知で、「さて、どうでしょうか」と、微妙な心情を現した終わり方にしたみたい。目がまた見えなくなって、いやいや妻に引っ張られていくような終わり方を万作さんが変えたそうですが、また萬斎さんは、その中間というか、観る人の心情でどちらともとれるような感じで、面白いなと思いました。
2019年12月11日(水) 東京能楽囃子科協議会定式能 12月昼能
会場:国立能楽堂 13:30開演

喜多流
『翁(おきな)』
 翁:友枝昭世
 千歳:山本凛太郎
 三番叟:山本東次郎
    大鼓:亀井広忠
    小鼓頭取:曽和正博
    脇鼓:住駒充彦、森貴史
    笛:松田弘之
     後見:中村邦生、佐々木多門
      地謡:金子敬一郎、狩野了一、友枝雄人、内田成信
         粟谷明生、粟谷能夫、香川靖嗣、長島茂
     狂言後見:山本則俊、山本泰太郎

<舞囃子>
観世流
「老松(おいまつ)」 藤波重彦
    大鼓:柿原弘和、小鼓:鳥山直也、太鼓:梶谷英樹、笛:栗林祐輔
      地謡:観世淳夫、佐久間二郎、永島充、観世喜正、鈴木啓吾
観世流
「田村(たむら)」 山崎正道
    大鼓:亀井実、小鼓:森澤勇司、笛:内潟慶三
      地謡:観世淳夫、佐久間二郎、永島充、観世喜正、鈴木啓吾
喜多流
「枕慈童(まくらじどう)」 出雲康雅
    大鼓:大倉三忠、小鼓:住駒匡彦、太鼓:林雄一郎、笛:成田寛人
      地謡:金子敬一郎、狩野了一、長島茂、粟谷能夫、粟谷明生

<狂言>
大蔵流
「昆布売(こぶうり)」
 大名:山本泰太郎、昆布売:山本則秀

<能>
観世流
『猩々(しょうじょう)』
 シテ(猩々):観世喜之
 ワキ(高風):安田登
  大鼓:安福光雄、小鼓:幸正昭、太鼓:小寺真佐人、笛:寺井久八郎
     後見:遠藤喜久、観世喜正
        地謡:安藤貴康、観世淳夫、佐久間二郎、永島充、
            鈴木啓吾、山崎正道、観世銕之丞、藤波重彦

『翁』
 何年振りかに観る友枝昭世さんの『翁』で、これは見逃せないと思いました。
 脇正の席だったので、横を向かないと最初に橋掛かりを面箱を掲げて凛太郎さんが出てきたのに気づかないくらい静寂に包まれていました。凛太郎さんは、横顔が一瞬、泰太郎さんかと思ったくらい、顔も声も似てきましたね。つゆ払いの千歳は、颯爽として凛とした舞。
 友枝さんの翁は、静謐で、まさに神になり代わった神々しさを感じます。
 山本東次郎さんの三番叟、まだ力強さがあります。和泉流と大蔵流では、掛け声や型も少し違うように見えます。掛け声は「いやー、はっ」と言う掛け声。

<舞囃子>
「老松」
 菅原道真左遷の地である筑紫国大宰府。彼の地の安楽寺を訪れた梅津の某が、かつて道真も愛したという老松の木陰で旅寝をしていると、夜更けと共に老松の髪が現れ、客人である梅津の某を慰めようと神楽・舞楽を奏し、松寿千年の齢を授けるとの神託を告げ、久しき御代を祝福します。

 神楽といっても、非常にゆっくりとした舞です。ゆっくりとした舞こそ能らしい、ぶれない体幹の強さが必要なんだなと思いました。

「田村」
 今を盛りと桜花咲き誇る清水寺に坂上田村丸の霊が姿を現します。田村丸は清水寺の千手観音の加護を受け、鈴鹿山の鬼神を残らず討ち取った時の様子を仕形を交えて再現して見せるとともに、勝利に導いた観音の有難い功力を賛嘆するのでした。
 戦の仕形舞など、動きがあって面白い舞でした。

「枕慈童」
 唐土れき県山に住む慈童は、周の穆王から賜った枕の上に書かれている二句の偈の功徳によって、不老不死の菊水を受け、七百歳の長寿を保っています。その長寿を祝して<楽>を舞い、これもわが君の徳のお陰と、七百歳の齢を大君に授けると告げて山中に姿を消します。

 祝いの舞で、足拍子や動きのあるテンポの良い曲です。最後の方に謡に合わせて酒をくむ型や枕をたてまつる仕形が入ります。

<狂言>
「昆布売」
 供も連れずに一人で上京することになった大名が、途中、太刀を持たせるのに相応しい男を海道筋で探していると、若狭小浜から都へ向かう昆布売りが通りかかります。大名はその昆布売りに太刀持ちを命じ、男もいやいや承知しますが、太刀持ちの作法を知らぬと散々に笑われたため、男はついに腹を立てて太刀を抜き、逆に大名を脅して、小刀も取り上げ、昆布を売ることを強要します。その売り声も、小歌節や、平家節、浄瑠璃節、踊り節などでやるように様々に注文をつけます。大名は、教えられたとおりに懸命にやりますが、昆布売りは、太刀も小刀も奪って逃げ去ります。

 立場の逆転で、当時の下剋上の世相が反映している曲。
 真面目に表情も変えずにやるのが山本家風だけれど、それでも大名をなぶって、昆布を売らせるところはやっぱり面白いです。

<能>
『猩々』
 中国、金山の麓、揚子江のほとりに住む高風(こうふう)という男が尋陽江のほとりで、猩々が現れるのを待っています。親孝行の高風は、ある時「揚州の市で酒を売れば、富貴になるだろう」という霊夢を授かり、その告げに従って揚州の市で酒を商ったところ、たちまちに富貴の身の上となりました。その市が立つたびに、高風の店を訪れて酒を買って飲むものがいますが、いくら飲んでも顔色が少しも変わらない不思議な客に名を尋ねたところ、海中に住む猩々だと正体を明かし、尋陽江のほとりで酒を持って待っていたならば、かならず現れようと約束したのでした。高風が待っていると、やがてそこに猩々が現れ、酒の友として盃を交わし、高風の心が素直であるのを褒めたたえ、汲めども尽きぬ酒の壺を与えます。と思うと、高風の夢は醒め、酒の泉だけがそのまま残されているのでした。

 猩々が酒を飲みつつ舞う舞は、「乱」という特殊な舞が舞われることが多いのですが、小書のつかない通常の演出では「中ノ舞」を舞うことになっているそうですが、現在では「中ノ舞」を舞う方がむしろ珍しくなっています。今回は小書なしの「中ノ舞」が舞われました。
 シテは85歳の高齢ということもありますが、声が小さいわけではないけれど、ところどころ途切れる感じで、言葉が聞き取れないところがありました。
 今まで観た猩々のような若々しさや勢いはあまり感じられず、「乱」の方が、水を蹴るような特殊な足遣いなど、舞の面白さがあるから、今は「乱」で舞う方が多いのだなと思いました。でも怪しさという面では、今回の方が上かもしれない。
2019年12月5日(木) 第88回野村狂言座
会場:宝生能楽堂 18:30:解説開始 18:45:開演

解説:石田幸雄

「二九十八(にくじゅうはち)」
 男:内藤連、女:月崎晴夫                 後見:石田淡朗

「萩大名(はぎだいみょう)」
 大名:野村万作、太郎冠者:野村裕基、亭主:野村太一郎   後見:中村修一

「悪坊(あくぼう)」
 悪坊:三宅右近、僧:野村萬斎、茶屋:石田幸雄       後見:三宅右矩

素囃子「舞働」
 大鼓:大倉慶乃助、小鼓:鳥山直也、太鼓:澤田晃良、笛:栗林祐輔

「鬮罪人(くじざいにん)」
 太郎冠者:深田博治
 主:高野和憲
 立衆:竹山悠樹、内藤連、中村修一、飯田豪、岡聡史
    後見:野村太一郎、月崎晴夫

「二九十八」
 まだ妻を持たない男が、清水の観世音へ妻乞いに出かけます。御霊夢を賜り、西門の一の階に行ってみると、そこにお告げ通りの女がいました。男が声をかけると、女は「夫(つま)ぞなき我が身一つの唐衣(からころも)袖を片敷き独り寝ぞする」という和歌を詠み、さらに住まいを聞かれ、「我が宿は春の日ながらみこし路の風の当たらぬ里と訪ふべし」と、返事します。男は、女の住まいが室町の春日町だろうと推察し、「春日なる里とは聞けど室町の角よりしては幾つなるらん」と問いかけます。すると女は、「ああ二九(にく)」と言いおいて姿を消してしまいます。困った男は、女の言い残した「二九」という言葉の意味を推理して、一八軒目の家を訪ねると、女と再会し、盃をとりかわして、末永くと誓いあいめでたく祝言も終わります。いよいよ対面することになり、女の被衣をとりのけると驚くほどの醜女なので、引きとめる女を振り切って男は逃げ出してしまいます。

 あまり見たことのない演目ですが、妻乞いのために、堂に籠って霊夢を受け、西門の階に衣を被いた女が立っているというのはよくあるパターン。しかし、お互いに歌を詠んで、叙情的な雰囲気で進み、女の残した言葉の謎解きをして、家を訪ね、めでたく盃ごとをするまでは良いのですが、さて、御対面。被衣を取ったらあまりに醜女で男はフリーズ、女はさらに言い寄って逃げる男を追いかけるという、最後はお決まりの終わり方でした(笑)。
 月崎さんの女は、いつも見慣れた高野さんより、さらにホラーな感じでした(笑)。

「萩大名」
 訴訟のため上京していた田舎の大名が、ようやく故郷へ帰れることになり、太郎冠者とともに清水の観世音へお参りに行くことにします。太郎冠者の知り合いの茶屋が近くにあり、庭の萩が盛りだというので、ついでに見物しようということになりますが、茶屋の主人は、客に必ず和歌を所望するという。そんな難しいことは出来ないという大名に太郎冠者は「七重八重九重とこそ思ひしに十重咲き出ずる萩の花かな」という歌を教えますが、それすら大名は覚えられないので、太郎冠者が扇の骨の数を示して大名に歌の内容を思い出させることにし、「萩の花」では、太郎冠者のすねはぎ(足のすね)を見せることにします。茶屋に着くと、庭を見た大名は、梅の古木や庭石などを見て失言を重ね、歌を詠むだんになると太郎冠者が合図を送っても、大名は間違えてばかり、業を煮やした太郎冠者は途中で姿を隠してしまいます。あわてた大名に、亭主が末句を催促しますが、どうしても出ず、「太郎冠者の向う脛」と付けて、亭主に叱られ、面目を失ってしまいます。

 無骨な田舎大名が、都の風流人を相手に無邪気に振る舞い、思ったことを何でも口に出して太郎冠者を慌てさせるのが面白いところ。大らかで可愛らしさもある大名ですが、万作さんがやると、なんか風雅な雰囲気も漂ってます。

「悪坊」
 東近江の禅僧が、西近江からの帰り路、大酒飲みで乱暴者の悪坊という男と出会います。長刀で脅され、無理やり道連れにされた僧は、悪坊の馴染みの茶屋へ連れて行かれます。悪坊が熟睡した隙に僧は逃げ出すことにしますが、ただ逃げるのでは癪だと考えて、悪坊の小袖、長刀をとりあげ、髪と髭を剃り、自分の衣や傘を残して逃げ去りました。目が覚めた悪坊は自分の姿に驚きますが、これを機縁に出家することにします。

 話は「悪太郎」に似ています。「悪太郎」の原型と考えられる曲だそうです。三宅家の右近さんが悪坊役で、いかにも乱暴者と言う感じだけれど、写実的でこんな酔っ払いいるよなという感じがします。僧役の萬斎さんが酔った悪坊の長刀が当たりそうでビクビクしてるのが可笑しかった(笑)。最後は、僧形にされて、あっさり改心するところは、悪人ほど発心しやすいと言う教えからきているらしいです。

「鬮罪人」
 祇園会の当番に当たった主人は、山の趣向の相談をするため、太郎冠者に町の人たちを呼びに行かせます。早速相談を始めた一同でしたが、趣向が決まりそうになると、太郎冠者が口を出し、別の町から毎年出ているとか、ふさわしくない趣向だなどと言って反対します。そこで、太郎冠者の案を聞いてみることにすると、太郎冠者は、地獄の鬼が罪人を責める趣向の山はどうかと提案します。主人は大反対しますが、結局この山に決定し、くじ引きで役を決めることになります。主人が引いたのは罪人の役、そして鬼役を太郎冠者が引き当てて、さっそく稽古を始めます。太郎冠者は杖で罪人役の主人を責めますが、強く打ったため、怒った主人に追いかけられます。町の者になだめられて稽古を続けることになりますが、主人ににらまれるのが恐いので、今度は鬼の面を着けてやることにします。太郎冠者は、再び主人を責めますが、また杖で打ち、怒った主人に追いかけられて逃げていきます。

 深田さんの太郎冠者、主人の高野さんが「猪に新田五郎が乗った山を出そう」と言えば、面白くもないと言い、町衆の竹山さんが「山の上で相撲をとるのはどうか」と言えば、はだかで相撲をとったところで、笑いものになると言い、内藤さんが「鯉の滝登りを出そう」と言えば、毎年、他の町で出ると言って反対します。
 その度に苦々しげに太郎冠者を追い払う主人ですが、太郎冠者の提案する山に「神事で祝う山に罪人を鬼が責めるとは」と反対するのは、もっともな言い分なのに、他の町衆が賛成して押し切られてしまいます。その上、自分が罪人役になっちゃうから、益々苦々しい。
 「鬮罪人」の太郎冠者役は、いつも萬斎さんがやることが多いので、深田さんの太郎冠者は初めて観ましたが、睨む主人に怖気づきながらも、ここぞとばかりに責め立てる太郎冠者。いつも真面目さが出る深田さんが、出しゃばりでお茶目でお調子者の太郎冠者をうれしそうにイキイキと演じてました。