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能楽鑑賞日記

2020年1月24日(金) 国立能楽堂狂言の会
会場:国立能楽堂 18:30開演

大蔵流
「三本の柱(さんぼんのはしら)」
 果報者:善竹忠重
 太郎冠者:善竹富太郎
 次郎冠者:善竹忠亮
 三郎冠者:茂山忠三郎
      笛:栗林祐輔、小鼓:鳥山直也、大鼓:佃良太郎、太鼓:林雄一郎
                             後見:善竹大二郎

和泉流
「法師ヶ母(ほうしがはは)」
 夫:野村万作、妻:野村萬斎
      笛:栗林祐輔、小鼓:鳥山直也、大鼓:佃良太郎
                        後見:深田博治、飯田豪

新作狂言
「彦市ばなし(ひこいちばなし)」
 彦市:茂山千五郎、天狗の子:茂山千之丞、殿様:茂山逸平  後見:茂山茂

「三本の柱」
 果報者(金持ち)の男が屋敷の不振をしたところ、いま少しやり残した箇所があるので、山に切り倒しておいた三本の木を太郎冠者・次郎冠者・三郎冠者に運ばせることにします。主人は、三人で三本の柱をそれぞれ二本ずつ持って運んでくるよう課題を与えます。
 山へ向かった三人は、各々が一本ずつ抱えて帰ろうとしますが、主人の命令を思い返し、どうしたら一人が二本ずつ持てるか知恵を出し合い、ついに謎を解くことができました。柱を三角形に置いて、それぞれが二本ずつ柱の端を持ち、このうえは賑やかにと囃子物を謡いながら帰宅します。家で待っていた主人は、三人の冠者が歌う囃子物を聞いて彼らが謎を解いたことを知り、急ぎ家に招き入れて一緒に浮かれます。

 関西の善竹忠重・忠亮さん親子と関東の善竹富太郎さん、それに茂山忠三郎さんが加わっての「三本の柱」。家の普請はおめでたいお祝い事で、三人ともお揃いの鶴の肩衣で、主人の謎かけも首尾よく解いて、3人で囃子物で浮かれ、主人も一緒に浮かれ出すという、囃子も入って正月らしいおめでたさ。3人の冠者がとても楽しそうで、こちらも楽しくなっちゃいました。

「法師ヶ母」
 酒に酔った夫が小謡を謡いながら帰宅します。夫は妻を呼び出すと迎え方に文句をつけ、早く休むようにと促す妻の言葉に機嫌を損ね、妻を家から追い出してしまいます。そして酒を飲みに再び出かけました。暇(離縁)の印の小袖をもらった妻は仕方なく実家へ向かうことにしますが、気にかかるのは金法師(幼い男の子)のことです。
 酔いが醒めて後悔した夫は、妻を探して狂乱の態でさまよい歩きます。そして妻の働きぶりを称え、妻への恋しさを謡うと涙にくれるのでした。そこへ実家に帰る途中の妻が通りかかります。夫は妻に家に帰ってくれるよう謡いかけ、熱心にかきくどいて、二人は仲直りして家路につくのでした。

 狂言では、酔っ払って帰った夫が酔った勢いで妻と喧嘩になって離縁すると追い出して、やはり後で仲直りするという話は、他にもあるけれど、この曲では、前半は、普通の狂言と同じで、後半は能がかり。後半の夫の謡は廃曲になった『丹後物狂』という能をもじったもので、『丹後物狂』は、一時の怒りによって我が子を勘当した父親が、子を尋ねさまよう物狂能で、それが「法師ヶ母」では、酒の勢いで妻を離縁する設定になっています。『丹後物狂』の「物に狂ふも五臓ゆへ、脈の障りと覚えたり」という謡が、「法師ヶ母」では「物に狂ふも五臓ゆへ、酒の仕業と覚えたり」に替えられているそうです。

 後半で、万作さんの夫が笹を持って物狂いの態で登場して謡い、妻を思って泣く様子は能がかりで格調高く、萬斎妻は、なんとなく色気があって美しい。それが最後は二人でのろけ合って仲良く帰る。めでたし、めでたし(^^)。

「彦市ばなし」
 嘘つき名人の彦市が川へ釣りにやって来ます。竜峰山の天狗の息子が隠れ蓑を着ているのに気づいた彦市は、隠れ蓑を取り上げてやろうと思いつき、釣竿を遠眼鏡と偽って、覗きたがる天狗の子を騙して隠れ蓑を取り上げてしまいます。天狗の子は父親に言いつけてやると泣きごとを言って去って行ったので、彦市は、天狗の父親が仕返しに来るかもしれないと思うと怖ろしくなり、思案を廻らします。
 夜になり、殿様が天狗の面を着けて城下へやって来ます。殿様と出会った彦市は、天狗の父親かと慌てますが、殿様と分かり安心します。殿様は釣りに興味を持って立ち去らないので、彦市は河童を釣っていると答え、鯨の肉が餌だと嘘をつきます。それを聞いた殿様は鯨肉を明日の晩に持って来るので、河童を釣り上げるよう命じます。
 翌日の夜、鯨肉を持ってきた殿様に彦市は、河童釣りでは、口をきかず、目を開けてもいけない決まりがあると出まかせを言って、殿様がじれて、「まだか」と聞くと、声をだすから逃げてしまったと言い、目を閉じているうちに餌の鯨肉をかすめ取って、天狗の父親に会ったらおわびに渡そうと考えます。ところが、釣りをする彦市と殿様の様子を窺っていた天狗の子が、鯨肉の入った竹の皮に蓑が入っていると思い、天狗の面も一緒に持ち去ってしまいます。
 彦市が家に戻ると、妻が隠れ蓑を燃やしてしまっていました。窮地に陥った彦市ですが、蓑を燃やした灰を体に塗ると姿が消えるのに気づいた彦市は、酒を盗み飲み、酔っ払って川の傍で眠ってしまいます。天狗の子はというと、蓑と間違えて持ち帰った鯨肉も面も父親が喜んだので一安心でしたが、彦市への怒りが収まりません。
 川に来た天狗の子は、いびきを頼りに彦市を探し、彦市につまづいて、彦市は川へ転落。蓑の灰が流れ落ちて姿があらわになり、天狗の子は彦市を追い回します。そこへやってきた殿様は、天狗の子を河童と思い、彦市に声援を送るのでした。

 木下順二作の民話劇をもとにした新作狂言で、昭和30年(1955)に武智鉄二演出、彦市:二世茂山千之丞、天狗の子:野村万作、殿様:四世茂山千作よって、初演されて以来、演出や配役を変えながら上演を重ねてきたものです。
 今も万作家と千五郎家で上演されています。千五郎家のものは能楽堂で続けられていますが、万作家は萬斎さんが演出に手を加えたりして、新宿狂言など劇場で行われることも多いです。どちらも観ましたが、どちらも面白い。
 彦市役の千五郎さん、嘘をついて窮地に陥るとまた嘘を重ね、それでも何とかなっちゃうような、困った存在ですが、ちょっとずる賢そうな萬斎さんとはちょっと違う雰囲気だけれど、口八丁な彦市役もなかなか上手い。天狗の子の千之丞さんは可愛いし、殿様役の逸平さんは能天気な殿様の雰囲気で、それぞれが適役で面白かった(^^)
 熊本弁の台詞も、いつも思うのだけれど、全然違和感無いし、これからも両家で再演を続けて欲しいです。
2020年1月17日(金) 国立能楽堂定例公演
会場:国立能楽堂 18:30開演

「竹生嶋参(ちくぶしままいり)」
 太郎冠者:能村晶人、主:野村万蔵

『海人(あま)』
 シテ(海人・龍女):友枝昭世
 子方(藤原房前):大島伊織
 ワキ(従者):森常好
 ワキツレ(従者):舘田善博、大日方寛
 アイ(浦人):野村萬
    笛:杉市和、小鼓:鵜澤洋太郎、大鼓:亀井広忠、太鼓:前川光長
      後見:香川靖嗣、友枝雄人

「竹生嶋参」
 無断で旅に出た太郎冠者を叱りに来た主人は、太郎冠者が竹生嶋参りをしてきたと聞き、その時の話を聞き出そうと、太郎冠者を許します。
 まず太郎冠者は、参道の大きな榎の木の枝に雀と烏が鳴き合っていたのを、あれは親子に違いないと話し出します。それを聞いた主人は、たまたま銘々に鳴いていただけだとたしなめて、他に面白い話はなかったかと尋ねました。すると、太郎冠者は神前の大きな芝に、辰と犬と猿、蛙、蛇(くちなわ)が集まって秀句(洒落)を言い合っていたと言います。辰も犬も猿も蛙も、その席を辰は立つ、犬は去ぬ、猿は去る、蛙は帰ると言ったのだと言い、くちなわはどうかと主人に問い詰められて、答えに窮した太郎冠者は、ごまかそうとして叱られます。

 この主人は、きっと秀句が好きな人なんでしょう。だから太郎冠者はご機嫌取りに洒落を言ったんじゃないかなと思いました。
 でも、「雀が「チチ、チチ」と鳴くとカラスが「コカー、コカー」と鳴いたので親子でござる。」という最初のダジャレは、あまりにくだらないから、たしなめられちゃって、他に面白い話はないかと促され、次に辰、犬、猿、蛙、蛇が集まって秀句を言っていたというと、主人も興味を持ち、辰から蛙までは、うまく繋げたけれど、蛇で窮して、最後は「石ぐらの中へぬらぬらと」とダジャレにもならないので、主人を怒らせちゃう。
 それなら何で、蛇を入れたのかと思ったら、竹生嶋に祀られている神には、龍神の他、弁財天の神使の白蛇神(白巳大神)も祀られていたから入れざるを得なかったんでしょうね。
 万蔵さんの主人に、ちょっとトボケタ感じの晶人さんの太郎冠者がピッタリの配役でした。

『海人』
 大臣・藤原房前(ふさざき)は、自らの母親が讃岐国の志度寺の房崎の浦で亡くなったと聞き、追善のために従者を伴って訪れると、そこへ一人の海人がやって来ます。房前の従者は、海人に水底の海松藻(みるめ)を刈ってくるよう命じますが、それは、海松藻そのものを所望しているのではなく、水底の月を見たいという房前の意向の故でした。それを知った海人は、天智天皇の折に唐土から伝わった宝の珠を龍神に奪われ、それを海人が潜って取り返した故事を語りはじめます。それを聞いた房前は驚き、自らが聞いていた出生のいわれを伝えたのでした。そして、従者が珠を取り返した時のことを再現してみせよと言うと、海人はその様を見せるうち、自分こそが房前の母の亡霊であると名乗り、房前に一枚の書き付けを残して、姿を消します。
 房崎の浦の住人に詳しい謂れを聞いた房前は従者に命じて、追善のための管弦講を催すことにします。母の書き付けを眺めつつ、経を手向けて弔っていると、龍女の姿に変じた母が姿を現し、供養に感謝しつつ舞を舞うのでした。その後、志度寺は仏法興隆の霊地になったということです。

 前シテの海人は、濃いグレーの水衣に下も濃いグレーの着物で地味目な装束、面も曲見(しゃくみ)ということで、中年の女性ですが、主に狂女物に使われる、やや老けてやつれた面。橋掛かりを歩む姿にも我が子と別れ、慰みもない日々に、重く沈んだ様子が伝わってきます。
 海人は昔話に、今の大臣淡海公(藤原不比等)の妹が唐の高宗皇帝の后となり、氏寺の興福寺へ贈った三種の宝のうち、面向不背の珠がこの浦の沖で龍神に奪われ、それを取り戻そうと不比等は身をやつしてこの地に至り、一人の海人との間に子をもうけたのが、今の房前の大臣であると語ると、房前は「我こそ房前の大臣」と名乗り、海人は驚いて持っていた鎌をポトリと落とします。思いがけぬ我が子との対面に海人の驚きと共に喜びが一気に広がる感じです。
 海人はその宝珠を取り戻してきたら、我が子を藤家の世継ぎにするとの約束を不比等と交わして千尋の縄を腰に着け、宝珠を取り返してきます。龍宮から珠を奪い取った海人が、死者を忌むという龍宮の慣習を逆手に取って、乳の下をかき切って珠をこめ、流れ出る血に戸惑う海龍たちの追求をかわして逃げ切った様を「玉ノ段」の仕方舞でみせます。
 後シテでは、龍女の姿で現れる友枝さん。女神の姿、天冠に増の面、白地に金糸の模様の舞衣にオレンジの大口、経巻を持って現れ、経を我が子に渡して、法華経の功徳を謝し、早舞を舞って成仏の喜びを表し、志度寺建立の因縁を語って納めます。
 さすが友枝さん、「玉ノ段」も「早舞」も80歳になっても揺るぎない立ち姿、運び、指の先まで神経の行き届いた舞の優美さは衰えない。
 子方の大島伊織くんは、大島輝久さんのお子さんだろうか?とても凛々しくて可愛い。
 アイは野村萬さんで90歳、こちらも歳を感じさせないしっかりした語りでした。
2020年1月16日(木) 第89回野村狂言座
会場:宝生能楽堂 18:30解説開始 18:45開演

解説:石田幸雄

小舞「芦刈(あしかり)」
 野村万作      地謡:野村太一郎、野村萬斎、高野和憲、石田淡朗

「節分(せつぶん)」
 鬼:中村修一、女:飯田豪           後見:内藤連

「宗八(そうはち)」
 宗八:深田博治、主:月崎晴夫、僧:高野和憲    後見:石田淡朗

素囃子「神楽」
 大鼓:亀井洋佑、小鼓:森澤勇司、太鼓:林雄一郎、笛:松田弘之

「大黒連歌(だいこくれんが)」
 大黒天:野村萬斎
 有徳人:石田幸雄
 太郎冠者:竹山悠樹
 立衆:野村太一郎、石田淡朗、飯田豪、岡聡史
          地謡:内藤連、高野和憲、深田博治、中村修一
                 後見:月崎晴夫

小舞「芦刈」
 能『芦刈』の見どころである「笠ノ段」を小舞に仕立てたもの。落ちぶれて芦売りになった男が、別れた妻とも気付かず、その前で面白く笠尽しを舞ってみせる場面。浮きやかで特殊なリズムに乗り、足拍子を多用して軽快に舞われる。

 万作さんの舞は、足拍子も力強く、扇を笠に見立てて持つ手の動きが美しい。

「節分」
 節分の夜。夫が出雲大社へ出かけたので、女が一人で留守番をしています。そこへ、節分の豆を拾って食べるため、蓬莱の島から鬼がやってきます。隠れ蓑と隠れ笠を脱いで姿を現した鬼に女はびっくり仰天、あわてて追い払おうとします。鬼は、女の美しさに心を奪われ、熱心に口説き始めますが、あまりに邪険にされるので、とうとう泣き出してしまいます。すると、女はなびいたふりをして、隠れ蓑・隠れ笠・打ち出の小槌といった宝物を鬼から取り上げ、鬼が女の家に入って休んでいると、女は豆をまき始めます。豆をぶつけられた鬼は慌てて逃げ出します。

 石田さんの解説に、昔は大晦日が節分だったそうです。鬼が現れる時、謡う次第・道行の謡をテーマソングと仰ってました(笑)。また、鬼が「こんな美しい女は見たことが無い」と言いますが、あくまで、鬼の美意識ですとwww。
 「節分」の鬼の役は、「釣狐」の前段に勤める役ということで、この野村狂言座の16日と17日で、今度「釣狐」を披く中村さんと内藤さんが鬼の役を勤めます。

 ここに出て来る蓬莱の鬼は、豆で追い払われるような邪悪な存在ではなく、鬼自身も人間から恐れられているという自覚がないので、怖がって追い払おうとする女にわけがわからずとまどっています。
 最初に女が戸を開けた時は、鬼が隠れ蓑と隠れ笠を着けていたため姿が見えないので、すぐ締めてしまいます。あれ〜と、戸惑う鬼もすぐ気が付いて蓑と笠を取りますが、今度は姿が見えて女に怖がられてしまいます。食べ物をくれと言うと、荒麦を出され、鬼は食べ方が分かりません。女の美しさに惹かれた(あくまで鬼の美意識ww)鬼が小歌を謡って熱心に口説くので、最初は怖がっていた女もその様子を見て鬼を騙して宝を取ったあげく、「鬼は外」と容赦なく豆を投げつけて追い払ってしまいます。
 したたかで気の強い女と憎めない鬼という対比。中村さんの鬼もそんな可愛さがあって、憎めない感じだし、飯田さんの女もちょっと鬼の気を引いといて、容赦なく豆をぶつける。鬼より人間の方が、お〜怖い(笑)。

「宗八」
 ある男が、出家と料理人を雇うことにします。その噂を聞いてやって来た出家は、元料理人の俄か坊主。宗八という料理人もやって来ますが、こちらは元出家。首尾よく雇われた二人は、主人からそれぞれ仕事を言いつけられますが、出家は経が読めず、宗八は魚を調理できず、困った二人は、仕事を交換することにします。料理人姿の宗八が経を読み、元料理人が僧の姿で魚を料理していると、主人が様子を見にやって来ます。二人は本来の仕事に戻ろうとしますが、僧は魚を持って読経し、宗八は経巻を包丁でたたくので、怒った主人に追い込まれます。

 元出家は精進料理なら作ったことがあるので、「ゴボウ大根は切り刻んだことはある」と言い、元料理人の宗八は、経は読めないが、仏壇の給仕やお掃除なら出来ると、軽く考えてる。
 まな板と魚包丁と真魚箸(まなばし)といった小道具が出され、室町時代に包丁と真魚箸を手に魚をさばく包丁師と呼ばれる料理人の姿を再現しています。
 深田宗八のトボケタ読経の声と高野僧の「ガリリ、ガリリ、チョンチョン」という魚をさばく擬音がリズミカルに響いてクセになる。
 最後に主人に見つかっての二人の慌てふためくドタバタには大笑い。魚と間違えて経巻を切ろうとする宗八の深田さんのオトボケぶりがなんか可愛い。

「大黒連歌」
 裕福な男が、大黒天を祭る子祭(ねまつり)を例年通り行うことにし、太郎冠者に知人たちを呼びに行かせます。顔をそろえた一同は、連歌をすることにし、主人がまず発句を詠み、客が上手に後の句を付け、良い出来の連歌になったので、さっそく奉納すると、あたりに良い香りが漂い、ただならぬ雰囲気の中、大黒天が姿を現します。大黒は、一同を富貴にしてやろうと約束して、連歌のおもしろさを喜んで舞を舞います。そして、打ち出の小槌や宝の袋などを人々に授けて、この所に納まるのでした。

 解説の時、石田さんが仰ってましたが、あまりやらない曲で、シテの萬斎さんもやったことがない曲だそうです。
 最初に、畳に乗せ赤い布を掛けた俵二俵が正先に置かれ、脇正面側の見付柱からシテ柱に渡して、しめ縄飾りが付けられます。
 連歌を奉納して、太郎冠者が客にお酒を注ぎ、主人が謡を謡います。萬斎さんの大黒天は、黒い大黒の面をかけ、福袋と打ち出の小槌を持ち、肩に白ねずみを乗せて、腰を曲げて小さくなって現れます。謡を謡いながら、福を分ける大黒天、とってもおめでたい雰囲気に包まれ、最後は「このところにこそ収まりけれ」で、大黒天が俵の上に座ります。
 子年に因んだ正月らしいおめでたい曲でしめくくられました。
2020年1月15日(水) 新春名作狂言の会
会場:新宿文化センター大ホール 19:00開演

トーク
茂山千五郎、野村萬斎

「禰宜山伏(ねぎやまぶし)」
 山伏:茂山千五郎、禰宜:茂山茂、茶屋:茂山七五三、大黒天:山下守之
                 後見:井口竜也

「靭猿(うつぼざる)」
 大名:野村万作、猿曳:野村萬斎、子猿:三藤なつ葉
                 後見:石田幸雄、深田博治

 いつものように、最初に千五郎さんが茂山家の演目の解説、遅れて萬斎さんが登場して、少し二人でトークの後、相舞、千五郎さんが支度のため引っ込むと萬斎さんが万作家の演目の解説という順番。
 「禰宜山伏」は、大黒の御遣いがネズミなので、子年にちなんで出すことが多いそうです。「禰宜山伏」の山伏は、狂言の中でも一番偉そうにしていて、威張り散らす。ここでは、宗教ではなく人柄にジャッジが加わるとのこと、また、禰宜が祝詞をあげるところが聴きどころとのことでした。
 萬斎さんが、大黒天は子方がやることが多いですよねと言うと、千五郎家でも山下さんが一番小さいので、大黒天はやはり小さい人がやるし、小さくなれと言われるとのこと。反対に体が大きいのが山伏で、千五郎さんはよくやるそうです。

 二人で相舞は「土車」。能の『土車』はめでたくない曲ですが、「土車」の謡は「一天四海なるをうち納め」と出だしだけめでたいとのこと。
 二人で謡いながら、それぞれの流儀の舞を同時に舞うのですが、舞の型がちょっと似てたり、全然違ったり、同時に観られることも他の会ではないので、これが楽しみでもあります。

 千五郎さんが支度のため退出されると、萬斎さんが「靭猿」の解説。
 靭(矢を入れるケース)を猿皮でラッピングしたいと言う大名。よく考えもせず、欲しがるというのは狂言によくある人物と言ってました。大名が子猿に近づいて靭と猿を見比べる仕草があるとのこと、何回も観てるのに気付かなかった。

「禰宜山伏」
 伊勢神宮の禰宜(神職)が都に上る途中、茶屋で休んでいると、羽黒山の山伏が現れて、自分の荷物を運べなどと、うるさく絡みます。茶屋がとりなしても収まらず、禰宜も言い返しますが、茶屋の機転で、名作の大黒天の木像を祈りで自分の方へ向かせた方を勝ちにして、負けた方は相手の荷物を運ぶことにします。まず禰宜が祈ると、大黒は機嫌よく向いてくれる。続いて山伏が祈ると、大黒はそっぽを向く。腹を立てた山伏が禰宜と一緒に祈ると、大黒は禰宜の祈りに浮かれ出して立ち上がる。山伏はなんとか大黒を引き向けようとしますが、大黒が槌で打とうとするので、驚いて逃げ去って行きます。

 体の大きな千五郎さんの山伏は、迫力ありすぎ(笑)で、細い茂さんの禰宜がかなりビクついてる感じに見えます。千五郎さんが禰宜が祝詞をあげるところが聴きどころと仰ってましたが、今まであまり気にしてなかったけれど、確かにしっかり祝詞をあげていました。キレぎみに大黒天を振り向かせようとする千五郎さんが面白かった。

「靭猿」
 太郎冠者を伴って狩りに出た大名が道で猿曳に出会います。猿曳の連れた子猿の毛並みが気に入った大名は、靭(矢を入れる道具)の張替えに猿皮を貸せと迫ります。猿曳は必死に抵抗しますが弓矢で脅されてやむを得ず、子猿に因果を含めて打杖で殺そうとしますが、いつもの稽古と思った子猿は杖を取り、無邪気に船を漕ぐ芸をします。そのいじらしさに猿曳は、自分は殺されても猿を殺すことは出来ないと泣き伏してしまい、それを見た大名も哀れに思って命を助けます。喜んだ猿曳が猿歌を謡い猿に舞わせると、大名は褒美に扇や小刀・衣服も与え、自ら猿のしぐさを真似て興じます。

 親子三代共演、萬斎さんの大名も観ましたが、今回は万作さんが大名で萬斎さんが猿曳。
 萬斎さんが仰っていた靭と猿を見比べる仕草、萬斎さんが解説でやったほど、はっきりした仕草ではなかったけれど、ああ、これがそうなんだと、気付きました。
 なつ葉ちゃん、もう何回か子猿をやってきているから落ち着いたもの。最初の時は紐が足に絡まったりして、ほどいてましたが、もう足に絡まることなく、うまく動いてました。でも、子供らしい可愛らしさはそのままで、すっかり孫と遊ぶお祖父ちゃんと言う感じの万作大名と一緒に月を見る型が決まると会場から拍手が起こり、この日は、何回も拍手が起こりました。能楽堂では、あまりないことですが、ホールならではのこと、和やかでホッコリした空気に包まれました。
2020年1月5日(日) 萬狂言 新春特別公演 〜野村萬卒寿記念〜
会場:国立能楽堂 14:30開演

『翁(おきな)』
 翁:金春憲和
 千歳:野村万蔵
 三番叟:野村拳之介
   大鼓:亀井洋佑
   小鼓頭取:大倉源次郎
   脇鼓:吉阪一郎、古賀裕己
   笛:松田弘之
    後見:金春安明、横山紳一
      地謡:中村昌弘、井上貴覚、本田芳樹、鎌田氏勝
          辻井八郎、本田光洋、高橋忍、山井綱雄
            狂言後見:野村万禄、山下浩一郎

「柑子(こうじ)」
 太郎冠者:野村萬、主:野村万禄

舞囃子「高砂(たかさご)」
 宝生和英
     大鼓:佃良勝、小鼓:観世新九郎、太鼓:小寺真佐人、笛:一噌幸弘
        地謡:川瀬隆士、當山淳司、辰巳満次郎、武田孝史、大友順

語「奈須与市語」
 野村眞之介          後見:野村萬

「釣狐(つりぎつね)」
 白蔵主・狐:野村万之丞、猟師:野村万蔵
       大鼓:佃良勝、小鼓:観世新九郎、笛:一噌幸弘
          後見:小笠原匡、能村晶人
          幕後見:野村万禄、河野佑紀

 野村萬さんの卒寿(90歳)の記念公演で、3人のお孫さんがそれぞれ、「三番叟」「奈須与市語」「釣狐」を披くというおめでたい会。『翁』の太夫をされる金春流宗家、舞囃子『高砂』の宝生流宗家は共に30代の若い宗家です。

『翁』
 金春流では、面箱持ちと千歳は狂言方が兼ねる形で、大抵は若い人がやることが多いのですが、今回は万蔵さんの次男拳之介さんが「三番叟」を披くので、万蔵さんが千歳を勤めていらっしゃいます。
 金春宗家の翁は、声がよく、若さもありますが、厳かな翁。若い人が颯爽と舞うというイメージの千歳を舞う万蔵さんは、足拍子が力強い。
 「三番叟」を披く拳之介さんは20歳ですが、力強く、烏跳びも高いですが、腰に安定感があって、とても落ち着いている感じでした。

「柑子」
 昨夜の酒宴で、珍しい三つ成り(一枝に三つの実がついた)の柑子(みかん)をもらった主人は、太郎冠者に預けたままだったことを思い出し、持って来るように言いつけます。しかし、三つとも食べてしまった太郎冠者は、言い訳をはじめます。一つ目は槍に結びつけておいたのが落ちて転がったので、「柑子門を出でず」というから止まれと呼びかけ、それに応じて止まったので落ちたものは役に立たないと食べてしまったといい、もう一つは、懐中に入れておいたら潰れてしまったのでやはり食べたと言います。残りの一つについては哀れな物語があると言って、俊寛僧都の島流しの話を語りだし、三人で流されたのに一人だけ残された俊寛と、三つあったのに一つ残った柑子の思いは同じだろうと言って、主人を一旦はしんみりとさせますが、それも自分の「六波羅(腹)に納めた」と白状して叱られてしまいます。

 「こうじ門を出でず」は、宗代の説話集にある「好事不出門、悪事行千里」(良い話や行いはなかなか広まらないが、悪い話や噂はすぐに世間に広まってしまう)をもじったもので、有名な故事にことよせて苦しい言い訳をすることを「故事(こじ)つけ」と言うそうです。ここでは、俊寛僧都の悲劇も、果物の柑子にこじつけられてます。

 言い訳をするところは、ほとんど太郎冠者の一人芝居で、萬さんの語りとちょっととぼけた言い訳がさすが。

舞囃子「高砂」
 「高砂」の謡いというとおめでたい席のイメージですが、有名な謡はワキ方の謡い。でもその部分を地謡の一人が謡い、舞は後半の住吉明神が現れて、めでたく爽快な舞を舞い、天下泰平・長寿延命を祝福する部分の舞で、神舞は、勢いがあって颯爽としています。

語「奈須与市語」
 能『屋島』の替間で、狂言方の重要な語り。源平合戦の屋島で、平家方の遊君が扇の的を立てた船で現れ、陸の平家を挑発する場面。奈須与市が召し出だされて、扇の的を射抜く逸話を語り手・義経・実基・与市の四役を語り分け、多くの型を伴う重い習物です。

 三男の眞之介さんは16歳。初々しく、しっかりとした語りで、こちらも堂々と落ち着いていました。

「釣狐」
 一族を残らず釣り取られてしまった古狐が、狐を釣るのをやめさせるため、猟師の伯父の僧である白蔵主に化けて猟師の家を訪ねます。白蔵主は、そもそも狐は天竺・唐土でも神であり、日本でも稲荷五社の大明神であること、また、狐の執心の恐ろしさを示す殺生石の故事を語って意見します。猟師は改心し罠を捨てることに応じ、白蔵主は小歌まじりに帰りますが、その途中に猟師が捨てた罠を見つけます。一族を捕られた恨みと、うまそうな餌の誘惑に葛藤する狐は、我慢できなくなって、仲間を釣られた敵討ちに化身の扮装を脱ぎ身軽になって餌を食べに来ようと言って立ち去ります。白蔵主の態度に不審を抱いていた猟師は、捨て罠の餌が荒らされているのを見て、白蔵主が狐だったと知り、本格的な罠を仕掛け、藪に隠れて待ち受けます。そこに正体を現した狐が戻ってきて、とうとう罠にかかりますが、猟師と渡り合ううちに罠を外して逃げて行きます。

 最後は万之丞さん(23歳)の「釣狐」。狂言師の卒業論文とも言われる演目です。前場では狐のぬいぐるみの上に白蔵主の装束を着て面をかけ、特殊な姿勢や足遣いで狐が化けた僧を演じ、後場では、狐の姿になって現れる、長い時間、気力・体力のいる演目ですが、さすがに若いから体力がある。前場の怪しい白蔵主、時々狐の動きで犬に驚いたり、重い装束で飛び上がったり、帰りに罠の餌が食べたくて逡巡したり、後場では、猟師との駆け引きと対決。緊張と獣っぽい可愛さ、仕草に気持ちが現れていて良かったです。

 萬さんの円熟の演技と三人のお孫さんとも落ち着いていて素晴らしい披きで、卒寿記念に相応しい会でした。