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能楽鑑賞日記

2006年11月25日 (土) 狂言ござる乃座36th
会場:国立能楽堂 14:00開演

舞囃子「高砂」八段之舞  梅若万三郎
             大鼓:佃良勝、小鼓:幸正昭、笛:一噌幸弘、太鼓:小寺真佐人
             地謡:古室知也、梅若泰志、長谷川晴彦、伊藤嘉章、梅若紀長

「末廣かり」 果報者:野村万作、太郎冠者:石田幸雄、すっぱ:野村万之介   
                                  後見:野村良乍

「釣狐」 白蔵主・狐:野村萬斎、猟師:三宅右近     後見:野村万作、深田博治

 東京での3回の公演で、「高砂」を舞う、お三方は私の中では共に品のあるロマンスグレーな方たちという印象です。
 しかし、「高砂」の八段之舞というのは緩急のはっきりした曲で、急の時の囃子の勢い、幸弘さんの笛が滑らかでのっていたのは勿論ですが、太鼓が元気良かった。舞も勢いが増して盛り上がった後、また静かでゆっくりとなるのが繰り返され、非常に面白かったです。

「末廣かり」
 都のすっぱに騙されるお人良しそうな石田太郎冠者。いかにも胡散臭そうな万之介すっぱ、万之介さんもお元気そうで安心しました。
 万作主人が太郎冠者の歌にのって腰を浮かしだす、その表情がなんとも言えません(^^)。石田太郎冠者が主人に怒られて、ちょっとキョトンとした表情も可愛かったです。

「釣狐」
 大曲といわれる「釣狐」ですが、大蔵流と和泉流では型がかなり違います。でも、ここでは、いちいち違いを書くのはやめておきます。この日の舞台は、名古屋や京都公演での欄干越えは無く、万作さんの「最後の釣狐」のビデオにあった四つんばいのまま背中を反らせて鳴く型も使わず、今年扇丞さんの披きで観たのとほぼ同じ、万蔵家の基本の型に近いもので見せてくれたようです。
 白蔵主の出のところでは、扇丞さんの時は脇正面の少し後の席だったので、いきなり幕前に現れたという感じでしたが、今回は、正面中ほどの席で揚幕のあたりも良く見えたので、すばやく揚幕が上がって現れるのが分かりました。
 じ〜っと見所を見渡して、独特の運びでゆっくり橋掛かりを歩き、本舞台で次第、名乗りをする時の声が不気味なほどの重低音。おどろおどろしいほどに妖気を放つ化け狐です。水に映った己の化け姿に感心したり、犬の声に驚いて、突然走り出したり、腰を曲げた老人の姿から身軽な獣っぽい声と動きになる変化が面白いところです。猟師に狐釣りをやめるように、狐の執心の恐ろしさについて「玉藻前」の話をする時の語りはハイトーンな声で、緩急を使い分けてどこか艶っぽい。とにかく、声のコントロール、七色の声の使い分けとでも言いましょうか、それが素晴らしく雰囲気を盛り上げて、今までには見たことが無いものでした。
 三宅右近さんの猟師は畏まって伯父の白蔵主の話を聞いているものの、罠を捨てるだんには、疑いの気持ちもあって、罠を白蔵主の鼻先にわざと突き出したり、内心は猟師に対する恐れもある狐のビクつく姿と不審に思う猟師とのやりとりに緊張感が漂います。
 うまく罠を捨てさせてほっとした白蔵主狐が猟師に寺に訪ねてくるよう言って「昆布に山椒、よい茶を申そう」とつぶやきながら帰ろうとするところ、帰り道に捨て掛けにされた罠の餌の匂いに惹かれて、何度も帰ろうとしたり、戻ったりを繰り返す、理性と欲望の葛藤というべきか、最後には重い衣を脱いでから来るぞと、欲望が勝ってしまいます。橋掛かりでの「シャー、シャー」という荒い息遣いは獣性を強調するためのものだと思われました。
 また、「喰いたいな〜、喰いたいな〜」と餌の周りを回る台詞のリアルさは萬斎さんならではのもの。白蔵主狐の口から、今にもヨダレが垂れてきそうで、見所からも思わず笑いが起こりました。急いで幕入りした幕の中から聞こえた長く後を引く狐の雄叫びは、人間のものとは思われませんでした。
 後場の狐は、野生の本性のままで、無邪気にさえ見えます。餌の前でごろごろ転がったり、駆け回ったり、餌をねらって伏せる格好でにじり寄る肩のしなやかな動き。口の動く面で、鳴くときに口が開いたり、かちかち鳴らしたり、面の中で共鳴した鳴き声がよけい獣っぽい不思議な効果を上げていました。とうとう罠にかかった時の猟師の声に、何が起こったのかと一瞬緊張して固まった狐の表情が印象的でした。猟師との綱引きのあげく罠を抜けて逃げ帰る狐、橋掛かりで最後に一声鳴いて逃げていきます。
 かなり体力のいる曲で、他の人の「釣狐」の時に、後場で「はあ、はあ」と激しい息遣いが見所の後方まで聞こえてきたことがありますが、萬斎さんは、前半でわざと強調した場面以外は、激しい息遣いが聞こえてくることはありませんでした(少なくとも前から8列目には聞こえてこなかった)。かなり、コントロールが出来てきたせいかもしれません。
 今回の狐、声の出し方、動き、台詞の様式性とリアルさなど、今の萬斎さんにしか出来ない「釣狐」だと感じました。これから歳を経ると、また変化していくでしょうが、今、この時の「釣狐」を観られたことは、本当にとても幸運なことでした。  
2006年11月24日 (金) 第八回修能会
会場:観世能楽堂 18:30開演

仕舞「小鍛冶」キリ 小早川康光   地謡:武田宗典、武田友志、松木千俊、武田文志

舞囃子「天鼓」 小早川泰輝  
        大鼓:柿原光博、小鼓:曽和正博、笛:藤田次郎
        地謡:武田宗典、武田友志、大松洋一、武田尚浩、下平克宏

仕舞「遊行柳」クセ 浅見真州    地謡:武田宗典、松木千俊、浅井文義、武田文志

一調「龍田」 浅見真高  太鼓:観世元伯

狂言「柑子」太郎冠者:野村萬斎、主:深田博治    後見:高野和憲

能『砧』
 シテ(蘆屋某ノ北方・北方ノ亡霊):小早川修
 ツレ(夕霧):浅見慈一
 ワキ(蘆屋某):森常好
 アイ(下人):石田幸雄
       大鼓:柿原崇志、小鼓:曽和正博、太鼓:観世元伯、笛:松田弘之
         後見:武田尚浩、武田志房
           地謡:武田文志、武田友志、大松洋一、下平克宏
               松木千俊、浅見真州、野村四郎、浅井文義

 仕舞「小鍛冶」は子方で活躍している小早川康光くん、修さんの息子さんでしょうか?さすがに舞台経験が多いせいか、キチッとして堂々としっかりした舞でした。
 舞囃子「天鼓」の小早川泰輝くんは高校生くらいの感じです。若さの清々しさ、勢いを感じました。
 「遊行柳」の浅見真州さんと「龍田」の謡の浅見真高さんはベテランの貫禄と品がありました。

「柑子」
 名古屋、京都の後、翌日に国立の「釣狐」を控えた今日は、ほっと一息な演目で、観ているほうも肩の力が抜けて楽しめました。
 美味しそうにミカンを食べる様子、まじめ主も呆れる太郎冠者のしたたかさ、でも、「しさりおれ」と叱られ「はあ〜」と畏まった後、帰る時のちょっとニンマリして見える萬斎太郎冠者が、懲りずにまた悪戯してやろうと思っているみたいで、なんか可愛くて笑えます。

『砧』
 訴訟のため在京3年になる九州芦屋の某は暮れには必ず帰る由を侍女夕霧を使いに出して故郷の妻に伝えます。帰りを待ちわびる妻は、晩秋の月影の下、慰みに砧を打ち、思いを遠くの夫に馳せていると、そこへ、今年もまた帰れぬとの報せ。夫の心は真に変わり果てたかと、失望のあまり妻は病の床に伏せ、ついに死んでしまいます。
 知らせを受けて帰郷した夫は、下人に砧のことを問うた後、梓弓にかけて妻の霊を呼び寄せ、言葉を交わします。現れた妻の亡霊は、恋慕の妄執ゆえに苛まれる地獄の苦しみを訴え、切々と夫の不実を怨みなじりますが、終には夫の法華経読誦の功徳により成仏するのでした。

 面をかけたシテとツレの声が非常に明晰で台詞、詞章がよく聞き取れました。夫を待ちわびる妻の寂しさ、それを気遣う侍女の夕霧。二人の女が砧を打って寂しさを紛らわしているところへの悲しい報せ。妻の死を知って帰ってきた夫。しかし、なぜ夫は帰って来れなかったのか、妻はなぜそんな夫を信じて待っていられなかったのか、家のことを気にしながらも仕事が第一の夫と、恋慕の想いが強すぎて寂しさに耐えられなかった妻。二人の心のすれ違いは今の世でもあることなのでしょう。
 地獄の苦しみで痩せ衰えた後シテの亡霊が、夫に詰め寄る様は迫力がありました。しかし、夫の弔いで成仏した妻の亡霊は、やっぱり何か寂しそうに見えてしまいました。
 お囃子は、松田さんの笛と太鼓の観世元伯さんの掛け声がとても気持ちよくて良かったです。
2006年11月18日 (土) 第23回横浜かもんやま能
会場:横浜能楽堂  14:00開演

能役者による実技と解説  狩野了一

「魚説経」出家:茂山千作、都人:松本薫

『敦盛』
 シテ(草刈男・平敦盛):友枝昭世
 ツレ(草刈男):井上真也、内田成信
 ワキ(連生法師):殿田謙吉
 アイ(須磨の浦人):松本薫
         大鼓:國川純、小鼓:鵜澤洋太郎、笛:一噌隆之
            後見:中村邦生、狩野了一
               地謡:粟谷充雄、粟谷浩之、友枝雄人、佐々木多門
                   長島茂、出雲康雅、粟谷能夫、粟谷明生

 はじめに、狩野了一さんによる能『敦盛』の解説の後、装束の着付けの実演がありました。パッチ姿に襟と摺箔という上半分だけの内着を掛けた状態のモデルと着付け二人が登場。狩野さんが説明して、二人が実に手早くキチッキチッと決めながら着付けていきます。装束は『羽衣』の天人の装束です。襟と内着を着付け、縫箔の小袖を腰に巻きつけるように着付けて、腰帯で留め、動いても崩れないよう、着物の一部を糸で縫ってとめます。鬘は普通は馬の尾を使うのだそうです。人毛もあるそうですが、馬の毛のほうが扱いやすいらしいです。鬘を結って、面をかけ、冠をつけ、長絹を上に着付けて出来上がり。装束の種類というのは意外に少なく、色や柄が違うだけで、男も女も同じ着物を使うとのこと、言われてみれば、なるほどな、と思いました。

「魚説経」
 和泉流の「魚説法」は何回か観たことがありますが、和泉流では子供がシテをやることが多いようです。大蔵流だと筋立ても違っていて、漁師からにわか坊主になった男は経も読めず、説経もできないので、都見物に行きがてら、都で雇ってくれるところを探そうと考えて出かけます。上下の海道に出て道連れを待っていると、そこへ持仏堂で法事をしてくれる僧を探している男が通りがかり、話がまとまって、にわか坊主は男の家に一緒に帰ります。
 食事の用意ができるまで、さっそく説経をして欲しいという男に、さあ困ったにわか坊主、この時の千作さんの困った表情が笑えます。しかし、そこはそれ、すぐに魚の名を並べて説経のようにとりつくろおうと、説経をはじめるにわか坊主。途中でどうも変だと気付く男に、なおも調子にのって、話続ける坊主、ついに怒った男に咎められると、さらに、魚の名で応答するので、怒った男に追われてしまいます。
 もう、最後に魚の名で応答する時の千作さんは楽しそうで、ダジャレが止まらなくなって、相手をからかって楽しんでいるという感じ。はじめはニコニコと穏やかだった松本さんの信心深い男も、ここまでバカにされるとやっぱり怒るでしょう。でも、憎めないイタズラ爺ちゃんでした(笑)。

『敦盛』
 武蔵国の熊谷直実は、一ノ谷の合戦で年若き敦盛を討って以来無常を感じ、出家して今は連生法師となって、敦盛の菩提を弔うために一ノ谷に下ります。
 一ノ谷に着いた連生法師は草刈笛の音を聞き、草刈男に笛の主を問い、話しかけると、中の一人が笛にまつわる話をし、他の男達が帰ったあとも一人残っています。法師がその訳を問うと、敦盛ゆかりの者で、十念を授けて欲しいと言います。法師が合掌し、念仏すると草刈男も合掌し、日々の回向に感謝し自分は敦盛だとほのめかして消えうせます。
 夜もすがら菩提を弔っている法師の前に、武者姿の敦盛が現れ、昔の敵も今は法の友と回向に感謝し、懺悔の物語をします。
 栄華を極めたのもほんの束の間、平家一門はその驕りの故に哀れな末路をたどり、都落ちしてからは波に漂い、須磨の浦に仮寝する境涯となったことを語り、戦前夜に、この浦で笛を吹き、今様を謡い、舞い遊んだ夜をなつかしみ舞を舞います。
 さらに、一ノ谷の合戦で直実に討たれた様を仕方話で語り、連生法師に重ねて弔いを願って消えていきます。

 戦の空しさ、世の無常を二人のやりとりの中に感じるしみじみとした曲。風雅を愛する敦盛の舞もたっぷり堪能できます。平家一門の末路を語り、「籠鳥の雲を恋ひ、帰雁列を乱るなる、空定めなき旅衣」で、ふと空を仰ぐ敦盛の面に、その寂しさ、哀しさを感じて見入ってしまいました。敵も味方もなく、美しくも哀しい『敦盛』でした。
2006年11月15日 (水) 北とぴあ国際音楽祭2006「能と狂言―幽玄なる月の世界」
会場:北とぴあ・さくらホール 19:00開演

仕舞「忠度」野村四郎  地謡:馬野正基、柴田稔、清水寛二、小早川修

狂言「月見座頭」 座頭:野村万作、上京の男:野村萬斎

能『羽衣』彩色之伝
 シテ(天人):野村四郎
 ワキ(漁夫):宝生閑
 ワキツレ(漁夫):宝生欣哉、大日方寛
        笛:一噌仙幸、小鼓:曽和正博、大鼓:佃良勝、太鼓:観世元伯
          後見:鵜澤郁雄、浅見真州
            地謡:野村昌司、浅見慈一、馬野正基、小早川修
                柴田稔、清水寛二、浅井文義、岡田麗史

 仕舞「忠度」は先日、観世宗家で観たばかりですが、宗家の時は、頚をかき切るような型があったような気がするのですが、今回そういう型はなかったみたいです。四郎さんも重厚でいいのですが、宗家のほうが若いせいか、勢い、力強さがあったように思います。

「月見座頭」
 「あかり夢幻能」や「狂言劇場」でも観た親子共演で3回目になりますが、考えてみると普通の能楽堂では観てませんね。もともと大蔵流だけの演目だったものを野村家でもやるようになったので、大蔵流のものより、いろいろ工夫が加えられています。特に、最後に男に突き飛ばされた座頭が、杖を探し、帰る方角を見極めるために川の流れの方向で確認するあたりの芸の細かさ、杖をつく姿の美しさは万作さんならではです。万作・萬斎親子の謡の声の良さハーモニーの気持ち良さ、舞の美しさも格別でした。月光のもとにあらわになる人間の本性、奥の深い演目です。

「羽衣」彩色之伝
 彩色というともっと派手な色使いを想像してしまいますが、反対に白を基調にした装束で、白蓮を戴いた冠をつけます。白地の縫箔を腰に巻き、下の着物の浅黄色も美しく、羽衣も白地に金の模様、天女の清浄な美しさが強調された装束でした。四郎さんは、右手が時々震えるのですが、それも気にならないほど、気品と美しさを感じる天女でした。 
2006年11月8日 (水) 能楽観世座第11回公演『柏崎』
会場:観世能楽堂 18:30開演

仕舞
「忠度」観世清和
「井筒」観世銕之丞
               地謡:岡久廣、観世芳伸、小早川修、藤波重彦

能『柏崎』
 シテ(花若の母・狂女):梅若六郎
 子方(花若):小早川康充
 ワキ(小太郎):宝生閑
 ワキツレ(善光寺住僧):宝生欣哉
         笛:一噌仙幸、小鼓:横山晴明、亀井忠雄
           後見:観世清和、山崎正道
              地謡:観世銕之丞、岡久廣、観世芳伸、杉浦豊彦   
                  上田公威、藤波重彦、角当直隆、山中迓晶

 寝不足がたたって開演前からかなり眠い、ヤバイ状態での観能となってしまいました。よって、あまり詳しいことは書けません。印象に残ってることだけ書いておきます。

 仕舞「忠度」は、後シテの舞で、忠度が一の谷の合戦で、岡部六弥太と組み合い討ち死にするまでを謡い舞う勇ましい舞だったので、これはばっちり観ていました。観世清和さんの謡いの声は力強く、舞もキレが良くて決まっている。かっこ良かったです。「井筒」のほうは、申し訳ないですが、三番目物の序ノ舞はやっぱり沈没しましたm(_ _)m。

『柏崎』
 鎌倉で死んだ主君柏崎の形見と御子花若の出家の知らせを持って、故郷の柏崎殿の妻のところへ帰ってきた臣下の小太郎。二重の悲報に悲しむ妻(花若の母)は、ことに自分一人残して出家した息子を恨めしく思いますが、それでも我が子の行方安穏を祈って中入りします。
 場面が変わって、僧形の花若を先頭に善光寺の住僧が登場し、花若を弟子にし、如来堂へ日参の由を述べます。そこへ、花若を尋ねて越後を出た母が、夫と子への死別、生別の悲しみに狂女となって、善光寺の如来堂の内陣につきます。住僧が狂女が内陣に入るのを咎めると狂女は、「内陣こそは極楽の九品上生の台(うてな)なるに、女人は参るなとの御制戒は、そもそも如来の仰せにあることか」と反論し、夜念仏となって、やがて女は亡き夫の烏帽子直垂を身に着け、人の世のはかなさ罪深さ、弥陀の慈悲の無量を説いて舞を舞います。その姿を見ていた花若は名乗り出て、ついに母子は再会するのでした。
 この能は以前一度観た記憶があります。最後の親子再会が印象的で、特に六郎さんは、扇でパシッと床を叩き、大きく扇を動かして喜びを表わします。感情表現が豊かで、やっぱり六郎さんは華やかだなあと感じました。
 子方の小早川康充くんは、観世流の子方として舞台によく出ているので、安心して観ていられました。
2006年11月7日 (火) 東京茂山狂言会 第十二回
会場:国立能楽堂 19:00開演

素囃子「融」酌之舞  大鼓:亀井広忠、小鼓:曾和正博、太鼓:三島卓、笛:杉信太朗

「政頼」
 鷹匠:茂山七五三
 閻魔王:茂山千五郎
 子眷属鬼:若杉直人、浜田真帆
 眷属鬼:茂山あきら、茂山千三郎、茂山正邦、茂山童司、茂山茂、島田洋海
      地謡:茂山宗彦、茂山千之丞、丸山やすし、松本薫
         後見:井口竜也、鈴本実

「左近三郎」  左近三郎:茂山童司、出家:茂山千作   後見:井口竜也

「水掛聟」  聟:茂山宗彦、女房:茂山茂、舅:茂山千之丞   後見:茂山正邦

素囃子「融」酌之舞
 しゃく之舞というと、融中将が笏を持って歩く型が入る[笏之舞]を思い出すのですが、字が違いますね。でも、同じものかもしれない?これを聞くと友枝さんの仕舞を思い出してしまうのですが・・・なんか笛がちょっと、ひょろひょろな感じ?広忠さんの大鼓は相変わらず気合が入っていて良かったのですが。

「政頼」
 地獄が不景気なので、閻魔大王が六道の辻まで来て、亡者を地獄に追い落とそうと待ち構えているという狂言はよくありますが、閻魔大王は出てくると、いつものように、最近は宗教がはやって、ことごとく極楽へ行ってしまうので、地獄は不景気だというようなことを言います。でも、たくさんの眷属を引き連れて、冠もつけ、装束も立派なもの、「朝比奈」のように眷属もなく、一人で、他の鬼達と同じような装束で出てくる、いかにも貧相な閻魔王に比べると、まだまだ勢力持ってるぞという感じがします。
 それぞれ特徴のある鬼の面が勢揃い、特にあきらさんの面は小ぶりで、あきらさんの顔そのもののような感じがして可笑しかったです。それに二人の子どもの眷属鬼は可愛かったですね。
 リアルな剥製みたいな鷹を持って出てくる鷹匠政頼の亡者ですが、群がる鬼達を払いのけ、「鳥を獲るのはこの鷹で、自分に罪はない」と言い張いはります。閻魔王が「鷹が鳥を獲るところが見たい」というと、政頼は鬼達を使って鷹狩りをして見せます。持っていた鷹を横に倒して獲った鳥に早変わり(笑)。これ、笑えます。和泉流ではそんなことしなかったような気がするんだけど。
 獲った鳥を閻魔王に差し出して、大喜びで食べる閻魔王、眷属鬼にも回すのですが、「バリバリ」「ガリガリ」から「コリコリ」「ジュルジュル」「ピチャピチャ」と、だんだん実がなくなって、お皿まで舐めてるんだろうなと思える音の変化が面白いです。喜んだ閻魔王は、政頼の望みを叶えてやろうと言って、3年の寿命を約束して、自分の冠まで渡して返すのでした。
 茂山家らしく、賑やかで楽しい曲でした。

「左近三郎」
 初めて観る演目でした。
 童司くん扮する猟師左近三郎が、狩に行く途中で僧と道連れになるのですが、僧と出会うとは縁起が悪い、ちと弄ってやろうという左近三郎。僧に聞くことが、酒は飲むかとか、魚は食うかとか、妻はいるかとかいうことばかり、僧が嫌な顔をすると、弓でおどすので、渋々本当のことを言ってしまう千作僧。実は、酒は好き、蛸も食べるし、数年前に逃げられるまで、妻のような者までいたという生臭ぶり。今度は、檀那になろうという左近三郎に喜んだ僧ですが、猟師だと知り、殺生をするものは檀那にはできないと、問答になります。ところが、「花」と「鼻」を取違えたことから、それを面白がって、すっかり意気投合し、左近三郎は僧を家へ招いて、二人で「花」「鼻」などと笑いながら帰っていきます。

 変なことを聞かれるたびの千作さんの嫌そうな表情が最高。童司くんも滑舌が良く、力で優位に立っていることで偉そうな態度が様になってました。
 「宗論」の犬猿の浄土僧と法華僧が、猟師と僧というやはり相容れない者同士になったとも思える、片方が弄ってやろうとからかい、問答の末、仲直りして帰るというのが似てるといえば似てます。「宗論」では経文の意味も知らない僧、ここでも生臭ぶりを脅されて喋ってしまう僧、偉そうな僧にたいする批判と、「宗論」のような最後の悟りはありませんが、それでも仲良くしようよ、みたいな、当時の明るい庶民のエネルギーが感じられます。

「水掛聟」
 何回観ても大笑いしてしまう演目です。
 隣同士の田を耕す舅と聟が、日照り続きで田を見に来ると田に水が無い。隣の田には水があると、畔を切って水を引き、お互いにそんなことをやっているうちに舅が見張っていると、山から帰ってきた聟が水を取るのを見て口論になります。互いに、水、泥の掛け合いになった挙句、ついに取っ組み合いになり、仲裁に駆けつけた妻は板ばさみになって迷った末、夫の側について親の足を取り、引き倒して、二人連れ立って帰っていきます。
 千之丞さんの舅がなんとも大人気ない。他の人だと、どっちもどっち、最後に引き倒されて、置いていかれる舅が、ちょっと悲哀を感じて可愛そうなんですが、千之丞さんの舅は「まあいい」と言って、「来年から祭には呼ばんぞ」と言うのですが、なんかこの舅は懲りない人という感じがします。きっと、また同じ争いをやって、それでも結局、娘夫婦とは仲良くやっていきそうな、そんな感じがするのでした(笑)。 
2006年11月5日 (日) 友枝会
会場:国立能楽堂 12:00開演

『松虫』
 シテ(市人・男の亡霊):友枝雄人
 ツレ(市人):井上信也
 ワキ(酒売):宝生欣哉
 アイ(所の者):小笠原匡
        大鼓:柿原弘和、小鼓:森澤勇司、笛:杉信太朗

『花筐』
 シテ(照日ノ前):友枝昭世
 ツレ(侍女):内田成信
 子方(帝・継体天皇):内田貴成
 ワキ(廷臣):宝生閑
 ワキツレ(輿舁):大日方寛、御厨誠吾
 ワキツレ(使者):高井松男
        大鼓:柿原崇志、小鼓:北村治、笛:一噌仙幸

「牛盗人」
 牛奉行:野村萬
 兵庫三郎:野村万蔵
 三郎の子:野村虎之介
 太郎冠者:野村扇丞
 次郎冠者:吉住講

『猩々』
 シテ(猩々):友枝雄太郎
 ワキ(高風):宝生朝哉
        大鼓:柿原孝則、小鼓:亀井俊一、太鼓:金春惣衛門、笛:一噌仙幸

 『花筐』の地頭が粟谷菊生さんだったのですが、地謡のメンバーがどのように変更になったのかよく解らなかったので、後見、地謡は省略しました。

『松虫』
 摂津国安倍野の市で酒を売る男のところへ、毎日のように、若い男が友達と連れ立って来ては酒宴をして帰ります。今日もその男達がやってきて、酒を酌み交わし、白楽天の詩句に興じたりしているうち、一人の男が「松虫の音に友を偲ぶ」といったので、酒売りが、その訳を尋ねると、男は物語をはじめます。
 昔、この安倍野の原を二人の親しい若者が歩いていると、松虫の声がして、一人がその声にひかれて草むらに分け入ったまま、いつまでたっても帰ってきません、もう一人が心配になって探しにゆくと、どうしたわけか、草の上で死んでいました。死ぬときは一緒にと思っていた男は、泣く泣く友の死骸を埋め、今も、松虫の音に友を偲んでいるのだと話し、実は、自分がそのときの友の一人だと明かして帰って行きます。
 酒売りは、さらに土地の人から二人の話を聞き、残された一人がすぐ後を追って自害し、二人とも一つの塚に葬られたことを聞きます。そこで、酒売りが回向していると、かの亡霊が現れ、回向を感謝し、友と酒宴を楽しんだ思い出を語り、秋野の虫の音に興じて舞を舞います。やがて、夜が白々と明けはじめると亡霊は名残を惜しみながら消えてゆきます。
 若い男同士の友情と思慕をテーマにした作品ですが、生々しい情を表わさず、秋の原の虫の音に友を偲ぶという詩的で情趣的な曲になっています。松虫を探しに草むらに入った友が、声はすれど、虫を見つけられず、根が尽きて死んでしまったというのはよく解りませんが(今なら不審な死)、あまり追求しないほうが良いでしょう。
 後シテの若い男の亡霊はとっても美しく、きびきびとしながら哀愁のある舞でした。

『花筐』
 越前国味真野の大迹部ノ皇子(おおあとべのおうじ)が、皇位継承のため都へ上られたので、使者が照日ノ前(てるひのまえ)の所へ、皇子の手紙と花筐を届けにきます。別れの文を読んだ照日ノ前は、皇子の手紙と花筐を胸に、寂しく自分の里へ帰っていきます。
 その後、皇子は継体天皇となり、大和国玉穂に都を移していましたが、ある日、廷臣を従えて紅葉狩に出かけます。一方、恋慕のあまり物狂いとなった照日ノ前は、侍女とともに旅に出て、都へとやってきます。帝の行列に出会った二人は廷臣に制止され、花筐を打ち落とされてしまいます。これは帝の花筐であると廷臣をとがめた照日ノ前は、帝に会えないことを嘆き、泣き伏し、李夫人の故事を物語り舞って、帝への思慕の情を訴えます。帝は、花筐を御覧になり、確かに見覚えの品と確認して、照日ノ前に、また元どおり側に召し使えよとお言葉を下し、照日ノ前は喜んで都へお供していくのでした。
 別れの文を読んだ照日ノ前が、手紙と花筐をしっかりと胸に抱いて帰っていく姿に女の想いと悲しみの深さが感じられて胸が痛くなりました。しかし、後場では、狂おしいほどの情を込めてというよりも、むしろサラリと描いているような感じがしたのですが、どうでしょうか。熱い想いは内に・・・。

「牛盗人」
 萬さん、万蔵さん、虎之介くんの三代共演でした。
 「野村狂言座」で初めてこの演目を観た時の私の印象は、人情物風であまり好みじゃないというものでしたが、一生懸命という感じの虎之介くんや、はじめは厳しい感じの萬さんの奉行が親子の情にほだされて、泣いてしまう場面の自然さ、そして、万蔵さんの親が、最初は親を訴える子どもがあるものかと、親不孝を嘆きながら、子どもの本心を知るや、感激して、そんなこととは知らずと、詫びて孝行を誉める姿にちょっと笑いもおこり、人情物ドラマではなく、やっぱり狂言だという感じを受けました。うまく表現できませんが、子どももこまっしゃくれた感じがなく、一生懸命で嫌みがなく(裕くんが嫌みがあるという意味じゃないですが)。お祖父さんと孫より親子のほうがやっぱり自然というか、全体の印象として、この演目に関しては私は今回の配役のほうが好きです。

『猩々』
 中国のカネキンザンの麓に住む高風という親孝行で評判の高い男が、ある夜、夢の中で、揚子の市で酒を売ると富貴になるというお告げを受け、その通りにすると、次第に金持ちになりました。この市で、毎回高風の店に来て酒を飲む者がいますが、その男はいくら飲んでも顔色が変わらないので、ある日、名を尋ねると海中に住む猩々だと明かして帰って行きました。そこで高風は、ある月の美しい晩に潯陽の江のほとりに出て、酒壺を置き、猩々の出てくるのを待つことにします。
 やがて、波間から現れた猩々は高風と酒を酌み交わし、風に吹かれる芦の葉の音、波の音の天然の調べにのって、舞を舞いはじめます。そして、高風の素直な心を賞し、汲めども尽きぬ酒壺を与えて消えていきます。

 最初に、ワキの宝生朝哉くんが現れ、今までのいきさつを語って、ワキ座に座り、猩々を待ちます。歩く時に上体が揺れて、緊張のあまりか、いきなり台詞に詰まってプロンプがつきました。でも、その後はすらすらと長い台詞を言いきったのは感心です。ただ、台詞がだんだん早くなって、ちょっと曖昧なところもあったようです。
 次に出てきた猩々の友枝雄太郎くんは、出てくるときからピタっと決まっています。台詞は少ないですが、舞で見せるこの演目を、美しい舞で最後まで見所の意識を惹きつけて離しませんでした。舞台いっぱい舞っているときは子どもなのに大きく見えて、ゆっくりした動きもぐらつかず、本当に見事でした。末恐ろしい。まさに、少年の清々しい時分の花の美しさに惚れ惚れとしてしまいました。
 大鼓を打った柿原孝則くんも、姿勢の良さ、かけ声、鼓の音もなかなかのもの、大人と混じっても引けを取らず、堂々としたものでした。シテ、ワキの二人よりは、少し年上のように見えました。

 今回は、親から子へ、子から孫へ、伝え引き継がれるものをつくづく感じた舞台でした。