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能楽鑑賞日記

2020年9月18日(金) 第91回野村狂言座
会場:宝生能楽堂 解説開始:13:45 開演:14:00

解説:野村萬斎

「長光(ながみつ)」
 すっぱ:内藤連、田舎者:岡聡史、目代:石田幸雄    後見:中村修一

「水汲(みずくみ)」
 新発意:野村太一郎、いちゃ:野村裕基         後見:石田淡朗

「咲嘩(さっか)」
 太郎冠者:高野和憲、主:飯田豪、咲嘩:野村萬斎    後見:内藤連

「祐善(ゆうぜん)」
 男・祐善:野村万作、僧:深田博治、所の者:月崎晴夫
    大鼓:柿原光博、小鼓:飯冨孔明、笛:栗林祐輔
       地謡:野村裕基、中村修一、野村萬斎、内藤連、石田淡朗
          後見:飯田豪

 萬斎さん、最初に出て来ると、「コロナ禍で90回が中止になって返金になったり、今日も追加公演に振り替えになったりでご迷惑おかけしました。」って、言った後で「俺のせいじゃねえよ」ってww、ホント、そう言いたくなっちゃいますよね。くだけた感じのトークで、後は演目解説。

「長光」
 坂東の男が都見物に行くことにし、上方に届けるよう預かった太刀を手に出立します。途中、大津松本の市に立ち寄って売り物を見ていると、都のすっぱが忍び寄り、太刀を盗んで逃げようとします。二人が太刀を奪い合って大声を出したので、目代がやって来て二人から事情を聞きます。坂東の男が太刀の特徴を説明すると、それを盗み聞きしたすっぱがまったく同じように答えるので、目代はどちらが盗人なのか判断できません。そのうち話を聞かれているらしいと気付いた坂東の男は、目代に囁いて答え、聞こえないようにします。さすがにすっぱは窮して答えることが出来ず、二人がすっぱの着ている物を剥ぎ取ると、背中には盗品の数々がくくりつけてある。やはり盗人だと二人は逃げるすっぱを追いかけます。

 岡さんの田舎者に内藤さんのすっぱ、目代はベテランの石田さんでしめて。背が高くてイケメンの岡さんは一見都会的な感じだけれど、それが世間知らずの田舎者の雰囲気出してました。田舎者にくっついて太刀の紐を自分の腰に結びつける内藤すっぱも面白い。いかにも悪そうな大髭に厚板の装束。長刀でも持たせたら「悪太郎」。最後にすっぱの上着の厚板を脱がしたら背中に盗品がたくさんくくりつけてあるなんて笑える。

「水汲」
 門前のいちゃが野中の清水で洗いものをしていると、寺の新発意がお茶の水を汲みにやって来ます。日頃からいちゃに心を寄せていた新発意は、喜んでいちゃに近づき、水を汲んでくれるよう頼みます。二人は仲良く謡いながら水を汲んでいましたが、汲み終わったいちゃがさっさと帰ろうとするので、新発意が引きとめるといちゃは水桶を新発意の頭にかぶせて逃げていきます。

 裕基さんの声が益々お父さんに似てきましたねぇ。謡も上手くなってる。新発意といちゃの小歌でのやり取りが叙情的でしっとりといい雰囲気なんですが、最後に頭に水桶を被せられちゃう太一郎新発意、びしょぬれになって「くっさめ」とくしゃみをしてトボトボと帰っていきます。水桶を被せられちゃうところがオチで笑っちゃうけど、ちょっと可哀相。あまりしつこくしちゃダメよ(笑)。

「咲嘩」
 連歌の会の当にあたった主人が、都に住む伯父に宗匠(指導者)を頼むため、太郎冠者に迎えに行かせます。太郎冠者は都に着いたものの、伯父の住所もどのような人かも知らず、そこで大声で伯父を捜しながら歩いていると、一人の男が近づいてきて、自分こそ伯父だと名乗るので連れて帰ってきます。男の顔を見るなり、見乞ひ(みごい)の咲嘩という盗人だと気付いた主人は、咲嘩を適当にもてなして帰らせようとしますが、太郎冠者が失言を繰り返すので上手くいきません。そこで、すべて自分を真似て振舞うよう太郎冠者に言いつけますが、太郎冠者は、主人が自分に言ったことやしたことまでそっくり真似て咲嘩にします。怒った主人が太郎冠者を突き倒して咲嘩に恭しく頭を下げてお料理の用意をと引き上げると、太郎冠者は咲嘩を突き飛ばした後で、恭しく頭を下げて主人の口真似をして引き揚げます。

 何も深く考えない太郎冠者の言動に、名うての盗人の咲嘩が翻弄されるのが面白いところ。最初は、咲嘩と二人になると余計なことを話すので、その度に主人に呼び出されて叱られる太郎冠者ですが、普段は太郎冠者を萬斎さんがやることが多いのが立場逆転で、高野太郎冠者にやられる萬斎咲嘩の図、面白かったww。高野さんがやると天然ぽくって爆笑。

「祐善」
 若狭国轆轤(ろくろ)谷で仏道修行している元傘職人の僧が、都の笠取明神へ参詣に出かけます。その途中、五条油小路で雨にあい、目についた庵で雨宿りしていると、男が現れ、ここは傘職人だった祐善の庵で、雨のたまらぬ所だと教えます。そして、自分こそ祐善の幽霊だと明かし、弔いを願って姿を消します。僧が、地元の人に庵の由来を尋ねると、その昔、傘職人の祐善が建てた庵なのだが、祐善は傘張りが下手すぎて、傘の張り死にをした今日が命日だと語ります。供養を勧められた僧が念仏を唱えていると、傘を手にした祐善が現れ、日本一下手な傘張りと言われ、誰も傘を買ってくれずに狂い死にをしたが、今の弔いで成仏したと謡い舞って消えて行きます。

 能の形式を模した「舞狂言」。能のワキにあたる旅僧の前に面を付けた前シテが登場し、会話をした後、中入りすると、アイにあたる土地の者が僧の問いに答え、僧が弔っていると後シテの幽霊が現れて、生前の様子を謡い舞って成仏したと消えていく、夢幻能の様式をパロってますが、霊が傘張りが下手すぎて狂い死にした傘職人と言うのが狂言的(笑)。
 今回は「祐善」の詞章が別紙でついていたので分かりやすい。傘に縁のある言葉や、傘尽しの詞章になっていて、傘を持って舞うのが見どころです。傘の使い方も広げた傘を床でクルクルと転がしてみたり、舞の最後に傘を肩にちょんとはねたり、いろいろな動きが面白く、傘を持って舞う万作さんの舞が美しい中にもひょうきんで可愛い。詞章では、祐善が傘は、雨にぬれれば紙は紙、骨は骨とバラバラになると、どんだけ下手なんだか、大真面目に演じながら設定が変っていうのがやっぱり狂言だなあ(笑)。