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能楽鑑賞日記

2020年10月25日(日) 忠三郎狂言会
会場:国立能楽堂 開演:14:00

「二人大名(ふたりだいみょう)」
 大名(甲):大藏彌太郎、大名(乙):大藏教義、道通之者:石倉昭二
                       後見:安藤愼平、吉田信海

「痿痢(しびり)」
 太郎冠者:茂山良倫、主:茂山忠三郎     後見:山口耕道、石角隆行

「抜殻(ぬけがら)」
 太郎冠者:茂山忠三郎、主人:大藏吉次郎   後見:肥沼潤一、小梶直人

附祝言

「二人大名」
 ある大名が仲間を誘って都へ出かけますが、太刀を持つ下人がいません。そこで、街道で通りかかった男に強引に頼み込んで持たせます。調子に乗った大名に下人扱いをされた男は、腹を立て持っている太刀をいきなり抜いて大名を脅し、二人の小刀と着ている素襖を取り上げ、烏帽子を鶏冠に見立てて鶏の蹴り合う真似や犬の噛み合う真似をさせます。許しを乞う大名にさらに都で流行っている小歌をうたいながら起き上がり小法師の真似をさせます。大名たちはこれは面白そうだと、まんざらでもない様子。浮きに浮いて真似ているうちに、男は取り上げたものを持って逃げて行きます。

 彌太郎さんと教義さんの大名。通りすがりの他人に太刀を持たせるなんて警戒心なさすぎだけど、反撃をくらって、連れの教義さんは「迷惑する」と文句をいいつつ、彌太郎さんは詫びながら、言われる通りに真剣に鶏の蹴り合いや犬の噛み合いをやる二人とそれをニンマリと見つめる男の石倉さん。それが、もっとなぶってやろうと、起き上がり小法師をやらせると、大名二人は面白そうだと、ちょっと乗り気になって、どんどんノッてやりだす。和泉流では「面白そうだ」という台詞はなかったように思いますが、鶏の蹴り合いや犬の噛み合いの時はいやいやなのに、起き上がり小法師では、楽しそうなのが分かりやすいww。

「痿痢」
 主人は客をもてなすため、太郎冠者に堺まで肴を求めてくるように命じます。太郎冠者はこうした仕事をちょくちょく申しつけられてはたまらないと、しびり(痺れ)が起こって歩けないと嘘をつきます。しかもその「しびり」には「親が子だくさんで兄たちにはいろいろ譲ったが、末っ子の太郎冠者にはやる物が無く、持病のしびりをくれたので、これは少々のことでは治らない」という、たいそうな謂れがあると言います。あきれた主人は、懲らしめてやろうと思い、「伯父からご馳走をするので、太郎冠者を連れてこいと言われたが、しびりで立つことも出来ないので断れ」と聞こえるように言います。すると、太郎冠者はこのしびりは優しいので言い含めれば治ると言い、さっそく言い含めて治ったと言います。主人はそれならば堺へ行けというと、またしびりが起こったと座り込んで叱られます。

 子供が太郎冠者をやることが多い演目で、行きたくないための見え見えな嘘ですが、太郎冠者がしびりに言い聞かせたり、しびりが返事をしたように振る舞うのが可笑しい。なにより良倫くんがしっかり演じて、とっても可愛く、思わずニコニコしてしまった。

「抜殻」
 主人に使いを言いつけられた太郎冠者は、いつも飲ませてくれるはずの振る舞い酒が出ないので、何度も戻ってあれこれ言って思い出させ、振る舞ってもらいます。ところが飲み過ぎたあまりに酔っぱらって道に寝込んでしまう始末。心配して後をつけてきた主人がこれを見つけ、懲らしめのために鬼の面をかぶせて帰ります。目を覚ました太郎冠者は、水を飲みに行った清水に映る鬼の顔を見てびっくり。嘆きながら主人の元に戻りますが、主人は鬼は家に入れぬと邪険にします。悲観した太郎冠者は清水に身を投げようと飛び込みますが、はずみで面がはずれ、急いで主人を連れてきて、鬼の面を見せ「鬼の抜殻です」とさし示し、叱られます。

 飲んで酔っ払ってくると忠三郎太郎冠者の声が変わってくるww。「飲みぶりがあしゅうなった(悪うなった)」と困ってあきれる吉次郎主人。いつも使いに行くときは振る舞い酒を飲ませてもらうのに、主人が忘れているから余計執着しちゃったせいで飲み過ぎたのかなww。
 酔っ払いぶりも面白いけれど、水に映った自分の姿を見て鬼になったと思い込んでしまう一人芝居で太郎冠者の気持ちが移り変わる様子が可笑しい。最後に主人に鬼の面を見せて「鬼の抜殻です」というところ、トボケテいるのか、あるいは主人の仕業と分かった太郎冠者のあてつけなんでしょうか。
2020年10月23日(金) 狂言ござる乃座62nd
会場:国立能楽堂 開演:19:00

「水掛聟(みずかけむこ)」
 舅:野村萬斎、聟:野村太一郎、妻:石田淡朗     後見:深田博治

一調「大原木(おはらぎ)」
  野村萬斎       小鼓:大藏源次郎

「鬼瓦(おにがわら)」
 大名:野村万作、太郎冠者:石田幸雄         後見:飯田豪

素囃子「神楽(かぐら)」
 大鼓:大倉慶乃助、小鼓:大倉源次郎、太鼓:小寺真佐人、笛:小野寺竜一

「煎物(せんじもの)」
 煎物売:野村萬斎
 何某:野村裕基
 太郎冠者:高野和憲
 立衆:深田博治、石田淡朗、飯田豪、岡聡史
      後見:月崎晴夫

「水掛聟」
 稲の育ちは順調だが、日照り続きの夏の日、聟が田の見回りに行くと、自分の田に水が無い。見れば舅の田だけ水が引かれているので、井出を切って自分の田に水を引き入れます。入れ違いにやって来た舅は、自分の田に水がないのに驚き、聟の田から水を引き戻すと、水の番をはじめます。そこへ聟が戻って来て水を引こうとするので、二人は口論になります。互いに畦を切って水を引こうと争ううちに、聟が舅の顔に泥水をかけてしまい、二人は水をかけあったり、泥を顔になすりあったりし、しまいにはとっくみあいになります。そこに妻が駆けつけ仲裁しますが、最後は夫の味方をして、二人で舅を打ち倒して仲良く帰って行きます。

 この演目で、萬斎さんが舅役をやるのは初めてみました。聟に太一郎さん、妻に淡朗さんという若い面々だから、これからは、それもアリなんだなあと思って見てました。それにしても自分の田に水を引こうとお互いに夢中になって畦を切り合ったり、水の掛け合い泥の塗りつけ合いと子供の喧嘩みたい(笑)。まさに我田引水、水掛論から泥仕合。ついに取っ組み合いになると妻が仲裁に入るものの、結局夫の味方をして父親を投げ飛ばし、二人仲良く帰って行くのが、狂言の常套ww。そんな二人の背中に悔しくて一言言う舅も、絶縁するほど怒っているようでもなく、哀愁が漂っているけど可愛い。

一調「大原木」
 狂言「若菜」で早春薪を売り歩く大原女が謡う、叙情的な小謡。
 萬斎さんの声も相変わらず良いですが、大倉源次郎さんの小鼓の音がまた良い。

「鬼瓦」
 長らく在京していた大名が、無事訴訟も叶い帰国することになりました。大名は、これも日頃信仰している因幡薬師のおかげと、お礼と暇乞いのため太郎冠者を連れて参詣に出向きます。お参りを済ませた二人が御堂の様子を見て回るうち、ふと見上げた屋根の鬼瓦が目に留まり、大名は国に残した妻を思い出して泣きだしてしまいます。太郎冠者が間もなく帰国すればお会いになれると慰めると、大名も気を取り直し、二人で大笑いして帰って行きます。

 鬼瓦が妻の顔にそっくりだなどと言うのが狂言らしくて笑っちゃいますが、そんな妻を懐かしんで会いたいと思う大名が可愛らしくも一瞬しんみりする。万作さんの芸の力ですね。長年連れ添った妻へのほっこりした思いやりを感じます。

「煎物」
 人々が集まって、祭りの稽古をしているところへ、煎物売りがやってきて、皆に煎物を勧めて回ります。稽古の邪魔になると言われた煎物売りは、囃子物の拍子にかかって売ることにします。やがて何某が羯鼓を打ちながら舞い始めると、それをみた煎物売りは商売道具の焙烙鍋を腹に括りつけ、松葉の撥で打ちながら、真似をして舞います。煎物売りは、何某が水車のように体を回転させるのを真似しようとして失敗し、焙烙鍋を割ってしまいます。

 祭の囃子物の稽古をしているところへ、「お呼びでない」煎物売りがやってきて、練習中の人たちに売り歩くKYぶり(笑)。邪魔にされると、囃子物の拍子にかかって売り歩き、調子に乗った煎物売りが羯鼓を打ちながら舞う何某の真似をし始める後半は「鍋八撥」と同じ。
 萬斎さんの煎物売りが煎じ物を立てる様子や浅鍋の湯を派手に捨てたりするのが面白いww
 祇園祭の山鉾の「鷺と鵲(カササギ=傘鷺)の橋」という語呂合わせから鷺に扮した白い衣装に着替えた裕基くんが羯鼓を打ちながら舞い、最後は水車で側転しながらの退場もキレイにキマッてました。
 最後は、煎物売りの浅鍋が割れて「数が多なってめでたい」とめでたく終わり。

 終演後に萬斎さんからのご挨拶がありますとアナウンスがあり待っていたら、切戸口から裕基くんが出てきてオヤッと思ったら萬斎さんの着替えが済むまでの繋ぎでの登場。ネット配信の予告と「煎物」の長い謡いで途中わからなくなる。なんて話をしてました。
 着替えを終えた萬斎さんと交代。終わってからの挨拶はあまりないので、言い訳は言わない方が良いと、裕基くんにチクリ。
 「煎物」について、和泉流ではやらなくなった曲を復曲して、ほとんど自分がやっているとの話。大蔵流では、今もやっているとのこと。
 祇園祭では山車を橋でつなげて鷺が傘をさしかけるそうです(祇園祭は見たことないです)。
 そして、(コロナ禍の中)勇気と覚悟を持ってお越しいただきありがとうございましたと挨拶されました。
2020年10月20日(火) 釣狐を観る会(第一日目)
会場:国立能楽堂 開演:18:30

素囃子「高砂(たかさご)」八段之舞
 大鼓:亀井広忠、小鼓:観世新九郎、太鼓:林雄一郎、笛:松田弘之

「末広かり(すえひろがり)」
 果報者:野村萬斎、太郎冠者:三宅右矩、すっぱ:三宅近成
                        後見:野村太一郎

小舞「貝尽し(かいづくし)」
 野村万作       地謡:飯田豪、月崎晴夫、石田幸雄、竹山悠樹、石田淡朗

「釣狐(つりぎつね)」
 白蔵主・狐:内藤連、猟師:深田博治      後見:野村萬斎、高野和憲

素囃子「高砂」八段之舞
 能『高砂』の小書、八段之舞は、通常の神舞より強く激しい演奏になりますが、最初から非常に勢いのいい曲で、メンバーも良いので、盛り上がりました〜。

「末広かり」
 めでたい正月の宴に果報者(大金持ち)は末広がりを引き出物にしようと思い、太郎冠者を都に買いに行かせます。都に着いた太郎冠者は末広がりが実は何か知らなかったことに気づき「すえひろがり買おう」と大声で叫んでいると、都のすっぱ(詐欺師)が近づいてきて末広がりだと言って古傘を高く売りつけます。主人が言っていた末広がりの特徴に合っていたので、すっかり騙され喜んで買い求める太郎冠者に、すっぱは主人の機嫌を直す囃子物まで教えてくれました。
 急いで戻り主人に末広がりをみせる太郎冠者ですが、主人は末広がりとは扇のことでこれは傘ではないかと叱り、家から追い出してしまいます。困った太郎冠者は、都で教えられた囃し物のことを思い出し、謡ってみます。すると主人は囃し物に浮かれて機嫌を直し、太郎冠者を再び家に招き入れるのでした。

 おめでたい脇狂言としてよく演じられる曲です。
 萬斎さんの果報者が太郎冠者の謡う囃子物にだんだんノッてきて、最後のひょうきんな表情が可愛い。
 太郎冠者とすっぱは三宅家の兄弟、2人とも30代半ばくらい、近成さんが落ち着いたイイ男になったななどと思ってしまいました。

小舞「貝尽し」
 脇能『玉井』の間狂言で、いろいろの貝の精が出てきて、酒宴で謡い舞うものですが、いろいろな貝の名前を盛り込んだ謡いでの小舞。比較的若い人が舞うのは観たことがありますが、万作さんのは初めてかもしれない。万作さんが舞うと趣があってカッコ良く美しいです。

「釣狐」
 猟師に一族を次々に釣り殺された古狐が、狐釣りをやめさせようと、猟師の伯父の白蔵主という僧に化けて意見をしに行きます。猟師の家に着いた狐は、さっそく狐の執心の恐ろしさを示す殺生石の物語を語ります。猟師に狐釣りをやめることを約束させ、罠まで捨てさせて喜んで帰ろうとしますが、途中で捨てた罠を見つけ、餌に引き寄せられてしまいます。我慢できなくなった狐は、仲間を釣られた敵討ちに化身の扮装を脱ぎ身軽になって餌を食べに来ようと言って立ち去ります。
 白蔵主の態度に不審を抱いていた猟師は、捨て罠にしておいた罠を見に来て、罠が荒らされていたので、先刻の白蔵主が狐だったと知り、本格的に罠を仕掛け、藪に隠れて狐を待ち受けます。そこへ正体をあらわした狐が戻ってきて、とうとう罠にかかってしまいますが、猟師と渡り合ううちに罠を外して逃げて行きます。

 今回のメイン、内藤さんの披きです。狂言師の卒業論文とも言われる難曲で、着ぐるみの上に装束を着、重い装束で獣っぽい普段とは違う所作もしなくてはなりません。
 内藤さん、声の出し方も違い、身軽な動き、獣っぽい動きで熱演。披きとしてはとても良かったと思います。これからもがんばれ!
2020年10月11日(日) 萬狂言秋公演 六世万蔵四三回忌・八世万蔵十七回忌追善、善竹富太郎氏追悼
会場:国立能楽堂 開演:14:30

ご挨拶:野村万蔵

小舞
「鵜飼(うかい)」野村眞之介
「道明寺(どうみょうじ)」野村拳之介
    地謡:山下浩一郎、野村万禄、能村晶人、河野佑紀

小舞
「祐善(ゆうぜん)」善竹十郎    地謡:野村萬、野村万蔵

「悪太郎(あくたろう)」
 悪太郎:野村万之丞、伯父:小笠原由祠(匡改め)、僧:野村万蔵

「無布施経(ふせないきょう)」
 僧:野村萬、施主:能村晶人

「宗八(そうはち)」
 宗八:野村万蔵、僧:野村万禄、有徳人:山下浩一郎

 六世・八世万蔵さんの追善と今年亡くなった善竹富太郎さんの追悼で、国立能楽堂のロビーにはお三方の写真とお花が飾られていました。
 最初にご挨拶で出てきた万蔵さん。まず今日の演目について、お坊さんがたくさん出てきますが、狂言の世界ですから、ほぼまともな坊さんではありません(笑)と言いつつ「悪太郎」は祖父・兄が得意とした曲とのこと。善竹家については、大藏流で彌五郎さんが狂言師で初めての人間国宝、六世万蔵が二番目の人間国宝だったこと、富太郎さんとは、立合狂言で共演したことや、とても歌がうまくて、歌手になれそうなくらいだったことなどの想い出話をされていました。今回、富太郎さんの追悼で出演をお願いしたところ大変喜ばれたそうですが、大二郎さんは、他の舞台が入っていたので、十郎さんのみで小舞の出演になったとのことです。
 今の万蔵さんはおじいちゃん子だったそうで、お兄さんの八世万蔵さんは、横暴な暴力的な人で、おもちゃを取られたりしたなんて話も、笑いながらされていました。「ドラえもん」のジャイアンみたいな存在だったのかな(笑)。

小舞「鵜飼」「道明寺」「祐善」
 「鵜飼」と「道明寺」は、万蔵さんの三男眞之介くんと次男拳之介くんによる小舞。万蔵家らしく、美しくキレの良い舞。
 善竹十郎さんによる「祐善」は、大藏流なので、先日観た万作さんの和泉流の舞とはだいぶ型が違いますね。和泉流はちょっとコミカルな感じがありますが、大藏流の方はもっと格調高い感じ。万蔵さんが最初の挨拶の時に仰ってましたが、能がかりの“通円”と同じく“祐善”も実在の人物だそうで、傘張りで、もめごとや喧嘩によくなり、死んだ(殺された)のだそうです。

「悪太郎」
 大酒飲みの悪太郎は、自分が酒を飲んで酔狂することを伯父が陰で非難していると言う噂を聞き、陰口をやめさせようと叔父の家へ行きます。悪太郎は長刀を伯父に見せつけて脅し、したたか酒を飲んだ挙句、酔って帰り道で寝てしまいます。心配して後を追ってきた伯父は道端で寝入る悪太郎を見つけると、懲らしめのため悪太郎を僧形にし、今後は南無阿弥陀仏と名付けると言い残して去ります。目を覚ました悪太郎は伯父の言葉を仏のお告げだと思い、仏道修行することを決心します。そこへ出家が「南無阿弥陀仏」と唱えながらやってきて、悪太郎は自分のことかと思い返事をします。出家に南無阿弥陀仏の由来を聞かされた悪太郎は、これからは一心に弥陀を頼もうと誓います。

 悪太郎役の万之丞さん、酒飲みで乱暴者の悪太郎、出て来る時から酔っぱらって歌を謡いながらフラフラと出てきては、伯父が陰口を言っているらしいと、伯父のところへ乗りこんで、長刀で脅してまた酒を飲む困りもの。いつもは真面目そうな雰囲気のする万之丞さんなので、悪太郎は意外な配役。出てきた時の酔っぱらいっぷりはまだ完全に酔ってない(笑)、だけど、僧形にされてから念仏を唱えながらやって来る僧の万蔵さんに自分の新しい名前を呼ばれたと思って「やあ〜」「何ぞ」「やっ!」「何ぞいの」などといちいち返事をして近づく様子がトボケタ感じで、万蔵さんとのやりとりが面白かった。
 万之丞さん、カッコ良くなってきたなと思うこのごろ(^^)。

「無布施経」
 寺の僧が檀家の所へ行き毎月の勤めをし、斎(食事)やお茶も頂いて帰る際、いつも決まって出される鳥目(金銭のこと)十疋の布施が今日はなぜか出てきません。一度は寺へ戻りかけた僧でしたが、このようなことが度重なっては困ると、お布施を頂きに檀家の所へ引き返します。しかし、はっきりと布施を求めるのは具合が悪いので、それとなく気付かせようと、フセと言う音をきかせた教化にかこつけて思い出させようとしますが、それでも気付きません。やはり諦めて帰りかけますが「布施無い経には袈裟を落とす」という言葉もある。どうしても布施のことを思い出してもらおうと、再び檀家の家に引き返し、袈裟を落としたと告げて、その袈裟は鼠が銭十疋も通る穴を開けたのでフセ(伏せ)縫いにしてあるからすぐ分かると言います。ようやく布施を渡し忘れていたことに気付いた主人はいつもの布施を用意しますが、今度は僧が催促したようで受け取れない。二人が布施をめぐってもみ合ううちに、僧の懐から袈裟が出てきて、僧は面目を失い、主人に詫びます。

 萬さんの僧がやっぱり味がありますね。経を唱える時の「うにゃらうにゃらうにゃら」には笑っちゃうけれど、僧もお布施が生活の糧、でもはっきり要求するわけにもいかないという葛藤。結局、欲に負けるけれど、催促に戻ったと思われるのは体裁が悪いと、受け取れなくて揉めるうちに懐に隠した袈裟が落ちて嘘がバレてしまい、面目を失うという、カッコ悪いことになってしまう。皮肉としょうもないなあと笑い飛ばす狂言らしさ。

「宗八」
 ある家の主人(有徳人)が、持仏堂のための僧と、料理人を抱えるため高札を立てます。そこへ、最近まで料理人で出家したばかりの僧がやってきて召し抱えられます。次に、最近まで僧で還俗して料理人になった宗八という男がやって来て、同じく召し抱えられます。有徳人は、僧には法華経の読経を、宗八には鮒と鯛の料理を命じて出かけます。二人はそれぞれ未熟であるため戸惑い、相談の上、仕事を取り替えることにします。料理人姿の宗八が経を読み、元料理人が僧の姿で料理をしていると、主人が戻ってきます。二人は本来の仕事に戻ろうとしますが、あわてて宗八は鯛を持って読経し、僧は包丁で経典をたたくので、怒った主人に追い込まれます。

 経が読めない僧と、精進料理しか作ったことが無い料理人の宗八が何とかなるだろうと、仕事に着くけど結局バレて追い出される最後はドタバタ(笑)。当時の料理作法が見られるのが珍しい。万蔵さんと万禄さんのコンビのゆるゆるとしたやりとりと最後の慌てぶりが最高。

 今回は、御三方の追善、追悼のため、僧づくしの演目なのかなと思いながら来ましたが、湿っぽくならずに笑いの中で偲ぶのも狂言会ならではでした。きっと御三方も喜んでくれていることでしょう。