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能楽鑑賞日記

2021年1月22日(金) 国立能楽堂狂言の会
会場:国立能楽堂 18:30開演

「餅酒(もちさけ)」
 越前国の百姓:松田高義、加賀国の百姓:奥津健太郎、奏者:野口隆行
  笛:小野寺竜一、小鼓:飯冨孔明、大鼓:亀井洋佑、太鼓:林雄一郎
                          後見:野村又三郎

「泣尼(なきあま)」
 出家:茂山七五三、茂山千三郎、尼:茂山あきら   後見:茂山逸平

「牛盗人(うしぬすびと)」
 兵庫三郎:野村万作
 牛奉行:野村萬斎
 太郎冠者:高野和憲
 次郎冠者:月崎晴夫
 三郎の子:松原悠羽太
  地謡:飯田豪、石田幸雄、内藤連、石田淡朗
    後見:深田博治

 コロナの緊急事態宣言により、時間短縮で8時に終わらせるため、最初の素囃子と休憩時間がカットされての上演となりました。

「餅酒」
 加賀の百姓が毎年元日に菊酒を年貢に納めていましたが、今年は大雪のために行けずにいました。今日やっと都へ向かうことが出来、年貢に送れたことを心配しつつ向かいます。途中休んでいると、越前の百姓が同じく元日に納めるはずだった円鏡(鏡餅)を持って通りかかり、同道することにします。
 領主の館で年貢を納めた二人に奏者(取次役)がそれぞれの年貢を題材に歌を詠むようにという領主の命令を伝えます。二人が歌を詠むと、褒美に公事(税)が免除されることになりましたが、大喜びする二人は声が大きいと叱られ、もう一首ずつ大きな歌を詠むよう命じられます。今度もうまく読んだので、盃を頂戴し、奏者は賑やかに舞いながら出立するよう言うので、二人は舞を舞って酒と餅の徳を謡いながら帰って行きました。

 豊年で年貢を納められるのがめでたいというおめでたい狂言の一つですが、この演目は初めて観ました。
 あらすじを読んでも何と言うことも無い話ですが、歌を詠めと言われて、加賀の百姓は遠慮するのに、越前の百姓は勘違いから一旦は大喜び。その後も加賀の百姓の真似をして歌を詠み叱られますが、もう一度詠み直してうまくいくという展開、越前の百姓のトボケタ感じが結構笑えます。
 大きな歌は加賀が「盃は空と土との相の物、富士をつきずほうにこそ呑め」と、盃を載せる皿に富士山を見立てて酒を飲もうという歌で、越前は「大空に憚るほどの餅もがな、生けろう一期かぶり食らわん」と、大空一杯に広がるほどの餅が欲しい、一生かじり食べようという歌で、先日の「謀生種」の大法螺を思い起させました(笑)。
 最後は二人で謡い舞いながら明るくめでたい雰囲気で締めくくられました。

「泣尼」
 浦をたばねる男が法事をしようと思いますが、近くに僧が住んでいないので、隣の在所で見かけた僧を訪ね、説法を頼みます。僧は承諾し、後から参ると答えて男を帰らせます。ところが、この僧は未だ説法をしたことが無いので、幼い時に習った中国の親孝行の話をすることにし、さらに、どこの説法でもよく泣くと評判の泣尼を呼び出します。尼にお布施を半分渡す約束をして、二人は男のもとへ行きます。さて、説法を始めますが、尼は一向に泣かずに居眠りを始めます。なんとか説法を終えての帰り道、尼が約束の布施を要求するので、居眠っていた者に渡せるものかと、僧は尼を突き倒して逃げて行きます。

 なんとも飄々とした感じの七五三さんの僧のゆるりとした対応がたまらない。お布施を半分くれると聞いて、「ありがとうて、ありがとうて」と泣く尼に、「泣きにくいところをよう泣いた」と感心したり、居眠りを始める尼を見ながら説法の「眠りをさまし」とか「涙」とかを強調する様子が可笑しくて笑える。尼のあきらさんが、ついにごろんと横になって寝てしまうのを施主の千三郎さんが見て驚いていた様子も面白かった。
 最後には居眠りしてただけなのにお布施を欲しがる尼の強欲さにも呆れるけれど、元々はお布施欲しさに出来ない説法を引き受けて泣尼を頼む僧にも問題あり。生臭坊主に生臭尼ってところが狂言らしい(笑)。

「牛盗人」
 鳥羽離宮の牛が盗まれ、犯人を訴え出た者には願いを何でも叶えるという高札を牛奉行が掲げます。すると少年が、兵庫三郎という男が牛盗人であると申し出ました。奉行の配下の太郎冠者と次郎冠者に捕らわれた三郎は、無実を訴えます。そこで証人として先ほどの少年が連れてこられますが、なんと少年と三郎は親子でした。三郎は盗みを白状し、我が子を非難すると、盗んだ牛は市で売って、その代金で親の追善法要を行ったと明かします。そして仏の弟子しょうちん比丘が牛を盗み、親の追善をした故事を語り、自分の盗みも罪ではないと主張しました。しかし奉行は許さず、引き立てようとします。その時、少年は褒美を望み、父の助命を求めて、他人の訴えで父が処刑されぬように自分が訴えたと言います。それを聞いた三郎は感激し、奉行ももらい泣きして三郎を許し、三郎は喜びの舞を舞います。

 萬斎さんの牛奉行はいかにも厳めしい黒い大髭をたくわえて万作さんの三郎を引立てさせますが、縄をかけようとする太郎冠者(高野)と次郎冠者(月崎)が三郎に投げられて見事に前転。
 三郎は捕まっても最初は知らぬ存ぜぬで通し、自分の子が訴え出たと知ると、子供を罵倒し、故事を語って事情を話したり、子の思いを知ってからの場面など、三郎の心の変化を演じる万作さんの演技が味わい深いです。
 う〜ん、でも親の法要のためとは言え、牛を盗んだことを正当化するのはダメでしょ。子供が親思いで奉行ももらい泣きしたくだりは理解できるけど、人情話めいた狂言です。
 松原悠羽太くんは、しっかりした子方で、前にもこの役やってたような。故事まで引き合いに出す三郎の言い訳より、子の親を思う健気さに免じてということでしょうね。
2021年1月7日(木) 第93回野村狂言座
会場:宝生能楽堂 15:00解説開始

解説:野村萬斎
「牛馬(ぎゅうば)」
 牛商人:内藤連、目代:岡聡史、博労:中村修一   後見:飯田豪

「謀生種(ほうじょうのたね)」
 伯父:石田幸雄、甥:石田淡朗           後見:月崎晴夫

「空腕(そらうで)」
 太郎冠者:野村万作、主:高野和憲         後見:中村修一

「音曲聟(おんぎょくむこ)」
 聟:野村太一郎、舅:野村萬斎、太郎冠者:飯田豪、教え手:深田博治
                          後見:竹山悠樹

「牛馬」
 牛馬を扱う新市が立つことになったので、所の目代が、一の杭につないだ者を市の司にし、萬雑公事(税金)を免ずるという旨の高札を打ちます。早速やって来た博労は、一番乗りして馬を杭につなぎ、一眠りすることにします。わずかに遅れて現れた牛商人は博労の姿を見て驚きますが、自分も牛をつないで一番乗りをよそおいます。目を覚ました博労は牛商人をとがめ、二人は大声で争います。止めに入った目代に向かって、二人は馬と牛の由緒正しさをそれぞれ語りますが、決着がつかないので、競争で決着をつけることになり、当然馬が勝ちますが、牛商人も懸命に博労を追って行きます。

 萬斎さんが最初の解説で、今回は牛と嘘にちなんだ話と言ってました。丑年なんで牛というのは分かりますが「牛馬」は、初めて観る演目です。牛馬を出さずに象徴化して、博労自体が馬みたいで、牛商人が牛みたいな感じと言ってたので、どんなのかと思ってましたが、博労の中村さんは馬蹄柄の肩衣で馬のしっぽのような白い房を棒にかけて出てきます。牛商人の内藤さんの方は黒い長い房を棒に下げて、それぞれの棒に下げた白い房と黒い房が馬と牛を現してるんですが、そんな簡単な仕掛けが馬と牛っぽく見えてくるから不思議ww。
 市の司取りをめぐる争いは「鍋八撥」と同じ。馬と牛の由緒については語りの現代語訳がプログラムに挟んであって、古事記や日本書紀、伊勢物語や和漢朗詠集などを引いての由緒を長々ともっともらしくもこじつけっぽくも語るww。最後は、競争で決着をつけようと・・・馬が勝つに決まっているけれど、牛商人が「明後日には追いつこうぞ」と言うのは、負け惜しみでも何とものんびりしてて面白い。

「謀生種」
 会うたびに伯父に嘘の話をされて騙されている甥は、今日こそは自分も上手に嘘をついて伯父に勝ってやろうと、張り切ってやってきます。甥は、富士詣でに出かけた折、若者が富士山に紙袋を着せるのを見た、と話しますが、伯父は、自分は琵琶湖の水を茶に点てて飲み干す若者を見たと言います。さらに甥が、播磨の印南野(いなみの)に寝ていた牛が、淡路島の草を食べるのを見た、と言うと、伯父は、その皮を張って作った三里四方の太鼓を見た、と言います。
 どうしても伯父にかなわないと思った甥は、どうすれば嘘が上手になるのかと尋ねると、伯父は謀生の種という嘘の種があるのだと言いだし、その種を埋めたと言って掘らせます。いくら掘っても出てこないと、伯父は「それが無いのを謀生の種という」と言って、甥はいっぱいくわされます。

 石田親子の共演。「謀生種」もずい分久々に観る演目ですが、いかに上手な嘘をついて騙すかという事より、いかに大げさで奇想天外の嘘をつくかの比べっこみたいです。ムキになる甥と、それを飄々とかわす伯父。誰も傷つけない大法螺だからいいのかも。そこが狂言らしいところ。

「空腕」
 臆病なくせにいつも強がっている太郎冠者の様子を見ようと、主人は太郎冠者を、淀に使いに出します。太郎冠者は、日が暮れているから嫌だと抵抗しますが、主人に脅され、しぶしぶ出かけます。暗くなって、恐くてしかたがない太郎冠者は、茨の藪を人と間違えて怯えたり、目をつぶって歩くうちに松の木とぶつかったり、挙句の果てに、追いはぎが出たと勘違いして、主人から借りた黄金作りの太刀を差し出して命乞いしたりする始末。
 様子を見に来た主人は、太郎冠者のあまりの臆病ぶりに腹を立て、太郎冠者の背中を叩いて太刀を取り返し、帰宅します。叩かれて目を回した太郎冠者は、目覚めると急いで帰宅し、主人に、使いの途中で大勢の男たちに襲われたので、大立ち回りを演じて太刀が折れたので投げつけて逃げ帰ったと語ります。主人は感心して聞いているふりをしますが、太郎冠者のいない間に太刀を買ったと言って、目の前に太刀を突き付け、なおも誤魔化そうとする太郎冠者を叱りつけます。

 空腕とは、空威張りのこと。前半の暗闇に怯える臆病ぶりと、後半の大げさに武勇伝を仕方で語る太郎冠者の落差が万作さんの名演で本当に面白い。高野主人は太郎冠者に普段から呆れているんだろうけれど、ちょっと意地悪だよねww。

「音曲聟」
 今日は最上吉日なので、舅は聟が挨拶に来るのを、準備を整えて待っています。一方聟は、聟入りの作法が難しいと聞き、知り合いの男の家に教わりに行きますが、男になぶられ、嘘の作法を教えられます。舅宅に着いたら、三つ調子を打ち、節をつけて謡って挨拶しろ、舅の前に出たら、三足出てから三足戻り、キリリと回って座れ、などとおかしな作法を吹き込まれた聟でしたが、疑いもせず、舅宅で教えられたとおりの作法を披露します。驚いた舅は聟は律儀な人と聞いていたので、誰かにからかわれたのだと悟って、恥をかかせないために自分も聟の作法を真似て対応し、盃事も終わり、二人でめでたく舞いを舞います。

 聟さんが失礼な聞き方をするので、教え手がへそを曲げて嘘の作法を教えるのですが、聟さんは世間知らずで生真面目なだけなので、失礼な聞き方をしたつもりもなく、教えられた通りにやってしまいます。舅宅でそれを唐突に始める太一郎聟に笑ってしまう。それに驚いて固まっちゃう萬斎舅の様子も可笑しくて、それでも聟に恥をかかせまいと真似する舅がいい人すぎる。内容は「鶏聟」の鶏の真似がいきなり音曲になるだけですが、最後は二人で相舞となり、おめでたく、ほのぼの暖かい気持ちになります。
 太一郎さんや僚太さん、裕基さんなどが聟役をするようになって、萬斎さんの舅役も多くなっていくのでしょうか。