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能楽鑑賞日記

2021年2月23日(火・祝) 第七回立合狂言会
会場:宝生能楽堂 14:00開演

解説:大藏彌太郎、野村又三郎

リモート飲み会?
「樋の酒(ひのさけ)」大蔵流 茂山千五郎家
 太郎冠者:茂山茂、主人:島田洋海、次郎冠者:鈴木実  後見:大藏彌太郎

小舞 一騎打ち
「御田(おんた)」大蔵流 善竹家
 善竹大二郎   地謡:大藏教義、大藏彌太郎、大藏基誠
「田植(たうえ)」和泉流 野村又三郎家
 奥津健太郎   地謡:奥津健一郎、野口隆行、野村又三郎、野村信朗

解説:大藏彌太郎、野村又三郎

密で飲む?
「寝音曲(ねおんぎょく)」和泉流 狂言共同社
 太郎冠者:鹿島俊裕、主人:井上松次郎    後見:野村又三郎

小舞 三つ巴戦
「道明寺(どうみょうじ)」大蔵流 大藏彌右衛門家
 大藏基誠   地謡:小梶直人、大藏教義、大藏彌太郎、吉田信海

「八島(やしま)/後」和泉流 野村万蔵家
 野村万之丞   地謡:野村拳之介、野村万蔵、能村晶人、野村眞之介

「鵜飼(うかい)」大蔵流 茂山忠三郎家
 茂山忠三郎   地謡:岡村宏懇、山本善之、石倉昭二、小斉真路

マスクして飲む?
「伯母ヶ酒(おばがさけ)」大蔵流 山本東次郎家
 太郎:山本則孝、伯母:若松隆    後見:大藏彌太郎

善竹富太郎君を偲ぶ
手向「祐善(ゆうぜん)」  全員

笑い留め  全員

 大蔵流と和泉流の中堅・若手が集まっての狂言会。今回初めて観に行きました。客席はほぼ満席でした。
 今回の世話役は大藏流の大藏彌太郎さんと和泉流の野村又三郎さん。狂言の選曲を彌太郎さん、小舞の選曲を又三郎さんが担当したそうです。
 今回の出演に当たって全員PCR検査を受けて陰性とのことでした。

「樋の酒」
 主人は留守中に召使いが酒を盗み飲みするので、太郎冠者を軽物(絹布)蔵、下戸の次郎冠者を酒蔵に閉じ込め外出します。すると、主人が下戸と思っていた次郎冠者が酒蔵で酒を飲みだし、軽物蔵の太郎冠者も飲みたくてしかたありません。そこで、蔵の窓と窓の間に樋を通し、酒を流して飲めるようにします。二人は別々の蔵で謡い舞い賑やかな酒盛りを始めますが、戻った主人に叱られ追いかけられます。

 和泉流では、何度も観たことがありますが、大蔵流では、明治以後廃曲になっていて、稀にしか上演されないそうです。元祖リモート飲み会。
 和泉流では、蔵の番をするよう言いつけられて、最初は樋を通して飲んでいたのに、閉じ込められたわけではないらしく、太郎冠者は軽物蔵から酒蔵に移動して酒盛りを始めちゃいますが、大藏流では、太郎冠者が盗み飲みをするので、太郎冠者を軽物蔵へ、下戸と思っていた次郎冠者を酒蔵へ閉じ込めて出かけます。それぞれの蔵を本舞台と橋掛かりに分けて、欄干を使って樋を通しますが、酒蔵と軽物蔵の位置が和泉流とは逆になります。和泉流だと酒蔵で謡い舞いの酒盛りになるので、酒蔵が本舞台ですが、大藏流だと、酒蔵が橋掛かりです。酒蔵で、すぐ酒を飲みだす次郎冠者が何で今まで主人に下戸だと思われていたのか、よっぽど上手くごまかしていたんでしょうが、これでバレバレですね(笑)。本当は全く顔に出ない酒豪なのかも。途中から「七つになる子」の相舞になりますが、太郎冠者はベロベロに酔っぱらって寝ちゃい、主人に起こされて叱られます(笑)。

小舞「御田」「田植」
 どちらも能『賀茂』の替間の「御田」を狂言として独立させたものが、大藏流では、そのまま「御田」、和泉流では「田植」というそうです。神職と早乙女たちの軽妙な掛け合いで、大藏流の「御田」はシテが神職の舞をエブリ(鍬)を持って舞い、地謡が早乙女の謡を謡います。それに対し和泉流の「田植」の小舞では、早苗を植える場面を扇を持って小舞で舞い、地謡が早乙女の謡を謡います。「御田」のシテは、飛び返りを前半で3回、後半で1回行い、動きの多い舞なのに対し、「田植」では、アイリッシュダンスのようなと解説で言ってましたが、足拍子の多い舞になってました。「田植」の小舞が、早苗を植える場面で五穀豊穣を祈るということで、地を踏む足拍子が多くなってるらしいです。狂言の「田植」は、万作家で何度か観たことがありますが、小舞の「田植」は又三郎家独特のものなのか、初めて観ました。

「寝音曲」
 太郎冠者が謡を謡う声を聞いた主人は、自分の前で謡うよう太郎冠者に命じます。太郎冠者は、今後たびたび謡わされては困ると考え、酒を飲まねば謡えないと言うと、主人は酒を飲ませて謡わせようとするので、今度はその上、妻の膝枕でないと謡えないと言います。それなら自分の膝を貸そうと言い、主人は太郎冠者に膝を貸してやります。しかたなく太郎冠者は謡い始めますが、寝ている時は謡えるのに、起きると声が出なくなるふりをします。調子に乗った太郎冠者は取り違えて、膝枕の時に声を出さず、起こされた時に声を出してしまい、挙句の果てには謡いながら舞いだして、すっかり嘘がバレてしまいます。

 主人役は佐藤融さんの予定でしたが、井上松次郎さんに代わりました。病気ではなく、怪我とのことです。
 膝枕で密で飲む。膝枕で謡う謡は、常の邯鄲と貝尽しではなく、伝書にある他の謡にしてみようということで、変えたそうですが、何の謡いかは、詳しくないので分かりません(^^;)
 和泉流でも狂言共同社は普段見ている三宅派の野村万蔵・万作家とは最後が違っていて、太郎冠者は主人に叱られて逃げるのではなく、主人にあべこべになっているのを指摘されると、「忘れました」「謡い直しましょうか」「起きていて謡いましょう」と、主人も「それならば許す。まず今日は、いて休め」と言って二人とも引き上げて行きます。大蔵流では、嘘がバレて逃げる太郎冠者を主人は許し、もう一曲謡うよう声をかけるそうです。流儀の違いだけでなく、和泉流は三宅派、野村(又三郎)派、山脇派で違うので、面白いです。

小舞「道明寺」「八島/後」「鵜飼」
 能『道明寺』は菅原道真の氏寺・道明寺の縁起を説いた脇能。大蔵基誠さんが、勢いのあるキレの良い舞で見せてくれました。
 能『八島』の後場、義経の亡霊が修羅道の戦の様子を舞います。万之丞さん、力強くてキレの良い舞でした。
 能『鵜飼』は、殺生禁断の場所で密漁をしたため、捕えられ川に沈められた鵜使いの亡霊が旅僧に供養され、鵜飼の様子を舞いますが、忠三郎さんの舞で、魚を探す鵜の動きや死んだ鵜使いが月を見て泣いたり、月やかがり火の眩しさなどを表現されていました。

「伯母が酒」
 太郎は酒屋を営む伯母を訪ねますが、伯母はケチで一度も酒を振る舞ってくれないので、今日こそはと思い、色々と口実をもうけて酒を出させようとします。しかし、伯母はその手に乗りません。そこで、太郎は帰ると見せかけ、この付近には鬼が出るとの噂があると、脅しておき、鬼の面を被って改めて伯母を訪ね、恐れて平伏する伯母に今度は甥に酒を振る舞えと命じます。そして、自分も飲みたいと、酒蔵に入り存分に飲みますが、酔いがまわって寝込み、正体を見破られて追われます。

 酒を飲みたい太郎が、いくら口実をつけても、頑なに拒む伯母。そんな伯母をじっとりと見て帰りかける太郎。山本家らしい生真面目な感じの則孝さんの演技ですが、酒蔵で飲みだしてから、伯母に見るなと言って酒を飲み、面を横にかけて飲みだしたり、ついには横になって、頭が重いからと面を膝につけて寝てしまうのは、やっぱり笑ってしまう。マスク(面)して飲む。

手向「祐善」
 最後に出演者全員が本舞台から橋掛かりまで並んで「祐善」の謡。なかなか壮観でしたが、大藏流と和泉流の謡い方をこれだけの大人数で合わせるのはちょっと難しいようで、少しバラバラな感じ。でも、富太郎さんを偲ぶ供養になっていたと思います。

 笑い留めは、会場に響き渡って、凄かったです。その後、マスクを取っての撮影タイムで、それぞれが狂言の様々なポーズをとって見せてくれました。

 流儀、流派による違いが一同に観られるのが興味深く、なかなか面白い会でした。