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能楽鑑賞日記

2006年12月23日 (土) 至高の華
会場:宝生能楽堂 17:00開演

「狸腹鼓」 狸:野村萬斎、猟師:石田幸雄
(補校 堂本正樹)        笛:松田弘之、小鼓:大倉源次郎、大鼓:亀井広忠

『鵺』白頭
 シテ(舟人・鵺ノ霊):梅若六郎
 ワキ(旅僧):宝生閑
 アイ(蘆屋ノ里人):高野和憲
        笛:松田弘之、小鼓:大倉源次郎、大鼓:亀井広忠、太鼓:助川治
          後見:角当行雄、清水寛二、山崎正道
             地謡:柴田稔、梅若晋矢、馬野正基、角当直隆
                 古川充、坂真太郎、谷本健吾、松山隆之

「狸腹鼓」
 今年は「狐」に続き「狸」です。一子相伝で、「釣狐」をした者でないとできない曲とされているそうです。内容は、前半は「釣狐」に似たような構成です。
 いろいろな台本と演出があるそうですが、和泉流三宅派の「加賀狸」に基づいて前後に菊柴垣を並べた一畳台が出され、そこに狸が隠れたりします。
 尼姿の狸は「釣狐」の白蔵主ような特殊な面ではなく、狸の面で、焦げ茶の着ぐるみの上に尼の装束をつけています。最初に出てきた猟師は、猟が楽しくてしょうがない様子で「殺生ほど面白いものはない」などと言い、それにしても孕み狸を逃したのが残念だなどと言っています。そこへ夫が帰ってこないのを心配した雌狸が、尼に化けて現れます。猟師と鉢合わせ、あまり見かけない尼だと言われた狸は、この辺に住む尼だと言います。弓矢を持った猟師が猟のことを語り、狸は皮を剥いで毛皮にし、身は狸汁にして食べるなどと言うたびに、“ひぇ〜”という感じに恐ろしがって震えながら顔を隠す尼狸ですが、それでも猟師に殺生の罪は重く、子孫まで報いがあると説いて聞かせます。それを聞いた猟師は、もう殺生はしないと誓い、弓矢を捨てますが・・・。
 喜んで帰る尼狸が犬の鳴き声に驚いたところを猟師に聞きつけられ、化けの皮が剥がれてしまいます。矢をつがえて狙いをつける猟師に、狸はお腹の子供のために必死に命乞いをします。さすがに可哀想になった猟師は腹鼓を打ってみせたら命を助けようと言い、狸は正体をあらわして腹鼓を打って回ります。この時、橋掛かりで尼装束を脱ぐ早変わりで、でんぐり返しをして狸の姿になってあらわれます。身重な狸でちょっと出たお腹、狸面は狐と違って目がくりっとしています。狸が腹鼓を打ってみせると猟師は大喜びで浮かれ出し、真似をしたりして、狸と浮かれながら帰っていきます。一緒に浮かれて入っていくのは近年、万作さんがやったものだそうです。
 「狐」のような緊張感はあまりなく、むしろほのぼのとした感じの曲でした。狐と同じような獣の身体表現が駆使されていて、難しさでは狐のほうが難しいそうですが、狐の動きを身につけないと出来ないというのはわかる気がします。謡のときはいつもの低い声ですが、台詞の時は高い声で、仕草も獣的な中に柔らかい女を感じさせるものがあり、いつも女役が得意でない(そう見える)萬斎さんにしては、人間の女役より女(母)を感じました。腹鼓を打ちながらお腹を気遣ってさするところは、可笑しさと同時に切なさを感じ、とってもいじらしくて可愛い狸さんでした。
 腹鼓の真似をして浮かれる猟師の石田さんは、「靱猿」の気のいい大名のように見えました。
 この最後の浮かれ入りは、猟師に言われてお腹を庇いながらしかたなく腹鼓を打つ雌狸なら、隙を見て脱兎のごとく逃げていく普通の演出のほうが納得できるなという気もしましたが、これで猟師が雌狸を逃がしてくれたなら、無事に子狸も生まれて、この親子狸を撃つことなどしないだろうなと考えると、ほんわか気持ちも暖かくなってきます。

『鵺』
 旅の僧が蘆屋の里で宿を借りようとして断られ、洲崎の御堂に泊まることにしますが、里の男はそこには化け物が出るといいます。僧は法力があるから平気だと、その御堂に泊まることにします。すると、そこへ空舟に乗った姿のはっきりしない不思議な舟人が現れます。舟人は、頼政に退治された鵺の亡魂であることを明かし、自らの最後を語った後、恐ろしい鳴き声を残して夜の海に消えます。
 僧の様子が気になった先ほどの里人が僧のもとを訪ね、僧の問いに頼政の鵺退治のことを語ります。里人が帰って、僧が読経していると鵺の亡霊が現れ、殺されたときのことや鵺退治で頼政が恩賞を賜ったこと、死骸が空舟に入れられ淀川から流されたことを語った後、暗黒世界に没した魂の救済を願って海中に沈んでいきます。

 前場、後場とも葛桶に腰掛けて仕方話が入ります。前場の舟人は黒頭をつけていて、橋掛かりをすーっと出てくるところは六郎さんらしい運びの美しさです。黒頭が面の両サイドを隠して顔が小さく見えるところは良いのですが、横から見た体の厚みは、やっぱりもう少し痩せたほうが良いのではと思ってしまいます。頼政と猪ノ早太、頼政の郎党とを演じる前場の仕方話が討つ側の様子を再現しているのに対し、後場の鵺の本性で現れてからの語り舞いは、腹に矢が突き刺さった様子を表したり、頼政になって褒美の刀を賜る様子を見せたり、また死骸が川に流される様を流れ足で表現したりと変化に富んだ演出になっていて面白いところです。後場の鵺の霊は、白頭で半幕で姿を見せた後、一度幕が下がってから揚幕が上がって現れます。後場の六郎さんは、重量級の足拍子や力強い謡いが迫力があり、分かりやすい写実的な型や流れ足などの動きの良さが表現力豊かで、鵺退治の様子がありありと見えました。
2006年12月22日 (金) 幸弘☆萬斎☆広忠☆能楽現在形 第2回公演
会場:宝生能楽堂 18:30開演

一調「張良」 宝生欣哉 太鼓:金春惣右衛門

舞囃子「野守」 大島輝久
        笛:一噌幸弘、小鼓:成田達志、大鼓:亀井広忠、太鼓:金春惣右衛門

能『井筒』
 シテ(里女・紀有常の娘):狩野了一
 ワキ(旅僧):宝生欣哉
 アイ(所の者):野村萬斎
        笛:一噌幸弘、小鼓:成田達志、大鼓:亀井広忠
          後見:塩津哲生、友枝雄人
             地謡:友枝昭世、粟谷能夫、粟谷明生、長島茂
                 金子敬一郎、内田成信、佐々木多門、大島輝久

アフタートーク
 土屋恵一郎、一噌幸弘、野村萬斎、亀井広忠、狩野了一、大島輝久

 この日は、寝不足だったため、初めから沈没の危険大の状態でした。やっぱり、所々意識が飛んでるところもありましたが、でも、若手とはいえレベルの高い、良い会だったと思いました。
 プログラムでは、順番は舞囃子が最初でしたが、都合で一調と順番が入れ替わっていました。

一調「張良」
 一調という形で欣哉さんの謡いをきっちり聞いたのは初めてです。アフタートークでプロデューサーの土屋氏が謡いはお父さんの閑さんより上手いといっていましたが、前日の「能楽観世座」で閑さんが、同じ「張良」を一調でやったんですよね。残念ながら私は遅刻して閑さんの一調は聞けませんでしたが(^^;)。
 ビブラートボイスで力強い欣哉さんの謡いがじっくり聞けました。金春惣右衛門さんの太鼓の音が、またとっても心地良かったです。

舞囃子「野守」
 前の席の人の頭がちょっと邪魔になったというのもありますが、ちょうど睡魔が襲ってくる時間でした。でも、大島輝久さんの舞は力強さとキビキビした動きに美しさがあり、なかなかステキでした。お囃子ものっていて気持ち良かったです。

『井筒』
 狩野了一さんのシテは端正で美しい。喜多流の人は足の運びが綺麗です。友枝昭世さんの地頭による地謡も合っていて、柔らかく気持ち良くて夢の中へ・・・前場は、やっぱり時々夢の中でした(^^;)
 前シテが中入りして、萬斎さんのアイ(所の者)が出てきて、僧に問われて業平と紀有常の娘のことを語ります。前シテの語りを反復する内容ですが、キリっとしてシャープな語りでした。幼馴染みでいつも井戸のところで遊んでいた二人が夫婦になったことや、河内の女のところへ通う業平の道中の安全を心配する妻の心に打たれて、業平が河内通いをやめたことなどを語ります。
 後シテは業平の形見の烏帽子直垂をつけた有常の娘の霊が出てきて業平のことを想い、昔を懐かしんで序の舞を舞うのですが、この序の舞も透明感があって美しかったです。喜多流では「井筒」の面は小面という一番若い女の面を使うので、可愛らしいのですが、その中に大人の女の雰囲気がありました。
 井戸を深く覗き込み、業平の姿をした自分の姿を見た時の女の顔(面)が不思議な笑みを湛えていてゾクっとしました。それから遠くを見つめるように想いにふける女。夫業平に対する恋慕、懐かしさ、そして、さまざまな想いがいっぺんに去来してきたのではないでしょうか・・・。
 やっぱり、狩野さんのシテはステキでした。  
2006年12月21日 (木) 能楽観世座 第12回公演「邯鄲」
会場:観世能楽堂 18:30開演

一調「張良」 宝生閑  小鼓:曽和正博

狂言「月見座頭」 座頭:茂山忠三郎、上京の者:善竹十郎

能『邯鄲』夢中酔舞
 シテ(盧生):観世清和
 子方(舞童):観世三郎太
 ワキ(勅使):宝生閑
 ワキツレ(大臣):宝生欣哉、則久英志、梅村昌功
 ワキツレ(輿舁):殿田謙吉、大日方寛
 アイ(宿の女主人):茂山良暢
    笛:一噌幸弘、小鼓:曽和正博、大鼓:亀井広忠、太鼓:助川治
      後見:木月孚行、山本章弘
         地謡:梅若六郎、観世芳伸、上田貴弘、関根祥人
             浅見重好、上田公威、藤波重孝、角幸二郎

 今回は、開演時間に間に合わず、15分くらい過ぎてしまい、「月見座頭」の途中で、二人が歌を詠みあって、「それは古歌ではないか」と言って笑い合う場面あたりからの鑑賞になってしまいました。そこから二人が酒を酌み交わして謡い舞う酒宴になるのですが、忠三郎さんと善竹十郎さんのコンビも合うなあと思いました。本当に酒宴を楽しんでいるという感じの二人、十郎さんは舞う時もにこにこと楽しそうな表情で舞っているし、ゆったりとした忠三郎さんの座頭は舞うときも杖をついて、舞うというより座頭の有様をそのまま表現した舞という感じ、万作さんのような美しい舞とは違いますが、もともと目の見えない人ならばこんな感じかも、と思われるような舞でした。
 それに、同じくらいのベテラン同士だと、アドが若い人の場合とは酒宴の雰囲気などが全然違ってくるなと思いました。十郎さんのお酒を勧める時の間(ま)や、ちょっとした仕草、雰囲気、お互いの息みたいなもんでしょうか、なんともいい雰囲気で、お酒を楽しんでいる年輩のおじさん達でした。
 楽しんで機嫌良く別れた後に、上京の男の心の中にふと起こった悪心、「座頭と月見の宴ができるとは面白かった」というのと同じ延長線上で、「面白そうだから喧嘩をしかけてやろう」という気持ちが湧いたというように感じました。
 倒された座頭は杖を探し、目の見えぬの身の哀しさを謡った後、今の奴は最前の人と違い、情けのない人だと嘆いて帰っていきます。野村家のような美しいリズムの杖のつき方ではありませんが、本当に杖で行き先を確かめながら歩いているようで、その後ろ姿に哀感が漂っていました。

『邯鄲』夢中酔舞
 「50年の栄華も一炊の夢ぞかし」です。
 2,3回は観ている曲なんですが、これってワキ方がこんなに大勢出たんだっけ?なんて思ってしまいました。ワキ方総勢6人登場です。
 中国の蜀の国の盧生という青年がいかに生きるべきかという人生の大事を求めて、楚の国羊飛山に住む高僧に教えを乞うために旅へ出て、途中、邯鄲の里で一夜の宿をとります。
 最初にアイの宿の女主人が枕を抱えて出てきて、邯鄲の枕の謂われを語って寝所に枕を置いて待っていると、悩めるシテの盧生が現れます。女主人はこれから粟の飯を炊きますから、炊きあがるまで一眠りしてはどうかと盧生に勧め、この宿には「邯鄲の枕」という不思議な枕があり、この枕で寝ると過去未来のことについて悟りを開くといわれたので、盧生は早速その枕で眠りに落ちます。
 すると勅使が来て起こされ、楚の国の帝が帝位を盧生に譲りたいとおっしゃるので、すぐに玉の御輿に乗って宮中へ行くように言われます。盧生は、いったいどうして自分が帝位に即くのか訳も分からないまま輿に乗り宮中に着きますが、雲の上と呼ばれる宮中は光に満ち満ち、宝物を捧げる諸侯は行列をなし、王となった盧生に敬礼して繁栄を祈る声おびただしい限りです。
 勅使、輿舁が切り戸口から去り、大臣と舞童が揚幕から現れ、盧生の前に座ります。廷臣は、盧生が帝位に即いてから早くも50年経ったので、仙界の酒を呑めば、一千歳の寿命を保ち、栄華は万年も続くでしょうと奏上します。舞童が舞い、盧生も舞い、宴は昼夜となく続きます。
 しかし、突然、舞童と大臣たちが切り戸口に走り込むように去ると、盧生も寝所に飛び込んで、女主人の「粟の飯が出来ております。」という声に目が覚めます。50年の栄華の暮らしも粟の飯を炊くほんのつかの間のことであったと、ただ茫然と起きあがった盧生は悟り、この世の栄華も歓楽も一睡の夢のごとし、「邯鄲の枕」こそ我が師であったと悟りを得て、心穏やかに故郷へ帰るのでした。
 アイは夢の間は橋掛かりの定位置に座り、最初に枕を持って出てきてから、最後にまた枕を持って去るまで出ずっぱりです。
 この能は、夢に入る時と夢から覚める時の展開が特徴的で面白いです。盧生が寝所に入ると、すでに揚幕から夢の中の勅使の行列が盧生の所へ向かっていて、盧生が眠りにつくとすぐ扇で枕元を叩いて起こします。覚めるときも寝所に走り込む盧生の後ろからすでに女主人が動き出していて、寝所に飛び込んで横になると、扇で枕元を叩いて起こします。この夢と現実の間の演出が他の能には無い面白さがあります。
 観世宗家の舞いはキリっとメリハリがあり、美しい舞いでした。勢いよく寝所に飛び込んだ時に枕が一畳台から落ちてしまうハプニングはありましたが、寝所が王座に変わって、その中で舞い、ふと後ろ向きに座って物思いに沈む姿や、目覚めて茫然と座っている姿も印象的でした。
2006年12月16日 (土) 新宿狂言 Vol.13『落語もとねた狂言会』
会場:全労済ホール/スペース・ゼロ 13:00開演


独・素狂言 野村萬済

狂言「鏡男」 夫:石田幸雄、鏡売り:高野和憲、妻:深田博治

狂言「骨皮」 新発意:野村萬斎、住持:野村万作、檀家:竹山悠樹、月崎晴夫、深田博治

 『落語もとねた狂言会』ということで、舞台はすっかり寄席風。橋掛かりが両側に付いた張り出しの能舞台ではあるのですが、提灯が下がっているし、後は襖、めくり台もあり、正面襖の上に掲げた新宿狂言の額の文字も落語文字。もちろんプログラムや会場に掲げられた文字はすべて落語文字です。今回の舞台はシンプルだなあ、これで全編通すのかと思ったけれど、さにあらず、やっぱり、いろいろ仕掛けがありました。
 時田さんが、まず座布団を舞台の真ん中に置いて、帰りがけにめくり台をめくっていきます。「枕 独・素狂言 野村萬斎」の文字が。
 落語の出囃子にのって出てきた萬斎さんが座布団に座り、落語家みたいに羽織は着ていませんでしたが、青い紋付に袴姿で、まず「枕」最初の解説みたいなもんです。詳しくは覚えてませんので、あしからず。
 素狂言は、茂山家が発祥とのこと、そのとおりです。余談ですが、千作さんの素狂言「九十九がみ」が22日に国立能楽堂であります。一人でやるのではないので、落語風とは違いますが、装束はつけず、座ったままで台本を置いて、言葉だけの演技になるようです。元は千作さんのために作った新作狂言だったのだそうですが、台詞が多くて新作は覚えられないという千作さんのために素狂言という形にしたらしいです。しかし、千作さんならきっと面白いですよ。
 まあ、それはともかく、今回は「独・素狂言」ということで、一人で座ったまましゃべるので、(台本は置いていません)まったく落語風、萬斎さんは横浜にぎわい座での花録さんとの競演でやったのが初めてで、その時は「佐渡狐」で3人の応酬が激しくて、わけが分からなくなって間違えちゃいましたとのこと。それで、今回は登場人物が二人の「柑子」にしたそうです。
 「鏡男」では、「仮面ライダー」世代なので、クモ男とかハチ女とか想像してしまいますが、なんて、ミラーマンなんて言っていましたが、鏡と男という意味ですと。
 本当はシテは万之介さんがやることになっていたのですが、昨日の舞台の1時間前になって、体調が悪くて出られないということになって、さあ大変!昨日は急遽、萬斎さんが代役をしたそうですが、それでは出ずっぱりになってしまってさすがにキツイということで、この日は石田さんがシテ、石田さんの妻役を深田さんがやることになりました。
 昨日は朝からNHKの収録もあったそうで、さすがにヘロヘロになったようです。「夷毘沙門」とか言ってたけど、たしか、正月2日の朝の「能・狂言」が万作さんの「夷毘沙門」になってます。
 「骨皮」は、萬斎さんは、きっとこの演目好きなんじゃないかな(笑)。一番楽しそうなんだもの。ここに出てくる新発意が、住持のいうことをそのままインプットして素直にその通りにやろうとして起こす、イノセンスが巻き起こすナンセンスな事態ということで、そのとおり真似るというのでは「口真似」や「咲華」にもありますが、「骨皮」では真似ることがズレていく面白さがあります。
 で、この演目を理解する上でのいくつかの言葉の説明をするわけですが、それが一番嬉しそう(爆)。まず「いちゃ」「いちゃ、いちゃ、いちゃ」となぜか連呼。「いちゃ」とは若い女性のこと。そして「眠蔵(めんぞう)」というのは寝室のこと、ここでも「ベッドルーム」ですね。と意味深にニヤリ。そして「堂の鳩の呻く声」ということで、鳩の鳴き声は今は「ぽっぽっぽ」ですが、昔は「くー、くー、くー」と聞こえたそうで、この「く〜」が妙に悩まし気な発声で、やっぱり、萬斎さん嬉しそうですよ(爆)。鳩の話から「ベストヒットUSA」のPRINCEの話にまで飛んでましたが・・・。 
 実際には最後に素狂言の話になり、そのまま「独・素狂言」の「柑子」に入るという、落語の枕から本編にはいる時と同じ絶妙なタイミングでした。

 プログラムには、「新宿狂言 知識の泉」「落語 種」で落語の「金明竹」と「松山鏡」の台詞がのっています。「金明竹」が「骨皮」「松山鏡」が「鏡男」をもとねたにしたようで、これ、とっても面白いです♪

「独・素狂言」
 余談で、千作さんの素狂言「九十九がみ」のことに触れましたが、茂山家は以前から桂米朝さんと親交があり、コラボなどしていることから、落語風の素狂言は千之丞さんが考え出したようです。
 素狂言での「柑子」は、座っているというだけで、上半身は型も台詞も狂言の役のとおりを一人二役でやっているわけですが、萬斎さんの台詞回しも調子が良く、落語風に聞こえます。最後にちゃんとオチがついて、「柑子」はそのままでも落語になるんじゃないかと思ってしまいました。
 情報では、夕方の回の独・素狂言は「痺」だったそうです。これも面白そうです。

「鏡男」
 あまりやることの少ない演目のうえ、近年は万之介さんの持ち役となっていた「鏡男」のシテなので、代役の石田さんは初役で、一夜漬けで台詞を覚えたそうです。しかし、最後にちょっと台詞の出を間違えそうになった以外は完璧でした。
 舞台の演出も、提灯や襖の上の「新宿狂言」の看板は上に上げられて引っ込み、後の襖だけになります。石田さんが出てきて名乗り、訴訟が済んで帰るのに土産を探していると、鏡売りが現れるのですが、出てくる場面で後の襖が開いて、高野さんの鏡売りが屏風の前に長裃姿で座っているので、御奉行様の登場みたいでした(笑)。鏡を買って帰る道行では屏風も引っ込み、バックスクリーンに青空の雲の流れる映像に鳥のちゅんちゅん鳴く声も、それが故郷に着くころには夕焼けに変わって、カラスがカ〜カ〜鳴くなど、萬斎さんらしい演出です。
 家に着くと、真ん中に丸い障子窓が現れ、妻が鏡を覗くと丸い障子窓の映像が鏡の中の映像に・・・いきなり深田さんの顔の大写しには(えぇ〜!)でしたが(^^;。鏡の中に女がいると怒る深田妻に鏡を覗き込む石田さんと二人の顔の映像も笑えます。鏡にカメラが付けられていたらしいです(笑)。こんな演出のアイデアも毎回楽しみです。
 ちょっととぼけた石田さんの夫もなかなかハマっていました。

「骨皮」
 以前、萬斎さんの新発意と万之介さんの住持で観たことがあります。
 舞台は静かな寺の中で、正面の襖が開いたところに障子戸があり、庭の木の枝の陰を映しています。その襖の奥の右側から万作住持と萬斎新発意が現れて住持が新発意を呼び、自分は隠居するので、寺を新発意に譲ろうと言います。大喜びの新発意は、自分に譲るのが遅すぎたくらいだと思わず本音を言ってしまい、住持に聞きとがめられますが、馬鹿正直で脳天気な新発意(落語では頭に霞がかかっていると、言うようです〈爆〉)だというのが分かります。(おいおい、こんなのに寺を譲って大丈夫かい?)
 とにかく、住持は寺を維持するには檀那衆のあしらいが大切だと言い聞かせます。そこに、にわか雨が降ってきて、檀那の一人(竹山さん)が寺に傘を借りに来たので、応対した新発意は、住持に言われたとおり檀那あしらいが大切と、住持の秘蔵の傘を貸し与えて、さっそく報告に行きます。誉められるとばかり思っていたのに、秘蔵の傘を貸したと聞いて住持は渋い顔。そういう時には、傘は先頃、老僧がさして強風にあい、骨と皮とに吹き破れてしまったので、天井へ投げ上げてあると言って断るように言い聞かせます。
 今度こそ失敗しないようにと思っているところに、別の檀那(月崎さん)が馬を借りに来ますが、新発意は最前教わった傘の断り文句で答えたので、(馬が風で骨と皮に吹き破れた〜?)不審がりながらも、それではしかたがないと帰る檀那。今度こそ誉めてもらえると思って報告する新発意に、住持はあきれて、馬の場合は、駄狂いをして腰が抜けたので厩の隅につないであると言って断るようにと教えます。さて、次に来た檀那(深田さん)は、明日、追善供養の法会を行うため、老僧と新発意に食事を用意するので来て欲しいと言います。喜んだ新発意は自分は行かれるが、老僧は行けないと馬の断り文句で答えるので(爆)、檀那はびっくり!自分はいいが、そんなことは他の人に決して話してはいけない。と釘をさします。「駄狂い」には、積荷を嫌がって暴れるという意味と「発情して暴れる」という意味があり、落語の「金明竹」では馬ではなく、猫にたとえて「さかりがついて・・・」となってます(笑)。
 報告を聞いた住持は、「いつ自分が駄狂いした!」と言って怒りますが、そこで新発意、門前のいちゃが、嫌がるのを無理矢理眠蔵へ連れ込んだでしょう、知ってるんだから、とバラしちゃったので、住持は、「十念を授けていたのだ」とごまかします。しかし、またまた新発意「堂の鳩が呻くような十念など聞いたことがない」と反論(爆)。この時、バックの障子が暗くなってボ〜っと大小二つのピンクの光がこんもり山形に並んで映ります(笑)。とうとうキレちゃった住持は、逃げる新発意を追い込んで幕入りです。
 万之介さんだと、後半の新発意にバラされる場面で、生臭さがプンプン臭ってくるようなんですけど(笑)、万作さんだとそんな感じがしません。初見の夫は「真面目くさった坊主が、ってところがいいんじゃない?」と言ってましたが・・・。
 う〜ん、万作さんだと破戒坊主のイメージは湧いてこないんですよ、品が良すぎて。その人の持ち味なんでしょうけど。しかし、萬斎新発意は生き生きして面白かったです。

 万之介さんは、1年間の疲れが溜まったのでしょうかとのこと、充分休養をとって、早く元気になって欲しいです。
2006年12月10日 (日) 昭門會
会場:観世能楽堂 13:30開演

『玉鬘』
 シテ(女・玉鬘の霊):岡本房雄
 ワキ(旅僧)村瀬純
 間(所の者):高野和憲
       大鼓:安福光雄、小鼓:観世新九郎、笛:一噌幸弘
         後見:小早川修、観世恭秀
           地謡:塩屋幸子、中津川悦子、菊池應子、河西暁子
               清水義也、下平克宏、関根知孝、大松洋一

「文荷」
 太郎冠者:野村萬斎
 主:野村万之介
 次郎冠者:深田博治

仕舞
「吉野天人」 観世紘顕
「龍田」キリ 田邉哲久    
「殺生石」  河西暁子    
           地謡:北館憲二、岡庭祥大、北浪貴裕、清水義也

『一角仙人』
 シテ(一角仙人):勝海登
 ツレ(旋陀夫人):新見好枝
 龍神:水野健一郎
 龍神:杉崎二郎
 ワキ(廷臣):森常好
      大鼓:亀井広忠、小鼓:大倉源次郎、太鼓:助川治、笛:藤田次郎
        後見:大松洋一、観世恭秀
           地謡:北館憲二、酒井純一郎、関根辰彦、岡庭祥大
               北浪貴裕、小早川修、田邉哲久、下平克宏
 附祝言

 風邪ぎみのため、食事のあと風邪薬がきいたのか、最初の演目『玉鬘』はうとうとと、気持ちよい睡眠に誘われて、ところどころしか記憶にありません。
 あらすじは、旅僧が初瀬川で、一人の女が小舟に棹さして上ってくるのに出会い、不審に思って尋ねると、女も長谷寺へ参るのだと言って、僧を二本の杉に案内します。そこで、昔、玉鬘の内侍が筑紫から逃げ上ってここへ来て、母夕顔の侍女右近に会ったことなどを語り、自分が玉鬘の幽霊だとほのめかして消えます。
 僧があわれに思って回向していると、玉鬘の霊が現れ、妄執に乱れ狂い、やがて昔の事を懺悔して成仏すると、僧は夢から覚めるのでした。
 鬘物のようでいて狂女物なのは、源氏物語で、玉鬘自身が悩み多く、また多くの男の心を悩ませた業因によるものだそうです。
 後場の玉鬘の霊は、片方の髪を一筋前に垂らし、強い足拍子で、舞も静かな舞いではなく妄執の乱れを表して、ここは面白かったです。
 高野さんのアイの語りも朗々としてよかったですね。

「文荷」
 何回か観たことがある「文荷」ですが、面白いです。
 万之介さんの主が小人狂い、恋しい恋しい稚児さん(男の子)への文を萬斎太郎冠者と深田次郎冠者に届けさせるわけですが、いやいやお使いの二人は、主人の「小人狂い」も困ったものだなどと言いながら文を押し付けあったり、それじゃあ棒にぶらさげて二人で持とうということに。後から太郎冠者が次郎冠者の方にずーっと文を寄せるので、次郎冠者はやけに重くなったと訝しがります。二人は能の『恋重荷』のことを思い出して、謡いの一節を謡いながら運んでいくと、なぜか、ますます重くなる文。とうとう何が書いてあるか気になって読んでしまいますが、「恋しく恋しく」とこんなに小石だくさんでは重いはずだ、などと笑って、奪い合って読むうちに破ってしまいます。困った二人は「風の便りもあろう」と扇であおぎだすのですが、なんだか面白くなっちゃったみたいで、破けた文を扇いで遊んでいるところ(たのしそうに遊んでいる子供みたいです)を、心配した主人が追ってきて見つけたからさあ大変。慌てた二人が文をたたんで、「お返事です」と差し出すタイミングと仕草、いつ見ても爆笑ものです。万之介さんの枯れてるようで生臭な感じがこの主人によ〜く合ってます(笑)。

『一角仙人』
 印度破羅奈国で、一角仙人が龍神と争って、龍神を岩屋に封じ込めたため、日照りが続いて雨が一滴も降らないため、国王は廷臣に命じ、旋陀夫人を仙境に送り、仙人の心を夫人に移して神通力を失わせようと計略します。廷臣に伴われて仙人の住処にやってきた旋陀夫人の美色に心を奪われた仙人は、夫人の酌する酒に酔って神通力を失ってしまいます。夫人は喜び廷臣を引き連れて都へ帰り、龍神を岩屋を破って仙人に襲い掛かります。通力の失せた仙人は龍神に倒され、龍神は大雨を降らして竜宮へ帰っていきます。
 一畳台の他、作り物が二つ出てきます。一畳台の上に龍神の閉じ込められている岩屋、これが重石の入っていない「道成寺」の鐘みたいな作り物です。ただ、前のほうだけ膨らんでいて、後ろ側の膨らみは少ない。それに真ん中で二つに縦に割れるようにできています。もう一つは仙人の庵です。
 岩屋は正面の囃子方の前に置かれ、庵はワキ座のほうに置かれます。
 旋陀夫人役のツレは小柄な女性で、傘をかざす従臣二人(名前は載ってませんでしたが、ワキツレは森常太郎さんと舘田善博さんでした)より、かなり小さくて、最初、子方に見えてしまい可愛らしかったです。
 頭に角がある一角仙人は緑色の装束に葉っぱの形の布が縫い付けてあります。旋陀夫人の酌に喜んで、連れ舞になったり、酔い伏した仙人を残して喜んで夫人一行が去っていくと、岩屋の中と揚幕の中から龍神の声が・・・。
 岩屋は真っ二つに割れて中から飛び出してくる龍神と揚幕から走り出てくる龍神の勇壮な舞になります。
 全編を通して華やかで飽きない演目でした。
2006年12月6日 (水) 第36回野村狂言座
会場:宝生能楽堂 18:30開演

「隠狸」 太郎冠者:三宅右近、主:高澤祐介

「とちはぐれ」 住持:野村万作、所の者:石田幸雄、所の者:深田博治

「柑子俵」 柑子買:野村萬斎、山家の者:野村万之介、山家の者の子:野村裕基

「隠狸」
 何回か観ている演目ですが、三宅右近さんの太郎冠者だと豪快で図太い感じがします、演者の個性ですね。相手役の高澤さんもなかなかのイケメンなんですが、後見に座っていた人が初めて見るお顔で、これがまたイケメン、などと余計なところに目がいってしまいましたが(笑)、三宅さんちのくたくた狸くん、万作家よりお腹が太い!
 高澤さんの主人は、まじめそうで、主人に嘘をついて狸を売って、こづかい稼ぎをする太郎冠者にちょっと憤慨のてい。狸が見えないよう気にしながら酒を飲んだり舞ったりする太郎冠者にはやっぱり笑ってしまいます。高澤さんの謡いの声がとっても良くて、舞もきれいでした。

「とちはぐれ」
 現在は和泉流だけで演じられている曲ですが、大蔵流の『虎明本』にある独り狂言の同曲を山本東次郎さんが復曲されたのを観ました。
 二人の檀家から呼ばれた住持が、食事とお布施とどっちを取ろうか迷ったあげく、時間が遅くなってどちらも取りはぐれてしまうという話。もっともらしい理屈をこねていても、結局、欲望に翻弄されて失敗してしまう住持。遅すぎて、怒られても、布施を要求したり、「食事は」と言ったり、怒った檀家に追い返されても憤慨する始末。しかし、最後に己の浅ましさに気付いて反省する姿には、何か気の毒になってしまいました。
 二人の檀家が実際に出てきて、けんもほろろに追い返すためか、住持がちょっと気の毒な感じがします。独り狂言だと住持の浅ましさがより出てくるような感じがすることに今回気がつきました。

「柑子俵」
 小さい子がいないとできない演目なので、初めて観ました。
 年の暮れに、柑子買が例年柑子を仕入れる丹波の山家へ出かけるが、今年は、あらかじめ代金を送ってあるので、いつもより早めに行ったところ、まだ準備が出来ていないと言う。そこで、柑子買は別の家を先に回ってくることにします。
 しかし、実は山家の男は柑子買に渡すはずの柑子を別のところへ売ってしまっていました。困った男は、わが子を俵に入れて柑子だと偽って渡すことにし、子供には途中の道で柑子が鬼に化けたようによそおって脅して逃げ帰るよういい含めます。何も知らない柑子買が渡された俵を背負って、人気のない山道を歩いていると、俵の中から声がします。気味が悪くなって俵を降ろすと、中から子供が扮した鬼が現れ、「取ってかもう」と柑子買を脅して追い込みます。

 親役の万之介さんと色違いでお揃いの柄の装束の裕君、レパートリーも増えて舞台にも慣れてきて、観るほうもちょっと安心して観ていられるようになりました。型が一人前にとっても綺麗です。摺り足や座った時のピッと真っ直ぐ伸びた背筋。俵に入る時、鬼の面(武悪)を掛け、赤頭をつけて入るのですが、ちゃんと子供用の武悪の面があるんですね。子供に言い含める万之介さんに、すっぽり入った俵の中から「かしこまってござる」などと返事をするのが、何か健気で可愛かったです。裕君入りの俵を担ぐ萬斎さん、さすがに担ぐ時は、ちょっと重そうでした。歩き始めると案外スタスタ、俵の中から聞こえる声にびっくりして降ろした俵がゴロンと横倒しに、俵から這い出した裕くんが「取ってかもう」と手を広げ、足を開いたその後姿が、なんか萬斎さんの鬼を小さくしたようで、綺麗に型が決まってて親子だなあ・・・なんて思ってしまいました(^^)。
2006年12月2日 (土) 第1回山井綱雄之會
会場:国立能楽堂 14:00開演

解説:山井綱雄

舞囃子「高砂」舞序破急ノ伝  金春安明
       笛:一噌隆之、小鼓:観世新九郎、大鼓:亀井広忠、太鼓:金春國和
          地謡:本田布由樹、中村昌弘、辻井八郎、高橋忍、井上貴覚

舞囃子「鷺」  富山禮子
       笛:一噌隆之、小鼓:観世新九郎、大鼓:亀井広忠、太鼓:金春國和
          地謡:本田布由樹、中村昌弘、吉場廣明、本田光洋、本田芳樹

狂言「蝸牛」
 太郎冠者:野村萬斎
 山伏:深田博治
 主:破石晋照
          後見:月崎晴夫

能『半蔀』
 シテ(里女・夕顔の上の霊):山井綱雄
 ワキ(住僧):宝生閑
 アイ(所の者):野村萬斎
       笛:一噌仙幸、小鼓:曽和正博、大鼓:亀井忠雄
        後見:本田光洋、横山紳一
          地謡:本田芳樹、辻井八郎、井上貴覚、金春憲和
              吉場廣明、高橋汎、金春安明、高橋忍
附祝言

終演のご挨拶:山井綱雄

 初めに袴姿の山井さんが、今日の演目の解説と会を立ち上げた趣旨をお話されました。「能の素晴らしさを多くの人に観てもらいたい」ということと、「超一流の人たちに揉まれて自己研鑽し、超一流の能楽師になりたい」ということを目標に会を立ち上げたということです。今回の『半蔀』については、やはり、能は三番目物の女性が出来ることが大切ということでの選曲、「十中八九眠くなります。」なんて言ってました(笑)。

舞囃子「高砂」舞序破急ノ伝
 「高砂」の神舞の部分を小書付きで、序破急というとおり、急になったり、ゆっくりになったりと緩急が繰り返される舞になります。最初の「高砂や・・・」の謡(能ではワキが謡う)を謡った地謡の井上貴覚さんの声がとても良かった。舞も囃子も緩急がはっきりしていて変化があり面白かったです。

舞囃子「鷺」
 富山禮子さんは、山井さんのお祖父さんのお弟子さんで、山井さんの子供の頃の師匠だそうです。
 「鷺」の舞い手は元服前の少年か、還暦後の者に限るとされているそうで、穢れない清純さが求められる曲とのこと。足を前に蹴り上げるような特殊な足遣いや、羽ばたくように両手をひらひらさせたりと面白い型が入ります。富山さんは喜寿を過ぎているとのこと、『鷺』の能も2回くらい観たことはありますが、やはり、かなり年配の方でした。秘曲とされるもので、型や足遣いも難しいのでしょうが、曲自体はあまり面白いとは思えません。帝に五位を授けられ、嬉しく舞い戯れるにしては、なんか寂しそうに見えてしまいました。

「蝸牛」
 今回は、太郎冠者を萬斎さん、山伏を深田さんという配役でした。「蝸牛」では萬斎山伏が多いので、破石さんが主ということもあり、ちょっと新鮮でした。
 最初に山井さんが「能を観るのは、初めての人」と聞いたときに意外と多くの人の手が上がってましたが、今日の見所はノリが良かったです。
 萬斎、深田コンビも快調、深田さんは山伏が似合うなと思いました。乗せられてしまう萬斎太郎冠者のとぼけた感じも合っていて、この配役もいいのではと思いました。破石さんの主はちょっと固さはありますが、若いのになかなか貫禄があります。う〜ん、顔が大きいせいかな?萬斎さんの倍ぐらいあった(^^;)。
 最近は浮かれ入りばかりでしたが、もともと浮かれ入りは大蔵流の型で、和泉流では主人は浮かれず、姿を隠した山伏が急にあらわれ、主従を驚かして立ち去り、主従が追って退場するという型らしく、今回は珍しくこの型での幕入りでした。

『半蔀』
 雲林院の僧が、花の供養をしていると、一人の女が現れ、夕顔の花を手向けます。女は僧に問われて、五条あたりの者と名乗ると消えうせてしまいます。
 僧が所の者に夕顔にまつわる話を問うと、男は光源氏と夕顔の上との馴れ初めを語り、その女は夕顔の亡霊であろうと言って、弔いを勧めます。
 僧は、五条あたりで、半蔀屋を見つけ、その中から現れた夕顔の亡霊は、光源氏との恋物語、夕顔の花を折って光源氏に差し上げたことが出会いのきっかけであったことなどを語り、昔を懐かしんで舞を舞います。
 やがて夜が明けねうちにと、夕顔の上の霊は半蔀屋の中に消え入り、全ては僧の夢の中の出来事になったのでした。

 前場の里女は、やはりこの人は姿がいい。若さと美しさがあります。前場はわりと短くて、女が去ったあと、アイの所の者が、僧に問われて、光源氏と夕顔の上のことを物語ります。この萬斎さんの間語りもしっとりと落ち着いて雰囲気の合った語りでした。
 アイが下がると、作り物が出され、その中から後場の夕顔の霊が現れます。装束は黄色、ベージュが基調で品良く美しく可愛さもあり。ゆっくりとした舞が長く続きますが、これが美しかった。美しい夕顔の霊でした。
 最後の入りの時、ワキの宝生閑さんの後姿が美しいなどと改めて思ったりしてしまいました。

 地謡の附祝言で、普通は終わりなのですが、今回は山井さんの終演の挨拶がありました。今、引っ込んだばかりなので、時間がかかるかなと思いきや、何と、面と鬘を取っただけの装束のまま、切戸口から現れました(笑)。それも摺り足じゃなく、普通に大またで歩いてくるから可笑しい。
 「こんなことすると怒られるかもしれませんが」と異例のことは本人も承知の上、今回の演目はやってみて非常にきつかったとおっしゃっていました。「皆さん、楽しんでいただけましたでしょうか」と、最後は、手を振りながら揚幕に入っていく山井さんの明るく馴染みやすい人柄がでて、楽しい公演でした。
 後で解ったことですが、亀井忠雄さんの大鼓が、格上に、長く間を空けて打ったため、舞がゆっくりになり、ゆっくりした動きを保つほどシテにとっては厳しい姿勢を強いられるということで、きつかったということです。そのため時間も常より長くなったそうです。超一流に揉まれるとは、こういうことですね、それにより、舞がより優雅に感じられたのかもしれません。これからの彼にとっても良い勉強になり刺激になったんじゃないでしょうか。