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能楽鑑賞日記

2021年5月30日(日) 第21回吉次郎狂言会
会場:国立能楽堂 14:00開演

「千鳥(ちどり)」
 太郎冠者:榎本元、主人:大藏基誠、酒屋:善竹大二郎    後見:小梶直人

語「那須(なす)」
 大藏教義             後見:大藏吉次郎

素囃子「男舞(おとこまい)」
 大鼓:大倉慶之助、小鼓:田邊恭資、笛:熊本俊太郎

「祐善(ゆうぜん)」
 祐善:大藏吉次郎、旅僧:大藏基誠、所の者:上田圭輔    後見:小梶直人
          地謡:榎本元、大藏教義、善竹大二郎

「惣八(そうはち)」
 惣八:善竹十郎、有徳人:野島伸仁、出家:善竹彌五郎    後見:大藏教義

 プログラムには無かったのですが、初めに教義さんが挨拶に登場されました。〆に仰った「困難を行動力で突破していくのが狂言のキャラクター」、コロナ禍に気持ちを明るくしてくれる元気にしてくれるのが狂言の笑いなんだなと思いました。

「千鳥」
 ツケで酒を買ってくるように主人から命じられた太郎冠者ですが、支払いがたまっているため酒屋は酒を渡しません。一計を案じた太郎冠者は津島祭の話を始めます。伊勢路で子どもが千鳥を捕る様子を、酒樽を千鳥に見立てて真似ますが、調子よく囃しながら酒樽に近づき持ち去ろうとするのを咎められます。今度は山鉾を引くさまを見せることにし、酒樽を山鉾に見立てて引く真似をしながら持って行こうとしますが、これも制止されます。次に流鏑馬を再現させることにして、馬に乗る真似をしながら走り回り、隙を見て酒樽を持ち上げるとそのまま逃げ去ってしまいます。

 和泉流との違いが色々あって面白かったです。酒屋に行った時に太郎冠者は「今日の分は持ってきた」と言い、後で言い訳に思い出したように「忙しくて受け取ったお金を棚の端に置いてきてしまった」と言います。酒屋は、「お金がある時は、他の店へ行き、お金のない時ばかりやって来る」と嫌味を言います。
 和泉流だと「米が届く」と言うので、それならと酒樽を出しますが、米が届くまでと太郎冠者を引き留めて色々話をさせます。
 大蔵流では、津島祭に行って留守をしていたと太郎冠者が言うと、祭の話が聞きたい酒屋が乗って来ます。子供が千鳥を捕まえるところで歌われる「ちりちり~や、ち〜りちり」の歌が調子が良くって耳に残りますね。祭の山鉾を引くところでは、酒樽に巻いた綱を引いていこうとするし、それでも話が聞きたい酒屋は「お金を取りに行こう」と帰りかける太郎冠者を止め「今度話が出来たなら、代なしに樽を渡そう」とまで言います。最後は流鏑馬の真似をして隙をみて太郎冠者が酒樽を持ち去ってしまいますが、和泉流では山鉾のくだりは無く、流鏑馬では最後に酒屋を突き倒して酒樽を持ち去りますが、大藏流の方が、太郎冠者と酒屋の関係性が良いように感じました。ツケが溜まっていて、いつもお金を払わないのは困るけれど、酒屋は太郎冠者の面白い話が聞きたい気持ちが勝るみたい(笑)。最後も酒屋を突き倒さずに、酒屋が見ない隙に持ち去るなど、これからも酒屋と太郎冠者の駆け引きが続くであろうことが想像され、むしろ楽しんでいるのじゃないかと思いました。

語「那須」
 『平家物語』「那須与一」の段を題材に、義経・実基・与一・語り部を演じ分ける仕方語りで、能『八島(屋島)』の替間(かえあい)で語られます。これも和泉流とでは、型や語りが少し違います。語りの方は全部覚えているわけじゃないので、最後の方の語りが違うなと気付く程度ですが、中央の義経に対し、実基は斜め前の目付柱寄りに位置を移すのに、与一が現れる時は斜め後ろのシテ柱寄りに位置を移す形になっていて、こういうのは初めて観たような、大蔵流の他家の「那須」も以前に観たことがありますが、その頃は気付いてなかったのか・・・忘れてしまいました。4人の人物を位置を変えたり、馬に乗って弓を射る型など動きが多く、長い台詞で本当に大変な語り物です。教義さんもしっかり演じられていました。

「祐善」
 若狭の国轆轤谷(ろくろだに)の僧が都を一見しようと思い、都六条の油小路に着きます。そばの庵で雨宿りをすると祐善と名乗る幽霊があらわれ、ここは祐善の庵、あとを弔ってくれと頼んで消え失せます。僧があたりの人に尋ねると、祐善という人が傘の張り死にをして今日が命日だと語ります。僧が弔うと幽霊があらわれ、日本一下手な傘張りと言われ、誰も傘を買ってくれずに狂い死にをしたが、今の弔いで成仏したと謡い舞い消えて行きます。

 能掛かりの舞狂言で、大真面目に能の様式に添って演じられますが、祐善が傘張りが下手過ぎて誰も買ってくれないので狂い死にしたというのが狂言的。傘が「骨は骨、紙は紙」とバラバラになってしまうというの表現は、先日観た「骨皮」を思い出して、同じ表現だなと笑ってしまう。舞は和泉流とはやっぱり違うようで、和泉流では万作さんが傘を床でコロコロ回すような型をして、けっこう動きがありましたが、こちらはゆっくり格調高く舞ってる感じがして、それも返って大真面目なゆえに可笑しくなってしまいます。

「惣八」
 有徳人が僧侶と料理人を雇おうと高札を掲げます。そこへ元料理人の出家と元出家の料理人の惣八が訪れ、雇われます。有徳人は僧には法華経の読経を、料理人の惣八には鯛と鯉を料理するよう言いつけます。しかし、互いに不慣れな二人は困り果て、相談の末、仕事を取り替えることにします。料理人姿の惣八が経を読み、もと料理人が僧の姿で料理していると、有徳人が奥から出てきます。二人は本来の仕事に戻ろうとしますが、あわてて惣八は鯛を持って読経し、僧は包丁で経をたたくので、怒った主人に追いこまれます。

 殺生を禁じられている僧が魚を料理し、殺生を生業とする料理人が経を読むという皮肉な光景が可笑しい。右手に包丁、左手に真魚箸(まなばし)を持った中世の料理作法も見られます。経の唱え方は「ダブダブダブダブ」と、いい加減(笑)。流儀で唱え方も違いますね。
 とにかく、十郎さんと彌五郎さんのベテランお二人の飄々とした味わいのあるやり取りが、なんかほっこり微笑ましい(^^)。最後のオタオタ慌てる様がまた可笑しくて笑えます。
2021年5月26日(水) 国立能楽堂狂言企画公演
会場:国立能楽堂 14:00開演

「梟(ふくろう)」
 山伏:善竹忠亮、兄:茂山忠三郎、弟:善竹大二郎

「蝉(せみ)」
 蝉の亡霊:野村又三郎、旅僧:野口隆行、所の者:松田高義
      笛:竹市学、小鼓:吉阪一郎、大鼓:大倉慶乃助
        地謡:奥津健一郎、伊藤泰、奥津健太郎、藤波徹、野村信朗

新作狂言「鮎(あゆ)」国立能楽堂委嘱作品
作:池澤夏樹、補綴・演出:野村萬斎
 小吉:野村萬斎
 才助:石田幸雄
 大鮎:深田博治
 小鮎:月崎晴夫、高野和憲、内藤連、中村修一、飯田豪
      笛:竹市学、小鼓:吉阪一郎

「梟」
 弟の太郎が山から帰ってきて以来、元気がありません。兄は心配して、山伏に病気を治してくれるよう頼みます。山伏が一心に祈ると、弟は突然奇声を発します。不思議に思った山伏が兄に尋ねると、太郎は山で梟の巣を下したことが分かり、梟が憑いたのだと察して、梟の嫌う烏の印を結んで懸命に祈ります。ところが太郎はなお盛んに鳴き続け、そればかりか、兄にも梟が憑いて鳴き始めてしまいます。兄弟の間を右往左往して祈り続ける山伏ですが、最後には自分にも梟が憑いてしまいます。

 和泉流では「梟山伏」という題名ですが、内容は同じ。梟が憑依した時の型など流儀による違いがあるようで、和泉流だと顔をかきむしっているような仕草や腕をかく仕草をするけれど、大藏流では両脇に下ろした手をプルプルワナワナさせます。忠亮さんのいかにも出来そうな山伏が段々慌てふためく様はやっぱり面白い。最後は三人とも憑依され「ホー、ホー」と言いながら去って行きますが、可笑しいけれど、ちょっと怖い。

「蝉」
 都の僧が信濃国善光寺詣でを思い立ち、信濃の山中、上松ノ里にやって来ました。ふと見ると、松の枝に短冊が賭けられているので、近寄って読むと、「空蝉の羽おく露の木陰れて 忍びに濡るる袖哉」という追善の歌が書いてあります。僧の尋ねに、所の者が謂れを語ります。ここは蝉ノ松原と言って、蝉がたくさん集まるので、人々が蝉の声を聞きに訪れていたが、去年の秋、山鴉がこの松にとまっていた大きな蝉を殺してしまったので、人々は不憫に思って、手向けの歌を短冊に記して松に掛けたという話でした。供養を勧められた僧が祈っているところに蝉の幽霊が現れ、最期の有り様を語り謡い舞います。去年の秋、どこからか山鴉が飛んできて、むしられつつかれて殺されてしまった。それだけでなく冥途でも鉄の山蜘蛛の餌食になって苦しんでいたが、今僧の祈りで成仏得脱できると言って、蝉の衣を脱ぎ捨て、つくつく法師になるのでした。

 能の形式に準拠した「舞狂言」ですが、狂言の場合は、シテの霊が蝉だったり、蛸だったり、下手な傘張りだったり、笑いを誘うパロディーになってます。これは『源氏物語』の「空蝉」の歌が引用されていたりするのがシャレていますが、最後は「つくつく法師」でオチがつく。
 蝉の面が変わっていて、「空吹(うそふき)」の面に似てますが、口がもっとずっと長く尖ってます。茂山千五郎家では「蛸」用の専用面がありましたが、これは蝉用の専用面なんでしょうか?蝉が樹液を吸う針のような口を表してるようでした。
 それぞれが、能の形式そのままに、大真面目にやっているのが、かえって面白いです。

「鮎」
 才助は手取川で鮎を釣っています。今日も大鮎をはじめたくさんの小鮎が釣れました。そこに血まみれ泥まみれになった小吉が助けを求めてきます。村長の息子と喧嘩をし、大勢に痛めつけられて逃げてきたのです。才助は人相見の能力を持っているので、小吉を小屋に連れ帰り、鮎を焼いて食べさせることにします。しばらくここで田舎暮らしをするよう勧める才助ですが、小吉は都会(金沢)に出て一旗揚げたいと望んでいます。才助の説得にも耳を貸さない小吉は、鮎を食べると寝てしまいました。
 才助に金沢の宿屋を紹介された小吉は、長年努力を重ねて出世し、宿屋の娘の婿に収まると、城の殿様にも取り入ります。ある日、久しぶりに才助が戦に駆り出される甥を連れて小吉を訪ね、殺生が嫌いな甥のために戦場で後方支援にしてもらえるように城主へのとりなしを頼むのですが・・・・・。

 初演の時も観ていますが、ああこういう話だったっけと、なんか新鮮な感じがしました。最初に才助が鮎を釣る場面での鮎たちの動きが清流で泳ぎ戯れるような速い動きや釣り餌にかかって釣られる様子など、本当に川の流れや鮎が泳いでいるように見えます。魚の頭のように横に目のような模様のついた帽子を被り、四角い台を囲炉裏の枠のように使って、その周りに後ろ手に長い棒を持ってちょっとうなだれて立つと、囲炉裏で焼かれる鮎の串刺しに見える。
 鮎たちは人に釣られて焼かれ食べられることも、輪廻転生を受け入れ、また鮎に生れて清流を泳ぐと、少しも嫌がらず喜んでいるよう。焼かれる時は「あちあちあちや」と歌いながら囲炉裏の周りを回ります。食べられた後は、都会に出た小吉の様子をストーリーテラーとなって語ったり、周りの登場人物になったり、小道具を動かしたりと小気味よく動いて話をテンポよく進めます。囲炉裏として使われていた半畳ほどの台は立てて風呂桶になったり、玄関や帳場の台になったり次々と見立てられていくのが面白い。
 小吉は、風呂焚きから下足番、そして宿屋の番頭になり、ついには大宿の婿になり、上には揉み手、下には冷酷、増長して嫌われ者、殿様には忖度で財を成していきますが、久しぶりに才助と会った小吉は、才助の頼みを断っただけでなく、せめて食べ物をとの申し出も「銭が無ければ食事は出せぬ」と断ってしまいます。「都会で心を歪めたな」と言う才助。すると、舞台は元の囲炉裏に戻り、寝ている小吉が才助に起こされます。すべては一炊の夢、能『邯鄲』ならば、悟って帰って行くところですが、小吉は、それでも「銭が欲しい」「夢が見たい」と言って、才助は「凝りぬ奴」と呆れます。最後に欲には勝てず悟らない小吉が現代的とも言えますね。
2021年5月8日(土) 第21回よこはま「万作・萬斎の会」
会場:横浜能楽堂 14:00開演

解説:高野和憲

小舞「貝尽し」
 野村裕基      地謡:内藤連、高野和憲、中村修一、飯田豪

「柑子(こうじ)」
 太郎冠者:野村万作、主:野村萬斎       後見:石田淡朗

狂言談話(二十一)  野村万作

「悪太郎(あくたろう)」
 悪太郎:野村萬斎、伯父:石田幸雄、僧:深田博治   後見:野村裕基

 コロナの緊急事態宣言で1年延期になっていた会が開催されました。万作の会で購入したチケットはそのまま去年のチケットが使えますが、会員ではない夫の分はぴあで購入したので、一旦払い戻して今回またぴあで買い直しました。

小舞「貝尽し」
 能『玉井』の替間(特殊演出)の時に舞われるもので、龍宮で栄螺(さざえ)の精が舞う舞です。多くの貝の名前を盛り込んだ謡で、それに即した型で舞われます。祐基くんがのびやかに舞いました。

「柑子」
 宴会で出された三つ成(一本の枝に三つの実が成ったもの)の柑子(みかんの一種)を珍しく思った主人は、太郎冠者に持ち帰らせますが、翌日、渡すよう求めると、太郎冠者は柑子の行く末を語り始めます。槍の柄に枝を結わえておいたら、一つの柑子が、へたから落ちたので、好事(柑子)門を出ずというから止まれ、と呼びかけ、止まったので食べてしまった。そこで残りを懐中に入れたら、もう一つが刀の鍔に押しつぶされたので、これも食べてしまった。そして、最後に残った柑子には哀れな物語があると言って、俊寛僧都の島流しの話を語ります。三人で流されたのに一人だけあとに残された俊寛と、三つあったのに一つ残った柑子の思いは同じだろうと言って、主人を一旦はしんみりとさせますが、それも自分の「六波羅(腹)に納めた」と白状して、叱られてしまいます。

 太郎冠者が主人から預かった柑子を食べてしまった言い訳をする語りと型が見どころで、最初の柑子を拾って食べるところと二つ目の潰れた柑子をすすって食べるところなどの型や俊寛の島流しになぞらえた語りなど、15分ほどの短い曲ですが、演者のひとり語りに近く、万作さんの洒脱な演技がひかります。主人役の萬斎さんは、島に取り残された話に思わず貰い泣き。でも、それとこれは違うから三つ目を出せと、そう簡単には引っかかりません(笑)。

狂言芸話(二十二)
 横浜まで来るのは、毎回、万作さんの芸話が聞きたくて来るようなものです。とっても貴重なお話が聞けます。
 「柑子」については、お父様の6世万蔵さんが晩年によくやっていた曲で、万作さんも思い入れのある曲だそうです。
 自分が父親に習った時と、弟が習った時では型が違っていて、歳を取ると色々研究して変わってくる。台詞も変えることがあると仰っていました。「柑子」では、密柑が門から転げ出て「好事(柑子)門を出でず」と言うところが、門から出てしまっているのは、辻褄が合わないと感じ、万作さんは「柑子が門を指して転がり」と台詞を変えられたそうです。
 続いて「狂言面」のお話。
 お父様の6世万蔵さんは、面打ちもされていたと言う話は聞いていましたが、下村清時に弟子入りして面を打ったそうです。能面の方が価値が高いので、能面を打つことが多かったらしいです。お父様が亡くなってからお父様の面を骨董屋から買ったこともあるそうです。実際の面をいくつかお持ちになって、奥村土牛がお父様のスケッチをした時に面をお礼に贈った話や、根付や帯留めも作られていたということで、面や根付の実物も見せてくださいました。
 アメリカのダンサーから能面が欲しいと言われて作ったことがあり、その方が家に来た時チャチャチャを習ったことや、反対にニューヨークの自宅を訪問した時は、玄関に飾られていた般若の面が帽子掛けになっていて驚いたこと、文化の違いでしょうね、と仰ってました。
 お父様は晩年は、暇になったので、よく面を彫っていたと、しみじみ話していらっしゃいました。
 面の付け方の実演もあり、「釣狐」の時は面を外したいと思うほど苦しい思いをしたこともあるそうです。

「悪太郎」
 自分の飲酒について陰口を伯父が言っていると聞いた悪太郎は、伯父の家に行って長刀で脅します。そして酒をしたたかに飲むと、さらに絡む始末。やがて伯父宅を辞すると帰り道で寝入ってしまいます。心配して後を追ってきた伯父は、寝ている悪太郎から長刀と上着を取り上げ、法衣を置き髪の毛と髭を剃ると、今後は南無阿弥陀仏と名付けると言い残して去ります。
 目が覚めた悪太郎は、伯父の言葉を仏のお告げだと思い、仏道修行することを決心します。そこへ僧が念仏を唱えながらやって来て、悪太郎は自分を呼んでいるのかと思い返事をします。不審に思う僧ですが、やがて二人で踊り念仏となります。そして僧から南無阿弥陀仏の由来を聞いた悪太郎は、これからは一心に弥陀を頼もうと誓います。

 悪太郎の「悪」は悪いという意味ではなく、昔は強いという意味で使われていたそうです。ここに出て来る悪太郎も乱暴者ではあるけれど、根っからの悪人ではなく、一旦、夢のお告げを信じると、善にも一直線で強い。
 大髭を蓄えて、乱暴者の萬斎悪太郎に手を焼く石田さんの伯父が如何にも人が良さそうで、千鳥足で帰る甥を心配して後をつけて行くと案の定道端で寝ている。そこで、懲らしめてやろうと思ったのか、派手な上着と長刀を取り上げ、僧形にしてしまいます。伯父の策にまんまとハマった悪太郎。そこに出てきた僧の深田さんが念仏を唱えるたびに「やあ!」とすり寄る萬斎悪太郎が可笑しくも可愛い。二人で踊り念仏で浮くところも息がピッタリ合ってました。