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能楽鑑賞日記

2021年6月19日(土) 狂言劇場その九 Bプログラム
会場:世田谷パブリックシアター 14:00開演

「舟渡聟(ふなわたしむこ)」
 船頭・舅:野村万作、聟:野村裕基、姑:野村太一郎

「鮎(あゆ)」国立能楽堂委嘱作品
作:池澤夏樹、演出・補綴:野村萬斎

 小吉:野村萬斎
 才助:石田幸雄
 大鮎:深田博治
 小鮎:月崎晴夫、高野和憲、中村修一、内藤連、飯田豪
    笛:大野誠、小鼓:大倉源次郎

「舟渡聟」
 京都から矢橋(やばせ)へ、妻の実家に初めて挨拶に向かう聟が、大津松本から渡し舟に乗ります。聟の持つ手土産の酒樽に目を付けた酒好きの船頭は、是非一献と所望しますが、聟が断ると舟を激しく揺らしたり漕ぐのをやめたりして強要するので、仕方なく飲ませ、軽くなった酒樽を持って舅宅へ出向きます。
 やがて外出していた舅が帰宅しますが、物陰から聟の顔を見てびっくり仰天。舅は先ほど舟で酒を無理やり振る舞わせた船頭だったのです。会うのを嫌がる舅ですが、姑に髭を剃って顔を変えて対面するよう言われ、しかたなく髭を剃り、顔を隠して対面しますが、聟にむりやり顔を見られ、最前の船頭と分かってしまいます。聟はびっくりしますが、元々あなたに飲ませるお酒だったのだからと、舅を責めず、互いに名残を惜しみながら別れます。

 ここに出て来る聟さんは、「二人袴」や「鶏聟」に出て来る世間知らずで失敗しちゃう聟さんと違って、真面目で賢い聟さん。大蔵流だと船頭と舅は別の人で、聟さんは結局船頭と一緒に酒盛りしちゃって失敗しちゃうのだけれど、和泉流では設定が違っていて舅の方が恥をかいちゃうのが変わっていて面白い。
 祐基くんの聟さんが初々しくて、舅と船頭役の万作さんもお茶目。船を揺らす船頭の竿使いと左右に大きく揺れる聟さんの動きもシンクロ。自分が酒を無理やり振る舞わせた客が聟だったと気付いて会うのを拒む舅と姑の会話も面白い。舅は会わない理由に「聟は器量良しだと聞いていたのにそうじゃない」だとか、姑は普段からむさ苦しいと思っていたその髭を剃って顔を変えて会えと言ったり(笑)。
 髭を剃っても顔を隠しながら恐る恐る聟と対面する舅、そんな舅に聟もなんかおかしいなと思って、手をどかして覗き込んでビックリ!でも、おめでたい婿入り物なので、最後はほっこり終わります。

「鮎」
 清流手取川のほとりで鮎を捕って暮らす才助は不思議な力を持っていて、人の顔を見るとそのものの人柄や将来を見通せるという。この才助の前に、山向こうから小吉と名乗る若者が逃げ込んできます。才助は小吉を小屋へ連れ帰り、鮎を食べさせ、この地で暮らすことを勧めますが、小吉は都会へ出て一旗揚げたいと、才助の説得に耳を貸さず、鮎を食べると寝てしまいます。
 才助に金沢の大きな宿屋を紹介された小吉は、みるみるうちに出世し、宿屋の娘の婿になり、城主にも取り入ります。ある日、才助は戦に駆り出される甥を連れて久方ぶりに小吉のもとを訪ね、殺生が嫌いな甥を戦場で後方支援にしてもらえるよう城主にとりなしを頼みますが、小吉は断ります。才助は、せめて質素なものでも何か食べさせてもらえまいかと言うと、小吉は怒りだし、「人様を泊めて、食事を召し上がっていただくことを商売にしている。タダで食べさせるものはない」と、言い放ちます。「それでは、村に帰って鮎でも焼いて食べよう。一緒にいかがかな、小吉どの」と才助が言い、気が付くと小吉は才助の小屋の囲炉裏の前にいて鮎が焼けていました。一炊の夢のごとく、数十年前に戻った小吉に才助はこの村で暮らすことを勧めますが、小吉はやはり聞かず、「町へ出たい」「夢が見たい」「銭が欲しい」と言って終わります。

 先月、国立能楽堂企画公演でも観たばかり、配役も同じですが、能舞台と違うところはやっぱり、奥行きのある舞台の使い方。鮎たちが後方からも出てきて、よりスイスイと泳ぎ回る感じ。後ろの石積みの小道具は端の方に控えめに置かれていて、半畳の台の使い方は同じでした。
 この原作は、作家の池澤夏樹さんが、自分の短編を新作狂言に仕立て直したもので、原作も南米の民話を素材にしたものなのだそうです。原作では、最後の場面の小吉の答えは書かれずに終わっています。最後に小吉がやっぱり「町へ出たい」「夢が見たい」「銭が欲しい」と叫ぶのは萬斎さんのアイデアか?そんなところが欲望には勝てない狂言に出て来る人物らしいです。補綴・演出が萬斎さんですが、原作では釣られる魚でしかない鮎を擬人化して舞台に出すアイデアは萬斎さんが出したものとのこと。池澤さんがプログラムの中で書かれていました。
2021年6月18日(金) 狂言劇場その九 Aプログラム
会場:世田谷パブリックシアター 19:00開演

「武悪(ぶあく)」
 武悪:野村万作、主:石田幸雄、太郎冠者:野村太一郎

「法螺侍(ほらざむらい)」
原作:W・シェークスピア「ウィンザーの陽気な女房たち」
作:高橋康也、演出:野村万作

 洞田助右衛門:野村萬斎
 太郎冠者:野村裕基
 次郎冠者:中村修一
 お松:高野和憲
 お竹:内藤連
 焼兵衛:深田博治
    笛:一噌幸弘、太鼓:桜井均

「武悪」
 武悪の不奉公の怒り心頭の主人は、太郎冠者に武悪を討つよう命じます。太郎冠者にとって武悪とは気心が知れた仲。同じ乳母に片一方は背中におんぶされ、片一方は胸に抱かれ、寝るように一緒に育てられました。太郎冠者はとても討つことなどできないと拒みますが、逆に自身が刀で脅かされ、やむなく腕の立つ武悪を騙し討ちにしようとします。しかし、最期に臨み、覚悟を決める様子にどうしても討つことができません。太郎冠者は武悪に逃げることを勧め、主人には武悪が神妙に討たれたと偽りの報告をします。それを聞いた主人はせめて跡を弔ってやろうと太郎冠者を伴い東山に向かいますが、ちょうどそこへ命拾いのお礼参りに来た武悪と鳥辺野あたりで鉢合わせしてしまいます。武悪はあわてて逃げますが、不審に思う主人に、太郎冠者が様子を見て来ると言って、武悪に幽霊の姿になって出直してくるよう言います。幽霊の姿になった武悪は主人と対面し、冥途で主人の父親に会ったと言い、その注文だと言って太刀・小刀・扇などを受け取り、さらに冥途に広い屋敷があるからお供をしようと、主人を脅して逃げる主人を追って行きます。

 世田谷パブリックシアターの能舞台は普通の舞台より前に張り出した四角い舞台と左右に橋掛かりがあり、最初は松柄の幕が後ろに下がっています。それが後半になると、幕が上がって奥行きのある舞台の後方が出てきます。石積みがいくつも置いてあって、賽の河原みたい、昔から墓所であった鳥辺野の雰囲気を表して、武悪は後ろから出てきます。
 話は、能舞台での狂言と同じですが、普通の能舞台を作るのではない、劇場らしい演出が毎回楽しみです。
 前半のシリアスで緊張した雰囲気と、後半のコミカルな展開の対比が面白いです。武悪の万作さんと太郎冠者の太一郎さんが赤子の頃から同じ乳母に育てられた仲というのはちょっと無理がありますが、祖父と孫ほど歳が違いますから。でも、そんなことは気にしない。
 3人の登場人物が、同等の力量で相対するのがこの曲ですが、万作さんと石田さんに太一郎さんを当てたことに太一郎さんを育てようとする心が感じられます。太一郎さんも万作さんの胸を借りてしっかり演じられていました。

「法螺侍」
 酒好きで女好き、強がりばかりの洞田助右衛門は、身のだらしなさが元で将軍家を追放され、毎日飲み暮らしていましたが、ついに酒も、酒を買うお金も底をついてしまいます。そこで女を騙して貢がせようと家来の太郎冠者と次郎冠者に命じて、二人の女に同一の恋文を届けさせます。主人の日頃からの勝手な振る舞いに嫌気がさしていた太郎冠者と次郎冠者は、助右衛門を懲らしめるべく計画を練り始めます。

 2009年に「万作を観る会」で東京芸術劇場でやったものと、2018年に国立能楽堂でやった能舞台バージョンのものを観ていますが、今回は今まで万作さんがやっていた洞田助右衛門を萬斎さんが、萬斎さんがやっていた太郎冠者を裕基さんが演じ、代替わりで引き継いだ感じです。
 最初は幕の後に影が映り、これ、萬斎さんがよくやる演出。酒を飲んでいる助右衛門の影が段々大きくなる。自慢の太鼓腹を叩くたびに「ボヨ〜ン」と効果音が入るのも劇場ならでは(笑)。
 太郎冠者と次郎冠者は、助右衛門の恋文をお松(高野)とお竹(内藤)に渡すと一緒に助右衛門を懲らしめることに。お松とお竹は二人で助右衛門の手紙を読み上げて大笑い。幸弘さんの笛が「ロミオとジュリエット」のメインテーマを吹きます。これ、幸弘さんでなけりゃ出来ない技。能管はドレミの音階になっていないので、普通、洋楽は吹けませんが能管でバッハも吹けちゃう幸弘さんならではの超絶技です。他にもピロピロピロと高速演奏などノリノリの幸弘笛が聞けます。
 焼き餅焼きのお松の夫、焼兵衛(深田)は変装して助右衛門の所へ行き、お松に気が有る者のふりをして、お松を誘惑できたら自分にもチャンスがあるかもしれないと、助右衛門をそそのかして軍資金を渡し、様子をみようとします。
 これ幸いと、軍資金を懐にお松のところへ行く助右衛門ですが、これからと言う時にお竹がやって来て、亭主の焼兵衛がやって来ると伝えます。慌てて隠れようとする助右衛門ですが、お松に洗濯籠に隠れるよう言われて「くさい〜」と言いながら仕方なく隠れます。
 血相を変えて乗り込む焼兵衛、太郎冠者と次郎冠者がその籠を天秤棒に下げて持ち去り、籠の中身ごと川へ放り込んでしまいます。お松とお竹、太郎冠者と次郎冠者の4人は大笑い。
 洗濯籠はエアーで二人が担ぐ天秤棒の下で助右衛門がコロコロ転がりながら移動していきます。
 川に落として終わりじゃなくて、さらに祭の夜にお松の手紙で呼び出され、のこのこと老松の下へやって来る助右衛門。すると、焼兵衛も加えた5人が面を付けて変装して待ち構え殴る蹴る。泣いて謝る助右衛門は「嘘をついたことを謝るか」と聞かれて「謝る、謝る」と詫びて見せるものの、すぐに開き直って懲りない助右衛門「この世は悉皆、冗談ぢゃ、人間、所詮、道化にすぎぬわい。笑うが人生、笑わるるも人生」と、一同呆れるものの最後は祭気分に乗って歌い踊って囃し立て、大団円で終わります。

 台詞にシェークスピアを意識して「ロミオとジュリエット」や「ハムレット」の有名な台詞を入れたり、「きれいはきたない、きたないはきれい」という「マクベス」の魔女たちの台詞を節をつけて歌って、対比するものを変えて歌ったりと遊び心満載。でも最後に皆に痛めつけられて謝る場面は、万作さんの時は、みんなに脅かされて気絶しちゃうのじゃなかったかな?

 代替わりも結構上手くいきそう。萬斎さんの助右衛門も茶目っ気があって可愛いし、裕基くんは、この太郎冠者のキャラのせいもあるかもしれないけれど、普通の狂言の時より生き生きと楽しそうに見えました。
 世代交代で、これからも新作狂言として続けていってほしいですね。