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能楽鑑賞日記

2021年7月27日(火) 東京2020オリンピック・パラリンピック能楽祭一日目
会場:国立能楽堂 13:00開演

『翁(おきな)』十二月往来・父尉延命冠者(金春流)
 翁・父尉:金春憲和
 翁:高橋忍
 翁:金春飛翔
 三番三:茂山千五郎
 千歳・延命冠者:茂山忠三郎
        後見:大藏彌太郎、茂山茂
 大鼓:安福光雄、小鼓頭取:幸正昭、小鼓:船戸昭弘、後藤嘉津幸、笛:藤田貴寛
        後見:金春安明、金春穂高、横山紳一
    地謡:本田芳樹、山井綱雄、井上貴覚、本田布由樹
        辻井八郎、本田光洋、櫻間右陣、山中一馬

一調(金春流)
「高砂(たかさご)」  金春安明   太鼓:金春惣右衛門

「二人袴(ふたりばかま)」(和泉流)
 親:野村萬、聟:野村万之丞、舅:野村万禄、太郎冠者:能村晶人
                      後見:野村万蔵

『翁』十二月往来・父尉延命冠者
 神になり代わって翁が天下泰平・国土安穏の神舞を舞い、三番三が五穀豊穣を祈る舞を舞う、能であって能でないと言われる演目。今では千歳、翁、三番三が普通ですが、今回は、めったに観られない小書付きの演出です。翁が3人登場するので、面箱持ちも3人登場します。千歳の忠三郎さんの他、彌太郎さんと茂さんが面箱を掲げてソロリソロリと登場。その後上下とも白の装束の翁が3人登場します。3人の翁は並んで立ったまま手を合わせて礼をし、笛柱寄りに着座します。面箱持ちがそれぞれの翁の前に面箱を置いて終わると、忠三郎さんはワキ柱近くの千歳の位置に着座、彌太郎さんと茂さんは後方の後見座に着座します。
 翁の「どうどうたらり・・・」の謡は翁3人と地謡が交替に謡い、つゆ払いの千歳の颯爽とした舞が舞われます。千歳の舞が終わると、翁三人が正面舞台で謡い、シテ翁とツレ翁の掛け合いで正月から十二月までの風物をめでたく詠み込んだ詞章の謡が謡われ、翁の舞はシテ翁一人で舞われます。「千秋万歳」の謡でツレ翁の二人が立ち上がって謡い、三人手を合わせて終わります。その後、シテ翁が父尉の面を掛け、千歳が延命冠者の面を掛けて、それぞれ父尉、延命冠者の謡を謡います。翁三人は、最後に正面で手を合わせて退場。翁の後に控えていたシテ後見も二人が面箱を持って切戸口から退出。後見は金春安明さんだけが残りました。
 千五郎さんの三番三が始まります。大鼓の安福光雄さんの掛け声が凄い迫力。千五郎さんの「揉ノ段」は声がよく通るので、「ヤー、ハー」という掛け声もお囃子の迫力に負けずに響くし、足拍子の力強さなど重量級の迫力に圧倒される感じでした。なんかワイルドで凄い。
 「鈴ノ段」になると、黒式尉の面を掛け、忠三郎さんと問答の後、鈴を受け取りますが、忠三郎さんは、問答の後に切戸口から退場します。普通は最後に三番三が終わってから一緒に退場するのですが、そんなところも違いますね。「揉ノ段」とは一転して静かな「鈴ノ段」。鈴を振る動作が種まきを感じさせ、段々盛り上がって早くなりストンと終わります。
 三番三の千五郎さんが橋掛かりから幕入り、囃子方がそれに続き、後見の金春安明さんは面箱を持って切戸口から退場しました。

一調「高砂」
 能『高砂』のおめでたい謡いを太鼓一調で謡います。金春安明さんは声が良いですね。有名な「高砂や・・・」の謡はワキ方の謡いなのですが、まずワキ方の謡いを謡った後、太鼓が入って後シテの謡いになりました。

「二人袴」
 今日は日柄が良く、聟が来るので、舅は太郎冠者に準備を言いつけています。一方、聟は、一人で行くのは心細いので、舅の家の門前まで親に付き添ってもらいますが、舅方の太郎冠者が親の顔を見知っていて、親も招き入れられることになります。しかし、袴が一着しかないので、二人は半分に裂いた袴を前に当てて、座敷に入ります。二人は後ろを見られないように注意していますが、酒宴となり、舞を所望されてしまいます。聟はなんとか舅と太郎冠者の目をそらしながら舞いますが、今度は舅とともに三人揃って舞うことになり、舞ううちに太郎冠者に後ろを見られてしまったので、親子は恥ずかしさのあまり逃げ出し、舅と太郎冠者があわてて後を追います。

 中世の「婿入り」とは、新婚の夫が初めて妻の実家を訪れ、舅に対面する儀式のことです。
 万之丞さんの聟に萬さんの父親。万之丞さんの聟が初々しい。大蔵流だと聟さんがもっと子供っぽい演出だけれど、あまり子供っぽさを強調することも無いと思うので、和泉流の演出の方が好き。
 はきなれない長袴でぎこちなく歩く聟の姿や親子で袴一つをとっかえひっかえ、ついには袴を裂いて前だけ当てて行くのは大笑い。太郎冠者に呼ばれて慌てる様子や舞の最中に「あれあれ」などと他所を指さして舅と太郎冠者の気を逸らして一回りしたり、もうコントとしか言いようがないドタバタだけれど、困りながらも、ついつい世話を焼いてしまう父親や、失敗を見つけても咎めだてせず、かえって気を使う舅など、ほのぼのとした人間関係にほっこりします。
2021年7月25日(日) 第九回狂言やっとな会
会場:宝生能楽堂 14:00開演

解説・ワークショップ:深田博治

小舞「蝉(せみ)」
 野村萬斎    地謡:野村僚太、月崎晴夫、深田博治、内藤連、飯田豪

「蝸牛(かぎゅう)」
 太郎冠者:野村万作、主:石田幸雄、山伏:中村修一     後見:石田淡朗

素囃子「神舞(かみまい)」
 大鼓:大倉慶乃助、小鼓:鳥山直也、太鼓:林雄一郎、笛:栗林祐輔

「博奕十王(ばくちじゅうおう)」
 博奕打:深田博治
 閻魔大王:野村萬斎
 前鬼:内藤連
 後鬼:飯田豪
 鬼:石田淡朗
 鬼:岡聡史
 鉄杖鬼:高野和憲
     地謡:中村修一、石田幸雄、野村太一郎、野村裕基
                  後見:宇貫貴雄、月崎晴夫

質問コーナー:深田博治

 最初に深田さん、内藤さん、飯田さんが切戸口から出てきて、深田さんと飯田さんが「蚊相撲」の相撲をとる場面をされました。内藤さん、飯田さんが引き揚げて深田さんが残ってご挨拶。
 コロナ禍で、昨年の5月2日に開催予定だった公演が2回延期になって1年3か月ぶりの公演となりました。深田さん主催の公演で、私は今回初めて観ますが、いつもはワークショップで皆で謡を謡ったりするそうですが、コロナ禍なので、大きな声を出せないということで、今回は省略。
 今回「博奕十王」をやるということで、NHKホールでやった「博奕十王」の話をされて、ターミネーターの音楽でスモークの中出てきてライトが当たるのが、すごく気持ちよかったと、仰ってました。

小舞「蝉」
 舞狂言「蝉」の中で、蝉の霊が現れ、烏に食われた様を舞います。
 緩急のある劇的な小舞で、萬斎さんが飛び上がったり、クルクル回ったり、キレの良い動きで最後に飛び返り。かっこよかったです。

「蝸牛」
 修行を終えて帰る途中の山伏が竹藪で休んでいると、主人の命で、長寿の薬になるというカタツムリを捕りに太郎冠者がやってきます。竹藪には必ずいるもので、頭が黒く、大きい物は人ほどの大きさがあると聞いていた太郎冠者は山伏をカタツムリだと思い込んで声をかけます。山伏は太郎冠者をからかってやろうと、カタツムリになりすまし、腰に貝をつけていると言われれば腰に下げた法螺貝を見せ、時々角を出すと言えば結袈裟の球状の梵天を角のように頭の後に出して見せたり、ことごとく特徴に合わせて見せます。喜んだ太郎冠者が一緒に来て欲しいと頼むと、山伏は囃子物に浮かれてなら同行しようと、太郎冠者に囃子言葉を教え謡わせます。二人が囃子物で浮かれているところへ、太郎冠者の帰りが遅いので、迎えに来た主人は、囃子物で戯れている二人を見て、太郎冠者を叱りますが、囃子物に熱中している太郎冠者にはその声が耳に入りません。いったんは、事情を理解しても、すぐ囃子物に我を忘れてしまいます。やっと我に返った太郎冠者と主人を、一旦姿を隠した山伏が急に現れて驚かし、逃げるのを二人が追いかけて行きます。

 最近は、主人も囃子物に浮かれて、三人で浮かれ入りするのが多いですが、元々和泉流は追い込みで終わる型なので、今回は従来の型にしたそうです。
 いつも山伏を萬斎さんがやるのを良く観ますが、今回は若い中村さんで、太郎冠者が万作さん。90歳の万作さんがお歳を感じさせない動きで、山伏に乗せられる様子がとてもキュート。囃子物にこちらも浮かれてきます。

 休憩時間に「博奕十王」のサイコロの目を当てる投票用紙をロビーに置かれた箱に入れます。当たれば景品が送られて来るそうですが、まず7回の目を当てるのは無理でしょ。でも、これはコロナが出た時の連絡先を知らせるために必要なもので、それにちょっとした楽しみを兼ねるという工夫がされてるわけです。

 休憩の後、「神舞」の素囃子。颯爽としてテンポの良いお囃子です。

「博奕十王」
 極楽浄土を約束する宗教の流行で、地獄に堕ちる罪人が少なくなったので、閻魔大王は、自ら六道の辻へと死者を責め落としに行きます。そこへやって来たのが博奕打ち。さっそく鬼どもが責め立て、閻魔大王の前に引き出します。閻魔が博奕打ちの罪を調べると、賭博で人から財産を奪い取る大悪人。しかし、博奕打ちは、賭博は悪いことではない、皆がする遊びだと言うので、興味を持った閻魔は博奕打ちにやって見せよと命じます。相手が必要だからと言われて、閻魔自身がサイコロの目を当てようとしますが、一の目ばかりに張り続けてことごとく負け、ついには身ぐるみ剥がれ、極楽へ案内することまで賭けにします。この勝負にも負けて、博奕打ちを極楽へ連れて行くはめになります。

 ちょっとずる賢そうでチャーミングな萬斎さんがいつも博奕打ち役ですが、今回は振り回される閻魔大王で、深田さんが博奕打ち。まあ、これも面白い。サイコロの目を当てる単純な賭けですが、地獄の鬼どもまでも全員巻き込んで熱くなっての賭博が始まっちゃいます。一の目ばかりにこだわる閻魔大王に鉄杖鬼の高野さんが「今度は5にしよう」などと言いますが、ことごとく退けられ、鬼たちのやり取りが爆笑もの。7回転がして1が出ないなんてまず無いですが、このサイコロの目には1は無いから本当はイカサマですよね。でも、ただでさえ貧乏な地獄へ責め落とすことも出来ず、身ぐるみ剥がれてすごすごと極楽へ案内する羽目になる閻魔大王がちょっと可哀相(笑)

 最後に「質問コーナー」となっていて、深田さんが出てこられましたが、これも感染予防の観点から無くなり、深田さんが何度もお礼を言って終わりました。
 大分と東京での公演があり、ワークショップや質問コーナーなど、普段ならいつも行われているらしいので、今度東京での公演がある時はまた観に行きたいと思います。

 帰りに別府温泉血の池地獄で販売されている入浴剤「赤湯泉」をお土産に頂きました。
2021年7月18日(日) 故 善竹富太郎一周忌追善 善竹狂言会
会場:国立能楽堂 14:00開演

<素囃子「早舞(はやまい)」
 大鼓:高野彰、小鼓:森澤勇司、太鼓:小寺真佐人、笛:松田弘之

「三本柱(さんぼんのはしら)」
 果報者:野村万蔵
 太郎冠者:野村万之丞、次郎冠者:野村拳之介、三郎冠者:小笠原弘晃
                            後見:河野佑紀

「二千石(じせんせき)」
 大名:善竹大二郎、太郎冠者:大藏吉次郎        後見:善竹十郎

小舞
「鵜飼(うかい)」   茂山茂
「蛸(たこ)」     茂山千五郎
「通圓(つうえん)」  大藏彌右衛門

「濯ぎ川(すすぎがわ)」
 男:善竹忠重、妻:善竹忠亮、姑:茂山千三郎      後見:善竹大二郎

「祐善(ゆうぜん)」古式
 祐善の霊:善竹十郎
 旅僧:大藏彌太郎、大藏基誠、大藏教義
 所の者:野島伸仁
        後見:善竹大二郎
           地謡:小梶直人、大藏吉次郎、榎本元、吉田信海

 善竹富太郎さんが、昨年新型コロナ感染により40歳で亡くなり、今回は、その一周忌追善公演で、ロビーに富太郎さんの遺影とお骨、位牌が飾られていて、手を合わせてきました。
 最初に、十郎さんが切戸口から現れて、ご挨拶されました。
 「番組に無い挨拶に出るのは、富太郎が生前にサプライズでやってみたらと言っていた富太郎の企画」と仰っていました。また、「大二郎が善竹狂言会の社団法人化を申請していたのが承認され一般社団法人善竹狂言会としての初めての公演」ということで、「事業承継が出来ました。今後は全権を大二郎に譲り、私は会の会長ではなく、平の理事です。」と笑っておられました。
 「親が子の一周忌をやることは大変寂しい。」とも仰っていましたが、「祖父彌五郎の時以来、野村万蔵(6世)さん、藤九郎(9世)さんが出演いただいた、それ以来の盛大な会になりました。」「私は体調はすこぶる快調ですので、富太郎の分まで長生きして百歳の太郎冠者をお見せしたい。」とご挨拶されました。

「三本柱」
 果報者が屋敷を普請したあと、山に残しておいた三本の柱木を、三人の冠者に「一人二本づつ持ってこい」と言いつけます。山で三本の柱を見つけた三人は、主人の言いつけに思案し、冠者たちは一人の左右の肩に柱の端を載せて三角形になって立つと、主人の言いつけ通りになると気付き、囃子物を囃しながら屋敷に戻ります。屋敷に戻ると、果報者は「三本の柱を一人二本づつ持てとは、知恵のほどを見るため」と、喜んで冠者たちを褒めたたえます。

 万蔵さんと富太郎さんは、立合狂言会で共演したり、親交があったようで、昨年の萬狂言秋公演で、富太郎氏追悼を行っています。
 果報者狂言で、おめでたい狂言ですが、狂言師の追善にはホッコリほのぼのと笑える狂言が良いのかもしれません。

「二千石」
 無断欠勤した太郎冠者を成敗しに出かけた主人は、都に出かけていたと聞き、都の様子を聞き出します。都で流行っていた謡「二千石の松にこそ、千歳を祝ふのちまでも、その名は朽ちざりけれ」を主人に謡って聞かせます。すると主人は、その謡は先祖の武将が、前九年後三年の役で八幡太郎義家の前で謡い戦勝を得た大事な謡だと謂れを語り、それ以来この謡を粗末にしないようにと、屋敷の乾(北西)の隅に封じ込めてまつったのに、その謡を持ち出して流行らせたのだろうと怒り、太郎冠者を手討ちにしようと太刀を振り上げます。その手元が大殿様(先代)に似ていると言って太郎冠者が泣くので、主人も思わず落涙し、太郎冠者を許して、子が親に似るのはめでたいと言って共に大笑いします。

 まだ若い大名(大二郎さん)に老練な太郎冠者(吉次郎さん)という感じ。太郎冠者に「尺八を取ってこいと言われ、畳みの縁につまづいて、大殿様に尺八で打たれた時の姿とそっくり」と言われて泣き出す主人。その姿もそっくりと畳みかける太郎冠者。親に似ていると言われるたびに何度も泣く主人。二千石の謡を持ち出したかどうかは曖昧なまま、太郎冠者に上手く丸め込まれたんじゃないかと勘繰りたくなるけれど、これも最後は笑い留めでめでたく終わります。

小舞「鵜飼」「蛸」「通圓」
「鵜飼」は、能『鵜飼』で鵜匠が禁漁とも知らず鵜を使う様を小舞にしたもの。「蛸」と「通圓」は能掛かりの舞狂言の中の舞で、いずれも僧が霊を弔い成仏して終わるもの。茂山茂さん、千五郎さん、そして大蔵宗家が富太郎さんの手向けに舞いました。

「濯ぎ川」
 気の弱い夫は日頃から妻と姑に酷使されています。今日も裏の川で洗濯していると、妻と姑が来て次々と仕事を言いつけます。あまり用事が多いので紙に箇条書きにしてもらうことにし、朝起きてから寝るまでにすることを書いてもらい、書いてないことはしなくて良いという約束をとりつけます。その後夫は洗っていた小袖を川に流し、それを取ろうとした妻が川に落ちたので、姑は早く助けろとせきますが、夫は小袖を拾い上げること、流された女房を助けることは紙に書いてないと言います。姑は今までのことを詫び、助けてくれと頼むので、妻を引き上げてやりますが、助けられた妻は怒って夫を追いかけ、残された姑は恨めし気にその紙を破ります。

 飯沢匡作のフランス中世のファルス(笑劇)『洗濯桶』をヒントに作られた新作で、最初は新劇用に書かれ、後に武智鉄二・北岸祐吉が台本を狂言風に改めた新作狂言です。現在は大藏流の番外曲に組み入れられているそうです。
 何回か観てますが、とても面白くて大好きです。夫婦役に善竹忠重・忠亮親子、姑に茂山千三郎さん。特に千三郎さんの姑役はハマリ役。
 「今日は可愛がってあげましょう」と姑が杖を振り回して男を追いかけたり、一日の仕事として家事全てを男にさせようと紙に書き付ける姑と妻。仕返しに小袖をわざと流す夫が小袖を拾うのは紙に書いてないと言い、妻が拾おうととして流され転がって欄干につかまったり、悠長に紙を読み返して、一向に動こうとしない男と娘を助けようとして杖を出すけれど失敗して、とうとう聟に謝り、何でも言う通りにするから娘を助けてと頼む姑。妻を助けたとたんに妻に追いかけられる夫、最後は一人残されて書付けを破り捨てる姑。ドタバタとペーソス。でも、この後も少しは姑は遠慮するかもしれないけれど、妻は夫の思い通りにはいかないだろうなと思わせられます。

「祐善」古式
 若狭の国轆轤谷(ろくろだに)の僧が都を一見しようと、都五条の油小路に着きます。そばの庵で雨宿りしていると祐善という老人が現れ弔ってくれるよう頼んで消え失せます。不思議に思った僧が所の人に尋ねると、昔、祐善という名の傘張りがいたが、下手くそで誰も傘を買わず、傘の張り死にをして、今日が命日だと語ります。僧が弔っていると、祐善の霊が現れ、日本一下手な傘張りといわれ、誰も買ってくれずに狂い死にをしたが、今の弔いで成仏できたと謡い舞い礼を言って消え失せます。
 能掛かりの舞狂言で、古式という小書が付くと、ワキツレの僧が増え、後シテの装束が黒頭になり、趣が変わります。
 最近、「祐善」をよく観るような気がします。5月の「吉次郎狂言会」でも観ましたが、2月の「立合狂言会」で、富太郎さんへの手向けとしての全員の謡、昨年10月の「萬狂言」での十郎さんの小舞など富太郎さんへの追善が多かったようです。
 大蔵流のほうが、格調高く舞っている感じがしますが、古式の小書でさらに格調高くなっているような感じでした。最後に富太郎さんへの追善として相応しいのではないでしょうか。

 生前の富太郎さんを偲びつつ、狂言会らしく大いに笑って送ることができました。これからも十郎さん、大二郎さんのご健康とご活躍をお祈りしています。