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能楽鑑賞日記

2021年9月23日(祝・木) 第三十六回狂言やるまい会東京公演
〜野村又三郎半白・野村信朗成人記念〜

会場:国立能楽堂 13:00開演

『翁(おきな)』
 翁:小早川修
 三番叟:野村信朗
 千歳:小早川康充
 面箱持:野村裕基
 小鼓頭取:大倉源次郎、脇鼓:大倉伶士郎、清水和音、大鼓:柿原弘和
 笛:藤田貴寛
   後見:観世銕之丞、小早川泰輝
     地謡:梅若志長、中村健一、谷本健吾、観世淳夫
         坂真太郎、藤波重彦、浅見慈一、野村昌司
   狂言後見:野村又三郎、野村萬斎

「昆布柿(こぶがき)」
 奏者:野村萬、丹波国の百姓:野村万之丞、淡路国の百姓:野村拳之介
   大鼓:柿原孝則、小鼓:田邊恭資、太鼓:小寺真佐人、笛:成田寛人
      後見:野村眞之介

「朝比奈(あさひな)」
 朝比奈義秀:野村又三郎、閻魔大王:野村萬斎
   大鼓:柿原孝則、小鼓:田邊恭資、太鼓:小寺真佐人、笛:成田寛人
      地謡:伴野俊彦、野口隆行、奥津健太郎、藤波徹、伊藤泰
         後見:野村信朗、野村裕基

一調「船弁慶(ふなべんけい)」
 謡:宝生和英       太鼓:小寺真佐人

「那須語(なすのかたり)」披キ   語:奥津健一郎
                         後見:野村又三郎

「鳴子(なるこ)」
 太郎冠者:野口隆行、次郎冠者:奥津健太郎、主:松田高義
                        後見:伊藤泰、藤波徹

 又三郎さん50歳、信朗さん20歳の記念公演ということで、又三郎さんの母校東京藝術大学に昨年信朗さんも入学し、大学の関係者、先輩、後輩諸氏が節目の会に参集されお力添えをいただいたとのお礼をプログラムの中でされていました。『翁』では、又三郎さんの大学の先輩の小早川修氏が翁を、その嫡男で千歳の康光さんは信朗さんの先輩にあたり、面箱持の裕基さんは信朗さんの1学年年長と書かれていました。裕基さんが大学に入られたのは知っていたけれど、どこかは明らかにしてなかったですが、萬斎さんと同じく藝大の音楽学部邦楽科に進学されたのでしょうか?

『翁』
 最初に面箱持の裕基さんが、非常にゆっくりしたハコビで粛々と進められ、正先で翁が座って深々と礼をして、それぞれの座に着きます。露払いの千歳の康光さんは、良く通る声で、袖捌き足捌きのキレも良く、颯爽として美しい千歳です。翁の小早川修さんは多少手の震えが気になりましたが、厳粛な空気の中で進められ、翁と千歳が退出すると、力強い大鼓の掛け声で、いよいよ三番叟が始まります。三番叟の「揉ノ段」の掛け声は「ヤッハッハ」や「ヤー、ハー」で、大藏流や同じ和泉流の野村万蔵家・万作家とも違う掛け声で、力強い足拍子でした。「鈴ノ段」の最初の面箱持との掛け合いでは、信朗さんの声が又三郎さんソックリで、裕基さんの声が萬斎さんソックリなので、なんか錯覚に陥りそうでした(笑)。

「昆布柿」
 淡路国と丹波国の百姓が、都へ年貢を納めに行く途中、道連れになります。二人はそれぞれ柿と昆布を納めた後、年貢によそえた歌を詠むよう命じられて見事に詠んだため、万雑公事(諸雑税)を免除され、盃をいただきます。二人は名を問われますが、あまりに珍妙な名と長い名であるため、奏者は、自分には覚えられないから、直接領主に申し上げるようにと言います。白洲に出ると、奏者が拍子にかかって名を問い、二人も拍子にかかって答えます。

 萬さんと孫の万之丞さん、拳之介さんとの共演。無事年貢が納められると言うのはめでたい事だったそうで、「佐渡狐」なども年貢物ですが、1月の国立能楽堂狂言の会の「餅酒」も年貢物で初めて観る演目でした。この「昆布柿」も初めて観ました。年貢を題材に歌を詠めと言われ、税が免除されて喜び、盃をいただくところまで「餅酒」に似てます。この曲では二人のお百姓の珍名を拍子にかかって述べるということが加わり、囃しながら段々速度が増して熱中していく様が面白いです。縁起の良い年貢の品とそれを詠み込んだ和歌、珍名を拍子にのって囃すという何ともおめでたい曲でした。

「朝比奈」
 最近は娑婆で仏教が流行し、地獄へ堕ちる者が減って、地獄が飢饉になったので、閻魔王みずからが亡者を追い落とそうと、六道の辻にやって来て、亡者を待ち受けます。そこへ豪傑無双で名をはせた朝比奈三郎義秀がやってきます。閻魔は地獄へ追い落とそうと責めますが、動ずる気配もなく、いくら責め立てても歯が立ちません。閻魔王は負けを認め、朝比奈に和田合戦の様子を語らせます。朝比奈は身振りをまじえて戦のありさまを語り、ついには閻魔を道案内に立てて極楽へと向かっていきます。

 萬斎さんの朝比奈役は、何回か観ていますが、今回は又三郎さんが朝比奈で萬斎さんが閻魔。又三郎さんも閻魔役が多く、朝比奈役は何十年ぶりらしいですが、又三郎さんの朝比奈、かっぷくも良く、声もドスがきいてるから如何にも強そう。地獄が飢饉で貧相な萬斎閻魔が目の前にチラリ、チラリ、朝比奈の杖に取りつくけれど、ビクともしない朝比奈にあちらへコロリ、こちらへコロリと見事に転がされちゃう。和田戦の様子を語って聞かせよと、床几を持ってきて座る閻魔を朝比奈がどかして、語りだします。これもとても迫力のある語りでした。最後には閻魔に荷物を持たせて極楽へ案内させる朝比奈。なかなかこの配役も合っているかも。

「那須語」
 能『八島(屋島)』の替間の語りで、平家物語や源平盛衰記の名場面とされる「扇の的」の件りを、語り手、判官義経、後藤兵衛実基・与市宗高の四役を語り分け、緊迫した場面を表現する、狂言師の節目の課題曲で、奥津健一郎さんの披きです。

 健一郎さんは、奥津健太郎さんの息子さんです。真ん中の義経に対し、実基と与一は斜め後ろに位置し、位置を移す時は両手をついて移動する形。やっぱり家によって型が違いますね。しっかりした仕方語りでした。

「鳴子」
 主人は、太郎冠者と次郎冠者に鳴子を渡し、田の稲を荒らす群鳥を追い払いに行くよう命じます。田に着いた二人は早速鳴子を鳴らして鳥追いをしていると、主人が酒を持って見舞い、夜になったら戻れ、と言って帰ります。二人は酒を飲んで、歌を謡い、さらに鳥を追いますが、酔いがまわって眠り込んでしまいます。心配した主人が再びやってきて、眠り込んでいる二人を見つけ起こしますが、二人は主人を猪と間違えて叱られ、逃げて行きます。

 舞台に作り物の小屋が置かれ、太郎冠者と次郎冠者が田の小屋へ行って二人で鳴子を鳴らして鳥を追います。鳴子を鳴らした後小屋へ行って謡い、ホー、ホー、ホーと鳴子を鳴らして、また謡うという感じ。主人がお酒を持って来ると、お酒を飲もうと、鳴子をしまい、謡い舞って、また歌いながら鳥を追います。“曳く物尽くし”や“名所尽し”の謡を謡って、「狐塚」よりも、叙情的な雰囲気の曲になっています。でも、最後は酔って寝てしまい、帰りが遅いのを心配して来た主人を猪と間違えて叱られてしまうのが、狂言らしいオチです。
2021年9月22日(水) 国立能楽堂狂言の会
◎家・世代を超えて

会場:国立能楽堂 13:00開演

大蔵流
「萩大名(はぎだいみょう)」
 大名:山本東次郎、太郎冠者:善竹大二郎、亭主:善竹忠亮

大蔵流
「鏡男(かがみおとこ)」
 夫:茂山あきら、妻:山本則秀
    笛:栗林祐輔、小鼓:森貴史、大鼓:大倉慶乃助

和泉流
「腰祈(こしいのり)」
 祖父:三宅右近、山伏:深田博治、太郎冠者:高野和憲

 大蔵流、和泉流それぞれに同じ流儀であっても異なる家、重鎮と中堅・若手という組み合わせでの共演です。

「萩大名」
 都に長く滞在中の田舎大名が気分転換に出かけようと思い立ち、太郎冠者に行先を相談します。太郎冠者は下京にある庭の宮城野の萩を見に行くことを提案します。ただし庭の亭主が見物人に和歌を所望するので、太郎冠者は「七重八重九重とこそ思ひしに十重咲き出づる萩の花かな」という歌をあらかじめ大名に教えようとします。しかし、覚えられないと大名が訴えるため、太郎冠者は一句一句を物になぞらえて、「七重八重」というときは扇の骨を七本八本まで開き「九重」で九本目まで、「十重」で扇をぱらりと全部開くという合図をおくる手はずを整えました。最後の「萩の花かな」では、大名が太郎冠者を叱る時に「あの臑脛(すねはぎ)ばかり伸びおって」と言うのを駄洒落にして、太郎冠者が自分の向う脛を見せ、鼻の先を指すことにします。
 二人は下京の家に到着し、庭を望む座敷に通されます。梅の古木や立て石といった庭の景物が話題にあがりますが、大名はトンチンカンな受け答えをして太郎冠者を慌てさせます。そして、いよいよ亭主が歌を詠むよう促しますが、太郎冠者のせっかくの合図もなかなか大名に通じません。呆れた太郎冠者は「恥をかかせた方がよい」と途中で姿を隠してしまいます。あわてた大名に、亭主が末句を催促しますがどうしても出ず、「太郎冠者の向う脛」と付け、亭主に叱られて、面目を失ってしまいます。

 東次郎さんの大名は、登場する時、橋掛かりの途中から正先での名乗りまで、ツツツツーと速足で出てきます。時々速いハコビが入るのは山本家だけの特徴ですね。
 中世の大名は、一国一城の主ではなくて、地方の土地持ちの名主のことで、家来も2,3人程度の地主なので、無教養・無風流な者が多かったそうです。ここでは、家来の太郎冠者のほうが利発で機転が利くのですが、最後には呆れて見放しちゃいます。でも、この大名は教養はないけれど、大らかで無邪気。なんか憎めなくて可愛らしいのです。

「鏡男」
 越後国、松の山家の夫が、都での訴訟を終えて帰国の途につきます。夫は妻のために僅かな所持金で鏡を求めており、鏡のことをあれこれ語りながら道を急ぎました。家に帰りつくと、妻が温かく迎え、二人は仲睦まじく言葉を交わします。夫は土産の鏡を出し、鏡に向かえば自分の姿がありありと見えて化粧にも重宝すると、鏡の説明をして妻に渡します。初めて鏡を見た妻は、鏡の中に見知らぬ女がいると騒ぎ、夫が都の女を連れてきたと言って怒り出します。夫が説明しようと妻に近づくと、女に近寄るのかとますます嫉妬して怒ります。夫が、他の者にやろうと鏡を取り上げると、妻は、女をどこに連れて行くのだと怒りながら追いかけます。

 プログラムでは、夫役は茂山七五三さんになっていましたが、急遽、あきらさんに変わったようです。七五三さん具合が悪いのでしょうか?
 鏡を知らない妻が鏡に映る我が身を別人だと思い込むことから起こる騒動ですが、在京していた夫が、妻に鏡を買って帰る。妻の喜ぶ顔を想像しているんでしょうか、神代の鏡の話などしたり、鏡に自分の笑顔や怒った顔を映して喜んだり、楽しそうで、浮き浮きしてる様子がわかります。ところが妻は鏡に映る自分の姿を見て、都から女を連れてきたと焼きもちを妬く。あまりに怒って収拾がつかないので、やんなっちゃった夫、それなら他の人にやるよと、取り上げると、女をどこに連れて行くのだと、追いかけられるはめに(笑)。本当は仲が良い夫婦なのだなと思います。

「萩大名」も「鏡男」も大蔵流でも、他の家と台詞回しや型が違う独特な山本家との共演ですが、違和感なく楽しめました。

「腰祈」
 大峰葛城での修行を終えたばかりの山伏が生まれ故郷の国に戻り、祖父の家を訪ねます。祖父は再会を喜び、山伏のことをまだ子どもであると思い込んで、えのころ(子犬)をあげようなどと話します。祖父の老いた様子を目にした山伏は加持祈祷をして、祖父の曲がった腰を伸ばしてあげようとします。山伏が一生懸命に呪文を唱えると、呪力が強すぎるのか腰が伸びすぎたり、曲がりすぎたり。とうとう祖父を怒らせてしまいます。

 狂言には、呪文が効かない山伏はよく出てきますが、ここに出て来る山伏は、まだ若い山伏のようでも、呪力は強くて効きすぎる。でも、コントロールができないから、騒動になっちゃう。山伏のことを、まだ小さい子どものように扱う祖父はすっかり腰が曲がってますが、山伏の珍妙な呪文や、それに合わせて腰が伸びきってそっくり返ったり、また曲がったりと祖父の腰の動きにも笑っちゃいます。右近さんは大らかそうな祖父だけれど、深田さんの山伏が頑張れば頑張るほど、遊ばれてるみたいに(笑)伸びたり縮んだりで、最後には怒り出しちゃう。慌てる真面目そうな深田山伏とオロオロする高野太郎冠者。呪力が強すぎて失敗しちゃう山伏の話でした。