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能楽鑑賞日記

2007年5月27日 (日) 第8回吉次郎狂言会
会場:国立能楽堂  14:00開演

「墨塗」 大名:大藏彌太郎、太郎冠者:大藏千太郎、女:大藏基誠
                                  後見:大藏教義

「抜殻」 太郎冠者:善竹十郎、主人:善竹忠一郎     後見:野島伸仁

「仁王」
 すっぱ:大藏吉次郎
 すっぱ:大藏教義
 立頭:榎本元
 立衆:善竹富太郎、善竹大二郎、大藏千太郎、吉田信海、大藏基誠
 男:宮本昇
                                  後見:大藏彌太郎、星廣介

 附祝言:野島伸仁、善竹忠一郎、善竹十郎

「墨塗」
 万作家では何回か観たことがあります。大藏流でも、それほど目だった違いは無いように思いました。
 訴訟が思い通りに済んで、国許へ帰ることになった大名が都の女に黙って帰ったら恨みに思うだろうということで、別れを告げに行くわけですが、女の嘘泣きにすっかり騙されている大名。太郎冠者は女が水を付けて泣く振りをしているのに気付き、主人に教えますが信じてもらえません。そこで、こっそり水と墨を摩り替えて、そうとは気付かぬ女は顔に墨を付けて泣きまねをしています。やっと気付いた主人は女に恥をかかせてやろうと、形見に自分の鏡をやろうと渡しますが、鏡を見た女はびっくり!笑う二人に怒って、大名と太郎冠者にも墨を塗りつけ、逃げる二人を追い込んでいきます。
 大名の大藏彌太郎さん、この人の「さて、どうしたものか」とちょっと考えるときの間と言い方が、なんかちょっと可愛いというか、上手いですね。
 女は、出てくる時から右袖の中に水入れを隠していたようで、右手を袖の中に入れていたので、最初、右手を怪我して吊っているのかと思ってしまいました(笑)。和泉流では、そうでしたっけ?後見が持ってきたのは墨入りの方だけでしたかね。
 女が袖の中から水入れを出して水をつけて泣きまねをはじめると、ここは太郎冠者、様子が変だと、すぐ気付きますね。さっそく主人を呼んで、橋掛かりの方で教えるのに、そんなことがあるものかと、信じてくれない主人。なんとか主人に騙されていることを知らせたい太郎冠者の様子がよく出ています。そこで一計を案じ、水と墨を変えてやれとなるわけです。ここから知らずに墨を塗り続ける女と墨の擦り合いになる最後まで、何度見ても面白い曲です。

「抜殻」
 この曲も、どこかで一回観たことがある気がします。
 いつもの所へ使いを言いつけられた太郎冠者は、承知と答えたものの、いつも飲ませてくれるはずの酒を主人が忘れているのに気がつき、戻ってきては探りを入れます。主人もやっと気付き酒を用意して飲ませますが、酒が飲みたさに戻った訳ではないと言い訳しつつ、うれしそうに何度も盃を重ね、すっかり出来上がってしまいます。出かけたはいいが、道の真ん中で眠り込んでしまった太郎冠者を心配して後を追った主人が見つけます。飲ませねば働かぬ、飲ませばこのざま、酒をやめさせる手はないかと思案した末に懲らしめのため鬼の面を太郎冠者にかけて家に戻ります。
 さて、目を覚ました太郎冠者は往来で寝ていたことに気付き、喉の渇きを癒そうと清水に行って水面を覗いてびっくり!鬼になったと信じ込み、嘆きながら主人のところに戻りますが、鬼の家来は持たぬと追い出され、悲観した太郎冠者は清水に身を投げようと飛び込みます。その拍子に面がはずれたので、急いで主人を呼びに戻り、鬼の抜殻だといって主人に面をさし示して、叱られてしまいます。
 どこか、おっとりとして落ち着いた雰囲気の主人の忠一郎さん。十郎さんは、お酒好きで単純な、どこか憎めない太郎冠者でした。ほんとにお酒好きそうな雰囲気が良く出ていて、鬼になったと信じ込んで嘆いてからの展開も可愛らしい。十郎さんは雰囲気がなんとも言えず、本当にうまいなあと思うこと多く。最近好きな演者です。

「仁王」
 これも万作家では何回か観てますが、負けを取り戻そうとして家財を注ぎ込み、すってんてんになった博打打が、どこかへ逃げようと思い、仲間に相談に行って、その男から仁王になりすまして、参詣人から賽物を騙し取る計画を持ちかけられ、さっそく準備して触れ回ります。
 最初はうまくいったものの、後から足の悪い男を連れてきた参詣人たち。足の悪い男が仁王の足をさすると動くので、参詣人たちも偽者と気付き、男を追いかけていきます。
 仁王の姿に化ける時、万作家だと輪っかを背中に背負うようにつけますが、大藏家は輪の先をそれぞれ括袴の前後に差し込むようにしてつけます。輪には白い布をかぶせるようにゆるく巻いています。
 参詣人が連れ立って来た時、参詣人の一人が隣に住む足の悪い男にも拝ませようと再度、足の悪い男を連れて皆でやってきます。和泉流だと足の悪い男は一人でやってくるのですが、そこも違いますね。やはり大きな草鞋を下げてくるのですが、仁王の足を撫でるのでくすぐったくて動く仁王、やっぱりそこは笑ってしまいます。それを見た他の参詣人も変だと気付き、「さっき来たときは、あん(口を開けた)の仁王だったが、今はうん(口を閉じた)の仁王だ」と、皆でくすぐり、我慢できなくなって逃げ出した偽仁王をみんなで追っていきます。最後に足の悪い男が草履を返せと言いながら追いかけていきます。
 にぎやかな参詣人たちの願い事もやはり、アドリブのようで、富太郎さんなどは、体が大きいので、もう少し痩せたい、なんて言ってました(笑)。
2007年5月26日 (土) 第13回友枝昭世の会
会場:国立能楽堂 14:00開演

「文蔵」 主:野村万蔵、太郎冠者:野村扇丞

『邯鄲』 
 シテ(盧生):友枝昭世
 子方(舞人):狩野祐一
 ワキ(勅使):宝生閑
 ワキツレ(輿舁):野口能弘、大日方寛
 ワキツレ(大臣):工藤和哉、御厨誠吾、梅村昌功
 アイ(邯鄲宿の女主):小笠原匡
     大鼓:亀井忠雄、小鼓:成田達志、太鼓:金春國和、笛:一噌仙幸
        後見:塩津哲生、狩野了一
           地謡:金子敬一郎、友枝雄人、長島茂、内田成信
               粟谷明生、粟谷能夫、香川靖嗣、中村邦生

「文蔵」
 万蔵さんが石橋山の合戦の仕方語りをきっちりと聞かせてくれました。扇丞さんの太郎冠者はあのきょとんとした表情がいい。しかし、やっぱりこの演目は語りで聴かせるだけでなく、もう少し、語りの高揚とそこからストンと落とす落差がはっきりしているほうが良いと思う。アドの太郎冠者のキャラがけっこう大切。人を食ったようなおとぼけの太郎冠者があってこそ生きてくる。

『邯鄲』
 何度か観た曲ですが、これも変化があって面白い曲です。アイの宿の女主は小笠原さんですが、狂言方が素顔であの髪型の鬘をつけているとどうも可笑しい。誰がやってもいつも似合わないなあと思ってしまいます(笑)。
 盧生は黒頭で登場。観世さんの時は頭巾を被っていたような気がします。人生に悩む青年盧生が蜀の国から楚の国の羊飛山(ようひざん)に住む聖僧に教えを求めに行く途中、邯鄲の里に宿をとるわけですが、そこで女主に勧められて、これで寝ると過去、未来のことについて悟りを開くという邯鄲の枕で粟の飯が炊けるまで一眠りします。一畳台の上でまだ眠りにつく前から夢の中の勅使たちが揚幕から出てきて橋掛かりを歩いてきていて、枕で寝ると同時くらいにワキの閑さんの勅使が枕元を扇でたたいて起こします。ハッとしたように起きる盧生に、勅使が楚の国の王位を継ぐべき勅定を伝え、盧生は驚きながらもそのまま王宮に行くことになります。
 盛大な歓迎に煌びやかな宮殿に着くと勅使と輿舁は去って、舞童と大臣一同と入れ替わり、宿の寝所であった一畳台が玉座となり、栄華の日々が謡われるうち、はや50年がたってしまいます。展開が速くて屋根つきの一畳台だけの舞台での場面転換が見事です。
 舞童は狩野さんの息子さんでしょうか、清々しい舞でした。このあと盧生が一畳台の上で舞を舞うのですが、台の上から片足を落としそうな仕草をして柱につかまり、落ちそうになった片足を上げたまましばらく止まっています。一瞬、本当に足を踏み外したのかとハッとしてしまいました。他の人で観たときは、それほどハッとはしなかった気がしますが、今回はそれくらいリアルでした。そのあと廷臣たちに背を向けて一畳台に腰掛け、しばし沈思黙考。ここで何を思っていたのでしょう。やがて、台を降りて舞台に出てきて舞を舞う盧生。テンポが速くなり激しい舞。橋掛かりに行くと舞童と廷臣たちが素早く切り戸口に走り去り、扇で一畳台のほうを指し示して一気に走りこむシテ。台の上に飛び込んで横になり、お囃子が終わると同時に女主が枕元を扇でたたいて起こします。友枝さんは勢いよく横になっても枕に頭が当たらないよう頭を浮かせたままでキープ、見事です。スピーディーな展開にドキドキしてしまいます。お囃子の勢い、気迫も見事でした。
 ハッとして目を覚ました盧生の茫然とした表情、これがまた、本当に茫然とした表情に見えました。やがて、今のは夢であったと気付き、考えてみれば、どんな栄華も所詮、一眠りの間の夢と同じ虚しいことなのだと悟り、邯鄲の枕こそ、わが人生の師と感謝して晴れやかな気持ちで故郷に帰っていくのでした。アップテンポから地謡の調子も変わり、盧生の心の変化が伝わってきます。悟りを得て枕を掲げ感謝する場面は非常に分かりやすく、静かに、しかし晴れやかな気持ちで帰っていくという感じがしました。

 友枝さん、プログラムの中の「ごあいさつ」に「いつまでも変わらないと思い込んでおります身体も、近頃折りにふれ加齢を感じることもございますが」と、書いていますが、どうしてどうして、まだまだ充分いけますよ。あの勢い、見事な決めは誰にも負けません。
2007年5月25日 (金) 国立能楽堂狂言の会
会場:国立能楽堂 18:30開演

「佐渡狐」
 佐渡のお百姓:大藏彌太郎、越後のお百姓:大藏吉次郎、奏者:茂山忠三郎
                                  後見:大藏千太郎、茂山良暢

「鶏流」
 太郎冠者:佐藤友彦、主:井上菊次郎                  後見:佐藤融

素囃子「中ノ舞」
 笛:成田寛人、小鼓:鳥山直也、大鼓:原岡一之、太鼓:大川典良

「鬼丸」
 鬼丸:野村萬斎、僧・観音:野村万作、父:野村万之介         後見:深田博治
    笛:成田寛人、小鼓:鳥山直也、大鼓:原岡一之、太鼓:大川典良
       地謡:竹山悠樹、高野和憲、石田幸雄、月崎晴夫、時田光洋
 考証:羽田昶

 プログラムでは後見は書いていなかったので加えました。また、「鬼丸」の万之介さんの役は祖父と書いてありましたが、実際は祖父ではなく父親なので直しました。

「佐渡狐」
 見慣れた和泉流の「佐渡狐」とはストーリーは同じですが、台詞や型(動き)に違いがあります。特に奏者に賄賂を渡す時や狐の特徴を問われた時のやりとりの仕草がだいぶ違っていて、どちらかというとこの演目では和泉流の方が大げさな動きで見せるのに対し、大藏流はもっと自然な動きのようでした。大藏流でもベテラン3人のため、ちょっとした間の上手さや表情、動きなどでかなり面白く観られました。和泉流だと賄賂のやりとりで奏者が袖の下に入れて受け取った時の表情の変化などを面白く見せるのですが、忠三郎さんの奏者は表情はほとんど変えず、でも、それが返って、いかにもありそうな、何食わぬ顔というやつで笑えました。狐の特徴を質問する越後の百姓と奏者の方を見てカンニングする佐渡の百姓、こっそり教えようとする奏者との3者のやりとりも、立ち上がって越後の百姓が奏者の方を見えないように隠そうとしたりするのではなく、座ったままのやりとりで、佐渡の百姓の様子を見て、時々後の奏者の方に振り返る越後の百姓と、その時、ぱっと正面を向いてしらっと何食わぬ顔になる忠三郎さんのタイミングが見事でとても面白かったです。ドタバタした感じでなく笑える。3人のベテランの芸の上手さを感じる「佐渡狐」でした。

「鶏流」
 主人はいつも太郎冠者が朝寝坊するので、一番鳥が歌ったら起きて来いと言いつけます。しかし、太郎冠者は案の定寝坊して夜が明けてしまいます。 怒った主人に、太郎冠者は鶏は鳴いたが、歌ってはいないので、いつ歌うのか待っていたと言い訳をし、「鶏が鳴く」と詠んでいる歌を引いてみせます。主人も負けじと「鶏が歌う」と詠む歌を引きますが、その先が続かず、同じ歌の繰り返し、それに対して太郎冠者はさらに古歌や漢詩まで引用してみせます。困った主人は、最後には自作の謡を謡って対抗しますが、それまでも太郎冠者に揚げ足をとられ、とうとう怒り出してしまいます。
 「舟ふな」のように、どちらの説が正しいか和歌や謡の文句を引いて言い争う曲です。頭の良い太郎冠者に言いくるめられて、詰まった主人が一つしか知らない歌を言葉を切って歌ったり、早口で歌ったりしてごまかそうとするところが面白いです。しかし、それも太郎冠者に指摘されて、ほとほと困ってしまいます。古歌や漢詩まで引いてきちゃう太郎冠者の博識には勝ち目の無い主人が、ついに自作の謡を作ってまで勝とうとするのは、やっぱり、使用人に負けたら主人としての立場が無いし、負けたくないから必死ですね。でも、元々は太郎冠者が自分の失敗を言い繕うための揚げ足取りの言い訳なんですが・・・(笑)。
 頭の回転の速い太郎冠者とおっとりした主人という感じは良く出ていました。それでも最後にはとうとう怒ってしまった主人。言い負かそうとした主人を怒らせてしまったら逆効果ですね。それにしても井上菊次郎さんの声の良さにちょっと聞き惚れてしまいました。

「鬼丸」
 旅の僧が途中伊勢の国鈴鹿山に立ち寄り、権現に参詣することにします。 そこへ鬼丸という男がやってきて、僧を泊めてやろうと家へ連れて行きます。男の父親は信心深く、清水寺の観世音菩薩を信仰していると言い、持仏堂にまつる本尊を僧に見せ、僧はさらなる信心を勧めます。実は鬼丸は父親を養うために山賊をしており、僧をカモにしようと、翌朝旅立つ僧を待ち伏せして襲います。僧は、盗みは仏道で固く戒められており、いくら孝行のためとは言え、親共々地獄へ堕ち、辛く苦しい罰を受けるのだと説いて聞かせると、鬼丸は急に恐ろしくなり、出家して来世の安穏を願うことにします。山賊姿のまま、僧に教えられた文を唱えていると父親がやってきて、鬼丸を見つけます。鬼丸は「れいろくざんとうしゃきぐゎん(鈴鹿山盗者鬼丸)」と唱えていて、怒った父親は長刀で鬼丸を切りつけようとしますが、そこへ突然、清水寺の観世音菩薩が現れ、鬼丸を更正させるため僧に化していたと言い、鬼丸は反省して出家するので、二人とも浄土へ迎え入れよう、知識も与えようと言って消え去り、親子は喜び合います。

 上演回数の少ない、珍しい曲で、江戸中期以降につくられたと思われる、和泉流のみの曲だそうです。今回は、波形本ほか数種の台本を参考に、羽田昶氏と出演者による台本・演出の検討を経ての上演とのことです。
 僧の登場場面や一旦姿を消して観音の姿で現れるところなど、能の様式に似ています。また、観音の姿が天冠、長絹、大口と能の天人の姿と面が違うだけですが、面がちょっと黒っぽい顔の乙というのが狂言らしいです。鬼丸は、はじめは肩衣に括袴ですが、山賊姿になると大髭をつけて悪太郎などど同じ装束になります。盗人が改心して出家するのと乱暴者が仏道に入る決心をするのと「悪太郎」にちょっと似たところもありますが、元々この鬼丸は父親を養うためという優しい面も持っており、それゆえ僧の話に恐れを抱いたんですね。
 観音が化した僧が鬼丸に説く場面の台詞はかなり長台詞なので、万作さんには珍しくプロンプがついていました。この場面ともう一箇所計3回でしたが、羽田さんが陰でつけていたようです。位置的に右前の客席からのように聞こえましたが、翌日も国立能楽堂へ行ったので良く見たら、舞台より右端壁の所に御簾の下がった所があったので、きっと声の聞こえた位置からしてその中に控えていたのでしょう。万作さんもおそらく初めて演ずる曲での長台詞でしょうからしかたないですね。千作さんなどは、新作の長台詞を覚えるのは無理だけれど、若い時に覚えた台詞はどんなに長くてもスラスラ出てくるそうです。
 最後に親子で喜び合って帰っていくとき、万之介さんの父が鬼丸に「ちゃっと来い」「ちゃっと来い」と何度も手招きして行くのが「のう愛しい人、ちゃっとござれ」の親子バージョンみたいで面白かったです。
 ただ、時代が下がって出来た狂言ということで、構成も凝っていますが、観音が出てきても普通の祝儀物とも違うし、説諭的な感じもあり、あまり上演されなかったというのも分かる気がしました。
2007年5月20日 (日) 能楽現在形 劇場版@世田谷『鐵輪』
会場:世田谷パブリックシアター 14:00開演

舞囃子「猩々乱」 観世喜正
        笛:一噌幸弘、小鼓:吉阪一郎、大鼓:亀井広忠、太鼓:小寺真佐人
          地謡:馬野正基、坂真太郎、武田文志、谷本健吾

能『鐵輪』
 シテ(女・先妻):片山清司
 ワキ(安倍晴明):宝生欣哉
 ワキツレ(夫):井藤鉄男
 間(貴船の宮の社人):野村萬斎
        笛:一噌幸弘、小鼓:吉阪一郎、大鼓:亀井広忠、太鼓:小寺真佐人
          後見:観世銕之丞、上田公威
             地謡:観世喜正、藤波重彦、馬野正基
                 坂真太郎、谷本健吾、武田文志

 今回は2階席からの観賞。舞台全体を観るのには観やすい席でした。

舞囃子「猩々乱」
 能『猩々』の中の海中に住む童子の姿をした猩々という妖精の舞なのですが、観世喜正さんは2階からでも大きく見えます。初めは流れるような動きから謡いが止み、テンポが変わったところで、舞台の床に青海波の模様が照明により浮かび上がってきます。それから足を前に蹴上げるような足使いや爪先立ちで横にスススと動いたりと特殊な足使いの舞が続きます。これが、青い波模様の上で舞われると本当に波の上を舞戯れているように見えました。時々酒をすくうような動作が入ったり、くるりと回るのは渦潮を表すのか、潮の流れを表しているというのが実感できます。リアルな波ではなく、青海波という波模様を投影するのは邪魔にならず、想像力を補う効果としてもセンスがあって、いいなあと思いました。

『鐵輪』
 この能、なぜか今まで観る機会が無くて、見てなかったということに気付きました。なんでだろ?
 あらすじは、京都下京辺りに住む女が夫に裏切られ、捨てられたことを怨みに思い、貴船明神に毎夜通って祈願していたところ、ある夜、貴船の宮の社人から、鉄輪(鉄の輪に三本足をつけた五徳)に火をともして頭にいただき、顔に丹(赤い染料)を塗り、赤い着物を着て怒る心を持てば願いが叶うという神託が伝えられます。女ははじめ、それは自分への神託ではないと言い張りますが次第に気色が変わり、鬼の形相になってどこへともなく走り去ってしまいます。
 女の夫は夢見が悪いので名高い陰陽師安倍晴明の家を訪ね、占いを乞うと、晴明が、女の怨みを深く受けていると言うので、男は本妻を離別し新しく妻を娶ったことを話します。晴明は前妻が呪詛したため、今夜にも男の命が危ないので、早速に調伏のため、運命を人形に転ずる祈りの支度にかかります。台の上に侍烏帽子(男の形代)と垂れ髪の鬘(女の形代)を乗せ四隅に弊を立てて祈祷を始めます。
 すると、風雨激しく、雷稲妻鳴動して、鉄輪を頭にいただき恐ろしい形相となった前妻の生霊が現れ、捨てられた怨みを言い、夫と新妻の形代を打ち据えますが、晴明によって呼び出だされた多くの守護神たちに阻まれ、次第に力も弱まって、怨みの言葉を言い残して消え失せていきます。

 舞囃子の時は隠してあった正面後ろへのびる橋掛かりが現れ、三本の橋掛かりの後に横に渡る4本目の橋掛かりの線がうっすら見えるような感じで、舞台上方に注連縄が下がってきます。囃子方が左から地謡が左から出てきて橋掛かりの途中から真ん中の橋掛かりとの間に置かれた台に左右に並びます。萬斎さんのアイの貴船の宮の社人が右の橋掛かりから出てきて、神託が出たことを話しますが、ちょうど「御田」の神主と同じような白い水衣に括り袴、烏帽子姿でした。照明は青白い照明で、後の4本目の橋掛かりをそろそろと白い衣を被いて横切っていくシテの女の姿が青白い月明かりの中、長い道のりを歩いてくる様子とこの世の者で無いような不思議な雰囲気を醸し出していました。左の橋掛かりから出てきた女は怨みごとを言いながらも、社人に神託を告げられると、自分ではないと否定します。しかし、萬斎さんの社人は女の形相がみるみる変わったのを見て、くるっと踵を返し、「恐ろしや、恐ろしや」と逃げていってしまいます。一人残された女はここで被きを取り、静かに去っていきます。
 シテが中入りしたところで左からワキツレの夫が出てきて安倍晴明の家を訪ねると右の橋掛かりから白い狩衣に白の袴のワキの宝生欣哉さんが現れます。欣哉さん、出てきた時から晴明に見えました。顔は欣哉さんなのに、雰囲気が晴明なのです。男の訴えを聞いてすぐに支度にかかる晴明ですが、ここで一畳台と祈祷棚の作り物を出す人たち、小気味良いお囃子に乗って両側から普段より早く、さっさと支度を整えていった感じでした。晴明が祈祷すると舞台四隅の柱を繋ぐ結界を表す線が現れます。晴明が右後の笛柱の所に座ると真ん中奥からぼ〜っと生霊となった後シテが現れます。なんとも不気味でぞくっとする出現。頭の鉄輪につけた3本の蝋燭が非常に長かったです。後で聞いたところでは宝生、喜多では普通の長さの蝋燭だったとのこと。観世流ではいつもそうなのか、あるいは、劇場用に遠くからも目立つように長い物を選んだのかもしれません。
 シテの片山清司さんは明晰で迫力のある声で迫り、女の怨みの深さがひしひしと伝わってきました。新妻の形代の鬘を打ち据え前に投げ出す仕草に怨念の凄まじさを感じ、また涙をぬぐう女の悲しさ、激しく揺れ動く思いも分かりやすく迫ってきました。地謡に「捨てられて」などという直接的な言葉が謡われているのにちょっとびっくり。しかし、シテの生霊が怨みに悶えている間、ワキの欣哉さんは正に姿を消したかのよう。すっかり気配を消していました。
 捨てられた悲しみにくれた女の生霊がまた祈祷台に迫ってきた時、床に二重の輪に五芒星が、はじめ斑模様のようにじわ〜っと現れ、はっきり白く現れて、女の生霊が苦しみ弱まってくると、また白いところが斑模様のようになって消えていきました。これは一階の前の方の席の人には見えなかったようです。まあ、これはやりすぎと言う声もありますが、安倍清明だから五芒星が出てもおかしくないし、その中で苦しむシテの姿も私的にはすんなり受け入れられました。お〜やったな!っていう感じはありましたが(笑)。
 今回はシテも地謡も謡が明晰で迫力ありましたね。お囃子のリズムも掛け声も良かったし、マイクは使っているんでしょうか?使ってるとしたら先日のオーチャードホールのように雑音を拾うこともなくて良かったです。
 
 3回公演の最初の宝生流のシテ方の時は、シテ方がせっかくのホール公演だから何でもやってみようと言うことで、音響効果や稲妻の光なんかもやってみたそうです。それも見てみたかった気はしますが、今回は音は、お囃子と掛け声と謡いだけで情景や感情の動きを表す能本来の手法に照明効果で補うという感じでした。シテ方の考え方にもよる選択であったようです。
 観客の側になると、音響や照明などについては賛否両論。アンケートの意見も真っ二つだったようです。

 これから、能楽現在形として能をどう見せていくのか、演劇としての能ということをどう考えていくのか、伝統として培ってきた能の良さを生かしつつ能楽堂を飛び出して、どうアプローチしていくのか、若手のシテ方にとっても問題提起となる第一歩だったのでは。シテ方によっても劇場での経験が有るか無いかでも、だいぶ違った印象の舞台になったようです。
2007年5月12日 (土) 第二回狂言ざゞん座
会場:宝生能楽堂 14:00開演

解説:高野和憲

「宗論」 浄土僧:深田博治、法華僧:野村萬斎、宿屋:野村万之介
                                    後見:野村万作

「隠狸」 太郎冠者:竹山悠樹、主:破石晋照         後見:野村萬斎

「千切木」
 太郎:高野和憲
 妻:月崎晴夫
 当屋:石田幸雄
 太郎冠者:野村遼太
 立衆:深田博治、竹山悠樹、破石晋照、時田光洋、岡聡史  
                                    後見:野村万作

 第二回の「狂言ざゞん座」ですが、私は1回目に行ってないので、今回が初めてです。最初に高野さんの解説。高野さんの解説も2,3回聞いたことがありますが、初めのころはガチガチに緊張してるのが分かったけれど、今回はずいぶん慣れて余裕が出てきた感じでした。相変わらず、メモ片手でしたが、15分という時間も考えてしっかり予習してきた様子。ユーモアも交えた楽しい解説でした。
 1回目は矢来能楽堂で、一杯になってしまったので、今度はもっと大きいところでやりたいと思って、宝生にしたとのこと。ここに来ている人は何回も観に来ている人が多いと思うので、演目の解説はプログラムに書いてあるのでしません。ということで、同人4人(深田、高野、月崎、竹山)の紹介や「ざゞん座」の名前の由来などについて話してくれました。「ざゞん座」の命名は万作さんですが、狂言の酌謡から取ったものですということで、お馴染みの「ざゞんざ〜」の謡いを座って、マイクを置いて朗々と謡ったあと、もう一つと、「1,2,3,4、・・・」と数える酌謡、これもお馴染みのものを今度は立ってからマイクを持ったまま謡ったので、マイクはいらんでしょうと、思ってしまいました。
 同人4人については、深田さんと高野さんが国立能楽堂の研修所出身ということは知ってましたが、月崎さんは現代劇をやるために狂言を習っていて嵌ってしまったとか、竹山さんはお母さんが狂言を習っていて、その関係で、子供のころから「靱猿」に出たこととかは初めて聞きました。それで、お弟子さんになったのね。
 狂言師はいろいろな役が出来なければならないから、この会では、それぞれが普段やらない役に挑戦してみようということで、今回の配役になったそうです。狂言にはスリルとサスペンスはありませんと言いますが、今日はスリルとサスペンスがあります(笑)。なるほど、スリルとサスペンスね(^^;)。

「宗論」
 剛の法華僧と柔の浄土僧といいますが、生真面目でちょっと短気な法華僧にネチっこくてちょっと意地悪な浄土僧。「宗論」というと、そんな感じがします。生真面目な法華僧向きな深田さんが浄土僧に挑戦ということでしたが、法華僧を怒らせて面白がる浄土僧の雰囲気には、まだという感じでした。ついつい強さが出てしまうと双方の差がはっきりしなくなってしまいますね。でも、柔らかさが見えるところもありましたから、勉強と思ってまた挑戦して欲しいです。

「隠狸」
 くたくた狸さんが出てきて、作品そのものが面白いので笑ってしまいますが、いつも、あまり表情が無い竹山さんが、ずいぶん表情が柔らかくなって変化があったのに驚きました。破石さんは声が良いのですが、この日はちょっと高い声が辛そうな感じがあり、連舞の時の二人の謡いが合ってなかったのが残念でした。

「千切木」
 高野さんの太郎は、でしゃばりで虚勢を張っていて、本当は気が小さい太郎の雰囲気を出して頑張っていました。月崎さんの妻、わわしさは出てましたが、最後の「のう愛しい人」はもう少しでしたね。もっと、可愛らしさが出ると良かったのですが、難しいところですね。それと、月崎さんの小袖がちょっと大きいのか、裾が乱れて、後見の万作さんが直しに出てきました。それでも後の裾が長めになってたのが気になってしまいました。
2007年5月10日 (木) 幸弘☆萬斎☆広忠☆能楽現在形 第3回公演
会場:宝生能楽堂 18:30開演

舞囃子「忠度」 和久壮太郎
          笛:一噌幸弘、小鼓:成田達志、大鼓:亀井広忠
            地謡:武田孝史、朝倉俊樹、辰巳満次郎、宝生和英

「水汲」 新発意:野村萬斎、女:高野和憲

『融』遊曲
 シテ(老人・融大臣):金井雄資
 ワキ(旅僧):宝生欣哉
 アイ(所の者):野村萬斎
      笛:一噌幸弘、小鼓:成田達志、大鼓:亀井広忠
        後見:近藤乾之助、渡辺茂人
          地謡:高橋章、武田孝史、朝倉俊樹、辰巳満次郎
              宝生和英、小倉健太郎、和久壮太郎、亀井雄二

舞囃子「忠度」
 和久壮太郎さん、この会のプロデューサーである土屋さんが、宝生流で注目すべき若手にあげていた人ではないだろうか?
 力強く押し出してくる宝生の謡いに、きちんと美しく、そして清々しさを感じる舞。いいなあ、この人。

「水汲」
 この配役での「水汲」は以前一度観たことがあり、二人の謡いの声の良さや若い男女の恋の駆引きのような初々しさがあって好きなのですが、今回は、謡の声が硬質な感じで、もう少し柔らかくても良いのではと思ったり、まあ、いろんな配役で観て、自分自身の感じ方が変わったせいかもしれません。
 でも、最後にすっぽり桶をかぶってフリーズ、それから「冷たやな、冷たやな」と桶をはずす間はやっぱり、万作家のこれがいい!「くっさめ」はちょっと力が入りすぎた感じで、あとの情けなさが削がれた気はしましたが。

『融』遊曲
 この「遊曲」という小書は40年も上演されていないものだそうです。舞囃子ではやっていても、能として経験しているのは藤田大五郎さんと金春惣衛門さんだけしかなく、能としての経験者がいなくなってしまうため、今回挑戦してみようということになったそうです。

 東国から上京してきた僧が、中秋の名月に六条河原を見物していると、一人の老人が田子を荷って現れます。塩汲みをする老人を不審に思って僧が尋ねると、老人は河原院こそ融の大臣が陸奥の塩釜の景を移したところであり、融の大臣は難波の御津の浜から毎日潮を汲んで運ばせ、塩を焼かせて楽しんでおられたが、大臣が世を去られてから後を継ぐ人が無く、荒れ果ててしまっていると語ります。老人は、旅僧に、あたりの名所を教えた後、田子を荷って汀に出て潮汲みをするが、そのうち姿が見えなくなってしまいます。
 清水寺門前の者が現れ、旅僧の求めに応じて、融の大臣のことを語ります。この語りが結構長い語りで、融の大臣が嵯峨天皇の皇子として生まれながら臣下に下って、歴代の天皇に仕えた時の大臣の位や、往時のスケールの大きな豪勢な暮らしぶりのこと、74歳で没した後の邸の荒廃などを語り、大臣への供養を勧めて帰っていきます。
 やがて、旅僧の前に融の大臣が貴公子の姿で現れ、忘れがたい河原院で、名月の下に舞い、夜明けとともに月の都へ去っていきます。
 
 後場のお囃子が乗っていて力強く気持ち良かったです。融の大臣が月に舞う貴公子というよりも、もっと華やかで往時のスケールの大きさを感じさせるような豪放な感じがしました。でも、こういう融の大臣も有りかと思いました。 
2007年5月6日 (日) 第九回 加藤眞悟 明之会
会場:喜多六平太記念能楽堂 14:00開演

解説:表きよし

独吟「和國」 梅若万佐晴

仕舞「通小町」 梅若万三郎
          地謡:長谷川晴彦、伊藤嘉章、青木一郎、八田達弥

「竹の子」
 藪主:野村萬斎、畑主:深田博治、仲裁人:月崎晴夫

『七騎落』
 シテ(土肥実平):加藤眞悟
 ツレ(源頼朝):梅若紀長
 ツレ(田代冠者):古室知也
 ツレ(新開次郎):青木健一
 ツレ(土屋三郎):中村政裕
 ツレ(土佐坊):遠田修
 子方(土肥遠平):加藤愼一朗
 ツレ(岡崎義実):中村裕
 ワキ(和田義盛):安田登
 アイ(船頭):野村萬斎
          笛:松田弘之、小鼓:幸信吾、大鼓:柿原弘和
            後見:梅若万三郎、青木一郎、梅若万佐晴
              地謡:梅若久紀、梅若雅一、梅若泰志、長谷川晴彦
                  八田達弥、西村高夫、清水寛二、伊藤嘉章

 喜多能楽堂に来ると、なんとなく喜多流を観に来たイメージになるのですが、今回は観世流「梅若研能会」のメンバーの会でした。

「竹の子」
 畑主が、自分の畑に竹の子が生えたのを喜び引き抜いていると、足の悪い隣の藪主が棒をついて見回りに来る。藪主は藪の根から出たものだから自分の物だととがめる。二人が争っているところへ仲裁人がとめに入る。畑主が自分の畑に生えた竹の子だから自分の物だというと、藪主はそれならそっちの牛がうちの馬屋で産んだ子牛は自分の物だから返せという。二人とも引かないので仲裁人は勝負をするよう提案する。まず歌争いでは、畑主は「わが畑へ隣の藪が根をさいて思いもよらぬ竹の子を取る」と詠むと、藪主は「わが馬屋へ隣の牛が子を産みて思わず知らず牛の子を取る」と詠んで勝負がつかない。次に相撲をとることになると、藪主は棒で打ちかかり勝ったというが、もう一番とると畑主がまず棒をとって打ち倒し、「勝ったぞ」と言って棒を持って去っていくのを、藪主が足を返せと追っていく。

 初めてみる演目かなあと思ったんですが、あらすじを読んでどこかで観たことがあるような気がしました。おそらく大蔵流でずっと前に観たかもしれません。それとも以前、石田さんが「野村狂言座」でやったというからそれだったのかも?
 チラシやハンドブックに書いてあるあらすじでは、藪主が自分のところの藪の根から生えた物だから自分の物だというのに対して、畑主がそれなら自分の牛が藪主の馬屋で生んだ子牛を返せということになっています。実際に演じられたのは、藪主がうちの馬屋で生まれた子牛まで連れ帰ったのはおかしいから返せと言っていたので、これは大蔵流と和泉流の違いなのでしょうか。
 藪主は足の悪い男で、棒の先を片方の足の指で挟んで足が悪そうに歩いてきました。畑主とのやりとりでは畑主の方が理があるように思え、仲裁者も畑主のほうに肩入れしてる節があります。相撲で投げ飛ばされて2回でんぐり返しをしたり、最後に「足を返せ」と座り歩きですごい勢いで追っていくところなど、なかなか動きで見せます。今度やる「國盗人」の原作のリチャード三世も足の悪い男ですが、それに合わせた選曲らしいです。身障者を扱う演目はあまり演じられることが少ないようですが、リチャード三世のような大悪党ではなく、身障者でも逞しく生きている姿を表しているのが狂言らしいと思います。それに、この藪主は、なんか可愛らしくさえ感じられました。

『七騎落』
 人数の多い演目で、あまり出されることが少ないようです。でも、去年横浜かどこかで、1回あったような気がしますが?私は初見です。
 会の初めに、表きよしさんの解説で『七騎落』の話がありました。「平家物語」にもいろいろな伝があり、この『七騎落』の背景は石橋山の戦いで破れた源頼朝一行が真鶴から安房に逃れようとする時の話なのですが、一般的に今読まれている「平家物語」には石橋山の合戦自体がほとんど載っていなくて、「源平盛衰記」に石橋山の合戦の話が出てくるのだそうです。しかし、『七騎落』の話はそれと合致するような話はなく、多少、元となるような話から能作者が創作したのではないかとのことです。
 登場人物についても事前にチケットと一緒に送られた資料の中にも書かれていましたが、一人一人簡単に、どういう人物かという説明もありました。
 ここに出てくるツレの岡崎義実という人物は石橋山の合戦で死んだ佐那田餘一(さなだ よいち)の父親です。

 石橋山の合戦で負けた源頼朝は、真鶴から安房へ船で逃れることになるが、船中の主従は八騎。ところが頼朝は、祖父為義が鎮西へ落ちたときも、父義朝が江州へ落ちたときも主従八騎で縁起が悪いとして、土肥実平に一人降ろせと命じます。困った実平は選びかねて、最長老の岡崎義実に降りてくれと頼みますが、「おれが年寄りだから役にたたないというのか」と反論され、「そうではなくて、乗っている場所が陸にちかいので」と弁解します。よっぽど困ったんですね、全然説得力のない話です。だからさらに、義実に「命二つ持ちたるものが一つ降ろせばよかろう。わしは昨日までは、命を二つ持っていたが、石橋山の合戦で息子を亡くした。おまえは、親子で二つの命を持っているではないか」と詰めよられ、やむなく息子の遠平を降ろすことになります。陸には敵が大勢いて、一人置いていけば討死することは間違いない。実平は遠平に立派に討死するよう言い含めて泣く泣く別れを告げます。
 やがて船出した一行に別の船が近づき、和田義盛が登場します。このとき船を持ってアイの船頭で萬斎さん登場。橋掛かりに船を置くと、ワキの安田登さんが和田義盛役で船に乗ります。義盛は旗揚げの約束はしていたものの、石橋山の合戦には参加しておらず、裏切らない保障がないので、実平は頼朝を隠して「われわれも君を見失って探している」と言います。義盛はがっかりして「生きる価値もない」と、いきなり腰の刀を抜いて自害しようとするので、実平と船頭が必死で止めます。実平は「今のは戯言だ、陸にあがって対面しよう」と、一緒に船をつけて頼朝に対面させます。義盛は先ほどの戯言の仕返しに黙っていたがと、陸で助けた遠平を船底から連れ出し、親子は喜びの対面をします。一同喜びの酒宴となり、義盛は喜びの舞を披露します。

 遠平は、シテの加藤眞悟さんの息子さんが子方で演じています。妙に歯切れの良い語り口ですが、少し声変わりの時期か、時々高音が苦しそうでした。
 なんだか頼朝が縁起を担いだために一人降ろせとは理不尽な話ですが、置いていけば助からないと知りながらの親子の別れの辛さ。船が出ても、一人息子のいる陸のほうを見ている実平。生きて対面できた時の息子を引き寄せての感極まる思いが伝わってきました。最後の舞いも華やさがあって良かったです。劇的でなかなか面白い作品でした。
2007年5月1日 (火) 東京春の能・狂言
会場:オーチャードホール 18:30開演

「業平餅」
 在原業平:野村万作
 餅屋:石田幸雄
 餅屋の娘:高野和憲
 稚児:吉村康真
 太夫:深田博治
 侍:竹山悠樹
 沓持:月崎晴夫
 傘持:野村万之介
                 後見:破石澄元、野村良乍

『安宅』勧進帳・延年之舞・酌掛・貝立
 シテ(武蔵坊弁慶):梅若六郎
 ツレ(同行山伏):山崎正道、馬野正基、坂真太郎、古川充、梅若慎太朗
           川口晃平、谷本健吾、角当直隆、観世喜正
 子方(義経):山崎友正
 ワキ(富樫):宝生閑
 アイ(強力):野村萬斎
 アイ(太刀持):高野和憲
      大鼓:柿原崇志、小鼓:観世新九郎、笛:松田弘之
         後見:梅若靖記、山中迓晶、柴田稔
            地謡:松山隆之、長山桂三、佐久間二郎、会田昇
                松山隆雄、角当行雄、土田晏士、梅若晋矢

舞台美術:守下篁(小原流)

 広いオーチャードホールですが、3階席までいっぱいの観客が入っていました。
 舞台上に小原流守下篁さんの生花というにはかなりダイナミックな老松が正面鏡板かわりに据えられています。オーチャードホールの能では華道家の方が舞台美術をされるようですが、そのダイナミックさにいつも感嘆してしまいます。
 かなり太い大木の幹に複雑に曲がった枝ぶりは、もちろん1本の松をそのまま置いたわけではなく、風格のある幹を中心に作り上げたものと思われます。橋掛かりの前には、一の松、二の松、三の松のかわりに、松の枝や草花を活けてあり、奥行きのある空間を生かし、引き締めていました。
 照明も狂言の時は全体に明るかったのが、能になると、明るさを落としたり、場面によってライトを当てる位置を変えたりして効果的に使われていました。後の松も暗くなったり明かりの色が変わることによって神秘的な雰囲気を醸し出していました。

「業平餅」
 万作さんの業平は初めて観ますが、やっぱり品の良さが漂っています。しかし、やはり万之介さんの傘持は最高です。出てきた時から、その雰囲気に思わず笑ってしまいます。この日は友達と一緒に行ったのですが、友達も万之介さんの飄々とした雰囲気がすっかり気に入った様子でした。
 万作さんの業平も品の良さゆえの世間知らずの態と、食欲と色欲にはめっきり弱いギャップが面白く、万之介さんとの醜女の押し付け合いが、また、まったりとして可愛らしくさえ思えました。
 乙の面をかけた高野さんの餅屋の娘がまた秀逸です。声が恐いんですよねえ、なんか、こんな感じで迫られたら、誰だって逃げたくなるでしょう(笑)。

『安宅』勧進帳・延年之舞・酌掛・貝立
 今回は小書がたくさんついてます。勧進帳、延年之舞は小書付きの上演のほうが多い感じですが、酌掛、貝立は初めてです。
 初めに富樫と太刀持ちが現れるのは、左側の橋掛かりではなく、それより後の幕間から前に歩いてきました。座席が前の方だったため、舞台の奥のほうがよく見えなかったのですが、後ろにのびる橋掛かりもあったらしいです。山伏一行は左の橋掛かりから出てきますが、安宅の関へ行くときは後の幕間に入って、左の橋掛かりから出てくるという形をとっていました。
 子方義経くんは、かなりぽっちゃりしていて、義経のイメージからは・・・?華奢な強力(笑)と初めから反対の方が合ってるかもと、思ってしまいました(^^;)。声は良く通るボーイソプラノで明晰な発声は良かったと思います。
 橋掛かりから山伏一行12人が出てきて、勢揃いするのもなかなか壮観です。山伏一行が「旅の衣はすず懸けの・・・」と落人の悲哀と辛さを謡ったすぐ後に、強力が「おれが衣はすず懸けの・・・」と「おれの衣は長旅で破れてやくに立たん」と現実的なことを言うのが笑えます。
 義経一行は安宅に関が出来ていると知り、まず強力に様子を見に行かせます。関の様子を見た強力は、山伏の首がいくつも晒してあるのを見て肝をつぶし、逃げようとしますが、あまりに痛わしいと弔って帰ってきます。強力の報告を聞いた弁慶が「貝を立て候へ」と申し付けて、強力が法螺貝を吹きますが、これが「貝立」という小書のようです。「ツーワイ、ツーワイ」と、字でみれば法螺貝の音とは程遠いように思える擬音が、声の出し方で見事に法螺貝の音に聞こえるから不思議です。
 義経に強力の格好をさせ、関についた一行に富樫は問答無用で山伏は一人も通さないと言います。「この上は、最後の勤めを始めて、尋常に誅せられよう」と最後の勤めを始める山伏一行ですが、六郎さんの弁慶を頂点にして三角形に位置に着く山伏達、一人ずつ袖を翻しながら座っていく、その動きと形の美しさが能ならではです。そしてシテとツレが交互に掛け合いながら唱え数珠を揉む姿も壮観で威圧感があります。
 「山伏を殺せば熊野権現の天罰が下るであろう」いう山伏に、富樫は本物かどうか確かめようと勧進帳を読むよう命じます。ここで、弁慶がありあわせの巻物を勧進帳と称して高らかに読み上げると、関の人々も恐れをなして一行を通すことにします。しかし強力姿の義経が見咎められ、それを見た弁慶が機転で心を鬼にして、のろのろするからだと杖で打ち据えて、早く通れと言います。それでもすぐ通さない富樫に、色めきたった山伏たちは太刀に手をかけてつめより、弁慶はそれを金剛杖で懸命におさえます。その勢いにとうとう富樫も通過を認めます。
 ここまでの、富樫と弁慶、山伏たちの攻防が迫力満点です。六郎さんの体格と表情、腹の底から響く声、全てが力強くて堂々として威厳があり、実に弁慶らしい。そして、押し出しの良い六郎さんと睨み合う小柄な閑さんの富樫が、まったく引けをとらない気迫で対峙していたのが、緊張感を増して素晴らしかったです。このごろ、ワキの大切さが少し分かってきたような気がします。特に閑さんはやっぱりスゴイです!
 関を離れた一行は休息をとり、弁慶は主君への非道を詫び、一同が義経の悲運を嘆いてさめざめと涙をぬぐっていると、富樫が酒樽を手に一行を追ってきます。そして関所での無礼を詫びて酒宴となります。弁慶はその間も油断無く義経を隠し、富樫の盃を受けて延年の舞を舞い、舞い終えると一同をせきたてて奥州へ下っていきます。「酌掛」というのは舞に際して酒を特別な方法で酌をすることだそうですが、最初のほうで、扇を投げたあたりなのか、途中で富樫と酒を酌み交わしたところあたりか良くはわかりません。
 歌舞伎の「勧進帳」では、主従の心意気に感じ、情から義経と知りつつ関を通したという話になっていますが、能ではやはり気迫に押されて通したという感じがします。しかし、富樫が義経一行と承知して通したのか、そして、酒を持って追ってきた富樫の本心がどこにあったのかは、はっきりとはわからないままで、観る人次第でいろんな解釈ができるでしょう。そこがいいところだとも言えます。
 橋掛かりを走り去る一行を見送った富樫は、最後になにも言わず、ただ静かに立ち上がって去っていきます。閑さんの凛とした姿が何かを物語っているようでした。
 囃子方も気合が入っていたし、オーチャードホールの広い舞台にも決して負けないスケールのダイナミックでドラマティックな『安宅』でした。
 ただ、ホール公演の難点として、マイクの取り付け場所でしょうか、時々ガタガタと雑音まで拾っていたのが少し気になりました。