| 2007年11月30日 (金) |
狂言ござる乃座38th |
会場:宝生能楽堂 19:00開演
「鬼瓦」 大名:野村万作、太郎冠者:竹山悠樹 後見:野村良乍
「鳴子」 太郎冠者:野村萬斎、主:野村万之介、次郎冠者:深田博治 後見:月崎晴夫、時田光洋
「岡太夫」 聟:野村萬斎、舅:石田幸雄、太郎冠者:月崎晴夫、妻:高野和憲 後見:岡聡史
「鬼瓦」 訴訟で在京していた大名が、訴訟が済んで帰国することになり、太郎冠者と因幡堂の薬師如来に参詣します。堂内を見物しているうち、屋根の鬼瓦を見て、大名は国に残した妻を思い出して泣きはじめますが、太郎冠者に間もなく帰国すればお会いになれると慰められて、気を取り直し、二人で大笑いして帰っていきます。 妻が鬼瓦に似てるなんて言われたら怒っちゃうでしょうが、よっぽど似てたのか、そんな妻が恋しいと泣き出してしまうところが、可笑しくも可愛らしい。ほんわかとした雰囲気に包まれ、竹山さんも、いつもの固い感じではなく、実直そうだけど、柔らかさがあっていい感じでした。 なんといっても、万作さんの大名が本当に可愛らしくて、可愛らしくて。鬼瓦になぞらえて語る妻には、口やかましくて、たくましく、でも、情が深い、そんなわわしい女房の姿が浮かんできます。 なんということもない話なのですが、クスっとした笑いと、ほのぼのとした空気が気持ちよく、おおらかな千作さんともまた違う味わいが万作さんらしい。単純な話ゆえに、かえって演者の力量の差が出て、若い人では難しい役かもしれません。
「鳴子」 以前は石田さんと萬斎さんのコンビで2回ほど観たことがありますが、鳴子を振りながらの二人の謡と舞のコンビネーションがピッタリ合ってると気持ちいい演目です。さて、深田さんとのコンビはいかに、というところですが、この日は、途中から足拍子がずれてしまったようで、なかなかピッタリ息が合ったとは言えませんでした。他の日は、合ってたらしいんですが・・・残念。 主人の差し入れのお酒に酔って二人とも寝込んでしまい、見つかって起こされ、慌てふためく様は可笑しくて笑えました。
「岡太夫」 この曲は萬斎さんが平成11年に復曲に近い形で上演したものだそうですが、初めて観る曲なので、どの辺を工夫したのか、ちょっと知りたいところです。 聟入りのため舅宅を訪れた聟が、そこで出された蕨餅があまりに美味しくて全部食べてしまい、もっと食べたいというと、舅が娘が知っているから作らせれば良いと言います。しかし、聟は何度聞いても蕨餅の名を覚えられず、ついに舅は、娘の愛読する『和漢朗詠集』の中にあるものだと言いそえます。帰宅した聟はさっそく妻のおごうに料理してもらおうとしますが、やはり思い出せず、詩を朗詠させますが、なかなか出てきません。あきれた妻の言葉にカッとして、一時は険悪になるものの、やっと朗詠の中に蕨が出てきたので「蕨餅だ!」と思い出した聟は、喜んで「のう愛しい人」と妻と連れ立っていきます。
前半は「二人袴」後半は「文蔵」みたいです。前半の聟入りの様子は親が着いてこないのと、長袴をきちんと穿いて颯爽と歩いていることを除けば、やること言うこと、「二人袴」の聟さんと同じです(笑)。蕨餅を美味しそうに平らげてしまうところが、可笑しくてホントに美味しそうでしたね。石田さんは、怖い主人も合いますが、聟に何度も同じことを聞き返されても辛抱強く答える人の良い舅も良く似合ってます。 後半は、『和漢朗詠集』の詩を諳んじているような、教養のある妻に、ちょっと釣り合わないような聟さんで、妻があきれるのも分かるというもの。でも、最後には「のう愛しい人」で、怒っていたことはすっかり忘れ、仲良く連れ立っていくところなんか、結構、そんな夫の無邪気さが好きなのかなと思っちゃいました。ちなみに「岡太夫」とは、蕨餅のことだそうです。 萬斎さんも聟はもう卒業かと思っていたら、そんなことを言ってた後にも、聟さん役を何度かやってますよね。まだまだ、出来そうですよ(笑)。 |
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| 2007年11月23日 (祝) |
第19回 万之介狂言の会 |
会場:国立能楽堂 14:30開演
「入間川」 大名:野村万之介、太郎冠者:高野和憲、入間の何某:石田幸雄
「菊の花」 太郎冠者:野村万作、主:深田博治
素囃子「楽」 大鼓:安福光雄、小鼓:鳥山直也、太鼓:小寺真佐人、笛:栗林祐輔
「鬮罪人」 太郎冠者:野村萬斎 主:野村万之介 立衆:石田幸雄、深田博治、高野和憲、月崎晴夫、福田成生
休日出勤が続いてる今月の中で貴重な3連休の初日でしたが、やっぱり疲れが溜まってるせいか、休日の昼間だというのに睡魔に勝てず、前半は何度も沈没(^^;) 万之介さんは、とてもお元気そうでした。しばらく具合が悪かったり、立ち上がる時も足元が不安でしたが、最近は足元もしっかりして、心配な感じはしなくなりました。
「入間川」 先日は石田さんの大名で観ましたが、最初は飄々とした感じの万之介さんの大名、それが最後は入間の何某を出し抜いて、ちょっとズルっこい雰囲気になるのが、いかにも万之介さんらしい。
「菊の花」 大蔵流では「茫々頭」という題名です。たしか、以前に野村狂言座か何かでやったことがあるのではないかと思うのですが、1回観た覚えがあります。あらすじは、無断で旅に出た太郎冠者が帰ってきたと知った主人が叱りにやって来るところから始まって、都に行ってきたというので、主人は都の話が聞きたくて太郎冠者を許します。ここまではよくあるパターンです。 烏と雀は親子だと言い出す太郎冠者。雀が「チチ、チチ」と鳴くと烏が「コカー(子かー)」と鳴いたと(笑)。ここで、「あ!この演目、どっかで観たな」と気づいた次第です。それから東山への途中、咲いていた菊の花を髪に挿していくと通りかかった美しい内裏の女中に「都には所はなきか菊の花ぼうぼう頭に咲きや乱るる」と詠みかけられたので、「都にも所はあれど菊の花ぼうぼう頭に咲きぞ乱るる」と返歌をしたら、祇園の野遊びの幕の内に誘われたと得意げに話します。ところが、上座と下座も分からない太郎冠者。奥の上座に座っていたら、入り口の靴脱ぎ近くにつれていかれ、ご馳走を待っていると、みんな目の前を通り過ぎて行くばかりなので怒って帰ろうとすると下女が追いかけてくるので言い争いになったあげく、靴脱ぎ場から懐に入れてきた緒太の金剛(草履)を取り返されたと言うので、あきれた主人に叱られます。 やっぱり、万作さんの語り口がいいですね。光景が見えるようで可笑しくて、太郎冠者の軽妙な雰囲気がとってもいいです。和歌を返す風雅さと、ご馳走してくれない腹いせに藁草履を盗んできちゃう落差も滑稽です。
「鬮罪人」 ほっこり、まったり気持ちいいで、夢うつつ気味の前半でしたが、休憩を挟んで、少し目が覚めました。 「鬮罪人」は、何度観ても分かりやすくて面白いです。怖い主人では、石田さんのほうが勝っていますが、万之介さんが、太郎冠者を横目で睨む目つきに、いかにも苦々しいという感じが出ていて、なかなか引き締まった厳しさがあって良かったと思います。萬斎さんは、しゃしゃり出てくる時に、まえに、ツーっと飛び出してきて膝からドンと座るのをやってましたが、今回はそれは無く、急いで出てきても座るときは普通に座っていました。まえの型も可愛いといえば、可愛いのですが、私は今回のように普通にやってくれたほうが、あざとく無くて好きですね。 |
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| 2007年11月4日 (日) |
友枝会 |
会場:国立能楽堂 13:00開演
『巴』 シテ(里女・巴御前の霊):友枝雄人 ワキ(旅僧):殿田謙吉 ワキツレ(従僧):則久英志、野口能弘 アイ(里人):吉住講 大鼓:國川純、小鼓:曽和正博、笛:一噌幸弘 後見:粟谷辰三、佐々木宗生 地謡:粟谷充雄、粟谷浩之、金子敬一郎、井上真也 狩野了一、大村定、塩津哲生、長島茂 「杭か人か」 太郎冠者:野村萬 主:野村扇丞
『山姥』 シテ(里女・山姥):友枝昭世 ツレ(百万山姥):佐々木多門 ワキ(従者):宝生閑 ワキツレ(従者):大日方寛、御厨誠吾 アイ(里人):野村扇丞 大鼓:柿原崇志、小鼓:北村治、太鼓:助川治、笛:一噌仙幸 後見:内田安信、中村邦生 地謡:大島輝久、谷大作、佐藤章雄、内田成信 粟谷明生、粟谷能夫、香川靖嗣、出雲康雅
『巴』 木曾の僧が都に上る途中、粟津の原で一人の女と出会う。女は、木曾義仲の霊を祀る社に参り、涙を流し、僧に義仲の霊を慰めてくれるよう頼むと、夕暮れの草の陰へ消えていく。そこへ参詣にきた里の男から、僧は、木曾義仲の最期のことや巴御前のことを聞き、僧が弔っていると、武装した巴御前が長刀を肩にして現れ、義仲の最期について語る。さらに、巴は、自害した義仲の枕元から小袖と小太刀をもって、涙ながらに木曾へ逃れたのだとのべ、回向をたのんで消えていく。 寝不足のうえ、昼食後という条件が整ってしまうと、どんなにがんばってもやっぱり睡魔に勝てない(~~;)。『巴』は去年、友枝昭世さんのシテで観ました。今回は雄人さんのシテでしたが、そんな状態なので、朦朧としたなか、時々見る巴御前が綺麗だったことぐらいしか覚えていません。申し訳ないm(_ _)m
「杭か人か」 太郎冠者が自分の留守中出歩いていると聞いた主人は、出かけるふりをして、様子を伺う。冠者は退屈しのぎに棒を持って夜回りに出かけるが、主人の影を見て「人か杭か」と恐る恐る問いかける。杭と答えたので安心した冠者は、杭なら打っておこうと棒を振り上げるが、主人に叱られて逃げ出す。
このときも眠気が覚めず、時々意識が飛んでましたが、この演目は初見です。萬さんの太郎冠者のとぼけた味もなかなか良かったです。主人の扇丞さんが、太郎冠者に問われて「杭、杭」と言って答えるあたり、「盆山」なんかにもありますが、この場合は聞くほうが、なぶっているのではなくて、真に受けてしまうところがとぼけていて笑えます。ちなみに扇丞さんのちょっと高めの「くい、くい」という声が、可愛くて笑ってしまいました。
『山姥』 山姥の山廻りを曲舞(くせまい)に作って謡い、都で評判になっている百万山姥と呼ばれている遊女が、信濃の善光寺へ参詣のため、従者とともに越後国境川に到着した。従者が土地の者に道を尋ね、上路越(あげろごえ)の険しい道を案内してもらうと、にわかに日が暮れてしまった。そこへ一人の女が現れ、宿を貸そうと言う。一行が女の宿に着くと、女は自分が山姥であることを明かし、遊女に曲舞を謡うよう求め、遊女が恐ろしさにいわれた通り謡おうとすると、山姥はそれを止め、月の出る頃に真の姿を現して舞を舞おうとのべて、姿を消す。すると、あたりはまたたく間に明るくなる。 やがて、夜になり月が上ると、鹿背杖をつきながら異様な姿の山姥が現れ、約束どおり、山姥の曲舞を舞い、山廻りのさまをみせる。そしてまた、山々を廻りながら行方をくらましていく。 休憩時間にコーヒーを飲んで、少し眠気が覚めました。 前シテの里女の出から、異様な雰囲気が漂い、場の空気が一変するのを感じて引き込まれます。百万山姥をキっと見据えるようなさまや、中入り前に立ち上がって、素早く動くさまが、尋常な者ではないことを感じさせます。 中入り後のアイの語りは、山姥の謂れについてですが、山に捨てられたウツボが変じたものだとか、桶が集まってできたとか、古い木戸が変じたとか、ちょっと笑ってしまうような話です。おまけに、「木戸ではなく、鬼女だ」と、ワキの従者からつっこまれてしまいます(笑)。 後シテは、白頭に鹿背杖をつき、鬼女の姿で現れます。杖を扇に替えて舞を舞い、また杖に替えて語り、最後に扇に持ち替えて、四季の山廻りの様を謡い舞います。初めは、雲のごとく身を変え、本然の姿を変化させる山姥の姿に仏教的な森羅万象の実相を説き、人間界に交わるときは、人の目には見えぬまま、樵夫の重荷に肩を貸し、織女が糸を紡ぐのを手伝っているという。人を食らう鬼女とはまったく違う心優しい山姥の真の姿が謡われます。最後の山廻りの苦しさを謡い舞うところは圧巻でした。このとき、ワキの閑さんが、じっと山姥の友枝さんの顔を見上げているのに気付いてしまいました。シテの舞姿を片時も目を離さず追っている閑さん。山また山を廻りながら橋懸かりを走り去っていく山姥の姿を、すっと立ち上がって名残惜しそうに見送っていたのが、また印象的でした。 山姥を鬼女というのは、人間が自然を恐れるゆえなのかもしれません。あるときは人を助け、山廻りして山を護る神のような存在か、あるいは、姿を見せずにこっそり人の手助けをする姿はもっと可愛い妖精のようでもあります。それを鬼と言うとは、と百万山姥の一行の前に現れ、人間の思っている恐ろしい鬼女の姿に変じてみせながら、真の山姥のありさまを謡い舞う。 グっと観るものを惹きつけて離さない、友枝さんの世界に引き込まれ、山姥が廻る山々の姿が見えるようでした。 |
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| 2007年11月1日 (木) |
東京茂山狂言会 第十三回 |
会場:国立能楽堂 19:00開演 茂山千作米寿記念
「庵の梅」 老尼:茂山千作 女房衆:茂山正邦、茂山茂、茂山童司、茂山宗彦、茂山逸平 笛:藤田次郎、小鼓:曽和正博、大鼓:安福光雄、太鼓:金春國和 後見:茂山千五郎、松本薫 地謡:茂山あきら、茂山千之丞、茂山七五三、丸石やすし
「文荷」 太郎冠者:茂山千之丞、主人:松本薫、次郎冠者:茂山千五郎 後見:茂山茂
「三人かたは」 博打打甲:茂山七五三、 有徳人:丸石やすし 博打打乙:茂山あきら 博打打丙:茂山正邦 後見:茂山逸平
「庵の梅」 万作さんと東次郎さんの「庵の梅」は観ましたが、千作さんの「庵の梅」は初見です。米寿の千作さん、面はかけず、直面(素顔)のままでの老尼。千作さんは前にも「枕物狂」だったかな?百歳の祖父を直面でやったけれど、今度は老女です。 舞台正面に置かれた作り物の布がとられ、庵の中にちょこんと座った千作さんが現れると、ホントに普通のおばあちゃんが其処に居るという感じ。孫達が女房衆となり、梅見に来た女達と和歌を楽しみ、酒宴に興じる千作おばあちゃんは、おおらかで、楽しそうで、女たちもそんな老尼を慕って集まってきているという感じがほほえましい。女たちの作った和歌を一つ一つ褒める時の笑顔の可愛さ、舞う時はポツポツと歩いているという感じなんですが、(最近はとみに足腰が悪くなったもよう)ちょっとお尻を振って、ご愛嬌。なんとも可愛くって可愛くって、観ているだけで顔がほころびっぱなしになってしまう、千作さんがやるとどうしてこんなに面白いんでしょう。
「文荷」 大藏流の「文荷」は初めてなので、和泉流とは科白などもかなり違って、そんなところも面白かったです。 主人が太郎冠者と次郎冠者に稚児さんへの文を届けるよう命じるのは同じですが、太郎冠者、次郎冠者とも何度か使いでいつも行っているもよう。和泉流だと次郎冠者は行ったことがないという設定です。「たのうだお方の小人(しょうじん)狂いにも困ったものだ」という科白はなく、「彼の方」と言っているので、科白だけを聞いていると、相手が稚児(少年)だということが分かりません。太郎冠者、次郎冠者とも彼の方のところへ行くと、いつも食事など、もてなしてくれるので、喜んで行っているという感じです。 さて、それでも恋文を持っていくのは、互いにすぐ、「お前持て」となすりあいで、竹ざおに結わえて二人で荷い、謡ながら運ぶことになります。ところが、やけに手紙が重いと、よろよろ。途中で手紙を開けて、主人の文章をあげつらって読んでしまいます。「思いは海、山」と、海山が入っていては重いわけだとか、「恋しい、恋しい」で、小石がたくさんでは重いわけだとか言って笑いますが、和泉流のように、字の汚さを笑うのはありません。 そのうちにこっちによこせと引っ張り合いで破いてしまい、お互い“どうする?”“どうするんだよ!”という感じで顔を見合す様子が、さすが千之丞さんと千五郎さん、実にうまい!見てるほうも“あ〜やっちゃった”って思います。でも、「風の便りというのもある」と、扇で扇いで子供みたいにはしゃいでいる様は可愛くて、大笑いです。 様子を見に来た主人に見つかって次郎冠者は「ご許されませ、ご許されませ」とすぐ逃げるのに、太郎冠者は千切れた手紙をたたんで、元のように結びなおしてから、主人のところに持って行って「お返事です」と手渡します。和泉流のように慌てて恐る恐る床に伏せたまま差し出すのではなく、すっとぼけた風に主人に手渡すのが、千之丞さんのキャラに嵌っていて爆笑物です。主人も一瞬あっけにとられたような間があってから追い込みます。 「お返事です」も、太郎冠者と次郎冠者が同じように繰り返すより、今回のように次郎冠者が普通に逃げて、残った太郎冠者に集約されたほうが、より効果的だなと思いました。
「三人かたは」 先日「雙の会」で、万作家の「三人片輪」を観ましたが、茂山家だと関西風に、もっとどぎつくなるかと懸念していましたが、そんな心配をすることはありませんでした。 言葉の不自由な人が主人と話すときに短い木を打ちながら「あう、あう」と言うのではなくて、「あー、おー、おー」と言っていたので、そのへんの表現も違いますね。それに、口がきけないことを手振り身振り、最後は手で「おし」と空に書いてみせてましたが、七五三さんのクセの無さが嫌味を感じさせず、最後のドタバタも単純に楽しめました。 |
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