| 2005年10月31日 (月) |
夜叉ヶ池 |
場所:オーチャードホール 19:00開演
第一部 半能「石橋」 親獅子:梅若晋矢 子獅子:梅若慎太朗 法師:野口敦弘 仙人:茂山宗彦 笛:藤田六郎兵衛、小鼓:大倉源次郎、大鼓:亀井広忠、太鼓:助川治
舞台中ほどに一段高い四角い舞台があり、後ろは両側まで高くなっていて、真中に階段があり、全体にグレーの石のように見えます。囃子方は右側の一段低いところに並び、左側から法師が出てきます。今回のアイの仙人は一人です。宗彦さんのアイも解りやすくしっかりした語りでした。 親子獅子は装束、面を付けず袴姿での舞い、親子の舞いの動きや首の振り方の違いが良く解り、これもまた面白かったです。
第二部 能楽劇「夜叉ヶ池」 白雪姫(夜叉ヶ池の主) :梅若六郎 晃(百合の夫) :野村萬斎 學園(晃の親友) :小林十市 百合(村娘) :檀 れい 鯉七(白雪姫の家来) :茂山宗彦 鯰入(千蛇ヶ池の使い) :茂山逸平 河太郎(千蛇ヶ池の使い):茂山童司 萬年姥(白雪姫の侍女) :英 太郎 鹿見宅膳(新官・百合の伯父):桂 南光 穴隈鉱蔵(代議士) :桂 小米朝 畑上嘉傳次(村長) :桂 団朝 権藤管八(村の有志) :桂 こごろう 骨寄鬼(白雪姫の従者) :梅若晋矢 鯖波太郎(白雪姫の従者):山崎正道 鯖江入道(白雪姫の従者):角当直隆 虎杖入道(白雪姫の従者):山中(牙にしんにゅう。変換できません)晶 童(白雪姫の従者) :梅若慎太朗 傳 吉(博徒) :要 冷蔵 傳吉乾児(傳吉の子分) :森山友祐 村人 :川口 透、藺森 誠、鈴木貴雄、西原大介 後見 :川口晃平、赤瀬雅則
プログラムが売り切れたため、帰りに置いてあった「本日の配役」のプリントを持ち帰りました。
感想だけ。「朗読劇から能楽まで・・・」ということで、シンセサイザーの音楽とテノール歌手のような人の歌に始まり、鏡花としての萬斎さんの朗読、現代劇としての進行の中に夜叉ヶ池の主たちの姿を狂言と能に近い様式で演ずるなど盛りだくさんではありました。 夜叉ヶ池の場面では謡いと舞いの能様式の中で白雪姫の侍女役の新派の女形の英太郎さんが一人だけ普通に科白を話すわけですが、これは違和感なく、どこか妖しい存在感が能と現代劇の橋渡しをしていたと思います。 しかし、この場面に百合の歌が入るところはどうしても違和感を感じてしまった。宝塚出身の檀さんに歌わせたかったのなら、もっとあの場面に合った歌の選曲と歌い方ができなかったものか。完全に浮いていた。 それに、わざわざバレーダンサーの小林十市さんや噺家さんたちを起用した意味はなんなのか?ただ現代劇を普通に演じるだけなら呼ぶ必要がない。それぞれの演者が生かされていないし、その中で百合に宝塚風の朗々とした歌を歌わせるのはあまりに唐突。現代劇部分にはもっと工夫が必要ではないかと思われた。 最後の鎌を振り回しての立ち回りや鐘が落ちて洪水が起こる場面は迫力があって良かった。白雪姫が出てきて千蛇ヶ池の恋人の所へ行けることを喜び「あな、嬉や」という梅若六郎さんの存在感も凄かった。 しかし、能を見ない人たちの評価はだいぶ違うものではないだろうか。夫君など終わってからの第一声が「やっぱり能は難しい」である。実際、右隣の夫、左隣にいた若い男性は能様式の場面は半分くらい、うとうとと寝ていたようだ。 能と現代劇の融合を考えるなら、もっと脚本と演出を練らなければ成功しないと思う。いろんな分野から集めたならば、その人たちを生かす演出がされるべきだし、現代劇と能楽劇が別個に感じられるのではなく、違和感なく融合した舞台構成をしてもらいたい。これは個々の演者の問題だけではないように思われる。 |
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| 2005年10月30日 (日) |
雙の会 |
場所:宝生能楽堂 14:00開演
狂言「弓矢太郎」 太郎:石田幸雄、当座:野村萬斎、太郎冠者:野村遼太 立衆:高野和憲、月崎晴夫、時田光洋、石田淡朗、深田博治
小舞「景清」石田淡朗 地謡:高野和憲、野村萬斎、深田博治、月崎晴夫
能『石橋』 シテ(白獅子・童子):田崎隆三 ツレ(赤獅子):田崎甫 ワキ(寂昭法師):森常好 アイ(仙人):野村万作、野村万之介、石田幸雄 大鼓:柿原崇志、小鼓:鵜澤洋太郎、太鼓:金春国和、笛:一噌幸弘
地謡・後見は省略 竹山さん以外ほぼ万作家総出でした。 宝生流シテ方田崎隆三さんと石田幸雄さんが作る「雙の会」能と狂言の演者が刺激しあい共に作り上げる会をめざしているとのこと。 プログラムにも書いてありましたが、宝生流の『石橋』は前場の童子をツレとして扱い、間狂言が無い演出なのだとか。今回は特別に童子を前シテにして、間狂言を入れる演出になっています。
「弓矢太郎」 萬斎さんの太郎で以前みていますが、今回は石田さんの太郎。 いつも弓矢を携えて威張っている太郎を脅かしてやろうと、天神講で集まった衆が太郎に天神の森で鬼に出会った話しをし、夜中に天神の森に行けば当屋が百貫出そうと持ちかけます。当屋は皆と打ち合わせて、鬼の扮装で脅かそうとしますが、太郎も妻に励まされ、鬼の姿で現れて、暗闇で鉢合わせ。二人とも目を回して倒れてしまうのですが、気が付いて逃げようとする太郎の前に町の衆がやってきたので、隠れる太郎。鬼が当屋だと解り、「本当に鬼が出た」と怯えて話す当屋に「取ってかもう」と皆を驚かし、追い込む太郎でした。 天神講の夜話に怯える太郎の臆病ぶりや暗闇でお互い鬼の姿で出くわし、倒れてしまうところなど、恐い主人や人の良い大名も合いますが、おちゃめな石田さんが可愛かったです。騙されたと解って、今度は自分が脅してやろうと鬼の姿で追っていくのも怒っているというより悪戯っ子のようでした。 太郎冠者の遼太くんもずいぶん成長して、太郎冠者をしっかり演じていました。 ただ、焦ったのか、目を回して倒れた当屋の面と赤頭を取るのに、紐を解かずに取ろうとして、首しめ状態の萬斎さんが「紐、紐」と声出してやっと気付いた様子。おじさんを殺す気か〜(笑)でも、後は落ち着いてやっていました。
小舞「景清」 屋島の合戦での平家方の悪七兵衛景清と源氏方の三保の谷との錣引きの武勇を舞いにしたものです。 淡朗くん、ホントに成長しました。舞も謡いもしっかりときりっとしてなかなかカッコ良かったです。これからが益々楽しみです。
能『石橋』 半能が多く、やっと前場から通しで観る事ができました。 清涼山で文殊の浄土に架かる石橋を渡りたいという法師に、童子が出てきて仏力を得たものだけに許されるものであると言い、文殊菩薩の来臨を待つよう言い残して姿を消していく。やがて文殊菩薩の乗る霊獣である獅子が現れ、咲き乱れる牡丹の花に戯れ、獅子王の勢いを見せ、平和な御代が永遠に続くことを祈って舞い納めるという話。 やはり、通しで観てよかった。静である前場のタメがあるから動の後場が引き立つのだなあと感じたものです。 それに今回は替間として三人の仙人の酒盛りが入り、また楽しくて賑やか、酒盛りといえば出てくる歌、なんで仙人のくせに「小鼓」と「瓢箪」の歌なんだ〜(大笑) そして、獅子の出番。勢いと調子のいいリズムのあるお囃子に獅子が舞う姿は牡丹に手足を掛けてみたり、一畳台の上へ飛び上がったり、下へ飛び降りたり、勇壮なだけでなく牡丹に戯れている親子獅子の姿にも見え、これは楽しい祝いの舞なのだなあと思ったものです。 それぞれ赤と白の牡丹が端についた一畳台を正先に並べるのは「三響会」の時と同じですが、宝生流ではピンクの牡丹のついた一畳台が目付け柱の前、中正席向きに斜めに置かれて、獅子は3つの台を使い、橋掛かりと本舞台と2頭の獅子が舞い戯れる姿はやはり能舞台ならではでした。 |
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| 2005年10月28日 (金) |
「三郷会」 |
場所:新橋演舞場 18:30開演
この会は職場の友達と観ました。最前列少し右側、すごい迫力の伝わってくる席でした。「わあ、こんないい席なんて」と友達も大喜び。友達は日本舞踊や歌舞伎の方に興味がある人です。
狂言・歌舞伎「二人三番叟」野村萬斎、市川染五郎 笛:福原寛、一噌幸弘、小鼓頭取:田中傳左衛門、脇鼓:田中傳九郎、田中傳次郎 大鼓:亀井広忠、太鼓:田中傳八郎 三味線:杵屋勝正雄、松永忠一郎、今藤長龍郎、今藤政十郎、杵屋勝国毅 唄:杵屋巳之助、杵屋巳津也、杵屋利光 東音:味見純
歌舞伎の方は「三番叟物」と呼ばれる多くの歌舞伎舞踊の中から、「翁千歳三番叟」の舞を演じたそうです。 右側奥に染五郎さん、左側奥に萬斎さんが控え、二人とも黒紋付に袴姿です。三番叟のお囃子で、まず、萬斎さんが出てきて「揉みの段」を舞います。萬斎さんの気迫は凄かったです。ドキドキしてしまいました。 その後、染五郎さんの「揉みの段」。萬斎さんは舞終えて、じっと控えています。掛け声は長唄の人が受け持って、本人は声を出しません。三味線も加わって、細かい手の動き、足の動き、首をちょっと曲げたり、見慣れた三番叟とはまったく違います。これはまったく別物。 元々神事として別火潔斎し、五穀豊穣を祈念する舞いとして、地を踏みしめ種を蒔き、四隅を固めて舞台四方いっぱい使い、一つ一つの動きに意味がある能『翁』の中の「三番叟」とは違い、これは、あくまで踊りとして楽しむためのものだと思いました。 「鈴の段」は萬斎さんから舞始め、途中から染五郎さんが加わって三味線も入った「鈴の段」。いつもは面をかけて見えない表情が見えたのは面白かった(^^)。でも、袖を取ったり、袖を腕に絡ませたり、ばっと開いたりする仕草が、初めて見る人には何をしているのか解らなかったんじゃないかな。私は装束を付けての「三番叟」の方がやっぱり好きです。 三味線の音や染五郎さんの足拍子の音と萬斎さんの足拍子の音が合っていたのがなかなか面白かったです。 笛方は二人いますが、一噌さんが能、福原さんは歌舞伎の方と分けて受け持っていたようです。
舞踊「島の千歳」藤間勘十郎 三味線:今藤長龍郎、杵屋勝国毅、今藤政十郎、松永忠一郎、杵屋勝正雄 唄:杵屋利光、松永忠次郎、杵屋巳之助、杵屋巳津也、 東音:味見純 小鼓:田中傳次郎 筝曲:川瀬白秋、山崎扇秋、大坪正秋、小林露秋
「白拍子」の元祖の名が「島の千歳」と言われ、その名前を曲名にした長唄の曲がこの作品だそうです。踊りは基本的に前半に白拍子の男舞、後半は娘方になって踊る振りがついているとのことでしたが、私には日本舞踊の仕草はどちらも女のように見えてしまう。扇が手に吸い付いているように見えるのは流石だなあと思いました。
能と長唄による「船弁慶」知盛の霊:観世喜正 笛:福原寛、小鼓:田中傳左衛門、大鼓:亀井広忠、太鼓:田中傳次郎 唄:杵屋巳之助、杵屋巳津也、屋利光、松永忠次郎、 東音:味見純 三味線:松永忠一郎、杵屋勝正雄、今藤長龍郎、今藤政十郎、杵屋勝国毅 地謡と後見は省略
「船弁慶」の前半の見どころを長唄、三味線、鳴り物の歌舞伎音楽で演奏し、続いてシテの知盛の霊が、荒れ狂う海上で、薙刀を振るって義経一行に迫る後半の見どころを能と歌舞伎を混合した演出で行なうというもの。 喜正さんの知盛の霊は迫力もの、声がいいし。 謡いは地謡が謡うところと、長唄が謡うところがあり、三味線も入り、これが能の舞と意外に合っていて、面白かったです。
ここで休憩、夜の部は眠くなりませんでした。
歌舞伎「保名」安倍保名:市川亀次郎 三味線:清元美十郎、清元志寿造、清元菊輔 浄瑠璃:清元清栄太夫、清元美好太夫、清元國恵太夫 小鼓:田中傳左衛門 後見:市川段之
義太夫の「蘆屋道満大内鑑」に登場する安倍保名の「小袖物狂いの段」を清元の曲に仕立てたもので、6世尾上菊五郎が新演出を施したものだそうです。 「恋よ恋 我中空になすな恋・・・」という有名な唄い出しで始まります。 女者の小袖を肩にかけ、ザンバラ髪に鉢巻のような布を巻いた男が出てきます。恋人を無くし、嘆き悲しむあまり狂乱して、春の野辺を彷徨い歩く安倍保名を市川亀次郎さんが演じます。 踊りは上手で、気持もとても入っているように見えました。が、長々と恋人を偲んで、小袖を抱いて涙に暮れたりする姿を見せられると、どうもウジウジしている男に苛立ちを覚えてしまう私です。
能と長唄による「石橋」獅子の精:梅若晋矢、中村勘太郎 笛:福原寛、一噌幸弘、小鼓:田中傳左衛門 大鼓:亀井広忠、太鼓:田中傳次郎 三味線:今藤政十郎、杵屋勝正雄、今藤長龍郎、松永忠一郎、杵屋勝国毅 唄、地謡、後見は省略
後場の獅子の舞の部分のみ能と歌舞伎で見せるというもの。 舞台後ろには笹林と満月。なにも飾りの無い一畳台が右側と左側にあって、始めに能のお囃子で左側から晋矢さんの獅子が出てきます。一度姿を見せてまた引っ込んでから再び出てきます。白頭で能の獅子の舞を舞い、やがて右側から歌舞伎の赤獅子の勘太郎さん登場。白塗りに隈取りの顔、歌舞伎の頭は前髪が綺麗に切りそろえてあります。装束も朱赤と緑の派手なもの。 歌舞伎の見せ場はなんと言ってもあの頭の長い髪をぐるぐる回すところ、あの派手さです。その間、晋矢さんは右側の一畳台の上に控えていました。 それから二人の舞、足拍子も激しく歌舞伎は派手です。能は一見地味なように見えます。 でも、ピシッピシッとした動き、研ぎ澄まされて、まったく無駄な動きの無い能の舞は獅子の獣性を感じます。歌舞伎の獅子は人間にしか見えないけれど、能の獅子は本当の獅子のように見える。新しい発見でした。装束も地味なようでいて、非常に重厚なものでした。 兄弟での大鼓と小鼓の打つタイミングが何度もピッタリ合ってました。さすが兄弟、息がピッタリです。
見終わって、友達も面白かったと大喜び、能に対するイメージが変わったようで、今度観てみたいと言ってました。 私は・・・う〜ん・・・正直言って、やっぱり能のほうが好きかな・・・。 でも、こういう会は面白いです。また是非観に行きたいと思ったものです。 お囃子は素晴らしかった。三味線が入るとテンポが変わるところも面白いです。 |
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| 2005年10月28日 (金) |
囃子の会 |
場所:新橋演舞場 14:00開演
「囃子の会」「三響会」と続けて観てきました。 「囃子の会」は正統派、「三郷会」は若手らしく、能と歌舞伎の面白い見せ場を新しい構成で見せる。そんな感じでした。
一調「屋島」野村萬斎 大鼓:亀井広忠 これ、何をやるのかなと思ったんですが、「奈須」や「錣引き」のアイの語りではなく、能の謡いの一部を大鼓の一調で謡っているようでした。良い声でしたが、あら、もう終わっちゃうのという感じ。予定時間は7分と書いてありましたが、7分はやっぱり短い。
舞踊「賤機帯」中村富十郎、中村勘太郎 長唄:杵屋勝正雄、杵屋勝松、今藤美治郎、杵屋勝国、 杵屋直吉、日吉小間蔵、松永忠次郎、 東音:味見純 笛:福原寛、小鼓:田中傳左衛門、小鼓:田中佐太郎、 大鼓:田中長十郎、太鼓:田中傳次郎
これは、元はあの「隅田川」で、長唄の曲として演奏されていたものだそうです。踊りは一時絶えていたのを、明治中期に復活上演され、今日に至っているとのこと。 始めに船頭で船を竿で繰りながら出てくる勘太郎さん、体だけで表すのですが、竿を繰るしぐさが細かくて流麗。やがて子を失って狂気した母富十郎さんが出てきます。鞨鼓を打って芸を見せる場面などもあり、表情、仕草はリアルで流麗。花道も使っていました。 でも、私はどうも男の人が化粧もせず、袴姿で女性っぽくシナを作ったりして踊るのを見るのは苦手です(^^;。能も狂言も動きは美しくても、あまり女っぽい仕草はしないから袴能でもみていられるんですが・・・。 とても踊りは美しく、華やかさと悲しさがあって良かったとは思いましたが・・・。
半能「井筒」梅若六郎、宝生欣哉 大鼓:亀井忠雄、小鼓:大倉源次郎、笛:一噌幸弘 地謡と後見は省略
バックは、林の木と木の間の真中に大きな三日月。 井戸の作り物も出てきます。旅僧が現れて、井戸の傍で待っていると業平の形見の冠と直衣を着て紀有常の娘の霊が出てくる後場のみを演じる半能です。 すいません、舞踊のころからちょうど昼食後の眠気が襲ってきて、時々意識飛んでましたm(_ _)m もうすぐ、井戸をのぞく段だと思いつつ、気を張っていたつもりでしたが、気がついたら終わってました。
この後休憩、コーヒーを飲んで眠気覚まし。
舞踊「君が代/松竹梅」坂東玉三郎 長唄:杵屋勝正雄、杵屋勝松、今藤美治郎、杵屋勝国、 杵屋直吉、日吉小間蔵、松永忠次郎、 東音:味見純 笛:福原寛、小鼓:田中傳次郎、小鼓:田中傳左衛門、 大鼓:田中傳八郎、太鼓:田中佐太郎
お囃子と長唄のバックに金屏風、その後ろに松・竹がありました。右よりの席だったので、右側の後ろに梅があったかどうかは分かりません。 松竹梅を色々な物に例えた歌詞で、最後は目出度さを讃えた詞章で締めくくられます。 玉三郎さんは幕が上がって、座っている時から存在感が違います。すごいなあと思いました。白地の着物、綺麗に化粧して、それはもう女性にしか見えません。 流麗で美しい舞、美しさの中に品格を感じました。
半能「石橋」観世清和、観世銕之丞 大鼓:亀井忠雄、小鼓:幸清次郎、太鼓:三島元太郎、笛:一噌幸弘 地謡と後見は省略
バックの金屏風の真中が開いて、松ノ木が見える舞台になりました。 紅白の牡丹を左右に付けた一畳台が置かれ、その後ろにピンクの牡丹が付いた作り物が置かれています。 この獅子が出てくる時のお囃子の勢いは凄いです。そして一度静かになったかと思うと小鼓や太鼓が静かに打たれ、またぐ〜っと盛り上がって赤獅子が出てきます。赤獅子が舞っていると、作り物の中から白獅子が現れ、赤白獅子の勇壮華麗な舞。やっぱり「石橋」は最後を飾るに相応しい、迫力ある勇壮華麗な舞と力強いお囃子に釘付けでした。 |
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| 2005年10月26日 (水) |
千作を見る会 第4回 |
場所:国立能楽堂 19:00開演
「伊文字」路通の者:茂山千三郎 主人:茂山茂 太郎冠者:茂山千之丞
「縄綯」太郎冠者:茂山七五三 主人:松本薫 某:茂山千五郎
「財寳」祖父:茂山千作 孫:茂山正邦、茂山宗彦、茂山逸平
「千作を見る会」は今回で最終回ということでしたが、来年2月より「千作・千之丞を見る会」が発足。第一弾は千作さん米寿記念として千作さんの「枕物狂」最後の上演をするそうです。
「伊文字」 妻が欲しい主人は太郎冠者を連れて清水寺に祈願しに行き、夢のお告げで妻を見つけますが、住まいを尋ねると歌で答え、そのまま去ってしまいます。ところが、聞いた太郎冠者は歌を途中までしか覚えていないので、通行人を捕まえて歌の続きを聞こうと歌関を作り、無理矢理聞こうとします。 千之丞さんの太郎冠者の何ともトボケタ味がたまりません。紐を引っ張って通せんぼの歌関に捕まった千三郎さんの通行人は、「い」で止まってしまう歌に、それは国のなまえ、里の名前だろうと言い、「いの付く国の名は」「いの付く里の名は」と謡い舞いながら考えます。それが、調子にノってなんだかかえって楽しそう(笑)謡い舞い、やっと住まいが解った主人と太郎冠者、通行人はめでたく喜んで帰っていきました。
「縄綯」 七五三さんの太郎冠者、千五郎さんの某での「縄綯」。千五郎さんの某は、いかにも威張っていて恐そうな某、こんな人なら太郎冠者も反抗したくなるなと思ったり(笑)太郎冠者の一人語りは名人の落語とまではいきませんが、しかし笑えます。茂山千五郎家の味でしょうか、某の家の悪口や乳児虐待とも思える太郎冠者の行為も嫌味が無く聞こえて大笑いでした。
「財寳」 お金持ちだがケチな「財寳」という名の祖父のところに、三人の孫が名をつけてもらって、引き出物にあずかろうと相談。お酒を持って出かけます。長寿にあやかって名をつけて欲しいと頼み、祖父はそれぞれ「興がり」「ま興がり」「面白う」とつけ、名を付けたが引き出物が無いので、替わりに100貫ずつ祝儀を与えて酒宴となります。それぞれの名をしっかり覚えるよう、孫の手車に乗り、拍子にかかって名を呼び、答えさせながら、賑やかに幕入りします。 「いえい、いえい」「なんじゃ」と千作さんが幕から出てきただけで、やっぱり笑いが起こります。今回も直面(笑)酒宴では本当に楽しそうな千作さんの笑顔。 「興がり」「ま興がり」「面白う」って、これを拍子にかかって歌うと何か聞いた事ありますよ『末広かり』の歌ではないですかね?違うかな?最後に手車にのった千作さんの姿が一段と可愛く(^^)見所に暖かな笑いがおこります。 やっぱり、千作さんの存在に敵う者無しですね。 |
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| 2005年10月23日 (日) |
万作を観る会 |
場所:国立能楽堂 13:30開演
「武悪」 武悪:石田幸雄 主:野村萬斎 太郎冠者:深田博治 後見:高野和憲
舞囃子「融」笏ノ舞 本田光洋 大鼓:佃良勝 小鼓:観世新九郎 太鼓:金春國和 笛:中谷明 地謡:本田芳樹、本田布由樹、辻井八郎、吉場廣明、山井綱雄
「枕物狂」 祖父:野村万作 孫:野村小三郎、野口隆行 乙:野村又三郎 地謡:竹山悠樹、高野和憲、月崎晴夫、石田幸雄、野村萬斎、深田博治 後見:野村万之介、野村良乍
「武悪」 これも何回か観ましたが、この配役では初めてです。厳しい顔の主、出てくる時からただならぬ雰囲気で緊張感が漲っています。不奉公の武悪に業を煮やし、成敗して来いと太郎冠者に命じるわけですが、何とか取り成そうとする太郎冠者にお前も斬ってすてると迫力満点、怒りで血管浮き立ってるように見えました。 やむなく武悪を討ちに行く太郎冠者。太郎冠者と武悪は子供の頃から共に育った朋輩なわけで、二人の歳があまり離れていると合わない感じがしてしまい、この曲は3人の登場人物に拮抗する力がないと良さが出ないのですが、深田さんは進歩著しく、石田さんと歳の離れている感じもあまりせず、石田さんに負けないくらいでとっても良かったです。 腕の立つ武悪を騙し討ちにしようとするが、結局討つことができず、討ったことにして逃がす太郎冠者。 後半、武悪を弔ってやろうと東山に向かった主人と太郎冠者にばったり出会った武悪が幽霊に化けての主人とのやりとり、恐い主人が一転、臆病になって恐がるさま、恐がりながらもあの世のことを聞いてみたい好奇心から、主人の父親にあったとの言葉にすっかり騙される主人。ここは前半の緊張感とは一転しての大笑い、メリハリもきっちりついて大変楽しい曲でした。
舞囃子「融」笏ノ舞 「融」の舞は勢いがあって、変化に富み、私も好きな舞です。今回は金春流の笏ノ舞という小書付きで、閉じた扇を貴人の持つ笏(しゃく)に見立てて両手で前に持って動き、橋掛かりまで行く型があり珍しいものでした。 地謡に山井綱雄さんと辻井八郎さんがいたのがちょっと気になってしまった私です(^^;)それも辻井さんは地頭ではなかったでしょうか、一人での謡いだしは辻井さんだったと思います。良い声でした。
「枕物狂」 百歳の祖父が恋をしたという、二人の孫が孝行のためその恋を叶えてやろうと祖父のもとを尋ねるわけですが・・・ 笹の先に枕をぶら下げて物狂いのていで出てくる万作翁、面をかけています。この謡いの詞章の現代語訳がプログラムに載っていますが、なんとも激しい恋心を謡っています。孫たちが来たと知って笹を隠し、平静を装って出てきた祖父。孫の単刀直入な質問に「恋」を「鯉」と聞き違えたとぼけた返答をしたり、重ねて問われて、昔話の志賀寺の上人や柿の本の紀僧正の悲恋話を語っているうち正気を失ってきて、恋しているのが色に出ていると言われ、とうとう告白してしまう。この時の万作翁の恥ずかしがって扇で顔を隠す仕草や、恋狂いで出てくる時もなにかとっても可愛い。 聞けば相手は地蔵講の折に見初めた乙御前という若い娘。すれちがった時お尻をつねったら(とんでもない爺さんだ)乙御前が枕を投げつけてきたので、その枕を拾って偲んでいるのだと。また、正気を失って恋の歌を歌いだす祖父に孫が乙御前を連れてきて合わせるのですが、乙の面をかけた又三郎さん、小柄でこちらも可愛らしい。しかしどう見ても美人には見えないんですが・・・嬉し恥ずかし祖父は愛しい人と連れ立って行くのでした。めでたし、めでたし(^^) 老いらくの恋というのでしょうか、いくつになっても恋する心は同じ。理解ある孫たちのおかげで、いつまでも可愛く幸せなおじいちゃんでありますように。そんな、応援をしたくなりました。 |
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| 2005年10月22日 (土) |
岡田麗史の会 |
場所:観世能楽堂 14:00開演
仕舞「遊行柳」 観世銕之丞 地謡:谷本健吾、清水寛二、山本順之、西村高夫
狂言「二人大名」 通行人:野村万作 大名:野村萬斎、深田博治
能『砧』 シテ(芦屋某ノ北方・北方ノ亡霊):岡田麗史 ツレ(夕霧):浅見慈一 ワキ(芦屋某):宝生欣哉 ワキツレ(従者):則久英志 アイ(下人):石田幸雄 大鼓:國川純、小鼓:幸清次郎、太鼓:助川治、笛:一噌隆之 地謡、後見は省略
「遊行柳」は陸奥を行脚する遊行上人の前にあらわれた朽木の柳の精が上人から念仏を授かり、成仏したことを喜び報謝の舞を舞うという能。仕舞では老木の精が柳に縁のある故事を連ねて謡い舞うクセの部分を見せるものです。 老木の精らしく静かな謡い、舞いですが、銕之丞さんだと力強さも感じてしまいます。足のはこびや扇使いが美しかったです。 銕之丞さんは左肩が下がっていますね。なんでそんなことに気がついたかというと、先日の能講座の時、「観世寿夫は右肩が下がっていた。それが右を向く時に、ねじれるようになって独特の影を作っていた」という話を聴いたからで、妙にそんなところが気になってしまいました(^^;
「二人大名」 この曲も何回か観てますが、二人の大名が連れ立って遊山に行くのに、太刀を持つ者がいないので、通りがかりの者を連れにして太刀を持たせようという。 この時大名が、頼みごとをする前に相手に一礼をしますが、「靱猿」でも先に礼をして、無理な頼みごとを聞いて断ると「武士に礼までさせておいて」と刀や弓で脅します。言いにくい頼みごとをする時に、相手が断れないようにする大名の常套手段でしょうか。 主人でもない者に無理に太刀を持たされ、主人面をされて、通りの者はいい迷惑。隙を見て太刀を抜き、今度は大名たちを脅して刀も服も取り上げ仕返しだ〜。 犬の真似をさせたり、烏帽子が鶏のとさかに似てると言って鶏の真似をさせたり、最後には起上がり小法師の真似をさせる。太刀で脅されて渋々真似をする大名たち。向かい合って犬は「うー、うー」「びょー、びょー」鶏は「こーきゃー」起上がり小法師はあの歌「京に流行る起上がり小法師、殿だに見ればつい転ぶ。合点か、合点じゃ、合点、合点、合点じゃ〜」でごろん、ごろんと転んでは起上がる(笑)なんど観ても笑える。客席にも和やかな笑いが満ちていました。最後には、やっぱり返してあげないよと刀も服も持って逃げていく通りの者を追いかけて幕入り。 通りがかりの人を待っている時の萬斎大名、ふと目を上げて「おっ!」と気付いた表情、リアルでこんな表情したっけとふと思ってしまいました。いろんな舞台で身につけたこの人らしい表現だなあと、私的にはgood!でした。
『砧』 訴訟で都に上っていた、九州芦屋の某は三年が過ぎ、長く留守にしていた故郷が気にかかり、召し使う夕霧に今年の暮れには帰ると故郷に使いに出す。 夕霧が芦屋の里に着くと、妻は夫の音信も無い三年もの不在に夕霧の顔を見ても恨みがつのるばかり。 夜がふけて里人の砧を打つ音が聞こえてくると、胡国に捕らわれた蘇武を思って妻子が打った砧の音が蘇武の夢に聞こえたという故事にならい、砧を打って夫を偲ぼうと夕霧と二人して砧を打つが哀しみはつのるばかり。 そこに、都から使いがあって今年の暮れも帰れぬという。とうとう妻は待ちつづける気力も失せ、絶望して病を得て死んでしまう。 シテの中入りでアイが前場の経緯を語り、主人も妻の死の知らせに帰郷して回向するという。 芦屋の某は従者とともに家に帰り、妻の砧の前で弔うと、妻の亡霊が地獄から現れ、恋慕の妄執にさいなまれ地獄の苦しみを訴えて、さらに夫の不実を責め、恨みと嘆きの中に成仏できずにいる様をみせるが、やがて夫の唱える法華経の功徳により成仏する。 前場での恨みながらも夫のことを思う妻の舞の悲しいほどの想い、後場の最後の方で夫の不実をなじり詰め寄る妻の亡霊の迫力と、黙って言い分けもせず、妻の想いを受け止めて祈る夫。すると、激しく詰め寄る姿から、すっと何かが抜けたように、清々しく成仏した姿に変わる。それがとても印象的で、情感あふれる能でした。 |
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| 2005年10月18日 (火) |
せんす能楽公演 新作能「無明の井」 |
場所:国立能楽堂 17:00開演
狂言「雁大名」 大名:野村又三郎、太郎冠者:野村小三郎、雁屋の亭主:奥津健太郎 後見:野口隆行
新作能『無明の井』 作:多田富雄 前シテ(漁夫の霊)後シテ(脳死の男の霊):粟谷能夫 前ツレ(里女)後ツレ(移植を受けた女の霊):坂真太郎 ワキ(旅の僧):福王茂十郎 アイ(所の者):野村小三郎 笛:藤田六郎兵衛、小鼓:鵜澤洋太郎、大鼓:國川純、太鼓:金春國和 地謡:浅井文義、奥川恒治、鈴木啓吾、古川充、 野村昌司、坂井音雅、坂井音隆、坂井音晴 後見:浅見真州、鵜澤久
予定では、能のシテは金春流の桜間金記さん、ツレが喜多流の粟谷能夫さんの予定でしたが、桜間金記さんが病気ということで、シテが粟谷能夫さん、ツレが観世流の坂真太郎さんに変更になりました。ちなみに地謡は観世流です。
「雁大名」 この演目は初めてみました。 まず遠国から訴訟のため京に上っていた大名が、訴訟も済み国に帰ることになったので、在京中世話になった人を招いて宴を開こうと、太郎冠者に肴を求めてくるよう命じます。 市で初雁を売っているのを見つけた太郎冠者はお金を持っていないので、値切ったうえ、後で主人が払うからと持って帰ろうとしますが、雁売りは「そんな大名は知らんから売れん、お金を持って来い」と言い、太郎冠者はそれなら「今持ってくるから、売らないように店を閉めておけ」と言って帰ってきます。 ところが、大名は長年の在京でお金を使い果たし、その上、もう人を呼んでしまったという。そのわりにはあまり困った様子じゃない(笑) 「太郎冠者、なんかいい知恵はないかのう」そこでいつものごとく、1分も考えないうちに膝を叩いてすぐいい考えが浮かんじゃう(笑)それがとんでもない悪だくみ。 雁売りのところへ大名が先に行き、雁を買おうと言って、雁売りが売ろうとするとすかさず太郎冠者が現れ、「自分が先だ、店を閉めておけと言ったじゃないか」と言う。大名は「自分に売ると言ったではないか」と、困った雁売りの前で、大名と太郎冠者が喧嘩を始め、雁売りが仲裁に入って、大名をとりなしている隙に太郎冠者が雁を持って逃げてしまいます。 戻った大名と太郎冠者、大名が「はやく雁を出せ」と言うと、太郎冠者は「そちらがお先に」と、なんのことはない、どさくさに紛れて大名も帯をこっそり盗んできてた。うまくいったと二人で大笑いして意気揚揚と帰っていきました。こら!!お金がないからって、大名がそんなことしていいのか〜!泥棒だぞ!詐欺だぞ!そんな意気揚揚としてていいのか!って思っちゃう狂言でした。
新作能『無明の井』 パンフレットやチラシにあらすじは書いてありませんでしたが、新作能なので詩章はアイの語りまで全部載っていたため、早めに着いて読む時間は充分にありました。 シテ、ツレ、ワキ、アイが出てきて、それぞれの役割をする夢幻能様式に沿ったもので、本説を古代中国の「列子」に伝説の名医「扁鵲(へんしゃく)」が心臓を移植したという話から取っているので、古典の能を観るような感じでした。 原作者の多田富雄さんは、免疫学者で能の造詣も深いとのこと、脳死臓器移植問題が注目された1991年から故橋岡久馬師により、日本と北米で過去15回上演されたのだそうです。
まず、旅の僧が出てきて、いずくとも知れぬ荒野で日も暮れてしまい、水の涸れた古井戸の近くで仮寝して一夜を明かすことにすると、そこに一人の女が涸れ井戸の水を汲みに現れます。不審に思った僧がいわれを問うと、「業深き女のため命を落とした男の霊によって、命の水涸れた井戸である」という、女が涸れ井戸の水を汲もうとすると漁夫が現れ、「それは人の命より湧き出た変若水なり、他人が掬えば我が命が縮まり身を苦しめる」と女を引き止めます。命の水を汲もうとする女と引き止める男、井戸はたちまち火焔となり、水を争う二人の亡魂は影と形のように付き添って古井の底に消えていきます。
そこに見回りに来た土地の男が古井戸に回向する僧を見つけ、僧は男に古井戸の謂われを問います。小三郎さんのアイはしっかりした語りでした。 所の者が語るには、昔、北の国に若く美しい娘がいて、蝶よ花よと育てられたが、18歳の時、重い心臓病にかかり、あらゆる医者にも直すことができず、死を待つばかりとなった。そのころ唐に扁鵲という名医があり、娘の父母は扁鵲を招き診させると、若い壮士の心臓を娘の胸に植えかえれば娘の命は助かるという。 そこに丁度、嵐の海に打ち上げられた漁りの壮士があり、魂はすでに冥界にまかり、肉体のみ残って心臓はわずかに動いていた。座視すればすべて空しくなると、一殺多生の理にまかせ、壮士の心臓を採りだして、娘の胸に植えかえる。 娘は蘇生し、壮士は程なく生き絶える。娘は健やかに暮らすが、壮士の心をとったことを深く罪業と銘じ、生あるものの臓腑を採って己が命を全うすることが神意に叶うことかと疑うようになる。 この年から井戸の水は涸れ、人々は壮士の霊のなせる業と思い、娘はそのことを深く痛み、懺悔の一生を送ったという。
その話を聞いた僧は先ほどの二人の話をし、驚いた土地の男は、ねんごろに弔って欲しいと頼んで帰っていきます。 僧のもとに再び壮士の霊と娘の霊が現れ、共に業苦に沈む身を嘆きます。
壮士の霊が自分の有様を語ります。そもそも人間の最期には、まず魂魄が肉体を離れ、六道の森をさまよい、三瀬の川の辺にて自分の屍を待つという。また骨肉はやがて白骨となり四散し、荒塵と帰す。しかし、魂魄は黄泉路をさまよい、命わづかに残るのを、医師ら語らい、胸を割き、臓を採る。恐ろしや、耳は聞こえども身は縛られ、叫べど声は出ず。我は生き人か、死に人か。三途の川の渡しに着くが、生ける者は来るなと打ち据えられ、死の望みさえ絶たれ、嘆き哭くばかりなり。と・・・。
娘もしばし永らえて、仮の命を継ぐ井戸の水も涸れはててついに空しくなってしまった。この永劫の苦しみを浮かべて欲しいと僧に頼み、二人は再び古井戸の闇の中に消えていくのでした。
「我は生き人か、死に人か」男の霊の言葉、生を求める人の心、深く残る能でした。 |
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| 2005年10月16日 (日) |
金剛永謹能の会 |
解説:西野春雄(法政大学能楽研究所所長)
狂言「空腕」太郎冠者:野村萬斎、主:高野和憲 後見:時田光洋
能『通小町』替装束 シテ(深草少将の霊) :金剛永謹 前ツレ(里の女):種田道一 後ツレ(小野小町の霊) ワキ(僧):野口敦弘 大鼓:安福建雄、小鼓:大倉源次郎、笛:一噌仙幸 地謡:工藤寛、片山峯秀、坂本立津朗、見越文夫、 山田純夫、廣田幸稔、宇高通成、廣田泰能 後見:今井克紀、今井清隆、元吉正巳
「空腕」 日頃、太郎冠者が空腕立て(偽りの腕自慢)をするので、主人はわざと夕方、淀への使いを太郎冠者に命じます。太郎冠者は用心のため主人の太刀を借りて渋々でかけるものの、日が暮れてきたので恐くてしかたありません。物陰におびえて命乞いをしたり、目を瞑っていけば大丈夫だといって、けつまづいたり、自分で恐がりだからと、人一倍の臆病ぶりが可笑しい。 また物陰に怯えて、太刀を差し出してしまう太郎冠者を後から様子を見に来た主人が見つけ、後ろから太刀を取り上げ、したたか叩いて帰っていきます。 気絶した太郎冠者が目を覚ますと、どうやら命は助かったようだが太刀が無い。 帰宅した太郎冠者は、使いの途中で大勢の男たちに襲われ闘った時、太刀が折れ、投げつけて逃げてきたと言う。この時のバッタ、バッタと切り倒したと大げさな武勇伝(大笑)感心して聞いているふりをしながらバレバレの主人が新しい太刀を買っておいたと太郎冠者の目の前に差し出して・・・。 嘘がバレた太郎冠者、なおも誤魔化そうと折れた太刀がくっついたなどと・・・(爆)「この横着者」と、叱られ追い込まれて幕入り。 前半のあまりの臆病ぶりと後半の大げさな身振り手振りでの見え透いた武勇伝の落差に大笑い、もうバレバレなんだよ〜と言いたくなっちゃう太郎冠者でした♪
『通小町』替装束 小町のもとに通うという意味で、深草少将が主人公です。古くは『四位少将』といわれた能で、前後を通して小町が登場し、主人公の少将は後段になって初めて登場するところなどに古い能の雰囲気が残っているそうです。 京の北、八瀬の山里で夏の修行をしている僧のもとに、毎日、木の実や薪を持ってくる里の女がいます。僧は今日もやってきた女に素性を尋ねると「ススキ生いたる市原野辺りにすむ姥ぞ、跡弔いたまえ」と答えて姿を消します。 市原野に小町の墓があることを思い出した僧が市原野に行き、小町の弔いをしていると、小町の霊があらわれて、戒を授けて欲しいといいます。その前に揚幕から深草少将の霊が衣を被いて現れ、橋掛かりで小町の様子を見ています。小町が成仏を願ったのをみるや、被いた衣を払い、私を残して成仏するのか、煩悩の犬となって打たれても付きまとうぞと恨みの言葉を吐いて、小町を引き止めます。深草少将の執念、ぞっとするほど恐ろしいです。 僧が深草少将の霊と気付き、百夜通いの様を見せるよういうと少将は過去の出来事を再現し、小町の所へ通う様を見せ、九十九夜、明日は恋の成就と喜び、嬉しさに見苦しい傘を脱ぎ捨て、着替えて出かけようとするまでを狂おしく再現してみせます。 この能では、恋の成就の一歩手前で少将がたおれたことには触れていないとのこと、確かにその部分は無く、懺悔しおえた少将と小町は共に成仏して去って行きます。 替装束の小書が付くと、常の装束より高位の人の装束となり、愛欲に対する執心だけでなく貴公子としての少将の醸し出す優雅さも加味しなければならないとのこと、確かに凄まじい妄執だけでなく、動きに品の良さも漂っていました。 ただ、気になったのは後見が床に落とした傘を取りに来る時、堂々と正先をシテの前を横切って取りに行ったこと、それってありなの!???普通、後ろからそっと引き取っていくものじゃないのかなあ?シテの前を横切るなんて初めて見ました(唖然) |
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| 2005年10月14日 (金) |
「忠三郎狂言会」東京公演 |
場所:国立能楽堂 18:45開演
「三番三」三番三:茂山良暢、千歳:大蔵基誠 笛:栗林祐輔、小鼓:曽和尚靖、住駒充彦、森貴史、大鼓:安福光雄
「察化」察化:茂山忠三郎、主:茂山千作、太郎冠者:茂山千之丞
「腰祈」祖父:茂山忠三郎、山伏:茂山良暢、太郎冠者:善竹富太郎
年一度の「忠三郎狂言会 東京公演」は、今の私には他を差し置いても見逃せない会の一つになっています。
「三番三」 和泉流では「三番叟」、大蔵流の「三番三」は今回初めて観ました。 千歳は背の高い大蔵基誠さんで、三番三が小柄でやさしい顔立ちの良暢さんなので座って控えている時は、なんか可愛いなと言う感じがしましたが、いざ始まると声もしっかり、足拍子も力強く、大きく見えました。 和泉流の「ヨー・ホン・ホン」という掛け声に対して、こちらは「ヤア―・ハー」という掛け声。万作家の洗練されて、リズム感とキレのある舞とはまた違い、これが五穀豊穣を祈る本来の舞かなと思う、土を踏みしめ種を蒔くという、重心が下に向いている力強さを感じる「三番三」でした。「揉みの段」も「鈴の段」もやはり終わると汗びっしょりでした。
「察化」 和泉流では「咲嘩」と書きますが、同じ曲です。 連歌の初心講の頭に当たった主が、田舎なので宗匠になれるような人がいないため、都の伯父に頼もうと太郎冠者を使いに呼びに行かせるわけですが、例によって太郎冠者は伯父の住所も聞かずに行ってしまい、「たのうだ人の伯父御様はいないか」と道行く人に訪ね歩いているうち、「察化」という詐欺師の言う事を真に受けて主の伯父だと思って連れて帰ってきてしまいます。 主がそれを見て詐欺師の「察化」だと気付き、無下に帰すと後々あだを為すから、もてなして適当なところで帰そうと家に通します。 この太郎冠者、あまりにも正直すぎて、主人の言った事をそのまま察化に言ってしまうし。座敷に通して、二人だけにし、相手をさせていると余計なことばかりしゃべる。呆れた主人は太郎冠者を呼んで、自分のするように真似をせいと言いつけると主人の言うこと成すこと自分に命じたことも鸚鵡返しにそっくり察化に言うので主人に怒られる。するとまたしてもそのとおり察化を叩き、主人が起こして謝ると、また同じことをするで、察化は叩かれたり、起こされたり大迷惑。 最後に太郎冠者を引き倒して、察化に「自分が食事の用意をするのでお待ちください」と恭しくお辞儀をして去っていく主人に、起き上がった太郎冠者は主人の言うとおり真似をしなければならんとばかり、この時「だんだん難しゅうなる」と困った顔の太郎冠者、察化を引き倒して、恭しくお辞儀をし「忙しい、忙しい」と主人を追っていく(大笑)まったく悪気が無い。「迷惑な目にあった」ととぼとぼ引きあげて行く察化。 なんだか可哀相な詐欺師ではありますが、返ってこれで懲りたんではなかろうか。もしかしたら、太郎冠者の無邪気を装った策?ってわけは無いか(笑) 千之丞さんは、おとぼけな雰囲気が上手くて太郎冠者にピッタリ!千作さんの太郎冠者に呆れてじりじりする主人役も、ちょっとのんびりした忠三郎さんがさんざんに振り回される様も、ベテラン3人の息のあった演技にずっと大笑いでした〜♪
「腰祈」 席が一番前の右よりだったため、幕が上がった時、橋掛かりに出てくる前に山伏が足を上げて、なにか形をとっているのが見えて面白く、ちょっと得した気分がしました。大蔵流の山伏は歩く時は和泉流のように足を上げず摺足です。 修行を終えて都に帰る山伏、祖父を訪ねると高齢の祖父は腰が著しく曲がり「いえい、いえい」と杖をつき、腰を振りながらよろよろと出てきます。なんか、狂言の年寄りって愛嬌があって可愛い(笑) 郷の殿(山伏)に何十年ぶりかで会った祖父は、棚に飴があるからやれとか犬ころが好きだったから来たら抱かせようと飼っていた犬が大きくなってしまったが、欲しければ抱かせようとか、幼い時と同じ扱いで郷の殿と太郎冠者は大笑い。 そのうち曲がった腰を直してやろうと祈る郷の殿に、一旦は伸びた腰に久しぶりにお日様が拝めたと喜んだものの、伸びたままでは不便と元に戻せとまた祈らせる。法力が効きすぎて、伸びすぎたり曲がりすぎたり、山伏の良暢さん、困ったことになったと目がきょろきょろと落ち着かなくなり(笑)祖父は「郷の殿はわしを弄りに来たのか」と怒り出して「もうたくさん」 可愛くも我が儘なおじいちゃんと、祖父思いだけど、自身満々の法力が上手くいかずに慌てる山伏、山伏に言われるまま後ろから祖父を杖で支えようとして上手くいかず、一緒に倒れてしまう太郎冠者の富太郎さんもなんか可愛らしくて、すべて楽しい会でした。 |
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| 2005年10月13日 (木) |
万之介狂言の会 |
場所:国立能楽堂 19:00開演
「佐渡狐」奏者:石田幸雄、佐渡の百姓:深田博治、越後の百姓:月崎晴夫
「川上」男:野村万之介、妻:野村万作
「貰聟」男:野村萬斎、妻:高野和憲、舅:野村万之介
万之介さんのシテでの「川上」は以前、国立能楽堂の普及公演(だったかな?)で観て以来。その時は萬斎さんが妻役でしたが、万之介さんがシテの男で、万作さんがアドの妻というのはやっぱり観てみたかった。
「佐渡狐」 年貢を納めに行く越後の百姓と佐渡の百姓が道の途中で同道することとなり、話しているうち、佐渡に狐がいるか、いないかで互いの腰の刀を賭けて、奏者に判定を頼もうということになる。越後の百姓に「佐渡は物が無くて不便だと聞いた」と言われ「そんなことは無い、何でもある」と見栄を張ってしまった佐渡の百姓がムキになって、いない狐もいると、つい言ってしまったことで騒動が始まるわけです。 佐渡の百姓が奏者に賄賂を渡す場面はいつも笑ってしまいます。とんでもないと何度か断っておきながら、いえいえどうぞと何度も言う百姓の賄賂をそっぽを向きながら袖に隠して受け取るところなど、まさに「袖の下」その時の奏者役(石田さん)の表情と仕草が面白い。 その後、佐渡の百姓に狐の姿形を教えてやるわけですが、対決の時には中々思い出せない佐渡の百姓は珍答の連続。身振り手振りに小声で教えようとする奏者と、間に入って見せまいとする越後の百姓、見ようと身を乗り出す佐渡の百姓の3人のドタバタともいえるやりとりの面白さ、ちょっとボウヨウとした深田さんの佐渡の百姓と、気の回る月崎さんの越後の百姓の取り合わせはピッタリ。石田さんの奏者も役人らしくて、若手2人との釣り合いもいい配役でした。
「川上」 万作さんの「川上」は名演と言われて狂言劇場などでも観ましたが、しっとり余韻の残る「川上」でした。 万之介さんは、万作さんとは違う雰囲気を持っています。その万之介さんらしい「川上」の男が結構好きです。飄々としてカラッとしているし、陰よりも陽の雰囲気が万之介さんらしい。そして最後は手を取り合ってほのぼのと、そんな「川上」があっても良いと思います。 万作さんの妻役は、わわしいというよりしっとりしています。年が近いせいもあって、やっぱり一番しっくりくる組み合わせのような気がしました。
「貰聟」 この万之介さんの舅役はピッタリで、とても好きです。 善竹さんで観た大蔵流の「貰聟」との違いはいろいろありますが、まず、聟さんは和泉流では酔っ払って歌いながらご機嫌で帰ってきます。家に着くと「もう家についてしまって見たくもない女房の顔をみなければならない」というようなことを言うわけですが、大蔵流では飲んだ先で「あまり呑んでは体に悪い」と言われ、まだ呑み足りなくて家で呑み直そうと、酔っ払いながらも不機嫌で帰ってくるわけです。 善竹さんの話で、当時のお酒は各家で作っていた地酒で、奥さんが作った酒をその亭主の名を付けて「○○の酒」と言っていたそうです。 不機嫌だから酒の用意をしろというのに、早くお休みなさいという妻に腹を立てて、乱暴を働き、追い出してしまうわけです。夫役の富太郎さんが迫力があって恐かったのもそのせいですね。 和泉流では、酔った勢いで追い出してしまう時、暇の印(離婚の証拠)に一腰(腰の刀)を渡すなどのやり取りがあり、しょっちゅう喧嘩して戻って来る娘に舅も「またか!」と呆れながら暇の印まで貰ってきて、意思が固いとみて娘を奥に隠すわけです。 大蔵流では聟と舅は取っ組み合いの喧嘩、和泉流では出てきた妻を引っ張り合って、聟が「舅の足を取れ」といって倒してしまうなどの違いがあります。 大蔵流の方が古い形なのか、和泉流の方が細かいやりとりが加わっているような気がしました。 ま、とにかくも酔っ払っての妻とのやりとりの可笑しさ、妻を引き取りに行く時のシオシオとして敷居が高いという様子。萬斎さんのこの聟もなかなか良いです。 子供が探していると聞くや堪らなくなって出てきてしまい、しまいには父親を倒して夫と仲良く帰ってしまうちゃっかりした妻の高野さんもいつもながら可愛い! 振り回される舅も娘可愛さ、万之介さんの「またか!」にも笑ってしまう。こういう脇役の味も万之介さんならではの雰囲気があります。 |
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| 2005年10月12日 (水) |
あかり夢幻能 |
場所:三渓園 16:30開演
狂言「月見座頭」座頭:野村万作、上京の男:野村萬斎 後見:深田博治
能『清経』音取 清経の霊:友枝昭世、妻:内田成信、粟津三郎:森常好 大鼓:亀井広忠、小鼓:鵜澤洋太郎、笛:一噌仙幸 地謡:大島輝久、狩野了一、粟谷明生、金子敬一郎 出雲康雅、塩津哲生、香川靖嗣、粟谷能夫 後見:内田安信、友枝雄人 照明:石井幹子
10日があいにくの雨で延期になり、12日になったため来れなくて涙を呑んだ人もいるらしく、指定席には空席もいくつかありました。 12日は晴れ渡った空に上弦の月が煌々と輝き絶好の日和、ただ風が強くて舞台の揚幕も、始まる前は風にあおられて中が見えたりしてました。夜は寒かったです。 舞台は池の上に浮かべられた舞台で、演者は岸から船で行き来していました。 舞台の位置が低かったのと、座席に段差が無いため、正面5列目の私の席からでも前の人が邪魔になって、隙間から観るような感じになってしまい観にくかったのですが・・・。 開演までは赤、青、黄色のライトにライトアップされた庭園が美しく、見入っていましたが、開演ベルの代わりに池の中に突き出した地続きの小島にある鐘楼の鐘が撞かれ、回りの照明が落ち、舞台後ろの対岸の森に青いライトが当てられて、青ねずの靄がかかったように見えて、舞台がライトで浮かび上がりました。 「月見座頭」 万作さんの座頭が杖をついて現れ、仲秋の名月の晩に河原へ出て虫の声を楽しんでいます。満月ではないけれど夜空には本物の月が輝き、本物の虫の声が聞こえ、ススキが揺れています。目を瞑ると座頭の感じている世界が体感でき、ああ、こんな風景を心で観ているのだなあと実感できました。 河原には月見の宴を催している人たちもいて、せっかく虫の声を聞いているのに聞こえないと文句を言ったり、言い返されると自分も歌を謡って、邪魔だと追い返され、また、静かなところで虫の声を楽しんでいるところへ、上京の男が月見にやってきて座頭が月見とは風流だと話し掛けてきます。互いに和歌を所望すると、二人とも古歌を自作のように披露して、すぐにバレ、二人は笑い合って、洒落た人だと意気投合。 萬斎さんは黒い肩衣(私のところから背中の柄は解りませんでした。人の隙間から観てたもんで)に銀のとっくりを下げていて、二人で酒を酌み交わし互いに謡い舞って酒宴を楽しみます。 この時の万作さんの舞、目が見えない座頭のため静かな動きで能の舞のよう、非常に美しくて印象的でした。 互いに楽しかったと言葉を掛け合い別れますが、帰ろうとした上京の男はふと悪戯をしてやろうと悪心をおこし、立ち戻って別人のふりをして、帰ろうとする座頭にわざとぶつかり、声を荒げて座頭を引き倒して去っていきます。 落とした杖を探し、方向がわからなくなった座頭は川で杖の流される向きで帰り道を知ろうと川の音の方へ行き、帰り道がやっと解ります。この時の座頭の細かい仕草に哀愁が漂っていました。 「今の奴は最前の人と違い情けのない奴だ」と言って盲目の身の哀れさ、人の世の切なさを嘆いてくしゃみを二回してとぼとぼと帰っていきます。 抒情的な風景の中で、人間の善と悪の二面性に、最後は盲人のペーソスを漂わせ、しみじみした作品でした。 本当にこの座頭は酒宴を楽しんだ男と自分を突き倒した男が同じ男と気付かなかったのか、目明きより感覚の鋭い盲人、本当は解っていながら心が通い合ったと思った男と同じ男だと思いたくなかった、認めたくなかったのではないかとも考えてしまう深い作品で、万作さんの演技は秀逸でした。
『清経』音取 平清経の家臣、粟津三郎が清経の妻のもとに遺髪を届けにきます。粟津三郎役の森さんは橋掛かりの途中で主人清経が入水自殺し、京へ上ることを語って、謡いながら本舞台に入ってきます。この日の森さんは声も良く素敵でした。 清経の館に着き、妻に清経が自害したことを語り、遺髪を渡すと、妻は戦で死んだならまだしも、なぜ自分を残して自殺などしたのか恨み、嘆き悲しんで遺髪を返してしまいます。妻が涙ながらに床につくと枕辺に清経の霊が現れます。 「音取」の小書により、笛の音に誘われるように清経の霊が橋掛かりをそろそろと歩んでは止まり、またそろそろと歩んでは止まりして進んできます。 この時の友枝さん、なにかこの世のものでは無い、本当に清経の亡霊が出てきたように感じました。一噌仙幸さんの笛も素敵でした。 清経の霊は妻と言葉を交わし、なぜ遺髪を返したのかと言うと、妻は自害した恨みを言います。この妻の気持はとても判ります。 清経は豊前柳が浦というところへ落ちてから、入水自殺するまでのいきさつを語りますが、途中でも妻の反発があり、なかなか恨みは晴らしてくれません。 かつての栄華を思い、負け戦の恐怖や心細さ、神にも見放されて死を決意するまでを語り、美しい夜更けに船首に立ち、横笛を吹いて今様を謡って入水したさまを語ります。さらに、あの世でも修羅道に落ちた苦しみと念仏の功徳により救われたことを語り終えると静かに霊は消えて行きます。 途中から、対岸の森に文字が浮かび上がりました。お経か、なにかの詩かと思いましたが、平家物語の一節だったようです。 舞台が始まってからの照明は舞台を照らす他は、バックの対岸の森を青く照らす照明だけ、浮かび上がらせた文字も能の雰囲気を壊すものでは無く、良かったと思います。演者にとっては舞台を照らすライトが眩しくて見えないことがあったそうですが。 友枝さんの舞は扇を持つ手の動きから、足のはこび、一つ一つの動きの流れるような繋がりにいたるまで、どうしてこんなに美しく舞えるのかと毎回のことながら思ってしまいます。 夫婦の絶ち難い絆、悲しさに胸がいっぱいになりました。 野外なるがゆえ、途中でヘリコプターが通ったり、マイクの音が途切れ途切れに聞き取りにくいことなどもありましたが、ある程度やむを得ないことでもあり、それでもやはり観に行って本当に良かったと思った舞台でした。 |
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| 2005年10月11日 (火) |
狂言鑑賞会 |
場所:国立能楽堂18:30開演
ミニ講座「狂言の世界」善竹十郎 ―狂言における離婚問題について―
「貰聟」聟:善竹富太郎 妻:善竹大二郎 舅:善竹十郎
「木六駄」太郎冠者:善竹十郎 主人:大蔵教義 茶屋:大蔵吉次郎 伯父:善竹忠一郎
早稲田大学卒の善竹十郎さんが早稲田大学エクステンションセンター講座「狂言の世界」の講師をしていることから、その講座受講者有志が作る狂言愛好社が主宰している公演です。 ミニ講座は「貰聟」に関係してでしょうか「狂言における離婚問題について」と言っても、狂言でわかる中世の生活習慣や流行っていたもの、当時のお酒とはどういうものだったか、狂言ではお酒の飲み過ぎや連歌にうつつを抜かし過ぎての離縁の話があることなど、ユーモアも交えて解り易く話されました。
「貰聟」 大酒のみの酔っ払って男が家へ帰って、妻がすぐ出てこなかったことやお酒の用意をしないのに腹を立て「出て行けー」となるわけで、妻は泣きながらもほとほと愛想が尽きたと実家に帰ってしまい、翌日酔いが醒めた夫があわてて迎えに来るが、舅が居ないと言い張るものの、子供が待っていると言われると妻はそわそわ覗きに出てきて見つかってしまいます。 さあ、妻は絶対帰らないといったくせに、もう帰りたくてたまらない。怒った舅と夫が取っ組み合いの喧嘩になると、妻は夫の味方をして父親の足を取り、倒してしまいます。 仲良く帰っていく二人の後姿に舅は「来年の祭には呼ばぬぞよ」と言うのですが、和泉流で見たものはいつもこの終わりかたでしたが、追い込んで終わる型もあるそうで、こちらの家ではその方が多いらしく、十郎さんは今日初めてこの科白で終わる型をやるとのことでした。 仲良く帰る後姿に親を倒すとはなにごとと文句をいいながら、正面を向いて「まあ、いいか」とにこっと笑ってから、また二人の行った方に向かって「来年の祭には呼ばぬぞよ」と言うのです。複雑ながら二人が仲直りしたことにほっとしている親の心情のほうがはっきり出ている終わりかたでした。 聟役の富太郎さんは体格が良くて声も大きく、酔っ払って目がすわっているような感じも迫力ありました。 善竹十郎さんはなんというのか、飄々とした中に雰囲気のある方です。品の良さと、でも気取らない感じが良いです。
「木六駄」 大蔵流の「木六駄」を観るのは初めてですが、和泉流とはずいぶん違うところがあって興味深いものでした。 和泉流だと、太郎冠者が主人に雪の中、伯父のところへ木六駄と炭六駄を12頭の牛に乗せて追っていくように言われ、渋るものの綿入れの着物をやろうという言葉に喜んで行くわけですが、大蔵流では主人のいい付けなので、渋るものの「お前しかいないから頼む」と言われて「それならばやむを得まい」と承知し、主人が荷造りを手伝ってやろうと言って二人で引き揚げていきます。 牛を追うのも、むちは脇につけてもったまま、ほとんど使わず声だけで追っていて、牛も「まだら」とか「小黒」とか名前を付けて牛に話し掛ける場面が多くなっているのが面白く、より牛に対する親しみを感じました。 崖に落ちそうな牛を引っ張るのに、橋掛かりを揚幕の前まで戻って欄干に片足を乗せて引っ張る仕草をしたり、くつを切ってしまった牛にまた履かせるのが脇柱のところではなくて、目付け柱のところだったり、細かい違いはたくさんありました。 茶屋の主人も太郎冠者と以前から知り合いのようで、顔を見るなり「太郎冠者ではないか」と言って中へ入れます。 太郎冠者は茶屋に入る前から謡っていて、二人の酒宴では、十郎さんと吉次郎さんが顔を見合わせては大笑いする様子など、本当にお酒好きの人という感じで、こっちまで顔がほころんでしまうほど楽しそうでした。 和泉流を見慣れているとなんか新鮮な感じがするし、太郎冠者と主人や茶屋との関係やそれぞれの気持の設定に微妙な違いがあるのが面白く、また違う解釈や見方ができます。 |
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| 2005年10月7日 (金) |
萬斎 イン セルリアンタワー |
場所:セルリアンタワー能楽堂19:00開演
解説 野村萬斎
「苞山伏」使いの者:高野和憲、山人:月崎晴夫、山伏:深田博治
「止動方角」太郎冠者:野村萬斎、主:石田幸雄、伯父:野村万之介、馬:時田光洋
解説は、RICCさんサイトに詳しく出ていますので、あえて省略。
「苞山伏」はあまり演じられることが少ないらしく、初めて観る演目です。 山伏ものの狂言といえば、威張っている法力自慢の山伏が失敗して笑われたりすることが多いのですが、この山伏は法力も効くし人の良い山伏です。 「苞(つと)」というのは、納豆などのわらの包みのことで、この場合はおにぎりなどをわらに包んで持っていったお弁当です。 山人が薪取りに出かける途中の山道でまだ朝早いので眠り込んでしまい、そこへ来た山伏も長旅の疲れで寝てしまいます。そこへ使いの者が通りかかり山人のお弁当を盗み食いしてしまい、山人が起きそうになるとあわてて苞を山伏の方へ放って寝たふりをします。しかし、道端でよく寝てしまうもんだ。舞台の上で3人ともゴロンと横になって、たしかに狂言ではよく寝る場面が出てくる(笑) 山人のお弁当を盗み食いするところの高野さんの山人に背を向けて「あむあむあむ」と食べる様子や起きそうになった時の慌てた様子、目の表情が可愛い。山伏の方に放ったものの、また山人が寝てしまうと見るや、拾って食べるいじましさ、よっぽどお腹がすいてたんでしょう(笑) 山人が起きると、山伏に罪をなすりつけて3人で大騒ぎになり、山伏が犯人を祈りだしてやるということに、隙を見て逃げようとする使いの者はいきなり動けなくなり捕まってしまうのですが、「もうしません」と改心したから山伏は許してやろうとするもののお弁当を食べられた山人は気が済まず、鎌を振り上げて追いかけます。山人をなだめて使いの者を逃がそうとする山伏と3人追い込んでの幕入りです。使いの者は逃げる時もまだ体が効かずぎくしゃくした動きで逃げて行きます。 実直そうだけど短気な山人、人のいい山伏、小ずるい使いの者と3人3様に役にぴったりはまって、若手(?)3人だけでも十分見応えのある狂言になっていました。
「止動方角」 何回か観ているので、あらすじは省略。 これは好きな演目の一つです。昔の封建社会で主従関係をよくここまで大胆に表現したものだと思います。いつの世も変わらぬ共感できるものがあるから今も続いているんでしょう。 萬斎、石田コンビでやることが多いのか、以前観たのもやはりこのコンビでのもので、息はぴったりです。馬が今回は変わったくらい(笑)萬斎さんが太郎冠者をやるのが圧倒的に多いですね。この萬斎太郎冠者だと、すねた感じや茶目っ気があって可愛いし、結構好きですが、石田さんが太郎冠者をやったのを一度だけみましたが、それもぴったりな感じで、返って自然でしっくりくる感じもしました。 気前のいい万之介伯父も、使いに来た太郎冠者に「いつも返してくれたためしが無い、今度はきっと返しておくれ」と念を押すあたり、日頃からの主人の身勝手ぶりが伺われます。 しかし、短気で身勝手な主人の振る舞いに腹を立て、わざと馬を暴れさせて、馬に乗りたくないという主人の代わりに馬に乗り、「御主人が出世したら自分も人を使うことに慣れておかないといけない」などと言って、「人が見ていないから人を使う真似事をしてもいいですか」と、うまく乗せて主人の言った事をすっかり真似て仕返しするなど、最初はびくびくしながら、だんだん大胆になってくる。何度みても笑えます。 やっぱり、いやな上司に一度は仕返ししてみたいという誰もが考えることを、やってしまう爽快さ、面白さがこの作品の飽きないところなんでしょう。 |
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| 2005年10月5日 (水) |
飛鳥山薪能 |
場所:雨天のため、北とぴあさくらホール19:00開演
舞囃子「羽衣」和合之舞と能「小鍛冶」の前シテの童子をやる予定だった木村薫哉さんが病気のため「羽衣」の舞は平井俊行さんが、「小鍛冶」の前シテは後シテと同じ梅若六郎さんがされました。 狂言「蝸牛」は、(山伏)野村萬斎、(太郎冠者)野村万作、(主)高野和憲の配役 万作さんの太郎冠者での「蝸牛」はテレビの「にほんごであそぼ」でちょっと観たくらいで、舞台では初めてでしたが、やっぱり親子だと息がぴったり、主が来て山伏が太郎冠者の袖をひいて囃子ものを催促すると太郎冠者がついついのって囃してしまうところなど、山伏も太郎冠者もちょっとした表情の変化がとても良いし、間、息が合っているという感じが気持ち良い。高野さんの主も最後に面白そうだという時の表情が良かった。 万作さんの太郎冠者の軽みと味は秀逸!萬斎山伏とのコンビの「蝸牛」は、今まで観た万作家の「蝸牛」では、やはり一番良く、これだけでもいいものを観たという気がしました。
能『小鍛冶』白頭 童子・稲荷明神:梅若六郎 三条宗近:森常好 橘道成:森常太郎 間 宗近の下人:深田博治 笛:松田弘之、小鼓:鵜澤洋太郎、大鼓:安福光雄、太鼓:助川治
今回は、白頭の小書付き、稲荷明神が白狐になるわけですが、それに白式という前シテの童子も後シテの稲荷明神も全部白装束というもの。 解説の時、横浜能楽堂館長が白狐の狐足について話そうとして「私が話しても梅若六郎さんはいつも違う事をされるから、やめておこう」などと言っていましたが、どうだったでしょう。 ただ、以前観た喜多流の「小鍛冶」白頭の独特な狐足の動きとは違うような気がしました。 今回は初心者向け薪能ということで夫君を連れて行ったのですが、やっぱり能は難しいと言ってました。「小鍛冶」は話は単純で華やかだから面白いんですが、感覚で観てしまう私と違い、言葉で理解しようとするから難しいと思っちゃうんでしょうね。 |
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| 2005年10月1日 (土) |
新作能『ジゼル』 |
場所:新国立劇場オペラ劇場 17:45開演
演出=梅若六郎 脚本=水原紫苑 狂言台本=山本東次郎
ジゼル:友枝昭世 アルブレヒト:梅若晋矢 大樹の精:山本東次郎
笛:松田弘之、一噌幸弘 小鼓:鵜澤洋太郎 大鼓:亀井広忠 太鼓:助川治
地謡:観世喜正、中所宜夫、鈴木啓吾、角当直隆、古川充、 佐久間次郎、坂真太郎、内藤幸雄
新作能『ジゼル』はバレエの『ジゼル』の物語を能独自の作劇法により再構成されたもので、ウィリ(精霊)の女王ミルタとジゼルを背反する人間の感情「黒のジゼル」と「白のジゼル」として表現しています。 舞台装置は、バレエ『ジゼル』第2幕でも使う森の中のセットで真中に白い敷物(素材は何か解りません)が能舞台のように敷かれ、緑の葉がついた作り物が置かれています。囃子方と地謡は舞台右奥に並んでいて、右端の私の席からは残念ながら笛方の姿が見えません(泣)。 山本東次郎さんの大樹の精が出てきて(頭に緑の葉を付け、黒頭に面をかけていました)人間ほど不可解なものは無い、自分達とは違い人間とは何と喜怒哀楽に心ゆらすものだろうかと。しかし、人間の性は元来善なるものなれば、ジゼルの霊を弔いにアルブレヒトが来るであろうと予言します。東次郎さんの明晰な語りはわかりやすく、語りの後は右端の鬘桶に座り、静かな森に佇む木になったように能が終わるまでピクリとも動きませんでした。 やがて自己の罪に打ちひしがれたアルブレヒトがジゼルの墓に許しを請いにやってきます。梅若晋矢さんは直面で襟元に白い布を巻き十字架を下げています。ジゼルの霊を待っていると、夜になり墓の中から「黒のジゼル」が現れます。友枝さんは黒地の舞衣に冠を被っています。 黒のジゼルはアルブレヒトを死者の国へ連れて行こうと、十字架を置いて自分のところへ来るように促し、静かに思い出を語ります。舞の上手なジゼルとどこからか来たアルブレヒトが恋に落ち収穫祭の日。 地謡の「さてこのたびはよろこびの宴なさんと思いしに、おりしも聞こゆる角笛よ。」黒のジゼル「これこそわれの滅びの音」ここで角笛が吹かれます。一噌幸弘さんのライブで聞いた事のあるあの角笛の音、メロディ―です。能と角笛の不思議な合体、角笛を吹ける笛方は幸弘さんしかいないでしょう。このために幸弘さんが絶対必要だったんだなと思いました。笛を二人一緒に吹いている事はなかったようなので、パートを分けて吹いていたのではないでしょうか、でも、笛方が見えない席なのが残念。 見物に来た貴族の娘が、アルブレヒトを自分の婚約者だと告げたことで、失意のジゼルは狂乱し剣で自らを刺して死んでしまう。この時の友枝さんの心の乱れを現す舞い、悲しみと狂乱の表情が見えました。最後に地謡の「御手の御剣奪い取り、すらりと抜きて喉元に」で正先に立ち、首のところに扇を持ってきてピタリと止まる。 アルブレヒトは悪霊となっても恋しい、君を悪霊にしたのは自分の罪、共に魔界へ赴かんと、十字架を捨てジゼルと相舞を舞います。 美しい相舞いですが、やがてジゼルは舞いをやめて恋人の舞いを見つめています。地謡が「舞え舞え狂え」「倒れ付すとも許さじ」と謡いアルブレヒトが「舞いに死ぬるは我が望み、いとしき者よ命とりたまえ」と、晋矢さんはくるりくるりと回ったり、その回り方はもちろんバレエとは違う能の回り方ですが美しい。最後に両膝そろえてサっと飛び上がって座り、倒れたことをあらわします。 その姿を見つめていたジゼルは我に返り、アルブレヒトを助け、その真の愛に自分も魂が救われて「白のジゼル」となってあらわれます。黒の舞衣を脱ぎ捨て冠をとって白の長絹を纏って出てきた友枝さんが、静かに美しく舞を舞い終わると、能楽堂とは違い、暗くなった舞台にスポットライトが当てられて静かに幕が下りて終わりました。 40分ぐらいで、能としては短かったですが、もっと観ていたいくらい飽きることなくうっとりの舞台でした。 |
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