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能楽鑑賞日記

2005年11月29日 (火) 狂言「ござる乃座」34th
場所:国立能楽堂 19:00開演

「無布施経(ふせないきょう)」
  僧:野村萬斎、施主:野村万之介

舞囃子「頼政」香川靖嗣
  大鼓:國川純、小鼓:曽和正博、笛:松田弘之
  地謡:井上真也、大島輝久、佐々木多門、塩津哲生、狩野了一

「通円」
  通円:野村萬斎、東国の僧:高野和憲、所の者:竹山悠樹
    地謡:深田博治、石田幸雄、野村万作、野村万之介、月崎晴夫

「無布施経」
 毎月、読経のため施主を訪れる僧が、例月のごとく施主の家へ行き、勤めを終えて食事の接待を受け、帰ろうとするが、施主はいつも鳥目十疋(銭百文)の布施を出すのを忘れているらしい。僧はしかたなく帰ろうとするが、これが例になっては困ると引き返し、直接的には言いにくいため「ふせ」にかけた言葉で思い出させようと「臥せり過ごした(寝過ごした)」という言い訳をしたり、説教の中で「ふせ」という音を強調してみるも、一向に気付く気配がない。
 やはりあきらめて帰りかけるが「布施無い経には袈裟を落とす」という言葉もある。どうしても布施を思い出してもらおうと袈裟を懐に隠し、袈裟を落としたと言い、袈裟には鼠十疋も通る穴を開けたので、ふせ(伏せ)縫いにしてあるからすぐ解ると言う。やっと布施を渡し忘れている事に気がついた施主が布施を渡そうとするが、今度は体裁を気にして素直に受け取れない僧ともみ合う内、僧の懐から無くしたはずの袈裟がポロリ。僧は「面目ない」と施主に詫びて帰っていくのでした。

 「布施無い経には袈裟を落とす」というのは、布施の出ないような無報酬の仕事には袈裟を用いず粗略に対応するということわざだそうです。今は、あまり聞きませんね。それにかこつけて、袈裟を落としたという言い訳もなんとも可笑しい。
 この僧は高僧でもなく、小さな寺の坊さんで、いつも沢山の布施をくれる檀那のところへ行く事で例月の収入として当てにしているという姿が見えてきます。
 けれども、宗教者としての建前もあり布施が欲しいとは言えない。その葛藤が、なんとか布施を思い出させようとして「ふせ」の音を含んだ言葉を重ねる滑稽なやりとりになるわけです。欲を捨てきれず、欲に負けてしまう生臭坊主なのですが(笑)
 この狂言は宗教者のそんな姿を皮肉っているようにも見えますが、誰にでもある良い心と悪い心の葛藤。最後には嘲笑よりも哀愁を含んで、坊さんもいけないと思いつつ欲に負けてしまう私たちと同じ人間なんだよという、むしろ狂言らしい暖かさが感じられます。
 僧の布施に執着する欲心と良心の葛藤、心の機微を嫌味も無く自然に表現するのは、年齢もいったベテラン狂言師でないとなかなか難しいものだと思います。
 萬斎さんの演技には、表面的なものでは無く、その心の動きを表現しようとしていたことが感じられます。千作さんや万作さんの僧を観てしまうと、まだまだだなと感じてしまいますが、来年40を迎え中堅になっていく身としてはこういう役をやることも多くなっていくと思いますし、内面に切り込んだ役作りへの挑戦にこれから期待が持てました。
 万之介さんの施主は、おとぼけな感じの間がなんともいえない味を出していました。
 
舞囃子「頼政」
 源頼政の亡霊が宇治川の合戦から、平等院の庭で自害するまでを語る舞囃子です。
 塩津さんは真一文字に口を結び、その舞は武将らしくキレのいい動きで、足の運びは床に吸い付くように美しく、地謡も気合が入っていて、今、能界で一番活気があると言われる喜多流の充実ぶりを感じさせる素晴らしい舞囃子でした。

「通円」
 これは能『頼政』の後半部を凝縮し、徹底的にパロディ化した狂言です。
 今回は「頼政」と「通円」の詞章を並べてプログラムに載せるだけでなく、舞囃子の「頼政」を前にいれることにより、その謡だけでなく舞の型までパロってる徹底ぶりが面白く、とても良い企画だったと思います。
 当時は「頼政」の能がポピュラーであり、誰もが解ったのでしょうが、今は能を見ていない人も多く、そういう見所にも当時の面白さを味わってもらいたいという試みだったのではないでしょうか。

 宇治を訪れた旅僧が宇治橋のたもとの無人の茶屋に茶湯が手向けられているのを見て不思議に思い、ところの者に尋ねると、宇治橋供養で茶を点て過ぎて死んだ茶屋坊主・通円の命日に当たる日であると言われる。乞われるまま菩提を弔っている僧の前に通円の亡霊が現れ、都から来た300人の修行者に茶を点てた後、平等院で亡くなった最後を謡い舞い、供養を頼んで消えていく。

 旅僧役の高野さんは装束こそ狂言の新発意が旅姿の括り袴をはいたような格好ですが、能のワキを意識した重厚で朗々とした謡い、ところの者の竹山くんも能のアイのように重々しい語りで完全に能懸かりです。
 もちろん、ワキの謡いももじってあります「思い寄るべの波枕(くりかえし)汀も近し此の庭の芝を片敷きて、夢の契りを待とうよ(くりかえし)」が「思い寄るべの茶屋の内(くりかえし)莚(むしろ)もふるき此の床に、破れ衣を片敷きて、夢の契りを待とうよ(くりかえし)」という具合です。
 通円が床机に座って語るところも、頼政が床机に座って語るのと同じ。
 地謡が「名のりも敢へず三百人、口わきをひろげ茶を呑まんと、群れ居る旅人に大茶を点てんと、茶杓を追っ取り簸屑どもを、茶々と打ちいれて、浮きぬ沈みぬたてかけたり」で、茶碗、茶筅、柄杓を用いてチャチャっと茶を点てて、せわしなく差し出すユーモラスな仕草。「頼政」では「名のりも敢へず三百余騎(略)群れいる群鳥の翼を並ぶる羽音もかくやと白波に。ざっざっと打入れて浮きぬ沈みぬ渡しにけり」と戦いの様を表しているわけです。正に通円にとっては倒れるまで茶を点てるんですから戦場です。
 最後に平等院で頼政が扇を敷き鎧を脱ぎ捨て座を組んで、刀を抜いて自害するところは、団扇を敷いて衣脱ぎ捨て座を組んで、茶せんを持ちながら疲れ果てて死んでしまうわけです。

 今回はかなり能を意識した演出で、もしかしたらこれが元々のものなのか?茶を点てる時のユーモラスな仕草等が短かったわりに、能の舞との対比が鮮明になって、非常に楽しめた「通円」でした。
 能の『頼政』もちゃんと観てみたくなりました。

 プログラムに書いてありましたが、通円さんの初代は頼政の家臣で主人の後を追って討死し、橋の東詰に住む子孫が橋守を勤め茶屋を営んで、現在23代になるそうです。
2005年11月25日 (金) 神遊 第31回公演
場所:観世能楽堂 19:00開演

狂言「鴈礫」(がんつぶて)
 シテ(大名):善竹十郎
 アド(仲裁人):善竹富太郎
 アド(男):善竹大二郎

仕舞「鐘之段」観世喜之
   地謡:桑田貴志、佐久間二郎、遠藤喜久、小島英明

能『求塚』
 シテ(菜摘女・菟名日処女の霊):観世喜正
 ツレ(菜摘女):古川充、鈴木啓吾、馬野正基
 ワキ(旅僧):森常好
 ワキツレ(従僧):舘田善博、則久英志
 間(所の者):善竹十郎
   大鼓:柿原弘和、小鼓:観世新九郎、太鼓:観世元伯、笛:一噌隆之
   地謡:桑田貴志、小島英明、佐久間二郎、藤波重孝
       藤波重彦、岡久廣、武田志房、浅見重好
                            後見:遠藤喜久、観世喜之、奥川恒治

 神遊公演が『求塚』ということで、『求塚』観たさに行ってきました。

「鴈礫」
 初めて観る演目です。
 都の大名が弓で鴈を射ようと狙っていたところ、通りすがりの男が石を投げて見事仕留めてしまい、持って帰ろうとします。せっかくの獲物を横取りされた大名は納まらず、弓矢で脅して取り上げようとするのですが、驚いた男が助けを呼び、別の男が仲裁に入ります。仲裁の男は死んだ鴈を元の所に置いて、もう一度弓で射てみるよう勧めるのですが、さて、大名は鴈を射止められるでしょうか・・・。
という話です。大蔵流では、洞烏帽子を鴈に見立てているそうで、脇柱側に洞烏帽子が置かれました。
 弓矢を携えた善竹十郎さんの大名が、「ご存知の者でござる」と、威張って名乗りを上げます。鴈を見つけて弓に矢を番える大名。十郎さん、間違えたのか、わざとなのか、矢羽の方を先に、反対に弓に番えて「これは、いかなこと」と直します(笑)大名の弓の腕前がどれほどのものか、示しているようで、これも元々の演出なんでしょうか?
 弓矢を構えては「ここは遠すぎる」などと場所を変えているうちに、橋掛かりを「急がしや、急がしや」と走り出てきた大二郎さんが鴈を見つけ、近くにあった石を投げて見事仕留めてしまい、持っていこうとします。もたもたしている大名にくらべ、男の行動のすばやい事(笑)
 自分が狙っていたのにと怒った大名、文句を言っても鴈を渡さない男に弓矢で脅して取り上げようとします。これには驚いた男が助けを呼ぶと、橋掛かりの間座で控えていた富太郎さん登場!仲裁を買って出ます。
 恰幅のいい富太郎さん、この人も中々面白い雰囲気を持っています(^^)
 両方の言い分を聞いていると、どうやら男の言う事の方が理がある。でも、大名は納得しない。そこで、仕留めた鴈を元の所に置いて、大名が射止められたら大名の物、外したら男の物にしようと言い出します。もちろん、男の方は生きている鴈を仕留めたのに、死んだ鴈では簡単に射止められると文句をいいますが、仲裁人は男に「見れば、あの様子では下手そうだから大丈夫」と耳打ち、この時の富太郎さんのちょっと笑って大名を馬鹿にしたような表情がいい。
 さて、鴈を元の所に戻して、大名が射ようとしますが、なにやかやと段々近くに寄って来る、「こらこら、そんな近くじゃなかった」と元に戻し、「そこから射てみよ」と言われ、しぶしぶ大名が矢を放つと、矢はすぐそばにポトリ(笑)
 男はさっそく鴈を取り、怒る大名に仲裁人が間に入り、最後には「せめて羽だけでも」といじましい大名。笑って逃げて行く二人を大名が追いかけて幕入り。
 単純なストーリーで短い演目ですが、3人の雰囲気、演技で充分楽しめる面白い曲でした。

仕舞「鐘の段」
 能『三井寺』の鐘尽くしの段を仕舞で見せるものです。
 寺の鐘の音を「諸行無常」「寂滅滅い」「是しょう滅法」(聞き取りのため字は定かではありませんので悪しからず)と響くと謡いながら鐘を撞く様子を交えて舞う静かな舞です。観世喜之さんが格調高く舞っておられるように感じました。

『求塚』
 都へ向かう西国の僧が、生田の里で休んでいると、菜摘の女達が現れ、万葉の古歌を引いて歌い楽しそうに菜摘みを始めた。それに誘われて僧が万葉の古事・求塚の在り処を尋ねるが、娘たちは笑って相手にならない。そのうち菜摘を終えて帰っていく娘たちの内、僧が最初に話した娘だけが残り、僧を求塚に案内し、求塚の故事を話しはじめた。
 昔、この地に菟名日処女(うないおとめ)という美しい娘があり、小竹田男(ささだおのこ)、血沼丈夫(ちぬのますらお)の二人の男に同時に求婚されていた。どちらとも決めかねた娘は親の勧めに従い、生田川に遊ぶ鴛鴦の番を指し、あれを見事射当てた方を選ぶと告げる。ところが、二人の射た矢は同時に鴛鴦に当たり、何の罪も無い水鳥まで殺したのは我が科と、思いつめた娘は二人を帰した後、川に身を投げてしまう。その死を知った二人の男も、娘を葬った塚の前で刺し違え、後を追ってしまうのだった。
 語り終えた娘は、僧を見つめ、全ての科のもととなった罪深い身を助けたまえと言い置いて、ふっと塚の内に消えていった・・・中入
 アイの所の者が通りかかり、僧を見つけて求められるまま、求塚の謂れを語る。 話を確かめ、塚に読経していると、やがて塚の中から菟名日処女の霊が憔悴した姿で現れた。乙女は左右の手を小竹田男、血沼丈夫に取られ煉獄へ連れられて、死して後も執心から逃れる事もできず、煉獄の火炎と焦熱に焼かれ、鉄鳥に責められる様を見せて、僧へ助けを求めながらまた塚の中へと消えていくのであった。

 非常に重い内容の能というか、激しい動きも美しい舞も無いけれど、凄まじい能です。
 大柄な観世喜正さんですが、美しい女にみえました。面はツレの方たちの小面とはちょっと違う感じで、口角の上がった可愛さを強調した小面ではなく、品と美しさを感じる、もしかしたら増女の面ではないかと思いました。
 アイの善竹十郎さんの語りも良く、どうやらアイの語りでは二人の男も乙女の塚の両脇に葬られたようです。
 塚から現れた乙女の霊は煉獄の炎に焼かれ憔悴した痩女の面、僧の祈りで少し晴れ間が見えたというものの、死しても苦しみの中にいる姿を語り、一度塚から出てきますが、炎が消えて真っ暗闇になった中、再び火宅の塚を求めてその中に消えていってしまいます。
 それほどまでに責められねばならない娘の罪とは何なのか、本意ではなくとも罪無き鳥を殺させ、二人の男を苦しませ、死なせた罪なのか・・・。それとも、娘がこれも前世の業と言ったとおり、全ての科を作ったことももっと深い前世からの避けがたい業によるものなのか・・・。
 観世喜正さんの静かな舞が、憔悴した女の霊の哀しみ苦しみを表現して重い余韻を残す能でした。
2005年11月19日 (土) 五十五世梅若六郎二十七回忌追善別会能(第一日目)
場所:梅若能楽学院会館 11:00開演

仕舞「杜若」キリ 梅若六郎

能『鷺』
 シテ:角当行雄
 ツレ:梅若慎太朗
 ワキ:森常好
 ワキツレ:舘田善博、森常太郎、御厨誠吾、井藤鉄男、梅村昌功、高井松男
 アイ:野村万之介
 笛:松田弘之、小鼓:観世新九郎、大鼓:柿原崇志、太鼓:小寺真佐人

狂言「清水座頭」シテ:野村万作、アド:野村萬斎

仕舞「通盛」井上燎治
  「誓願寺」キリ 赤瀬雅則
  「隅田川」森田宰永

能『巻絹』惣神楽
 シテ:梅若靖記
 ツレ:山中(牙にしんにゅう、変換できません)晶
 ワキ:大日方寛
 アイ:深田博治
 笛:一噌隆之、小鼓:亀井俊一、大鼓:柿原弘和、太鼓:金春國和

仕舞「実盛」会田昇
  「羽衣」鷹尾祥史
  「鵺」松山隆雄

能『安宅』滝流
 シテ:山崎正道
 子方:山崎友正
 シテツレ:鷹尾維教、鷹尾章弘、角当直隆、内藤幸雄、松山隆之、川口晃平、
       小田切康陽、梅若基徳
 ワキ:殿田謙吉
 アイ:野村萬斎、高野和憲
 笛:一噌幸弘、小鼓:成田達志、大鼓:山本哲也

 後見、地謡は省略しました。

 間に20分と15分の休憩が入って午後4時半ころ終わりました。
 毎日寝不足気味のところ、11時からの公演は行く時間を入れると朝も早くから起きないとならないので、初めから眠気が抜けず絶不調により、能、仕舞については、あまり書けません。
 
『鷺』
 帝が帝臣たちを従えて神泉苑に夕涼みに出かけると、池の汀に1羽の鷺がいたので、帝が蔵人に捕らえて来るよう命じる。蔵人が近づくと、鷺は驚いて飛び立ってしまったが、「勅諚である」と呼びかけると、おとなしく下りてきて抱き取られた。帝は感心し、蔵人とともに鷺にも五位の位を授け、鷺は喜び舞い遊び、やがて許されて飛び去っていく。という話
 帝役の若い梅若慎太朗さんがなかなか、品と美しさのある帝でした。
 シテの鷺は少年か還暦を過ぎた役者が直面で演じるものとされているそうで、白づくめの装束で「鷺乱れ」という鷺の動きを取り入れた特殊な舞が見どころで面白いものでした。

狂言「清水座頭」
 何回か観た演目ですが、今回は万作さんの座頭に萬斎さんの瞽女という配役。
 萬斎さんの瞽女はしっとりと品のいい女という感じで、石田さんの庶民的な感じとはやはり違っています。万作さんの座頭は、杖をついて橋掛かりを出てきた時から、万作さんの世界が出来ているという感じを受けました。今回は正面の右よりの席だったため、橋掛かりの揚幕のところから良く見えたせいもあり、こちらへ向かってくる万作さんの姿に一つの完成された世界のようなものを感じて圧倒されました。ここまでくるにはまだまだ先は長いです。
 平家語りの内容は解っていて、可笑しいのだけれど、やっぱり何となく笑ってはいけない雰囲気なんですよ。最後まで、しっとりと品良く美しい雰囲気で、それはそれで素敵なのだけれど、年齢的にも雰囲気的にも万作さんの座頭なら石田さんの瞽女のほうが合うように思った私です。

能『巻絹』惣神楽
 勅命により千疋の巻絹を国々から集め、熊野権現に奉納することになり、熊野に派遣された勅使が都からの巻絹到着を待っている。一方都の男は、途中音無天神に参詣し、咲き匂う梅に心惹かれ、心中ひそかに一首歌を手向けて来たため、納める期日が過ぎてしまった咎で、勅使の従者に縛り上げられてしまう。そこへ音無天神が憑いた巫女が現れ、男が前日、天神に和歌を手向けたことを明かし、縄を解いてくれる。そして、和歌の徳をのべ、神前に祝詞を捧げ神楽を奉ずるが、次第に神がかりして物狂わしい様子になり、やがて、神は上がり、狂いからさめる。という話。
 神楽を舞う巫女がだんだん物狂いになり最後に梅の枝を投げて、ふっと憑き物が落ちて我に返る、その緩急が見どころでした。

能『安宅』
 今年は『安宅』も何回か観ました。弁慶役のシテと義経役の子方は親子でしょうか、よく似ていました。
 シテの弁慶は体格も顔もなかなか迫力のある方で、それに、笛、小鼓とも私の好きな方たちですが、大鼓も3人ともかなり気合が入ったお囃子で、それは迫力ものの『安宅』でした。『安宅』はやっぱり面白くていいです。
2005年11月9日 (水) 新作狂言「居眠り大黒」
場所:国立能楽堂 18:30開演

「萩大名」大名:茂山千五郎、太郎冠者:茂山逸平、庭の亭主:茂山あきら

新作狂言「居眠り大名」解説:瀬戸内寂聴
     大黒天:茂山千作
     大経師・以法:茂山七五三
     番頭・与兵衛:茂山正邦
     以法の妻おさい:茂山茂
     坂本の女:茂山逸平

「二人袴」舅:茂山千之丞、聟:茂山童司、兄:茂山正邦、太郎冠者:佐々木千吉

「萩大名」
 千五郎さんの持ち味で、あまりお馬鹿で可愛い大名という感じはしません。ちょっと威張って、こわそうな大名ですが、それが太郎冠者が教えた31文字の和歌が覚えられず、途中で太郎冠者が呆れて帰ってしまうのももっともと思ってしまいます。でも、太郎冠者と打ち合わせたカンニングがうまくいかず、トンチンカンなやり取りになるところはやはり面白くて大いに笑えます。

「居眠り大黒」
 始まる前に瀬戸内寂聴さんが、新作狂言を作った経緯などを話されました。
 天台宗開宗1200年記念行事の一環として、古典芸能を奉納する行事があり、新作狂言の台本を書くように宗命があって書くことになったとのことです。
 比叡山延暦寺の境内に祀られている「三面出世大黒天」を主題にした古典狂言を頭に置き、全く違った筋立てを考えたそうです。狂言は短い話の中に笑いと社会風刺があってとても難しいとおっしゃっていました。
 また、初演の時は千作さんが足の具合が悪く、あまり歩けなかったので眠らせておく事にしたとか、科白は覚えられないと言うので古典狂言にある科白を使ったという話もありました。
 京都・油小路に住む大経師・以法という男が、月初めの吉日に比叡山「三面出世大黒天」に太郎冠者を連れて月参りに行くというのですが、その実はいつも頭の上がらぬ妻の目を盗んで、麓の坂本の愛人宅へ泊まりに行くつもりです。
 いつも主人の代わりに参篭させられる番頭は面白くなく、一計を案じて、この機会に二人を離縁させ、婿養子の主人を追い出して後釜に座ろうと企みます。
 番頭は、夢に大黒天が現れ、いつも番頭を身代わりにして、参詣に来ない以法に大変怒っていたと言い、以法を独りで月参りに行かせます。
 比叡山の山王神社まで大黒天を下ろして先回りした番頭が待っていると、愛人と別れを惜しみながら主人が現れ、番頭は大黒が居眠りしているのをいいことに、影に隠れて大黒のふりをし、番頭にそそのかされた妻も棒を持って現れます。
 二人を見て怒った妻は棒で愛人を叩き、止めようとする以法も叩いて大騒動。やっと目を覚ました大黒さん、ここで、他の人間は時間が止まったようにフリーズ。叡山の僧による声明の声が流れてきます。
 大黒さんは、大黒天の謂れを語り、居眠りしていてもちゃんと聞こえていると、番頭の悪事を暴き、3人の諍いなど聞かぬ、勝ってにせいと言って拍子にのって帰ろうと言います。4人が拍子を打ち、大黒天はその拍子にのって帰っていくのでした。橋掛かりにかかる頃、また、声明が流れて終わりました。
 番頭の与兵衛など、まだ説明的な科白が多い気はしましたが、妻が夫のことを大経師・以法ではなくて色ボケ阿呆だと言ったり、与兵衛のことを今日からヨン様と呼ぼうなど今日的なことも入れつつ、古典の雰囲気のある新作でした。声明も雰囲気に合っていました。
 なんと言っても、やはり、千作さんの存在そのものがポイント。居眠りしている姿も、拍子にのって帰る様子も可愛くて、それだけでも楽しくなってしまいました。(^^)

「二人袴」
 童司くんの聟、正邦さんが父ではなくて兄という設定です。配役によってそういう設定もあるそうで、狂言の自由さです。 
 童司くんもまだ子供っぽい聟さんを楽しそうに演じて、なかなか良かったです。
 和泉流とは科白も動作もいろいろ違いがあり、こちらの「二人袴」も大変面白いです(大笑)から、観たことが無い人は是非見比べてみると良いでしょう。
 こちらのほうが、子供っぽさ強調されてる気がしますが。
 
2005年11月6日 (日) 友枝会
場所:国立能楽堂 13:00開演

能『浮舟』
 シテ(里の女・浮舟の霊):友枝昭世
        ワキ(旅僧):宝生閑
       アイ(所の者):野村扇丞
         大鼓:柿原崇志、小鼓:北村治、笛:一噌仙幸
         地謡:粟谷浩之、金子敬一郎、狩野了一、佐々木多門、
             粟谷明生、粟谷能夫、粟谷菊生、出雲康雅
                                後見:粟谷辰三、中村邦生

狂言「舟渡聟」シテ(船頭・舅)野村萬、アド(聟)野村万蔵、アド(姑)小笠原匡

半能『石橋』
   シテ(白獅子):友枝昭世
   ツレ(赤獅子):友枝雄人
   ワキ(寂昭法師):宝生欣哉
         大鼓:國川純、小鼓:観世新九郎、太鼓:金春惣右衛門、笛:一噌隆之
         地謡:粟谷充雄、佐藤章雄、内田成信、大島輝久、
             谷大作、大村定、香川靖嗣、長島茂
                             後見:内田安信、塩津哲生、佐々木宗生

『浮舟』
 初瀬から都へ向かう旅僧が、宇治で柴舟を操る里の女に出会い、名所を尋ねると女は薫の中将と契りを結んだ浮舟が、兵部卿の宮とも通じることとなり、二人の男への愛の苦悶から宇治川に身を投じた子細を語ります。
 僧が住家を問うと、女は比叡の麓の小野の里に住み、物の怪に悩む身だと告げ、法力の救いを頼んで消えます。
 アイの所の者が現れ、僧の尋ねに謂れを語って、浮舟の霊が尊い僧の姿を見て出てきたのであろうと述べ、小野の里を教えて去ります。
 読経する僧の前に浮舟の霊が現れ、宇治川への入水時の怪異を述べ、横川の僧都に助けられ僧の加持を得て都率天に往生した喜びを語り、報謝の舞いを舞って消えて行きます。
 白の着物の上に黄色の水衣の前シテと赤い長袴に唐織の着物を羽織った後シテは出てきた時から雰囲気が違いました。後シテのほうが高貴な女性という感じがします。物の怪に憑かれて狂う舞いと白い長絹を羽織っての報謝の舞、語るときの悲しげな表情にも惹かれてしばしうっとり。
 アイの扇丞さんも声が良くて、妙な力が入る話し方ではなくて聞きやすく、まだ若いけれど、この人のアイもわりと好きです。

「舟渡聟」
 萬さん、万蔵さん親子の舅と聟、萬さんのお酒を飲む時の表情は本当にうれしそう。結構、重々しくなることが多い萬さんですが、こういう役は軽みも出ていい感じです。万蔵さんも真面目だけど表情ある聟さんで、最後の二人の謡い舞いも美しく、特に、まだまだ萬さんは声が良いなあと思ったものです。

『石橋』
 半能で、後半部分だけの「石橋」です。
 白い牡丹のついた一畳台と赤い牡丹のついた一畳台が正先に置かれますが、二つの台の間は少し開けられています。
 寂昭法師が出てきて、石橋のそばで待っていると、親子獅子が出てきて、牡丹の間を勇壮に戯れて舞い遊ぶのですが、ここのところ「石橋」づいていて、観世流、宝生流、喜多流と三流の親子獅子を観ることができました。
 喜多流では、二つの台の間を飛んだりして、やはり続けて観る機会があると、同じような舞いでも、それぞれ舞いの型が違うのが解って、よけい興味深く観る事できました。
 親子での舞いの動きも微妙にずらしてあったり、違う動きでありながら見ていてぴったりくる動きであったり、やはり、若い赤獅子の動きの激しさと親の白獅子の少し落ち着いて威厳ある動きの違いが良く解り、お囃子の力強さやリズム感が気持ち良くて、何度観ても面白いものでした。
2005年11月2日 (水) 市川狂言の夕べ
場所:市川市文化会館 18:30開演

解説 高野和憲

「空腕」太郎冠者:石田幸雄、主:野村万之介   後見:深田博治

「小傘」僧:野村萬斎、田舎者:深田博治、新発意:高野和憲
    立衆:野村万之介、竹山悠樹、時田光洋、尼:月崎晴夫   後見:野村良乍

 高野さんも最近は解説の勉強のためか、この会で解説を聞くのは二回目ですが、まあ、まだなかなか慣れないようで、緊張するんでしょうね。一生懸命な感じが微笑ましい(^^)話すことを考えてメモしてきたのを、途中から出して確認しながら話してました。
 「空腕」も「小傘」も比較的時間の長い曲で、あまりやることが少ない曲といってましたが、「小傘」続きだった時もあったような・・・。私も、もう何回か見てます。
 「空腕」は、10月に萬斎さんの太郎冠者で観ましたが、臆病者の空威張りってやつです。石田さんが先日やった「弓矢太郎」にも通じますね。
 今回は、石田太郎冠者の闇夜の道での一人芝居の臆病ぶりと帰ってからの武勇伝、知っていながらオトボケの万之介主人のちょっと意地悪な仕返しも、ぴったりの役柄で楽しめました。

 「小傘」は、萬斎太郎冠者に、高野新発意のコンビが生き生き演じてました。
 博打ですっからかんになったから、にわか坊主になって田舎者を騙して供物を取ろうというとんでもない連中なんですが、深田田舎者に声をかけられ、しめたという顔の萬斎さん。「昨日見た小傘が今日もとおり候・・・」という歌をもっともらしくお経風に唱えるところも毎回笑ってしまう。
 尼には月崎さんが挑戦、腰の曲がったおばあさん、なかなか合っていて可愛かった(^^)
 最近、時田さんも役をもらってよく出るようになり、万作家もどんどん若い人を育てているようで楽しみです。