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能楽鑑賞日記

2011年5月23日 (月) 東日本大震災義援能 第一部
会場:観世能楽堂 14:00開演

連吟「熊野」
 河西暁子、岩屋雅沙子、山階弥次、津村聡子

仕舞
「田村」クセ 小川博久
「籠太鼓」 北浪昭雄
「邯鄲」楽アト 鵜澤郁雄
              地謡:新江和人、下平克宏、阿部信之、岡庭祥大

「茶壺」
 すっぱ:山本東次郎、男:山本泰太郎、目代:遠藤博義

仕舞
「雨月」中入前 坂井音重
「清経」キリ 角寛次朗
「井筒」 木月孚行
「笹之段」 関根祥六
「昭君」 山階彌右衛門
              地謡:金子聡哉、藤波重彦、岡久広、武田文志

舞囃子
「羽衣」和合之舞 梅若玄祥
    大鼓:安福光雄、小鼓:大倉源次郎、太鼓:観世元伯、笛:一噌隆之
         地謡:坂井音雅、北浪貴裕、木原康之、坂井音重、中島志津夫

『小鍛冶』
 シテ(童子・稲荷明神):観世清和
 ワキ(三条小鍛冶宗近):福王和幸
 ワキツレ(勅使):村瀬提
 アイ(宗近の下人):山本東次郎
     大鼓:安福光雄、小鼓:大倉源次郎、太鼓:観世元伯、笛:一噌隆之
        後見:寺井栄、木月孚行
           地謡:林宗一郎、木月宣行、角幸二郎、大松洋一
               津田和忠、高橋弘、角寛次朗、山階彌右衛門

 東日本大震災義援能ということで、昼夜二部制で行われましたが、私は昼の第一部のみ観てきました。入場料は一律3,000円(全席指定)で、全額、朝日新聞厚生文化事業団「東日本大震災救援募金」に寄託されるとのこと。朝日新聞社が後援となっていました。出演者は、すべて出演料無しのボランティア出演です。
 最初に観世宗家が舞台に登場してご挨拶がありました。被災された方々へのお見舞いと、能は、鎮魂の芸術、レクイエムとしての役割を果たしてきたこと、災害や戦争などで寺社仏閣が破壊された時に勧進能が催され、債権のための浄財が集められたことなどのお話がありました。宗家が、舞台上でご挨拶されることなど、めったに無いことなので、ちょっと得した気分になりました。

「茶壺」
 茶壺を背負った男が酒に酔って道で寝込んでいると、すっぱ(詐欺師)がやってきて、茶壺を取ろうとしますが、片方の肩紐に腕を通しているので盗むことができず、もう片方の肩紐に腕を通して寝ころび、男が目を覚ますと、自分の物だと主張します。目代が仲裁に入り、男が事情を話すと、すっぱは盗み聞きして同じ説明をし、目代が茶を詰めた記録を二人同時に舞い語らせても、うまく誤魔化されて判断がつけられません。すると、目代は「昔より奪い合う物は中から取るという」と言って、茶壺を持ち去ってしまいます。
 東次郎さんと泰太郎さんの舞い語り、東次郎さんが微妙にずらした謡いで後を追い、テンポ良く謡いながら最後にぴったり合わせる息の合った見事さと面白さが印象的。遠藤さんの渋い目代もいい味を出していました。最後に逃げ出す目代と追いかける男とすっぱ、山本家らしい速いハコビが駆けだしているようで、そのスピーディーさがまた面白い。

『小鍛冶』
 三条小鍛冶宗近のもとに一条天皇の勅使、橘道成が訪れ、帝の霊夢により、宗近に御剣を打ち、献上するようにとの勅命を伝えます。宗近は相応しい相槌を打つ者がいないことに困り、氏神の稲荷社に祈願に行くと、童子が現れて宗近を呼び止め、宗近に古代中国の霊剣の故事や、日本では大和武尊の草薙の御剣の話を語って聞かせ、剣を打つ時には必ず神通力をもって助けに来ることを約束して、稲荷山へ姿を消して行きます。
 やがて宗近が鍛冶壇に注連縄を張って用意をし、祝詞を捧げると、稲荷明神が現れます。そして宗近を導いて剣を打ち、剣の表に「小鍛冶宗近」裏に「小狐丸」と銘を入れ、二つの銘が入った御剣で、四海を治め、五穀豊穣を寿いで、勅使に捧げると、雲に飛び乗って稲荷山へ帰っていくのでした。
 プログラムの解説では前シテは尉となっていましたが、後ろを結んだ黒頭で装束も女のように見えましたが、正面から見ると童子でした。ワキ方はイイ男組でしたが、久々に観た和幸さんの宗近も堂々と見栄えがして素敵。シテの観世宗家は後シテの稲荷明神の舞も風格があって、出演者全員気迫のこもった良い舞台でした。
2011年5月7日 (土) 第十二回 よこはま「万作・萬斎の会」
会場:横浜能楽堂 14:00開演

解説:野村萬斎

「粟田口」
 大名:野村万作、太郎冠者:石田幸雄、すっぱ:高野和憲  後見:岡聡史

狂言芸話(十二):野村万作

「花折」
 新発意:野村萬斎
 住持:石田幸雄
 立衆:野村遼太、中村修一、村井一之、内藤連、岡聡史
 後見:月崎晴夫

 最初に、珍しく萬斎さんの解説。「粟田口」については、ちゃんと演目の解説をしていましたが、「花折」では、立衆頭を20歳の遼太くんが初めて勤めるほか、30代前半から25,6歳までの若い立衆。初舞台の村井さん、内藤さんは国立能楽堂養成所の8期生で4期生の高野さん、深田さんの後輩。(若手がやるのを見てると)色々気になって仕方ないらしいですが、キリが無いので、なるべく気にしないようにしているとのことでした。「花折」の住持は万之介さんがよくやった役で、他にも「骨皮」の住持とか、「曰くつきの坊さん」「叔父(万之介さん)は、父(万作さん)が、あまりやりたがらない役をよくやってくれました。」と、万之介さんの思い出も語っていました。
 時間で、一旦、切戸口から引き揚げた後、なんだか間があいて、どうしたのかなと思ったら、萬斎さんが再び登場。「粟田口」で大名の烏帽子を忘れるというハプニング。「もっと早く気がつけば何とかなったのに、今頃言われてもどうにもならない」と、忘れ物の話で、中尊寺の薪能で髭を忘れたことがあり、美容院に飛び込んで、練習用の髪を借りて代用したことがあったとか、「ひげー話だ」とダジャレ(笑)。今回は烏帽子無しで行いますとのことでした。

「粟田口」
 世間に道具比べが流行って、粟田口を比べることになり、粟田口が何かを知らない大名が太郎冠者に尋ねると、道具類の中に粟田口はないとのこと。さっそく太郎冠者を都に買いに行かせますが、実は太郎冠者も粟田口を知らず、都に着いて大声で求めていると、すっぱが現れて、自分こそが粟田口だと言うので連れて帰ってきます。大名は粟田口に関する家伝の書と照合して、あれこれ質問すると、すっぱが巧みに答えるので、すっかり満足して、すっぱを供にして出掛けます。名前を呼ぶと機敏に答えるすっぱの反応を面白がって、何度も繰り返して呼んでいると、すっぱは隙をみて、持たされていた太刀と小刀を持って逃げてしまいます。
 万作さんが烏帽子無しの大名姿で登場。言われてみると多少違和感はありますが、黙ってたら気がつかない人も多いのでは(^^;)。
 大名がすっぱに「銘」を聞くと「姪が二人いる」と言い、大名が「両銘は上作」と喜んだり、「身は古いか」と聞くと「生まれてこのかた湯風呂をいたさぬ」と答えて、「それは古い」と言ったり(笑)、高野すっぱのとんでもない答えが、その場しのぎにしては真面目すぎるくらいきっちり言い切っちゃってるのに対し、いちいち納得しちゃう万作大名の物知らずな単純さが際立ってました。
 すっぱを供に出かけては、「粟田口」「藤右馬允(とうまのじょう)」と二つの名を呼んでは左右に向くと、すっぱもすぐに左右に飛んで答えるので大名は大喜び。高野さんの機敏な動きはさすがですが、何度も左右に向きを変える万作さんもさすがに息が荒くなっていました。それでも台詞や謡の時はまったく息切れを感じさせない。それは、80歳をとうに過ぎた千作さんや萬さんも同じだから、やっぱり鍛え方が違うというか、凄いです。
 すっぱに逃げられて騙されたと気付く大名、一人取り残された物悲しさが、万作さんの表情と姿に漂っていました。

狂言芸話(十二)
 お待ちかねの万作さんの芸話。
 まず、東日本大震災のことで、これまでも東北との関わりが深かったことについてのお話があり、万作の会でも被災地での狂言を考えているとのこと。
 「粟田口」で烏帽子を忘れたことについて、今回は大名の装束を着てから烏帽子が無いのに気付いたそうで、自分は装束だけ選び、後は太刀は良い物を出しておくよう指示したとのこと。やはり、一人が台本と首っ引きで全体を確認しなければいけないと反省されていました。「烏帽子が無いと、ちょっと間が抜けているでしょ」と。
 忘れ物の話では、やはり先に萬斎さんが話していた髭を忘れた話が出て、中尊寺では演目が「舟渡聟」だったそうです。また、パリ公演で「粟田口」のすっぱの黒い脚絆(きゃはん)を忘れ、黒い布を買って、当時公演団長だった喜多実師に同行してきた奥様が縫ってくださった話などもされました。
 で、今日の本題。弟の万之介さんのことを話されましたが、感慨深いお話でした。
 万之介さんは万作さんより8つ下で、狂言の道に進む決心をしたのは、1963年にワシントン大学の公演に行ったことからだそうです。万作さんが万之介さんに狂言の道に進んで欲しくてワシントン行きに誘ったそうです。
 万之介さんは「自分はおく手である」と言っていたそうで、狂言の道に進もうと決めたのが遅かったため、晩年の父(万蔵師)の芸を見習っていたとのこと。「晩年の弟の芸はとってもいい芸をしていた」「私などおよびもつかないいい芸だった」とも仰っていました。『悪太郎』の伯父の『こわい、こわい』という言い方がすごくいい、洒脱な芸風をねらって一生懸命やっていたとのこと。また、万之介さんは普段から良くかかる狂言の台本を集めた本を良く読んで台詞の研究をしたり、父(万蔵師)のテープを全部持っていて一生懸命聞きながら役を研究していたそうです。同じ教えるのでも30代と60代の師匠では違い、弟は年取ってからの父の洒脱な芸を追求していたとのこと。「萩大名」など、大名を多くやっていると外見よりも中身の方に力が入ってくる。評論家は万之介をあまり褒めないけれど、アンケートなど見ると、万之介ファンも多く、世の中の人は基礎とか技術より面白い狂言を好む。ある年齢に達していないと出来ない芸があり、万之介の洒脱な芸は貴重だった。演劇評論家が弟の「墨塗」を褒めていた(「野村狂言座」みなもとじろう氏の評)が、能楽評論家には、あまり評価されないうちに亡くなってしまった。と、弟の万之介さんを偲びながら話していらっしゃいました。
 また、テクニックはあくまでテクニック、それが心の表現に到達する。頭でっかちじゃなく、続けていくうちに分かって来るものとも、「粟田口」では「南無三宝、しないたり」と言いながら正面に手を差し出す場面があるが、習った時はそのように習ったが、なぜ手を前に出すのか、ある時、父が「しないたり」でおでこに手をあてたことがあり、「ああ、失敗した」という意味で、今日は正面に出すのではなく、少しおでこの方に手を持って来るようにしたとのこと(たしかに、そんな感じでした)。
 いろいろと、考えさせられる深い内容でしたが、全部覚えているわけではないので、文章にするのは難しい。

「花折」
 あらすじは、1月の「新春名作狂言会」でもやっているので、省略します。
 ホントに若々しい立衆の面々。一番若い遼太くんが立衆頭だけれど、この面々の中では、やはり芸歴(舞台経験)の差か貫録すら感じます。新人は今時の若い人らしく背が高い。初舞台の二人は先月の「野村狂言座」で地謡には出ていましたね。まだ硬さと余裕の無さはありますが、基本にしっかりという感じで、謡い舞いはきっちりやっていました。これからが楽しみです。新発意の萬斎さんは、若手立衆の平均年齢より10歳以上上だというのに、相変わらず可愛いこと、何だろうねこの悪戯っ子のような雰囲気は(笑)。謡いも舞いもキレが良くてさすがなんですが、舞の途中で突然酔っ払ってフラフラになるのは、あまりに唐突な感じで、エッ、前からそうだったっけ?若衆の前でかえってカッコつけすぎちゃった?な感じではありました(笑)。