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能楽鑑賞日記

2011年11月27日 (日) 獅子虎傳阿吽堂Vol.6
会場:世田谷パブリックシアター 18:30開演

壱 歌舞伎囃子「『勧進帳』より延年ノ舞・滝流し」
  笛:福原寛、小鼓:田中傳次郎、小鼓:田中傳佐衛門、大鼓:田中傳八郎
  三味線:今藤長龍郎、杵屋勝正雄、今藤龍市郎

弐 一調「八島 後」
  謡:野村萬斎、大鼓:亀井広忠

参 レクチャー
  亀井広忠、田中傳佐衛門、田中傳次郎
  野村萬斎、市川染五郎

四 三響会版「二人三番叟」
  構成:田中傳佐衛門、演出:田中傳次郎、舞踊振付:藤間勘十郎
  
  野村萬斎、市川染五郎
    笛:福原寛、笛:一噌隆之、
    小鼓頭取:田中傳佐衛門、脇鼓:田中傳次郎、田中傳九郎
    大鼓:亀井広忠、太鼓:田中傳八郎
    長唄:杵屋正一郎、芳村辰三郎
    三味線:今藤長龍郎、杵屋勝正雄、今藤龍市郎

 今回の公演は、一般発売はあっと言う間の完売でしたが、三響会の先行予約で取っていて、本当に良かったです。席も1階の中ほどの列の中央ブロックという舞台も近く感じられて観やすい良い席でした。

歌舞伎囃子「『勧進帳』より延年ノ舞・滝流し」
 初め、笛と鼓による囃子の時は、能『安宅』と笛の旋律が少し違うくらいであまり変わらない感じでしたが、三味線が入ると、途端に歌舞伎囃子らしく感じられます。歌舞伎の『勧進帳』は観たことがないので、場面が浮かんではこないのですが、歌舞伎を見慣れた人だと場面が浮かんでくるんでしょうね。

一調「八島 後」
 能『八島』の謡に大鼓の一調で、萬斎さんは紫の袴で広忠さんは浅黄色の袴でした。萬斎さんは、やっぱりいい声だなあと感心しつつ、いつも気合いの入った広忠さんの大鼓の音と掛け声が容赦ないもんだから、重なると謡の声が聞きにくくなる(^^;)。

レクチャー
 レクチャーというより、座談会という感じでした。
 最初、主催者の三兄弟が出てきて、何も打ち合わせしてないとのこと。さらっと三響会と獅子虎傳阿吽堂の歩みみたいな話をして、世田谷パブリックシアターの舞台、スタッフがいいと持ちあげてました。特に古典の楽器のことが良く分かっているので使いやすいというようなことを仰ってました。野村萬斎芸術監督様のおかげ、みたいな(笑)。
 萬斎さんと染五郎さん登場で、メインはやっぱり「三番叟」の話。歌舞伎では、狂言の「三番叟」をそのままやっても物まねになってしまうということで、コミカルさを強調したいろいろな「三番叟」があるそうですが、「翁、千歳、三番叟」という神事の形式でやるのは、劇場のこけら落としの時ぐらいなので、めったにないとのこと。「三番叟」の時、手で「大入」を書いたり、お囃子が太鼓の撥で「大入叶」と書いたりするそうで、神事というより、こけら落しだから、商売繁盛、大入満員を祈念するという意味合いが強いのかなと思いました。
 歌舞伎の中でいろいろある「三番叟」の中から、染五郎さんが「操り三番叟」をちょっと舞ってくれました。萬斎さんが「ムーンウォークみたいですね」と言ったら、染五郎さんが操りの動きで「ムーンウォーク」を見せてくれて、確かに操りの動きと「ムーンウォーク」は同じだあと感心してしまいました。それから、操りの時の後見との息の合わせ方のネタばらしなんかもあって面白かったです。
 萬斎さんが、今度「三番叟」をボレロで舞うという話をされると、染五郎さんが「サンバじゃなくてボレロですか」とつっこみをいれたり、レオタードでやるとかやらないとか、染五郎さんには是非レオタードでやってもらいたいとか、和やかで楽しいトークでした。

三響会版「二人三番叟」
 以前、演舞場でやった三響会版の「二人三番叟」も観ていますが、あの時は舞台が二つ別れていてそれぞれの舞台で舞っていたので、鈴ノ段の後半で一緒に舞うときはどちらを観たらいいか迷っちゃって忙しかったのですが、今回は一つの舞台で舞う形でした。装束や面はつけずに紋付袴での舞です。
 狂言の「三番叟」揉ノ段から始まり、その後に歌舞伎の三番叟。やはり狂言は踏むという力強さ、五穀豊穣を祝う神事ですが、歌舞伎は三味線も入って舞踊としての要素が強く、今回事前のトークで聞いていたため手の動きが確かに「大入」を現していることが分かって面白かったです。
 今回は、鈴ノ段の後半で二人一緒に舞った時の足拍子が共鳴しあって、もうドキドキするくらいの迫力でした。狂言と歌舞伎の「三番叟」の違いを感じると共に、それぞれが競い合い力を出し切った迫力に圧倒されて本当に面白い会でした。
 古典芸能では、カーテンコールは普通無いんですが、今回は拍手が鳴りやまず、1回だけカーテンコールがありました。
2011年11月23日 (水・祝) セルリアンタワー能楽堂開場十周年記念特別公演―喜多流―
会場:セルリアンタワー能楽堂 14:00開演

おはなし:馬場あき子

舞囃子「猩々乱」 友枝昭世
           大鼓:柿原崇志、小鼓:森澤勇司、太鼓:助川治、笛:松田弘之
              地謡:佐藤寛泰、友枝真也、塩津圭介
                  友枝雄人、塩津哲生、大村定

『枕慈童』
 シテ(慈童):友枝昭世
 ワキ(臣下):森常好
 ワキツレ(従者):舘田善博、森常太郎
      大鼓:柿原崇志、小鼓:森澤勇司、太鼓:助川治、笛:松田弘之
         後見:塩津哲生、友枝雄人
            地謡:友枝真也、佐々木多門、粟谷浩之、塩津圭介
                狩野了一、大村定、香川靖嗣、中村邦生

 馬場さんのお話はプログラムでは、舞囃子の後になっていましたが、最初に変更され、演目の解説をされました。
 猩々が、酩酊しながら舞う舞を「乱」と言い、『猩々』の中ノ舞を「乱」で舞う際には、曲名『猩々乱』として上演されるとのこと。若い人が披きで舞うことが多く、腰がしっかりしていなければ舞えないそうです。昔、外国人に初めて能を見せた時、猩々のことをオランウータンと訳してたなんて話もあり(笑)。
 『枕慈童』では、不老長寿を祝うめでたさが強調されますが、最初に慈童が藁小屋の中で謡っている自分が一番良かった現実に帰ることができない、死ねないことの悲しみと苦しみ、菊の花に囲まれた極楽のような所で700年も生きてしまった晴れやかさの陰にある孤独な長寿の寂しさということを話されました。

舞囃子『猩々乱』
 中国の金山の麓に、高風という親孝行で評判の男が、夢のお告げで市に出て酒を売ると次第に金持ちになり、その市でいくら酒を飲んでも顔色が変わらない者がいるので不審に思って名を尋ねると、海中に住む猩々だと明かして去っていきます。そこで、高風が月の美しい晩に潯陽(しんよう)の江に行き、酒壷を置いて猩々を待っていると、やがて、症状は、銘酒の味を慕って友と逢うことを楽しみ波間から浮かび出て、酒を酌み交わし、舞を舞い、高風に汲めども尽きぬ酒壷を与えて消え去ります。
 猩々が波間から現れ、酒に酩酊しながら舞う乱の舞。70歳を過ぎたとは思えぬ友枝さんの腰の決まった舞の美しさにくぎ付けでした。

『枕慈童』
 魏の文帝の臣下が、帝の命により「てっ県山」の麓から霊水が流れ出るというので、見に行くことになります。勅使の一行は、菊の花の咲き乱れた山中の庵に一人の少年を見つけ、何者かと尋ねると、「私は周の穆(ぼく)王に仕えていた侍童だ」と答えます。勅使は「周は、もう数代も前の世だ」と驚き、話を聞くと、彼は、穆王に召し使われていましたが、ある日誤って王の枕を跨ぎ、その罰で山に流されることになりました。少年に悪意のないことを知った王は、その枕に四句の偈(仏徳を讃えた詩)を書き添えて与え、その文字を写し書いた菊の葉におりた露が霊薬となって、それを飲んでいたために少年は七百年後までも若々しく生きながらえていたのです。慈童も自分の長寿に驚き、楽しく舞を舞い、てっ県の山の水は菊水の流れ、その泉はもともと酒なのだからと勅使たちにも勧め、一旦は菊の花を折り敷いて寝ますが、やがて目覚め、七百年の寿命を文帝に捧げて、そのまま山中の仙家へと帰って行きます。
 正先の菊の花を挿し、真ん中に赤い布で覆った四角い枕を乗せた一畳台が置かれ、後ろの大小前に藁屋の作り物が置かれます。
 藁屋から現れた若く美しい慈童。過ぎ去った昔を懐かしみ、長い孤独と寂しさを湛えた美しさ。700年も生きてしまったことに驚き、久々に出会った人たちと酒を酌み交わし、めでたく晴れやかな舞を舞い長寿を祝う。喜びの舞の後、文帝に長寿を捧げて帰る慈童。また、長い孤独を生きるのか、馬場さんのお話を聞いたせいか、どこか寂しげで魅惑的。
2011年11月17日 (木) 第56回野村狂言座
会場:宝生能楽堂 18:45開演

「井杭」
 算置:井上靖浩、何某:佐藤融、井杭:井上蒼大

「酢薑」
 酢売:野村万作、薑売:石田幸雄

素囃子「黄鐘早舞」
 大鼓:原岡一之、小鼓:鳥山直也、笛:成田寛人

「瓢の神」
 太郎:野村萬斎
 瓢の神:石田幸雄
 鉢叩:深田博治、高野和憲、月崎晴夫、竹山悠樹、野村遼太、中村修一、岡聡史

「井杭」
 井杭は、日頃から目をかけてくれる何某にいつも頭を叩かれるのに辟易して清水の観世音に籠って祈願したところ、隠れ頭巾を賜ります。さっそく、いつものように頭を叩こうとする何某の前で頭巾をかぶると、井杭の姿は見えなくなってしまったので、何某は、通りかかった算置を呼びいれて、井杭が何処にいるかを占わせます。算置は、井杭の居場所を言い当てますが、井杭が次々と居場所を変えるので、なかなかつかまえられません。姿が見えないのをいいことに、井杭は、算置が占いに使う算木をばらまいたり、二人の耳を引っ張ったりとやりたい放題。とうとう二人は喧嘩を始め、ころ合いをみて井杭が姿を現したので、二人は逃げる井杭を追っていきます。
 井上靖浩さんの御子息の蒼大くん。まだ小さいのに、しっかり台詞を覚えて、仕草がとにかく可愛い。腹ばいになって頬杖をついたり、万作家ではこんなのやったかな?と、子どもらしい可愛い仕草に思わず顔がほころんでしまいました。佐藤融さんの何某が、井杭の頭を扇で叩くのも可愛くてしょうがないからという感じが良く伝わってきました。算置き役のお父さんの靖浩さんは、ちゃんと占ってるのに〜と、一所懸命な感じがしました。

「酢薑(すはじかみ)」
 津の国の薑売りと和泉の国の酢売りが、それぞれ都へ商売に出かけます。途中で休んでいた薑売りは酢売りを見ると、自分に断りなしで商売をさせるわけにはいかないと言って、いかに薑売りが由緒正しい商売であるかを語ります。酢売りの方も負けじと言い返してくるので、どちらの商売の方が優っているかの決着をつけるため、道すがら秀句を言い合って勝負することにします。ところが両者とも、それぞれの売り物に関連した秀句を連発して、決着がつきません。お互いに、相手の秀句の巧みさに感心した二人は、酢と薑は縁のある食物だからと仲直りして、笑って別れます。
 薑は現在では生姜を指すことが多いそうですが、昔は山椒のことを指したそうです。薑が辛いことから薑売りは「カラ」の音を織り込んだ秀句を言い、酢売りは「ス」の音を織り込んで応酬します。
 ちょっと、昼夜で他の舞台とハシゴしたせいか、寝不足もたたって途中時々意識が飛んでましたが、万作さんと石田さんの息の合ったコンビでユルユルと駄洒落遊びに興じている感じが良かったです。

「瓢の神(ふくべのしん)」
 鉢叩きの太郎は、このところ茶筅が売れず、食べていけないので、鉢叩きをやめて都へ奉公に出ることにし、守護神であり松尾大明神に、お礼かたがた暇乞いに出かけます。太郎が通夜をしていると、大明神の末社の瓢の神が現れ、大明神が太郎の困窮を不憫がり、瓢と衣を与えることにしたのだと語り、修行を続けるようにと告げて姿を消します。目覚めた太郎は、再び鉢叩きに戻る覚悟を決め、賜った衣を着ます。
 そこへ太郎を心配してやってきた仲間の鉢叩きたちに、太郎は一部始終を話し、お礼のために皆で踊り念仏を踊ることにします。
 鉢叩きというのは、空也上人の流れを汲んで、鉢や瓢箪を叩きながら托鉢して歩いた半僧半俗の念仏聖のことを言ったそうです。また、この曲は、能『輪蔵』の替間「鉢叩」から発想して作られた曲らしいということです。「鉢叩」は前に観たことがあります。「萬狂言」の八世万蔵さん三回忌追善の夏公演で『輪蔵』の替間としてやっていましたが、万作家でも観たことがある覚えがあるんですが、いつだったか・・・。
 替間「鉢叩」の場合は、シテの中入り後、鉢叩きの一団が登場して、北野天神の末社・瓢の神に参詣し、念仏して踊ると瓢の神が現れて、祝福して謡い舞うというものです。リズムにのって、鉦鼓や瓢箪や茶筅を刺した竹棒を持った一団が持ち物を叩きながら踊り念仏で二列に向かい合って整然と叩いて謡ったり、一斉に入り乱れて賑やかに謡い踊ったりと変化に飛んだ念仏踊りでした。
 これも、やっぱり時々意識飛んでたかも。でも、入り乱れての賑やかな謡い踊りはなかったような気がする。二列に向かい合って向かい合った一組ずつが前に出て回りながら「なもうだ、なもうだ」と鉦鼓のリズムに合わせて謡い踊って、さすがに、若手に比べると中堅の三人は動きが綺麗でした。
2011年11月11日 (金) 「忠三郎狂言会」茂山良暢舞台歴二十五年記念特別公演
会場:国立能楽堂 18:45開演

素囃子「養老」水波之伝
 笛:藤田貴寛、小鼓:大倉源次郎、大鼓:大倉慶之助、太鼓:林雄一郎

「三本柱」
 果報者:大藏彌太郎
 太郎冠者:大藏吉次郎
 次郎冠者:善竹富太郎
 三郎冠者:大藏教義
    後見:安藤眞平、内田冨士雄

「舟船」
 太郎冠者:善竹十郎
 主:茂山忠三郎(代勤:茂山良暢)
    後見:石倉昭二

「釣狐」
 伯蔵主・狐:茂山良暢
 漁師:大藏千太郎
    後見:大藏基誠、善竹大二郎

 この公演のチラシが出来たころは忠三郎さんは、体調は良くなかったとはいえ、一昨年の大きな手術後に舞台復帰をされていたこともあり、お亡くなりになるとは思ってもいませんでした。
 命日の8月20日は、ちょうど良暢さんの29歳の誕生日でもあり、忠三郎狂言会の福岡公演の日が四十九日の日に当たっていたとのことです。また、良暢さんが忠三郎を継承するまで、会の名称はそのまま継続したいとのことで、今回の公演は、忠三郎さんが暗いことを好まないので、附祝言のみ省いて、予定通りの演目で上演するとのことでした。

素囃子「養老」水波之伝
 初めから勢いがあってノリのいい曲、途中ゆっくりになってからまた早くなり、緩急があって面白く気持ち良いお囃子でした。

「三本柱」
 果報者が邸の普請をし、最後の仕上げのために、持ち山の木を三本伐らせてあるのを、召し使う三人の冠者たちに「三人の者どもが二本づつ持ってもどれ」と言いつけます。三人は山で伐られた三本の木を見つけ、担いで帰るのに、どうしたら三人で二本づつ持てるか相談するうち、柱を三角形に置いて両端を一人づつ持てばよいことに気付いて、三人で柱を担いで囃子物を謡いながら帰ります。家で待つ主人は喜んで家へ招き入れ、一緒に囃子にのってめでたく終わります。
 祝言物のめでたい演目です。富太郎さんが表情一つでも愛嬌があっていいです。三人の冠者が囃子物にのっておめでたい雰囲気が出ていました。

「舟船」
 主人と太郎冠者が西宮見物へ行く途中、神崎の渡しで、太郎冠者が船を呼びますが、「フナやあい、フナやあい」と呼ぶので、聞き咎めた主人がフネだと訂正すると、太郎冠者は古歌を引いてフナだと言い張ります。主人も古歌を引いてやりかえしますが、太郎冠者が別の古歌を次々引いても主人は同じ歌を繰り返すだけで分が悪い。そこで「三井寺」の謡の一節を思い出し「フネもこがれて出づらん」と謡いますが、次の「ふ」で詰まってしまいます。そこで太郎冠者が続きを「フナ人もこがれ出づらん」と謡ってやりこめたので、主人に負けるものだと、叱られてしまいます。
 十郎さんの太郎冠者の「へえ」と、不満げな返事や、やり込める時のちょっとしてやったりな小馬鹿にしたような言い方、太郎冠者の気持ちが表れていてすごく面白かったです。十郎さん太郎冠者最強。主人役の良暢さんも主人の貫録が出ていて感心しました。

「釣狐」
 猟師に一族を次々に釣り殺された古狐が狐釣りをやめさせようと、猟師の伯父の伯蔵主に化けて不殺生の説諭をしに行きます。狐の執心の恐ろしさを示す「殺生石」の物語を語り、猟師に狐釣りをやめることを約束させ、罠まで捨てさせて喜んで帰る伯蔵主狐ですが、帰り道に捨ててあった罠の餌に引き寄せられてしまいます。喰うか喰うまいか欲望と理性の板挟みに苦慮した末に、仲間を釣られた敵討にもとの姿になって食べに来ようと立ち去ります。
 伯蔵主の態度に不審を抱いていた猟師は、捨て罠の様子を見に来て餌をあさられていたので、伯蔵主が狐だったと知り、罠を仕掛け直して、藪に隠れて待ちうけていると、正体を現した狐が戻ってきます。とうとう狐は罠にかかってしまいますが、猟師と渡り合ううちに罠を外して逃げていきます。
 「舟船」の後に、大曲の「釣狐」を演じるのは大変だと思うのですが、良暢さんは動きが身軽で息も上がっているようには見えなくて感心しました。
 伯蔵主が家の中で床几に座って語るのではなく、中に入らず玄関先で立ったまま語ったり、自分の化けた姿を見る場面や杖の使い方、いろいろな型が和泉流とはずいぶん違っていて面白かったです。
 罠にかかった良暢さんの狐と猟師の千太郎さんとの綱引き場面も迫力があって、罠が抜けるタイミングも上手く、見応えがありました。
2011年11月6日 (日) 友枝会
2011年11月6日(日)

会場:国立能楽堂 13:00開演

『清経』
 シテ(清経の霊):友枝雄人
 シテツレ(清経の妻):佐々木多門
 ワキ(淡津三郎):宝生欣哉
     大鼓:亀井広忠、小鼓:観世新九郎、笛:一噌隆之
        後見:粟谷辰三、佐々木宗生
           地謡:粟谷尚生、佐藤寛泰、塩津圭介、佐藤陽
               粟谷浩之、狩野了一、長島茂、金子敬一郎

仕舞
「田村」クセ   友枝大風
「船弁慶」キリ  友枝雄太郎
           地謡:佐藤陽、塩津圭介、友枝真也、佐藤寛泰

『六浦』
 シテ(女・楓の精):友枝昭世
 ワキ(旅僧):宝生閑
 ワキツレ(従僧):大日方寛、御厨誠吾
 アイ(所の者):野村扇丞
     大鼓:柿原崇志、小鼓:曽和正博、太鼓:助川治、笛:一噌仙幸
        後見:内田安信、中村邦生
           地謡:佐藤陽、内田成信、粟谷充雄、大島輝久
               佐藤章雄、粟谷能夫、香川靖嗣、粟谷明生

「文荷」
 太郎冠者:野村萬、主:野村太一郎、次郎冠者:野村万蔵   後見:野村扇丞

半能『石橋』
 シテ(白獅子):友枝昭世
 シテツレ(赤獅子):友枝真也
 ワキ(寂昭法師):宝生閑
     大鼓:柿原弘和、小鼓:鵜澤洋一郎、太鼓:観世元伯、笛:一噌幸弘
        後見:塩津哲生、狩野了一、佐々木多門
           地謡:佐藤寛泰、大島輝久、友枝雄人、塩津圭介
               谷大作、大村定、出雲康雅、中村邦生

『清経』
 清経の家臣、淡津三郎は主人清経が豊前国柳が浦で入水したので、船中に残された形見の髪を携えて京の清経邸を訪れます。清経の妻は、三郎から清経が自殺したことを聞き、形見の髪を渡されると、恨みを見せて泣き崩れます。その夜、妻の夢に現れた清経の霊は、現世は夢、人間は悟り一つでいかようにもなる事を呟きつつ、妻と言葉を交わし、事情を話しますが、妻は自殺したことを恨みます。清経はかつての栄華を思い、今の悲惨と不安な心中を語り、神に見放された状況の中で死を決意するまでの経緯と入水する時の様を語ります。妻は嘆きますが、清経は、娑婆も地獄も同じ事だと言って修羅道のさまを見せて消えていきます。
 源平の戦いで豊前柳が浦まで落ち、入水自殺した清経と残された妻の恨みの想いは癒されることなくすれ違ったままの切ない話です。
 入水する前に横笛を吹き、今様・朗詠を吟じる優雅さを持った平家の公達らしさを感じる雄人さんの清経。妻役の多門さんも柔らかい謡いで美しい妻でした。

仕舞
 友枝大風くんと友枝雄太郎くんの仕舞。大風くんは、まだ小さいのに謡いも舞もしっかりしていて感心しました。雄太郎くんは、久しぶりに観るような気がしますが、少し大人っぽくなって、「船弁慶」をキレ良く勇壮に舞ってホレボレしてしまいました。

『六浦』
 都の僧が東国行脚の途中、相模国六浦の称名寺に立ち寄ります。山々の紅葉も今が盛りとみえる中に、一本の楓だけが一葉も紅葉していないので、不審に思っていると、どこからともなく一人の女が現れて、その訳を語って聞かせます。昔、鎌倉の中納言為相(ためすけ)がこの寺に紅葉を見に来た時、山々はまだなのにこの楓だけがいち早く紅葉していたので、一首の歌を詠じたことに喜んだ楓の木は、このように面目をほどこした上は身を退くのが天の道と考えて、それ以来、常緑樹のようになったのだと女は告げて消え去ります。
 寺に見慣れぬ僧がいるのを見つけた土地の者に旅僧は、楓の謂れを問い、先ほどの女のことを話します。その夜、僧がこの寺で読経していると、楓の精が女体となって現れ、草木国土もことごとく皆成仏するという仏徳を讃えて神楽を舞い、夜明けとともに消えていきます。
 後シテの女の姿であっても生々しくない静謐な美しさが、いかにも人でない楓の精らしい。友枝さんの舞の美しさに、唯々見惚れていました。ワキの閑さん、アイの扇丞さん、地謡、囃子方も素晴らしく、一つの雰囲気を作り出していたように思いました。

「文荷」
 太郎冠者と次郎冠者が、主人から託った恋文を届けに出かけますが、道々、二人は恋文を持つ仕事を相手に押し付け合い、とうとう竹に文を吊るして二人で担うことにします。しかし、なぜか文が重い。二人は能『恋重荷』を思い出し、その一節を謡いながら運んで行きますが、文はますます重くなり、ついに二人は文に何が書いてあるか気になって読んでしまいます。文には「恋しい恋しい」などと綿々とした恋の言葉が綴ってあり、こう小石だくさんでは重いはずだなどと笑って、奪い合って読むうちに、文を引き裂いてしまいます。困った二人は、謡いながら風の便りと、扇であおぎだします。そこに心配してやってきた主人に見つかり、叱られて追い込まれます。
 恋文の相手は稚児さんで、太郎冠者と次郎冠者は、主人の小人狂いにも困ったものだ、などと話ながら、嫌々運んでいくので、すぐ押し付け合いになります(笑)。
 萬さんと万蔵さんの息の合った掛け合い、主人役の太一郎くんが堂々とした主人ぶりでなかなか良かったです。
 最後に主人に破れた文を畳んで「お返事です」と渡すところは、万作家だと初めに次郎冠者、後に太郎冠者と、二人ともやるのですが、万蔵家では最初の次郎冠者は主人に叱られて逃げ、最後に太郎冠者がおずおずと文を差し出して「お返事です」とやります。ここで大爆笑。何回見ても面白いのですが、やっぱり、最後のオチという感じで、2回繰り返すより、太郎冠者だけが最後に言う方が面白いなあと思います。

半能『石橋』
 寂昭法師が出てきて、清涼山の石橋を渡ろうと言って待っているところに、文殊菩薩の霊獣の獅子が現れ牡丹の花に戯れて舞い遊ぶ、『石橋』の後場を半能で演じます。
 獅子のお囃子も大好きですが、友枝さんの白獅子は威厳と気品があってやっぱり好きです。真也さんの赤獅子は披きだそうですが、勢いがあって若々しくキレが良くて良かったです。
2011年11月3日 (木・祝) 野村万之介追善狂言の会
会場:国立能楽堂 14:00開演

「墨塗」 大名:深田博治、太郎冠者:岡聡史、女:竹山悠樹    後見:内藤連

「昆布売」 何某:石田幸雄、昆布売:月崎治夫    後見:岡聡史

舞囃子「融」酌之舞 野村四郎
    大鼓:亀井忠雄、小鼓:亀井俊一、太鼓:小寺佐七、笛:藤田朝太郎
    地謡:青木健一、青木一郎、永島忠侈、野村昌司

「武悪」 武悪:野村萬斎、主:野村万作、太郎冠者:高野和憲    後見:中村修一


 千之丞さん追悼に続いて、万之介さん追善会。ロビーには万之介さんの写真にお花とお酒が供えてありました。演目は万之介さんの飄逸な演技が印象的だった大名物です。

「墨塗」
 訴訟を済ませて帰国する大名が、在京中なじみになった女の元に分かれを告げに行くと、女は別れを悲しんで泣き、大名ももらい泣きしてしまいます。ところが、女は鬢水入れの水を目につけて空泣きをしていて、それを太郎冠者が見つけ、大名に知らせます。大名は信じませんが、太郎冠者が水と墨を取りかえ、女の顔に墨が付いているのを見た大名は、空泣きと知って、なんとか恥をかかせようと思い、形見だと言って鏡を渡します。墨のついた自分の顔を見て怒った女は、大名と太郎冠者にも墨を塗りつけて追い込んでいきます。
 珍しい若手のみの「墨塗」。深田さんの大名が、なかなか大らかな雰囲気で良かったです。初めて見る岡さんの太郎冠者は、キビキビした太郎冠者。竹山さんの女は、たくましい女という感じでしたが、大名と太郎冠者に墨を塗りつけるのは、ちょっと遠慮気味だったか、高野さんみたいにもっと塗りたくっても良かったのに(笑)。

「昆布売」
 供を連れずに一人で出かけた大名が、誰かに太刀を持たせたいと思い、待ち受けていると、そこへ通りかかったなは若狭の小浜の昆布売り。さっそく道連れになって太刀を持ってくれと頼みます。昆布売りは断りますが、大名は刀の柄に手をかけて脅し、無理やり持たせてしまいます。昆布売りが、自分を召使いのようにお呼びくださいなどと言うので、嬉しくなった大名が、いい気になって家来扱いしていると、昆布売りは急に太刀を抜いて小刀も取り上げ、昆布を売れと強要します。売り声も小歌節や平家節、浄瑠璃節、踊り節などでやるようにさまざま注文をつけ、大名は教えられたとおり懸命にやるうち興にのってきます。ところが、昆布売りは、太刀も小刀も奪って逃げ去ってしまいます。
 月崎さんは、慣れた商人という雰囲気が出ていて、石田さんは人のいい大名。最初は優位に立っていた大名が、持たせた太刀で脅されて形勢逆転。当時の下剋上の世相を反映していますが、昆布を売るうちに興にのってきちゃう大名の人の良さ。商人の方がしたたかですね。

舞囃子「融」酌之舞
 都の六条の河原の院に立ち寄った旅僧の夢に現れた左大臣、源融の霊が月光に照らされて優雅な舞を舞って、夜明けとともに消えていく後場の舞。
 「酌之舞」という小書では、「ここにも名に立つ白河の波の」て扇を目付へ投げ、「あら面白の曲水の盃」で扇を拾い「受けたり受けたり」と両手に持って飲む型があり、早舞になってから舞の中でも酒を汲む所作が入ります。
 四郎さんの舞が、とても優美で素敵でした。しなやかな動き、立ち居振る舞いの美しさ、まさに舞台上に貴公子、融の大臣が出現したようでした。

「武悪」
 主人は召し使う武悪の不奉公を怒って、彼を成敗するように太郎冠者に命じます。太郎冠者は、一旦は武悪を庇い主人に思いとどまらせようとするものの厳命に背くことはできず、やむを得ず主人の太刀をあずかって、武悪の家へ向かいます。武芸に秀でた相手なので、主人に魚を進上するよう勧めて、魚をとるところを、だまし討ちにしようとしますが、結局、友情が先に立って、どうしても討つことができません。遠国に出奔することを条件に見逃して、主人には無事に討ったと偽りの復命をします。
 主人は、武悪の最期が立派であったと聞いて不憫に思い、菩提を弔いに太郎冠者を連れて東山に出かけます。一方、武悪は、命を助かったお礼参りに清水の観世音へ参ろうとして、両者は鳥辺野あたりで顔を合わせてしまいます。武悪はあわてて逃げ、太郎冠者は主人をさえぎりますが、主人の疑惑は募り、太郎冠者は、武悪に幽霊になるよう入れ知恵をします。
 幽霊の出で立ちで出てきた武悪は、主人に冥土で主人の父親に会ったと言い、その注文だといって、太刀、小刀、扇を受け取り、さらに冥土に広い屋敷があるからお供しようと、主人を脅して追っていきます。
 万作さんの主人は、前半の厳しさと一変して後半の可愛らしいこと、やっぱり、この変化が絶妙。高野太郎冠者と萬斎武悪の友情も感じられました。