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能楽鑑賞日記

2006年3月29日 (水) ござる乃座 35th
場所:宝生能楽堂 18:30開演

「井杭」
 井杭:野村裕基、何某:野村万之介、算置:野村万作
                               後見:野村萬斎
「六人僧」
 参詣人:野村萬斎、石田幸雄、深田博治、
 妻:高野和憲、竹山悠樹、月崎晴夫
                               後見:野村良乍、時田光洋

 プログラムには、「井杭」の写真がいくつか載っています。表紙を開くとまず1972年の「井杭」、当時6歳で今の裕基君と同じ年の萬斎さんの井杭と万作さんの算置の写真。そして5ページ目には「井杭」ギャラリーとして1971年11月の野村狂言の会別会の「井杭」、こちらはやはり萬斎さんの井杭に、6世万蔵さんの算置と9世三宅藤九郎さんの何某という配役の写真が3枚。なかなか貴重な写真です。萬斎さん(武司君)の子供らしくぷっくりとした頬が可愛らしい。それから算置役の長いお髭を付けた6世万蔵さんの貫禄があって、目はやさしいけど、きりっとしたお顔が実にカッコイイ!

「井杭」
 井杭が自分を贔屓にしてくれる何某に、いつも戯れに頭を叩かれるのが嫌さに清水の観世音に祈願したところ頭巾をさずかった。それを持って何某のところへ行くと、また頭を叩かれるので、頭巾を被ると姿が消えてしまった。驚いた何某が探していると、折り良く算置(占い師)が通りかかり、何某に失せものを探して欲しいと言われた算置は、さっそく占いで生類であろうと当てる。続いて算木を並べて占い、居場所も当てるが、あわてて居場所を変えた井杭は、姿の見えないのを良い事に二人に悪戯をして何某と算置は喧嘩になってしまう。それを見て井杭は姿を現し、井杭の悪ふざけに気付いた二人は逃げていく井杭を追いかけて幕入り。
 
 まず、裕基君の成長ぶりにびっくり。一つ一つの型が様になってきて、摺足も名乗りの型も台詞回しも綺麗に堂々としたもの。
 この演目のシテの井杭は子供がやることが多い役で、何某が可愛さゆえに思わず頭を軽く叩いてしまうというのも、相手が子供だからなんとなく納得してしまい、扇で叩きに行く時の万之介さんの表情に「お前が可愛くってしょうがない」というのが感じられます。それでも、井杭にとっては迷惑なこと。清水の観世音から授かった頭巾を被って姿が見えなくなった井杭を探す何某の前を「ここにいるよ」というように自分の鼻を指差しながらチョコチョコと動き回る姿も、子供ならではの可愛さです。
 万之介さんの何某と万作さんの算置は悪戯な孫にすっかり翻弄される二人のお爺ちゃんの図にも見えました。(笑)

「六人僧」
 仲間と三人連れで諸国参詣の旅に出た男は、道中、三人で決して腹を立てないことを誓う。途中、辻堂で休憩をとり、寝入ってしまって起きない男に二人の仲間は坊主にしてしまおうと相談し、男の頭を剃って坊主姿にしてしまう。目を覚まして己の姿にビックリしてみせる二人に、男は二人の仕業と見抜くものの、先ほどの誓いのために怒るわけにもいかず二人と別れ一人故郷へ戻るのだった。
 しかし、腹の虫が納まらぬ男は仕返しをしてやろうと、二人の男の妻に二人は溺死したから菩提を弔うよう勧め、二人の女の髪を下ろすと、その髪を持って又出かけ、今度は戻って来る二人に妻たちが死んだと髪を見せて出家させる。
 三人で故郷に戻ると法事にいく妻たちに出会い、二人は再会を喜ぶものの騙されたと立腹。そこへ現れた男の妻もなんと尼姿。以前から尼になりたかったという妻に怒りを納め、これも機縁と沈む夕日を拝み、これからはお互い仏道修行に励もうと別れていくのだった。

 場面転換が多くて狂言には珍しい作品です。
 寝ている男を坊主にしてしまえと企む石田、深田コンビ、ここでは、ちょっと悪戯っ気のある石田さんがいい。
 仕返しをしてやろうと企む萬斎さんが、上手くいったと顔を隠してお得意のニッシッシ笑い。しかし、仕返しにしてもちょっと悪どくないかいという感じもしますが、悪戯っ子的な可愛さに、どうせすぐバレることなのにバカだねえと許せてしまいます。
 でも、最後は思いがけない展開にめでたし、めでたし。元々仏心のある人たちがこれを機縁と仏門に入る。穏やかな中世の人々の考え方も垣間見えて、当時の庶民のしたたかさと大らかさが感じられ、最後は味わいのある終わりかたでした。 
2006年3月25日 (土) 永島忠侈・能の会 20周年記念能
場所:宝生能楽堂 14:00開演

舞囃子「難波」近藤乾之助(宝生流)  
    大鼓:安福光雄、小鼓:坂田正博、太鼓:金春国和、笛:藤田次郎
            地謡:金井雄資、田崎隆三、朝倉俊樹、水上優
仕舞「花筐」クセ 観世銕之丞
            地謡:古川充、観世喜正、浅見真州、中所宜夫
仕舞「西行桜」キリ 観世喜之
            地謡:古川充、観世喜正、遠藤六郎、中所宜夫
仕舞「自然居士」簓之段・キリ 櫻間金記(金春流)
            地謡:山中一馬、守屋泰利、鈴木圭介、政木哲司
能『姨捨』
 シテ:永島忠侈
 ワキ:福王茂十郎
 ワキツレ:福王知登、永留浩史
 間:野村萬斎
    大鼓:安福建雄、小鼓:鵜澤速雄、太鼓:金春惣右衛門、笛:一噌仙幸
    後見:観世喜之、浅見真州、遠藤六郎
    地謡:遠藤和久、長沼範夫、駒瀬直也、弘田裕一
       観世喜正、山本順之、観世銕之丞、若松健史

 20回記念能ということで、舞囃子、仕舞とも、宝生、観世、金春を代表するシテ方の舞でした。舞囃子の藤田次郎さんの笛が太くて澄んだ音色で気持ち良かったです。ただ、やっぱり食後の睡魔が襲ってくる時間に静かな舞が多かったので、α波出まくり状態でした。

『姨捨』
 「姨捨」というと、「楢山節考」のような貧しさのために老人を山に捨てる棄老伝説を思い浮かべますが、能の「姨捨」はちょっと違います。プログラムに色々な方々が『姨捨』に関する言葉を寄せられていますが、それによると、元は、
 「わが心慰めかねつ更科や姨捨山に照る月を見て」
という『古今和歌集』の読み人知らずの歌に拠るものだそうです。そこからさまざまな姨捨伝説が生まれ、能『姨捨』の筋書きは『大和物語』や『今昔物語集』『俊頼髄脳』が典拠になっているようです。しかし、シテの老女は身の上を語ることは無く、名月を見に来た旅人の前に人懐かしんで現れ、名月を無辺光と言われる月光浄土の光と賛美し、月の満ち欠けが現世の有為転変を示すと言って、昔を懐かしんで舞を舞います。そこには捨てられた恨みもなく、魂は澄み切って僧の救済も必要としていません。
 ここで、現世の老女の悲劇を語るのはアイの語りだけです。
 大蔵流山本家の間語りでは、伯母に養育されて大きくなった男が、嫁をもらうが、その嫁が伯母を疎ましく思い、年をとって体がきかなくなった伯母を、山に捨ててくるよう攻め立てるので、とうとう男は有り難い仏を拝ませると伯母を騙して山へ捨ててきてしまいます。家へ帰った男は後悔し、伯母を連れ戻そうと機会を伺いますが、なかなか嫁の目があり出来ないうちに日が経ってしまいます。ある日、意を決して山へ上ると、伯母はすでに石と化していて、懺悔した男は出家して菩提を弔った。という語りです。
 今回の和泉流の萬斎さんの語りでは、やはり、年老いて寝たきりで目も見えなくなった伯母を疎ましく思った嫁にそそのかされて、有り難い仏を拝ませると騙して山へ背負っていくまでは同じです。山の上に来て、石を仏と騙し、盲目の伯母が喜んで拝んでいる隙に逃げていくと、置いていかれた伯母は泣き叫んで探していたが、そのまま家に逃げ帰ったというところで終わっていました。そして、姨捨山の月を愛でた歌を詠み、これは伯母が詠んだ歌だったかもしれません。(ちょっと忘れてしまったので定かではありませんが)姨捨山の月は数々歌に詠まれ、また、田ごとの月と呼ばれる月の謂れと姨捨の石について語って終わります。
 すでに魂が浄化した美しい老女の姿からは想像できない悲惨な話です。それゆえにこの間語りは重要な語りでもあるわけです。きっちりと落ち着いた今回の萬斎さんの語りはしみじみと染み入るようでした。。
 後シテの老女の霊が着ている白い長絹は星座の模様が施されているもので、この『姨捨』のために作られたもののように感じられました。
 月を愛でて舞う舞は静かで美しく、特に観世流の型では、後半のシテ柱に寄りかかってから座り、左手に開いて持った扇に一度目をやってから月を仰ぐ型が好きです。澄み切った空の月が見えるようです。
 最後に旅人を見送るところでは、去っていく旅人に立ち位置が近すぎるような気がしました。観世榮夫さんの時は少し離れた位置で名残惜しそうに見送っているように見えました。
 最初に観た観世流の『姨捨』では、旅人を見送った後、座ってシオル(泣く)型をしましたが、観世榮夫さんの時も今回もシオルことはしませんでした。右手の扇を持った手を立てひざをした膝にあてた左手のところへ持ってきて留めて終りました。
 能『姨捨』の老女は美しい老女です。だからこの能が好きなのかもしれません。
2006年3月21日 (祝) 第19回花影会
場所:観世能楽堂 13:00開演

能『屋島』
 シテ(漁翁・源義経):武田友志
 ツレ(漁夫):武田文志
 ワキ(旅僧):宝生閑
 ワキツレ(旅僧):大日方寛、則久英志
 アイ(浦人):竹山悠樹
           大鼓:安福光雄、小鼓:大倉源次郎、笛:八反田智子
                                後見:野村昌司、武田尚浩
           地謡:武田祥照、佐川勝貴、坂井音隆、清水義也
               坂井音雅、小早川修、関根祥人、藤波重孝

狂言「文荷」
 シテ(太郎冠者):野村萬斎、アド(主):深田博治、アド(次郎冠者)高野和憲

仕舞
 「歌占」キリ 関根祥人
 「三山」   野村四郎
 「野守」   観世恭秀       地謡:武田宗典、岡久広、武田宗和、藤波重孝

能『求塚』
 シテ(里女・菟名日處女):武田志房
 シテツレ(里女):松木千俊、坂井音晴
 ワキ(旅僧):森常好
 ワキツレ(旅僧):舘田善博、森常太郎
 アイ(所の者)石田幸雄
           大鼓:安福建雄、小鼓:曽和正博、太鼓:観世元伯、笛:寺井宏明
                                後見:小早川修、観世恭秀
           地謡:武田宗典、武田文志、荒井和明、小川博久
               小川明宏、武田宗和、野村四郎、岡久広

 どうも、食事後は眠くなる習性が(^^;
今回も休憩までの前半が時々意識とんでたのと、日にちが経ってしまったので、ほとんど抜けちゃってます。m(_ _)m
 『屋島』では、笛方が女性だったのが珍しかったですね、初めてです。しかし、笛の音もしっかりしていてとても気持ち良かったです。
 間語りは「狂言劇場」でもやった景清と三保谷のしころ引きの語りで竹山さんが落ち着いて、しっかり語っていました。「狂言劇場」でも竹山さんの語りがあったのですが、私はその回は行っていません。今回は、能の間で聞くことができました。
 しかし、後シテの舞のところでも時々意識飛んでて、肝心なところが観られなかったのが残念です。

「文荷」
 能『恋重荷』をパロディ化した作品ということですが、内容は全然ちがいます。
 主人から恋文を届けるよう命じられた太郎冠者と次郎冠者。その文の相手は稚児さんなので、女にあてる文ではないからカミサンのことを気にする必要はないという主人。いやいやながら持っていく二人は、道々押し付け合って、稚児にいれあげる主人も困ったものだなどと話し、竹竿に文を紐で結んで二人で担いでいくことにします。手紙を竹竿に結んで二人で担いで行くなんて大げさな、そこまで嫌かっていう感じがして笑えますが、なぜか文が重くなって、二人は能『恋重荷』のことを思い出し、その謡の一節を謡いながら運んで行きます。ついには手紙の中身が気になって読んでしまう二人。「恋しく恋しく」などと書いてあるのを見て、小石がたくさんでは重いはずだと笑ったり、みみずがのたくったような字だと散々馬鹿にした挙句、二人で奪い合い、とうとう手紙は破れてしまいます。責任を押し付けあう二人ですが、風の便りということもあると、破れた手紙を扇であおいで遊んでいるところへ様子を見に来た主人に見つかり大慌て。言い訳が、破れた手紙をたたんで「お返事です」と差し出す二人に大笑いです。
 次郎冠者が、それで主人に叱られ追われた後で、太郎冠者が、また破れた文の片方をたたんで、おずおずと「お返事です」と渡す“間”がいつもながら絶妙でした。

ここまでで、休憩時間。コーヒーを飲んで、後半は目が覚めてバッチリでした。

 後半最初の仕舞3番、これがなかなか良かったです。
 「歌占」は能では観たことがありませんが、とても力強い舞で、後半の地獄の曲舞の部分だと思われます。能も観たくなりました。
 「三山」では一人の男をめぐる二人の女の霊の争い、変化に富んだ舞でこれも面白いものでした。
 「野守」は、後シテの鬼神の舞、勇壮で勢いのある飛び返りが3回も入る舞です。
 3曲とも見応えがあって、面白い仕舞でした。

『求塚』
 11月の「神遊」の公演で1回観た曲です。
 シテの武田志房さんは、60代半ばの小柄な方で、前シテの里女では、二人の男に愛された菟名日處女(うないおとめ)としては美女というより、面も姿も可愛い感じがしました。
 間語りが大蔵流では前場の里女の語りを裏付けるような語りなのに対して、和泉流の石田さんの語りは血沼の大丈夫(ちぬのますらお)の霊の話が中心でした。
 菟名日處女が小竹田男(ささだおとこ)と血沼の大丈夫の求愛に悩み生田川の鴛鴦を仕留めた方を選ぼうとしたが、決着がつかず、鴛鴦が死んだのも自分の咎と思い、生田川に身を投げたところまではさらっと語っていましたが、二人の男が後を追って刺し違えて亡くなり、塚に入れる時、小竹田男の親は烏帽子、直垂、太刀等ことごとく塚に一緒に入れたのに、血沼の大丈夫の親は愚かにして、何も入れなかったと言います。その後のある日、旅人が塚の前で休んでいると、血まみれの男が現れ、恨みを晴らしたいので刀を貸して欲しいと言い、恐れ慄いた旅人は自分の刀を差し出すと、男は塚に消え、やがて塚から地響きとともに激しく争う声が聞こえてきた。明け方、先ほどの男が礼に現れ、夜が明けると塚の前はおびただしい血が流れていて、血のついた旅人の刀が置かれていたという。これが、石田さんの語った塚にまつわる謂れでした。
 後シテの地獄の業火に焼かれて苦しむ菟名日處女の霊。死しても二人の男にこっちへ来いと左右の手を引かれ、死んだ鴛鴦は鉄鳥となって鋼のくちばしでつつく。塚は火宅となって、柱につかまれば火の柱と変わる。地獄の苦しみの様をみせ、やがて、火炎が消え、暗闇になると、塚を「求め、求めて」探しさまよい、やがて探しあてると、その中に消えていくのでした。
 後シテは白い装束の胸に挿した黒っぽい扇が不気味に見え、業苦に苦しみ、やせ衰えた女の霊が、静かにして壮絶にせまって来る感じでした。
2006年3月12日 (日) 「狂言劇場 その参」Bプロ
場所:世田谷パブリックシアター 14:00開演

「能楽囃子」笛:寺井宏明、小鼓:幸正昭、大鼓:國川純、太鼓:金春國和

「瓜盗人」盗人:石田幸雄、畑主:高野和憲       後見:時田光洋

「悪太郎」悪太郎:野村萬斎、伯父:野村万作、僧:深田博治    後見:野村良乍

「能楽囃子」はメドレーなのですが、題名までは詳しくないので良く解りません。初めは笛だけから始まり、ゆっくりと静かな曲から、段々勢いのある賑やかな曲へと盛り上がっていきました。もちろんよく聞く曲もあり、神様が出てきて「神舞」を舞う時などの勢いと調子の良い曲は、舞姿が浮かんでくるようで大好きです。

「瓜盗人」
 盗人が石田さん、畑主が高野さんでの配役は初めて観ました。
 この演目だけ、真中の橋掛かりがありません。右の橋掛かりから出てきた畑主の高野さんは、舞台を普段とは反対にまわって名乗ります。瓜が良くできたので、鳥獣に備えて案山子を立て、これで安心と帰って行きます。
 入れ替わりに左の橋掛かりから出てきた石田さんは、どことなく生活に疲れたようなしょぼくれた雰囲気がよく出ています。出来心で盗んだ瓜を振舞ったところ、また食べたいと言われ、自分が作った瓜だと嘘をついてしまったので、しかたなくまた盗みに来たという。ここまでは、ホントに困ったと言う感じ。でも畑に垣根が出来ていると、こんなこともあろうかと用意周到に鋸を出し、垣根を壊して中に入ります。暗闇の中で転がって瓜を探して取るうちに案山子にぶつかって肝を潰し、平身低頭。案山子とわかって怒ったあげく案山子を倒し、腹いせに瓜の根っこまで引き抜いて行ってしまいます。
 転がるところはゆっくりとしたテンポで転がりますが、最後に案山子にぶつかるところはちょっと転がる回数が多い感じがしました。ぴったり合わせるのは能楽堂の舞台と少し違うから勝手が違うのかな?
 翌日、畑ヘ来た畑主の高野さんは荒らされた畑を見てびっくり。今度は自分が案山子に化けて待ち伏せることしします。夜になるとまたやってきた盗人石田さんが、垣根が壊したままになっているのを見て、畑主が見回りに来ていないのだ、しめしめと入っていくと、しっかり案山子は立っている。この時点で不審に思ってもいいところですが、案山子だという思い込みが目を曇らせ、よく出来た案山子だと感心したあげく瓜を盗むのもそっちのけで、案山子を相手に祭りの出し物の稽古を始めてしまいます。案山子を地獄の罪人に見立てて責めたり、自分が罪人になって責められる真似をしたり。地獄の責めの場面ではお囃子が聞こえてきます。舞台には出ずに舞台裏からお囃子の音が聞こえてくるのです。
 案山子に成りすました畑主に後ろから竿で叩かれたりして、最後には怒った畑主に追われて逃げていくのですが、昼と夜の違いを表す照明の使い方やお囃子が裏から聞こえてくるところ、左右の橋掛かりの使い方などパブリックシアターの舞台ならではの工夫があります。特に真中の橋掛かりの使い方は次の「悪太郎」では違う空間を演出しているようで面白い使い方をしています。

「悪太郎」
 萬斎悪太郎に万作伯父、深田僧による「悪太郎」
 酒好きで乱暴者の悪太郎が、酒を飲むことを伯父が陰で非難していると聞き、脅してやろうと、薙刀を持って伯父の所へやってきます。伯父に陰で自分が酒を飲むことを非難しているだろうと言うと、伯父もおまえが酒を飲んで暴れるので近所の者に意見するよう言われて困っていると言います。伯父の説得も聞かずに、気に入らないことを言うと薙刀を振り回して脅す悪太郎にほとほと困り果てる伯父。それでも断酒を勧める伯父に、急に「わかった酒はやめる」と言い出す悪太郎。しかし、脅しても飲ましてもらえないと悟って、今度は今生最後の酒を飲ませてくれと甘える戦法に変えたもよう(笑)。伯父もつい、ほだされて酒を飲ませたら、もう後は悪太郎の思う壺。1杯が2杯3杯とすっかり酔っ払った悪太郎は帰り道、道端で寝てしまいます。心配して後を追ってきた伯父が、起こそうとすると酒臭くて一向に起きる様子はありません。そこで、ふと思いついたように、薙刀と刀を取り上げ、派手な唐衣を脱がせ、頭と髭を剃って新発意の着る地味な衣を置いていきます。そして、最後に「お前の名は今日から南無阿弥陀仏だ」と言い置いて帰っていきます。
 乱暴者でありながら、単純で憎めない悪太郎。萬斎さんの酔いっぷりも自然な感じになってきました。万作さんの伯父は、乱暴な悪太郎を怒らせないよう気遣いながらも諭し、最後は坊主にしてしまうという、気弱というより老練な伯父です。
 気付いた悪太郎が自分の姿に泣いていると、どこからともなく念仏を唱える声が聞こえてきます。(この時点ではまだ僧は姿を現しません)やがて、真中の橋掛かりの暗闇の奥から念仏を唱えながら一人の僧がやってきます。この出方は不思議な雰囲気です。
 悪太郎は夢のお告げのように聞いた自分の名を呼ばれたと思い「返事をせずばなるまい」と、僧のそばへ寄っては「やぁ」というので、僧は不審顔。念仏を唱えるたびに返事をして寄って来る男を気味悪がりながら無視して唱え続ける深田僧の表情や間がなかなか良く、鉦鼓をたたきながらテンポの良い念仏踊りに変わっていくところも息がぴったりあっていました。
 僧に南無阿弥陀仏の意味を聞き、今までの行いを改めて仏道に入る決心をした悪太郎。最後に「げに今こそは悟りたれ さては六字の名号を 夢につきたる 我が名なれば 今よりは思いきり 今よりは思いきり 唯一念に弥陀を頼み 唯一心に弥陀を頼み 念仏申してわかれけり」と謡いを謡って左右の橋掛かりに分かれて行きます。
 最後の謡いは、周囲に迷惑をかけ甘えてきた悪太郎が自立して新しい人生を歩んで行く決心を現して余韻があり、謡いのとおり分かれて行くという演出もパブリックシアターならではのもので、能楽堂で観る時には気付かない意味合いが感じ取れるものでした。
 三本の橋掛かりについてポストトークで、バックを暗闇にして異界から来るような感じが出せると言っていたそうですが、確かに今回、真中の橋掛かりからの出入りは特別な意味があったような気がします。「茸」で最後に真中の橋掛かりから不気味に現れた鬼茸や「悪太郎」の僧の現れ方。そう考えると「月見座頭」の男が真中の橋掛かりから帰っていったのが怖い。しかし、あの時は暗闇ではなかったので、そういう意味ではないかもしれません。「瓜盗人」で真中の橋掛かりがなかったのは、あくまで現実世界の話だからでしょうか。
 今回も、パブリックシアターの舞台での「狂言劇場」は控えめな舞台装置と三本の橋掛かりの舞台、そして照明の使い方で、能楽堂とはまた一味違った雰囲気作りと、掘り下げた演出で楽しませてくれました。
2006年3月5日 (日) 第79回粟谷能の会
場所:十四世喜多六平太記念能楽堂 13:00開演

『柏崎』舞入
 シテ(花若の母):粟谷能夫
 子方(花若):友枝雄太郎
 ワキ(小太郎):森常好
 ワキツレ(善光寺の僧):舘田善博
 アイ(能力):野村萬斎
      大鼓:国川純、小鼓:曽和正博、笛:松田弘之
      地謡:粟谷充雄、内田成信、谷大作、金子敬一郎
         塩津哲生、友枝昭世、粟谷菊生、香川靖嗣
                         後見:高林白牛口二、内田安信

「財宝」
 祖父:野村万作、孫:野村萬斎、深田博治、高野和憲

仕舞「鵜之段」粟谷菊生
           地謡:佐々木多門、粟谷能夫、粟谷幸雄、粟谷浩之

『青野守』
 シテ(野守・鬼神):粟谷明生
 ワキ(山伏):宝生閑
 アイ(春日の里人):石田幸雄
      大鼓:佃良勝、小鼓:観世新九郎、太鼓:観世元伯、笛:一噌幸弘
      地謡:大島輝久、高林呻二、佐藤章雄、友枝雄人
         長島茂、大村定、出雲康雅、中村邦生
                          後見:佐々木宗生、狩野了一


『柏崎』舞入
 越後柏崎で留守を守る妻のもとに、鎌倉に訴訟に上っていた夫の訃報と、付き従っていた息子花若が出家したという知らせを持って家来の小太郎がやってくる。
 夫の形見と花若の文を手にした妻は嘆き、我が子を恨むが、やがて行末を祈る心になる。(中入)
 出家した花若は信濃国善光寺の住僧のもとで修行しているが、そこに物狂いとなって越後を出た花若の母が訪れて如来堂の内陣に入ろうとする。僧がとがめると、女人禁制は阿弥陀仏の仰せかと反論し、夫の形見の衣をまとって、夫を偲び舞を舞い、世の無常と夫の極楽往生を願う。
 やがて、母と気付いた花若とついに母子の再会を遂げる。

 今回は、前場がとても良かったと思いました。
 母一人残して出家してしまった息子を恨み、体を起こして扇で床を叩く仕草をするシテに、黙って頭を下げる使いの小太郎。ワキの森さんは、無表情ではなく、悲しい知らせを携えた使者の苦渋の表情をみせ、母親の嘆き、悲しみと、それを伝える使者の苦しさが、その一瞬にズンと伝わってきて胸が一杯になりました。
 子方の友枝雄太郎君はとても可愛くて凛々しい花若で、これからが楽しみな子方です。
 アイの能力は、都に山姥の山廻りを曲舞に作って謡う、百万山姥という女物狂いが山姥の曲舞を謡うと、本物の山姥が出てきて山廻りの様を舞ったという話をし、女物狂いがやってきたと、外が騒がしくなったのを聞きつけて、面白く舞うのを見てみたいなあと、庭なら良いだろうと善光寺の中に入れてしまいます。
 萬斎さんのアイは、しっかりした語りと、後半は、橋掛かりの方を覗きながら、自分も見てみたいなあという好奇心一杯の能力の様子が出ていて面白く、良かったと思います。
 しかし、前半に比べると後半の再会がそれほどしみてこなかったのは何故だろう。

「財宝」
 千作さんの、直面の祖父での「財宝」は観た事があります。それは、千作さんならではの反則もの(笑)とも言える「財宝」の翁でしたが、面をかけた万作さんの祖父も、出てきた時からなんとも可愛らしい。体全体で老人の可愛さを表現していました。
 孫たちに勧められて、舞を舞うときも、腰を曲げて、おぼつかない足取りで舞ってみせたり、最後は孫たちの手車に乗って、孫たちにつけた目出度い名前を囃子ながら帰っていく姿も、終始百歳の翁で、見所から和やかで温かい笑いがおこっていました。

『青野守』
 1月の「宝生会月並能」で、『野守』を観ていますが、『青野守』は後シテの鬼神の装束が青系のため、『青野守』と言うらしいです。
 ワキの宝生閑さんは、修行を積んだ力のある山伏の貫禄がありました。
 後シテの鬼神は、緑系の装束で白に灰色の入った頭、黒べし見という黒いというか濃い灰色の面でした。塚の中から天界から地獄まで映すという野守の鏡をハッシと構えて現れた鬼神の舞いは力強くて威厳があり、引き込まれて見てしまいました。
 1月に観たのとは、型もかなり違う感じで、迫力があり本当にカッコイイ鬼神でした。 
2006年3月2日 (木) 「狂言劇場 その参」Aプロ
場所:世田谷パブリックシアター 19:00開演

語「八島」高野和憲

小舞「景清 後」深田博治  
   地謡:破石晋照、月崎晴夫、石田幸雄、竹山雄喜、時田光洋

「月見座頭」座頭:野村万作、男:野村萬斎     後見:深田博治

「茸」山伏:野村万之介、何某:石田幸雄、鬼茸:野村萬斎
   茸:月崎晴夫、竹山悠樹、時田光洋、深田博治、高野和憲、野村遼太、破石晋照
   ※ 他、一般公募者6人が茸で参加
                         後見:野村良乍、岡聡史

 パブリックシアターでは、お馴染みの三本の橋掛かりのある能舞台。
 「八島」の語りでは上から縦長のスクリーンが降りてきて、語りの詞章が映し出され、舞台の真中に高野さんが座り「八島」の悪七兵衛景清と三保谷四郎のしころ引きの力比べの間語り、力強く語っていました。詞章が出ているので、ちょっと間違ったのが解ってしまいましたが、そうでなければ気がつかないところだったでしょう。
 この後から、睡魔沈没ぎみ。よって、残念ながら小舞をあまり覚えていません。

「月見座頭」
 昨年10月の「あかり夢幻能」で観て、2度目になります。あらすじはそちらを御覧下さい。
 「あかり夢幻能」の時は、本物の月とススキ、虫の声、そして水がありました。
 今回は、舞台後方の左右真中に伸びる三本の橋掛かり、その後方に秋草の野原を現した舞台があり、舞台の始まりと最後に虫の声が聞こました。
 「月見座頭」でも、時々意識がとんでしまうという絶不調の私ではありましたが、最後に取り残された万作さんの座頭の一人芝居に、なにか今までより演劇的なものを感じました。
 パブリックシアターの二・三階席からの観劇は、俯瞰するような感じがあります。
 客席の照明を落とし、浮かび上がった舞台に一人残された万作さん。頭上には本当の月が見えるよう、そして、私も空から観ている。
 楽しく酒を酌み交わした男が、後で自分に難癖をつけて突き倒した男と同じだとは思わず、「最前の人とひっちがえ情けもない奴」とつぶやき、杖を探して、帰る方角を川の流れで確かめ、くしゃみをして静かに帰っていく。
 その姿は、盲目の身の哀しさも、人の世のせつなさもあるがままに受け入れて、一夜の酒宴の楽しさを心にしまって帰っていくようで、なんとも美しい。
 洛中の男が、ふと起こした悪心、魔が差したのか、人の心の闇というものなのか。

「茸」
 何回観ても、面白くて、気味が悪い話です。
 本当に身丈ほどの茸が取っても取っても、毎晩増えてきたらこんな気味悪いことはありません。
 万之介さんの山伏は胡散臭さ満点(笑)。悪戯する茸を振り払いながら頭を叩く石田さんの主人もユーモラスです。
 橋掛かりの途中の欄干が切れていて、そこからも茸が上ってきて、あちらからも、こちらからも、あっという間に舞台一杯茸だらけ。
 上から見ると、茸が動くたびに、舞台の床に菌が増殖していくような映像が映し出されていて、面白かったです。
 最後に出てくる鬼茸は真中の橋掛かりから、そろり、そろりと派手な傘を開いたり閉じたりしながら不気味さを伴って現れます。
 「取ってかもう」と鬼の姿を現した今回の鬼茸は白頭に青緑の武悪の面でした。