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能楽鑑賞日記

2012年5月27日 (日) 第13回吉次郎狂言会
会場:国立能楽堂 14:00開演

「縄綯」
 太郎冠者:善竹十郎、主人:善竹大二郎、某:善竹富太郎     後見:野島伸仁

「連歌盗人」
 男:大藏吉次郎、男:宮本昇、亭主:大藏彌太郎         後見:星廣介

「二人袴」
 聟:大藏教義、舅:善竹忠一郎、太郎冠者:榎本元、兄:大藏千太郎
   後見:吉田信海

附祝言

「縄綯」
 博奕好きの主人が大負けして、太郎冠者が借金のかたにとられることになり、本当のことを言っても冠者が素直に博奕相手の元へ行かないだろうと思った主人は、使いのように装って某の家に行かせます。向こうへ着いて初めて真相を知った太郎冠者はつむじを曲げて、命じられた仕事を何かと口実をつけてやろうとしません。怒った某は主人のもとへ文句をつけに行き、借金を清算するよう迫ります。困った主人は、いったん冠者を帰宅させ、本当の働きぶりを某に見せることにします。某から今度は主人が勝って取り戻されたと聞かされた冠者は、大喜びで帰宅し、主人に命じられるまま縄を綯います。その間に縄の端を持っていた主人が某と入れ替わりますが、冠者は気付かずに喜々として某の家の悪口を言い、それを聞いた某は怒りだし、気が付いた冠者はあわてて逃げて行きます。
 パンフの解説によると、この時代の博奕というのは双六だったそうで、テレビの「平清盛」に出てくる双六ですね。二人で双六盤をはさみ、黒白の石を持ち石として、筒に入れた2個の賽を交互に振りだしては、目の数に従って石を進め、全ての石を早く敵の陣に入れた方が勝ちというものだったそうです。現在の双六とは大分違いますね。賽の目を振ることに重点が置かれるようになったのは江戸期からだそうで、それによって、本来の双六は廃れていったそうです。
 やっぱり十郎さんのとぼけた雰囲気と絶妙な間が生きてました。某の子どもをあやしたりぶったりする仕草では、泣かせておいて「誰が、誰が」とあやす顔が、孫をあやすお祖父さんそのものの顔をしてました。後ろで怒りを我慢して聞いている某の富太郎さんの表情がまた面白かった(笑)。

「連歌盗人」
 連歌会の頭(準備当番)に当たった男二人は、二人とも貧乏で、連歌会の準備が何もできません。切羽詰まった二人は、知り合いのお金持ちの家に盗みに入ることにします。その家に忍び込むと、茶道具と見事な道具類が並んでいて、それらに見入っていると、床の間に懐紙があり、そこに句が書かれていました。その句を見た二人は、見つけた懐紙の句に添え句をはじめてしまい、だんだん連歌に熱中してしまいます。やがて、その家の亭主が異変に気付き、盗人を見つけるのですが、やはり連歌好きの亭主は、自分の句にみごと四句めを付けたら命を助けると言って詠みかけると、二人が上手に付けるので、亭主は二人を許し、二人が顔見知りと分かった亭主は事情を聞き、酒をすすめて太刀と小刀を与えて帰します。
 連歌が庶民の娯楽として流行っていた中世を反映した作品ですが、盗みに入ったのに好きなことに夢中になって我を忘れてしまうちょっとマヌケで憎めない二人の盗人(笑)。亭主に見つかって、一人(宮本さん)が、もう一人(吉次郎さん)を「のこぎりまで用意してた」と言いつけるのには笑ってしまいました。彌太郎さんの主人のおおらかさが、ほのぼのとした温かさを感じさせました。

「二人袴」
 世間知らずの聟が、聟入りに行くことになり、恥ずかしいため兄に舅の家まで一緒に来てもらいます。兄は門前で待っているつもりでしたが、舅の家の太郎冠者に見つけられ、一緒に家に入るよう勧められます、しかし二人で一緒に挨拶をしようにも、袴は一着しか持ってこなかったために、兄弟で取り合ううちに袴が裂けてしまいます。兄の機転で裂けた袴を二人で分け、それぞれの前に着けてその場を乗り切ることにしました。二人は後ろを見られないよう注意しますが、酒宴となって舞を所望され、なんとか舅と太郎冠者の目をそらして舞うものの、舅と三人揃って舞ううちに、太郎冠者に見つかって、兄弟は恥ずかしさのあまり逃げ出してしまいます。
 ポピュラーな曲ですが、何回観ても面白いです。教義さんが無邪気で幼稚な聟の雰囲気をよく出していて、それに対する舅の忠一郎さんの品のよさと温かさ、兄の千太郎さんの落ち着きとついつい弟の面倒を見てしまう甘さ、三者がそれぞれ良い味でよく合っていて、とても面白かったです。
 余談ですが、夫が後見の吉田さんがイケメンだと妙なところに感心していました。
2012年5月6日 (日) 第13回よこはま「万作・萬斎の会」
会場:横浜能楽堂 14:00開演

「清水」
 太郎冠者:野村萬斎、主:石田幸雄      後見:村井一之

「宗論」
 浄土僧:野村万作、法華僧:深田博治、宿屋:内藤連

狂言芸話(十三):野村万作

素囃子「早笛・舞働」
 大鼓:亀井広忠、小鼓:鵜澤洋太郎、太鼓:桜井均、笛:八反田智子

「田植」
 神主:野村萬斎
 早乙女:高野和憲、中村修一、村井一之、内藤連、岡聡史
    後見:月崎晴夫

「清水」
 近頃流行る茶の湯の会を開こうと思い立った主人は、太郎冠者に野中の清水で水を汲んでくるよう命じます。秘蔵の手桶を渡された太郎冠者は、常々便利に使われる不満から一計を案じ、清水から怯えて戻った様子を見せ、鬼が出たと嘘をつきます。ところが、秘蔵の手桶を鬼に投げつけたと聞いた主人は、取り戻すために清水へ向かったので、先回りした太郎冠者は、鬼の面をかぶって主人を脅します。あわてて逃げだした主人ですが、冠者を贔屓した鬼の言葉や冠者そっくりの声など、合点のいかないことが多いので、もう一度清水へ行くことにします。そこでまた冠者は鬼に扮して脅しますが、今度は正体がバレて主人に追われて逃げていきます。
 鬼に化けた太郎冠者が主人に、太郎冠者の部屋に蚊帳を吊ってやれとか、酒を飲ませてやれとか、ささやかな待遇改善を要求するなんて、主人だって、そりゃおかしいと思うでしょ(笑)。声も太郎冠者にそっくりだし、次第に不審に思う主人の心情表現がさすが石田さんは上手い。屋敷に戻ってからトボケて太郎冠者に「親類に鬼がいるのか?」と聞いたり、鬼の声色を再現させたり、そこで太郎冠者はバレないように小声で「いで食らおう」と言ったりするやりとりが最高!いつ見ても爆笑ものです。

「宗論」
 身延山に参詣した本国寺の法華僧が都へ帰る途中、善光寺から戻る黒谷の浄土僧と道連れになりますが、互いに宗派を知って驚き、法華僧は口実を設けて別れようとしますが、浄土僧は離れず、宗祖伝来と自称する数珠をいただかせあって争いはじめます。法華僧が宿に逃げ込むと、浄土僧も同じ部屋に押しかけ、今度は宗論を始めます。法華僧が「五十展転随喜の功徳(ごじってんでんずいきのくどく)」を芋茎(ずいき)にかけて説くと、浄土僧は「一念弥陀仏即滅無量罪(いちねんみだぶつそくめつむりょうざい)」を無量(たくさん)の菜と珍解釈して説き、互いにけなしあいますが勝負がつかず、二人とも寝てしまいます。翌朝、浄土僧が経を読み始めると、法華僧も謹行を始め、互いにだんだんと声が大きくなって、「なもうだ」「れんげきょう」と拍子にのって踊り念仏、踊り題目の張り合いになるうち、お互いの念仏と題目を取り違えてしまいます。そこで釈迦の教えに隔てがないことを悟って和解します。
 一本気で強情な法華僧と陰性で理屈っぽい浄土僧。安定感のある万作さんの浄土僧に対して、いかにも一本気で直情型の深田さんの法華僧がなかなか良かったです。二人の宗論は、どちらも食べ物にかけたとんでもない珍解釈で、これも狂言らしい風刺ですね。
 最後の踊り念仏、踊り題目合戦では、万作さん、さすがに息が上がっていましたが、それでも身が軽い、また、その後の台詞はまったく影響なく言えるのが凄いです。
 宿屋の役が若手の内藤さんで、もうピンの役が出来るんだと思いましたが、堂々としたもんでした。

万作芸話(十三)
 「よこはま」では、万作さんのお話があるのが楽しみの一つです。
 狂言「薩摩守」の坊さんの道行の台詞に出てくる「旅は道連れ世は情け」を自分の能楽人生と同じ、今までいろいろな方々のお力を借りてここまでやってこれた、と仰って、思い出深い方々や舞台のお話をされました。観世華雪さんの『安宅』の舞台を観て泣いたことや、観世寿夫、栄夫、静夫の三兄弟と互いに影響しあってやってきたこと、宝生流の様式性の強い芸風には、自分のアイが合っていて褒められたことや宝生流の素人の方の能がプロ以上に格があって感動したことなど。また、先代の山本東次郎さんとの初めての異流共演で、当時山本家と関西の茂山家は同流でも交流がなく、他流でも東京を基盤とする山本家と自分の家は芸風が合ったことなど話されていました。自分の家のあるべき姿と他家の良いところのどちらも意識できることが大切。自分もまだまだ、もっとどうにかならないかという気持ちでやっていると、いくつになっても驕らず、向上心と努力の万作さんらしい言葉でした。

「田植」
 賀茂神社の神主が五穀豊穣、子孫繁栄、福貴成就を導く神田(しんでん)の田植えを命じるため氏子の早乙女を呼び出すと、美しく装った大勢が賑やかな囃子物とともに現れます。やがて身支度を整えた早乙女が水田に早苗を植え、畔では神主が柄振(えぶり)を扱いながら早乙女と謡いを交わして、豊作を祝うのでした。
 若手で揃えた早乙女たちは、高野さん以外皆さん背が高い。なかなか美しい早乙女でした。元は能『賀茂』の替間を独立させたものですが、謡い舞いで祝祭性に満ちた演目。時々神主が早乙女にちょっかいを出したりするのが笑えます。