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能楽鑑賞日記

2012年6月30日 (土) セルリアンタワー能楽堂定期能6月―喜多流―
会場:セルリアンタワー能楽堂 14:00開演

おはなし:馬場あき子

『綾鼓』
 シテ(庭掃きの老人・老人の怨霊):友枝昭世
 ツレ(女御):佐々木多門
 ワキ(臣下):森常好
 アイ(従者):高澤裕介
    大鼓:柿原崇志、小鼓:森澤勇司、太鼓:助川治、笛:一噌隆之
       後見:塩津哲生、中村邦生
          地謡:金子敬一郎、友枝雄人、狩野了一、大島輝久
              長島茂、粟谷能夫、香川靖嗣、粟谷明生

 最初の馬場さんのお話は、いつも分かりやすくて面白いです。
 『綾鼓』は、『恋重荷』より古く、その原型とされている曲ですが、宝生流と金剛流に伝わっていたものを参考に喜多流では昭和27年に15世宗家喜多実師と土岐善麿(ときぜんまろ)氏が新作能として創作したものだそうです。そのため、宝生流、金剛流の『綾鼓』とは詞章などがかなり違っているそうで、当日、プログラムと共にその詞章も配られました。
 綾鼓というのは鳴るわけがなく、「ならぬ恋」にかけているとのこと。しかし、庭掃きの老人にはそれが分かるはずもなく、女御逢いたさに打ち続けるわけです。
 美女と老人の話はよくある主題だそうで、藤原褒子と滋賀寺聖人の話では、藤原褒子を見染めた滋賀寺聖人が一目逢いたいという願いが叶い、手まで握らせてもらえたことで、満足してまた修行に戻れたというハッピーエンドになったそうですが、この『綾鼓』ではそうはならないわけです。『恋重荷』では、最後に弔ってくれるなら、女御を守り続けようと誓って終わりますが、『綾鼓』では、最後まで怨みの言葉を残しながら池の淵に消えて行くという救いのない終わり方になっています。

『綾鼓』
 筑前国の天智天皇の行在所である木の丸御所の御庭掃きの老人が、管弦の御遊の宴に出られた女御を見て、あまりの美しさに恋慕に明け暮れます。帝の臣下から、池辺の桂の枝に鼓を掛けておくから、それを打つ音が御所に聞こえたらもう一度姿を見せようと言う女御の言葉を伝えられた老人は、一晩中懸命に打ち続けますが、綾絹張りの鼓は鳴るはずもなく、老人は望みの叶えられぬことを怨んで池に身を投げます。
 従者が老人の入水を臣下に報じ、老人の執心を慰めるよう臣下に勧められて池辺に至った女御は「波の打つ音が鼓の音に似る、面白い鼓の音だ」と、たちまち狂気の態となります。そこへ池の中から老人の怨霊が出現し、自分は今や魔境の鬼となったと告げ、今度はあなたが鳴らぬ鼓を打ってみよと、笞を振って女御を責めます。その責め苦は骨をも砕く地獄の火車の責めにも過ぎるほどで、女御に因果の報いを思い知らせた怨霊は、冥途の鬼の姿を見せ、女御に怨みの言葉を残しながら再び池の淵へ身を沈めて行くのでした。

 正先に鼓を結びつけた桂の木の作り物が出され、最初に女御が現れて脇座で葛桶に腰掛けて控えます。次に出てきた臣下と従者、ワキの臣下は本舞台ではなく橋掛りで名乗りをして、そのままアイの従者とのやりとりがあり、従者が老人を呼び出します。痩せてみすぼらしい庭掃きの老人がそろそろと登場しますが、やはり友枝さんですからよろよろとした老人の雰囲気を感じさせながらも美しいです。
 臣下から桂の木にかけた鼓を打って皇居に聞こえたら女御が姿を見せると聞いた老人は女御への恋慕の想いから鳴らない鼓を力尽きるまで必死に打ちますが、見かねた臣下が綾の鼓だから打っても鳴ることはないから諦めよと言うのを聞いて騙されたと思い、絶望して女御を怨んで池に身を投げてしまいます。「底白浪にぞ入りにける」と橋掛りでガクっと膝をつきます。
 後場になって、ずっと脇座で控えていた女御が臣下より老人が池に身を投げたことを知りますが、池辺に出ると俄かに浪の音が鼓の音に聞こえると、狂いの態となります。ツレの女御の佐々木多門さんは、控えている間もピクリともせず、老人が見惚れるのも無理ない美しい女御でした。
 いよいよ、老人の悪霊の登場。魔境の鬼と化した老人ですから装束は前場のみすぼらしい装束とは打って変って立派な装束で白頭に悪尉の面、女御を葛桶から引きずり下ろして、綾の鼓を打ってみよと迫って、打ち据え、逃げまどう女御を責め立てる。凄まじい怨みのまま再び池の中に消えて行く、救われない話です。友枝さんの悪霊、怨みの凄まじさを感じさせる迫力で、消えて行く背中には怒りと悲しみが漂っているよう。
 女御も「ならぬ恋」にかけて、諦めるよう伝えたかったのでしょうが、教養のない庭掃きの老人には分からない。一途な想いをコケにされ騙されたと思った老人の怨みは倍増してしまうわけです。藤原褒子のように一目会いたいという願いを叶えてあげるか、直にそれは叶わぬことと伝えれば良かったものを・・・。
2012年6月29日 (金) 千五郎狂言会第十三回
会場:国立能楽堂 19:00開演

「雁礫」
 大名:茂山千五郎、道通りの者:茂山茂、仲裁人:松本薫    後見:島田洋海

「鏡男」
 男:茂山正邦、女:茂山宗彦                 後見:井口竜也

「鬮罪人」
 太郎冠者:茂山千五郎
 主人:茂山茂
 立衆:茂山逸平、島田洋海、井口竜也、松本薫、茂山宗彦
 笛:藤田貴寛
 後見:茂山正邦

「雁礫」
 大名が雁を弓矢で狙っていると、通りがかった男が石礫を投げて命中させ、雁を拾って立ち去ろうとします。大名は引きとめて、自分が狙い殺した雁だから置いていけと弓矢で脅しますが、仲裁人が現れて、死んだ雁を元の場所に置き、もう一度大名が射て当たれば大名の物、外れれば男の物ということになります。ところが、弓の下手な大名は死んだ雁すら射ることができず、散々に笑われて男に雁を持って行かれてしまい、大名はせめて羽箒にするから羽根だけでも置いていけと男を追って行きます。
 千五郎さんは、そもそも弓の射方も良く知らないのに、横柄で、威張っているだけのヘボ大名。茂さんは忙しい忙しいと言いながらついでに投げた石礫の一撃で雁を射止めてしまう男。松本さんはおっとりしているけれど、大名が弓が下手だとちゃんと見抜いてる仲裁人。それぞれがハマリ役。忠三郎さんが大名をやった時は、威張っていてもどこか憎めない可愛らしさがあったけれど、千五郎さんはなんか胡散臭い感じ(笑)、それぞれの個性で雰囲気がちょっと違って見えるのも狂言の面白さ。

「鏡男」
 在京していた山家の男が帰国することとなり、妻への土産に鏡を買って帰ります。ところが生まれて初めて鏡を見た妻は、中に見知らぬ女がいると騒ぎ出し、夫が都の女を連れてきたと言って怒り、夫が説明しようと近づくと、また女に近寄ると嫉妬して怒ります。ついに夫が他の者にやろうと鏡を取り上げると、妻は女を何処に連れて行くのだと怒りながら追って行きます。
 初めて鏡で自分の顔を見た女の勘違いがユーモラス。ついには宗彦さんの妻がハイテンションに怒り狂い、夫は、せっかく喜ぶと思って土産に買ってきたのに、説明しても嫉妬に狂って聴く耳を持たない妻に呆れて、それなら他の者にくれてやる!きっと当時は値段も高かったんでしょうね、正邦さんの夫がキレるのも無理は無い。

「鬮罪人」
 祇園祭の当番になった主人は町内の衆を集め、出し物の相談をします。色々な趣向の意見が出ますが、どれも太郎冠者がケチをつけて却下され、主人は、でしゃばりな太郎冠者に引っ込んでいるよう退けますが、結局、太郎冠者の提案で「地獄で鬼が罪人を責める」のを演じることとなり、役割をくじ引きすると、主人が罪人、太郎冠者が鬼にあたります。
 さて稽古になって、太郎冠者は恐る恐る主人の罪人を責めるうちに、杖が強く当たって怒った主人に追いかけられます。町衆になだめられて稽古を続けることになりますが、主人ににらまれるのが恐いので、今度は鬼の面をつけてやることにします。太郎冠者は再び主人を責めますが、段々調子に乗ってまた杖で打ち、怒った主人に追いかけられて逃げていきます。
 七五三さんが主人役でしたが、4月の春狂言の時に宗彦さんが七五三さんの入院話をしていたので、まだ舞台には出られないのか、茂さんが代役でした。
 祭好きででしゃばりな太郎冠者と恐い主人。鬼になって嬉しそうな太郎冠者としかめっ面の主人の対照が面白い。おちゃめな千五郎さんの太郎冠者ですが、カラっとしたというより、ちょっと湿った感じがするのが千五郎さんの持ち味か。茂さんの主人もキっと睨みつけてがんばっていましたが、七五三さんだったらどんな感じかなと、ちょっと想像してしまったり、早く舞台復帰して欲しいです。
2012年6月12日 (火) 第二十回久習會
会場:宝生能楽堂 18:30開演

仕舞
「玉之段」 宮内美樹
「舟弁慶/後」 橋岡伸明
        地謡:坪内芘呂之、松山隆之、山中迓晶、宮下巧

レクチャー「能の笛について〜アシライと舞〜」 一噌幸弘、荒木亮

「猿座頭」
 勾当:野村又三郎
 勾当の妻:野口隆行
 猿曳:奥津健太郎
 猿:野村さよ
    後見:伴野俊彦

『身延』
 シテ(女):荒木亮
 ワキ(日蓮上人):福王和幸
     大鼓:河村総一郎、小鼓:田邊恭資、笛:一噌幸弘
        後見:松山隆之、山中迓晶
           地謡:橋岡伸明、宮内美樹、宮下功、坪内芘呂之
               長山桂三、伊藤嘉章、馬野正基、浅見慈一
附祝言

 久習會は、観世流橋岡會門下による研修会・研修公演ということで、今回は極めて上演の珍しい能『身延』と狂言「猿座頭」を上演するとのこと、それに幸弘さんの笛のレクチャーもありました。

レクチャー
 司会進行で荒木亮さんが登場。能の笛について、ということで、一噌幸弘さんが登場しました。
 能管3本と篠笛を腰にさし、荒木さんの能管についての説明で3本の能管をそれぞれ吹いてみて、洋楽器の笛のように音程が決まっていないことなどの話がありました。やっぱり、圧巻だったのはその能管でバッハを吹いてみせたこと。久々に聴く幸弘さんの超絶技法は凄い!
 その後、荒木さんと宮内さんの謡で、当日配られた解説チラシに載っている舞の譜の基本パターンを吹いたり、息継ぎをせずに鼻で息を吸いながら笛を吹くという技法をみせてくれたり、最後は「獅子」の演奏、これも幸弘さんオリジナルと思われる指使いがあって面白かったです。
 それから、能『身延』での舞を5段の序之舞で舞うということで、扇の持ち方が変わったところで段が変わることなどの説明もありました。

「猿座頭」
 勾当(盲人の位)が美しい妻を伴って花見に行き、酒宴を楽しんでいると、そこに子猿を連れた猿曳がやってきて、妻を誘惑します。勾当は妻がたびたび座を離れるので、不審に思い、腰に紐を括りつけて繋いでしまいます。猿曳きはその紐に子猿をつなぎ替えて女を連れて逃げ、勾当は紐をたぐると猿がひっかくので、驚いて逃げていきます。
 差別ということで、現代では上演されなくなった演目だそうですが、勾当の傲慢な態度を批判している作品と解説チラシには書いてありました。実際観た感じでは、差別云々というより、勾当も傲慢さを感じるほどではないし、第一、妻もそれほど不満を持っていたとは感じられないのに、なんで逢ったばかりの猿曳きに着いていってしまうのか、ちょっと理解できない、という感じ。子猿役のさよちゃん(又三郎さんのお子さんでしょうか)の仕草がとっても可愛かったです。

『身延』
 身延山の日蓮上人のもとに毎日お経を聴聞に参じる女がいますが、彼女はすでにこの世に亡き人で、法華経のお蔭で成仏できた感謝に礼讃の舞を舞い、やがて姿を消していきます。
 あらすじは単純で、登場人物もシテとワキだけです。序の舞も現在は五段で上演される機会は少ないそうですが、今回は省略しない五段での上演でした。
 ワキの日蓮上人は、イケメンの福王和幸さん。花帽子(尼が頭に被っている白い布)にサシヌキ姿で、下は紫系でまとめた品のいい装束。背の高いスっとした感じがステキです。
 シテは白の水衣で、何と言う面なのか、ちょっと寂しげな雰囲気の面。法華経礼讃のため謡いの詞章には経文の言葉がかなり含まれているよう。五段の舞は事前に解説のあった扇の持ち方で段が変わったのが分かるのですが、長いので、今、何段になったという、そちらの方につい気を取られて、時々眠くなってしまいました。舞の所作やキレ、ハコビが引き込まれるほど美しいとはいえず、かなり名手でないと難しい曲なのではと、ちょっと思いました。成仏の喜びを舞うにしては、うつ向き気味で、全体的に寂しげ哀しげに見えてしまいました。
2012年6月7日 (木) 第六回日経能楽鑑賞会
会場:国立能楽堂 18:30開演

「文荷」
 太郎冠者:野村万作、主人:深田博治、次郎冠者:石田幸雄   後見:岡聡史

『隅田川』
 シテ(梅若丸の母):友枝昭世
 ワキ(隅田川の渡守):宝生欣哉
 ワキツレ(旅の商人):則久英志
    大鼓:柿原崇志、小鼓:曽和正博、笛:一噌仙幸
       後見:塩津哲生、狩野了一
          地謡:内田成信、友枝雄人、長島茂、金子敬一郎
              中村邦生、出雲康雅、粟谷能夫、粟谷明生

「文荷」
 主人から恋文を届けるよう頼まれた太郎冠者と次郎冠者は、道々、恋文を持つのを押し付け合い、とうとう文に竹を通して二人で担うことにしましたが、なぜか文が重い。二人は能『恋重荷』を思い出して、その謡いの一節を謡いながら運んでいきますが、文はますます重くなり、ついに二人は文に何が書いてあるかが気になって読んでしまいます。文には「恋しく恋しく・・・」などと綿々と綴ってあり、こう小石だくさんでは重いはずだなどと笑い、奪い合って読むうちに文を引き裂いてしまいます。困った二人は風の便り、ということもあろうと、扇であおぎだしますが、そこに主人が心配になってやってきて、文で戯れる二人を見つけ、怒って追いかけます。
 主人の恋の相手が稚児なので、二人はそのことも何の役にもたたないと馬鹿にしながら、嫌々届けにいきますが、何回観てもラストのトボケた返しや二人の掛け合いが面白い曲。太郎冠者、次郎冠者も万作さんと石田さんの最強コンビで、万作さんらしい品の良さを残しながらも大笑いでした。

『隅田川』
 隅田川で渡守が旅人たちを待っていると、都の旅人がやってきて、そのすぐ後から物に憑かれたような女が来て渡守に乗船を頼みます。女は、都の北白河に住んでいたが、我が子が人商人にさらわれて東国に下ったと聞いて、心乱れつつこれまで尋ねてきたと言います。
 渡守は、おもしろく狂ってみせよ、さもなくば乗せないと言うので、女は『伊勢物語』九段の詞章をひいて渡守をやりこめ、古歌をひいて嘆きます。それを聞いてあわれに思った渡守は、女を乗せてやります。渡守は旅人の問いに答えて、川岸で行われている大念仏は、一年前に人商人に連れられてきた子どもがここで病死したので、その子の一周忌の回向をしていると説明し、都北白河の吉田の何某の子であったと言います。それを聞いた狂女は、それこそ我が子梅若丸と知って泣き伏し、同情した渡守は、女を子どもを埋葬した塚へ導きます。母は我が子の墓を見て、泣く泣く人々とともに念仏を唱えると、一同の念仏の声の中に、子どもの念仏の声が聞こえ、母の目の前には子どもの姿が幻のように現れます。母は我が子を抱こうとしますが、白みゆく空とともに子の姿は消え失せてしまいます。

 『隅田川』は子方が出るものと出ないものとがありますが、今回は子どもの姿は母だけに見えるものという世阿弥の演出を取って、子方が出ないものでした。
 今回びっくりしたのは、塚のところで母が、この土を返して今一度その姿を母に見せさせ給え、と言って渡守に歩み寄り両手で肩を掴んだこと。我が子に二度と逢うことの出来ない母の悲しみとぶつけようのない怒りが激しくぶつけられ、渡守がそれを一身に受け止めているように見えました。
 母にだけ見える子の亡霊を抱きしめようとして見失い、白々と明ける空を微かに仰ぐ姿の切なさ美しさ、母の情感を時に激しく、時に静かに見せる友枝さんの表現力、ワキの欣哉さんも地謡も囃子方も素晴らしく、拍手が起きたのは全員が舞台からはけてから、しみじみと余韻に浸った舞台でした。
2012年6月3日 (日) 萬狂言 特別公演
会場:宝生能楽堂 15:00開演

「三番叟」式一番之伝
 三番叟:野村万蔵
 千歳:野村虎之介
    大鼓:亀井広忠
    小鼓頭取:大倉源次郎
    脇鼓:田邊恭資、古賀裕己
    笛:松田弘之
      後見:野村扇丞、吉住講
         地謡:山下浩一郎、野村万禄、小笠原匡、炭光太郎

「奈須与市語」 野村太一郎          後見:野村万禄

小舞
「海道下り」 野村眞之介
「貝つくし」 野村拳之介
       地謡:吉住講、野村扇丞、野村万蔵、山下浩一郎、炭光太郎

「花子」
 夫:野村萬、妻:山本東次郎、太郎冠者:野村又三郎
                       後見:山本則孝、小笠原匡

「三番叟」式一番之伝
 式一番之伝は平成11年に萬さんと横道萬里雄さんが考案したものだそうで、初めて観ました。白装束で司祭の太夫を兼ねる形式です。白狩衣に白大口の白装束に烏帽子も常の三番叟の烏帽子ではなく、白い紐のかかった翁太夫の烏帽子のようでした。面箱持の虎之介くんが面箱を掲げてゆっくり登場し、太夫を兼ねる白装束の万蔵さんが続いてと登場、その後をお囃子の面々が続くという翁の登場と同じ、その後も翁太夫と同じく太夫が正先で深々と一礼して太夫の席につき、面箱持が面箱を太夫の前に運んで、箱の上に面を出します。千歳を兼ねる面箱持がワキ座に座ると囃子方、後見、地謡がそれぞれ座につきます。太夫が「どうどうたらり・・・」と謡い、千歳が露払いの舞を舞うところまでは常の『翁』と同じように進みます。その後、翁ではなく、三番叟となり「揉ノ段」「鈴ノ段」を舞って、また太夫の座に戻ってから正先で一礼して千歳とともに退場します。「鈴ノ段」の前の千歳との掛け合いは子宝、子孫繁栄を祝う「火打袋風流」の時の台詞と同じようでした。
 千歳の虎之介くんは、もう15、6歳で高校生になったのでしょうか、声変わりも済んで、とてもいい声で、颯爽と凛々しい千歳でした。万蔵さんの三番叟は安定感があって力強く、太夫も兼ねていたので、全体的にとても厳粛な雰囲気でした。

「奈須与市語」
 太一郎さんの「奈須与市語」です。披きは2007年で、その時も観ていますが、当時の感想にはまだ声変わりが終わっていなかったのか、ちょっと声が苦しそうだったということが書いてありました。今回はもちろん声も安定して気迫のこもった仕方語りでした。

小舞「海道下り」「貝つくし」
 万蔵さんの次男拳之介くんと三男眞之介くんの小舞です。まず、三男の眞之介くんから、まだ小学3、4年生くらい。子どもらしい可愛さもありますが、しっかりした舞でした。三男の眞之介くんは裕基くんと同じ中学生で、やはり声変わりの時期のようで、ちょっと声が出しづらい感じがしました。舞はすっかり大人っぽくなってしっかり舞っていました。

「花子」
 萬さんの「花子」は32年ぶりだそうです。八十有余の今、世阿弥の「老後の初心」を鏡として、一から考え直そうと思ったこと、これからも精進を続けていく旨、パンフレットに書かれていました。
 八十を過ぎても色男っぷり、年寄りじみた感じはあまりせず、色気がありました。妻役の東次郎さんの嫉妬する妻は、もう何とも可愛いらしい、怖い女房だけれど、じだんだ踏むつま先もキュート!又三郎さんの太郎冠者も明るくて調子がよい感じがして、三人のバランスがとても良い感じでした。