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能楽鑑賞日記

2012年8月25日 (土) 納涼茂山狂言祭2012
会場:国立能楽堂 14:00開演

お話:茂山宗彦

「太刀奪」
 太郎冠者:茂山正邦、主:丸石やすし、道通り人:茂山千三郎   後見:山下守之

「胸突」
 男:茂山宗彦、貸し手:茂山七五三               後見:鈴木実

「花子」
 夫:茂山逸平、女房:茂山あきら、太郎冠者:茂山童司   後見:茂山七五三、丸石やすし

 今回は、まず宗彦さんのお話。東京での失敗話に始まりましたが、今年の春狂言の時とは違って、ちゃんと演目の解説もありました。でも、それも普通の解説じゃありません。まったく落語を聞いているような解説で大笑い、やっぱり千五郎家らしい。「胸突」では、「胸をツンツンする話ではありません」と前置き(笑)。ただ、最後の「花子」については、「今のように落語のような解説をすると逸平にどつかれますんで、パンフを読んでください」と(笑)。

「太刀奪(たちばい)」
 北野神社へ参詣に出掛けた主人と太郎冠者は、道すがら良い太刀を持った男を見つけ、その太刀を奪ってやろうと考えます。太郎冠者が忍び寄って太刀に手をかけますが、気付いた男に反対に脅されて主人ともども太刀を奪われてしまいます。主人と太郎冠者は太刀を取り戻すため、男を待ち伏せして捕えますが、太郎冠者は、男を縛る縄を悠々と綯いはじめます。縄がやっと綯えると、縄で輪を作って、そこに首を入れろとか足を入れろと男に命じたりします。業を煮やした主人に後ろから縄をかけるように言われると、主人の後ろに回って主人を縛ってしまい、男に逃げられてしまいます。
 良い太刀を奪ってやろうなんて考えるところからトンデモな主従ですが、「盗人を見て縄を綯う」の諺のように悠々と縄を綯いはじめたり、男に太刀の先で転ばされながら縄を綯い続ける太郎冠者の大ボケっぷりには大笑い。とぼけた太郎冠者を正邦さんがやりすぎず、調度よいくらいの好演、通りすがりで迷惑する男の千三郎さんと、やっぱりちょっと抜けてる主人の丸石さんの3人が上手くかみあっていて面白かった。

「胸突(むねつき)」
 借金を返さない男をつかまえた貸し手が、自宅に連れ帰ろうとしてもみ合いになります。ところが、男は胸をしたたかに突かれたと痛がり、大声で騒ぎます。困惑した貸し手は、仕方なく借状まで返してしまいます。男はそれを引き裂くと、今のは策略だったと白状して逃げてしまいます。
 退院したようで、久々に見る七五三さん、ちょっと太ったみたい、それに頭が・・・カツラ?毛が増えてる。一瞬誰かと思った。
 借金を返さない男の宗彦さんが、突き飛ばされたのを逆手にとって、思わずニヤリ「おれはもう死ぬ」「七五三の人殺し」と大げさに騒ぎ立て、貸し手の七五三さんは、オロオロして、とうとう元利とも負けてやろうと借状を返してしまうおっとりとした人の良さ、対照的な二人のやりとりが面白かった。

「花子」
 洛外に住む男のもとへ、上洛した馴染みの遊女・花子より自分に会いたいという文が届きます。男はなんとか会いに行きたいと考え、女房の目を盗み、出掛けようと一計を案じます。男は女房に、夢見が悪いので諸国の寺々にお参りに出掛けたいと申し出ますが、承知してもらえません。それでも、持仏堂で一晩座禅することを承知させ、修行の妨げとなるので、決してのぞきに来るなと念を押します。そして男は太郎冠者を呼び出し、自分の身代りに座禅衾をかぶせ、花子のもとへと急ぎます。さて、妻は、やはり夫の様子を覗き見て、あまりに窮屈そうなので、座禅衾を無理に取ってしまいます。現れた太郎冠者を見て事の真相を知り、激怒した妻は、今度は自分が太郎冠者の身代りになって、夫の帰りを待ち受けることにします。そうとは知らない男は、花子との再会に夢うつつで帰ってくると、その夜の一部始終を、座っているのが太郎冠者だと思い込んで語って聞かせます。ところが座禅衾を取り除けて見ると妻が現れたので驚き、怒り狂う妻に追いかけられて逃げていきます。
 逸平さんの若い夫にあきらさんの妻はかなり年上でくたびれた妻ですが、年下の夫が可愛くて一晩も離れるのはいやだという感じ。後半の謡は大らかで楽しそう、座禅衾を取って妻が出てきてびっくりする場面は、和泉流より大人しめな感じでした。
2012年8月19日 (日) 第十八回能楽座自主公演―茂山忠三郎追善―
会場:国立能楽堂 14:00開演

舞囃子「賀茂」素働
 舞:観世銕之丞
   笛:松田弘之、小鼓:観世豊純、大鼓:山本哲也、太鼓:観世元伯
     地謡:長山桂三、角当直隆、山崎正道、梅若紀彰、清水寛二

舞囃子「当麻」
 舞:近藤乾之助
   笛:松田弘之、小鼓:大倉源次郎、大鼓:山本孝、太鼓:三島元太郎
     地謡:和久荘太郎、小倉伸二郎、朝倉俊樹、大坪喜美雄、金井雄資

「二千石」
 主人:野村万作、太郎冠者:野村萬        後見:高野和憲

独吟「道成寺」 語:宝生閑

語「那須ノ語」 語:茂山千五郎       後見:茂山茂

小舞「祐善」 舞:茂山良暢   地謡:善竹大二郎、善竹十郎、善竹富太郎

『四位少将』(通小町)
 シテ(四位少将の霊):梅若玄祥
 ツレ(里の女・小野小町):大槻文藏
 ワキ(滞在の僧):福王茂十郎
    笛:藤田六郎兵衛、小鼓:大倉源次郎、大鼓:安福建雄
      後見:武富康之、山崎正道
        地謡:山田薫、安藤貴康、長山桂三、角当直隆
            柴田稔、梅若紀彰、観世銕之丞、清水寛二

 パンフレットには、「茂山忠三郎さんを偲んで」ということで、茂山千作さんの言葉が載っていました。「年下の方々が先にあちらに行かれるとは、思いもよらない寂しいことです。」と仰って、忠三郎さんとの舞台共演のことなどにも触れられていました。「忠三郎の会」には、以前はいつも千作さんと千之丞さんが出演されてました。今は千之丞さんも亡くなられて、千作さんの舞台も観られなくなりましたが、まだお元気そうで、「今後は、良暢君が一生懸命稽古をして立派な狂言師になられるよう、援助していきたいと思っております。」と、結んでおられました。

舞囃子は観世流の「賀茂」と宝生流の「当麻」
 銕之丞さんは、やっぱり力強い舞です。近藤乾之助さんは品があって美しかった。

「二千石(じせんせき)」
 太郎冠者が無断で旅に出て戻ったと聞き、怒った主人は冠者を叱りに家に行きますが、冠者が京都見物に行ったと詫びるので、許して都の様子を尋ねます。冠者は主人のために都ではやる謡を習ってきたと「二千石」の謡を謡います。すると主人は、その謡は祖先が恩賞を得たときの大切な謡だといって謂れを語り、それ以来この謡を粗末にしないようにと、屋敷の乾(北西)の隅に封じ込めてまつったのに、その謡を持ち出してはやらせたのだろうと怒り、手討ちにしようと太刀を振り上げます。しかし、その手が大殿様(先代)に似ているといって冠者が泣くので、主人も思わず落涙し、冠者を許して、子が親に似るのはめでたいと言って共に笑います。
 萬さんと万作さんの共演です。最近、共演が増えましたね、喜ばしいことです。万之介さんとの3人共演は1度だけの復活でしたが、万之介さんにはもう少し長生きして、また3人の共演が観たかったとつくづく思います。
 万作さんの「二千石」の謂れの語りは、さすが素晴らしかったです。やっぱり、兄弟でもまったく違う雰囲気を持ち、シテとアドの実力が拮抗しているのは観ていて面白いし、完成度が高い。今後も共演を期待しています。

独吟「道成寺」
 住僧が従僧たちに道成寺の伝説を語るところの謡を閑さんが独吟で謡います。閑さんの謡はなんか迫力があって、いつ聴いても凄いです。

語「那須ノ語」
 和泉流の語りは何度か聞きましたが、大藏流で茂山千五郎さんの語りは初めて聞きました。語り別けの時の動きは少しゆっくりした感じだけれど、語りは力強くて華やかで、やっぱり茂山さんらしいなと思いました。

小舞「祐善」
 日本一の傘張りの下手と言われた祐善の霊が、誰も傘を買ってくれないので狂い死にをした様を舞う小舞です。
 お父様の追善とはいえ、これだけのベテランの間に挟まって小舞を舞うのは緊張しちゃうでしょう。ちょっと硬くなった感じはしましたが、傘を巧みに操って綺麗に舞っていました。

『四位少将』(通小町)
 八瀬の山里で一夏を送る僧の元に、毎日木の実や薪を持って来る女がいるので、僧が今日はその名をたずねようと思っていると、その日も女がやってきます。僧が、まず木の実について聞き、女が木の実尽くしを語り、僧が名を尋ねると、小野小町の幽霊であることをほのめかして消えていきます。
 僧はさっそく市原野へ出掛け、小町の跡を弔っていると、若く美しいころの小町の幽霊が現れ、喜んで戒を受けたいと願うと、深草少将の霊が現れて小町を引き留めます。僧は、二人が小町と少将であると知ると、懺悔に罪を滅ぼし給へと、百夜通いの様を再現させます。少将は雨の日も雪の日も暗い夜を通い続け、最後の夜に目いっぱいに着飾って出掛けたことを見せます。最後は祝いの酒を絶った一念の悟りで、小町も少将も成仏するのでした。

 『四位少将』は『通小町』の古名だそうで、前場の小町の木の実語りの前に観世流では無くなってしまった下掛りのみに残る仏陀のエピソードが語られ、宗教的な意味合いが加わって重みを増した感じ。また、前場の小町の霊は中年の女性のようで、通常の小町は後見座でクツログところ、中入りして、若い小町の姿となって後場の登場となりました。
 文蔵さんの前場の小町の霊は地味で抑えた演技、後場では成仏を願ってふわ〜っと華やぐような若々しく可憐な小町。少将の登場場面では、揚幕の奥からシテの玄祥さんの声が聞こえて、橋掛りを足取りも重くゆっくり登場する姿も恐ろしい。でも、百夜通いの様を再現する場面は昔を回想することでか、あまり暗さはなく、指折り数える最後の日の浮き立つような気分も感じさせました。