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能楽鑑賞日記

2006年4月30日 (日) 観世九皐会別会
場所:国立能楽堂 13:00開演

能『安宅』勧進帳・瀧流
 シテ(弁慶):弘田裕一
 子方(義経):鈴木諷矢
 ツレ(同山):駒瀬直也、中所宜夫、遠藤和久、鈴木啓吾、奥川恒治
         長山耕三、古川充、坂真太郎、遠藤喜久
 ワキ(富樫):殿田謙吉
  間(強力):野村萬斎、(従者):竹山悠樹
 大鼓:安福建雄、小鼓:幸清次郎、笛:一噌隆之
 後見:長沼範夫、観世喜之
 地謡:中森健之介、桑田貴志、小島英明、中森寛太
     観世喜正、永島忠侈、遠藤六郎、五木田三郎

狂言「簸屑」太郎冠者:野村万作、主:野村万之介、次郎冠者:石田幸雄
                                  後見:月崎晴夫

仕舞「笹之段」遠藤六郎
  「歌占」クセ 観世喜之     地謡:鈴木啓吾、中森寛太、観世喜正、遠藤喜久

能『道成寺』
 シテ(白拍子・蛇体の女):佐久間二郎
 ワキ(住僧):森常好
 ワキツレ(従僧):舘田善博、森常太郎
 間(能力):高野和憲、深田博治
 大鼓:亀井広忠、小鼓:鵜澤洋太郎、太鼓:小寺真佐人、笛:一噌庸二
 後見:奥川恒治、永島忠侈、長沼範夫
 地謡:坂真太郎、長山耕三、古川充、遠藤和久
     中所宜夫、駒瀬直也、長山禮三郎、観世喜正
 鐘後見:中森寛太、観世喜之、五木田三郎、小島英明、桑田貴志
 狂言鐘後見:野村萬斎、石田幸雄、竹山悠樹、月崎晴夫


『安宅』
 昨年から、見る機会があり、何回か観た『安宅』ですが、小書「勧進帳」は、もともとシテ・同山(ツレ山伏)の連吟で「勧進帳」を読み上げるのが、シテの独吟になり、「瀧流」は舞が変わるものだそうですが、最近は小書つきのものの方が多いのか、今まで観たものは、いずれも「勧進帳」「瀧流」の小書付きのものでした。
 シテの弘田裕一さんは、出演者の中でも一番年配のようで、弁慶というと豪快で力強いイメージを描いてしまいますが、そういう感じは、あまりしませんでした。むしろ、知的で思慮深いのが本当の弁慶かもしれませんし、出来上がった弁慶像ではなく、いろいろな弁慶像があってもいいのかもしれません。
 ただ、子方が後見の前で控えている時も、落ち着きがなく動いているのが、ちょっと気になりました。

「簸屑」
 主人が太郎冠者に茶を挽いてできる屑(簸屑)を作るよう命じ、太郎冠者は、次郎冠者が使いに行っているので、しぶしぶ茶を挽きますが、どうしても眠くなってしまいます。主人のようにケチな人はいないなどと言い、なんと色の悪い茶だと言いながら挽いているうちに、うとうと居眠りをはじめます。扇を立てて臼を挽くように空中に床と平行に丸い円をきれいに描いて動かすのはなかなか見事。
 そのうち、次郎冠者が帰ってきて、眠っている太郎冠者を見つけ起こして、寝ないように、話をしたり、得意そうに舞を披露したりするのに、眠い太郎冠者は、とうとう、横になって寝てしまいます。
 怒った次郎冠者は、なにか悪戯してやろうと、寝ている太郎冠者に鬼の面をかけて素知らぬ顔。太郎冠者の様子を見に来た主人は、寝ている太郎冠者が鬼になったとびっくりし、次郎冠者も一緒になって驚いてみせるので、寝ている間にこんな浅ましい姿になったと嘆く太郎冠者は、出て行けという主人に、なんとか置いてほしいと懇願します。
 出て行くように言って行ってしまう主人に、残された太郎冠者が次郎冠者に取りすがって、倒れた拍子に面がはずれてびっくり!
 それを見た次郎冠者、本当のことを言って「うつけ者」と笑いながら去っていくのを太郎冠者が怒って追っていきます。
 居眠りしながら、大きな音や声にびくっと起き上がり、それでも目を覚まさずに眠ってしまう太郎冠者の万作さんの演技が面白い。次郎冠者の石田さんも、悪戯がうまくいって本当に愉快そうでした。

『道成寺』
 『道成寺』は好きなので、何回観たでしょう。今回は観世流なので、狂言方が始めに太い竹に通して下げた、あの重い鐘を4人がかりで運んできて、天井の滑車に綱を引っ掛け、鐘後見が5人がかりで鐘を引き上げます。
 今回、鐘の綱を滑車に通すのは、萬斎さんと石田さん。一度でうまく通せるか、いつも気にかかるところですが、今回はうまく一回で通りました。
 一昨年くらいだったでしょうか、乱拍子が短い小書付きが多い時がありましたが、最近はまた、小書なしの『道成寺』が続いています。最初は動きのあまり無い乱拍子は短いほうが良かったですが、今はあの緊張感が短いのは、かえって物足りない気がします。
 今回は、小書無しの緊張感の長い乱拍子でした。小鼓が鵜沢洋太郎さんだったのも嬉しい。この人の乱拍子の小鼓は大変気迫がこもっていて好きです。しかし、中途半端な体勢でじっとしている時間の長い乱拍子は、シテがやはり少しふらつくのが気になります。動かないほうが難しいということがよく分かります。途中、鐘の方に向きを変えたとき、しばし鐘を見上げて執心をあらわし、鐘入りは、観世流では鐘の下に入って足拍子を踏んでから飛び上がる型ですが、飛び上がると同時に鐘が落ちるタイミングはピッタリで見事に決まりました。
 鐘が落ちて、アイの能力の高野さんと深田さんが同時にごろごろっところがって、「くわばら、くわばら」「ゆりなおせ、ゆりなおせ」と、雷か地震かと驚く二人のやりとりと、鐘が落ちたのを知って知らせに行くのを擦り合う姿、最後に住僧の前に投げ出されて座ったと同時に「落ちてござる」というタイミングは萬斎さんの時のようにピッタリとはいかなかったような、少しテンポがゆっくりした感じだったでしょうか。
 住僧たちの祈りに鐘の中から蛇体となって現れた鬼女は鐘が上がると両手を突いて下を向き、やがておもむろに上衣の縫箔を体に巻きながら立ち上がり、祈り伏せる僧たちに立ち向かいます。杖をふって迫る姿、柱に巻きつき、鐘を見上げて最後まで執心を見せる女の悲しいまでの想いは伝わってきました。
 最後の幕入りは、橋掛かりを駆け込んで幕に飛び込む幕入りでした。
 う〜ん、やっぱり『道成寺』は面白いです! 
2006年4月22日 (土) 萬狂言 八世野村万蔵三回忌追善 春公演
場所:国立能楽堂 14:30開演

「子ほめ」 男:野村万禄、教え手:野村祐丞、タケ:炭哲男

小舞「通円」 野村又三郎    地謡:奥津健太郎、野村小三郎、野口隆行

「武悪」 武悪:野村万蔵、主:野村萬、太郎冠者:野村扇丞

「唐人相撲」 
 皇帝:野村萬
 相撲取:小笠原匡
 通辞:三宅右近
 旗:野村太一郎
 剣:野村万禄
 菰:吉住講、山下浩一郎
 銅鑼:野村小三郎
 腰鼓:三宅右矩、三宅近成
 笛:加藤俊彦
 太鼓:和田啓
 大旗:野村祐丞
 翳:久保克人、炭哲男
 唐子:小笠原弘晃、山崎竜之介、野村拳之介、野村虎之介
 傘:荒井亮吉
 素唐人:野村扇丞、炭光太郎、中島恭介、鍋島憲、山田譲二、高部恭史、中本義幸
     泉慎也、吉良博靖、谷口尚功、友江恭平、山本豪一、高澤祐介、河路雅義
     前田晃一、吉川秀樹、奥津健太郎、奥田慎、田中佑、中島進之介、馬征宏
     于躍、張冠玉、野口隆行
 髭掻:野村又三郎

 後見:野村万蔵


「子ほめ」
 酒好きな男が知り合いを訪ね、ただ酒を飲ませて欲しいと頼みます。知り合いは、そういう時はお世辞を言うと良い、おとなに会ったら「年のわりに若く見える」と言ってほめ、子どもならば「栴檀(せんだん)は二葉より香ばし」「蛇は寸にして人を呑む」などと、幼いうちからの優秀さをほめるように教えます。男はさっそくタケの家を訪ね、生まれたばかりの子をほめ始めますが・・・。
 落語の「子ほめ」をもとに、1993年に故八世万蔵(当時耕介)さんが作本・初演したものだそうです。
 万禄さんが、「ただの酒があるというので、飲ませてもらおう」と行った先は、「ただの酒」では無く「灘の酒」だという。そういう時はお世辞のひとつも言うものだと、実際の年より一つでも若くみられれば悪い気はしないものと、40なら35,6、50なら45,6、と教えれば、万禄氏、「じゃあ、十なら・・・」(笑)「これこれ、子どもの場合には子どものほめ方がある。」と、これまた呆れながらも親切に教える祐丞さん。(演技上の名前もそのままで呼び合っていました。)それに対して「顔は悪いが、口はうまい」と万禄氏(笑)。
 それでも、手ほどきを受けたので、さっそくほめて祝儀の酒にあずかろうと、子どもが生まれたばかりのタケの家へ行く万禄氏。ところが、ほめるつもりが、教わったままに「亡くなったお祖父さんに似て」と言って、「まだ生きている」と叱られたり、生まれたばかりの子の「年はいくつか」と聞いたり、初七日と言ってしまったり、やっぱり的外れ。子どもの枕元に短冊に書き付けた句を見つけ「辞世の句がある」と言ったり、その句に後をつけようと、「タケの子が、衣を重ねて・・・」を「竹の子が・・・」と言っていると思ったら「大きくなったら丸裸」とつけて、怒ったタケに追われて逃げていきます。
 狂言の技法を用いながら、落語の軽妙なやり取りがマッチして、古典狂言にありそうなほどしっくり狂言と落語が調和した作品になっています。そういえば、狂言からとった落語がたしかあったはず・・・。現在はその反対に落語が新作狂言になるのも不思議ではありません。
 余計な話ですが、万禄さんは誰か落語家に似ているような気がするのです。ひょうきんな顔つきが、これまたぴったりで、とぼけた雰囲気がよく出ていました。万禄さんと祐丞さんのやりとりは、八っつぁんと横丁のご隠居さんのやりとりですね(笑)

小舞「通円」
 京都宇治橋のたもとの茶屋坊主通円が、宇治橋供養に訪れた道者300人が茶屋に押し寄せたため、茶の点て死にをしたという、能『頼政』のパロディの狂言のあの小舞です。狂言ではチャチャチャと茶を点て、差し出す仕草がちょっとコミカルでもあるのですが、又三郎さんは85歳とは思えないほど、きちっとした動きで、特に手の動きの美しさには暫し見とれてしまいました。

「武悪」
 いろいろな配役で何度か観ている曲ですが、今回の「武悪」、太郎冠者に不奉公の武悪を成敗してこいと命じる主人の萬さんには凄みすら感じられ、前半の緊張感には凄いものがありました。武悪を討たなければお前も成敗すると言われ、悲壮感すら漂わせて武悪を討とうとする扇丞さんの太郎冠者。万蔵さんの武悪も幼馴染みの太郎冠者には心を許しつつもどことなくただ者でない雰囲気がありました。
 これが、後半には、太郎冠者に密かに逃がしてもらった武悪が、武悪の弔いに行く主人と太郎冠者に鳥辺野でバッタリ出会い、またしても太郎冠者の機転で幽霊に化けて出てくるわけですが、主人の萬さん、自分の見たのが幽霊と聞いて気味悪がり、「では、帰ろう」と引き返そうとする言い方、タイミングが絶妙で思わず笑ってしまいました。そこへ、橋掛かりをフラフラと出てくる幽霊に化けた武悪。怖々と、それでもあの世への好奇心もあり、聞いてみたい主人が問うたびに、幽霊らしく震える声でフラフラ寄って来る万蔵武悪のなりきりようにも笑ってしまいます。
 扇丞さんの成長も著しく、萬さん、万蔵さんに負けぬほど存在感が出てきました。次回の夏公演では扇丞さんの「釣狐」披きがあるとのこと、こちらも楽しみです。

「唐人相撲」
 中国に長期滞在している日本の相撲取りが帰国したいと皇帝に申し出て、皇帝の前で名残に相撲をとることになり、次々とかかってくる唐人をなぎ倒して、最後には皇帝自らが相撲の相手になるという、内容は単純なストーリーです。

 始めに出された皇帝の玉座は常の右端ではなく、正面奥におかれます。
 まず、橋掛かりに旗を持った男、太一郎くん(故八世万蔵さんの長男)が現れ、欄干に飛び乗って柱につかまって旗をふり、一度戻ると、笛や太鼓の楽の音も高らかに皇帝の一行が出てきます。笛を吹き、腰鼓やドラを打ち鳴らしての賑やかな入場です。柄の長いラッパも他家の時は実際に吹いていませんが、それもしっかり吹いています。仮面舞踊や伎楽の研究をしていた故八世万蔵(万之丞)さんらしく、考えられた音楽で、出演者もこのためにかなり練習をしたのではないかと思われました。今までに無い意表をついた登場は、楽を奏しながら橋掛かりから舞台までを2週して座に着きます。その賑やかさ、華やかさは、それだけで茂山家も越えていると感じられました。
 唐音での会話のほか、唐人歌も新たに作詞、作曲したものだそうですが、歌の最後の「チーンプンカンプン」や、通辞の科白に「バンバンジー」や「チンゲンサイ」などの怪しげな中国語も出てきて笑わせます(笑)。
 唐子として万蔵さんの二人のお子さんの他、小さい子どもが二人出ていて、一人はどう見ても3歳くらいの子ども。歩幅が合わないのを大股で滑るようにして一生懸命ついてくるのがなんとも可愛らしくて、「可愛い」の声があちこちから聞こえてきました。私も思わず言ってしまいました(^^)
 相撲を取る場面もバック転やアクロバティックな動き、足さばきに思わず拍手が巻き起こったり、目付け柱に飛びついてよじ登る者もあり、逃げる姿と身軽さに笑いと拍手が起こります。拳之介・虎之介兄弟も投げ飛ばされて、二人で手と足を組んでぐるぐると回って見せたり、ちっちゃい子二人も投げられて綺麗にでんぐり返しをしたりとそのたんびに拍手喝采。小柄な相撲取りの小笠原さんも力強くて、舞ノ海のように見えました。総掛りのムカデも圧巻、くるっと回って全員が後ろの人の背中に足を乗っけた姿にも型が決まるたんびに思わず拍手。能楽堂で、こんなに拍手が巻き起こる舞台も無いのではないでしょうか。
 最後にとうとう自分が相撲を取ろうと出てきた皇帝の萬さんは舞を舞い、もったいぶって出てくる姿が貫禄ものです。
 相撲取りが勝ちそうになったところで、通辞が入り「この勝負引き分け」と言って離し、最後は相撲取りも皇帝を乗せる手車を作り、賑やかな楽を奏して一行が去っていきます。最後に引き揚げる通辞が橋掛かりで客席に手を振り、愛想を振り撒いて退出。

 最初から最後まで飽きさせず、見所も一体になって盛り上がった「唐人相撲」でした。
 普通は、相撲取りが勝って、「勝ったぞ、勝ったぞ」と逃げていくのを唐人が追いかけ、負けた皇帝が家来の手車に乗って帰って行くのですが、体に直接触るのも畏れ多い皇帝を打ち負かしてただで済む訳も無く、通辞が入って引き分けとし、相撲取りも手車に加わって皇帝を乗せていくという終わりかたの方が納得がいくような気がしました。その方が後味もいいし。
 いろんな面でよく考えられた演出に改めて感心させられました。それにとにかく最高に楽しかった!!
 帰っていく観客も「チーンプンカンプン」と唐人歌を歌ったり、「タッタカタッタ タッタカタッタ」と笛の音を口ずさんだり、皆本当に楽しそうに満足している様子でした。

 ロビーには、追善のため白い花に囲まれた故八世万蔵さんの遺影が飾られていました。初めて心から、その早逝が惜しいと思いました。
2006年4月16日 (日) 山本会
場所:杉並能楽堂 13:30開演

「賽の目」
 聟:山本則重、舅:山本東次郎、太郎冠者:若松隆
 一の聟:山本則秀、二の聟:山本則孝、女:山本泰太郎

復曲「どちはぐれ」
 住持:山本東次郎

小舞「貝尽し」:山本凛太郎
  「塗師」:山本則秀
  「景清」:山本則孝

「木六駄」
 太郎冠者:山本則直、主人:山本則孝、茶屋亭主:山本泰太郎、伯父:平田悦生


「賽の目」
 長者が、一人娘の花聟募集に計算能力に長けた者を募集したところ、多くの聟候補が応募してきた。その候補者たちに長者が出した問題は、サイコロ500具(2個一組を一具という)の目の計はという問題。3人目の男がみごと正解を出して、聟に決まると、長者は娘を連れてきて、隠居を宣言して退出する。喜んだ聟が娘の被いた衣を取ってみると、あまりの醜女なので、男は逃げ出し、娘は後を追いかけて幕入り。

 聟もので、最後に出てきた娘があまりに醜女のため逃げ出すという、狂言によくあるパターンではありますが、始めに出てくる聟候補たちが、算術は得意といいながら、手の指、足の指を数えてみたり、どこが得意じゃ!と言いたくなるような体たらくには笑えます。これでは、舅も呆れるわけです。
 最後に娘が出てきていつもの「萬万年も連れ添おうぞ」のセリフも白々しく、顔を見た途端に聟さんコケて腰をぬかす(他家ではフリーズするところですが)(笑)。ここで、「許してくれい」「萬万年も連れ添おうぞ」と言いながら聟を娘が追って幕入りするところですが、娘が引き止めて、聟が言い訳をし、また逃げるのを引き止めるというのが2、3回繰り返されるのがちょっと違うところ。流儀の違いなのか、家による違いなのか、いつものパターンも、ちょっと新鮮な感じがしました。  

「どちはぐれ」
 住持が、十疋のお布施をくださるという今日の法事に招かれて、うっかり応諾する。しかし今日は、いつも決まってお斎(とき、僧侶の食事)をくださる檀家をたずねる日でもあった。どちらに行くべきか迷ったあげく、法事にいってから、お斎に行こうとやっと決めるが、すでに時が過ぎ、どちらも終わった後だった。

 復曲狂言『東西迷(どちはぐれ)』上演にあたってという、東次郎さんの言葉が別プリントとして、配られたチラシといっしょに入っていました。
 和泉流では、僧と斎の主と布施の主の三人が登場する狂言としてあるものですが、大蔵流の「虎明本(とらあきらぼん)」では一人狂言になっていて、今まで上演された記録が無いとのこと。それを今回、東次郎さんが手を加えて復曲したのだそうです。
 僧が布施を取るか、お斎を取るか悩む心理を描く劇ですが、東次郎さんは復曲するにあたって、十疋の布施のために、常々世話になっている檀家とを天秤にかけて悩み迷うことができるかということが気にかかり、当時広まっていたという「千僧会」という大きな法事に出ることと天秤にかけて悩む設定にすることで、自分自身がリアリティーを持って演じることができると思ったそうです。
 実際、「法事に行かなければ呼ばれなかったのだと馬鹿にされる。」と悩んだり、毎月お斎をくだされ、常々世話になっている檀家を粗末にするわけにもいかず。と、あれこれ悩み、食が大事か布施が大事かなどということまで、いろいろ理屈をつけて悩む様は、リアリティーに溢れていました。
 結局、「千僧会」に先に行って、その後、斎の方へ行こうと決めて行くとすでに会は終わって、皆帰った後。それならと、斎の方へ行くと、来ないので、他の僧に頼んで終わってしまったという。僧は、よくよく考えて、人間は六道の迷うというが、愚僧のことと我が身の浅ましさを恥じますが、また、迷いも悟りと一休ぜんじや一遍上人の言葉を引いて思い直し、最後は美しい夕日にしみじみ感動しながら帰っていくという終わりかたでした。最後も虎明本では、自己嫌悪に落ち込むような終わりかたなのを一工夫したとのことです。
 ただ、ご本人も「相変わらず理屈っぽいとのお叱りをうける」と懸念するとおり、いろいろな名僧の言葉を上げて、最後に思い直すところは少し冗長になった感じがしました。思い直してほっこりと前向きな気持で終わるのも良いのですが、我が身の浅ましさを恥じて終わるほうが、すっきりしたような気がします。終わりかたを変えるにはもう一工夫、僭越ですが、削ぎ落とした方が良いかと思われました。

「木六駄」
 和泉流も大蔵流も観たことがありますが、山本家の「木六駄」は話の設定がちょっと違います。
 まず始めに主人が太郎冠者に、伯父のところへ木六駄と炭六駄と酒を届けるよう言いつけるのですが、山本家の場合、主人が伯父のところで普請のため、木を送って欲しいとの話があったので、材木30本を六頭の牛に負わせて太郎冠者に追っていくよう言いつけます。酒も持っていくのですが、上等のお酒を太郎冠者にも飲ませてやろうと二人で引っ込みます。
 さて、茶屋が出てきて峠の店を開けるのですが、そのあと伯父が登場。この伯父は、甥に木を頼んだが、その後、音沙汰が無いので行ってみようと、甥の家へ行く途中、峠の茶屋に寄り、雪が降ってきたので奥の部屋で休ませてもらうことにします。伯父が茶屋まで来ているというのも他と違うところです。
 すっかり雪が降り出した中を牛を追ってくる太郎冠者は、主人に振る舞ってもらったお酒で、すでに酔っ払って千鳥足状態。ふらふらしながら六頭の牛を追って「こらこら、そこは崖じゃ」とか言いながら、牛を引き戻したりして追ってきます。すでに酔っ払って出てくるのも大いに違うところ。牛は12頭でなく6頭なので、牛追いの場面も短いように感じます。
 雪が降ってきて酒で温まった体もすっかり冷えてしまったという太郎冠者。茶屋について酒を所望しますが、あいにく今日は酒の用意が無いという主人に、伯父に届けるはずの酒を開けて飲んでしまい、茶屋の主人と酒宴になってしまいます。謡いは鶉舞ではなく、あの“うさぎ”の歌や酒宴ではお馴染みの“ざざんざ〜”の歌です。すっかり飲んでしまって上機嫌の太郎冠者は茶屋の主人に木六駄もあげてしまい、主人は喜んで、さっそく6頭の牛を山の麓の家まで追っていってしまいます。
 すっかり酔っぱらって寝てしまった太郎冠者。そこへ、奥で休んでいた伯父が出てきて寝ている太郎冠者に気付き、起こします。甥からの文を読んで「木六駄はどこだ」と言えば、太郎冠者は「木六駄は自分の名前だ」と言い、「酒はどこだ」と言われては、誤魔化せず「飲んでしまった」と言って追い込まれて幕入りとなります。
 則直さんの酔っ払い振りは、こんなおじさんいるよねぇという感じでした。(笑)

 さて、ずいぶんと他家の「木六駄」とは話の筋が違っていました。主人に伯父の家へ届けものを言いつけられた時、他家では、主人に綿入れの着物をやろうとか言われて喜ぶ太郎冠者ですが、ここの主人は上等の諸白のお酒を気前良く太郎冠者にも飲ませて行かせるわけです。どちらにしても、雪が降りそうな天気の中、牛を追って峠の向こうの伯父のところまで行かせるので気を使ってか、主人もやさしいです。
 しかし、台本が違うのか、和泉流と大蔵流の他家ではそんなに違わないのに、大蔵流の山本家だけ何故こんなに「木六駄」が違うんでしょう?。
 山本家の方が古い型のような気もします。いろいろ練り直した中で今の他家の「木六駄」になったんではないかなどと、あくまで勝手な想像ですが・・・。他家のほうが、凍える手に息を吹きかけながら12頭の牛を雪道で追う様などの見せ場がより充実しているように思えます。
 なにより、他家と違う「木六駄」を観ることができたのは貴重でした。 
2006年4月12日 (水) 野村狂言座
場所:宝生能楽堂 18:30開演

「宗八」 宗八:野村万之介、有徳人:月崎晴夫、石田幸雄

「横座」 牛主:野村万作、何某:野村萬斎、牛:野村遼太

「釣針」 太郎冠者:石田幸雄、主:高野和憲、妻:野村萬斎、乙:深田博治
       腰元:月崎晴夫、野村遼太、宇貫貴雄、竹山悠樹、時田光洋、岡聡史

「宗八」
 出家と料理人を雇うことにした何某のもとに、元料理人のにわか出家と、元出家で今は料理人になっている宗八がやって来て、首尾よく雇われることとなった。しかし、主人から仕事を与えられても転職して日が浅いので、どうしていいかわからない。そのうちお互いの素性がわかった二人は、仕事を交換することにする。宗八は高らかに今日を読み、出家は鮮やかな手つきで鮒や鯛をさばいていく。二人が調子に乗って働いているところへ、外出していた主人が帰ってきたから、さあたいへん。

 今回も万之介さんのとぼけた雰囲気が生きています。般若心経を唱えだしたと思ったら毎度のごとく「うにゃら、うにゃら、うにゃら」と狂言らしい読経にすぐ変更(笑)。にわか出家の石田さんは「さすが、すらすらと読めるものだ」と感心しながら見事な手つきで魚をさばく。経を唱えながら調理の手さばきが気になる万之介宗八がいちいち感心して聞くのを、石田出家が得意そうに説明してみせる。精進料理の用語しか知らず「皮をむく」とか「かぶを離す」と言う宗八の言葉に笑いながら「鱗をふく」「魚頭をつぐ」「三枚に下ろす」などの用語を教えては楽しそうに料理をする石田さん。
 経を唱える声と魚をさばく包丁の音がリズミカルに交錯しあって、気持ちよく最高に調子が乗っているところに主人が帰ってきたから大慌て(大笑)。
 石田僧は魚を経と間違えて持って唱えだすし、万之介宗八は、大事な経文を包丁で切り刻んでしまうわで、ドタバタの末、怒った主人に追い込まれてしまいます。主人役の月崎さんも実直そうで、主人の貫禄も出てきています。
 お互いの慣れた仕事に交換しての二人のほんわかした掛け合いが楽しく、最後の慌てっぷりに大笑いでした。

「横座」
 1頭の迷い牛を拾った何某が、目利きをしてもらうと男に見せにいくと、牛を見た男は、その牛は自分のもとからいなくなった牛で、「横座」という名がついており、呼ぶと返事をすると言う。そこで、名前を三回呼んで返事をすれば牛を返してもらい、返事をしなければ何某の下人になるという条件で、男は牛に呼びかける。だが、二声までは返事をせず、進退窮まった男が、牛に返事をするよう懇々と言い含めると、牛が返事をして、男は喜んで牛を引いて帰っていくのでした。

 「横座」とは、いろりの奥正面の主人の席のことであり、そこに生まれたての子牛を座らせたというくらい牛を大事にしていた牛主の万作さん。遼太くんの牛もコロッと小ぶりで、なんとも可愛らしい。探していた牛にあえて嬉しくてしかたない牛主ですが、何某もせっかく見つけた牛をそうやすやすと渡すわけにもいかない。二度の呼びかけには、間髪を入れず一声言ったと言うので、そりゃ牛も返事をする暇がないでしょう(笑)。
 切羽詰った牛主が何を言い聞かせるかと思いきや、昔、文徳天皇崩御ののち、惟喬・惟仁両親王が帝位を争い、10番の相撲で定めることになった時、比叡山の慧亮和尚が惟仁の勝利を懸命に祈ると、絵に描いた西方大威徳明王の乗った水牛が三度までほえ、ついに勝ちを収めたという話を大真面目で語り、「絵に描いた牛でさえ鳴くのだから」と言い含めて「横座よ」と呼ぶと、とうとう牛が「モウ」と鳴いたのでした。
 緊張感ある語りに何某も聞きほれて横槍が入れられなかったのか、牛主の横で一人我関せずポヤ〜っと立ってた牛が返事をするのを止められなかった悔しさに、その引き綱は俺のだから返してくれ〜と追っていきました。
 万作、萬斎親子の掛け合いのタイミングが面白く、万作さんの語りの緊張感と遼太牛のポヤ〜とした可愛さが不思議と相まって面白さを増していました。また、万作さんの牛主も牛が可愛くてしょうがないという表情がとってもよかった。

「釣針」
 萬斎さんの太郎冠者では何回か観たことがあります。
 妻が欲しい主人と太郎冠者が西宮の夷に参詣して霊夢を得る。それは、西門に置かれた釣針で妻を釣れというもの。恥ずかしいという主人の代わりに太郎冠者が面白く囃しながら釣ると妻が釣れ、次に腰元たちも釣れる。最後に太郎冠者の妻も釣れて大喜び。主人達が奥の部屋へ引き上げた後、太郎冠者が恥ずかしがる妻の被きを取って体面すると、なんと見目麗しいはずがとんでもない醜女と分かるや逃げ出そうとする太郎冠者。妻に万万年も連添おうと言ったではないかと追いかけられ、ほうほうの態で逃げていくのでした。
 大活躍の石田さんですが、さすがに最後が「釣針」という動きの多い役ではお疲れぎみという感じがしました。汗水たらして一生懸命な感じは出ていて、それも太郎冠者の張り切りようとも見えますが、ちょっと軽妙さには欠ける感じがしました。
 主人の妻の顔をのぞいた時「え〜」「え〜」と二回言うのですが、萬斎さんが太郎冠者の時は言葉には出さず、表情が明らかに納得がいかない「おかしいなあ、見目麗しい奥様を釣ったはずなのに」というのが、見て取れましたが、石田さんの場合は声で「え〜」と言いながら首を傾げていて、それが何となく可笑しくて笑えるのですが、変だなと不審そうな様子は見て取れませんでした。この場合、やっぱりあれ?という感じが出たほうが効果的なような気がするのですが・・・。
2006年4月2日 (日) 万作狂言会
場所:セルリアンタワー能楽堂 14:00開演

お話:馬場あき子

「箕被」 夫:野村万作、妻:野村萬斎       後見:高野和憲

小舞「景清」後  野村万作    地謡:竹山悠樹、深田博治、高野和憲、月崎晴夫

「咲嘩」 太郎冠者:野村万之介、主:高野和憲、咲嘩:石田幸雄   後見:深田博治


馬場あき子さんのお話。
 歌人でもある馬場さんは、連歌に関係のある曲ということで、特に「箕被」について詳しく話されたので、当時の連歌の流行の背景や、最後に夫婦が掛け合った句の意味などが解ることによって、さらに作品を味わうことができました。夫君も解説のおかげでとても解りやすかったと言っていました。

「箕被」
 連歌に熱中して家を顧みない夫が、自慢の発句を披露する会を開きたいといって、妻に用意を命じますが、妻は貧しさを理由に反対し、どうしても会をやるなら離縁してほしいと言います。夫は暇のしるしに、妻の使い慣れた箕を渡しますが、それを被った妻の後姿に思わず発句を詠みかけると、妻が巧みに句を付けてきます。驚いた夫は、これからは夫婦で連歌を詠みあって仲良く暮らそうと呼び戻し、復縁するのでした。

 万作さんの夫は、仕事も放り出して、ただ々連歌好きな無邪気な夫。家計に無頓着で、妻がどんなにやりくりに苦労しているか知る由もありません。我がまま、横暴というより、その無頓着、無邪気さがどこか憎めません。
 萬斎さんの妻役は、依然より柔らか味が増してきています。神経質そうなわわしさはなく、品の良さは残っていて、それが返って今回は、最後に歌も詠める育ちの良さをうかがわせ、しっとりとした雰囲気にしていました。ただ、夫に物言いするしたたかな強さを持ったわわしい女としての存在感を表現するには至っていないところが、まだこれからの課題だという感はします。
 最後に夫が妻に詠みかける「三日月の出づるも惜しき名残かな」は“三日月”と“箕被”をかけて、「出づるも惜しき」で出て行く妻の姿を惜しみ、それに対し妻は「秋の形見に暮れて行く空」で“秋の形見”と“飽きの形見(暇のしるし)”をかけ、日が暮れてから出て行くさまを詠む。見事な掛け合いになっています。
 
小舞「景清」
 『屋島(八島)』で悪七兵衛景清が三保谷四郎としころ引きをした時の様子を小舞にしているものですが、万作さんの舞の力強さ、そこには力自慢の武将景清と三保谷四郎の戦いの様がありありと見えるようで、とても見応えがあり、惹きつけられる舞いでした。

「咲嘩」
 主人が都の伯父に連歌の宗匠を頼もうと、太郎冠者に呼びに行かせますが、都に着いた太郎冠者は伯父を知らず、すっぱ(詐欺師)を伯父と思って連れ帰ってきます。驚いた主人は、穏便に帰ってもらうよう、太郎冠者に自分の言うとおり振舞うよう言いつけるのですが、すっかり主人の真似をすればよいと思った太郎冠者の勘違いで翻弄されることに・・・。

 追い返して後で仕返しされたら困ると思い、穏便に接待して帰そうとする主人に対し、脳天気な太郎冠者はいきなり「おまえは、咲嘩という詐欺師だな」と言ってしまったり、言わなくてもいい余計な話ばかりする太郎冠者に影でハラハラ気を揉む高野主人。ついに、おとぼけ万之介太郎冠者に自分のするよう真似をしろと言いつけるのですが、何でも真似をしなければと思った太郎冠者は、主人が自分に言いつけたことまで口真似して咲嘩に言いつける始末。業を煮やした主人が太郎冠者を叩けば、そっくり真似して咲嘩を叩く。最後は太郎冠者を引き倒して、咲嘩にご馳走を持ってきますと恭しく礼をして去った主人の真似をして、咲嘩を引き倒してから恭しく礼をして去っていく太郎冠者に、さんざんに翻弄される咲嘩。
 これは、3人の配役がそれぞれの雰囲気を生かしたピッタリの設定。これほどオトボケ振りが自然と湧き出てくるような人はいない万之介さんの太郎冠者。どこか生真面目で小心者な主人の高野さん。騙すつもりが、いつの間にか訳もわからず翻弄されて迷惑がる石田さんのすっぱ。文句無く笑える一品でした。
2006年4月1日 (土) 第12回友枝昭世の会
場所:国立能楽堂 15:00開演

狂言「見物左衛門」深草祭  野村万作

能『湯谷』
 シテ(湯谷):友枝昭世
 シテツレ(朝顔):長島茂
 ワキ(平宗盛):森常好
 ワキツレ(太刀持ち):舘田善博
     大鼓:柿原崇志、小鼓:成田達志、笛:一噌仙幸
     後見:塩津哲生、友枝雄人
     地謡:狩野了一、中村邦生、粟谷明生、金子敬一郎
        出雲康雅、香川靖嗣、粟谷菊生、粟谷能夫


「見物左衛門」深草祭
 この曲は和泉流三宅派の番外曲だそうで、「深草祭」と「花見」という小書の二つのバージョンがあって、演者が一人だけの一人狂言には違いありませんが、小書によって内容が全く変わるそうです。
 見物左衛門という男が、加茂の競馬・深草祭の日なので、友人のぐづろ左衛門を誘って出かけようと、ぐづろ左衛門の家を訪れますが、すでに出かけてしまったと言うので、一人で行くことにします。時間が早いので、途中九条の古御所を見物することにし、厩を見た後、座敷の造作などに感心していると、競馬が始まるというので、そちらを見に行きます。その乗りぶりを見て、落馬すると大いに笑ったりします。次に節句の祝ののぼりを見た後、人だかりがあって相撲をとっているというので、のぞきに入り、行司に文句をつけたりしているうちに、周りから言われて、自分が相撲をとることになります。まずは勝ったものの、二番目には負けてしまい「もう一番とろう」と追いかけていって幕入りです。

 周りにはたくさん人がいるわけですが、会話したり、物を見て感心したり、相撲をとったりすることも、すべて一人芝居で演じます。演者の技量がないとつまらない舞台になる危険がありますが、万作さんの舞台は、周りの風景や人ごみの賑やかさが見えるようです。こちらも一緒に見物をしている気持になりました。
 狂言の型によりながら、自然でリアルな表現。御所を一人見物して感心したり、競馬を楽しんで、他の人と話したり、人ごみを掻き分けて相撲の一番前の席について行司に文句をつけたり、挙句、自分が相撲をとることになったりと、好奇心旺盛な見物左衛門の姿が生き生きと描き出されていました。

『湯谷』
 平宗盛は遠江の池田の宿の長者の湯谷を寵愛して都に留め、彼女が故郷の老母の病を見舞うため暇を請うても許そうとしません。今日も湯谷を伴って花見に行こうとしていると、遠江から朝顔が湯谷に老母の手紙を届けに現れ、湯谷に母の容態が悪いことを伝えます。湯谷は宗盛の館に参上し、老母の文を読み、その心中を訴えますが聞き入れてもらえず、湯谷は気の進まぬまま用意された牛車で清水寺へ花見に行く事となります。
 清水寺へ着き、酒宴が催されて、湯谷は求められるままに舞を舞いますが、にわかに村雨が降って花を散らし、この時、湯谷は短冊に「いかにせん都の春も惜しけれど馴れし東の花や散るらん」と書きつけて宗盛に渡します。その歌に湯谷の心中を知った宗盛は帰国を許し、湯谷は清水観音の利益を喜びつつ、東路へ急ぎ出立するのでした。

 昨年は、老人や男性の役が多かった友枝さんの久々の乙女役です。オレンジ系の花が艶やかな唐織の装束姿も美しい湯谷が母を気遣う思いに沈み、しずしずと現れます。老母の文を宗盛の前で、面々としっとり謡い、それでも帰郷を許されず気の進まぬまま牛車に乗って花見に行く湯谷。晴れぬ思いのまま舞う舞はそれでも美しく、ふっと村雨に舞いを止め、散る花に故郷の母の命が散ろうとしていることを思い短冊にしたためる。さすがの宗盛もその思いに心打たれ湯谷を急ぎ故郷に返すことにするのですが、その時、面の表情がぱっと明るく輝いたように見えました。
 急ぎ故郷へ向かう湯谷が橋掛かりを廻って、一度橋掛かりから眺める場面は、わずかに顔を動かすだけで、丘の上から眼下に懐かしい故郷の風景が一瞬にして広がって見えるよう、さらに心はやって立ち去る湯谷の思いが伝わってきました。

 能と狂言、二人の名手の演技を堪能できた会でした。ちなみに今回の囃子方も私の好きな面々でさらに楽しめました。