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能楽鑑賞日記

2013年4月29日 (月・祝) 萬狂言 春公演
会場:国立能楽堂 14:30開演

解説:野村万蔵

素囃子「男舞」 大鼓:大倉慶乃助、小鼓:飯冨孔明、笛:槻宅聡

「節分」 鬼:野村太一郎、女:小笠原匡     後見:野村万禄

「花盗人」 盗人:野村萬、何某:野村扇丞     後見:炭光太郎

「千切木」
 太郎:野村万蔵
 連歌の当屋:野村祐丞
 太郎冠者:炭光太郎
 連歌の仲間:小笠原匡、吉住講、野村虎之介、河野佑紀、山下浩一郎
 太郎の妻:野村万禄
    後見:野村扇丞

 まず、万蔵さんの分かりやすい演目の解説がありました。「節分」の鬼をやる太一郎くんは、11月の特別公演で「釣狐」を披くそうで、その前段として面を掛け重い装束での動きに慣れるという意味で「節分」をやるのが習いだそうです。いよいよ太一郎くんも「釣狐」を披くことになったんですね。

「節分」
 蓬莱島から、節分に撒かれた豆を拾って食べようと日本にやってきた鬼が、家の明かりに誘われて近づくと柊の枝に目を突かれます。鬼は案内を乞い、女と対面すると一目惚れをしてしまい、恐ろしがる女の気を惹こうと小歌を謡ったりして必死に口説きますが、突き放されてついには泣き出してしまいます。そんな鬼の姿を見た女は、なびいたふりをして、宝物(隠れ蓑、隠れ笠、打出の小槌)を取り上げてしまいます。休んでいた鬼は、豆まきを始めた女に豆をぶつけられ、あわてて逃げていきます。
 鬼には、邪悪な疫鬼と、祝福を与えに来る異境の神との2種類があり、この狂言に登場する蓬莱島の鬼は、後者の神としての性格を持っているそうです。そういえば、先日の能『絵馬』に出て来る蓬莱島の鬼もそうでしたね。
 太一郎くんは、力強く元気溌剌な鬼でしたが、したたかな女に振り回されてちょっと情けないことに・・・お気の毒(笑)。

「花盗人」
 見事な花をつけた桜の木の持ち主(何某)が、花の様子を見に行くと、枝が折られていたので、今晩もその盗人が来るだろうと待ち構えていると、案の定やってきた男を捕まえて幹に括りつけます。すると、盗人は嘆き、中国の祚国(さこく)という人が花を折ろうとして谷に落ちて亡くなったという詩を読み、自分も花ゆえに命を落としても後悔が無いと独り言を言います。それを聞きつけた何某が傍に来ると、盗人は古歌を引いて、桜を折り取っても咎にならないとまで言います。面白い奴だと思った何某は、花にまつわる一首を詠めたら許すと言い、盗人は歌詠みに成功したので、無事縄を解かれ、二人は酒宴となって、何某は花を折って盗人に土産に渡すのでした。
 年齢習いで若い人にはなかなかできない曲だそうで、漢詩や古歌をたしなむ教養のある者同士の趣のある曲。盗むのは悪いと思いながらも頼まれてやむを得ず、逡巡しながら桜の枝に手をかける盗人。さすが萬さん、本当は教養もある誠実な人柄であることが滲み出ていて、扇丞さんもそれに応え、風流を好む者同士の心の交流をほのぼのと感じさせる春らしい曲でした。

「千切木」
 連歌の初心講で皆が集まるところに、嫌われ者の太郎が乗り込んで呼ばれなかったことに文句を言い、さらに、花の活け方や掛け物の掛け方の難癖をつけたので、怒った人々に袋叩きにされてしまいます。気を失って倒れている太郎の元に妻が駆けつけ、仕返しに行けと夫の尻を叩きます。尻込みする太郎ですが、どの家でも「留守」との返事に、急に元気になり、棒を振り回して気勢を上げます。妻はその姿を誉めそやして仲良く帰って行きます。
 傍若無人に振舞いながら、本当は気の弱い太郎と威勢が良くてわわしいながら、夫を叱咤激励して誉めそやしたりする愛情深い妻。万蔵さんと万禄さんの息の合った掛け合いがテンポ良く、「のうのう愛しい人」と、最後はいつものように仲良く帰って行く夫婦。
 行く家ごとに「留守」と言うのが可笑しい。ホントは妻が手を回してたんじゃないかとちょっと勘ぐってみたり。夫をうまく乗せるのが夫婦円満の秘訣ですね。
2013年4月28日 (日) 喜多流職分会特別公演 ―続き―
「文山賊」
 追剥ぎに失敗した二人の山賊が、互いに相手への不満をあらわにして、口論になります。ついに果し合いで決着をつけることになりますが、二人とも臆病で、なかなか事が運ばず、見物もないところで争って死ぬのも空しいと、一人が書置きを残すことを提案します。二人はさっそく文を書き始めますが、妻子のことを思いやって二人とも泣き出してしまいます。結局二人は、果し合いをやめ、仲直りして連れだって帰って行きます。

 万蔵さんと扇丞さんの山賊。二人とも人が好さそうで、山賊らしくないところが合ってます(笑)。それでも、どちらも引っ込みがつかずに果し合いをすることになったものの、本当は死にたくない。妻子のことを思って泣き出しちゃうところなんか笑っちゃいますけど、結局仲直りする二人。山賊には向いてないから、ちゃんと働けばいいのにねえ(笑)。

『石橋』連獅子
 大江定基、出家して寂昭法師は、唐・天竺に渡って仏跡を巡る旅の途次に中国山西省の清涼山の石橋にたどり着きます。するとそこに童子が現れ、この橋が石橋、その向こうは文殊菩薩が住む浄土であると教えます。身命を仏にまかせて石橋を渡ろうとする寂昭を制して、この橋は、石自体が自然と対岸へ続き、幅一尺もなく苔が生えて滑らかで、長さは三尺ばかり、谷の深さは千丈以上に及び、下を見ると足がすくんで気を失うので、並の修行では渡れぬ危険な橋だと言い、やがて菩薩が出現するであろうと告げて姿を消します。
 呆然と石橋を眺める寂昭の前に、牡丹の花をかき分けて文殊菩薩の使いの獅子が現れ、牡丹の花に戯れて舞い遊び、御代の千秋万歳を寿いで舞い納め、獅子の座に納まります。

 赤牡丹の一畳台と白牡丹の一畳台が正先に横に並んで置かれました。
 前シテは若く美しい童子、後シテは親獅子。シテの香川さんの白獅子は親らしい風格があって、塩津哲生さんの赤獅子は若々しく勢いと元気のある子獅子でした。
 清涼山の精として出てきたアイの太一郎くんも堂々としっかりした語りでした。
2013年4月28日 (日) 喜多流職分会特別公演
会場:十四世喜多六平太記念能楽堂 12:00開演

素謡「翁」
 翁:粟谷能夫、千歳:大村定
   地謡:大島輝久、金子敬一郎、友枝真也、佐藤章雄、長島茂、谷大作

『絵馬』女体
 シテ(老翁・天照大神):友枝昭世
 シテツレ(姥):内田成信
 シテツレ(天鈿女命):友枝雄人
 シテツレ(手力雄命):狩野了一
 ワキ(勅使):宝生欣也
 ワキツレ(従者):則久英志、御厨誠吾
 アイ(蓬莱島の鬼):山下浩一郎、
   大鼓:亀井洋佑、小鼓:観世新九郎、太鼓:観世元伯、笛:一噌幸弘
     後見:内田安信、長島茂、友枝真也
       地謡:佐藤陽、粟谷浩之、粟谷充雄、佐藤寛泰
           中村邦生、出雲康雄、粟谷能夫、大村定

「文山賊」
 山賊:野村万蔵、山賊:野村扇丞

舞囃子「八島」 出雲康雄
 大鼓:佃良太郎、小鼓:田邊恭資、笛:藤田貴寛
   地謡:大島輝久、友枝真也、塩津圭介、粟谷充雄、中村邦生、友枝雄人

舞囃子「草紙洗小町」 内田安信
 大鼓:佃良太郎、小鼓:田邊恭資、笛:藤田貴寛
   地謡:佐藤寛泰、佐々木多門、佐藤陽、粟谷浩之、粟谷明生、狩野了一

『石橋』連獅子
 シテ(童子・白獅子):香川靖嗣
 シテツレ(赤獅子):塩津哲生
 ワキ(寂昭法師):殿田謙吉
 アイ(清涼山の精):野村太一郎
    大鼓:國川純、小鼓:鵜澤洋太郎、太鼓:金春國和、笛:一噌隆之
      後見:粟谷辰三、谷大作、佐藤章雄
        地謡:佐藤陽、大島輝久、佐々木多門、塩津圭介
            内田成信、長島茂、粟谷明生、金子敬一郎

素謡「翁」
 『翁』を素謡で聞いたのは初めてです。紋付袴姿で目付柱向きに翁と千歳、後ろに地謡が並び「とうとうたらり・・・」の翁の謡からはじまり、千歳、翁舞までを謡だけで聞かせます。粟谷さんの謡が翁らしく貫禄があって良かったです。

『絵馬』女体
 淳仁天皇の勅使が伊勢神宮に宝物を捧げに伊勢神宮に向かい斎宮に着くと、節分の日であった。節分の夜には斎宮に絵馬を懸ける習いがあるというので、勅使はそれを見物にいくと、老夫婦が現れ、二人はこれから絵馬を懸けるところだと言います。姥(実は月読命)は雨がよく降るように黒い絵馬をかけようと言いますが、尉(実は天照大神)は、いや、よく日が照るように白い絵馬をかけようと言って争います。しかし、今年は特別に二つの絵馬を懸けようと話が落ち着きます。人民快楽、国土豊かになることを願って絵馬をかけ、老夫婦は「懸ける」という言葉尽くしを謡って、勅使に向かい、実はわれらは伊勢の二柱の神、夜明けに再び大神宮で逢いましょうと言って姿を消します。
 蓬莱島からやってきた鬼もその様子を窺っており、今年は日も照り、雨もよく降るように二つの絵馬が懸った、このめでたい機会に、われら鬼どもも宝物を捧げようと言って姿を消します。
 やがて天照大神、天鈿女命、手力雄命が現れ、それぞれが舞を舞って、天の岩戸の神話を再現して見せ、天下泰平を祝福します。

 天下泰平、五穀豊穣を祈り、のどかな春を寿ぐおめでたい能で、アイの蓬莱島の鬼までも宝物を捧げて祝うというめでたさです。喜多流では、本来は後シテが男神の天照大神なのだそうで、女体という小書がつくと、通常の女神になるそうです。
 天鈿女命は天冠をつけ天女の出で立ちで現れますが、天照大神は髪を後ろでまとめただけで、装束は白の狩衣に赤の指貫のようでした。面は増でしょうか。後シテの天照大神は観世流などでは中之舞を舞うそうですが、喜多流では、勢いのある神舞で、最初から盛り上がり、岩戸の作り物に入ると、天鈿女命のゆったりした神楽舞が舞われ、最後の手力雄命は力強く勢いのある急之舞で、一気に岩戸開き。天照大神の神舞と手力雄命の急之舞の勢い、その間に天鈿女命のゆったりした神楽と、緩急のある舞も面白く、天照大神の神としての力強さも感じました。
2013年4月26日 (金) 神秘域その弐
会場:渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール  14:00開演

能楽囃子
 大鼓:亀井広忠、小鼓:吉阪一郎、太鼓:大川典良、笛:藤田六郎兵衛

「附子」
 太郎冠者:深田博治、次郎冠者:高野和憲、主:中村修一  後見:岡聡史

『三番叟』
 三番叟:野村萬斎
 千歳:内藤連
    大鼓:亀井広忠
    小鼓頭取:吉阪一郎
    脇鼓:上田敦史、荒木建作
    笛:藤田六郎兵衛
      後見:月崎晴夫、中村修一
         地謡:岡聡史、深田博治、高野和憲、飯田豪

 写真家杉本博司さんとのコラボで2011年に公演した「三番叟」の第二弾ということで、前回は、台風で交通機関が寸断される中、決行した曰くつき。でも今回はお天気は大丈夫でした。そしてニューヨークのグッケンハイム美術館での公演を経ての凱旋公演になります。チラシには「三番叟」しか書いてなかったのですが、まず、能楽囃子と狂言「附子」があり、休憩を挟んで「三番叟」でした。

能楽囃子
 舞台後ろの上の方に桐の家紋が描かれた横長の垂れ幕が下がっていました。なぜ桐の紋なのかは分かりませんでしたが、和な感じの演出か?
 後半の太鼓が入ってからの曲が何かは分かりませんでしたが、前半は乱拍子の小鼓の特徴的な掛け声と間があったので、たぶん「道成寺」。とにかく、この能楽囃子は迫力があって素晴らしかったです。掛け声、鼓の音とも空気を震わせ響き渡る感じ。

「附子」
 桐紋の垂れ幕が下の方に下りて、鏡板の代わりみたいになりました。
 オーソドックスな狂言の演目がここに入るとは思ってなかったので意外でしたが、主人役が内藤連さん、深田さんの太郎冠者に高野さんの次郎冠者も息があってて面白かった。
 狂言自体は面白いし良かったんですが、時間の関係なのか、今回の公演の特殊な雰囲気には必要なのかな?という感じはありました。桐紋の垂れ幕くらいではなんか中途半端、やるならいっそのこと「新宿狂言」くらい舞台演出に凝ってもらいたいかと・・・。

「三番叟」
 休憩を挟んで、今回のメインです。
 真っ暗な中、火打石を打って始まりますが、うっすら明るくなると、稲妻(放電場)アートの横長の垂れ幕が2枚、舞台上方に段違いに下がっているのが見えます。この絵、私は全く事前知識を入れてなかったので、見たまま正直に言うと、初めは稲妻を表現してるんだろうな、とは思ったものの、じっと見てるうちに地中の木の根なのかな?でも、鼓の音に合わせてフラッシュしたので、やっぱり稲妻なんだと納得。しかし困ったもので、一度そう見えてしまうと木の根にしか見えない。
 舞台上には右斜め後ろに笛と小鼓3人、左側に大鼓と別れ、真ん中後ろに地謡の4人、左奥に後見、面箱を掲げた千歳は面箱を正先に置いて右のワキ座の定位置に、三番叟は左側。千歳が面箱を正先に置いたのは、どんな意味があるのだろう?舞うのに邪魔にならないかと思ったり。
 初めて観る内藤さんの千歳は、若々しく颯爽としていてなかなか良かったです。千歳が終わると地謡が退場。後見が正面後ろに来て、千歳の内藤さんから面箱を渡され、中の鈴を内藤さんが受け取って元の位置に戻り、後見は面箱から出した面を箱の上に乗せて箱を持って後見の位置に戻ります。
 いよいよ三番叟のスタート。萬斎さんは、稲妻模様の装束です。これはなかなかカッコイイ。装束の稲妻模様は確かに稲妻に見えるんです。垂れ幕の稲妻と何が違うかというと、中心の太い閃光の描き方。装束は、線をぼかして光を放っているように見えるけれど、幕の絵は線がハッキリ縁取りされたように描かれているから根っこのようにしか見えない。それに幕の地色も茶色っぽいからなおさら。五穀豊穣を祝う三番叟だから地中の根でも良いのかもしれないけれど、それが上に垂れ下っていると、その下で舞う三番叟が大地を揺るがす地震のようです(それじゃ困る)。萬斎さんの三番叟はいつものように気合が入ってました。揉の段はまさに放電なんですけどね。ただ、烏跳びの時、三回目の跳ぶ方向が1,2回目とずれていたように見えました。私の席がちょうど、能楽堂で言うと、中正面の目付柱の方向だったので、1回目2回目はこちらに向かって跳んでいたのが、3回目の大きな跳躍は前に跳んでいた。その後の足元にちょっと安定感を欠いているように感じたところもあり、私の気のせいかもしれないけれど。
 放散する揉の段に比べ、鈴の段は、螺旋状に高揚していき、周りを巻き込んでいくようです。稲妻というより竜巻。

 今回がコラボとしてどうだったかは、個人的印象ですが、稲妻(放電場)が木の根に見えてしまったことで、思っていたような効果が感じられなかったのが何とも残念でした。
2013年4月12日 (金) 第七回萬歳楽座
会場:国立能楽堂 18:30開演

舞囃子「鷺」 金剛永謹
   大鼓:亀井広忠、小鼓:観世新九郎、太鼓:前川光長、笛:藤田六郎兵衛
      地謡:元吉正巳、坂本立津朗、豊嶋晃嗣、豊嶋三千春、金剛龍謹

『隅田川』彩色
 シテ(狂女):観世清和
 子方(梅若丸):藤波重光
 ワキ(渡守):宝生閑
 ワキツレ(旅人):宝生欣也
    大鼓:亀井忠雄、小鼓:大倉源次郎、笛:藤田六郎兵衛
      地謡:坂井音雅、清水義也、角幸二郎、上田公威
          観世喜正、大槻文藏、梅若玄祥、片山九郎右衛門

 舞台上に『鷺』の装束と冠が飾られていて、いつものように六郎兵衛さんが切戸口から現れ、お話をされました。六郎兵衛さんは普通の能管より小さい子供用の能管を出して見せ、この世に2本しかない能管だとか、これがあったので、4歳から笛の稽古をするようになったそうです。装束は金剛永謹さんが還暦に『鷺』を舞った時の装束だそうで、冠のほうは永謹宗家が小6で『鷺』を舞った時の物で、その舞台に小4の六郎兵衛さんと太鼓の前川さんも小5で出演されたとのことです。永謹宗家も招き出されて『鷺』についての話をされました。鷺足という特別な足遣いがあり、演じる人は実際に鷺を観察したりするそうです。幸いなことに京都の金剛能楽堂には池があるので、見ることが出来る、なんてお話もありました。そのあと前川さんが出てきて、中学高校ぐらいのころは太鼓よりドラムの方に夢中だった話などもあり、年代的には不思議じゃないけど、見かけで(失礼)意外な感じがしてしまいました。

舞囃子「鷺」
 金剛宗家が小6で『鷺』を舞った時と同じ面々の笛と太鼓に当時の大鼓を担当した亀井俊雄師の孫の広忠さんが大鼓で出演。
 風格のある金剛宗家の舞でしたが、特殊な鳥の足遣いがちょっと「白鳥の湖」を彷彿とさせて、面白いなあと思ってしまいました。

『隅田川』彩色
 人買いにさらわれた我が子を捜して、京都から東国の隅田川まで狂女となってやってきた母親は、渡守に意地悪く面白く狂ってみせなければ乗せないと言われます。しかし、渡守も子を想う母の心にほだされて船に乗せます。やがて、向こう岸から大念仏の声が聞こえ、旅人の問いに答えて、渡守は去年京都から来た人買いが病気になった子を捨てて奥州に下ってしまい、残された子供が死んでしまったので、不憫に思った人たちが塚を築き、今日が命日なので回向しているのだと言います。それを聞いていた母は、渡守をさらに問い詰め、その子が自分の捜し求めていた我が子と知ります。向こう岸に着くと、渡守は母をその塚に連れて行き、一緒に念仏を唱えることを勧めます。母が念仏を唱えていると、やがて人々の声に混じって亡くなった子供の声が聞こえてきます。さらに母が唱えると、子供の姿が現れますが、抱きしめようとする母の腕をすり抜けてしまいます。やがて夜も明け、子の姿も消え、ただ草がぼうぼうと茂っているだけでした。
 小書の彩色(いろえ)は、船に乗る前にシテが「我が思うひとは、ありやなしやと」と謡った後に舞台を一周し、鳥に目を留めて「のう舟人どの」と呼びかける、という演出のことだそうです。
 ワキは宝生閑さんとワキツレに欣也さんという親子出演。しばらくぶりに観た閑さんは、痩せてやつれた感じがして、なんか病気でもしていたのでしょうか、初めは謡も弱い感じがしました。しかし、船中での語りはさすが、その後のシテとの問答も圧巻でした。
 観世宗家の謡の巧さと、所作の美しさ。渡守の語りを聞いて、我が子と気付いた時に渡守の方に身体を少し向けるなどの僅かな所作が絶妙です。
 シテが出の時に持っている狂笹が枯れ笹で、その悲しさを強調していました。
 子方は出す演出と出さない演出がありますが、今回は出す演出。子方の藤波くんは謡も仕草も良かったです。
 そして、玄祥さんを地頭とする地謡も素晴らしく、最後の六郎兵衛さんの澄んだ笛の音が、切なく美しく心に響きました。