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能楽鑑賞日記

2013年5月23日 (木) 第62回野村狂言座
会場:宝生能楽堂 18:30解説開始 18:45開演

解説:石田幸雄

「佐渡狐」
 佐渡の百姓:竹山悠樹、越後の百姓:岡聡史、奏者:月崎晴夫

「無布施経」 僧:野村萬斎、施主:高野和憲

「孫聟」
 祖父:野村万作、舅:石田幸雄、太郎冠者:深田博治、聟:中村修一

 最初に石田さんの慣れた分かりやすい解説がありました。

「佐渡狐」
 越後のお百姓と佐渡のお百姓が、年貢を納めに上京する途中で道連れになりますが、やがて、佐渡に狐がいるかいないかで言い争いになり、それぞれ腰の刀を賭けて、領主の館の奏者に判定してもらうことにします。
 館に到着して、まず年貢を納めに中に入った佐渡のお百姓は、奏者に賄賂を贈り、本当は佐渡に狐はいないのに、いると判定してもらいたいと頼みます。奏者は、佐渡のお百姓に狐の大きさや形、色などを教え、次いで越後のお百姓が年貢を納め終わると、賭けの判定となります。佐渡に狐はいるという判定に納得にいかない越後のお百姓は、狐の姿形について佐渡のお百姓を問い詰め、佐渡のお百姓は、奏者の身振りなどに助けられてなんとか答え、刀をまんまと手に入れます。
 帰途、奏者と佐渡のお百姓がぐるだと気付いた越後のお百姓は、佐渡のお百姓に狐の鳴き声を尋ねると、佐渡のお百姓は苦し紛れに鶏の鳴き声を答えたので、越後のお百姓は刀を奪い返して去っていきます。

 今では税金を取られるというと嬉しくないことみたいですが、中世では、豊作で年貢を納められるというのはお目出度いことだったそうで、自ら「お百姓」と「お」を付けることもそれくらい目出度いということで、正装して刀までさしています。でも、「佐渡狐」は祝言性より、賄賂を贈る姿や二人のお百姓の対立を中心に描いているのが、ちょっと変わっています。
 若手大活躍で、最近は立衆ばかりでなく小アドなどの役がつくようになった岡さんが堂々と様になってきた感じ。竹山さんの佐渡のお百姓ももっさりした不思議ちゃんな雰囲気が、今までの佐渡のお百姓とは違った感じで、これもまた面白かったです。月崎奏者に袖の下(賄賂)を渡す場面は、奏者がこっそり受け取ってニンマリする表情があまり見えず、意外とあっさりな感じでした。佐渡と奏者とのブロックサインのやり取りとそれを阻止しようとする越後のドタバタは必死な感じが可笑しかった(笑)。今後も若手の成長に期待です。

「無布施経」
 寺の住持が、毎月祈祷に行く檀家で勤めを済ませますが、期待していたいつもの布施が出ないので、一度は帰りかけたものの何とか思い出させようと立ち帰り、「ふせ」という言葉を織り込んで説教をしますが、気付いてもらえません。やはり諦めて帰りかけますが、「布施無い経には袈裟を落とす(報酬がすくないところには略装にする)」という言葉もある。どうしても思い出してもらおうと引き返し、今度は袈裟を懐に隠して、落としたと告げ、その袈裟は鼠が銭10疋も通る穴を開けたので、ふせ縫いにしてあるからすぐわかると言います。ようやく布施を渡し忘れたことに気付いた主人はいつもの布施を用意して渡そうとしますが、今度は僧が催促したようで体裁が悪いと受け取れません。二人が布施をめぐってもみ合ううちに、僧の懐から袈裟が出てきて、僧は面目を失い、主人に詫びます。

 この僧の役は、ある程度年齢になってからやる役だそうで、石田さんが解説で4,50代からといったかな、萬斎さんも40代後半だから、もうやってもいい役ということか。
 なんとか施主に布施のことを思い出してもらおうと、萬斎僧が「ふせ」をキーワードに悪戦苦闘するものの、おっとり構えた高野施主はちっとも気付いてくれません。ちょっとオーバーぎみな萬斎さんの表情や仕草が分かりやすくて高野さんとのやりとりがテンポ良く感じられ、夫は「こんな面白かったっけ」というくらい笑ってました。いかにも萬斎さんらしい僧だなって感じで面白かったです。でも、千作さんが亡くなったと聞いたばかりだったので、私はどうも千作さんの「無布施経」の僧を思い出してしまって、比べる気はないけれど、千作さんのあの僧ももう二度と観られないのだとしみじみ寂しく思ってしまいました。

「孫聟」
 今日は婿入りの日なので、舅と太郎冠者は、日頃差し出がましい祖父を友達のところへ追い払おうと考えますが、そのたくらみを察知した祖父が起こり出したので、結局祝儀の席に出てもらうことになります。祖父は、聟が来るとさっそく挨拶に出て行こうとし、舅をさしおいて盃事に口を出します。やがて酒宴も盛り上がって、めでたい舞となり、舅と聟の舞に祖父も加わりますが、自分だけ取り残されて、若い者は世話を焼かせると文句を言います。

 祖父が主役となる異色の婿入り物で、私も初見かも。ちょっとひがみっぽかったり、何度も同じ話を繰り返したり、すぐ怒ったり、いつまでも息子や孫を子ども扱いして威張ったりと、老人にありがちなことを誇張してますが、万作さんの祖父がそれでもなんか憎めなくて可愛らしく、笑わしてもらいました。息子もその聟も太郎冠者も、そんな祖父を困ったものだと思いつつも決して邪険に扱わず、年長者をいたわって、お祝いの席を盛り立てようという気遣いがあり、ほのぼのと暖かい気持ちになる曲でした。
2013年5月6日 (月・祝) 第十四回 よこはま「万作・萬斎の会」
会場:横浜能楽堂 14:00開演

小舞「景清」後
 野村裕基   地謡:内藤連、深田博治、野村萬斎、高野和憲、中村修一

「棒縛」
 太郎冠者:野村万作、主:岡聡史、次郎冠者:石田幸雄    後見:飯田豪

狂言芸話(十四) 野村万作

「小傘」
 僧:野村萬斎
 田舎者:深田博治
 新発意:野村裕基
 立衆:月崎晴夫、竹山悠樹、中村修一、内藤連、飯田豪
 尼:高野和憲
         後見:岡聡史

小舞「景清」後
 屋島の合戦で景清が源氏の三保谷と闘って、兜のしころを引きちぎったさまを見せる躍動感あふれる小舞です。
 裕くんは成長期で、背が伸びて、子供から青年に変わってきている感じ、お父さんに益々似てきたようで、扇を持つ指の長い綺麗な手や袖から肘のあたりまで出た腕の感じまでソックリ。声もだいぶ落ち着いてきた感じで苦しそうなところはありませんでした。なにより、舞がしっかりしてきて、手捌き、足捌き、姿勢、きちっと止めるところは止める、メリハリもできて、気持ちよく観ていられました。

「棒縛」
 主人が留守中に太郎冠者と次郎冠者が酒を盗み飲んでいることを知って、まず次郎冠者を呼んで太郎冠者が棒を使うと言うので、二人で太郎冠者に棒使いの型をやらせて棒に縛り付け、次に次郎冠者を後ろ手に縛って出かけてしまいます。それでも、酒が飲みたい二人は酒蔵に入り込み、縛られたまま協力して酒を飲んで、舞い謡って酒盛りを始めます。やがて戻ってきた主人は驚き、二人を打ちつけようとしますが、太郎冠者は棒で主人を驚かし、追われて逃げていきます。
 棒に両手を縛られた太郎冠者と後ろ手に縛られた次郎冠者が酒盛りで舞う「七つ子」と「暁」の舞が面白い。万作さんは棒に縛られていてもキレの良い舞ですが、萬斎さんのようなキレッキレというより、キレの良さの中にも柔らかさ、情感のある美しさを感じます。次郎冠者の石田さんが顔と首肩で表現する舞もいつもながら面白いです。万作太郎冠者を石田次郎冠者がゆるっとした感じで受け止めて、さすが磐石なコンビです。
 主人役の岡さんも頑張っていましたが、太郎冠者を棒に縛る場面でちょっとタイミングがずれたのか、縛り方があまく、縛りなおすハプニングで会場にクスクス笑いが起こってしまいました。

狂言芸話(十四話)
 この会のお楽しみの一つが、他の会ではなかなか聞けない万作さんのお話です。
 今回は「棒縛」について、ということで、「棒縛」にまつわる思い出話、エピソードなどを話されました。
 まず、先ほどの舞台で余計な可笑しみが出てしまったことで、やはり、それはあまり良くないことと仰ってました。「棒縛」の見せ所や難しさ、海外公演でのエピソードや分かりやすく見せる工夫などのお話があり、普段聞けない話が聞けて、とても興味深く、やっぱりこれがあるから、このよこはま公演は見逃せません。

「小傘」
 在所に草堂を建立した男が堂守に相応しい出家を求めて上下の街道で待っていると、博奕で家財一切を失ってにわか坊主になった博奕打とその召使いの新発意が現れ、男の誘いにこれ幸いと乗って、一緒に在所に下ります。ところが経も読めないにわか坊主、賭場で流行った小歌を読経のように謡ってごまかそうと新発意と示し合わせ、堂供養の法事に参列した人々から供物を集め、例の歌を読経のように謡って、皆で踊り念仏になったところで、供物を持って逃げ去ってしまいます。二人が逃げて、騙されたと気付いた人々は慌てて後を追って行きます。
 今回は、裕くんが新発意で登場。お父さんと背の高さも近くなって、見た目は変わらずという感じです。やっぱり「小傘(こがらかさ)」の小歌を読経のように謡って踊るところが見どころですが、小舞の時より声がかすれることが多く、萬斎さんと一緒に謡うところでは、ちょっと声が合わないなと感じるところがありました。でも台詞は堂々として子供っぽい感じはなくなりましたね。
 尼役といえば石田さんというイメージが強いですが、今回は高野さんが初めて観る尼役。腰を90度に曲げて、小さくなっての尼さん、高野さんも頑張ってました。お尻フリフリの可愛さはなかなかのもんでした(笑)。