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能楽鑑賞日記

2013年7月27日 (土) 時の花「夏」
会場:宝生能楽堂 16:00開演

「雷」
 雷:野村萬斎、医者:石田幸雄   地謡:竹山悠樹、岡聡史、中村修一

試演能『雷電』
 シテ(菅原道真):辰巳満次郎
 ワキ(法性坊僧正):宝生欣也
 ワキツレ(従僧):則久英志、大日方寛
 アイ(能力):竹山悠樹
     笛:松田弘之、小鼓:大倉源次郎、大鼓:柿原弘和、太鼓:小寺真佐人
        後見:宝生和英、金森秀祥
           地謡:大坪喜美雄、朝倉俊樹、東川光夫、和久壮太郎

特別対談
 湯島天満宮宮司:押見守康×宝生流二十世宗家:宝生和英    司会:金子直樹

「雷」
 都では商売あがったりの藪医者が、東国に下って開業しようと旅していると、突然雷鳴がとどろき、目の前に雷様が雲の切れ目から落ちてきます。したたか腰を打った雷は藪医者に治療を命じ、藪医者が針治療をすると、痛がって騒ぎます。しかし、治療の甲斐あって腰が治った雷は喜んで帰ろうとします。藪医者はあわてて治療費を請求しますが、雷は持ち合わせがないので、その代り800年の間、天気を安定させることを約束して祝福の謡い舞いをしながら天に戻って行きます。
 石田医者が登場して能掛かりに次第を謡いますが、よく聞くと「薬種(やくしゅ)も持たむ下手薬師(へたくすし)」と謡ってます。名乗りも自ら「藪医者でござる」(笑)。都では上手い医者が多くて患者が来ないので、医者の少ない東へ下って開業しようってことです。
 そこに俄かの雷鳴。萬斎さんが鏡の間で足を踏み鳴らして音をたて、幕が上がると赤頭の雷さんが「ピッカリ、ガラガラガラ」と鞨鼓を叩きながら登場、藪医者を追いかけますが、そこでドーンと尻もち。腰を打ったから医者なら治療をしろと命令したものの、針を打つたびに「イタ、イタイタイタ」と体をエビのように丸めたり伸ばしたり。怖そうなのに、情けない雷の痛がる姿が滑稽です(笑)。茂山さんちで観た時はもっと大げさに痛がってて大笑いだったけれど、そこはやっぱり万作家、滑稽でも美しく、茂山家よりは少し控えめな気がしました。でも、藪医者でもちゃんと治って良かった。そうでなきゃ大変なことになってたかも。

試演能『雷電』
 比叡山延暦寺の法性坊尊意僧正のもとへ菅原道真の霊が現れ、生前の師恩を感謝しますが、菅公は死後雷となり、生前の恨みを晴らすため御所に乱入して殺すのだと打ち明け、御所から依頼があっても僧正は参内しないようにと頼みます。僧正が三度頼まれたら参内せざるを得ないと断ると、菅公は怒って供えてあったザクロを噛み砕いて妻戸に吐きかけて火炎を起こします。僧正は冷静に水の印を結んで火を消すと、菅公は消え去ります。やがて僧正が内裏に召されて経を唱えると、菅公の霊が雷電の姿となって現れ、いたるところで鳴り響きます。しかし、僧正の祈りで雷電の勢いも衰え、天満大自在天神との贈官を得て、菅公は鎮まって天空へと消えます。
 公演後の特別対談で、今回の『雷電』についての話がありましたが、宝生流では後場に貴人姿の菅公が舞を舞う『来殿』に明治以降改作して『雷電』は廃曲となっていたそうです。当時、宝生流の大後援者であった加賀藩主の前田氏が菅原道真の子孫と称していたことに遠慮して、道真の霊が雷神となって内裏を暴れ回る後半の演出を、天神として舞う筋にしたそうです。それを、現在の宝生宗家が復曲試演し、2年前にNHKで放送されたそうですが、今回はそれとは違う替の型での試演となりました。違う所は、後場の装束が袴が半切ではなく指貫で法被を着ず、格が高くなっていること、面が雷ではなく「怪士(あやかし)」の面であること、縦の動きより横の動きが多くなっていることなどだそうです。
 前場の「あやかし」の面と後場の「あやかし」の面は違う面で、宗家が名を言ってましたが、忘れてしまいましたm(_ _)m。
 前場では、満次郎さんの道真公の霊が、僧正との問答の後、急にザクロを噛み砕いて吹き付けるとそれが火炎となり、橋掛かりをサササーと走り去るのが緊張感があって印象的。後場では赤頭の雷神となって登場するわけですが、登場の時は衣を被いて低い姿勢でスルスルと橋掛かりの途中で被衣を取り雷神の姿を見せます。大きく口を開いた雷の面ではなく、格の高い装束に合わせて神霊の怪士の面に赤頭で、キレの良い動きがカッコ良く、最後は僧正に祈りに鎮められ、天神となって静かに去って行きます。

 今回は雷がテーマでしたが、本当に雷神を呼んでしまったのか、夜から東京はゲリラ雷雨に見舞われて、隅田川花火が初の中止になりました。いやはや。
2013年7月25日 (木) 第63回野村狂言座
会場:宝生能楽堂 18:30開演

解説:石田幸雄

「清水」
 太郎冠者:野村裕基、主:野村萬斎        後見:竹山悠樹

素囃子「早舞」
 大鼓:大倉慶乃助、小鼓:鳥山直也、太鼓:梶谷英樹、笛:小野寺竜一

「朝比奈」
 朝比奈:深田博治、閻魔:高野和憲         後見:月崎晴夫、岡聡史
      地謡:飯田豪、竹山悠樹、内藤連、中村修一

「連歌盗人」
 男:野村万作、男:野村萬斎、何某:石田幸雄    後見:飯田豪

 今回の解説は石田さん。「清水」はストーリー性のある狂言で、成長期の狂言師の節目の曲だそうです。当時は鬼の実在が信じられていた時代だったということで、鬼の出て来る狂言の話もされました。「朝比奈」でも武悪という鬼の面が使われていますが、こちらは閻魔大王、仏教が広まって皆極楽へ行ってしまうので、地獄は餓えて、大王自ら六道の辻まで出てくることに。狂言では珍しく朝比奈三郎という名前の人物が出てきますが、朝比奈に象徴されるキャラクターが大事で、城門を倒すくらいの豪傑、強い人の象徴です。
 最後の「連歌盗人」は、通の狂言、味わいのある狂言で、最後は「やるまいぞ、やるまいぞ、ごゆるされませ」と終わるのがオーソドックスな終わり方ですが、これは、めでたく謡い舞いでミュージカルになって終わります。

「清水」
 主人から、茶の湯で使う水を野中の清水へ汲みに行くように命じられた太郎冠者は、何かと用を言いつけられて常になってはたまらないと、鬼に襲われたふりをして帰ってきてしまいます。主人は冠者が置いてきてしまった秘蔵の手桶を惜しがって、自ら清水へ行くと言い出したので、冠者は先回りして、鬼の面をかぶって主人を脅します。あわてて逃げ出した主人でしたが、冠者を贔屓にした鬼の言葉や冠者そっくりの声など、合点のいかないことが多いので、もう一度清水へ行くことにします。そこでまた冠者は鬼に扮して脅しますが、今度は正体を暴かれ、主人に追われて逃げて行きます。
 裕君も今年14歳ですが、変声期はまだ終わって無いようで、声を張ると時々かすれたり裏返りそうになるのを抑えながら台詞を言ってました。それにしても夏休みにさっそく遊びに行ったのか、スポーツをやってるのか、ずいぶん日焼けして真っ黒でした(笑)。
 裕君、鬼の面をかけても台詞もハッキリしているし、型も美しく、やっぱり親子三代のDNAは、しっかり継承されているようです。主人と召使いという立場が、そのまま親子対決って感じでした。

「朝比奈」
 最近、仏教のおかげで人間が地獄に落ちてこなくなったため、閻魔王自ら罪人をせめ落とすために六道の辻へやってきます。そこへ通りかかったのは名高い武将の朝比奈三郎義秀。閻魔王は懸命に責めて地獄に落とそうとしますが、朝比奈はまったく動じず、それどころか、怪力で閻魔をひっくり返してしまいます。閻魔はとうとう負けを認めて、朝比奈に和田合戦の様子を語らせます。朝比奈は身振りを交えて戦の有様を語り、ついには閻魔を道案内に立てて極楽へ向かうのでした。
 高野さんの閻魔大王、最初はなかなかの迫力で出てきましたが、最近は皆、極楽へぞろりぞろりと行ってしまって、地獄もすっかり廃れてしまったと情けない告白。そこに現れた深田さんの朝比奈、堂々として閻魔がいくら責め立ててもビクともしません。小柄な高野閻魔が杖で押しても全く動かず、深田朝比奈の持つ太い杖に振り回されて、あっちへコロコロこっちへコロコロ、何だかもう可愛い。朝比奈が戦語りをする時も時々閻魔が相槌を打ったり、「死する者は、ただ鮨押したるが如くなり」で「ああその鮨を一頬張り、頬張りたいなあ。」と言ったりして、お腹が空いてなさけな〜い閻魔様。堂々と大きくて朝比奈らしい深田さんと閻魔のプライドはありながらも小柄で、こりゃ勝ち目なさそうな高野閻魔のコンビがピッタリはまってました。

「連歌盗人」
 連歌会の頭(とう)にあたったものの、お金がなくて準備のできない男が、共に頭にあたっている友人と相談し、知り合いの裕福な男の家に盗みに入ることにします。首尾よく座敷へ侵入した二人は、床の間の懐紙に「水に見て月の上なる木の葉かな」という発句が書かれていることに気づきます。連歌好きの二人はつい添え発句に脇句までつけて楽しんでいるところを亭主に見つかってしまいます。しかし、やはり連歌好きの亭主は、自分の第三句にみごと四句めを付けたら命を助けると言い、二人が上手に付けるので、二人を許します。そして顔見知りの者だと気付いた亭主は事情を聞いて、二人にお酒を勧め、これで連歌会の準備をするようにと太刀と小刀を渡します。
 万作・萬斎親子に石田さんという磐石な顔ぶれ。貧しくて連歌の準備が整わないから金持ちの知り合いの家に盗みに入ろうなんて、短絡的すぎますが、柴垣を切るためにしっかりノコギリを用意していたり、そのくせ何とも間の抜けた二人です。
 万作さんの「貧者」という言い方やノコギリを出すタイミング、ちょっとしたことが何とも可笑しい。通向きの曲と言われると、なんか身構えちゃいますが、さすが万作さんの巧さに脱帽、今回一番面白かったなあと感じました。盗人も盗みに入られた方も連歌好きの人の良さ、最後は微笑ましくもあったかい気持ちになりました。親子での謡い舞いはやはり心地よい目福、耳福の一品。
2013年7月21日 (日) 萬狂言 夏公演
会場:国立能楽堂 14:30開演

解説:小笠原匡

「井杭」
 井杭:野村眞之介、算置:野村萬、何某:野村万蔵

「因幡堂」
 夫:小笠原匡、妻:野村扇丞

素囃子「獅子」
 大鼓:原岡一之、小鼓:鵜澤洋太郎、太鼓:大川典良、笛:栗林祐輔

「鬮罪人」
 太郎冠者:野村万蔵
 主:野村萬
 町内の人:野村万禄、野村太一郎、炭光太郎、吉住講、泉愼也、野村扇丞

 まず、小笠原さんが切戸口から登場して分かりやすく慣れた演目解説がありました。「井杭」の算置とは、占いをする人で陰陽師のこと。それがことごとく当たってるんですが・・・。可愛さ故に井杭の頭を叩く何某のことを関西のおばちゃんに例えていたのには笑いました。井杭という名について、杭を打つという意味、「出る杭は打たれる」というと、いい意味ではないですが、天と地を繋ぐ杭を打つということで、目出度い意味があるとのことです。初めて聞きました。

「井杭」
 井杭は目をかけてくれる人(何某)に会いに行くと、必ず頭を叩かれるので、清水の観世音に祈り、そこで授かった頭巾を持って何某の家を訪ねます。するとまたいつものように頭を叩かれそうになるので、とっさに頭巾を被ると井杭の姿は消え、頭巾を脱ぐと姿が現れます。不思議に思った何某は、姿を消したままの井杭の居どころをつきとめるため、通りかかった算置を呼び止め、占いで探してもらうことにします。算置は算木を並べて、まず失せ物は生き物と当て、井杭の居場所も示します。井杭はあわてて居場所を変え、見えないのをよいことに、算木を隠したり、二人に悪ふざけをして喧嘩をさせます。頃合いを見て井杭が姿を現すと、二人は逃げる井杭を追いかけます。
 万蔵さんの三男眞之介くんと親子三代共演です。眞之介くんは10歳くらいで、もう舞台にも慣れてしっかりしてますが、まだ可愛いですね。そんな眞之介くんがやるのにぴったりな曲。お祖父ちゃんとお父さんが子供の悪戯に振り回されてるみたいで微笑ましい感じでした。

「因幡堂」
 大酒飲みの妻を持った夫は妻が実家に用事で帰っている間に離縁状を送り付け、新しい妻を授けてもらおうと因幡堂の薬師に祈願しに行きます。それを聞きつけた妻が腹を立てて堂に駆けつけ、籠って寝ている夫を見つけると一計を案じ、「西門の階に立った女を妻にせよ」と薬師になりすまして告げ、自分がその場所に被衣を被って待ち構えます。目覚めた夫は喜んで西門に行き、新しい妻だと信じ込んで連れ帰り、祝言の盃をしますが、女は何杯も飲み干すうえ、顔を見せません。業を煮やした夫がむりやり被衣をとると、元の妻の顔が現れ、怒った妻に追いかけられた男は言い訳をしながら逃げて行きます。
 男が大酒飲みで妻に愛想をつかされる話はいくつかありますが、これは逆に妻が大酒のみで愛想をつかされる話です。最初に夫が妻のことを朝起きるのが遅く、裁縫もままならず、苧(お)をうむ(植物のからむしの茎の繊維を糸にする)こともできず、その上大酒飲みで口うるさいと言います。それにしても、正面切って言う事が出来ずに妻が実家に帰った隙に離縁状を送り付け、すぐに新しい妻を得ようとするのは何とも虫がいい話で情けない夫ですね。
 妻の扇丞さんが怒り心頭の様子で出て来る、そのいかにも悔しそうな様子が可笑しかった。祝言の盃事には大酒飲みの本性が出てしまって何杯もお替わりするし、最後には夫の前に姿を現して怒りの形相に夫はタジタジ(大笑)。新しい妻を娶ったと思ったら元の妻だったってお気の毒。ずっとお尻に敷かれていくのかな。

素囃子「獅子」
 能『石橋』の「獅子」のお囃子です。緊張感と勢いがあってすごく好きな曲です。

「鬮罪人」
 祇園会の山車の当番に当たった主人が、町内の人たちと相談をするのに太郎冠者を使いに出しますが、出かける直前、差し出がましいことはするなよと冠者に釘をさします。さっそく町内の人たちが集まり、趣向を凝らした山車の相談を始めると、「仁田四郎の猪退治」の場面や「河津と俣野の相撲」「鯉の滝上り」などの案が出されますが、いずれも太郎冠者が差し出て反対し、主人もそのたびに冠者を叱りつけます。一同は冠者の意見を聞いてみることにすると、地獄の鬼が罪人を責めるところはどうかと提案します。主人の反対にもかかわらず町内の人が皆賛成し、役をくじ引きで決めることになって、冠者が鬼、主人が罪人の役にあたって、さっそく稽古がはじまります。冠者は杖で罪人役の主人を責めますが、強く打ったため、怒った主人に追いかけられます。町の人たちになだめられ、稽古を続けることになりますが、主人に睨まれるのが恐いので、鬼の面をつけ、二人とも装束に着替えてやることにします。冠者は再び主人を責め、また杖で打ったので、怒った主人に追いかけられて逃げて行きます。
 現在の祇園祭の山鉾は決まっていますが、中世では毎年相談で決めていたことがうかがえます。
 主人が山車の当番に当たったので太郎冠者もウキウキ。普段からすぐ差し出がましい口を挟むので、主人から注意を受けたにも拘らず、黙っていられない。そのたびに主人に怒られるの繰り返し。嬉しくて自分も加わりたいという万蔵太郎冠者の気持ちがすごく伝わってきます。くじで自分が鬼を引き当てた時のヤッターって表情(笑)、大げさではないけど凄く嬉しそう。それに対して萬主人は苦々しい表情(笑)。最初は、恐い主人を恐る恐る責めていた冠者が、日頃の鬱憤を晴らすように、だんだん調子に乗ってきてやりすぎちゃう様子が面白い。主人には後でこってり絞られるんでしょうが、またケロっとして口出ししすぎちゃうんだろうな、恐い主人もそんな太郎冠者でもいつもは気が利くので頼ってるんだろうなというのが目に浮かぶようでした。
2013年7月6日 (土) セルリアンタワー能楽堂定期能七月 喜多流
会場:セルリアンタワー能楽堂 18:00開演

おはなし:馬場あき子

ろうそく能『清経』
 シテ(平清経の霊):友枝昭世
 ツレ(清経の妻):長島茂
 ワキ(粟津三郎):福王和幸
    大鼓:亀井広忠、小鼓:成田達志、笛:一噌仙幸
       後見:中村邦生、佐々木多門
          地謡:友枝真也、粟津浩之、粟谷充雄、大島輝久
              大村定、粟谷能夫、香川靖嗣、出雲康雅

 今回は、馬場さんのおはなしとろうそく能『清経』のみで8時ころには終わりました。
 ろうそく能には、合う演目と合わない演目があるとのことですが、この『清経』は合う演目とのこと。友枝さんの『清経』というと、三渓園での『清経』が思い出されます。
 清経は、平重盛(清盛の長男)の三男。大河ドラマの「平清盛」では出てきていませんが、清盛には12人の孫がいて、重盛には5人の子供がいたそうです。父親が亡くなった時に子供たちがまだ若すぎたため、棟りょうを伯父の宗盛が継ぐことになり、本来ならば平家の棟りょうの子である立場が変わってしまったこと。戦の経験がなく、戦争を知らない子だったこと。平家一門の男子は皆美男で、風流で、清経は笛の名手であったことなど、清経の背景について馬場さんからお話がありました。また、清経は源平合戦の始まる前に自殺という形で亡くなった平家一門の最初の死者で、平家にとって不吉の前兆となったことなど話されました。

『清経』
 平清経の家臣粟津三郎は、形見の黒髪を清経の妻に届けるために密かに九州から都へ戻ってきます。清経は平家一門と共に幼帝を奉じて都落ちをし、西国へと逃れますが、敗戦につぐ敗戦に、前途を絶望して豊前国(福岡県)柳ヶ浦で、船から身を投げて果ててしまいます。その話を聞いた妻は、討ち死にや病死ならともかく、自分を置いて自殺したことを恨み、嘆き悲しみ、形見の黒髪を見ては思いが募り、耐えられないと遺髪を手向け返し、夢の中でも姿を見せてくださいと、涙ながらに床につきます。
 すると夢枕に清経の霊が現れ、妻は嬉しく思いますが、再び生きて姿を見せてくれなかったことを恨み、清経も心を込めて送った遺髪を手向け返すとは、とお互いに恨みごとを言います。
 そして、清経は、都落ちした平家一門が筑紫での戦にも敗れ、願をかけた宇佐八幡の神からも見放されたいきさつ、不安、心細さを話し、望みを失って月の美しい夜更けに西海の船上で横笛を吹き、今様を謡って入水したことを物語ります。続いて修羅道の苦しみを見せますが、入水に際して十念(念仏を十度唱える)を唱えた功徳で成仏したと述べて、消えて行きます。

 笛の音に惹かれてスルスルと橋掛かりを滑るように登場する清経の霊。薄暗いろうそくの灯りに照らされ風雅な平家の公達清経が生前の姿のまま、しかし、すでにこの世の者でない妖しさで、やはり登場シーンから心惹かれる美しさです。
 現実の世界に取り残された妻の悲しみ恨みと自ら死を選んだ清経の美意識、無常観は相容れることのないままですが、すでにこの世への執心を絶ち成仏した霊が妻の思いにその悲しみを慰めるため姿を現したのでしょう。友枝さんの清経はまさに平家の公達、清経の優美さと弱さ、優しさ、凛々しさ、そしてこの世の者でない危うさをまとっています。夫婦の思いと切なさが心に沁みます。
2013年7月4日 (木) 四世千作追悼 千五郎狂言会 第十五回
会場:国立能楽堂 19:00開演

「鬼瓦」 大名:茂山千五郎、太郎冠者:茂山逸平    後見:島田洋海

「お茶の水」
 新発意:茂山正邦、住持:網谷正美、いちゃ:茂山茂  後見:島田洋海

「悪太郎」
 悪太郎:茂山千五郎、伯父:茂山七五三、出家:茂山千三郎
                           後見:井口竜也

この公演は大分前から決まってたようですが、その間に千作さんが亡くなって追悼となりました。

「鬼瓦」
 長らく在京した大名が晴れて帰国することになり、お礼と暇乞いに因幡薬師に参詣し、伽藍を眺めていると鬼瓦のいかつい顔が目に留まります。ハテ誰かに似ていると考えるうちに、国元に残してきた妻の顔を思い出し、懐かしさのあまり泣き出してしまいます。しかし、太郎冠者が間もなく帰国すればお会いになれると慰めると、大名も気を取り直し、二人で大きく笑って国元へ帰って行きます。
 妻の顔が鬼瓦に似てるなんて、悪口かと思いきや、懐かしさのあまり泣いてしまうなんて、可愛いい大名です。ほのぼのとしてユーモアがあっていかにも狂言的。千五郎さんの大名と逸平太郎冠者のちょっととぼけた雰囲気がマッチして楽しい一番でした。

「御茶ノ水」
 寺の住持が新発意に御茶ノ水を汲んでくるよう命じますが、なぜか固く断られ、門前の娘に行かせます。娘が小歌を謡いながら水を汲んでいると、いつの間にか新発意がやってきて、恋心を小歌に託して謡い、言い寄ります。やがて掛け合いの謡となって二人が興じているところへ、帰りが遅いと心配してきた住持がやってきて、怒って新発意を折檻します。すると娘と新発意は二人で住持を打ち倒し、連れだって逃げ出し、住持は後を追っていきます。
 和泉流では「水汲」で、住持は出てこず、二人の抒情的な謡いと最後に恥じらう娘に新発意が桶の水をかけられて終わります。大蔵流と和泉流の違いが観られて面白かったです。
 住持に言われると嫌がる水汲みも、好きな娘が汲んでいれば言い寄って手伝いもしたい。小歌を謡って二人が恋の駆け引きをしているところへ無粋にも現れた住持。娘はどっちの味方をするかで、結局、新発意に味方して住持を二人で投げ飛ばし「のう、愛しい人」だって(笑)。

「悪太郎」
 酔っ払った悪太郎が、飲み足りないので伯父に酒をねだろうと出かけていきます。伯父の元で酒を飲み、よい機嫌になった悪太郎は、帰る途中で寝てしまいます。後をつけてきた伯父は、悪太郎を僧形にし、今後は南無阿弥陀仏と名付けると言い残して帰っていきます。やがて目が覚めた悪太郎は、自分の姿に驚きますが、南無阿弥陀仏という変わった名前を嬉しがり、ご機嫌で帰るところに、通りかかった僧が念仏を唱えると、思わず返事をしてしまいます。僧に南無阿弥陀仏の由来を聞かされた悪太郎は、これからは一心に弥陀を頼もうと誓います。
 千作さんと千五郎さんが共に得意とした曲ということで、今回は追悼に相応しく千作さんの子息3兄弟の共演となりました。
 いかにも乱暴者そうな千五郎さんの悪太郎に手を焼く七五三さんの伯父、千五郎さんの飲んだくれぶりと、後半の千三郎僧とのリズミカルなやり取りが楽しい。
 「悪に強きは善にも強し」って、結局、七五三伯父の策略にしっかり嵌ったんですね。