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能楽鑑賞日記

2018年1月18日(木) 新春名作狂言の会
会場:新宿文化センター大ホール 19:00開演

トーク:茂山千五郎、野村萬斎

「二人大名(ふたりだいみょう)」
 大名甲:茂山千作、大名乙:茂山茂、道通りの者:茂山千五郎
     後見:山下守之

「魚説法(うおせっぽう)」
 新発意:野村万作、施主:石田幸雄      後見:野村裕基

「釣針(つりばり)」
 太郎冠者:野村萬斎
 主:深田博治
 妻:月崎晴夫
 腰元:野村太一郎、内藤連、中村修一、飯田豪、野村裕基
 乙:高野和憲
    後見:岡聡史

 いつものように、茂山家の千五郎さんが先に登場して自分たちの演目の解説。
 「二人大名」は、犬の真似が出て来るので、今年の干支にちなんで選んだそうです。大名と言うと、戦国武将とか思い浮かべますが、狂言の大名は地方の豪族で、田舎の権力者程度。従者がいないので自分で太刀を持って出るのを「召使いが他の仕事で出払っていない」と言うようなことを言いますが、それは見栄で、本当は召使いを一人も雇ってないのじゃないかと思っているとのこと。狂言の大名はみんな強がる。
 立場が逆転することで「下剋上」と言う人もありますが、そこまでじゃなくて、最後に起き上がり小法師で3人で浮かれだす。狂言らしい大らかさで終わります。

 続いて萬斎さんの登場で2人のトーク。千五郎さんが、東京に来る新幹線のグリーン車の中に置かれていた雑誌に萬斎さんの記事が載ってたので、見てましたとの話。狂言に対する迷いがあったそうですが、との問いに萬斎さん、「稽古が厳しかったから。」「狂言よりギターやスポーツやってる方が楽しいじゃないですか。」
 千五郎さんは、狂言の他は、趣味が落語だったので、落語よりは子供のころからやってた狂言の方が良いと思ったそうで、あまり迷いはなかったそうです。弟(茂さん)は、F1のエンジニアになりたいとか言ってたそうです。
 今日の舞比べは「三番叟」の揉ノ段のさわりのところとのことで、「三番叟」についての話。大蔵流では「三番三」と書きますが、「叟」については、お爺さんという意味で、三番目のお爺さんということ。『翁』では、元々3種類のお爺さんが出てきて、今は無くなってしまった父尉(ちちのじょう)と白式尉(はくしきじょう)という白いお爺さんと黒式尉(こくしきじょう)という黒いお爺さんが出てきますが、この3番目の黒式尉を狂言方が演じますとのこと。
 最初の「おおさえ おおさえ」について、萬斎さん、「『抑える』という字をあてているのを見たことがあります。抑制する、何かを鎮めるということでしょうか。」と、千五郎さんはその後の「喜びありや、我が此のところより他へはやらじとぞ思う」について、「喜びごとは他所へはやらへんで」と。

 この後、二人で舞比べ。最初の控えの位置が、大藏流は本舞台の真ん中後ろ、和泉流は橋掛かりと、違っています。舞ったのは最初の「おおさえ・・・やらじとぞ思う」の謡い部分のみでしたが、大藏流と和泉流、別々に観ている時はほとんど気付かなかったのに随分型が違っていたので、ちょっとビックリ。今まで私が気が付いていたのは、その後の掛け声が違う事くらいだった(^^;)

 舞い終わって、千五郎さんが、「萬斎さんは、キレが良いですね。ウチはもっちゃりしてる」と言うと、萬斎さん「はんなりと粋の違いでしょうか」と、この後、「二人大名」の準備で千五郎さんが引き揚げると「体型の違いもありましたね、ヘビー級とフライ級の違いでしょうか」ww
 この後は「魚説法」と「釣針」の解説。
 「魚説法」では、新発意という寺の小僧さんを「子供がやることが多いのですが、今日は86歳の父がやります」と、魚の名前に替えた説法に「ハム」と言うのが出てきて「鱧(はも)」のことですが、子供の頃に稽古しながら、なんで肉の「ハム」が出て来るんだろうと、ずっと思ってたそうです。
 「釣針」では、婚活の話です。と、歌舞伎には「釣女(つりおんな)」と言うのがあって、この狂言「釣針」が元になってます。狂言の方が古いんですよ。と、ハイ、知ってますよww

「二人大名」
 連れ立って都に上る二人の大名。お供がいないのは面白くないと思って、道で出会った男が嫌がるのを脅して、無理やり太刀を持たせます。すると男がその太刀を抜いて二人を脅かし、小刀を取り上げると烏帽子がトサカに似ていると言って鶏の蹴あいを真似させ、着物を奪うと犬の噛みあいの真似をさせます。さらに二人の姿が起き上がり小法師に似ていると言って、小歌を謡いながら真似するように命じます。二人が繰り返し真似をしているうちに、男は奪った物を抱えて立ち去り、慌てて二人は後を追います。

 何というか、茂山家らしい関西風のノリのある話し方、間の取り方が何とも可笑しい。
 通りすがりの男を脅して太刀を持たせ、二人で交互に家来を呼び出す様子をやっては無邪気に喜んでいるのを見ると、千五郎さんが言うように、この大名は家来がいないのかもしれないと思えてきました。
 男の反撃にあって、太刀で脅されるたびに千作さんが「でやー」と言うような独特の叫び声をあげるのも可笑しいし、茂さんが「命あってのものだね、早くやらせられぃ」と言う言い方も何とも可笑しくて笑ってしまう。
 大名甲と乙の関係も、大名乙が、自分は太刀を持たせてないのに巻き込まれて迷惑だと思っている風で、甲の方も乙に対して巻き込んで申し訳ないと思っている風なのも万作家と違ってて面白かったです。

「魚説法」
 お堂を建立した男が寺に供養を頼みに来ますが、住持は出かけており、留守番の新発意(出家して間もない修行僧)がお布施欲しさに引き受けます。新発意はお経を覚えておらず、海辺で育った子供の頃に覚えた魚の名前を連ねて何とか誤魔化そうとします。途中で男がそれと気づいて咎めると、なおも魚の名で応答するので、怒って追って行きます。

 万作さんが新発意役で、歳を取ると子ども帰りするとか、萬斎さんが言ってましたが、本当に可愛らしく見えますww
 魚の名前を連ねて説法する時、魚の名前をハッキリ分かるように言うのが、可笑しくて笑っちゃいます。
 最後にトビウオでピョンピョン跳ねながら逃げて行く姿は86歳とは思えない身軽さ、先日の萬さんの身軽さにも驚きましたが、兄弟そろってお元気そうで何よりです。
 石田さんとのコンビはやっぱり安定感があって良いですね。
 後見の裕基くんの働きぶりにも目がいきました。

「釣針」
 共に独身の主人と太郎冠者が西宮の戎(えびす)に参籠すると、夢のお告げがあり、何でも望みの物が手に入るという釣針を賜ります。それで妻を釣ることにし、太郎冠者が「釣ろうよ、釣ろうよ」と、節おもしろく声をかけながら釣針を投げて、まず主人の奥方、次に腰元たち、さらに太郎冠者の妻を釣り出します。主人が奥方と腰元たちを連れて先に帰ると、太郎冠者は妻と初対面しますが、あまりに醜女なので逃げ出します。

 女を釣り上げるなんてと、目くじら立てず、ひたすら無邪気で楽しそうな太郎冠者に男ってバカだねえと笑いとばしてカラっと終わる。
 太郎冠者が揚幕の中に釣針を投げると、小袖を被いた女たちがゾロゾロ連なって出て来るのには、思わず笑っちゃいます。身軽な萬斎太郎冠者が、自分の妻を釣る時には舞もガゼン張り切って跳躍したり、奥様たちが引き揚げる時に、奥様の顔を覗き見た太郎冠者が「えーっ、えーっ」と、渋い、いぶかしい表情をするのも、美人を釣ったはずが、そうじゃなかったと気が付いて首を傾げてる感じ。でも、自分の妻は美人だろうと思っているのか、被きを取ってビックリ!フリーズ!
 高野さんの乙の面がオデコと頬がかなり出っ張ってて、いや〜一番醜女の面を使ったのねww。高野さんの迫る女っぷりが、やっぱりホラーな怖さで笑っちゃうけど、太郎冠者が逃げたくなるのも分かるなと思ってしまう。
2018年1月11日(木) 第81回野村狂言座
会場:宝生能楽堂 18:45開演

解説:野村萬斎 18:30〜

「犬山伏(いぬやまぶし)」
 山伏:深田博治、僧:竹山悠樹、茶屋:岡聡史、犬:月崎晴夫  後見:内藤連

「文蔵(ぶんぞう)」
 主:石田幸雄、太郎冠者:高野和憲      後見:飯田豪

素囃子「神舞(かみまい)」
 大鼓:亀井広忠、小鼓:田邊恭資、太鼓:大川典良、笛:松田弘之

「庵の梅(いおりのうめ)」
 老尼:野村万作
 女:野村萬斎、野村太一郎、内藤連、中村修一、飯田豪、野村裕基
     後見:深田博治、月崎晴夫

 「犬山伏」
 齋(とき)から帰る途中の僧が、持ってきた傘が邪魔になったので、預けて帰ろうと馴染みの茶屋に立ち寄ります。僧が茶を飲んで休んでいるところへ大峯・葛城の修行を終えた山伏がやって来て、茶屋の出したお茶に難癖をつけ、さらに、自分の肩箱を今晩の宿所まで持って行けと、僧に無理矢理押し付けます。困った僧が逃げ出そうとするのを茶屋の亭主は引き留め、自分の飼っている人喰い犬と山伏の二人で祈り、犬のなついた方を勝ちとして、相手に荷物を持たせてはどうかと提案します。そして、僧にだけ、「犬の名はトラなので、名を呼べばよい」と教えます。僧が「トラ」のつく経を唱えれば、犬はなつき、山伏が祈ると犬は噛みつこうとします。ついに山伏は犬に追われて逃げていきます。

 萬斎さんの解説でも、戌年とかにしか滅多にやらない曲とのことで、私も観たことがないような気がします。犬の面があるというのも初めて見ました。この曲ぐらいしか使わなそうですけど。一番前の席だったので、正面から面も見ることが出来ましたが、黒頭の毛が多すぎて横を向くと全然犬の顔が見えない(^^;)。解説では、うちの面はブルドック系と言ってましたが、そんなに鼻ぺちゃでもないし、それほど怖い顔にも見えなかったですけど。
 内容は「禰宜山伏」とほとんど同じで、禰宜(神職)が僧に変わり、大黒天が犬に変わっただけと言う感じです。僧が柔で山伏が剛で演じられるということで、何回か観た「禰宜山伏」では「禰宜」が、いかにも気弱な感じに見えることが多かったですが、竹山僧は、気弱には見えなくて、むしろ、のらりくらりしながら物に動じてない感じ(笑)。竹山さんの持ち味だと思います。それに対して、深田さんの山伏がいつもの深田さんとはまったく違って、いかにも横柄で憎々しげ。僧がお茶を飲んで立ち去ろうとすると、立ち去る前に腰かけていたのが気に入らぬと言って、肩箱を無理に持たせようとします。席が空いたのに、わざわざ引き留めるとは、よほど虫の居所が悪かったのか、難癖付けて威張り散らしたいだけと言う感じでしたね。
 月崎ワンちゃんは、竹山僧が「トラや〜トラや〜」と唱えると、拍子に合わせて片足づつ挙げてご機嫌。深田山伏が祈ると、「う〜、う〜」と唸って「びょうびょう」と飛びかかっていきます。まあ、でも「人喰い犬」と言うのは大袈裟、ワンちゃんて言いたいくらい可愛いかったです(^^)

「文蔵」
 太郎冠者が自分に内緒でどこかへ出かけたことを怒った主人が、きつく叱ってやろうと太郎冠者の家へ行きます。しかし、太郎冠者が都見物をしてきたと言ってわびるので、都のことが聞きたい主人は太郎冠者を許して、都の様子を話させます。太郎冠者が東福寺の伯父のところにも挨拶に立ち寄ったというので、何か珍しいものをご馳走にならなかったかと尋ねると、たしかに食べたが、名前が思い出せないと言います。主人が点心の類か羹(かん)の類かと、いろいろ食べ物の名を挙げてみせますが、どうも違う。ようやく、主人の愛読書『源平盛衰記』の石橋山合戦の件に出てきたものだったと思いだしたので、主人が語って聞かせますが、なかなかそれらしい箇所がでてきません。「真田の与一が乳人親(めのとおや)に文藏と答ふる」というところで、その文藏を食べたというので、主人は、それは釈迦が師走八日の御山出でに食べた温糟粥(うんぞうがゆ)のことだろうと言い、主人に骨を折らせたと叱ります。

 「文蔵」で、石田主人に高野太郎冠者という配役も初めて観ました。「野村狂言座」では、滅多にやらない曲や、いつもとは違う配役が観られるのがまた楽しみでもあります。
 解説では、太郎冠者が主人に黙って出かけるのを「抜け参り」と言うそうですが、こういう曲で太郎冠者ではなく主人がシテになるのは珍しく、「文蔵」と「二千石」くらいだそうです。また、「石橋山合戦」の源氏の真田与市と平家の俣野五郎との一騎打ちの場面が語られますが、片方は華やかな鎧兜の侍、片方は真っ黒なダースベーダーのようなと、言ってました。
 主人の語りが見どころ聞きどころですが、語りの途中で主人が太郎冠者に「まだ食べた物の名がでてこないか」聞くところの気の抜け具合が可笑しくて笑っちゃいます。
 石田主人と高野太郎冠者の組み合わせもなかなか面白かったです。

「庵の梅」
 住吉の里に住む女たちが、美しく咲いた梅の花を見るため、老尼の庵を訪ねます。女たちの熱心な頼みに応じ、老尼は庵の柴の戸を開け、皆を招き入れます。老尼が和歌を所望すると、女たちは短冊に書いて来た和歌を見せ、梅の枝に結んでもらいます。やがて酒宴となり、女たちが謡を謡い、舞を舞ううち、老尼も皆からすすめられ、昔を思い出して舞を舞います。やがて日も暮れかかり、暇乞いをする女たちに、老尼は梅の枝を土産に持たせてやるのでした。

 万作さんの老尼が何とも可愛らしかったです。紅白の花が咲いた梅の木の作り物が目付柱寄りに置かれ、庵の作り物が正面後方の大小前に置かれ、綺麗どころの女たちが梅の花見にお寮さん(老尼)の庵を訪ねます。
 庵の中から出て来るお寮さん、「戸を開けましょう」と立ち上がって、「腰イタや」と少し曲げた腰をトントンと叩く仕草も何か可愛いし、梅の木とお寮さんが同じ歳ということで、「木もお寮が腰も屈みました。」なんてユーモアたっぷり。
 萬斎さんの解説に年齢物で「比丘貞(びくさだ)」と「枕物狂(まくらものぐるい)」と三老曲と呼ばれる重い曲ということですが、女性しか出てこない曲は非常に珍しいとのこと。確かに女性が沢山出て来る曲でも、一人か二人は男性が出てきますからね。萬斎さん、「女子会」と言ってました(笑)。最後にお寮さんが舞い謡う「柴垣」という歌は、夜這いの歌なんだそうで、こういうのも「女子会」ならではかも、と(笑)。
 萬斎さんが一番年上で女たちを仕切る大姉御の貫禄、若い女たちの舞い謡いも華やかでなかなか眼福です。
 最後に舞いをすすめられて、袖で顔を隠して恥ずかしがる万作お寮さんの姿が可愛くて、可愛くて、梅の香が漂う春の華やかな一日を堪能しました。
2018年1月8日(月・祝) 萬狂言新春特別公演 野村萬米寿記念
会場:国立能楽堂 14:30開演

「三番叟(さんばそう)」式一番之伝
 太夫:野村萬  千歳:野村万之丞
   大鼓:亀井広忠
   小鼓頭取:大倉源次郎、脇鼓:鵜澤洋太郎、田邊恭資
   笛:松田弘之
     後見:能村晶人、山下浩一郎
        地謡:小笠原匡、野村万蔵、野村万禄、上杉啓太

ご挨拶:野村万蔵

語「元日の語(がんじつのかたり)」 野村拳之介、野村眞之介

「蝸牛(かぎゅう)」替之型
 山伏:野村又三郎、兄:野村信朗、弟:奥津健一郎   後見:奥津健太郎

新作狂言「信長占い(のぶながうらない)」一管
作:磯田道史、演出・台本:野村万蔵
 織田信長:野村万蔵、森蘭丸:河野佑紀、貧者:小笠原匡
   笛:一噌幸弘

「若菜(わかな)」立合小舞・新作下り端
 海阿弥:野村萬
 果報者:野村万蔵
 小原女:能村晶人、小笠原匡、三宅近成、野村万禄、三宅右矩
  〃 :野村又三郎、野口隆行、井上松次郎、高澤祐介
     大鼓:佃良太郎、小鼓:住駒充彦、太鼓:小寺真佐人、笛:一噌幸弘
       後見:野村万之丞

 「三番叟」式一番之伝
 パンフレットの演目解説によると、平成11年1月第十回槌の会において、故横道萬里雄氏原案、七世万蔵(現・萬)氏の演出により初演されたもので、『翁』の中で舞われる三番叟をただ単独で舞うのではなく、本来の祭儀としての形式にした演出だそうです。

 揚幕の中から切り火の音が何回か聞こえてきたので、一人一人に切り火を切っていたのでしょうか。面箱を掲げた万之丞さんがそろりそろりと橋掛かりに現れ、その後に萬さんが翁烏帽子に白い狩衣・白大口、上下とも白い装束で太夫として登場。その後に囃子方以下諸役が続きます。三番叟が普通の『翁』の太夫を兼ねるような形で進行し、太夫の萬さんが笛柱に近い所定の位置につくと、万之丞さんが面箱を前に運び、中から出した面はもちろん三番叟の「黒式尉(こくしきじょう)」の面です。
 「どうどうたらり・・・」で始まる太夫の謡いは、御神楽の序歌の「庭燎(にわび)」と「阿知女(あじめ)」の歌詞を借用し、一部改変して作詞したそうです。
 萬さん、そのまま「翁」を舞ってもいいくらい堂々と威厳がありました。

 万之丞さんの千歳の舞、颯爽として力強く美しい。その後に萬さんの三番叟「揉ノ段」と「鈴ノ段」。「鈴ノ段」の前の問答もいつもの問答とは違う目出度いものに変わっていたようです。萬さんの三番叟は米寿を迎えるとは信じられないほど足拍子も力強く、美しくい舞でした。舞の後は、息遣いが荒くなりますが、「揉ノ段」の掛け声や謡い舞い問答などの時は息遣いの荒さは全く感じられません。

休憩の後、本来は父がご挨拶するところですが、と断ったうえで、代わりに万蔵さんがご挨拶。
 父(萬さん)も足腰が弱って来たので、三番叟はずっとお断りしてきましたが、それは人様の会で失敗があってはいけないという思いからで、今回は、体調を整えて三番叟に挑んだとのこと、自分で自分を祝うことになった(笑)と、仰ってました。
 万蔵さんが企画して、新しい創意工夫をして臨んだとのことです。父も兄も新しいことにチャレンジしてきたので、チャレンジ精神をもって新しいものを作っていくのが万蔵家と、これからも新作や企画公演に意欲を示していました。

「元日の語」
 和泉流のみにある語りで、元日のめでたさから、御代(天皇の治世、またその在位の期間)のめでたさ、天子の長寿に及ぶ祝言の語り。「千秋万歳めでたき御代にてござ候」と結びます。
 拳之介さんと眞之介さんの兄弟が声を合わせて語りました。拳之介さんは高校生、眞之介さんは中学生、二人ともしっかりして、ずいぶん立派になりました。

「蝸牛」替之型
 出羽の羽黒山の山伏が大峰葛城で修行を終えての帰途、眠くなり藪に入って休みます。そこへ、兄に言われ、病気の祖父に効くというカタツムリを探しに弟がやって来ます。カタツムリを見たことが無い弟は、兄から教えられた「頭が黒く、腰に貝をつけ、角がある」という特徴をもとに、寝ている山伏を見つけて「カタツムリどのか?」と尋ねます。山伏はからかってやろうとカタツムリに成りすまし、囃し物にのってなら行こうと言い、二人で「でんでんむしむし」と浮かれていると、「さる方からカタツムリをいただいて病が直った」と言って兄が迎えに来ます。見ると山伏と弟が囃子物で戯れているので、あれは「山伏じゃ」と弟に言いますが、弟は一旦は理解してもすぐに囃し物に我を忘れてしまいます。ついには兄までまきこまれ、三人とも囃し物に浮かれ続けます。

 野村又三郎家の六義(台本)より、「主人・太郎冠者」を「兄・弟」とした<替之型>での上演です。
 兄弟となっただけでなく、蝸牛も祖父の長寿を祝うためではなく、病を治すためということになっています。蝸牛の説明でも「大きい物は人ほどもある」とは言わず「大きい物の方が良い」と言い、兄が弟を迎えに行った時も「父様が、さる方から蝸牛をいただいたによって、病がとん服した。」と言って、弟が山伏を蝸牛と勘違いしていることに対しては「蝸牛は虫のことで、人ほど大きいはずはない」とたしなめていました。また、山伏が弟を肩車して囃し物に浮かれるなど、見慣れた「蝸牛」とはいくつか違いがあります。

 「靭猿」の初舞台の時、揚幕の内で大泣きしてなかなか出てこられなかった信朗くんが、しばらく見ないうちに、もう高校生になっているとは隔世の感。舞台にもすっかり慣れたようで堂々としてました。弟役の奥津健一郎くんは中学生、後見の奥津健太郎さんの長男だそうで、二人ともしっかりとした舞台でした。山伏役の又三郎さんは、豪快で一番楽しそうに見えました。山伏の名乗りの時、「山伏“です”」と言うのは、大藏流では聞きますが、和泉流の野村家等(三宅派)では「山伏」で切って「です」は言いませんね。和泉流でも又三郎家や狂言共同社の台本は違うので、色々違いがあって面白いです。

新作狂言「信長占い」一管
 昨年8月の「萬狂言夏公演」で一度観ています。すじは同じなのでhttp://mura.hacca.jp/nikki129.htmlを参照してください。
 今回は「一管」として笛の演奏が入る演出が加えられました。信長登場の時、笛が入ります。
 前回は家康役が能村晶人さんで、貧者が万之丞さんでした。装束は、前回と同じだと思います。信長が光秀に対する憤懣を家康に向けて言って、段々光秀と勘違いしだし「狐のような目をして」だったかな?そんなようなことを言って興奮しだすと、家康が「たぬきでござる」と言うのですが、万禄さんは、ちょっと狸には見えないかな(笑)。蘭丸役はやっぱり河野さん、前回のように白粉はつけてなかったので、やっぱり付けない方が良いと思いました。信長と生年月日が同じ貧者役は前回は万之丞さんだったけれど、今回は小笠原さん、万蔵さんと生まれ年が同じなので、こっちの方がしっくりきますね。
 新作としては、なかなか面白いので、今後も再演されると良いと思います。

「若菜」立合小舞・新作下り端
 八瀬・大原のあたりに野遊びに出て小鳥を狙う果報者と同朋(大名などに仕えて、雑務をした僧形の者)の海阿弥の前に、若菜を摘みに出た大原女(頭に薪などを乗せて都に瓜に行く女性)たちが小歌を口ずさみながら通りかかります。海阿弥は女たちを酒宴に誘い、春の野で小歌や小舞が交わり合う華やかな宴が始まります。海阿弥の舞い、楽しい時間を過ごしますが、やがて女たちが帰る時刻になり、互いに名残を惜しみつつ、別れます。

 今回は、和泉流の野村又三郎家、三宅家、狂言共同社の井上松次郎氏の出演で、大原女たちの囃子を「新作下り端」とし、酒宴の場面は「立合小舞」の競演の形にして華やかさを加えるなど、万蔵さんの新演出によるとのことです。

 立合小舞では、最初に又三郎家の野口隆行さんと高澤祐介さんが舞い、次に三宅家の三宅右矩さんと三宅近成さん兄弟が舞いましたが、最後に万禄さん、又三郎さん、井上松次郎さんの三人が「七つ子」を舞ったのが、各家の舞い方でそれぞれ違う型で舞っているのでとても面白かったです。それぞれの舞の後に、海阿弥役の萬さんの舞、舞いが美しく、特に扇の使い方が美しかったです。最後に片足ぴょんぴょんもあり、本当に米寿とは思えないほど、謡いの声も足腰もお元気でビックリしました。